Chaos Bringer   作:烏賊墨

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雪風一人語り弾き&アクシデント回、見どころはそんなにない


#6

「先程の演習では無様な姿を晒してしまいました」

 

執務室で綾波が提督に深々と頭を下げて詫びを入れた。呼吸をする度に雪風に撃たれた肺が痛み咳き込む。

 

提督は彼女の向かいの机から綾波を見やりつつ煙草と愛用のライターを慣れた手つきで机右端に寄せた。机上電球がライターを金色に照らす。彼の隣では秘書艦である大淀が姿勢を正して彼の側に立っている。

 

「いやその事はさほど問題ではない、気にするなとは言わないが勝敗はこの演習の目的ではない。だから頭を上げても構わないぞ」

「そうですか、では本題…とは」

 

提督の焦点がサングラス越しに姿勢を正した綾波の双眸に集中する。彼女は息を呑み提督の次の言葉を待った。

 

「君と戦った雪風についてだ、君は彼女と実際に砲火を交えて何を感じ彼女をどう思った?敗北の雪辱以外にもある筈だ」

「率直に申し上げれば…」

 

綾波は思い出す、演習中の雪風の一挙一動を頭の中でもう一度再生する。あの虚無感と威圧感、そして凶暴性を一緒くたに表現する言葉は一つしか無い。

 

「彼女は『バケモノ』でした」

「バケモノ、か…」

 

提督は彼女のバケモノという言葉に興味を示したのか若干トーンが弾む。大淀は対照的に無言のまま眉を顰めた。

 

「はい、戦闘センスや射撃の腕前はここにいる駆逐艦娘の平均レベルを大きく上回っています。ですがそれ以外にも彼女が纏っている、相反した空気が不気味さと凶暴性を一層引き立てていました」

 

自分の中に相反する二面性を持つ綾波ですらも雪風の豹変は理解し難かった。存在すら疑う程の虚無感と肌を突き刺す程の威圧感という矛盾を含んだ組み合わせが雪風という艦娘をとらえどころの無い、得体の知れ無い存在として認識させていた。

 

馬乗りになって彼女を襲った際の雪風の顔を思い出す。おぞましい程の殺意を湛えながらも仏の様な穏やかな笑みを浮かべていた。混沌が、そこにあった。その笑顔のまま、雪風は彼女を嬲るかの如く砲を撃ち、足柄が演習中止を命じても暫くは引鉄に指をかけたままだった。

 

あのまま撃たれ続けていたら肋骨が折れ、肺が損傷を受けるのは確実だった。若しかしたら雪風は自分を殺すつもりでいたのかもしれない。普通艦娘同士の演習でこの様な体術を交えた過激な追撃は安全面の配慮から使用を控える様命じられている。綾波自身も投降を受け入れないつもりで臨んだがそれなりに加減はしているつもりではいた。雪風にはそれが無かった。

 

体の震えが未だに止まらない。あの様が暫く悪夢として出るのはほぼ確定だろう。

 

「相当怖かった様だね。顔を見れば分かるよ」

「いえ、そんな事は…」

「そう言えば綾波君、君がこんな顔をするのはこれで三回目だ、一つは初めて敵戦艦に遭遇した時、一つは…」

「佐世保の時雨と演習で交戦した時ですね。彼女もまた言いようの無い不気味さを発していました。ただ纏う殺意の質は違っていました」

「ほう、どの様な点で違うのかね?」

 

提督がやや身を乗り出す。綾波は提督の問いに対して冷静に答えた。

 

「時雨の纏う殺意は『ただ単に相手を殺す』という意志だけが形になっていました。対して雪風のソレは彼女が内包するあらゆる感情が混じり合った結果殺意という形に収束した感じがしました」

 

彼女は思い出す。佐世保鎮守府との演習で時雨と交戦した際、綾波は彼女に対し機械の様な印象を受けた。攻撃も回避も最小限に抑え殺意以外の感情を一切感じない時雨の動きに不気味さを感じていた。だが一方で無駄を排した彼女の動きは機能的で美しくもあった。不気味さと機能美を併せ持つ機械仕掛けの妖精、綾波は時雨をそう捉えた。

 

対照的に雪風は纏う殺意には彼女自身の感情のカオスが見え隠れしていた。野生動物が見せる本能的な殺意で一挙一動が暴力性に溢れていた。だがその殺意は狼に例えるには鋭すぎ、獅子に例えるには凶暴すぎ、象に例えるには大きすぎた。故に彼女は神話や伝承で語られる全てを焼き尽くし喰らう竜の様だと評した。

 

もし二人を戦わせたらどうなるだろう、綾波は思考遊びをした。方や意思の無い機械仕掛けの殺戮妖精、方や本能のままに貪り喰らう竜、この二人が相見えればきっと面白いものが観られるに違いない。先が長くなりそうな予感がしたので思考の遊戯はここでとどめておいた。

 

「逆に二人が共通していたのは…」

 

『その共通点』言おうとした途端、綾波と大淀、そして提督しか居ない筈のこの空間で誰かに見られている気がした。冷気が綾波の背をなで先程より大きく震わせた。後ろに組んだ両手が無意識の内に互いを強く握りしめた。弱々しい声で綾波は続ける。

 

「眼でした…二人共底の知れない沼の様な眼を私に向けていました…」

 

時雨も雪風も光の無い濁った眼をしていた、一切の感情を悟らせない物言わぬ眼だ。二人共纏う雰囲気は違うのに眼だけは示し合わせたかのようにそっくりだった。眼というよりも眼窩だけぽっかり空いていると言った方が正しいのかもしれない程に暗い眼だった。瞳の奥底にある筈のモノが見えない。

 

この眼こそが綾波を真の意味で恐怖させた元凶でもあった。深淵から得体の知れない存在に内心を覗き込まれている感覚が綾波の精神を騒めかせ、恐怖という形で反映させるのだ。ニーチェが記した『善悪の彼岸』第146節の言葉の判例としてこれ程の適役は無いだろうと綾波は思った。

 

「底なし沼ねぇ」

 

提督は自分が彼女の眼をみた時に抱いたイメージと綾波の報告の相違点からどこか腑に落ちない顔をしている。綾波は逆に提督へ彼女の眼から何を感じ取ったのかが気になったがここで聴くのは憚られた。

 

「まあいい、君の報告で彼女が戦力に成りうるのは充分すぎるほど分かった、辛いだろうに時間を取らせてすまなかったな。歓迎会まで自室で休んで構わないぞ」

「分かりました、ではお言葉に甘えさせて頂きます」

 

綾波はお辞儀をして執務室を退出すると、自室では無く歓迎会の会場へと手伝いに向かった。単純作業に没頭すればしつこく纏わりつく寒気も気にならなくなる筈だ。

 

♢♢♢♢

 

16駆に宛がわれた部屋で雪風は未整理の荷物に囲まれながら震えていた。雪風以外のメンバーは彼女の歓迎パーティーの準備に行っており雪風自身は皆から休むよう言われこの部屋で一人寂しく自分自身を抱きしめ震えているのだ。

 

正直な所、雪風は歓迎会に出たいとは考えていなかった。それどころでは無い程彼女の精神は疲弊し、混乱しているからだ。

 

綾波との演習で何故あの様な暴挙に出てしまったのだろうかと逡巡した。暴挙に出ただけならまだいい、この時自身は口の中に甘い味が広がるみたいな恍惚を確かに感じていたのだ。そう、あのキマイラとの戦闘と同じ様な殺し合いが楽しいと錯覚してしまう程のだ。

 

だがその時は雪風が初霜を殺されたショックとキマイラや他の深海凄艦に対する怒りで半狂乱に陥っていた無意識での事であったのに対し、今回は『意識がはっきりとした状態』で『自分の意志』に基づいて綾波に馬乗りになって至近距離での砲撃をしたのだ。一部始終は彼女の脳がはっきりと記憶している。

 

「雪風は知らない、何も知らない。こんな事、出来る訳がない…」

 

だからこそ雪風はそう思うに至った自分が何よりも恐ろしかった。元来自分は戦いが好きでは無い筈なのに渦中へと飛び込む自分自身の行動が理解できない。そういう思考に至った理由が見つからない。

 

「やったのは、雪風じゃない…」

 

そう思えば思う程記憶という証拠品が現実を突きつけ雪風を苛む。綾波へ馬乗りになった時に感じた高揚感と征服感、そして甘酸っぱい疼きが今では雪風を締め上げる拷問器具として機能した。胸をキリで刺される様な痛みに奥歯を食いしばって耐える。

 

ふと窓を見る。もう夜中の七時近くなので外は暗く良く見えず、代わりに鏡となって雪風の顔を映し出す。苦悶で歪んでおり、自分ながらに酷い顔だなと率直な感想が思い浮かんだ。

 

変化が起きた、窓に映る自分が口角を曲げ、眼を細め、独りでに笑みを浮かべた、本物の雪風を嘲笑う酷薄な笑みだった。一瞬自分が笑っているのかと思ったが口角を吊り上げる感触が無い。顔に手を触れても頬の筋肉が持ち上がっている感触は得られない。

 

眼を瞑ってから再び眼を開く。窓には雪風の生気の無い顔が映っているだけだった、それが逆に不気味だった。演習での『何か』の声と言い今見た幻覚といい自分の奥底に別の自分がいるのだろうか、そう考えると自分が『何か』で上書きされそうな不安で押しつぶされそうになる。

 

心が軋むのに耐え兼ね雪風は手元にある小瓶から処方された精神安定剤を数粒取り出し口に含み、ミネラルウォーターで喉の奥まで流し込んだ。水が喉を潤おす感覚が心地よい。

 

薬の効果がまだ出ていないのか相変わらず名状し難い何かが雪風の中を渦巻いている。雪風の中にいる彼女の知らない自分への恐怖に耐えようと腰かけているベッドの敷布団の端を右手で強く握った。握った布団の端の上にあった医薬品が入っている小瓶とミネラルウォーター入りのペットボトルが何処へと転がる。

 

本当は誰かに優しく手を握って欲しかった、優しく甘い言葉をかけて慰めて欲しかった。だがここには雪風一人しかいない。自分で何とかするしかない。

 

否定せねばならない、望んで戦いを求める自分を、望んで地獄へと突き進む自分を。

 

雪風は思い出す、自身が経験した初陣から今に至るまでの戦いの様を。イ級に右腕を齧られ激痛で泣き喚く浜風、WW2と同じく潜水艦の魚雷がバイタルパートを食い破った事によるダメージにより上下で真っ二つになって沈んだ大鳳、騙し討ちに遭い愛する人の名を叫びながら戦艦棲姫によって無邪気に手足をもぎ取られた虫みたいになって面白半分に殺された比叡、守ると約束していた筈なのにキマイラの艦載機によって呆気なく生首だけになった初霜…。

 

雪風が目に焼き付けた死を以て自身を戒め、戦いを愉しむ己を否定する。そこに恍惚や快楽が滑り込む余地は無い、有るのは死への恐怖と仲間を救えなかった後悔だけだ。

 

「…もうたくさんだ…」

 

そうだ、それでいい。戦う理由は自分達の後ろにいる無辜の市民を守る為、過去の大戦で背負った業を払う為、仲間とまだ見ぬ明日を拝む為。

 

そして──無残に殺された初霜の無念と彼女を殺したキマイラへの憎悪を晴らす為。

 

それだけの理由で自分は戦える、そうだろう?

 

自己暗示に近い自問自答によって雪風は落ち着きを取り戻した。薬も効いてきたのか少し気分も晴れて来た。苦虫を潰した様な顔が自然と綻び代わりに柔和な笑顔が浮かび上がった。

 

段々気分も乗って来たので雪風は久しぶりにギターを弾きたくなった。雪風は音楽を聴くだけでは無く演奏するのも割と好きだ。

 

雪風に限らず楽器の演奏を趣味とする艦娘はそれなりにいる。理由は様々だが大抵は兵装を操作するのに必要な指先の器用さを鍛える為か、彼女の様に戦闘で疲弊した心を癒す為かの二つに大別される。雪風は後者だ。

 

前の泊地にいた頃に一度ヘッドホンなしで弾いていたら提督に騒音だとして文句を付けられた。この一件で次演奏しているのを見つけたら捨てるとまで言われたのでそれ以降は不在時位にしか演奏出来なかった。

 

床に置いてあるギターケースから藍色と白のツートンカラーになっているディンキータイプのエレキギター本体を取り出す。段ボール箱から出したチューナーに繋ぎ、右手の指で六弦に触れる、微妙な低音と共にチューナーのメーターが左に触れたので左手で六弦のペグを左に回しきつく締めた。もう一度六弦に触れると程よい高さの音色が響き、チューナーのメーターも丁度真ん中を指していた。

 

雪風はチューニング作業が好きだ。ギターも自分の心も完璧でないどこか不完全で不安定な部分を抱えている、チューニングによって音程を調整すると自分の心も同じく安定した状態になった様な感じがするのだ。残りの弦も同じように調整する、弦が適切な音色を奏でる度に感じるパズルのピースがピッタリあった様な感触が心地よい。

 

全ての弦のチューニングが終えると、ギターをチューナーから外して代わりにアンプを取り付けた。更にヘッドホンをアンプに繋ぎ音漏れを防止する。ヘッドホンを被り外部から音を遮断すると夢で初霜が歌っていた曲を雪風は想起した。歌のメロディーや初霜の歌声が脳内で明瞭になる度に五線譜が浮かび上がり、形を成す。左手でギターの弦を押さえ、右手に持ったピックで弦を弾いた。

 

「I make it like kick it in a day. You can make someone feel better. To be breeze of dust in the air. Ready after take a long breath…」

 

弦を鳴らす度に奏でられるメロディーに初霜の代わりに自分自身の歌声を重ね合わせる。この場で初霜とデュエットできたらどんなにいいだろうかと思ったがすぐに止めた。彼女はもうここにはいない。

 

「Ah…I feel…Ah…I feel…」

 

ああ、感じていますとも、喪失の痛みを。ギターを掻き鳴らし歌声を合わせる度に瘡蓋を剥がす痛みが雪風を苛む。

 

「I can down fall someone in the hell. Still like dust from kick and keep. To be the soft dust in the cloud. This is fun way, I think so…」

 

初霜は死んだ、それを事実として受け入れても割り切れるかと言われたら話は別だ。コリンズは戦友の死を乗り越えられる者もいれば乗り越えられない者もいると言っていた、雪風は多分後者に当てはまるなと胸の内で呟く。初霜の存在は壁に付着した血糊の如く雪風の脳裏から剥がれず残り続けているからだ。歌声が微かに震えを含み始める、手だけが彼女の心とは無関係に旋律を紡ぎ続ける。

 

「Let it go around the cosmos! Over the pain! Ah…Ah…! Let it go around the cosmos! Over the pain! Ah…Ah…!」

 

初霜は雪風の手に届かない程遠い場所へ逝ってしまった、宇宙より遥かに高い場所にある彼岸だ。初霜の死を悲しむ一方で彼女が死ねた事を羨む自分も雪風の中にいた。死の先に待ち受ける世界にはきっと痛みは無いのだろう、哀しみとも苦しみとも無縁な世界、幸福だけがそこにある、正に楽園だ。

 

「Let it go around the cosmos! Over the pain! Ah…Ah…! Let it go around the cosmos! Over the pain! Ah…Ah…!」

 

では雪風も死ねば楽園へ行けるか、答えは否だと結論付けた。楽園に行くには手を汚し過ぎた、だから雪風はずっと此岸という名の煉獄に縛られ続けている。三途の川を渡る為の六文銭を未だに渡されずにいた。

 

「あ、やっと気が付いた」

「かなり自分の世界に入っていたようね」

「雪風ってギターも弾けるんだ、すごい…」

「…あれ、いつの間にいたんですか?!」

 

一通りの演奏を終えギターを脇に置きヘッドホンを外すと拍手の音が聞こえ、天津風、初風、時津風の三人が雪風を囲んでいるのが分かった、首を横に振って見渡し再度狼狽えた。演奏している間は気配を感じなかった、迂闊だった。初風が雪風の疑問に向かいのベッドの支柱に寄りかかり腕を組みながら答える。

 

「そうね、サビの手前の辺りかしらね、わざわざノックまでしたのに反応が無かったから勝手に入らせて貰ったわよ」

「声の一つでもかけてくれればよかったのに」

「横から邪魔するのも無粋でしょ」

「まぁ、そうですけど…」

 

天津風が雪風の手を引き上げベッドから起こす。歓迎会に正直乗り気では無い雪風はベッドにもたれかかったままの姿勢を保とうとするがすぐに引き剥がされた。

 

「ほら、もうすぐ歓迎会がはじまるわ、みんな貴女を待っているのよ」

「ちょっと待ってくださいよ、そんな強引な手段を使わなくても行きますから手を離してくださいよ!」

「だーめ、いつまで待たせたと思っているの、こっちだって腹ペコ何だからね!赤城さんはもう食べ始めちゃうし大変だったのよ!」

 

手足をバタつかせる抵抗するも、天津風により引っ張られた彼女と自室との距離は離れていくばかりだ。

 

無駄だと悟り最早抵抗するのを諦めて天津風にズルズルと引かれる雪風を初風と時津風は市場に売りに出される仔牛を見る眼で見送った。

 

「良かった、雪風に戻ってた」

 

連れ去られる雪風の眼を見ながら時津風は一人ごちた。

 

♢♢♢♢

 

大食堂に着いた雪風は先ずその広さに驚いた。元々居た泊地のソレとは違い大学の食堂を連想させる小奇麗な食堂内では恐らくこの鎮守府にいる全ての艦娘が各々割り当てられた長テーブルの前に着席しており、今まで見た事も無い風景に圧倒された。テーブルに置かれている料理の数々も嘗ての泊地より豪華だ。

 

「あっ、やっと雪風ちゃんが来たみたい。よーしはじめよっか~」

 

今度は進行役と思しき那珂に導かれ、壁に第六駆逐隊の面々が作ったと思わしき『祝!雪風着任おめでとうの会!』とお世辞にも綺麗とは言い難い字で書かれた掛け軸が飾られている即席の檀上に上がる。檀上からは食堂の様子が一望でき艦娘達が雪風を興味深そうな眼差しを向けているのが見て取れた。ただ提督と大淀の姿はパッと見では見当らなかった。

 

拍手の連鎖が起こり雪風の体が緊張で強張った。大人数から罵声を受けるのには慣れていても拍手を貰うのにはなれていなかったからだ。そんな事もつゆ知らずに那珂が素とも作っているキャラともとれる底ぬけた明るさを感じられる身振りで雪風へマイクを向ける。

 

「今日一日はこの那珂ちゃんに代わって今日着任したニューフェイス、雪風ちゃんが艦隊のアイドルになっちゃうよ~、それじゃあ初めにみんなへ自己紹介しようか」

 

いきなり自己紹介と言われても思いつく言葉が見つからない雪風は困り果てた。檀上にいる艦娘達は雪風の言葉を期待して待っている、天津風、初風、時津風も同様だ。助け舟は期待できそうにもない。

 

「ほーら雪風ちゃん、早く早くゥ」

 

横から那珂が煽って来るのが非常にうざったく思えて仕方がない。外野から時たま聞こえて来る島風の「おっそーい!」コールも雪風を苛立たせるのには十分だった。

 

引き延ばせば引き延ばすほど気まずくなりそうなので失礼にならない範囲で適当に言う事にした。

 

「本日、呉に着任した雪風です。ここについては余り知らないので迷惑をかける事も多々あるかも知れませんが…それでもどうぞよろしくお願いします!」

 

再び拍手が沸き上がる、手を叩く乾いた音の中で恭しくお辞儀をしながらこれじゃまるで小学生の自己紹介だなと雪風は胸の内で自嘲した。何にせよ兎に角ここから早く降りたくて仕方がない。だが檀上から降りようとした雪風を那珂が引き止める。

 

「みんな雪風ちゃんの事知らないからもっと知りたいと思わない?」

 

嫌な予感がした、同時にそれが遠からず現実のものとなるのも容易に予測できた。

 

「自己紹介が済んだから次は質問タイムと行きましょうか!」

 

え、ちょっと待ってよそんなの聞いてない、と喉まで出かかった言葉を押し留め代わりに困惑で引きつった表情を那珂へと向ける。

 

「はいは~い、雪風ちゃんの事もっと知りたい娘は手あげて~!」

 

続々と手が上がりその様を見た雪風は呆然とした。眼前の艦娘ほぼ全員が手を挙げ、雪風を質問責めにしようとしているのだ。

 

「先ず一人目は…長門さん!」

 

やはりアイドル然としたおどけた調子で那珂は長門を指名、指名された彼女は毅然とした態度で起立する。彼女の周囲にいた陸奥を含む艦娘数名が彼女を見上げる。長門の鋭い視線は雪風を確実に射抜いていた。雪風は気圧されて少したじろぐ。

 

「は~い、今から雪風ちゃんへ質問するからみんな静かにしてね~」

「お前が一番静かにするべきニャ!」

 

口にチャックをする様なジェスチャーをした那珂に猫を彷彿とさせる見た目と口調の艦娘、多摩が野次を入れたがそれっきり静かになった。

 

完全に静かになったのを見計らって長門が口を開く。マイク無しでも明瞭に聞き取れる程大きく透き通った声色だった。

 

「私が提督から貰った資料によればお前は艦娘になってそれなりに戦闘経験を積んで来た様だが、この深海棲艦との戦いにおいて自分なりの戦う理由を持ち合わせているか?」

 

タイミングが良いのか悪いのかは何とも言い難いが雪風はついさっきまで正にその事について考えていたのだ。簡単な質問だ、様々な『戦う理由』が雪風の脳裏に浮かび上がる。あとはそれを言葉にすればいい。

 

だが音声として変換しようにも言葉が出ない、思い浮かべている筈なのに声帯が声として出すのを拒否する。口を開こうとしても石みたいに固く閉ざされたまま動かない。

 

──嘘つくなよ──

 

唐突なフラッシュバック。先の作戦で味方だった筈の戦艦に背後から撃たれ敵ごと紅い霧となった霞や時雨の姿と首だけになった初霜やそれ以前に無残な最期を遂げた仲間の姿が交互に網膜に映り、先刻思い返した時よりも多大な精神的負荷を雪風に強いる。

 

立ちくらみが襲い足場が無くなる様な感覚と共にその場へへたり込む。額には夥しい量の脂汗が浮かんでいる。

 

彼女の様子がおかしいのを察した那珂が心配そうに「大丈夫?」と声をかけるが雪風の耳には入らない。

 

──お前にとって仲間って言うのは堂々と味方を背後から撃つ奴の事を言うのかい、それともどうせすぐいなくなる心の慰めに使う消耗品の事をそういうのかい?──

 

『何か』の声が脳裏で木霊する。同時に背後に気配を感じ背中を冷や汗が伝う。振り向きたくても体が言う事を聞かない。呼吸だけが不必要に荒くなる。

 

──戦いに理由を持つのがそんなに上等かね?──

 

『何か』が一歩一歩背後から歩み寄ってきたのが気配で感じられた。逃げようにも脚が動かない、それどころか立ち上がる事すらままならない。突然のハプニングから来た不安により段下では艦娘達のどよめきが走る。ドタドタと誰かが壇上へ駆けつけて来た様だが気にする暇は無い。

 

とうとう『何か』が雪風の肩に触れ、不気味な寒気が服越しに伝わる。右耳を『何か』の吐息が撫でた。不気味な感触と共に背中を心地よい痺れが走り口の中が甘酸っぱい味で満たされる。綾波との演習でも感じた罪の味、それを『何か』に再び味あわされている。

 

──ほら、『コレ』が欲しんでしょ。仲間の為とか何かと理由つけても結局はお前自身の快楽を享受したいから戦うんでしょ、それがお前の本音なんだよ──

 

違うと否定すればするほど艦娘になってからの戦闘の記憶──しかも雪風が単騎で大量の軍勢を相手にしたもの──が脳裏を過ると共に快楽が増強される。気持ちよさの余り漏れそうになる嬌声を歯を食いしばって抑え込む。受け入れたら自分が自分でいられなくなる、そんな気がした。

 

──ほらほらほらほら、いっそ受け入れれば楽になるのに──

 

悪いけど、貴女に飲まれる気はない。意を決し、那珂に掴まりながら持てる限りの力で立ち上がる。快楽と甘い味は未だに広がっている、気を散らす余裕はない。精神的にも支えられる物を雪風は欲した。

 

──『多分私達がこの世界に二度目の生を受けたのはこうやって再会するのと…』──

──『涙と一緒に過去を洗い流してもう一度最初からやり直す為だと思うんですよ…』──

 

初霜の言葉を思い出す、前者は一先ず叶えられた、だが後者はまだ叶えられていない。寧ろ負債として増えてしまった。これをチャラにしないで死ねばあの世へ旅立った初霜に顔向け出来ない。

 

最大限の意識を集中させ口を動かし、声帯から声を無理矢理絞り出した。彼女が言葉を紡ぐのに苦労したのはこれが初めてであった

 

「仲間の為と過去を清算する為です…雪風は嘗ての大戦で多くの仲間の死に目を見ました、同時に自分だけが生き残り孤独な日々を過ごしました。だからこそ艦娘として第二の生を得たのですから仲間を守り、皆と語り合い笑い合う未来を紡ぐ為に戦っています。あんな思いはもう二度としたくありません…」

 

マイクが無ければ誰も聞き取れない程消え入りそうな声で彼女は言った。言い終わったと同時に快楽は彼女から去り平生の調子を取り戻した。不気味な温もりもいつの間にか無くなっていた。憑き物が落ちた様な感覚と同時に体中の力が抜けるのを雪風は感じた。

 

糸が切れた様に崩れ落ちる雪風を誰かが背後から抱きとめる、心配になって壇上へやってきた時津風だ。背中からじんわりと伝わる心地よい温もりが再び雪風に力をもたらし意識を明瞭にさせる。

 

時津風だけでは無い、天津風や初風、更には綾波も檀上へとやってきていたのだ。天津風と初風はやれやれとでも言いたそうな顔をしている。綾波と眼が合い一瞬気まずくなったが彼女が柔和な笑みを返したので許されたのだと思い雪風も笑みを返した。その時彼女の中を爽やかな風が駆け抜けまだ残っていた靄を吹き飛ばした気がした。

 

心の中は何処までも晴れ渡り、朝の陽ざしを浴び新しい一日を迎えたのを実感したみたいに清々しい気分になった。

 

「そうか、済まなかったな。倒れる程疲弊していた時に我々艦娘が誰しも抱えている過去の、それも嫌な記憶を思い出させて」

「いえいえお気になさらずに」

 

はにかみながら雪風は返す。先程みたいな皆の不安を煽る様な様子は見られない。長門が着席してから一拍置いて那珂がマイクを雪風から自分の方へ持っていく。

 

「他にも雪風ちゃんに質問したそうな娘が多そうだけど、何か雪風ちゃん疲れているみたいだからここで止めとくね。聞きたいときは雪風ちゃんに直接聞いてね」

 

すると那珂は檀上に何故か置かれていた紙コップにこれまた何故か置かれていたオレンジジュースを注ぐと雪風へと渡す。コップを握りこれからする事を雪風は何となく察した。

 

「もう立てる?」

「うん、大丈夫だよ、もう戻っていいよ」

 

そういうと時津風は雪風から離れ、他の艦娘共々檀上から降り各々の座席へと戻った。背中に残った時津風の温もりが何とも名残惜しい。

 

雪風の方の準備が終わったのを見計らって那珂がこれまたハイテンションで紙コップを皆に見せつける。

 

「それでは改めまして『祝!雪風着任おめでとうの会!』を始めたいと思います!皆さんご一緒にせーの、乾杯!」

 

歓声に包まれながら雪風は晴れやかな面持ちで紙コップを掲げた。

 

──この時誰もが気づかなかった、どんなに晴れが続いてもいずれ曇り、雨が降り出すという当たり前の事に。

 




雪風に潜む『何か』の台詞は古王と白カネキを参考にしました

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