「……とまぁ、次兄で遊ぶのはこのくらいにしておこうか。そんで次兄、僕らに聞きたいことがあるんじゃない?」
唐突に話題を切り替える言葉に、雁夜はようやく目的を思い出す。
「お前ら、桜ちゃんをどうするつもりだ?」
「普通に魔術師として育てるよ。間桐の子を産む母胎にしながらね」
詰め寄ろうとする兄を目つぶし態勢で牽制しながら、鴇哉は続ける。
「ここらは爺様と議論になったが、僕が勝った。勝利した後の飯は美味い」
「議論したのか……臓硯と」
「口論というかも知れんね」
関心と呆れの混じった声で呟く雁夜に、呑気な口ぶりで末弟は語る。自分に向けられたものでないとはいえ、先ほど臓硯が放った重圧にケロリとしていたことといい、タフな奴だ。
そんな現当主を見つめながら、妖怪もどきは残念そうに呟く。
「儂としては、桜が世継ぎを産む機能さえ備えれば十分なのだがのぉ……じゃから蟲蔵に放り込んでしまおうと思っておったのだが」
「何言ってんのさ爺様。せっかくの稀有な属性持ちだよ? それを母胎としての役割だけで終わらせるとか、勿体ないだろ。それに、蟲蔵に放り込んだら一気に間桐に染まるじゃん。間桐の血筋じゃない桜を一息で間桐にしたら、虚数が使えなくなる可能性が高い」
そんな宝を腐らせる真似はしたくない、と鴇哉は反論する。
「僕は色々と仕込みたいから、どっちも使えるよう調練したいんだよ。だから飯に蟲の体液を混ぜて、少しずつ慣らしてるんじゃないか。僕の健気な頑張りを無駄にするつもりか?」
「しかしの、鴇哉よ。儂の体は結構逼迫しておってな」
「爺様? ――――蟲蔵の悪夢を再現したいのかよ?」
「……蟲蔵の悪夢?」
一体何を言っているのか、あの蔵は最初から悪夢そのものだろうと雁夜は首を捻る。
だが臓硯は……鴇哉の言葉を聞いた途端、身を強張らせた。
それを見た鴇哉は舌なめずりして唇を濡らした後、嬉々とした口ぶりで追い討ちをかけ始める。
「桜の属性は架空元素の虚。架空元素は感情に左右されやすい属性だよ? 負の感情を持つ状態なら尚更暴走する。しかも虚は間桐の吸収と相性良いからなぁ。蟲蔵に閉じ込めたせいで暴れられたら困るっしょ?」
素晴らしく晴れやかな笑顔で語る鴇哉に対し、臓硯の顔色はみるみる悪くなっていく。蟲で出来た体だというのに、その表皮には冷や汗が浮かんでいた。こんな状態の臓硯は見たことがない。雁夜は驚愕と同時に不安になった。
「お、おい? なんなんだ、その蟲蔵の悪夢ってのは?」
「あぁ、次兄が飛び出した後のことだから知らないか。僕が十歳くらいの時に起きたというか、起こしちまった出来事だよ。あの時は同じクラスのガキに絡まれた後でちょっと苛ついててさ、その後にすぐ蔵に放り込まれたもんで、うっかり暴走して――――」
そこで一端、間を置いて。
「蔵にいた蟲の大半、喰っちまった」
ひどく軽い口調で、カミングアウトした。
「…………喰っちまったって」
「虚と吸収が混じっちゃってさ。大体八割そこらかな。淫蟲も少しばかり吸収しちゃったんだな、これが。元居た数に戻すのに一年掛かったと思う。まぁそのおかげで僕の魔力がかなり底上げされた。実に幸福だわ」
「嫌な事件じゃったのぅ……あれは」
はっはっは、と豪胆な笑い方をする当主に、遠い目をして明後日の方を見やり黄昏る始祖。温度差が激しすぎて、シュール通り越して不気味な光景だった。萎びた妖怪が更に萎びた姿に、雁夜は絶句するしかない。
「まぁそんなわけで、桜はウチの魔術師兼慎二の嫁にしようと思ってる。姓は同じだけど従兄妹関係だし、桜は養子だから問題ない」
「……間桐の魔術を覚えさせるのは、確定してるのか?」
「ったりまえっしょ。でなきゃ態々爺様が養子縁組を申し出た意味がない。一般人に生まれた慎二に魔力を流して魔力回路を作ったことを、隠してだ。それだけの価値があるんだよ、今回のことは」
「……っ!? お前、慎二君にそんなことをしたのか!?」
「去年な」
さらりと何でもないように肯定が返って来る。雁夜はひゅっと喉を鳴らし、詰め寄って胸倉をつかもうとした。それをひらりと避けた鴇哉はどこ吹く風だ。
「長兄は隠してたんだが、慎二はウチが魔術師の家であることを知ったみたいでさ。そのことを誇らしげにしてたんだよ。そんなアイツに魔術回路がないこと教えたら大泣きしちまってさ。泣きながら魔術師になりたいって言うもんだから、作ってやった」
魔術師の家の子なら、作るの簡単だしな。と、鴇哉は世間話をするような口ぶりで喋り続ける。
「回路が存在していた痕跡があれば、あとは魔力で切り開けば普通に機能するからね。まぁダメージも大きいから、一週間寝込む羽目になったけど。それでも魔術師になれた、って喜んでたよ」
「今では桜の兄弟子じゃのう。先輩風を吹かせ、訓練を手助けしておるわい」
「そんな……慎二君……」
二人の口から語られる甥の現在の姿に、雁夜は愕然としていた。普通や平凡を尊ぶ雁夜には、一般人に生まれながら魔術という異常を求める慎二が信じられないだろう。
「有り得ないって言いたげだな、次兄。長兄も大体そんな反応だったよ」
だがそれは事実なのだと、末弟は説く。
「魔術師からすれば、慎二の反応が普通だよ。魔術師ってのは諦めが悪くて、歩いた道を振り返らないもんさ。欲しいものは何がなんでも手に入れるし、目標を遂げずに逃げたりしない。慎二は魔術師気質だ。僕は、あいつに回路を作ってやって良かったと思うよ。思考以外が一般人だったら、途中で変な歪み方をしてただろうね。魔術以外についてはわりと万能な分そうなりかねない」
「桜ちゃんだけでなく……慎二君まで……」
「慎二は間桐らしく水属性だ。暗示と使役と、あと治癒が上手い。安心しろよ、飴と鞭は使い分けるつもりだから。頭の固いガッチガチな古典系魔術師にはしないよ。お綺麗な良い子にはならないが、変に汚い魔術師にはしない」
消沈する雁夜を労わる様に弟はのたわるが、しかしそれは雁夜には慰めにもなんにもならない。なっていないことを自覚した上で喋っている。
「桜の方もガス抜き対策は出来てる。最低でも月に一回、母親と姉に会わせることを約束したからな。御三家の不可侵は魔術に関してだけだから、母や姉とは触れ合えるようにしたよ。流石に父親は無理だけど」
「……せ」
「ん?」
「二人を、元の場所に返せ……!」
「はぁ?」
瞳に仄暗い怒りを灯して告げる兄に、鴇哉は眉を寄せる。
「間桐の魔術を教えるなんて、絶対に駄目だ。こんな外道魔術をあの子たちに教える必要はない!」
「アホ言うなよ次兄。魔術なんてどこもかしこも同じもんだろ。傍から見りゃあどこの魔術師も似たり寄ったりの下種ばっかじゃん」
「その中でも間桐はとびっきりの屑だ! あんな蟲共を使った魔術を、二人に学ばせられるか!!」
「止めとけ。桜を遠坂に送り返したところで、あそこの当主は桜を他の養子に出すだけだ。そっちの方が、何されるか分かったもんじゃないぞ? 慎二の方も、魔術師であることを取り上げられることを嫌がるだろうね。可愛い甥と姪に恨まれるようなことして、楽しいか?」
「それでも、臓硯の傍に置くよりはマシな筈だ!!」
「あー。爺様、下っ種いもんな。その心配は分かるわ」
上座の翁を指差し叫ぶ雁夜に、鴇哉がうんうんと頷きながら納得した。
そんな末子に、呆れたように肩を竦めて臓硯は笑う。
「これ鴇哉よ、儂の子であるお主がそれを言いおるか?」
「まぁ、確かに僕が一番爺様似なのは認めるさ。けど、爺様ほど残忍でも狡猾でも慎重でもないよ。敵に容赦はなくて他人弄りが好きで研究者気質ではあるけどね」
「かかかっ。虐め甲斐がないのはつまらんが、お主のその理解の良さと淡白さは気に入っておるぞ」
「どうも。僕も爺様のこと、教師としても反面教師としても気に入ってるよ。けど桜たちの教育権を譲りはしないからな? 僕が一から仕込むんで」
「つれないのぉ」
「育成すんの楽しいんだよ。育てゲーとかめっちゃ好き。だから僕の楽しみを取らんでくれよ爺様」
などと、雁夜を無視して他愛無いような話を続ける二人。それに堪忍袋の緒が切れたのか、テーブルを握りしめた拳で強く殴った。
「もう良い……っ! お前らとの話はもううんざりだ。二人は俺が連れて行かせてもらう!!」
「そういうことは稼ぎが良くなってから言えよ。ガキ一人にかかる費用を舐めんな。ホームレス状態に近い今の次兄に、桜たちは任せられません」
「お前のそういうとこ、大っ嫌いだぁぁぁああああああああああ!!」
痛いところを突かれ見事に言い負かされた雁夜は、絶叫を反響させながら間桐邸を出ていった。
防衛本能を働かせた鶴野と共に二階に避難していた桜と慎二は、目をパチクリさせながら雁夜の出て行った玄関を見つめる。
「やれやれ。こりゃ明日も来るな、次兄の奴」
「しかし、相変わらず弄るのが楽しい奴だのぉ」
「同感。あの辺り昔から変わってないみたいで安心したわ。これなら、思う存分次兄で遊べるな」
「かかかっ。まったくじゃ」
ドS二人のそんなやり取りを聞き、鶴野は「雁夜、御愁傷様……」と呟き、走り去って行った弟に合掌した。