キセキ   作:白井イヴ

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・「キセキ」繋がりのシリーズのおまけで、ヒカルの独白第三弾。
・設定は繋がってますが、単体でも読めるようにしてます。
・原作終了から約二年数か月後設定(「責任」と「奇蹟」の間)


君へ誓う昔日

「坊主、封じ手ははじめてじゃったろ」

 

本因坊戦第七局、一日目の終局後。

二か月に渡る長き戦いの舞台も残すところ、あと一日。

明日も続く戦いに備える為か、対局室を出るなり自室の方へ速やかに足を向けた対局者。廊下を先歩く、どこかまだ幼さを漂わせた少年のその背中に、桑原はそう声を掛けた。

くるりと振り返った彼は、きょとんとした表情を浮かべている。先ほどの対局で、異様な集中力とヨミを見せた人物と同じとは思えぬな、と桑原は胸の内で呟いた。

 

七大タイトルへ今回、はじめて名乗りを挙げた少年。

かつて、すれ違った時に第六感(シックスセンス)にピンときた人物ではあったが、まさかこんなに早く、公式対局の場で顔を合わせることになるとは、桑原自身も思っていなかった。

かつて挑戦してきた、緒方(あの男)よりもずっと年若い、歴代最年少の挑戦者。

得意の盤外戦はこれまでも散々仕掛けてきたが、今回はどのような反応をするだろうか?

半ば偶然だったとはいえ、盤外戦の仕上げとして用意した、相手がはじめて経験するであろう『封じ手』という名の“贈り物(プレゼント)”。

――あの男は動揺したが、果たしてこの小僧はどうだろうか。

動揺は誘えない気がするがな、と思いつつ、毎回自分の予想だにしない反応を示す相手の様子見たさに、面白半分で桑原は問いかけた。

 

「書き損じはないか?長丁場で疲弊した頭だと意外と書き間違える輩が多くてな」

 

「あ~そう言われると不安になってくる……」

 

ニヤリと不敵な笑みと共に投げかけられた桑原の言葉に、少年の顔に一瞬、不安の影が過ぎる。

しかし――それはほんの一瞬のことで、少年は手に持ったままだった扇子をスーツの胸ポケットにしまうと、桑原の方に向き直る。

 

「でもさ、オレが、悪手を好手に化けさせるの上手いのは、桑原先生も知ってるでしょ?オレがちゃんと封じ手できたかは、明日、実際に打ってみてからのお楽しみっていうことで」

 

空いた両手を頭の後ろで組みながら、少年は口元に笑みを浮かべ、そう言葉を続けた。

 

「ひゃっひゃっひゃ、言うのう小僧。明日が楽しみじゃ」

 

桑原お得意の盤外戦を、まるで霧か霞のようにさらりとかわした少年は、話が終わるやいなや、再び歩き去ろうとする。

見かけと反する、妙に落ち着いたその返答と余裕のある態度に、今まで桑原の中で静かにくすぶっていた“ある疑問”が、自然と口をついて出た。

 

「お主、現・本因坊を相手にしておきながら、全く怯む気配がないな」

 

その問いに、少年は再び足を止めた。

 

「え~、怯む方がムリだよ。だってさ……」

 

明るい前髪を煌めかせながら、くるりと桑原の方を振り返る。

 

「オレ、“秀策”と毎日打ってたから。それ思うと、桑原先生なんか、全~っ然」

 

そう意味深なことを言って少年――進藤ヒカルはニヤリと笑った。

 

 

 

○●君へ誓う昔日●○

 

 

 

「久しぶり……って程でもないか。この前、北斗杯の結果報告にきたばかりだもんな」

 

祖父の家の庭の一角に佇む蔵。

その蔵の二階の中央に置かれた碁盤を見下ろすようにして、ヒカルは口を開いた。

 

「佐為、やったよオレ。オマエと同じ、本因坊になった」

 

そう碁盤に語りかける声は穏やかなものの、その表情と声色には隠し切れない嬉しさが滲んでいる。

 

北斗杯で永夏と因縁の対決を制したヒカルは、その勢いに乗ったまま、桑原が待ち受ける本因坊戦へと挑んだ。

――決して楽な戦いではなかった。

ヒカルを待っていたのは、八時間という思考時間、度重なる長距離の移動、多くの報道陣を前にしてのスピーチなど――タイトル戦ならではの洗礼だった。

全てがはじめての経験のヒカルにとって、対局前に少なからず疲労が溜まってしまっていた。しかし、桑原はそんな様子を見せたからといって、手加減をしてくれる相手ではない。

長年その座を保持してきただけあって、手堅い碁を打ってくる。その手に、幾度となく追い詰められ、心が折れそうになったことか。

 

序盤は慣れぬ盤外戦に戸惑い、調子を狂わされ、二敗の黒星を重ねたものの、ようやく第三局で初勝利することができた。そこからやっと、自分らしい碁が打てるようになったと思う。

第四局で再び負け、カド番に追い込まれてしまったが、盤面上は僅差だったし、と内心は不思議なほどに落ち着いていた。

そのまま、なんとか最終局まで粘り、結果――桑原からタイトルを奪うことに成功した。

自分が棋士として獲得したはじめての七大タイトルが、“彼”と同じ『本因坊』であることを誇りに思う。

 

「オレ、どのくらいオマエに追いつけたのかな?」

 

そう言ってヒカルは、碁盤の前にしゃがみ込むと、ポケットから取り出した扇子でトンと碁盤の表面を軽くたたき、そのまますっと線をなぞる。

 

「……アレ以来、一度も夢に出てこないのな、オマエ」

 

その瞳に、少しばかり寂しさが宿る。

もう二度と会えないと思っていた彼と、再会した夢の中で手渡された扇子。

それを手に、ヒカルは数々の棋戦を戦い、勝ち抜いてきた。

相も変わらず、生涯のライバルである塔矢アキラにはあと一歩及ばずなことが多いのだが。

 

『本因坊』――かつての彼が名乗っていたのと同じタイトルを手にした暁には、また夢の中に現れてくれるんじゃないか、何か一言祝ってくれるんじゃないのか、そう淡い期待を抱いていたのだ。

――残念ながら、世の中そう甘くはできていないらしい。

 

ヒカルは頭を振り、湿っぽい感情を振り払うと、今度は静かに――しかし強い決意を秘めた声で、碁盤に向かって呟いた。

 

「オレ、もう誰にも本因坊譲らねえつもり。それこそ引退するまでさ。すげー連覇しまくって、それこそオマエが秀策として残した、御城碁での連覇記録も抜いてやるよ。オマエが悔しがって、夢に出てきたくなるくらいに」

 

そう自分で言っておきながら、思わず彼が地団駄を踏んで悔しがっている様がありありと浮かんでしまい、ヒカルは笑ってしまう。

ひとしきり笑った後、ヒカルは表情を戻して、言葉を続けた。

 

「来年はさ、塔矢も連れてくるよ。オマエのこと、話すつもりだ。はじめて碁会所で打ったのがオマエだったとか、全部洗いざらい話してさ。アイツ、どんな顔するかな?」

 

想像したところで、今度はライバルの怒鳴っている姿が浮かんでしまい、ヒカルは思わず、身を竦めてしまう。

 

「真っ先に『ふざけるな!』とか言いそうだよな、アイツ。未だによく言ってるもん。……まぁ、どうなるかは、来年のお楽しみってことで」

 

扇子を慣れた動作でポケットにしまうと、ヒカルは立ち上がる。

 

「じゃあな、佐為。また来るから」

 

お馴染みとなった言葉を掛け、彼は碁盤に背を向けて歩き出した。

 

 

 

 




「寂寥」から2年後、完全にメンタル強化されたヒカルの話。

本因坊秀策であった佐為と過ごした2年間の思い出が、ヒカルの中で揺るぎない自信へと変わりました。
このヒカルなら、きっとこの先どんな困難があっても大丈夫でしょう。
(ちなみに秀策の御城碁の連覇記録は19連勝……まだまだ先は遠いぞ、頑張れヒカル!(笑)

15イヤーは終わってしまいましたが、人工知能が現役棋士に勝ったり、井山さんが七冠達成したり、と今年は囲碁界にとって盛り上がる一年となりそうですね。

現時点で書きたかったネタは全部書きましたので、これにて「キセキ」シリーズは完結です。
ご読了いただき、ありがとうございました。

作業用BGM:コブクロ「時の足音」「風見鶏」

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