瞬刻の大空 ―Wing of the moment― 作:七海香波
――昔から、女の園に男が一人っきりなんてのは良くある話だった。何故か女子校に転入した男主人公が、何故かその性格・容姿を好む女子ばかりに囲まれて、何故かありとあらゆる勝負に負けることが無く、最終的にみんな幸せなハッピーエンドを迎える。
ありふれた内容であるが故に、ネットで探せば一分もしないうちに見つけられるくらいだ。誰だって似たような話を聞いたことはあるだろう。
しかし現実はそう上手くはいかない。
幻想と現実は違うのだ。
イエス・キリストが磔にされ、ジャンヌ・ダルクが火炙りになったように、社会は流れに逆らうものに容赦しない。大海に落ちた一粒の砂糖は、波に呑み込まれ消し去られるしかない。
そう、それはまさに今の俺のように。
前述した聖人聖女とは比べることすらおこがましいが、一応大意は間違っていない。
女尊男卑の総本山に押し込まれた男の俺が現状生き残るためには、教室の隅で静かにしているしか無いのだ。そんな事を考えつつ、手に持つライトノベルから目を離し、俺はもう一人のISを動かせる男子の方に目を向ける。
織斑一夏。
ISにおいて元世界最強の操縦者である姉を持つ、この社会に於いて最大限の後ろ盾を持つ男。本来は男であるというだけで敵意を向けられるのに、そのおかげかクラスの女子全員が彼に純粋な好奇心を抱いている様子だ。
彼がクラス中の眼を一手に引き受けているお陰で、俺には一切視線が飛んでこない。実に静かで有り難いことだ。これがもし俺一人なら、今頃陰湿な戯れ言がクラスの空気を澱ませていたことだろう。それだけならともかく、早速実力行使に出るような生徒すら出てきているかもしれない。記憶にないセクハラ容疑で入室直後に職員室行き、あるハズのない事実はいつの間にかクラス全員の記憶に刻まれていました、とか。
肘をついて顎を支えながらそんな下らない――本当に下らないのだが、これは既に事実として起きたことのある事件だったりする――事を考えていると、教室のドアが開き、一人の女性が入室してきた。
彼女はどこかふらふらとした足取りで教壇へ上がると、不思議なことに一回深呼吸してから覚悟を決めたかのように話し始めた。
「そ、それじゃあ、SHRをはじめますよー!」
……どうやら彼女がこのクラスの担任であるようだ。
黒板に表示された名前は山田麻耶。面白いことに逆さに呼んでも“やまだまや”。何というか、狙って付けられたような名前である。
ともかく、そんな彼女の号令に返事を返す者は誰もいなかった。
無言。
唯ひたすらに無言。
分かりました、それでどうしたんですか、という続きを求める視線が彼女に集中する。
彼女はそんなクラスの様子に口元もわたわたと慌てさせるが、
『……』
それでも誰も行動を起こそうとしない。
俺も空気を読んで静かに彼女に目を向けるだけにする。とりあえず彼女を見ていると、なにやら「どうすればいいんでしょうか……あ、そ、そうですね!」と小さく呟いてから、彼女はもう一度思い切って口を開いた。
「えーと、み、皆さん?……それでは、これから一年、よろしくお願いしますね……?」
『……』
またも沈黙。
無言の視線の圧力が、あの先生の緊張感を更にヒートアップさせる。
うっすらと冷や汗を流し始めながら進行をどうしようかと彼女は焦る。助けを求めようと視線を巡らせるが、生憎と彼女を助けようとする者は誰もいない。
「い、一体どうすれば……。あ、じゃ、じゃあ、自己紹介をお願いします。そうですね……出席順で、まずは相川さんから」
結局ありきたりな自己紹介の時間に落ち着いたらしい。
「はい、相川清香です。中学時代はハンドボール部に所属していました、IS適正はBです。でも、この学園で積極的に向上していきたいと思いますので、どうか皆さん、一年間よろしくお願いします」
最初に名前を呼ばれた生徒から順に立ち上がり、その場で紹介を始めていく。
しかし、自己紹介と言われても一体何を話せば良いのだろう。とりあえず頭の中で自分のプロフィールを描き出してみることにする。
結城灰人。日本国東京都出身、誕生日は八月一日。趣味は読書(主にライトノベル)、好きなものは特になく、嫌いなものも特にない……強いて言うなら女尊男卑傾向の強い女性が嫌いなのだが、まさかそれをここで言う訳にも行かないだろう。後は――他に語れることなんて何かあるだろうか。身長体重なんて語ったところでどうしようも無いし、中学校のことだって面白い話はない。
なるほど、自分言うのもなんだが俺にはどうやらこれといった特徴はないらしい。
無理して自爆する必要も無いだろうし、それなら名前と挨拶を一言言っておけばそれで良いか。
「織斑君、織斑君?……織斑一夏君!」
「は、はいっ!?」
どうやら俺と同じで何かしら考え込んでいたらしく、中々自己紹介を始めなかった織斑に山田先生が声を掛ける。
奇妙な声を上げて立ち上がった彼は、まだ紹介の内容が固まっていなかったらしく、こちらからも分かるようにうろたえる様子を見せた。そんな彼に、クラスメイト達はあちらこちらから小さな笑い声を上げる。
「あ、あの、ごめんね。でも、今は自己紹介をしてる途中で、次が「お」で君の番だから……自己紹介をしてくれないかな?それとも、だ、ダメかな?」
「……え?あ、いや、はい。すみません。今すぐやるので、とりあえず落ち着いて下さい先生」
「ほ、本当ですか?」
「はい。え、えぇっと……織斑一夏です。よろしくお願いします」
『……』
暗に続きを求める無言の視線が織斑に集中する。
興味と期待に満ちたクラスメイト達の目に当てられたのか、さすがにそれだけではマズいと思ったらしい。少しの間考える素振りを見せたかと思えば、次には自信満々に胸を張り、
「以上です!」
その宣言に一昔前のコントよろしく、クラスの女子全員が椅子からずり落ちた。
しかし……いくらなんでも、もう少し何か喋ったらどうなんだろう。せっかく俺と違って好感を持たれているのだから、好きなタイプなどを話しておけば彼女の一人や二人くらい出来ただろうに。いや、あれはあれで面白そうだと思った奴もいるかもしれないな。
ともかく、それ以降の自己紹介に興味は無い。
俺は閉じていたラノベをバレないよう机の下で再度開き、読み始める。
――バンッ!
すると今度は織斑のいた所から教室全体に響き渡るほどの爆音が発せられた。
突然の破裂音を受け、反射的にまた織斑の方へと目を向ける。と、彼の前にはスーツをピシッと決めた一人の女性が手に持った出席簿らしきものを振り下ろしていた。先ほどまでSHRを進めていた山田先生とは全く違う、世紀末覇者のような雰囲気を醸し出す彼女。
その姿に、俺は見覚えがあった。
織斑千冬。ISが爆発的に有名になってから今や時の人となっている、世界最高峰のIS操縦者。かつてISの世界大会で優勝し、新聞の一面を飾り立てたこともあるほどの女性だ。そんな彼女が何故この教室にいて、そして出席簿を織斑の頭に振り下ろしたのか。
頭を抑えながらそちらの方向へ振り向いた織斑は彼女の姿を見て、一言。
「げぇっ、関羽!?」
――スパンッ!
もう一度、今度は先ほどよりどこか鋭い音が響く。
確かに昨今の美少女オンリーの三国志ゲーで出てきてもおかしくなさそうな女性ではあるが……いくらなんでも本人を目の前にして、偉人だろうと武将呼ばわりはないだろう。最初はともかく、アレははたかれて当たり前かな。
「誰が三国志の英雄か、馬鹿者」
呆れた声でそう呟きながら、彼女はそのまま壇上へと登る。
その鷹のように鋭い目が教室を一目見回し、両腕を教卓へと乗せて、彼女は教室全体に浸透する声でハッキリと話し出した。
「諸君、私がこのクラスの担任である織斑千冬だ。何はともあれ、入学おめでとう。私の役目はお前達新人を一年で使い物にすることだ。私の言うことは良く見聞きし理解しろ。まさか、出来ないなどとほざく輩はこの教室にはおるまい」
……少なくともここに一名いるんですが。
そう心の中で呟くと――ギロッ。
一ミリたりとも声に出していないはずなのに、彼女の目が鋭く俺を貫いた。ISにすら人の思考を読み取る昨日なんて無かったはずだが、なんで気付いたんだろう。人の心の中が読めるとかエスパーなのだろうか。
「……いいな!」
俺が顔を青くしていると、今度は突然教室が女子特有の黄色い悲鳴に包まれ始めた。
「キャァァァァァァ!!千冬様よ!本物の千冬様よ!」
「最強のヴァルキリー、『ブリュンヒルデ』!」
「私、お姉様に憧れて北海道から受験したんです!」
「ふつつか者ですがこれからよろしくお願いいたしますぅ!」
「私、お姉様の中なら火の中水の中草の中、例え黄泉の国だろうと踏破してみせます!」
明らかにおかしい声が聞こえたのは気のせいなのだろうか、ツッコミどころが多すぎる。まず日本じゃ同性婚は無理だとか、黄泉の国とか死ななきゃいけないだろとか。
……女子に人気なのはいいが、さっさとこの場を収めて欲しい。男子から、いや俺からしてみれば耳が今にも破壊されそうなんですが。生身でハイパーボイスとか、全員特性がフェアリースキンか何かか。恐るべし、現代の女子力。
「やかましい!」
彼女が教壇を人叩きすると同時にそう叫ぶと、一転して教室は静かになる。
「全く……よくも毎年毎年、これだけの馬鹿共が集まるものだ。ある意味感心させられる。それとも何だ、私のクラスだけ馬鹿を集中させるように仕組んでいるとでもいうのか?」
これから先の一年が思いやられる、と彼女は頭を抱え溜息をつく。
「で、そこの男子生徒。お前はまともに挨拶すら出来んのか?」
「いや、千冬姉、俺は――」
バンッ!
……本日三度目の出席簿アタックか。いい加減織斑の脳細胞のためにも止めておいた方が良さそうなものだが。
「学校では、織斑先生と呼べ」
というか今見て気付いたが、何であの出席簿折れないんだろうか。
摩擦で少し煙を上げているだけで、見たところ曲がってもいない。この学園って備品まで特注だったのか。どう考えても唯の素材じゃない気がするのだが。それともなんだ、IS学園だからってそんなものまでISの素材で出来ているのか?
俺が奇跡の出席簿に目を見張っていると、あちらこちらから小さく声が上がり始める。
「え、織斑君って千冬様の弟なの……?」
「そう言えば、どことなく雰囲気が似ているような気がしないでも……」
「確かにそれだったら、ISが動かせても可笑しくないわよね……」
「だったら、もう一人の方は?」
最後の一人の声で、教室内のほぼ全員が一斉にこちらを向く。
……いや、俺には織斑一家は関係無いからな。
というか、なんで俺にIS――インフィニット・ストラトスが動かせるのかは俺も知らない。本来この機械を動かせるのは女性だけ、しかもその女性すら乗れる人と乗れない人がいる。それなのに何故か俺は、偶然にもあの日ISを装着することが出来た。
別に半陰陽の妖怪でもないというのに、実に不思議だ。
動かせると分かってから色々と精密な検査を受けたりはしたが、誰もがその理由を看破できないと聞いている。普通に考えて調べたのは世界トップクラスの学者達である以上、高校生レベルの俺に分かるわけもない。
「まあいい。時間も押している、後は結城、お前が自己紹介をしろ。他の者は後で休み時間に好きにやれ。最低お前らだけでも自己紹介を終わらせておかなければ、このままだと大半が授業が耳に入らないだろうからな。さっさとやれ」
「……え」
「なんだその嫌そうな顔は。何か文句でもあるのか」
「別にそう言う訳じゃ無いんですが……」
織斑(弟)がある意味衝撃的すぎる自己紹介をやったお陰で、何を言おうともどうせ記憶には残らないと思うんですが……なんて思っていると、またも鋭い目で俺の心臓を鷲掴みにされる。
仕方無く気怠そうにゆっくりと立ち上がり、周囲を軽く見回した俺は、軽く息を吸い――吐き出すように自己紹介をした。
「
一息にそれだけ言って、即座に腰を下ろす。
結局名前以外は趣味くらいしか言ってないな……まあいいか。前述したとおり、どうせ俺に興味を持つ奴なんてそうそういないだろう。無駄に黒歴史まで自己紹介して自爆するのは精神的にキツいし、こんな感じが丁度良いに決まっている。そうに違いない。少なくとも俺の頭の中では。
とにもかくにも、結論を言うならこうだ。“面倒臭い”。
そんな俺の雰囲気を読んだのか、丁度HR終了のチャイムが鳴る。
周囲の女子達の中には若干不満そうにしている顔も見受けられるが、それは無駄なコントで時間を浪費した織斑姉弟に言って欲しい。いや、時間があっても俺の紹介は変わらないのだが。
「……まあいいだろう。初日だ、緊張するのも仕方がない。とりあえずここでSHRは終わりとし、午後からは通りに授業を進めていく。各自時間割を確認し、準備と覚悟をしておくように。これから一月でISの基礎をその身にたたき込む。いいな」
……全くもって良くはないのだが、今それを言えば間違いなく出席簿アタックが振ってくるんだろうな。
そう思いながら、俺は手元の参考書のページを開くのだった。
■
一時間目:IS基礎理論の授業、終了。
同時に俺の頭も終了である。
……正直に言おう。授業内容が、飲み込めない。いや分かるんだけどさ。書かれてるのは日本語で、教科書の中身もある程度は分かる。条約とか生体補助機能とか、そういうのは文字通りだから最低限は理解出来る。すなわち、先生の説明を聞くと大体分かる。
しかしその他の資料に書いてある、細かいシステムやら何やらは意味不明だ。ヤケに文字が細かい上に難解な言い回しの単語の羅列ばかりで、イラストの補助すらない。授業中はどういう内容を進めているのか分かるが、終わった途端先ほどまで何をやっていたのかすら説明できなくなる。……要するに分かったつもりにしかなれない。
予習をやっていればまだよかったのかもしれないが、生憎ここ数日はそんな気にもなれなかったので仕方がない。
しかも寝ようとすれば後方から織斑先生から問答無用で殺気が浴びせられ、そのたびに身体が動かなくなる。まさに前方の般若経、後方の
「(……ま、どうでもいいか)」
周囲の女子全員から視線を向けられている織斑はさておき、俺を見る物好きなんてほぼいない。
音楽&読書で休み時間に気を休めよう。
灰色のイヤホンを耳に差し込み、静かな雰囲気の歌を選択。
先ほど閉じた本のページを栞を頼りに開き直し、文字の世界に意識を落とし込む。
これなら誰も俺に話しかけてこようとはせず、興味を持つこともない。
うっとうしい女子の視線を気にすることなく、悠々自適のハイスクールライフが過ごせるというわけだ。もちろん次の授業の予習なんて、やるわけがない。
そもそもあんな訳の分からない授業を受けて何になるというのか。そこからして理解出来ない。
全く、なんで開発者も女だけが乗れるなんて設定をしたんだろう。
やるなら徹底的に男が乗れないよう設定しておいてくれればいいものを。
――……。
「――」
ついついISに突いて考えながら読書を進めていたせいで、いつもより集中力が低下していたらしい。
イヤホンから流れる音楽の隙間から、なにやら俺に向けられた女子の声が聞こえてくる。
一瞬幻聴かと思ったが、他のクラスメイトに張れないように目だけを動かすと、右隣に声の源らしき女子の姿が見えた。
こいつ、もしかして俺に好意でもあるんじゃないか?――そんな夢幻が一瞬思考の隅を過ぎるが、それはないと心の中で頭を振る。
「――ちょ――聞――すの!?」
織斑と違って、俺に声を掛けてくる女子なんて悪意百パーセントに違いないに決まってるじゃないか。わざわざ返答する必要もない。
どうせ今時の女尊男卑主義に洗脳された馬鹿の確率が高い。
「ISに男が触れるなんて、穢れるわ!」とか「なんで千冬様の関係者でもない貴方が!」とか「殺殺殺殺殺殺」とか、背後に誰もいない俺に向けて織斑の分まで下らない事を延々とぶつけてくるに違いない。無視だ無視。関わらないのが一番に決まっている。
このご時世、女子なんて一度言葉を交わせば延々とウザイだけだ。
結局、物語の中に存在する、どんな男性に対しても優しく声を掛ける女性なんてのは、現実では所詮存在しないのだ。最初に言っただろう、現実と仮想は相容れないと。
三分ほど俺に声をかけ続けてようやく諦めたのか、彼女は俺の側から去っていく。
――さて、そろそろ本の方に集中を掛け直すか。
改めて文字の中に意識を集め始めたところで……バコンッ!
「馬鹿者、とっくに休み時間は終わっているぞ。早く準備をしろ」
衝撃でイヤホンが外れた耳に、出席簿の次撃を構えた織斑先生の声が届く。
痛みが残る頭を抑えつつ、俺は上から睨み付ける先生に問う。
「え、まだ十分も経ってないはずでは……?」
「阿呆。
――こんな時間割がギッチリと詰まっている生活がこれから待っているというのか。
そんな軽い絶望に俺は溜息を一つ。――パァン!
「教師の前で溜息をつくな」
「これも全部ISって奴が悪いんです。故に俺は悪くないと思います」
「そうか」
パァン!
……はてさて、これからのここでの生活は、果たしてどうなる事やら。