間桐家当主トキヤ   作:アイニ

5 / 11
 更新遅くなりました、申し訳ない。
 前半シリアル、後半シリアスな感じの話です。


004

「おい雁夜、さっき鴇哉に聞いたんだがお前何やってんだ? なんてことやらかしてるんだ? 普通に考えて犯罪だぞ、それは。しかも相手が人妻って。人妻って。一体何考えてるんだよ、おい」

 あまりにも怒り過ぎて逆に冷めたのか、鶴野は養豚場の豚を見るような眼差しを土下座する弟に向け、淡々と責めていた。

 そんな兄二人を、間桐現当主は甥っ子を膝に乗せた状態で見物する。昼食後に鯛焼きを頬張る彼らの視線の先には冷たい怒気を纏って仁王立ちする長男と、床に正座し深々と頭を下げている次男の姿。

 慎二は普段怒らない父の見たことのない姿に目を丸くしており、鴇哉は蜂蜜入りきな粉豆乳をストローで啜りつつニヤニヤ笑いを浮かべている。

 そして雁夜は、ひたすら土下座している。

 兄がとてつもなく怖かったからだ。

 鶴野は間桐家ではかなり人間性がまともだった。そのため異常極まりないのが二人もいる家では気苦労が絶えず、ため息を吐きながら胃を抑える姿が多かった。呆れたり諦めたりするのはよく見ていたが、こんなにも怒るところは今まで目撃したことがない。

 そんな兄が静かに、しかし臓硯も目じゃないような怒り方をしている。その原因となったことを仕出かしたかつての自分を殴りたい、と雁夜は思う。

 

 ――――でも、気になってしまったのだ。

 

 間桐に籍を入れ、一か月となる桜。養女に出された彼女の生家とは本来、関わり合うことが許されていない。そして彼女の髪と瞳は少しではあるものの変化してしまっている。

 養子入りしたことで、元の家族と少なからず溝が出来てしまっているのだ。

 だから、初めての再会の時、大丈夫だろうかと心配になったのだ。

 

 ちゃんと話が出来ているか。

 昔みたいに母と姉妹で過ごせているか。

 隔たりが出来たことでギクシャクしていないか。

 

 雁夜は、それが気になってしまったのだ。

 

 そのためストーキング行動に走ってしまった雁夜の眼前に、気が付けば番傘を差した鴇哉が立っていた。

 口元に笑みを張り付けた、性同一性障害者の末っ子。しかし目はまるで笑っていなかった。彼女は素早く雁夜の懐に入ると、「天誅!」という小さな掛け声と共に腹に一発喰らわせた。

 悲鳴で遠坂親子に気づかれたら困ると思ったのだろう。その拳は綺麗に鳩尾を狙って放たれた。抉るような右ストレートであった。

 悲鳴どころか呼吸音すら出せず、くの字に折れ曲がる雁夜。鴇哉はそんな兄を心配一つせず両足を掴んで引き摺り、間桐邸まで連行する。

 その後は、ひたすら長男による言葉責めである。

「まぁまぁ長兄、落ち着きなよ。次兄の度の行き過ぎた幼馴染スキーは今に始まったことじゃないって」

 冷え切った眼で説教する鶴野へと、鴇哉は制止の言葉を掛ける。その口端は笑いを堪えているせいで引き攣っていた。

 その鴇哉の下で、慎二が首を傾げる。

「鴇哉ね……兄さん、おさななじみスキーって?」

「あ、慎二は知らないっけ? 次兄な、遠坂に言った葵さんっていう幼馴染が好き過ぎてよー、童貞こじらせたんだぜ? 笑えるだろ?」

「おい……おい!!」

 子供になんて言葉を教えるんだ、と雁夜は抗議の声を上げる。

 慎二はというと、頭の上に疑問符が乗っていそうな顔をした。

「どーてー? なにそれ」

「簡単に言えば、乙女という名の城門に攻め入る度胸も実力もなかった兵士のことさ。それが三十路になったら、禁断の魔法使いに進化する」

「魔法使い!?」

 説明の意味が分からず首を捻るばかりの慎二は、続いた単語に目を見開く。

 その後、キラキラと目を輝かせて雁夜の方へと顔を向けた。

「魔法使いって、魔術師より凄いっていう奴でしょ! おじさんあと数年で成れるの!? 凄いじゃんっ!」

 純粋な気持ちから言ってる分、心にぐっさりきた。

 そんな無邪気な甥に、慈愛に満ちた顔で緩く首を振りながら鴇哉は語りかける。

「慎二よ、残念ながら今言った魔法使いはそういった意味の魔法使いじゃない」

「え? 違うの?」

「そう。まぁ大きくなったら教えてやるから、今は取りあえず次兄が可愛そうな奴であることだけ理解しろ」

「そっかー。おじさん、可愛そうなどーてーなんだ」

「そうだぞー」

 二人は揃って、可愛そうなものを見る目を雁夜に注いだ。

「お前ホントに俺を苛めるの好きだな!!」

「おいおい、今更過ぎだろ」

 半泣きで叫ぶ兄を、弟は鼻で嗤った。

「今更と言えば、ホント今更訊くことだけどさ。次兄ってば、まだ間桐の魔術伝授を反対するつもり?」

「……! あぁ、勿論だ」

 慎二の頭に顎を乗せながら問えば、たちまち顔を真剣なものにして雁夜は答える。

「魔術師として育てることに関しては、もう文句をいうつもりはない。魔術師として育つことが、桜ちゃんたちにとって良い結果になるってことは、この一か月で分かった……」

 それは、ある意味当然の結果と言えた。

 なにせ魔術師の家に、一か月と押しかけたのだ。不本意ではあるが、意欲的に接触をすれば魔術師としての知識や常識が少しは頭に入る。

 

 桜のことを思えば、間桐の子として生きるのが彼女のためになる。

 慎二のことを思えば、魔術師として生きるのが彼のためになる。

 

 雁夜はそれを知った。

 だがしかし、と雁夜は続ける。

「間桐の魔術だけは桜ちゃんたちに教えないで欲しい。二人に、親父やお袋たちみたいな末路は辿ってほしくないんだ」

 呟きながら雁夜が思い返すのは、間桐にいた頃のこと。

 間桐に伝わる魔術の性質は、支配。主に扱われるのは蟲の使役。

 間桐の魔術師は多少の差はあれど、皆体内に蟲を寄生させる。宿主は蟲に魔力を、身を喰われながら生きなければならなくなる。

 そうして配偶者を持ち、子を成し、母胎となった女は用済みとばかりに蟲に喰われて、残った骨だけが蔵の底に放置される。父となる者も子に魔術を叩き込んだ後、妻の後を追うように死んでやはり喰われる。

 残された子は道具になる。臓硯という怪物の傀儡になる。

 それが延々と繰り返されることになるのだ。

 二人にもその運命を背負わせることだけは嫌なんだ、と雁夜は伝えた。

「間桐の魔術を、後世に残すな……だって?」

 兄の思いを聞き終えた鴇哉は、菫色の瞳を細める。

 刺すような眼差しだった。雁夜へと投げかけられる視線には、先ほどの茶化しの色はない。あるのは激情の炎――――己が身に刻み付けた物を、否定されたことに対する怒りだ。

「そんなことをすれば、間桐の魔道は完全に潰えることになる。表向きは存続してるけど、間桐が魔術師として終わるってことだ。それを理解した上で、そんなトチ狂ったことをほざくわけ?」

 今までと打って変わって、刺々しい声だった。普段笑ってばかりな弟の怒りに触れ、臓硯に比肩するような圧力に息が止まりそうになる。

 だが相手が雁夜だから、家族だから、この程度で済んでいるのだ。鴇哉は虐めっ子気質だが、身内に分類される者には甘い。これが赤の他人なら、この間桐当主は不快な発言をした不届き者を屠っている。

 言ったのが家族だからこそ、まだ害さないでいるのだ。

 だが、これ以上言えば危ないかもしれない。相手は始祖臓硯の性質を一番如実に受け継いでいる鴇哉だ。刺激し過ぎれば、身内だから、という枷が外れて襲い掛かってくるかもしれない。

 それでも、雁夜は言うことを選んだ。

「俺は本気だ、鴇哉。間桐の魔術で人が幸せになることはない。むしろ不幸になるばかりだ。俺は二人に、そんな不幸を背負わせたく……なっ……」

 言った途端、本当に息が止まった。

 雁夜の身体が強張り、前のめりに崩れ落ちる。肌と筋肉が引き攣り、血管が異常なまでに脈を打つ。喉が絞められた感覚。呼吸がか細く不規則になる。心臓を握り締められたような体感。血流が暴れ狂い、悲鳴を上げる。

「お、おい……鴇哉……っ!」

 雁夜の異変に、鶴野が慌てた様子で声を掛ける。だが兄の言葉に何も答えない鴇哉は慎二を膝から降ろさせると、腰を上げた。その影は、雁夜の身体に重なっている。

 影を身体と認識し、表皮に浮かぶ血管へと接続。それにより、管の中を流れている雁夜の血液を操っているのだ。

 間桐が得意とする支配、そして生来持ち得た稀有な架空元素があるからこそ出来る、正気の沙汰とは思えない魔術。それを別空間に置いた詠唱用魔術礼装『第三脳』を用いて、発動させている。魔術を的確に詠む魔術師の言語中枢で作り上げた宝珠により、五節までなら他者に悟られることなく詠唱出来る。

 それを使い兄に魔術を行使する程度には、今の鴇哉は怒り狂っていた。

「ぐ、ぎ……がっぁ……」

 汗、涙、鼻血、唾液。様々な体液を流しながら、雁夜はのたうち回る。

 そんな兄の姿を、鴇哉は神経の衰弱した顔で見下ろす。流す魔力の量を増やせば術は効力を増し、次男は白目を向いて痙攣を始める。

 目の前の光景が見えないよう息子の目を覆い隠した鶴野はそれを見て、不味いと思った。このままでは、冗談抜きで死んでしまう。

 

「待て、鴇哉よ」

 

 そこで、しゃがれた声が止めに入った。

 聞き慣れた声は鶴野にとっては恐怖そのものであり、体が小刻みに震えた。反対に、末っ子はちらりと視線だけでそちらを見やる。

「……爺様か」

 臓硯を認識した鴇哉は、魔術の行使を止めた。

 気を失う直前だった雁夜は「がはっ」という音と共に酸素を取り込み、荒い息遣いを繰り返す。しばらく咳き込みと呼吸音だけが聞こえた。

 臓硯はそれをせせら笑うように笑みを深めながら、出奔した息子へと言葉を投げかけた。

「話は聞いとったぞ、雁夜。間桐の魔術を鴇哉の代で終わらせる、といった感じの内容をのぉ。やれ、この家を疎み兄と妹……もとい弟を見捨てて逃げた貴様がよくもまぁ抜かしおるわ」

 じゃがそこまで言うのであれば、と蟲の翁は杖先で床を突く。

「一つチャンスでもくれてやろう」

「……チャ、ンス……だと?」

「そうじゃ。実はの、あと一年ほどで聖杯戦争が始まるのじゃが……おぉ、聖杯戦争について説明が必要か? まぁ簡単に言えば、七人の魔術師どもが己の望みを叶えるべく殺し合うバトルロワイヤルじゃよ」

 臓硯はくつくつと笑い声を上げながら、至極簡単な説明をした。

 そして、

「此度の聖杯戦争、おそらく鴇哉も参加することになるのじゃが――――雁夜。その戦争でもし鴇哉に勝てたならば、貴様の要求を飲んでやっても良いぞ」

「……っ!」

「爺様?」

 間桐に巣食う怪物の提示した条件。それに対する両者の反応はほとんど同じ、驚きと疑問だった。

「まさかとは思いたいんだけど、本気か?」

「勿論だとも。なんじゃ? まさかお主、雁夜と戦うことに抵抗があるのか? それとも、勝てる自信がないのかの?」

 煽る様に返される言葉に、鴇哉はそれこそまさかと首を振る。

「僕が言いたいのは、次兄が僕に敵うわけがないってこと。当主になるべく鍛錬を積んできた僕と、出奔した次兄とじゃ差があり過ぎる」

「カカッ、それもそうじゃのぉ……ならばハンデでもやろう。雁夜、貴様はどんな形であれ聖杯戦争中に鴇哉の陣営を撃破せよ。もう一度言うぞ、『どんな形であれど』だ。そうすれば、間桐の魔術を桜たちに継がせることを止めてやろうぞ」

「……本当、だろうな?」

「不安ならば、契約魔術書を用意してやるが?」

 警戒のこもった問いかけに、臓硯は歯を見せるように笑いながら答える。鴇哉も納得したのか、軽く肩を竦めるだけだ。

 しばし逡巡しながらも、雁夜は意を決する。

 

 その後、間桐邸を飛び出した雁夜は来年――――聖杯戦争が始まる直前まで、冬木に戻ることはなかった。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。