キセキ   作:白井イヴ

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・「キセキ」繋がりのシリーズ、第二弾はヒカルと行洋。
・設定は繋がってますが、単体でも読めるようにしてます。
・原作終了から約二年数か月後設定。


君のいた軌跡

「今度の週末、棋院まで来てもらえませんか?」

 

行洋がヒカルからそんな連絡を受けたのは、日本の暑かった夏がようやく過ぎ去り、秋の涼しい風が吹くようになった頃であった。

国際棋戦で海外を飛び回ることが多くなった行洋が、珍しく日本に帰国していた折、息子であるアキラからその情報を聞きつけでもしたのか、進藤ヒカルから行洋宛てに一本の電話があったのだ。

用件を尋ねようとするも、詳しくは当日お話ししますと濁されてしまい、心当たりのない行洋はヒカルの話の意図を掴みかねた。

 

 

 

「お久しぶりです、塔矢先生」

 

久々に日本棋院を訪れた行洋を、ヒカルは入り口の所で待ち受けていた。

 

「国際棋戦で忙しいのに、急に呼び出してすみません」

 

開口一番、申し訳なさそうに謝罪の言葉を口にするヒカルに、行洋も軽く手を振って、気にしていない、という意を示す。

 

「いやいや。どうせ自宅にいても、棋譜並べをしていたくらいだからね、一向に構わないよ。……それで、用件とはなにかな?」

 

「用件は着いてからお話します。とりあえず、ついてきてもらえますか?」

 

そう言って棋院の中に入っていくヒカルの後を追い、行洋も久々に棋院の中へと足を踏み入れる。

 

棋院の中にいた職員や通行人の何人かが、行洋の姿に気がつき、会釈をしてくる。歩きながら会釈を返しつつ、行洋はようやく、エレベーターホールで立ち止まったヒカルに追いついた。

エレベーターの前でボタンを押し、到着を待っているヒカルの隣に並んだ行洋は、ふと数か月前の出来事を思い出し、口を開いた。

 

「……そういえば、進藤くんには、まだ面と向かって『本因坊』獲得のお祝いを言っていなかったな。おめでとう」

 

「ありがとうございます」

 

行洋の称賛の言葉に、ヒカルは静かに感謝の言葉だけを口にする。

 

「いつか、君が何かしらのタイトルを取るだろうとは思っていたが……まさか、君が僅か十七歳という若さにして『本因坊』を取るとは思わなかったよ」

 

「……去年、最年少で先生と同じ『名人』になった塔矢には負けますけどね」

 

苦笑いを浮かべながら、ヒカルは行洋に言葉を返す。

 

「いやいや、君のような同世代の好敵手(ライバル)がいるからこそ、アキラも三大タイトルの一つである『名人』が取れたのだと思うよ。これからは君たち、新しい棋士たちの時代だな」

 

そう言いながら行洋は、先日の新聞に載っていた、名人初防衛戦に臨んでいる息子の姿を思い浮かべる。

現在、七番勝負の第四局目が終わり、結果は三勝一敗だ。まだ逆転される可能性も無きにしも非ずだが、あの棋譜の様子を見る限り――恐らく防衛に成功するだろう。

 

 

 

「……ここです」

 

物思いにふけっていた行洋は、ヒカルの声で現実へと引き戻される。

いつの間にかエレベーターを下り、とある部屋の前まで来ていた。

そこに掲げられている名前に、行洋は目を見開く。

 

「ここは……」

 

思いもしなかった行き先に、行洋は言葉を続けられなかった。

――いや、場所自体はよく見知っている。

行洋自身、この場所からプロ棋士としての道を歩みはじめ、そして引退するまで、何度も公式対局で訪れた場所なのだから。

 

 

 

――『幽玄の間』

その傍らのボードには『本日貸切』の札が掛けられている。

 

「オレが借りたんです」

 

行洋の心中を察したかのように、ヒカルは答える。

 

「対局予定が入っていなければ借りられるって、棋院の人に聞いたんですけど。先生が日本にいるときに、借りられるタイミングがなかなか無くて」

 

さあ、中に入りましょうと言って、歩いて行くヒカルに続いて、行洋も幽玄の間に足を踏み入れる。

この部屋の名の由来ともなった、床の間にある掛け軸の言葉通り、常に静けさと厳かな雰囲気をたたえている空間。

時として棋士達が火花を散らす、その部屋の中央には碁盤と一組の碁笥が用意されていた。

 

「先生、お先にどうぞ」

 

そういって上座を示したヒカルにひとつ頷くと、行洋は座椅子へと腰を落ち着ける。

続いて、下座にヒカルも腰を下ろし、碁盤を挟んで行洋と向き合う形となる。

その見覚えのある景色に、行洋の脳裏に自然と数年前の対局の光景が蘇った。

 

「こうして君と碁盤を挟んで向き合うのは、新初段シリーズ以来か。二回目……いや碁会所での最初の“アレ”を含めれば三回目になるのか?」

 

それに対し、ヒカルはただ淡い笑みを浮かべる。そして口を開いた。

 

「あの時の、新初段の後の約束って覚えてますか?『次は互先で』っていうヤツ」

 

「無論、覚えているとも。……まさか、今日私を呼んだのはその為に?」

 

行洋がそう問うと、ヒカルは頷く。

 

「はい。“オレ”も一度、塔矢先生とは互先で打ってみたかったので」

 

「分かった。それでは早速、打とうか」

 

それぞれ碁笥に手を伸ばし、ニギリで先手後手を決めると、二人は静かに打ちはじめた。

 

 

 

「――ありません」

 

部屋に響いていた、碁盤に石を打つ音が止み、暫く沈黙が続いた後――幽玄の間にヒカルの声が響いた。

 

「あーやっぱ、塔矢先生にはまだ敵わないかぁ」

 

正座を崩し、片手で前髪を掻き混ぜた後、ヒカルは天井を仰ぐ。

心の底から悔し気な様子のヒカルに、行洋は苦笑しながらも言葉を紡ぐ。

 

「いやいや、なかなかに素晴らしい一局だったよ。あそこでのシノギなど見事で、流石の私も対処に困った。以前の対局と負けず劣らずの、面白い一局だったよ」

 

その言葉にヒカルは天井に向けていた顔を、行洋の方へ向けた。そして、再び姿勢を正すと、表情を引き締め、真面目な顔で行洋に問う。

 

「オレ、新初段の時と比べてどうでした?お世辞はいらないです。感じたことを正直に言ってください」

 

「正直に、か……」

 

そう言われ、行洋は暫し黙り込む。

 

「そうだな……。変な言い方になるかもしれないが……かつて対局した新初段の君の方が強かったような気がする。単に盤面だけ見れば、今の君の方がずっと良い勝負をしているのだが……」

 

行洋はポツリポツリと、その曖昧な感覚を手繰り寄せるかのように言葉を続ける。

 

「……あの時の気迫というべきか。あの対局の時にはあった底知れぬ深淵が、今の進藤くんの碁からは感じられない。……今日、進藤くんと対局したのが、はじめてのような気さえしてくる。……まるで……そう、まるで……」

 

その先の言葉は口にすることができず、行洋は口を閉ざす。

 

――まるで、あの時は別人が打っていたような。

 

口にした自分自身でも混乱しているのに、言われた相手はもっと困惑しているだろう。

しかし、ヒカルはそんな様子を見せず――むしろ、どこか嬉しそうな表情を浮かべて礼を言った。

 

「そうですか。正直に言ってくれて、ありがとうございます。……すみません、変なことを聞いて。忘れてください」

 

そう言うや否や、先ほど打った一局の検討をはじめようとしたヒカルに、行洋は一瞬ためらいながらも声を掛ける。

 

「……進藤くん、私からも一つ質問してもいいかな」

 

「なんですか?」

 

盤面から顔を上げたヒカルに――半分迷い、半分確信を抱きながら行洋は問いかける。

 

「……新初段の時に私と打ったのは……“sai”だね?」

 

かつて、病室で同じように問いかけた時には、即座に否定されてしまった質問。

ヒカルは少し目を見開き、けれど一瞬の沈黙の後――

 

「はい」

 

静かな笑みを浮かべながら、そう短く返した。

 

 

 

ひとしきり検討をした後、二人はもう一局打つことにした。

――ただし、今度は真剣勝負ではなく、あくまで会話の間を持たせるための碁なので、どちらもあまり長考することなく、打ち進めていく。

数手打った所で、行洋がヒカルに問いかけた。

 

「……saiは今どこに?」

 

「分かりません。“アイツ”何にも言わずにいなくなっちゃったので」

 

「……そうか、それは残念だな」

 

行洋は至極、残念そうに呟く。

それからまた数手打ち進めた辺りで、再び行洋が口を開いた。

 

「何故、今頃話す気になったのかね?」

 

「ん~、いつかは話さなきゃとは思ってたんですけど。この間、『本因坊』取ったから、それが一つの節目かなっと思って」

 

「そういえば、君は随分と『本因坊』にこだわっていたな。saiと関係があるのか?」

 

「はい、アイツに並ぶのがオレの夢であり、目標なので。『本因坊』のタイトルはその為の第一歩なんです」

 

そう言って、ヒカルはにこやかに笑った。

そのヒカルの様子を見て、行洋はもう一つだけ抱えていた疑問をぶつけることにした。

 

「進藤くん。もう一つだけ、質問をいいかな?」

 

「オレに答えられるものだったら」

 

「君が碁を教わったのは、saiからかね?」

 

「はい。毎日のように指導碁を打ってもらってました」

 

その答えに、行洋は満足そうな笑みを浮かべる。

 

「通りでか。先ほどの対局でも、この対局でも、君の打つ手の中にsaiらしい打ち筋が垣間見えていたので、気になっていたんだ」

 

「え、どこですか!?」

 

行洋の言葉を耳にした途端、碁笥に伸ばしていた手を離し、身を乗り出して、碁盤をのぞき込むヒカル。

行洋も身を乗り出し、ヒカルにも分かりやすいよう、盤面の片隅の石の並びを指差しながら、説明する。

 

「ここだよ。ここでこう来て、こう繋げるのがsaiらしいと思ったんだ」

 

説明を聞いて自分でも納得したらしいヒカルは、乗り出していた身を戻して、溜め息と共に再び天井を仰ぐ。

 

「はぁ~。やっぱ塔矢と先生って“親子”なんだな」

 

「……アキラ?」

 

ヒカルの口から、唐突に息子の名前が出てきたことに、行洋は目を瞬く。

 

「塔矢と前に打ったとき……塔矢には何も言ってなかったのに、アイツ、オレの碁の中から“佐為”を見つけたんです」

 

そう答えたヒカルに対し、行洋は静かに腕を組み、納得した。

 

「そうだったのか。……むしろsaiに対する執着は、私よりもアキラの方が強いかもしれないな。なにしろ、対局する為にプロ試験を休んだくらいだからね」

 

「……あー、そういや~、そんなこともあったな~。本当、なんでオレの周りって碁バカばっかりなんだろ?」

 

そう呆れながら言うヒカルの様子に、行洋も思わずクスリと笑みを零す。

そして表情を戻すと、ヒカルへ対局の続きを促す言葉を掛けた。

 

「……さて、続けようか」

 

「はい」

 

ヒカルは碁笥に手を伸ばし、石を掴むと、迷うことなく盤面へと打ちこんだ。

 

 

 

 




行洋先生は佐為の正体を悟りつつ、きっとヒカルが自ら話すまでは聞き出そうとはしないと思うのです。

行洋先生との対局は、元から計画していたのですが、最初は塔矢邸での予定でした。
しかし佐為を語る上で、新初段と幽玄の間は外せないよなと思い、こんな形に。
幽玄の間は一般の方でも予約すれば見学できるそうなので、きっと棋士のヒカルも借りられるはず……。

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