MH-60Rの機内で雪風はipodで音楽を聴いていた。曲はとあるアクションシューティングゲームのBGMで激しい曲調が雪風の好みに合っていた。ヘリの中には雪風の他にM4A1カービンを装備した護衛の兵士が数名いたがこれといった話題も無く彼らと会話する気にはならなかった。ヘリの駆動音がうるさいのでipodの音量を上げる。
雪風は派手なギター伴奏を楽しみながら昨日雪風と面会した運動不足気味の米海軍側の司令官から言われた事を思い出す。
──曰く自分は呉に着任される事
──曰く自分は呉の提督に期待されている事
──曰く自分が配属される艦隊に時津風、初風、天津風がいる事
──曰く着任は明日(つまり今日)になる事
彼女自身は自分が何処の鎮守府又は泊地へ配属されるかには興味は無い、呉と言えばWW2でも雪風が配属された地であるが別段これといった思い入れがある訳では無い。興味が有るのは自分が誰と組むかだ。
初霜がいないのが残念だったが時津風、初風、天津風、皆WW2では第16駆として共に戦った者達だ。特に時津風は彼女が被弾し航行不能になった際に乗員を雪風が引き取っている思い出深い艦だ。16駆の面々ならば雪風を直接悪く思う者は居ない筈だ、他の艦娘はどう思うかは分からないが少なくとも彼女達の中に自分の居場所を造るのは難しく無いだろう。
仮に初霜がいたらあの甘い思い出の続きを紡げるか否かに頭を巡らせたがすぐに首を横に振った。いたとしても彼女は雪風と肌を合わせた『初霜』とは似て非なる別人なのだ。初対面でいきなり泣きつかれても相手は困るだろうし、これで欲情でもしたら関係が修復不可能な程破綻するのは目に見えている。
だが雪風自身が初霜を求めているのもまた事実だ、喪失の痛みは彼女の温もりを以てしなければ治まらない。本性を隠しつつ友人として接し時期を見計らって告白すればあるいは…
「もうすぐ到着するぞ、ipodはポケットにでも入れとけ」
兵士の一人がイヤホンを耳から抜き妄想で気持ち悪い程にやけていた雪風を現実へと引き戻す。人がお楽しみの所に水差しやがってとおもいつつ窓から外を覗くと呉の街並みが見えた。雪風が知る何十年も前のソレとは建物も道路を走る車も生活する人々の姿も変化していたが街を覆う雰囲気的な何かは未だに変わっていない気がした。
窓の端から端へと流れる呉港近辺の景色をぼんやりと眺める。着陸が近いのかヘリが高度を下げたお蔭で見慣れないヘリに幾人の歩行者が携帯端末のカメラで撮影しているのが見える。雪風を乗せたヘリの写真は間もなくSNS上にアップロードされ各々の承認欲求を満たす材料になるだろう。
街並みを彩る大小様々な建物の中に一際異質さを纏った施設が雪風の目に映る、呉鎮守府だ。遠目で見ただけでも雪風の嘗て居た泊地より施設の規模が大きいのが分かる、機能も恐らく比例して整っているのだろう。雪風の出迎えなのだろうかヘリポート周辺に艦娘達が集まっていた、当直以外は全員集まったかと言わんばかりの人数だ。そんなに集まらなくてもいいのにと内心で呟いた。
鎮守府上空でヘリがホバリングを開始、ダウンウォッシュが出迎えの艦娘達の髪や服装を強くたなびかせた。『呉へようこそ!』と書かれた横断幕を吹き飛ばされまいと必死で掴む第六駆逐隊の面々を長門と陸奥が押さえている光景が微笑ましい。高度が下がり切りギアが完全に地に着いた所でヘリのドアが開かれた。
ヘリを降り地面を踏みしめると艦娘達が各々歓声をあげヘリの駆動音に負けない程の大音量が雪風の鼓膜を揺らす。一介の駆逐艦娘に向けられるものとは思えない扱いにどう返せばいいか思いあぐねる雪風に時津風が艦娘達の波をかき分けて飛びかかり抱きしめて来た。
「雪風ぇ、ずっとずっと待ってたんだよぉ…!」
「え、ちょっと…」
抱きつくなり号泣しだし困惑する雪風をお構いなしに涙で米海軍から借りたフレッチャー級駆逐艦娘の軍装の胸元を涙で濡らした。
「この娘貴女が来るのを前から待ち望んでいたのよ、だから『艦娘』としては初対面だろうけど許してやって」
時津風の後からやって来た初風がフォローを入れた。隣には同じく第16駆の天津風もいる、彼女の足元にいるやや不細工な連装砲ちゃんみたいなのが噂の連装砲君なのだろう。「はいはい泣きつくのはもうおしまい」と天津風が時津風を引き剥がす、時津風は名残惜しそうな眼差しを雪風へと向けて来る。昔のCMに出演していたチワワみたいに見つめて来る彼女に雪風は苦笑いしか返せなかった。
「いきなり驚かせてすまないね、でもこれから仲間として一緒に戦っていくんだしこれ位は水に流してあげてよ」
仲間、天津風のこの言葉がその『仲間』を使い捨てにするのを前提の作戦に放り込まれた雪風にとっては酷く現実味の薄れたものとして捉えられた。何も知らない彼女から発せられる『仲間』という響きに頭の中をムカデが這いずりまわる様な感覚を覚える。
「調子でも悪いのか?顔色が悪いというかなんというか」
「久しぶりに日の当たる場所に出たからちょっと眩しかったんです」
今の言葉に嘘は無い、だが顔をしかめた理由では無い。無理に作った笑顔を天津風に返して誤魔化す。一瞬だけ時津風が怪訝そうな顔をした。
「まあこれから色々有るかもしれないけど宜しくね」
天津風が差し伸べた手を握り返す、柔らかくも熱い手だった。続いて初風、時津風とも握手をした。
三人との握手を終えた所でタイミングを見計らった様にこの鎮守府の提督と思しき男がやって来た。刻まれている皺からそれなりに歳を食っている筈だが鍛えているのか軍装の上から分かる範囲内では年齢相応のたるみは見られなかった。顔には実戦でつけられたとおぼしき傷があり伊達にこの地位に就いた訳では無いのを物語っていた。
雪風は提督へと向き直り海軍式の敬礼をする。
「君が雪風か」
微笑むと彼は雪風の傍まで寄ると屈んでサングラスを貫く鋭い眼差しを彼女の目線に合わせる。彼から漂う煙草の臭いが顔を顰めさせる。
「成る程、確かに良い目をしているな、幾多の死線を潜って来た戦士の目だ」
提督は立ち上がりサングラスの位置を直す。
「おっと申し遅れたね、私はこの鎮守府の提督の倉木だ。君には期待しているよ」
彼と握手をした、豆のあるごつごつとした堅い手だった。ペン以外の物をかつては良く握っていたのだろう。手を見たり触ったりすればその人がどういう人生を歩んできたかが何となく推測できる。
雪風は彼の言う期待が何を意味するかがいささか掴みかねていた。戦果なのには間違いないのだがその戦果が駆逐艦で為せる範囲での戦果なのかそれすらも超える戦果なのかが判別つかなかった。彼の声色からより大きなプレッシャーを感じたからだ。ともすれば戦果とは別の何かを期待している可能性すらある。この男の真意が雪風には読めなかった。
提督が艦娘達を見回しながら手を叩く。
「各員自分の持ち場に戻れ、新入りの歓迎の続きはまた夜にな。あ、言い忘れていたが雪風、君の為に演習場を開けといた、長い事空母に缶詰にされていたから体も鈍っているだろうからカンを取り戻して欲しい。転属の手続きを終えて自室で着替えてから向かうといいぞ」
自室の場所は天津風か初風から聞くことにしようと雪風は思った。
♢♢♢♢
「あの娘があんなに荷物抱えてるとは思わなかったよ」
射撃演習場のベンチに腰掛けた天津風は痛めた腰をさする。雪風が元々居た泊地から送られた荷物が多すぎて雪風個人では部屋へ運べず天津風達が手伝った結果だ。彼女の腰には湿布が貼ってある。
「大量のCDに各種プレイヤー、パソコン、それにギターとエレキギターまであったわ。戦争終わったら艦娘辞めてミュージシャンにでもなるつもりだったのかしら」
苦々しそうな天津風とは対照的に初風は飄々とした態度でベンチの側に立ち、双眼鏡越しに演習場の射撃コースを軽快に駆ける雪風を見ている。雪風から拝借した携帯用ラジカセから流れる曲に口笛を重ねる位に余裕はある、曲はSUM41のThe hell songだ。
時津風は陽気に当てられてベンチで船を漕いでいた。
「あんたねぇ、軽い物だけ持って楽ばっかして、少しはアンプ運んだこっちのも手伝いなさいよ」
「あら、あんたが率先して運んでるから任せていいものかと思ってつい。まあそれより面白い物が見れるわよ」
「面白い物?」
「論より証拠、見た方が早い。No.1~5までのターゲットの被弾箇所を見てみなよ」
投げつけられた双眼鏡を天津風は取り落しそうになりながらもキャッチ、言われた通りにターゲットを見ると五つともペイント痕が中心に程近い場所に、それも複数刻まれている。これだけなら別に驚く事では無い、呉鎮守府内の実力者ならこの芸当は朝飯前だ。
「別に綾波とかでも出来るでしょ」
「そうね、あのターゲットまでのレンジが『駆逐艦用』ならばね」
「えっ、どういう事…」
要領を得ない天津風に浦風が諭す。
「あの娘が今使ってるレンジは『軽巡洋艦』用よ、いつも私達が使用してる奴の二倍近くは有るわ。加えてターゲットサイズも一回り小さいのを使用している」
「じゃあ…」
天津風が息を飲む。
「雪風はより過酷な条件でトップクラスと同じ事をしてる訳。辺境の泊地で燻ってるには惜しい人材だわ。私の知ってる限りじゃこれと同じ事出来たのは佐世保の時雨位よ」
双眼鏡の中で雪風が一度も立ち止まらずに海面を疾駆しながらNo.6、7、8、9番のターゲットにも同じ様にペイント痕を刻みつけた。当の雪風は表情一つ変えず、さも当たり前の事をしているかの様にアンニュイそうなまま保ち続けている。
「あんな芸当しておきながら虫も殺しませんって感じの顔してるわね」
「強者の風格って奴かしら、まあ貴女がその境地に達するのはまずあり得ないだろうけど」
初風の嫌味を聞き流しNo.10のターゲットを狙う雪風に目を向ける。一番遠くに設定されている為か今回ばかりは雪風は静止して照準を合わせる。連装高角砲からマズルフラッシュが三度煌めいたかと思えばターゲットの中心近くに三つのペイント痕が狭い間隔で刻まれた。水柱は一つも上がらない。
「すごい…」
「えぇ…」
感嘆の声を漏らす。恐怖すら感じる彼女の腕前に二人は言葉を失った。これ程の艦娘が今の今まで辺境の泊地で燻っていたという事実が信じられない。二人が呆気に取られている間に初風の背後へ忍び寄る者がいた。
初風の両目が何者かによって塞がれた。
「だーれだ?」
「もしかして妙高さ…なんだ足柄さんか」
初風が一瞬声を弾ませるが声の主を悟り再びトーンが落ちる。妙高には好意を寄せてはいるが妙高型全員という訳では無い、寧ろ足柄は苦手な部類だ。彼女へ向けられる視線も冷やかだ。
「あ~んそんな顔しないで、お姉さん泣いちゃう」
「いい歳して何がお姉さんだ」
「ま、冗談は置いといてあの娘、固定目標には凄くいい命中率出してるわね」
「ええ、彼女は凄腕ですよ。横須賀の精鋭に勝るとも劣らない気がします」
初風は足柄と目を合わせずに応じる。足柄はそんな彼女の態度を気にせずに続けた。
「でもさ、敵はじっとしてる訳じゃないから動いてる的じゃなきゃ意味が無いよね。だからこれじゃ彼女の真価は分からない」
「ではどうすれば…」
「簡単な話よ」
足柄の次の言葉が気になり初風は待ちきれない面持ちで足柄を見る。天津風もつられて双眼鏡を下ろし足柄を見た。初風と天津風が息を飲み足柄の次の言葉を待つ。
「誰かが彼女の対戦相手になればいいの、十分間のポイント制マッチよ。もうすぐここへチャレンジャーがくる筈だけど、あっ、チャレンジャーは寧ろあの娘か。まあどっちでもいいわ」
ベンチで寝ている時津風の肩を優しく叩いて起こす。まだ眠かったのか目をこすりながら足柄へふくれっ面を向け不満を訴える。
「折角気持ちよく寝てたのに」
「おねんねなら夜でも出来るでしょ」
悪戯っぽい笑みを浮かべ人差し指で時津風の頬をつつく。
「今からあの娘が飢えた狼なのか単なる射撃の上手い飼い犬なのかが分かるのよ。一緒に戦う仲間の実力は把握しておいた方がいいんじゃない?」
♢♢♢♢
髪をなびかせて海上を航行しながら綾波は対戦相手へと思いを馳せていた。
今朝入りたて、しかも病み上がりの新人が綾波の知る限り佐世保の『ライバル』しかなし得てない偉業をなし得たと足柄から通信があった。この報告に彼女は件の新入りに対する興味が一層湧いた。
艦娘の能力は多少の個体差はあれども前世たる艦の性能や活躍に起因する。それは綾波も例外では無く第三次ソロモン海海戦における獅子奮迅の活躍は艦娘である彼女に火力と戦闘でのセンスという形で反映されている。
この能力を以って彼女は呉鎮守府の中で駆逐艦としては最高クラスの戦績を叩き出し主力艦隊の護衛等の大役を幾度もこなしてきた。
提督から見せられた資料を思い出す、辺境の泊地からやって来た陽炎型八番艦、雪風。確かに雪風もWW2を生き延びた経歴を運や回避能力の高さとして反映された強力な艦娘だ。
そうだとしても彼女が叩き出した戦果は綾波にとって最初は眉唾物として捉えられた。自軍の三、四倍に近い数をたった一人でどうにかできる訳がないのだ。だがこうも実演されては説得力があるという物だ。
「まあいいでしょう…戦いで見極めれば分かる事ですから」
両手に持った連装砲の安全装置を解除しコッキングレバー同士を引っ掛けて初弾を薬室に装填、戦闘に備えた。対水上電探に従い艦娘との距離を縮める。
雪風の姿が見えた。綾波がまず始めに感じたのは虚無だった。実体が有るのに触れる事の出来ない雰囲気が雪風の全身から漂っている。風が吹けば今にも崩れ消えてしまいそうな雰囲気だ。気が付いていないのか彼女は綾波に背を向けているのにも関わらず綾波には砲から放たれた砲弾が背中に命中しペイント痕を残すビジョンがどうしても浮かばなかった。
だが躊躇っている暇は無い、両手の連装砲を構え雪風の背中へと照準、引鉄に指をかける。指に力を込めた途端、唐突に雪風が綾波の方へと振り返り連装高角砲を向ける、一瞬互いの眼と眼が合う。今まで見た事の無い一切の光を感じられない黒く濁った眼が綾波を捉えていた。綾波が引鉄を引く前に彼女の連装高角砲が轟く、一拍遅れて綾波の連装砲二門も砲声を放った。
二人の間の空間で砲弾が交差しそれぞれの背後に水柱を作る。訓練弾とあって水柱のサイズは実弾のソレよりもやや小さく色がついていた。雪風の背後に四つ、綾波の背後に二つだ。
水柱ができた瞬間、二人はほぼ同時に動いた。互いの正面へと急加速し派手に波をあげる、衝突コースへとまっしぐらだ。
だがこれは綾波の、そして雪風の作戦でもあった。艦娘同士の衝突事故は実際の船舶の衝突事故同様どちらか、あるいは両方に深刻な損傷を与え場合によっては死亡するケースすらあり得る。だからこそ艦娘は衝突を避けようとする、それを利用し敢て正面からの衝突コースへと加速したのだ。もし相手が先んじて回避行動をすれば背後をとる絶好のチャンスが訪れる。
綾波も雪風も衝突コースから外れる事無く突っ込んでいく。航跡に沿って立つ波は一際大きくなった、二人のチキンレースは誰にも止められない。
綾波はこの時雪風の表情を確認した、濁り切った眼同様一切の感情を表していない文字通りの無表情だった。ポーカーフェイスかそれとも本当に恐怖を感じていないのかの判別はつかなかったが綾波にとってそれは不気味なものとして捉えられた。
彼我の距離がどんどん縮まるも二人は舵を変える気配は毛頭ない、この時点で舵を切れば敗北が半ば確定した様なものだ。手を伸ばせば届く距離にまで接近する。
とうとう衝突まであと少しといった所で綾波と雪風の両方が舵を切る、少し離れて仕切り直し互いの方へ向き直ると再び砲声が轟いた。
今度は互いに回避行動をしながらの砲撃戦だ、マズルフラッシュが煌めく度に二人の周囲、若しくは見当違いの位置に色付きの水柱が乱立する。
互いに推力の緩急やフェイントを交えた回避行動を駆使した事も有り両者とも命中弾を出せずにいた。綾波も雪風も砲撃戦には絶対の自信があったが同時に回避にも自信があった。お互いの実力が拮抗している結果どちらにも命中弾が出せていない。
砲撃に次ぐ砲撃の応酬で砲弾だけが消費されていく状況を打破すべく綾波は再び雪風へと接近を試みる。機関の駆動音と共に綾波の体が前へと押し出される。雪風も綾波へと再び加速する。
今度は先程よりも更に近く、それこそ息がかかるぐらいにまで接近した。闘志でぎらつかせた瞳が雪風の姿を鏡となって映す。雪風の瞳にも綾波の鬼気迫る表情が映る。
ほぼ同時に砲を構え引鉄を引く、至近距離で放たれた砲弾は違わず互いの胸部に着弾した。被弾衝撃を踏ん張ってしのぐ、痛みで顔を歪ませるも歯を食いしばって耐える。
雪風の胸に赤いペイント痕が四つ出来ているのを綾波は確認した。一回の砲撃で高い火力が出せるのも二丁持ちの利点だ。自分に付けられた青いペイント痕は二つ、現時点では綾波の方が得点をリードしている。
前進し砲撃を再開、このまま逃げに徹して時間切れを狙うのも手だが綾波自身のプライドがそれを許さなかった。ソロモン海海戦で華々しく戦い散った彼女に退却の文字は無かった。雪風へと更に苛烈な砲撃を与え続ける。確かに雪風の回避は上手いと綾波は思うがそれでもいつまでも続けられる様な物では無い。いずれ疲労により回避もおぼつかなくなる筈だと踏んだのだ。
不利を悟ったのか体勢を立て直そうと後退しつつ牽制の砲撃をする雪風へ追撃を開始。右へ左へとジグザグに逃げる雪風を左腕の連装砲での制圧射撃で回避を妨害し、右腕の連装砲で狙い撃ちせんとする。それでも命中弾を出せていない。相手から放たれた砲弾が顔のすぐ横を掠めるのも気にせずに綾波は引鉄を引き続ける。
「成る程、回避は得意なのですね、だがそれだけでは勝てませんよ」
今まで無表情だった雪風にやっと感情が浮かんだ、今にも泣きそうな程歪ませていた。それでも今の綾波は仮に雪風が投降したとしても攻撃を止めないつもりでいた。彼女は普段は大人しい艦娘だが戦闘になると敵を跡形も無く殲滅せんとする程に凶暴な性格になる二面性を持ち合わせている。最もその凶暴さこそが彼女を呉最強の駆逐艦へと仕立て上げた原因でもあるのだが。赤い水柱が彼女の内面を象徴するかの如く雪風の周囲に立ち並んだ。
砲撃の雨に気が散ったのか雪風からの反撃がまばらになり砲撃の精細さも欠けてきた。これを好機と取った綾波は更に距離を詰め確実に止めを刺さんとする。加速して逃げる雪風に数多の敵を葬り去った黒豹の爪牙が雪風へと振り下ろされようとしていた。
♢♢♢♢
何故こんな事になったのだろうと雪風は砲弾の雨霰の中で思考を巡らせていた。提督からは単なる射撃演習だと伝えられたのにいきなり艦娘同士のタイマンをやらされ挙句の果てには砲弾の雨にこの身を晒される羽目になってしまった。
本音を言えば射撃演習すら雪風はしたく無かった。今日一日は自室に籠って初霜の妄想の続きを思い浮かべながら自慰をしていたかったのだ。とっとと終わらせたくても相手は雪風が今まで交戦した駆逐艦の中で一番強いと思える実力が有る。
砲口を向けられた気配を感じ雪風は横へ上体を逸らす、数秒前に雪風の頭があった位置を砲弾が通り過ぎ嫌な風が頬に触れる。砲を構え反撃するも絶え間ない砲撃でマトモに照準出来る隙が無い。カンで一発一発砲撃するもどれも綾波の脇を通り過ぎ背後に青い水柱が立つだけだ。
距離を離そうと機関の出力を上昇させる。駆動音が響き雪風の足元から沸き立つ波も一層大きくなった。彼我の距離が離れ余裕が出来たと思ったのもつかの間、相手も雪風の加速を察すると機関出力を上げて追いかけてくる。
右肩に衝撃と鈍い痛みが走る、被弾したのだ。塗料により右肩が真っ赤に染まる。その場で舌打ち、逃げるのも叶わぬと悟り八方塞がりになった雪風の中で何かが囁いた。
──逃げてばっかりで勝てると思ってるの?──
──お前が逃げてばっかりだからみんな死んだんだよ──
──初霜なんか可哀想だよね、お前があんな啖呵切ったばっかりに信用しちゃってさ。それであんな無残な最期になっちゃったんだよ──
自分と同じ声の『何か』が雪風に語りかける。虫唾が走る感覚に不快感を覚え下唇を噛む。
──まあ、臆病者じゃ誰も守れやしない、自分の身すらね──
「…う…」
──現にほら今だって反撃出来てないじゃん、当たったはたったの二発だけってそんな実力でよくもまああんな事を言えたもんだね──
「…ちがう…」
──初霜にとっての英雄にでもなりたかったの?でもね、英雄ってのはさぁ、英雄になろうとした瞬間に失格なのよ。お前、いきなりアウトってわけ──
「違う!」
自分の中の『何か』に対し雪風は逆上する。叩きつけるような叫び声で雪風は言葉を発した。
「英雄になんてなれなくてもいいんです!雪風はただ仲間に…初霜に生きて欲しかっただけなんです!」
叶えられなかった願いを吐露する。彼女の最期を思い出す度に心にヒビが入ったみたいな痛みが走る。それを知ってか知らずか『何か』は楽しそうに挑発した。
──へぇ、だったらここで証明してよ、今のお前にそれを為せるだけの実力が今のお前にあるのかさ──
「いいでしょう、そこまで言うならやってやりますよ!」
迫りくる綾波を見据え砲を構える。砲弾の嵐も更に激しくなるがそれでも雪風はひるまず冷静に避ける。ウォッチメンのロールシャッハみたいに一片の慈悲も見せず彼女を完膚無きまで叩きのめしてやろう、決意が雪風の中を逡巡する。
自分の誇りにかけて、己を奮い立たせる。ここで負ければただの疫病神だと自身に言い聞かせた。
機関出力を最大にまで上げる、綾波を見据える眼には覚悟の光が宿っていた──彼女自身の心に走ったヒビからおぞましいモノが漏れ出したとも知らずに。
♢♢♢♢
纏う雰囲気が変わったと綾波は感じた。先程までの虚無感とは打って変わって今度は強烈なプレッシャーを孕んだ闘志と殺意が綾波を襲う。言うなれば伝承で語られる巨大な竜と対峙した様な気分だ。今までに感じたプレッシャーとは異質な感覚、齧歯類を想起させる一見可愛いらしい外見とは裏腹の凶悪な存在感を周囲に撒き散らしている。
だが綾波は臆する事無く攻撃を続行、相手が強力であればある程心の内が燃え上がりわくわくする。テンションに比例して砲弾の雨霰を絶え間なく雪風へと降らし続けるも雪風のエッジの効いた機動によって全弾回避された。
相手が持つ連装高角砲からマズルフラッシュが煌めいた。同時に右脇腹を衝撃と鈍痛を感じたが彼女は無視し攻撃を続行する。
不意に防戦一方だった筈の雪風が彼女の方へと加速しだした、起死回生を狙い接近して砲撃するつもりなのだろうと踏んだ彼女は付き合う事にした。機関出力を最大にして雪風へ突っ込む。風が顔へと叩きつけられ、ポニーテールが吹き流しよろしくはためいた。
三度目の接近、今度はお互い出力を最大にしているが故に二人の間が縮まるのは一瞬だった。互の背後に遠くからも分かる程の波の尾が引かれた。
目と鼻の先にまで近づき綾波が砲の引金を引いた瞬間、雪風が突然ブレーキをかけたかと思うと右脚を軸に回転しドリフト、砲弾を躱す。ドリフトによってできた波のカーテンが二人を隠した。
「…ッ!」
雪風の意図を察した綾波も急停止するが間に合わない、雪風が慣性を利用し彼女の側面から抜け背後へと回り込んだ。
背後から幾度の衝撃、艤装越しの為痛みは感じないが撃たれているのは確実だ。砲撃が止んだ一瞬を利用し反撃の為その場で反転、雪風の方へと向き直る。
だが雪風は綾波の文字通り手が届く距離にまで接近していた。綾波の照準が定まる前に雪風が彼女の懐へと潜り込み左腕と胸倉を掴み、引き寄せる。同時に彼女の脚に何かが絡みつく、雪風の脚だった。雪風が脚に力を込めた途端、綾波の脚が刈り取られ宙に浮き海面へと仰向けに叩きつけられた。
後頭部を思いっきり叩かれた様な衝撃が襲い意識が飛びそうになるが何とか耐え抜く。だが彼女が起き上がるより先に雪風が彼女へ馬乗りになった。艤装の重みも合わさり彼女がマウントポジションを取られた状態から抜け出すのは不可能だった。雪風が獲物を目の前にした肉食獣よりもおぞましい殺意に彩られつつも穏やかさをも醸し出す貌で彼女を見下ろす。胸倉に連装高角砲の砲口が付きつけられた。
いつ以来であろうかと綾波は思い返す、ここまで自分を追い詰め恐怖を抱かせる様な相手に出会ったのは。怖れを抱いているのを悟られぬ様ポーカーフェイスで感情を隠しているが首筋を冷や汗が伝うのは止まらなかった。
雪風の連装砲が火を噴いた、ゼロ距離での砲撃を受け今までとは比べ物にならない衝撃が綾波の肺から酸素を吐き出させ意識を揺さぶる。まだ発砲は続く。薄れゆく意識の中で彼女は交戦して恐怖を覚えた一人の駆逐艦を思い出した、佐世保にいるライバルであるボーイッシュな風貌をした中型犬を彷彿とさせる艦娘──時雨だった。そして雪風と時雨、この二人の共通点を彼女は見出した。
「そうか…あの娘も…この娘も…」
足柄の演習中止命令と雪風の連装高角砲から放たれる耳を聾する砲声を同時に聞きながら綾波は意識を手放した。
♢♢♢♢
「やっと雪風ちゃんが攻撃を止めたわね、まさかあんなにアグレッシブな戦いを見せてくれるとは驚いたわ、あの劣勢からの反撃は惚れ惚れしちゃうわ」
雪風が攻撃を中止したのを足柄は事前に飛ばした偵察機で確認した。足柄の横にいる初風と天津風は新入りが呉最強の駆逐艦娘を完膚無きまで叩きのめしたという事実に呆然とし言葉を完全に失っていた。
「これなら戦力としては問題ないわね、ほら貴女達も何か言いなさいよ」
「いえ、彼女の立ち回りが凄くてどう言えばいいのか分かりません」
「私も同意見です…」
気持ちは分からなくも無いが艦娘として戦法を分析、評価する術も身に付けて欲しいと足柄は二人に対して率直な感想を抱いた。他人の優れた戦法を身に付ける術があればこれからの戦闘を優位に進められる筈なのだからだ。
「あらそうつまらないわねぇ、じゃあ時津風はどう思ったのかしら」
三人が時津風の方を向くと彼女は蒼ざめた顔を更に剥き出しの恐怖で彩っていた。小刻みに震えて眼を両手で覆い涙をこらえる。
「…じゃないよ…」
小声でぼそぼそと呟いていた彼女の言葉が次第に彼女を心配そうに見つめる三人にも聞こえるほどのボリュームに成長する。声色には彼女の恐怖と困惑が織り交ぜられていた。
「こんなの雪風じゃないよ!ここまで追い詰める戦い方をするなんて絶対おかしいよ!」