瞬刻の大空 ―Wing of the moment―   作:七海香波

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第二十一話 続く騒動の引き金へ

 

 ――ドイツ軍特殊部隊シュヴァルツア・ハーゼ。その隊長室にて、二人の軍服を着た人間が話をしていた。

 一人は立派なこしらえの椅子に膝を組んで座っており、その前にもう一人がピシッと踵を合わせて直立している。前者はここ数年になって目立つようになった女尊男卑主義者特有の周囲を見下すような態度が全身に現れており、後者は本来の軍人の持つような頑固さと、しっかりとした規律の中に生きる気品を感じさせている。

 もしどちらが上の役職にいるかと問えば、ほとんどの人間がまず間違いなく後者を選ぶだろう。しかし現実はそうではなく、周囲から劣るように見られる前者こそが後者の上司だった。

 そんな前者の女性が、目の前の滑らかな銀髪が特徴的な、もう片方の女性軍人にねばっこい口調で問いかける。

 

「ラウラ・ボーデウィッヒ大佐。分かっているでしょうね」

「はい」

 

 ラウラと呼ばれたその女性――いや、女子は、目の前の女性の確認について機械的にう頷く。軍人にしてはやけに小さい身長の彼女は、下手をすれば中学生に見えるほどだ。

 そんな彼女の従順な態度に満足するように口を歪ませながら、上官はどこか楽しんでいるかのように話を続ける。

 

「ええ、そうよ。織斑一夏、結城灰人――どちらも間接的ながらドイツに近い位置にいるわ。片方でも勧誘できれば占めたもの、何とかして彼らを手に入れなさい。ドイツ国内に入れば後はこちらで動かせるからね、ふふふっ」

 

 目の前で陶酔の笑みを浮かべる彼女に、ラウラは呆れるしかなかった。

 ……それは、“殺しても隠蔽してしまえる”と言うことだろう。彼女は軍の中でも有名な女尊男卑主義者であるのだから、勧誘ではなく死地に呼び込むというのが正しい言い方だろうに。

 目の前の女性の愚かさに、心の中で溜息をつく。

 しかし――これでも一応は上官なのだ。

 理由はともかくとして、彼らを排除すべきだという意見は自分も賛成なのだから。結果が変わらないのなら無闇に波風を立てる必要も無い。ここは反論せずに、素直に従っておいて顔を立ててやるとしよう。

 

「はい、そうですね」

「ええ、分かってくれてるならばそれで良いの。今日は確認にきただけだし、ではね。精々上手くやりなさいな」

 

 最後までそんなラウラの感情に気付かないまま、上官は彼女の肩を去り際にポンポンと叩いて去っていった。その際に上官の身につけている甘ったるい香水の匂いが鼻について、彼女は心の中で顔を顰めた。……あれでは火薬の匂いにも反応できないだろうに。

 ドアが閉まる音と同時に、少女は窓の側へと駆け寄って、空気を入れ換え始める。あのような匂いが残ったままでは、いざという時に嗅覚を使えなくなる。

 窓の外から入ってくる弾薬の香りで肺を満たしながら、少女は次の任務の詳細を頭の中で纏め始めた。

 

 ――IS学園にて第三世代試験機体:『黒い雨(シュヴァルツア・レーゲン)』の駆動データを確保すること。並びに、新たに発見された特異個体“織斑一夏”“結城灰人”両名と親密な間柄になり、独逸へと勧誘すること。

 

 ……ああ、なんて馬鹿馬鹿しい。

 

「何故奴らをわざわざ勧誘せねばならないのか」

 

 ラウラは別に男尊女卑主義ではない。男性がISを使えたところで、別にどうしたことはない。最終的に求められるのは、強さのみ。性別も履歴も母国も、いざ戦闘になれば何の関係もない。

 

「別に生体データを採取するだけなら、最初から死体でも変わらんだろうに」

 

 けれでも彼女は、その二人を勧誘する気など更々無かった。

 机の機械を操作して、任務受領の際に受け取った二人の男性操縦者の顔写真を浮かび上がらせる。

 織斑一夏。世界最強(ブリュンヒルデ)の名を持つ織斑千冬の弟で、その姉はかつて彼女を鍛えあげた教官であり、目標であり、絶対無敵の存在。

 そして、結城灰人。彼の祖父、クルト・エルレバッハ少将はISが登場する以前のシュヴァルツア・ハーゼの教官であり、今は戦線からは身を引いて黒ウサギ隊の特別顧問になっている。

 どちらもかつて自身を鍛え上げてくれた存在であり、ラウラは常にその凛々しい背中を追っていた。

 ――その、彼らが。

 私には向けない、時折見せる物腰柔らかな微笑みが……納得出来なかった。弟を、孫を語るときに浮かべるあの顔が、彼らの凛々しさを失わせる。その偉大な背中こそが、ラウラが求める“最強”の姿なのに。

 

「――なればこそ、その“最強”を揺るがす存在など、あってはならない」

 

 だから、私が……。

 まるで親の敵でも見るような鋭い目で、彼女は二人の男子の顔を宙に見据える。

 それらを射貫くかのような金色の瞳が、眼帯の下で僅かに疼いた。

 

 

 ■

 

 

『……という話があったらしい、ハイト。くれぐれも気を付けておくように』

「ああ、ありがとう爺さん。念には念を入れておくよ」

『うむ。あいつらの息子であるお前なら注意することくらい問題無いだろうが、まぁ、今度そちらに向かうボーデウィッヒは少々危うい所もあるのでな』

「危うい所……もしかして、男尊女卑だったりするのか?」

『いや、そうではないのだが。どうも、お前の担任である織斑千冬を崇拝しているようでなぁ。彼女を尊敬する分には問題無いだろうが、少しでも貶す素振りを見せたら……』

「見せたら?」

『ISを展開してでも襲いに掛かる、といった噂だ』

「それはある意味女尊男卑以上に危ない気がするんだけど。……まぁ、先生は別に嫌いな訳じゃ無いし、放課後なんかも補習してくれてるから親切だと思うし。そんなことはないと思うけど」

『ならば良い。それにしても、一度彼女を見たことがあるが、うむ。中々な武芸者だと言えるだろう』

「ん……あれで中々、なのか?」

『まぁ、少々社会経験が浅いところが玉に瑕だな。彼女も若いし、それも当然と言えば当然だが……。そのせいもあるのだろう、ボーデウィッヒが彼女を神格化したのも。門下を育てるのがまだまだ未熟、ということだ。生徒に力を与えるばかりでなく、正しい道へと導くのもまた師の務めだ』

「神格化って、そこまで言う必要があるのか……」

『実際、一部では彼女を神とする団体すらあるようだ。要するに女尊男卑団体の支部と言った所か。ああもちろん、織斑・ボーデウィッヒ共にそこに所属はしていないが』

「そうですか」

『ああ。さすがにそこまで狂信しているわけではない。――さて。なぁ、ハイトよ』

「何か改まった感じだけど、どうしたんだ?」

『ここ最近はまだ静かだったようだが、お前がIS学園に入って二ヶ月が経過した。これまでは世の中も静かなものだったが、そろそろ危険な思想を持つ者達が行動し始めてもおかしくない時期だ――気をつけろ』

「……今も十分、気を付けているつもりだけど」

『それでも、だ。この二ヶ月だけでも、私達は既に数回襲撃を受けている』

「なっ」

『日本にある本家は五件近くよからぬ輩が侵入を試みている。ドイツで暮らしている私とカナの下にも、既に直接間接含めて十回以上だ。お前の両親もなにも言ってはこないが、この間話したときも通話口から銃声が聞こえていた。IS学園に居るお前は世界最強の庇護下にあるせいかまだ無事なようだが、それでもいい加減痺れをきらす奴も出てくるだろう』

「……ごめん」

『お前が謝ることではない。実際私達には怪我もないからな。しかしお前もまた、まだまだ未熟。対処の仕方を間違えるなよ。相手を生け捕りに出来るほどの実力がないのなら、殺すことを躊躇うな』

「……うん」

『ああ。しかし、そう疑心暗器になる必要は無いぞ。ただ、日常生活のちょっとした所に気を配るだけで問題は無いだろう。そこは非常に優秀な守りで固められているからな、それ以外は精々普通の学園生活を楽しみなさい。注意すべき点と言えば、今月のトーナメントに、合宿や修学旅行といった外部を巻き込む行事だ。ゴミが紛れ込む可能性が有るぞ。――せっかく女子の固まりの中に入ったんだ、楽園も良いところだろう。青春を謳歌しろよ、ハイト。ガールフレンドの一人や二人作ったところで、私達はなにも言わん』

「……最後の言葉で全部台無しなんですけど。ま、分かったよ、そういうときは気を付けておく」

『ははっ、そうか。それなら良い。ま、今日はそんなところだ。それではな、久々に話せて楽しかったぞ』

「こっちもね」

『うむ。では、元気でな』

 

 そこで通信をきって、俺は背もたれに体重を預けて全身の力を抜いた。脱力感と共に、徹夜の勉強で凝っていた全身が一気に解きほぐれていくのが分かる。

 

「……にしても、新たな編入生ねぇ」

 

 つい先ほど、見知らぬISの個人通信(プライベート・チャネル)から連絡が来たかと思えば、相手はドイツ軍で働いているはずの爺さんだった。

 なんで爺さんがISをと思ったが、下手な通信では周囲に筒抜けだと言うことでわざわざ信頼できる部下に通信させて貰っていたらしい。大げさだなと最初は感じたのだが、話の内容はそうと言っていられない内容だった。

 

 どうやら今月、早ければ今日にでもドイツから編入生が来るらしい。名はラウラ・ボーデウィッヒ。ドイツ軍所属で、階級は大佐。専用機は第三世代型試作機『黒雨』。特徴としては長い銀髪に黒の眼帯。

 そんな女子が、勧誘という名目で男性操縦者をドイツに引き込もうとしてくる、ねぇ……。なんでこんなにも、面倒事が続いてやってくるのだろうか。

 爺さん曰く、“勧誘を受けたら即座に研究所送りになる”らしいのでもちろん受けるつもりはないが、しつこく絡まれそうだな。ったく、嫌になってくるぜ。

 

「はぁぁ……精々、違うクラスになる事を願うばかりだな」

 

 これ以上問題が起きるとなると、それに時間を取られて、肝心の時までに専用機が完成しないなんて事も起きるかもしれない。全く、考えるだけで嫌になってくるなぁ。

 ……とりあえず、そろそろ朝食の時間だ。憂鬱になっている状態を見せるわけにもいかないし、気分を一旦変えるために読書でもするか。

 鷹月が来るまであと数分もないだろう。

 眠気を飛ばすために寝ようとしたら、彼女を数分待たせてしまうことになりそうだからな。来るハズの時間に寝ているのは不味いからなぁ。この分はHR前の時間でなんとかするとしよう。

 机の上を片付けて本棚から文庫本を持ってきて、ベッドの上に寝転がりながらその続きを読み始める。“銀翼のアリスⅤ 朔月の弓乙女(アタランテ)”、この間仕入れることが出来た新品の一冊だ。ここのところ散々勉強で時間を取られたせいで、全然読めていなかったからな。

 とりあえず最初のカラーイラストを見て、と。……今回の表紙はISを纏った主人公(アリス)か。で、中は……ふむ、なるほど。今回でついに単一能力(ワンオフ・アビリティ)が発現するみたいだな。どんなものかは分からないが、今回の話も十分面白くなりそうだ。

 そんな風に期待しながら、朝食までの短い時間の中、俺は中身を読み進めていく。――この武装はダウングレードしたら使えるんじゃないか?後で鷹月と考えてみるか。なんて、面白そうなアイデアがあったら書き留めたりしながら。

 

 ――こん、こん。

 時間にして五分、十分の一ほど読み進めた所で部屋のドアが叩かれる。どうやら鷹月が来たらしい。俺は本を閉じて、ポケットに突っ込んで、扉の方へと歩み寄る。

 

「結城くーん、そろそろ朝食の時間だよー?」

「ああ、分かった。んじゃ行こうか」

 

 とりあえず編入生の事もアリスのことも、朝食を食べてからゆっくり考えることにしよう。

 

 

 ■

 

 

「で、今回の学年別トーナメントは出るの?」

 

 いつも通り目の前に座った鷹月がそんなことを話してきた。

 ちなみに今日の朝食は俺は担々麺、鷹月は軽めの和定食だった。ここ最近は昼飯の時間も開発に回すために、朝から腹に良く溜まる中華か洋食ばっかりしか口にしていない。それでいて昼食は軽く済ませるようにしている。健康に悪いことは間違いないが、まだ何も無いし大丈夫だろう。これくらいで死ぬような柔な体はしていない。

 さて、学年別トーナメントとは、今月末に行われる全員強制参加のイベントだ。一週間近くかけて、学年全体でISを使って闘う事に成っている。一年生はまだろくに授業を受けていないが、その時点での実力を計るというのが目的らしい。

 

「まあ、さすがに出るよ。それまでに機体を完成させたいところではあるがな、完成しなかったらしなかったでラファールで頑張ることにするさ」

「ふーん……前回はサボったのに?」

「前回のあれは無理矢理巻き込まれたものだったからな。ちゃんとした行事だったらやるに決まってるだろ。さすがにそう好き勝手にサボりはしないさ」

「……そうよね。うん、普通はそうだものね」

 

 今回のトーナメントは対外的に行われるものでもあり、当日にはそれなりに来賓も来る。いい加減そこで実力を示しておかないと、少々面倒な事になるだろうからな。

 弱いならさっさと研究所に送ってしまえ、みたいな意味の分からない意見も出ているらしいし。織斑先生も、この間話したときに「そろそろ実力を世間に見せておけ」そう言っていたからな。

 

「それに、織斑に勝てば少しは女子共も口を閉じるだろ」

「でもそれはそれで厳しいんでしょう?」

「……まあな」

 

 何だかんだ言って、ISの実戦経験では圧倒的に織斑の方が有利だ。毎日のように代表候補生と特訓しているからな。

 対して俺は開発ばかりに時間を注いで、精々動きに支障があるかどうか確かめる程度しか乗ってないからなぁ。……ホント、よくそんなので無人機に勝てたよな、俺。

 で、これから月末までにどうやって実力を上げるか、だが。それなりに考えはある。

 戦いは戦いの専門家に頼むのが一番だし、運良く俺達の側には“専門家”どころか“世界最強”がいる。

 

「だから、俺は織斑先生に頼んでみようと思ってるんだ」

「先生に?」

「ああ。先生相手なら短期間で数日に匹敵する経験を積めるだろうし。少しは勉強時間を削って、三十分程度の鍛錬をやって貰えばなんとかなるだろうさ。そうでもしないと、勝ち抜くのは難しいだろうからな。特に初戦から専用気持ちと当たった場合なんかは」

 

 加えて、さすがに以前あれだけ言ったからには、搭乗時間が短くても勝てるって事を証明しなきゃならないだろうしな。

 

「まったく、よくそんなに勤勉になれるわね」

「勉強しなきゃ結果出せないからなぁ。結果を出せなかったら後々面倒になるだろうし、それに今の俺はどっちかと言えば楽しむためにやってるって事が大きいから。ゲームで乱数とか調整したり努力値振りに勤しんでる時の気分を、そっくりそのまま勉強に回してるようなものだし」

「なるほど……楽しんでやってるからこそ、なのね。だからそこまで切り詰めていけるってことなのかな……それでも十分凄いと思うけど」

「鷹月だって結構やってるんじゃないのか?俺がこれだけ散々やってるのに、未だ追いつけないってどういう事だよ」

 

 正直受験時より更に切り詰めた生活を送って勉強しているのに、それでもまだ専用機の作成では鷹月に敵わない。

 彼女が設計図を見たときに俺では気付かなかったような問題点を指摘したり、また改善点を発見するなんてのはザラに有ることだ。

 

「それは当たり前よ。私は中学校に入ったときから頑張ってたんだよ?」

 

 俺が羨ましそうに彼女を見ると、鷹月は笑ってそう返した。

 

「IS学園に入るために今の結城くんの参考書を中一で開いてたって言えばいいかな。それだけ頑張ったんだから、早々抜かされるわけにはいかないのよ」

「……マジか」

「うん。それに、あんなに頑張っている結城くんを側で見てたら、気が抜けないもの。君が努力している様子を見ると、私も頑張らなきゃ、って思うんだ。……それに、そんなに焦らなくても、今の結城くんのペースでいいと思うけどね。というかむしろ、無茶しすぎてるんじゃないかって、たまに心配しちゃうくらいよ」

「さすがに死ぬような事態にはならないようにしてるさ。人間ってのは思ってるより丈夫だからな、多少の無茶なら案外聞いてくれるものさ。数日夜更かししたって、十分くらい寝れば問題無いんだよな」

 

 俺の言葉を聞いて、今度は鷹月が小さく溜息をついた。箸を一旦置いて腕を組み、こちらの方に顔をしっかりと向けて、「馬鹿」と呟いた。

 

「まさかまだそんなことやってるんじゃないでしょうね」

「……たまには」

「それで倒れちゃったりしたらどうするのよ。特にここ最近は厄介な事件ばっかりが続いてるんだから。いざという時にISがあっても、本人が死にかけてたら全てが無駄じゃない。私や織斑先生がどれだけ君のことを気に掛けてるか、分かってないなんて言わせないわよ」

 

 それくらい、言われなくても分かっている。

 いくらISの勉強の参考にしたいと言っても鷹月が今のように深いところまで付き合う必要は無い。彼女はただ手伝っているだけでは無くて、俺の専用機の、織斑先生に見せていないところまで全てについて協力してくれている。

 織斑先生だって、教師の仕事で忙しいはずなのにわざわざそれを一生徒には割かないだろう。それも機体の開発なんて、整備科の上位生徒でも普通やらないところだ。そんなこところにまで付き合ってくれている。

 

「いい?君がどれだけ努力してもそれに文句は言わないわ。でもね、それで倒れたりしたらどうなるか、ちゃんと考えた上で行動して。約束、忘れた訳じゃないでしょ?」

 

 俺はもちろんだ、と頷いた――しかし。

 

「そんな生活でそれを守ってくれてるって言える?――言えないわよね」

「ぐっ……」

 

 俺は彼女の言葉を否定することが出来なかった。

 いくらISの操縦者の生体補助機能があるとしても、今この間の無人機が来て確実に勝てるかと問われたら、絶対に大丈夫だとは言えないからだ。その機能でも眠気を飛ばせたりはしないし、思考の低下なんかは防ぐことは出来ない。

 実際今だって睡眠の足りていないせいか頭が若干痛いし、鷹月の言葉も頭の中にがんがんと響く。レーザーを回避するための高層軌道なんてとった暁には、脳が揺れてそこら辺に思わず吐いてしまうかもしれない。

 

「分かったら本当に、そろそろ休むってことも考えて。ただ睡眠を削ってがむしゃらに進めていくだけじゃ限界があるのよ。多分織斑先生だって同じことを仰ったでしょう?」

「ああ、まあ……」

「やっぱりね」

 

 彼女は呆れた様子で俺の額を指で突いてきて、ビシッと弾く。

 

「そんなに心配しなくてもキチンとした計画を立てておけば大丈夫よ。いざという時になったら手伝って上げるから」

「……いや、どう手伝ってくれるというんだ?」

「もし計画を破ったりしたらね――」

 

 彼女は一息置いて、その方法を口にした。

 

「――元通りになるまで延々と、くすぐり続けてあげる」

 

 ……地味に恐ろしい事を宣言するなぁ。

 そんな半分ふざけたような言葉だが、鷹月の顔は全くと言って良いほど笑っていない。いや、確かに外見は普段通りぽわぽわとしているのだが、中ではきっと本当にそうするつもりなのだろう。

 

「だったら、破るわけにはいかないな。これからは少しは生活習慣を正すことも考えておくよ」

「うん。纏めてみれば、『努力を発揮出来なければ、万事に意味は無いんだぜ』ってことだよ」

「……アリスの三巻のセリフだよな、それ。咄嗟に出るほど読み込んでたのか?」

「うん。だってあれって結城くんのお気に入りだし、あれに出てくる機体に影響を受けてる所もあったでしょ?協力者として、読んでおくのは当然だよ。だからこの間、今出てる分だけ仕入れてきたんだ」

 

 あれは確か、俺の読んでいる本に興味を持った鷹月に貸していたヤツだが……まさか自分で買ってきて読んでしまっていたとは。

 

「本当に面白かったから、お陰ではまっちゃったんだ。アリスちゃん可愛いよねー?最新刊での単一仕様能力なんて――」

「ちょっと待て。俺はまだそこまで読んでないんだ、ネタバレはよせ。今知ったらつまらなくなるだろうが」

「あれ?いつもあれだけ本読んでたのに、まだ読んでないの?」

「最近はIS関連の参考書以外碌に読んでないせいだ。ここしばらく、そこら辺の娯楽に割く時間が無かったんだから仕方無いだろ」

「ふぅん……」

 

 彼女はそこで何故か、ニヤニヤと笑いながらこっちを見てきた。

 そして少し体を近づけてくると、俺に顔を出すように手招きする。俺の耳元まで口を寄せると、彼女の甘い匂いが伝わってくる。しかし彼女はそんなことは意に介さずと言った様子で、面白そうに語り出す。

 

「武器の名前を考えるのに費やす時間があるのに?」

「ん、何の事だ?」

「実はこの間君の部屋に入ったとき、偶然聞こえちゃったんだよねぇ。『天輪する勝利の剣(エクスカリバー・ガラディーン)』とか、『質量爆散(マテリアル・バースト)』とか、色んな名前を並べてうんうん唸ってたよね。確か出典は『Fate/extra』と『魔法科高校の劣等生』だったと思うけど、気のせいかしら?」

「ぶっ!」

 

 耳元でささやかれた彼女の言葉に、丁度飲んでいたお茶を吹いてしまった。

 

「わっ、ちょっと!?」

 

 こちらの様子を覗き込んでいた一部の女子生徒が視界の隅で突然のそれに驚いたりしているが、それが完全に意識の外へ飛ぶほど、俺は今の鷹月の言葉に仰天してしまった。

 幸いにも鷹月の方までは届かなかったものの、机の上が一部濡れてしまった。俺が慌ててお茶を布巾で拭き始めると、彼女はくすくすと笑う。

 

「まあ、私だって結城くんの読んでる本は大抵読んじゃったからねー。結城くんがそういう系に興味が有るのは読書歴から知ってるけれど、まさか本当にそんな名前を考えたりしてるなんてねー。『試練を超えよ雌雄の方舟(レジスティック・ノアズ・アーク)』とかって、考えるのはいいけれどどこに使うの?」

「……悪い。それは単なる気の迷いだ。忘れてくれ。忘れてください鷹月さん、割とマジで洒落にならないから」

 

 確か四徹でテンションがおかしくなっていたときに考えた奴だが、丁度そこで見られていたとは思わなかった。

 しかし彼女の事だから無断で入ってきたのではなくチャイムは鳴らしてたハズだが、それに気付かないほどそっちに気を取られていたとは。普段はそういうのにちゃんと気を配っているはずなのに、まさかこんなことになるとは思っても見なかった。

 

 ……うん、睡眠は重要だな。

 

 奇しくも過去の自分の行動に学ぶとは、このことなのだろうか。払った犠牲が痛すぎる気がしないでもないが。――気のせいにしておこう。思い出すと自分でも恥ずかしくなる。

 うん、睡眠の重要性を学べたって事だけにしておこう。過程が重要なんじゃない、結果こそが全てなんだ。

 

 吹き終わった後の布巾を脇に寄せてから、俺は机に額を付けて勘弁して下さいと態度で示す。周囲からはわけの分からないと言った風な視線がぐさぐさと突き刺さってくるが、そんなものは知った事か。

 別に今の話が知られた所で構わないし、嘲笑なんかは無視するだけの話なのだが。そこまで積極的に広まって欲しい話題ではないことも確かだ。

 

「ふふっ。そうね、そう言えば実は@クルーズで新作のパフェが出て、それを食べたいんだけど……」

「是非奢らせて下さい」

「うん。じゃあまた今度、行きましょうか。楽しみにしてるわね」

「あぁ……」

 

 なんというか、甘いものだけで済んで良かった。女子はそういうのに弱いのは次元を問わず常識の話だが、財布が少し軽くなる程度で済むならまだマシだったのだろう。

 俺はほっ、と胸を撫で下ろした。

 

「ちなみに言っておくけど、忘れたら許さないんだからね」

「はい……」

「そんな場合、ネットで今のを拡散してあげる」

「いやホント、勘弁してくれよ……」

 

 そこから先は次第になんてことない話に移っていき、朝食を終えた頃にはHRまで少し余裕があるくらいになっていた。

 

「それじゃ、そろそろ教室に行きましょうか」

「ああ」

 

 そして俺達はいつものように教室へ向かったのだった。

 

 

 


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