一刀が厳顔に弟子入りし、あっという間に一年が経過した。
この一年の間に武器を使っての修行が開始され、与えられた仕事と共に励んできた。
時には厳顔の傍につき、実際の賊退治を自分の目で見た。
人が死んでいく様を初めて見た一刀は、人知れず嘔吐を繰り返す。
いずれは自分もあぁいう場所に立つのだと、覚悟をしながら。
その覚悟を持って、今日も修行に励む。
「だあぁぁぁっ!」
「ふっ!」
一刀の繰り出す剣戟を厳顔が同じく剣で払う。
彼女が使う本来の武器は剣ではないのだが、本格的な修行を始めて一年やそこらの一刀の相手をするには充分だった。
「ほい!」
「うわっ!」
斬撃を弾いてやると一刀はよろめき、その隙に胴を突かれて負けた。
「あぁ、まだまだだなぁ」
「当たり前じゃ。そうそう簡単にわしがやられるか」
「ですよねぇ」
厳しい指摘に一刀は苦笑いをして頭を掻く。
しかし、実際のところ厳顔は驚いている。
まだ指導を始めて一年だというのに、そこらの将に僅かに劣るぐらいには戦えているからだ。
(正直、生半可な奴では相手になるまいな)
実際、訓練での兵士との勝負はぶっちぎりでトップの戦績を誇っている。
戦い方はまだまだ拙く、荒っぽいところはあるが、持っている素質は本物。
だからこそ、厳顔はある事が気になった。
「呂迅よ。お主、この一年で剣や槍を振るい、弓を射ってみてどうじゃ?」
気になった事とは、武器との相性。
剣や槍、弓といった基本的な武器は扱わせてきたが、どうも一刀との相性がイマイチに思えていた。
「……正直、どれもしっくりこないです」
「そうか……」
剣も槍も弓もしっくりこない。
それが一刀の解答だった。
予想の範囲内の解答に厳顔は腕を組んで悩む。
どんな武器が一刀に合うのだろうと。
そこで一つ考え方を変えることにした。
「呂迅よ、想像して本能的に感じてみよ。自分がどんな武器を使い、どんな風に使いこなすのか」
まずは自分の戦い方を想像させる。
その中で自分に最適と思われる武器を想像する。
頭や理屈ではなく、心の中を探させようというのだ。
目を閉じた一刀は、自身のやりたい戦い方を思い浮かべる。
想像の中で繰り出す動きは武器と体術を組み合わせたもの。
体術で戦う為、腕には手甲が装備される。
そのまま何の武器と組み合わせたいのか、考えずに感じる。
やがて辿り着いた武器は。
「これだ!」
目を開いた一刀は、鍛錬用の剣をもう一本追加する。
さらに二本の剣を逆手に持ち、構えを取る。
「ほぅ、逆手の二刀か」
「そうです! これが心の中を探して辿り着いた、俺の武器です!」
「ならば、見せてもらおう!」
どういった動きを想像したのか見るために、厳顔は剣を振り上げて切りかかる。
「はい!」
迎えうつ一刀は剣を十字にして受け止め、がら空きのボディへ膝蹴りを向かわせる。
「ほぅ?」
咄嗟に後退して回避した厳顔に、今度は一刀が接近。
まるで回転するかのような体捌きで、左右の剣と蹴り技を次々と打ち込む。
「おっ、おっ!?」
それらをどうにか捌き、避けてはいるが、先ほどよりずっと動きがいい。
まだ慣れていないからか動きが荒いものの、比べるまでもなく良くなっている。
武器を変え、自身の目指す戦い方を自覚するだけでこうも違うのかと、厳顔の表情に笑みが浮かぶ。
(楽しい、楽しいぞ!)
ここ最近感じなかった、戦っていて楽しいと思える感覚。
それをずっと年下の少年が、しかも今さっき思いついたばかりの戦い方で感じさせてくれている。
「ふっはっはっはっ! いいぞ、呂迅! もっと打ち込んでこい!」
「はい!」
師からの求めに応えるかのように、動きの鋭さが増す。
動きはより滑らかに、無駄を少なく、次の動作がさらに次の動作に繋がっていく。
その攻撃を間近で見ている厳顔は、この攻撃に嵐や竜巻を感じた。
相手に反撃の余地すら与えぬ凄まじい連続攻撃。
しかもその一撃一撃が全て必殺の攻撃。
これを完成させ、鍛え上げたらどうなるのか楽しみになってきた。
(もっとも、今はまだ未熟!)
連続攻撃の中にある隙を突いて反撃に転じると、そこからは厳顔のペース。
立て直す術をまだ持たない一刀は反撃に対応しきれず、負けてしまった。
「あぁ、くそ! いい感じだったのに」
「はっはっはっ。確かに良い感じじゃったが、まだまだ未熟。さらに精進せい」
「はいっ!」
未熟な弟子にそう言い残し、去っていく厳顔。
だがその表情は、とても楽しそうだった。
隙は戦っている間にいくつもあったが、あえて反撃せずに戦いを楽しんだ。
まだ若干の物足りなさはあるが、これまでの飢えを補うには充分だった。
「はてさて、あ奴がどう化けるか楽しみじゃの」
上機嫌で城内へ戻り、弟子の成長記念と自分に言い訳して酒を手にする。
誰にも気付かれぬように自身の執務室まで持ち込むと、周囲を確認して扉を閉める。
封を解いてたっぷりと杯に注ぎ、いざ飲もうというタイミングで。
「仕事中に何やっているんですか、師匠!」
先ほどまで手合わせしていた一刀が、執務室へと突撃してきた。
「むぉ! ななな、なんじゃ呂迅!」
「なんじゃ、じゃないでしょう! まだ仕事中なのに酒なんて飲んで!」
「いいい、今は仕事中じゃない! 休憩、お主を指導後の休憩じゃ!」
「だとしても、隠れて飲むのはともかく、執務室で飲むのは部下に面目が立ちませんよ!」
そう言って、慌てふためく厳顔から酒と杯を奪い取る。
「あぁ、何をするんじゃ」
「文官長さんから聞いていますよ。今日までの仕事が山ほどあるって!」
「なっ! あいつめ、何も呂迅に言わずとも」
「まったく、目を離すとすぐこれなんですから!」
ブツブツ文句を言う厳顔を放置し、一刀は酒を手に退室。
それに気付き、慌てて後を追う。
「待てぇ! 仕事はちゃんとするから酒を置いていけ!」
「断ります! 他に止め役がいないので俺がしっかり止めるんです!」
いつの間にか、大酒飲みの師の飲酒止め係も兼任していた一刀。
彼のお陰で以前より仕事のペースが二割ほど改善された。
「くっ。じゃが甘い、ここに隠し酒が」
以前、部屋の中にこっそり隠していた酒を取り出そうとする。
こういう時に備えての隠し酒だったのだが。
「ん? 無いじゃと!?」
隠していた場所に酒は無い。
代わりに置かれていたのは竹簡。
手にとって開いてみるとそこには。
『本日の仕事が終わるまでお預かりします。今日中の仕事が全部終わらなかった場合、兵の皆に差し入れという事で振る舞っておきます 呂迅』
「あ、あの鬼弟子があぁぁぁぁぁっ! というか、何でわかったあぁぁぁぁぁっ!」
文の内容を読んだ厳顔は席について仕事を始める。
一刀と厳顔。
彼らの師弟関係は武の鍛錬か机仕事かで逆転している。
なお、酒はどうにか仕事を間に合わせ、無事に奪還したそうな。
一刀が自身の戦闘スタイルを見つけ、さらなる修行を積み始めて数ヵ月後。
厳顔は初めて一刀を戦場に放り込んだ。
相手は近隣の邑を襲っている盗賊。
この戦いで、前世も通じて初めて人を殺めた。
討伐後、その感覚を忘れられない一刀は厳顔の部屋に呼ばれた。
「どうじゃ。己が鍛えた武で初めて人を殺めた気分は」
「……重いです。言葉で表せないぐらい、色々と重いです」
「そんなところじゃろう。じゃが、わし的には充分合格点じゃ」
椅子から立ち上がった厳顔は、そっと一刀の頭に手を置く。
「人を殺めた後に、獣にならず人として踏み止まった。それで充分じゃ」
他人を殺めたショックで気が触れる例は少なくない。
実際、そうなったがために盗賊等に身を落とした者も多くいる。
彼女が今回一番見たかったのは、一刀が踏み止まれる側の人物かどうか。
もしも踏み止まれなければ、師として引導を渡す覚悟もあった。
しかし一刀は踏み止まってみせた。
「忘れるな呂迅。これが武人として越えねばならぬ壁じゃ。いかに鍛えようとも、誰かを守ろうとも、武とは人を殺めるもの。それを自覚して道を外れぬ者を、武人というのじゃ」
強さと暖かさを兼ね備えた言葉に、ヒビの入りかけていた一刀の心が癒える。
「分かりました」
ほっと息を吐きながら、引きつりかけていた表情が緩む。
その様子にもう大丈夫だと思った厳顔は手を引く。
すると一刀は、ある決意をした。
「師匠」
「なんじゃ?」
「俺の真名は一刀です」
ここまで自分を鍛え、導いてくれた相手への信頼。
それを真名を預ける事で伝えたい一刀。
弟子入りの際に預けようとも考えたが、師と弟子である以上は厳しくあってほしかった。
師である厳顔を信頼していない訳ではなかったが、その信頼が甘さを生む可能性もある。
なので、今日までお互いに真名を預けずに師弟関係を続けてきた。
それがいきなり真名を預けられ、厳顔もポカンとする。
しかしすぐに表情は笑みに変わり、互いに信頼してもいい時期かと判断した。
「わしの真名は桔梗じゃ。まっ、どうせ師匠としか呼ばんじゃろうがな」
一刀に同じく真名を預ける事で、桔梗は同等の信頼で返した。
真名を預けあっても、修行に甘さを生むことは無いという、確信と信頼の下で。
「ありがとうございます、桔梗師匠」
「はっはっはっ。そう返すか、よかろう。では戻ったばかりですまないが、あいつを頼めるか?」
桔梗が窓の外を見たので、同じように窓の外へ目を向ける。
外には、体育座りをしてボンヤリしている少女がいる。
白と黒の特徴敵的な二色の髪を持つこの少女は、先の盗賊退治の際に保護した。
故郷と家族を賊に襲われて失い、たった一人生き残り、行き場を失って死んだ目をしていた。
ここまで連れて来たものの、あぁやってボンヤリするだけで何もしようとしない。
「やれるだけやってみます」
自分にどれだけの事ができるだろうか。
不安になりつつも一刀は少女に歩み寄る。
少女は反応一つせずボンヤリと虚空を見つめ、時折両親の事を小声で呟いている。
「父様……母様……」
虚ろな目で無表情のままブツブツ言っているので、傍から見れば危ない子に見える。
「……隣、座るよ」
「……」
一刀が隣に座っても無反応のまま俯いている。
顔見知りなら一発叩いてでも正気に戻すのだが、相手は初対面のしかも少女。
むやみに叩く行為は一刀にはできない。
しかもこの少女を助けたのは、他ならぬ一刀自身。
両親が目の前で殺され、少女にも刃が向けられていた所を救った。
そして少女に刃を向けた相手こそが、一刀が初めて殺した人間。
初めて人を殺し、荒い息遣いで佇む血塗れの姿。
それを見て震える少女を見たからこそ、人殺しの感覚に呑まれずに済んだ。
「あの……さ」
「……」
「君のこれからの事だけど……」
「……せ」
今まで無反応だった少女が初めて反応を見せた。
しかし、とても喜べる反応ではなかった。
彼女がようやく喋った言葉が。
「私を殺せ」
だったからだ。
「親類もいない、友人も親も全部失った。どうせなら、あのまま死にたかった。そうすれば、あの世で皆と一緒にいれた。だから、今からでも私を皆の処へ送ってく――」
死んだ目でネガティブ発言する姿に、叩かずにはいられなかった。
先ほどまで叩く事はできないという理念を捻じ曲げ、一刀は少女の頬を平手打ちした。
少女は平手打ちされた頬を押さえ、キョトンとしている。
「ふっざけんな!」
一刀は少女の胸倉を掴んで引き寄せ、怒鳴りつける。
「ここで殺したら、俺は何のためにお前を助けたんだ! 何のためにこの手を血に染めたんだ! お前を庇って死んだ両親に何て言えばいいんだ!」
次々と出てくる怒りの籠もった言葉。
その一つ一つが少女の心に突き刺さり、押さえ込んで塞いでいた蓋に穴を開ける。
遠慮がないからこそ、問答無用に蓋を壊していく。
少女も、命の恩人に言うべきことでは無いのは分かっていた。
それでも、悲しくて寂しくて辛くて、それしか言う事が思い浮かばなかった。
「全部失った? だったらまた一から探して手に入れろ! そして死んだ友人や家族に見せてやれ! 新しい大切な人はこんな奴だってな!」
蓋をブチ破った一刀が少女の心の中に入り込む。
暗い中で蹲っている少女に手を伸ばし、掴んで光の下へ引きずり出す。
「自分の足で立てぇ! 這ってでも前へ進んで、生き残った意味を探してみやがれ!」
最終的には乱暴な言葉遣いで言いたい事を言い切り、息を切らす。
未だに胸倉を掴まれている少女は一刀の手に触れ、そっと放させる。
解放された少女は空を見上げる。
両親と一緒に何度も見た、青い空が広がっている。
(生き残った意味……新しい大切な人……)
生き残った意味は分からない。
でも、大切にしたい人はたった今できた。
(探して……いや、もうここにいるよ。父様、母様。私が大切な人にしたい男が……)
空に向けていた顔を下ろして一刀を見つめる。
命の恩人で、進むべき道を示してくれた人物を。
そしてある決意を固める。
「……そういえば、名乗っていなかったな。私の名前は魏延だ」
「俺は呂迅。ここの武官で太守である桔梗様の一番弟子だ」
お互いの名前を教えあうと、ようやく魏延の表情が柔らかくなる。
死んでいた目が生き返り、光を取り戻した。
思い直してくれたかと、ほっと胸を撫で下ろす。
ところが、ここで一刀にとって予想外の事態が発生する。
「ならば、私は二番弟子になろう」
「えっ?」
いきなりの弟子入り宣言に、ほっとしたのも束の間、一刀の思考がフリーズしかける。
「……何で?」
「私は決めた。命の恩人である呂迅! お前の背中を守れる武人になるとな!」
声高らかに宣言して一刀を指差す。
どういう事かは一刀には理解不能だが、彼女は生きる意味を自分に見出したのは理解した。
だが、肝心の思考が鈍くなったままなので、反応が追いつかない。
「はっ? えっ?」
突然の事態に頭の処理が追いつかない一刀は、首を傾げながら疑問符を浮かべる。
「心配するな! これでも武官に憧れて、武芸は少しだけだが教わっていた!」
「いや、そうでなく」
「そうと決まれば太守様に弟子入りしてこよう! 厳顔様!」
訳が分からず立ち尽くす一刀を放置し、厳顔の下へ駆け出す魏延。
突然部屋に押しかけたので怒られはしたが、見所があると言われ弟子入りを認められた。
こうして一刀にとって、後に相棒と呼べる少女が仲間に加わることになった。