キセキ   作:白井イヴ

7 / 8
・「キセキ」繋がりのシリーズのおまけで、ヒカルの独白第二弾。
・設定は繋がってますが、単体でも読めるようにしてます。
・原作終了から約一年数か月後設定(「寂寥」と「責任」の間)


君も刻む夕照

――『竜星戦』

毎年夏に日本棋院主催で行われる、一手三十秒という早碁形式の棋戦である。

多くの棋士がひしめく予選を勝ち抜いた十六名が、トーナメント形式で競い合い、ただ一人の優勝者を決めるのだ。

 

 

その予選の最終局――。

適度に空調の効いた快適な部屋の中で、門脇はじっとりと汗ばんだ手でスーツの裾を二度三度と握りしめ――やがて自らの負けを悟り、頭を下げた。

相手も礼に応じたことが終局の合図となり、場に張りつめていた空気がふっと和らぐ。

門脇は無言で盤面に並んだ石を、手元の碁笥に集めはじめた。

今回はヨセにも至らぬ、見事な中押しでの負けである。敗着はなんだと検討するまでもない。

――しいて挙げるとするならば、『自分と相手の棋力の差』だろうか。

あまりにも圧倒的過ぎて、悔しさよりも相手に対する称賛の感情の方が勝っていた。

 

「今日のキミは一段と強かったよ」

 

――だから、そんな感想がするりと口から零れた。

独り言のような小さな呟きだったが、碁盤を挟んで座っていた彼の耳には届いたらしい。

彼は碁石を集めていた手を止め、明るい前髪を揺らして顔を上げる。そして、口元に笑みを浮かべると、“ある言葉”を口にした。

 

彼は石を集め終わると碁笥に蓋をし、対局中は傍らに置いてあった愛用の扇子を手に席を立ち上がる。そして、振り返ることなく部屋を後にした。

門脇はその後ろ姿を、座ったまま見送った。

――思えば、彼とはじめて対局した日も、似たような気持ちを抱いていた。

 

はじめて対局したのは、まだお互いプロ入りする前。

棋士のプロ試験を受ける前に、ほんの肩ならしとゲン担ぎをと思って、棋院の廊下を歩いていた院生らしき適当な子供を捕まえ、対局を申し込んだのだ。

――結果は圧倒的な差での中押し負け。予想だにしなかった展開に、門脇はただ茫然としていた。

物事を軽く見ていた自分の前に、突如そびえたった高い壁。

自らには無い、その輝かしいばかりの才能に打ちのめされると同時に、その(いただき)に自分も登ってみたい、追いかけてみたいと強く思った。

 

再戦を果たせたのは、それから一年半後。お互いプロという立場になってからだった。

公式戦ではなく、移転した棋院の一般対室の片隅で――結果は、またもや自身の敗北だったが。

そこまで思い返した門脇は“ある事”に気がつき、独り納得した。

――先ほど、彼が笑みを浮かべつつ口にした言葉は“あの時“と同じだったのだ。

 

再戦後、椅子に座ったまま考え込んでいた門脇へ、彼からかけられた問い。

感じたままを正直に口にすると、彼は笑いながら“その言葉”を返したのだ。

 

思えば出会ったときから不可思議な人物だった。

普段は明るく、歳相応の雰囲気を漂わせているのに、時折謎めいた言葉や行動をとる。

自称の囲碁暦と反比例するような高い棋力も謎の一つであり、謎を追えば追うほど、実体が掴めない――そんな人物だった。

 

ふと、彼に追いつける日は来るのだろうか、という思考が首をもたげる。

自分よりも若く、才能があり、成長の著しい棋士。

――いや、彼だけではない、自分の下にはそんな相手が大勢いる。

 

自分が弱気になっていることに気づいた門脇は、勢いよく立ち上がることで、その感情を振り払う。

弱気になってはいけない。自分はこの十九路(みち)で生きていくと決めたのだから。

いつかは対等に渡り合える棋士になってみせる、と彼の消えていった方向を見つめながら、門脇は心の中で誓うのであった。

 

 

 

○●君も刻む夕照●○

 

 

 

対局を終え、合間の休憩時間に廊下へ出たヒカルは、窓から差し込む、眩しいまでの夕焼けに目を細めた。

体内時計ではそんなに時間が経った感覚がないのに、いつの間にかこんなにも時が過ぎていたのかと驚く。

碁盤を前にした途端、周りが見えなくなり、時間も忘れて対局に没頭してしまうのは昔からだったが、今回は特にそれが顕著だったと思う。

 

一手三十秒という早碁形式が、ヒカルの得意とする分野というのもあってか、予選からすこぶる調子が良い。

――だが、単にそれだけではないような気もしていた。

 

一局、一局を経るごとに、頭は冴え渡り、研ぎ澄まされていく。

周りの喧噪が次第に遠ざかり、解説の声も自分に向けられるカメラの姿も、やがては対局者すら見えなくなる。

――目の前に広がっているのは、いつもより狭く見える十九路の宇宙だけ。

 

そこにヒカルは、黒と白の星で新しい銀河を創り出していく。

淀みなく、迷いなく、軽やかで、楽しげに。

脳裏に浮かんでいる無数の盤面の中から、瞬時に適したものを選び取り、一つ一つ刻んでいく。

もっと広く、もっと美しく、まだ見たことのない景色を――。

さながら、神が新しい世界を創り出すかのように。

 

その、星を刻む手に、時折重なる“彼”の影に、ヒカルは笑みを浮かべる。

時折導くように、一点を指し示す――白く透明な扇子の幻。

 

 

 

なあ、佐為。見てるか?

オマエの姿も声も、オレにはもう見えないけれど。

ネット碁の履歴とオレの記憶の中ぐらいにしか、ハッキリと『藤原佐為』という存在は残っていなけれど。

オマエがいたって(あかし)は、ここにちゃんと在る。

 

オマエが示してくれた道をオレは歩いている。

そしてこの道をこれからも歩き続ける。

この道の先で、またオマエと会えると信じているから。

 

今打ってるのはオレだから、オマエの名前が残るワケじゃない。

でもオレの碁の中には、オマエも刻まれているんだ。

 

オレとオマエ、二人で過ごしたあの時間は幻なんかじゃない。

この棋譜が、オレの打つ碁が、オマエのいた証なんだ。

 

 

 

係の者に名前を呼ばれ、ヒカルは我に返る。

物思いにふけっている間に、もう次の対局時間を迎えてしまったらしい。

泣いても笑っても、あと一局。

あの、楽しいひと時が終わってしまうことを、少し寂しく思いつつも、ヒカルは踵を返し、対局の舞台へと戻っていった。

 

 

 

 




タイトルは「セキショウ」と読むのですが、「ユウショウ」とも読めるなぁと思って、「優勝」と掛け言葉にしてみました。
竜星戦については、軽く調べただけなので現実と異なる点があるかもしれません(汗)

最初、ヒカルの独白だけだと文字数が少なくて悩んでいたのですが、門脇さんの話を挟んだら、なんとか形になりました。
佐為の碁を知る貴重な人物なので、フォローできて良かったです。

伊角さんとの対局中に、佐為の手が重なるアニメの演出は神だと思います(泣)

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