見聞を広める為に桔梗の友人の下へ旅に出た一刀と恋と焔耶。
三人は最初の目的地である天水へ向かって、大陸を北上していた。
そうしてまず見えてきたのは、この大陸の現状だった。
桔梗の治めている巴郡は治安が良かったのだが、そこから離れるほどに治安が悪くなっている。
これまでの盗賊退治でもそれは感じていたが、こうして旅に出て巴郡から離れるほどにそれを実感する。
「何やってんだろうな。師匠のところ以外は随分と荒れているじゃないか」
愚痴を零す一刀達が現在いるのはとある町の飲食店。
店内は酔いつぶれた男性客が一人いるだけの小さな店。
店主である老夫婦が作る料理は可も無く不可も無くな無難味。
だが、治安の悪いこの町ではこの店が一番まともな味と値段で経営している。
値段は入ってから分かったが、味に関しては恋の嗅覚センサーが、この店が一番まともそうだと言っていた。
一番美味しそうではなく、一番まともそうという点がこの町の食糧事情を現している。
「……ごちそうさま」
「もういいのか?」
普段よりずっと少ない量に焔耶が心配になるが、恋は大丈夫だと首を縦に振る。
「……それほどでもないから」
恋が大食いするのは、あくまで味が良い事が前提にある。
不味い店は嗅覚で回避するが、さほどでもない店は例え量が足りなくとも、頼んだ品だけ食べて帰る。
巴郡ではそれが美味い店を示すバロメーターになっており、恋におかわりしてもらえると店の料理人が歓喜していた。
「だよな。腕は悪くなさそうだけど、食材がな……」
「むしろこの程度の食材で、よくこの味にできたものだ」
この辺りは、食材すら碌な物が無い状況にある。
だからといって一刀達がどうにかできることではない。
できるのは遭遇した荒くれ者達を成敗することぐらいだ。
旅に出て早々、できないことの多さを実感しながら三人は店を出た。
「さて、今日もやるか?」
「……だな」
「やるしかない」
一刀の問い掛けに焔耶と恋も同意を示し、早々に町を出る。
そのまま北上しながら山を見つけると、そこへ入山した。
「じゃあいつも通りいこうか」
山へ入った三人は獣道を歩きながら、途中で見かけた木の実を採取していく。
さらに遭遇した鹿を狩り、川辺に運んで慣れない手つきで解体する。
解体した肉は大半を薄切りにして干し肉に加工。
残った肉と鮮度が落ちやすい内蔵類は、熱した石でしっかりと焼いていく。
「にぃ、まだ?」
「もうちょっとだ。生焼けだと怖いからな」
肉が焼ける匂いに恋が顔を近づける。
危ないので焔耶が首に巻いている布を引っ張って止める。
「恋、まだ焼けないから、干し肉作りを手伝え」
「……ん」
名残惜しそうに背を向けて、肉を日当たりの良い場所へ干していく。
彼らは旅に出て以降、あまりに食事事情が良くないので、こうしてサバイバルな食事をしている。
町で良い食事ができなかった時も、こうして今回のように食後に食料収集を行って足りない分を食べている。
「ところで恋、これは大丈夫か?」
干し肉作りの最中、焔耶が木の実の一つを恋に差し出す。
恋はそれの匂いを嗅ぐと首を横に振った。
「そうか、駄目か」
香りで店の良し悪しを判断できる恋は、木の実が食用かそうでないかを嗅ぎ分けることもできる。
以前、首を横に振った実を一口齧った一刀がしばらくトイレに籠もった実例がある。
半信半疑だった焔耶も同じ目に遭って体重が二キロ減った。
「まだ熟してない。後二日待って」
「そっちか。なら手元に置いておこう」
このお陰でサバイバル食でも困る事無く、どうにか食べていけている。
そうしているうちに肉は焼け、辺りに良い香りが漂う。
「さっ、焼けたから食べよう」
「待ってました」
「いい匂いだな」
肉を干し終えた焔耶と恋も加わり、焼け石での焼肉が始まる。
途中で焼く速度が食べる速度に追いつけなくなるが、そこは木の実でカバー。
そして焼けた肉を再び食べ始める。
そうしてしばらく食事をしていると、どこからか茂みを掻き分ける音が聞こえた。
三人は咄嗟に武器を取り、それぞれ別方向を向いて警戒する。
口の中に残っている肉を咬んでいるのはご愛嬌だ。
「新しい獲物?」
「それだったら嬉しいけど、盗賊だったら即時殲滅だ」
「分かった」
新しい獲物を期待する恋に乗りつつも一刀が注意を促し、焔耶が頷く。
音は段々と近づいてきて、やがて一刀の正面に音の主が現れた。
「……お肉の匂い?」
現れたのはだらしない格好をしたドクロの髪飾りをしている戦斧を持った少女。
両の頬には傷なのか痣なのか、髭のような線が二本ずつある。
フラフラと茂みから現れたその少女は、一刀の後ろで焼かれている肉に視線を固定してじっと眺める。
そして今度は一刀達に視線を移し、何かを視線で訴えるように見つめる。
次いで少女の腹から空腹を訴える音が聞こえる。
「えっと、お腹空いてるの?」
「うん」
問い掛けに小さく頷く少女からは、どことなく普段の恋と同じ雰囲気を感じる。
どこか眠そうな感じで保護欲をくすぐる妹的な感じに、兄魂を持つ一刀は逆らえなかった。
「良ければ食べる?」
「食べる!」
力強く返事をした少女は勢いよく肉を食べようとするが、それを寸での所で止められる。
「……食べていいって言ったのに」
今にも泣きそうな表情で自分を止めた一刀を見る少女。
だが、止めたのにはちゃんと意味がある。
「まだ焼けてないから、もう少し待ちなさい」
「……はい」
まだ焼けていない肉を前に、少女は大人しく座った。
とりあえずの場つなぎのために木の実をいくつか差し出すと、猛烈な勢いで食べ始めた。
どうやらかなりの空腹だったようだ。
「ふぅ、ちょっと落ち着いた」
木の実を食べた少女は腹を撫で、改めて一刀達を見る。
次いで周囲を見渡し、首を傾げて尋ねた。
「嬉雨と桂香どこ?」
「「誰だ!」」
おそらくは真名で呼んでいるのだろうが、真名で呼ぼうが名で呼ぼうが誰なのか一刀達には分からない。
なのに少女はなんで、という表情を向けてくる。
そんな反応に天然なのか足りない子なのか、一刀は判断しかねる。
そこへ、またも茂みを掻き分ける音が聞こえてきた。
今度は誰かを呼ぶ二人の少女らしき声付きで。
「香風、どこにいるのよ」
「食べ物見つけてきたから、出てきなさい」
「ん、こっち」
どうやら香風というのが少女の真名のようだ。
呼ばれた二人が木の実を抱えて姿を現す。
一人はウサ耳フードをかぶった気が強そうな少女。
もう一人はオデコと丸メガネが特徴的な少女。
二人は香風を見つけてほっとしたのも束の間、一刀達を見て思わず身構える。
「誰!?」
身構えた際に抱えていた木の実が落ち、辺りに転がる。
「それを聞きたいのはこっちも同じなんだけどな」
オデコメガネの少女の反応に焔耶が冷静に返す。
その後、木の実を貰い肉をご馳走になるところだったと香風からの説明中、後から来た二人の腹からも空腹を告げる音が聞こえる。
恥ずかしそうに顔を逸らす二人に、一緒に食事をしながら自己紹介をしようと促した。
「俺は呂迅。こっちは従妹の呂布で、こっちは修行仲間の魏延だ」
肉を食べるのに夢中な恋と、火加減の調整に手こずっている焔耶に変わって一刀が紹介をする。
名前を聞いた相手三人は、一瞬首を傾げるが気にせず自己紹介をする。
「アチシは荀攸よ。よろしく」
「むぐむぐ……徐晃」
「陳登……」
それぞれで自己紹介をしつつも、木の枝を削って作った箸は肉へ向かっている。
特に徐晃は恋と奪い合うように食べており、二人の間では静かに火花が散る。
「それで、お前たちは何でこんなところにいるんだ?」
ようやく火加減の調整を終えた焔耶が目的を尋ねると、代表して荀攸が答える。
「アチシと嬉雨――陳登は家出中なのよ」
「……なんだそりゃ」
今一つ事情が理解できないでいると、荀攸が詳しく説明してくれた。
荀攸はそれなりの家の出だが、後継ぎでもないので放置されていた。
なのに、後継ぎ予定の年下の叔母が生産性の無い恋愛しかできないと知るや、家の存続のためにと見合い話を次々と持ってきた。
しかも生まれた子はちゃんとした後継ぎである叔母の養子にするように言われ、荀攸はキレた。
決して聞かない類の話ではないが、後継ぎでもないのに望まぬ結婚をし、腹を痛めて生んだ子供さえも取り上げようとする。
そんな実家のやり方に嫌気が差して家出したそうだ。
「アチシが後継ぎなら望まなくても結婚ぐらい受け入れるわよ。そうでもないのに、誰が四十過ぎの肥えたおっさんの嫁になって、生んだ子をアホな叔母さんに渡すかっての!」
箸をへし折りそうなほど強く握り締め、実家への恨みを思い出す荀攸。
それに力強く頷く陳登も、家出の理由を語りだした。
「ボクの場合は実家というか、お母さんが許せなかったから家出したの」
陳登の母親は領内では指折りの政治能力を持っている人物。
その母親を尊敬しつつ、自分には政治に関してそこまでの才覚が無いのを陳登は自覚していた。
なので、別方面で母親のように活躍しようと思い幅広く勉強してみた結果、農政に道を見出した。
以来この道を究めようと研鑽してきたが、当の母親がそれを認めなかった。
自分の娘なんだから同じぐらい政治の才能があるはずだと譲らず、何度話し合っても理解してくれなかった。
さらには陳登が農政について学んだ事を記した木管を全て処分してしまい、それがきっかけとなり陳登は家出した。
「理解してくれないだけなら、まだ我慢できた。でも、ボクの努力の結晶を処分したのは許せない。これまで頑張ってきたのに、その証さえも認めないなんて……」
心底悔しそうに箸を握り締める。
尊敬していた人にそんな事をされちゃ、誰だって怒るだろうと一刀と焔耶も思った。
家出した二人は豫州内で出会って意気投合、荊州との境付近で修行の旅の最中に行き倒れていた徐晃を助けて仲間に加え、益州までやって来たそうだ。
「徐晃は修行の旅をしていたのか?」
「ん。この斧をグルグル回して、空を飛ぶのが夢だから」
それは修行で身に着くのかと一刀と焔耶は心の中でツッコミを入れた。
「でも、なんでわざわざ益州まで?」
「実家から一里でも離れたかったからよ」
「同じくお母さんの目と耳に届く範囲から、一里でも離れたかったから」
そんな理由で益州まで来るのだから、大した家出根性である。
勿論、道中は決して楽ではなかったそうだ。
盗賊に襲われると徐晃が撃退し、路銀が無くなりそうになると給仕や臨時の日雇いで路銀調達。
どうにか自転車操業で回していたみたいだが、遂に手持ちの食料が尽き、盗賊に出会うのも覚悟で山へ食料調達に来たということだ。
「で、徐晃が空腹で力尽きたから君達が食べ物を探しに行って戻ったら、いなかったと」
「そうよ。そんで探していたら、アンタ達に出会ったって訳」
説明が終わる頃には焼き肉を食いつくし、全員が満足していた。
「ところで、呂迅達はどこに行くつもりなの?」
「師匠の友人の下で修行するため、今は天水に向かっているところさ」
目的地を聞くと荀攸と陳登が反応を示す。
「そうなんだ。残念ね、天水は目的地候補の一つだったんだけど」
「ボク達はもう一つの候補だった巴郡に向かうつもりなの」
今度はそれを聞いた一刀と焔耶が驚く。
つい先日まで滞在していた場所へ、目の前の家出娘が向かうというのだから。
「なんで天水と巴郡で巴郡を選んだんだ?」
気になった焔耶が理由を尋ねると荀攸が説明してくれた。
彼女達は目的地選定の際に、いくつかの条件の下で候補を選んだ。
まずは自分と陳登の実家と距離ができるだけ離れている事。
次いでしっかりとした太守か領主の下で治安が良い土地であること。
最後に、活躍できる機会がありそうな場所であること。
これらを踏まえて考えた結果、天水か巴郡が候補地に挙がり、最終的に活躍できる機会がありそうだからと巴郡に決まったそうだ。
「巴郡の方が活躍できる機会があると?」
「ボクと桂香は文官肌だからね。天水には賈駆っていう、知略に優れた人がいるらしいから」
「巴郡の方は腕利きの将が太守である厳顔様を含めて五人いるけど、優れた軍師とかがいないみたいなの」
言われてみればその通りだと一刀と焔耶は思った。
文官達の力量は決して能力が低い訳ではないが、かといって飛び抜けて凄い訳でもない。
討伐の際の作戦も桔梗や紫苑を交え、話し合って決めていた。
一応軍師らしき人もいるものの、所詮は文官の中でできそうな人物を当てたにすぎない。
本当の意味での軍師や参謀はいなかった。
「だからこそ、そこで活躍して実家の奴ら、特にアホの叔母さんを鼻で笑ってやるのよ!」
「ボクは活躍しなくてもいい。好きなように農政に関わらせてくれるなら」
「香風も、喧嘩屋太守で有名な厳顔様に修行をつけてもらえるなら、それでいい」
喧嘩屋太守という桔梗の二つ名にぴったりだと一刀は思った。
焔耶も笑いを堪えている。
「なぁ、他の四人の名前って知らないのか?」
「知ってるわよ。情報収集に抜かりは無いわ!」
太守である厳顔の側近を務めている弓の名手、一矢必中の黄忠。
厳顔の弟子で身の丈ほどある大金棒を振り回す、強力金剛の魏延。
魏延の兄弟子で師の厳顔も既に越えていると言われる逆手二刀使い、紅い旋風の呂迅。
そして呂迅の妹かなにかと思われる槍使い、疾風怒涛の呂布。
これに厳顔を加えた五人が、巴郡の五本柱と呼ばれている。
自慢気に名前を挙げていったが、ここで荀攸は違和感を覚えた。
今言った名前のうち三つを、聞いたような気がしたからだ。
そしてそれに真っ先に気付いたのは、恋と共に食後の休憩を取っていた徐晃だった。
「……五本柱の三人?」
徐晃の呟いた一言でようやく荀攸と陳登も気付いた。
名前を聞いた時に感じた引っ掛かりの正体に。
「ああぁぁぁぁぁぁっ! あなた達、呂迅と呂布と魏延だったわよね? うわっ、何で気付かなかったのアチシ!」
「……空腹は判断を鈍らせるって、本当なんだね」
空腹に加えて目の前で焼かれる肉を前に、名前を聞いた時は気付かなかった。
その事を荀攸は後悔し、陳登は気まずそうに俯く。
なんとも微妙な空気になってしまった中、徐晃が武器を手に一刀へ歩み寄る。
「五本柱最強の呂迅さん、どうか手合わせ願います」
挑む側だからだろうか、丁寧な口調で頭を下げてきた。
特に断る理由も無い一刀は、二つ返事で引き受けた。
「いいよ。ちょうどいい腹ごなしだ」
「ありがと」
河原の広めの場所で対峙する二人。
審判役は焔耶が務め、手合わせは開始される。
「では呂迅対徐晃、始めっ!」