Chaos Bringer   作:烏賊墨

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次話はpixivに最新話を投稿してからと言ったな、アレは嘘だ


#4

灰色の世界だ。

 

雪風は灰色の世界にいた。雪風自身も灰色だった。

 

空も海も陸地も自分も、全てが灰色だった。灰色の海は波が無く、水面は灰色の澱で底が見えない。

 

振り返ると灰色の街がこれまた灰色の炎に包まれて燃えている。ただこんなにも燃えているのに熱らしきものは一切感じられない。空には数多の爆撃機が街を空爆しているが聞こえて然るべきの爆発音も爆風も雪風には届いて来ない。

 

灰色の砂浜を雪風は歩く。雪風はどうしても海に出ようとは思えなかった。どこまでも広がる灰色の砂浜を雪風は進む、目的も無く進む。風が雪風の頬を撫でる。冷たくも暖かくも無い風だった。

 

初霜がいた、灰色の初霜がそこにいた。初霜には頭が無く、首の断面からはやはり灰色の血がポタポタと垂れ落ち砂浜に灰色の染みを作っていた。頭の無い筈の初霜から何やら歌が聞こえて来た。

 

「I make it like kick it in a day. You can make someone feel better. To be breeze of dust in the air. Ready after take a long breath…」

 

「Ah…I feel…Ah…I feel…」

 

「I can down fall someone in the hell. Still like dust from kick and keep.To be the soft dust in the cloud. This is fun way, I think so…」

 

「Let it go around the cosmos! Over the pain! Ah…Ah…! Let it go around the cosmos! Over the pain! Ah…Ah…!」

 

雪風の知らぬ歌を初霜が歌う。だが聴き覚えも確かにあった。もしかしたら何処かで聴いたのかもしれないが印象が薄く忘れただけなのかもしれない。

 

「初霜さん、ここは何処ですか?」

 

雪風は歌う初霜に恐る恐る尋ねた。若しかしたら彼女は初霜等では無く雪風を冥府へと誘いに来た首なし騎士なのかも知れないなと雪風は思った。

 

初霜は歌をやめると何も応えず雪風に微笑むと海を指した。首が無いのに何故か微笑んでいる気がしたのだ。

 

海には艦娘達が何処から河となって流れている。駆逐艦、巡洋艦、空母、戦艦、潜水艦、種類は様々であったがどれも形がマトモに保たれてはいなかった。腹から飛び出る腸をあやとりみたいにして遊ぶ駆逐艦娘がいれば、初霜みたいに頭が欠けた空母艦娘もいた、脚が無く海面を這いつくばる艦娘もいた。だが誰もが笑顔を浮かべているのは一緒だった。

 

行列に目を凝らすと見慣れた顔があった。胸に大穴が空いた曙、頭が半分欠けた電、脇腹が噛み切られた望月、脚が無くなった初春、上半身が丸々焦げた天龍。

 

雪風は死者のパレードに何の嫌悪感を抱かなかった。寧ろ心地良いとすら思えた。ここに自身が加われたらどれ程素晴らしいだろうと雪風は夢想する。

 

「雪風さん、私達も行きましょう」

 

初霜が雪風の右手を引いて死者のパレードへと駆けていく。

 

雪風も初霜に合わせて走るが突如右腕の肘から先が千切れ、同時に両足から力が抜けてその場に伏した。

 

「Let it go around the cosmos! Over the pain! Ah…Ah…! Let it go around the cosmos! Over the pain! Ah…Ah…!」

 

雪風の腕が千切れたのに気づかない初霜は歌いながら駆け足でパレードへと向かっていく。

 

雪風が左腕と両足で立ち上がろうとしたら上から凄い力で押さえつけられた。地面に叩きつけられ顔が砂で汚れる。後ろから声がした。

 

「私がお前の望み通りになるのを見逃すとでも思ったか?」

 

何とか首を動かして後ろを見る。唯一色を持つキマイラが憎たらしい程に笑っていた。

 

♢♢♢♢

 

「ああッ!」

 

布団を跳ねのけ悪夢から現世へと雪風は帰還した。帰還して早々、雪風は困惑した。雪風がいる場所はロケット基地周辺海域では無く、どこかの病院の一室と思わしき場所だった。そこで働いていると思わしき白衣を着用したスタッフ達が明らかに日本人では無いのが雪風を更に混乱させる。雪風自身も頭に巻かれている包帯等誰かに手当を受けさせられた形跡があり、日頃着慣れている軍装からパジャマに似た服装に着替えさせられていた。大切に身に付けているipodも無い。パジャマの背中部分が汗でしっとりと濡れている。恐らくあの夢のせいだろう。ベッドの横には雪風のバイタルサインをモニターする機器が幾つも有り、それらが雪風に繋がれたケーブルを通して彼女自身の体調を表す数値を克明に表している。

 

雪風は記憶の糸を辿る、一体何者がいつどのタイミングで何処へ連れて来たのだろうか。宇宙センター防衛に駆り出されて深海凄艦と交戦して初霜を殺されてそして…。

 

「ああ、空爆を受けて気を失ったのか」

 

恐らくその時に言い方が悪いが連れ去られたのだろう。スタッフ達の人種や彼彼女らが会話で使っている言語から考えるに恐らくアメリカ人だと推定した。良く耳を澄ませば医療機器の音に混じって船の推進機と思しき音も聞こえて来る。

 

これらの分かり得る事実を踏まえてここは米海軍若しくは米海兵隊の艦船の中だろうと一応の結論付けた。だがまだ確証が持てた訳では無い。

 

雪風にとって丁度いいタイミングで白衣を着たスタッフが入ってきた。妙齢の白人女性だった。金色の長髪をシニヨンで後ろに纏めている。

 

「あら、意識が戻ったみたいね」

 

彼女は日本語でそう言った。

 

「別に英語でも大丈夫ですよ、雪風は英語を話せますから。それよりも貴女は誰でここは何処ですか?」

「私はジェシカ・ロジャース、ジェシーって呼んでいいわ。この艦内に常駐する艦娘のメディカルチェックチームのチーフよ。そしてここは空母ロナルド・レーガン内の艦娘用の医療区画よ」

「医療区画…ですか…」

 

隣のベッドを見ると確かに雪風と同じくらいの背丈の艦娘と思わしき白人少女が包帯グルグル巻きにされて寝ていた。その米海軍所属の艦娘は見るからに苦しそうであった。ここで雪風は有る疑問が思い浮かぶ。

 

「高速修復材は使わないのですか?これさえ使えば艦娘であればどんな外傷や内傷でもすぐに完治しますよ。こんな普通の人間にするみたいな治療をしなくてもいいのに」

 

ジェシカは雪風の問いに対し「貴女は何も分かっていないわね」とでも言いたげな顔でこう返した。

 

「そうしたいのは山々だけど普通の空母に艦娘用の設備を無理矢理取り付けた様なものだから高速修復材を入れるのに必要な入渠施設みたいな大掛かりなのは用意出来なかったのよ、JASDFが運用するみたいな艦娘母艦とは違ってね。ここじゃ艤装修復用の整備工場が関の山って所かしら」

「そうでしたか、考えも無しに不躾な事言ってすみませんでした」

 

そう言いつつもかつて体験した艦娘母艦の入渠施設がアレでもマトモな部類だと知りゾッとした。真空パックに生きたまま詰められる感覚は誰しも一度味わったら二度と味わう気にはなれないだろう。そう思うと時間はかかるとはいえそれなりに気持ちの良いベッドを苦しい中でも味わえる米海軍の艦娘を少し羨ましくも思える。

 

「いえ気にする必要は無いわ、あとそのうちJASDF側から貴女への処遇が決定しだいこっちに知らせが届くだろうからそれまでここで休んでなさい。暇になったら壁にあるコールボタンを押して私達スタッフを呼び出せば、きっと暇つぶしにぴったりの道具をくれる筈よ。それじゃあ暫くの間、宜しく頼むわね」

 

ジェシカが柔和な笑顔で右手を差し出してきたので雪風は警戒しつつも右手を出し、握手をした。暖かな、それでいて力がこもった手だった。伊達に幾人もの艦娘の命を救っている訳では無いのだろう。

 

「それじゃあね」

 

ジェシカが笑顔で手を振りつつ仕事へと戻ろうとした瞬間、雪風が呼び止めた。

 

「待ってください!」

「どうしたのいきなり?」

「質問が有ります」

 

一抹の希望を胸に抱きながら雪風は言う。

 

「雪風以外の…生存者はいましたか?」

 

雪風は今回の出来事を共有できる相手が欲しかった。この惨劇で負った心身の傷を互いで舐めあえる相手が欲しかった。そうすればたとえそれが仮初で有っても初霜の喪失にも耐えられる気がしたからだ。

 

ジェシカはわざと雪風から顔を逸らし、思いつめた表情をした。この時点で答えを言ったものだな、と雪風は思った。

 

「残念だけど…貴女一人よ」

 

♢♢♢♢

 

ロナルド・レーガン内の大勢の士官達で賑わう食堂でコリンズとマクレーンが大人数用のテーブルを挟んで夕食を取っていた。トレーにはバイキング形式で取ったサラダやハム、パンが乗せられた皿が乗せられてあった。ドリンクはコリンズがオレンジジュース、マクレーンがコカ・コーラだ。

 

マクレーンはフォークを巧みに動かしサラダやハムを己の胃へと運搬し、皿を空にしていく。コリンズはマクレーンとは対照的に食事にはあまり手が付かず、さっきサラダを半分食べ終えたという有様だった。

 

「今日は食の進みが遅いな、さては海自の艦娘に恋したんだろ、コリーのロリコン野郎め!」

「んな訳ねーだろ、俺はガキに恋愛感情を抱く趣味は生憎持ち合わせていないぜ」

「嘘付け、お前が離婚したカミさんを好きになった時にも同じ顔してたぞ、酒やメシに手が付かない所もそっくりだ」

「テメッ、おいマック、俺がベッドに隠してあるポルノコレクションを見ても同じ事が言えるだろうな」

「どうかな、男は潜在的にロリコンって話もあるしな、案外分からないぜ」

「だったらお前もロリコンじゃねえか!」

「違いないな、HAHAHAHAHAHAHAHAHAHA!」

 

だがコリンズの食事を滞らせている原因が救助した海自の艦娘にあるのは確かだった。恋愛感情では無いが彼女に興味が有るのは嘘では無い。彼女を見つけた時に感じた儚げな、触れてしまえば壊れてしまう様な雰囲気が彼の心にまとわりついているのだ。

 

それと彼には彼女へ聴きたい疑問が胸に残り続けていた。お前は生き残れて本当によかったのか、本当は仲間と一緒に死にたかったのではないのか、と。他にも彼は彼女へと問いたい疑問が幾つか存在した。

 

サラダに飽きたので今度はマーマレードをたっぷり塗りたぐったパンに手を付け、齧る。コリンズ好みの甘酸っぱい味が今日はやけに薄く感じる。やはりあの艦娘に気持ちが寄り過ぎているせいだろう。

 

掻き込む様にパンを平らげるとコリンズはいきなり席を立った。

 

「悪いなマック、今日は腹がそんなに減ってないらしい、先に戻ってる」

「そうか、んじゃお前の残したのは俺が食って構わねぇか?」

「構わないがヘリに乗ったら重量オーバーって言うのは勘弁だぜ」

 

ジョークをマクレーンにぶつけてからコリンズは食堂を後にする。向かった先は自室では無く、艦娘用医療区画であった。

 

医療区画に辿り着いた彼は区画内には入らず、ガラス張りになった壁越しに件の艦娘を観察した。病んだ目つきが彼女の危うさをより一層濃くしていた。彼女から漂う何とも言い難い不気味さがガラス越しにコリンズに冷や汗をかかせる。

 

彼女は光の無い目でスタッフから渡されたと思わしきグラフィックノベルを読んでいた。当たり前だが全部英語で書かれてあるグラフィックノベルのページを飛ばし飛ばしでは無くそれなりにじっくり読み込んでいるので若しかしたら英語を話せるのではないだろうかと勝手に推測した。

 

「どうなさいましたか?」

 

男性スタッフがコリンズを不審に思ったのか声をかけて来た。コリンズは男性スタッフの方へと向き直り、平生の調子で応じる。

 

「ああ、救助した海自の艦娘が気になってね。出来れば彼女と少し会話したいのだが大丈夫かな?面会謝絶とかは?」

「特に有りませんので大丈夫です。一応白衣とマスクを用意しますので少々お待ち下さい」

 

スタッフが用意した使い捨ての白衣とマスクを手渡されると、コリンズは手際よくこれらを着用し、スタッフに案内されて医療区画の中へと立ち入った。消毒薬の不快な臭いがコリンズの鼻を突く。

 

コリンズは改めて艦娘と対峙した。見た目は齧歯類に似て可愛らしいが光が消え失せ濁った眼と、それにより醸し出される彼女を纏う濃厚な死の気配が見事に打ち消している。

 

彼はその時背筋の震えすら感じたが今まで掻い潜った修羅場の数々を思い出して無理矢理落ち着かせた。何てことは無い、こんなのは敵の勢力圏内で艦娘を救助するよりは楽勝じゃないか。

 

心を落ち着かせ彼はベッドの横に有るパイプ椅子に腰掛けた。艦娘はグラフィックノベルに夢中で気付いて無いのかはたまた彼を無視しているのか、彼の方を向こうとはしない。

 

「ユキカゼ、だったな?読書をお楽しみの所失礼するが少し時間をくれるかな?」

「誰ですか貴方は?ここのスタッフではなさそうですけど」

 

艦娘は敵意と不信を含んだ視線をコリンズに向けて来た。読書を邪魔されたのか余程不機嫌になっているらしい。彼女が読んでいたグラフィックノベルをよく見るとウォッチメンだった。読書を中断されて不機嫌になるのにも少々納得がいった。

 

「ジョージ・コリンズ、米海軍所属の軍曹だ。主任務は戦闘捜索救難、君を救助したのも、その一環だ」

「何故米海軍が海自所属の艦娘を…」

「本来は君の所の指揮官がその手の指示を出す筈だったのだが、生憎そいつが自殺して指揮系統が混乱。そこで偶々任務中で近隣海域を通りかかっていたこの空母にいる俺達が救助を担当するって事になった訳だ」

 

指揮官が自殺したといった瞬間に艦娘が一瞬ほくそ笑んだのを彼は見逃さなかった。コリンズは敢て気付いて無い振りをした。

 

「別にそんな事は問題じゃない、俺らの任務は救助できる奴を救助する事だからな。相手がネイビーだろうが海自だろうが民間人だろうが関係ない。俺が気になるのはそんな事じゃない」

 

そろそろ本題に切り出すべきだろうとコリンズは思ったが、流石にいきなり「死にたかったのか?」と問うのは躊躇われたので別の疑問から繰り出す事にした。

 

「あの惨状でお前はどうやって生き残ったんだ?」

「どうやって…っていわれても雪風もその時は敵を倒すのと生き残るのに必死で断片的な事しか覚えてません」

 

目を見れば彼女が嘘を吐いてないのは分かった。彼自身も任務が過酷を極めた場合は断片的な、印象の強い部分しか思い出せない事がままあるからだ。それは自身の戦力ではどうにもならない敵に遭遇するとか、隣で戦友が攻撃を喰らって死亡するといった出来事だ。

 

「それなら覚えている範囲で構わない、俺がお前の話を整理して考える」

「わかりました…」

 

艦娘が語り出す。

 

「あの戦闘で私達は自軍の三倍近くの戦力差を持つ敵に囲まれていました。その中で雪風と雪風の親友は包囲網の中で抜け穴を探しつつ敵戦力を削っていました。ですがそのさなかに親友が戦死しました…」

 

振り出す話題を間違えたか、とコリンズは内心毒づいた。幾ら他人事とはいえ友人が戦死した話を聴くのは辛いものがあった。声のトーンや表情から滲み出る落ち込み様から余程親しい仲であったのが伺い知れた。

 

艦娘は更に続ける。

 

「親友の生首を見て先ず悔恨の念が雪風の胸を支配しました。出撃前にあれだけ守ると約束しておきながら守れ無かったんですよ…無様なもんでしょ…?それでこれでもかと泣いて涙を切らしてから何故か敵に対する甘酸っぱい『殺意』で頭がいっぱいになったんです。そこから先は空爆を受けた事以外は良く覚えていません。ただその時頭が飛びそうな程最高に絶頂を感じたというのは強く残っています」

「絶頂…か」

 

絶頂と聞いてコリンズは一瞬引いたがすぐに平生の調子に戻した。相手にこれ以上不信感を抱かせる態度をとるわけにはいかない。

 

「はい、初めてのセックスよりも凄かったです…あっ、その相手というのは男性では無くて…恥ずかしながら同じ艦娘同士なんです」

「そうか…」

 

彼自身同性婚が認められている州出身というのもあり同性愛者に偏見を抱く様な人間では無く、艦内で艦娘同士がキスしている所を幾度か目撃した事実もありセックスした事実に関しては特に気にしなかった。どの艦娘としたのかには興味が無いと言えば嘘になるが流石にそれを聴くのは憚られた。

 

「その相手が戦死した友人でした」

 

彼女はコリンズの内心を知ってか知らずか、自分から答えた。これは厄介なパターンだな、と彼は心の内で呟いた。

 

「だからこそ…彼女の不在という事実に自分が押しつぶされそうになるんです、もう会えない彼女に対する思いが、募っていくんです…コリンズ軍曹、貴方も誰か親しい仲間を失った経験はありますか?」

 

艦娘の方からコリンズへと質問が投げかけられる。

 

「…何度も有る」

「それは乗り越えられるものですか?」

 

彼女の、最適解の無い問いにどう答えるべきかコリンズは頭を悩ませた。この何パターンもの答えがある問いに対し安易でありきたりな答えを出すべきではないのは分かっていた。

 

「俺『は』乗り越えらえた。だが乗り越えられない奴も勿論いる、酒で水に流せる奴はまだラッキーだ。だが親友の死に目を何度も、夢に出る位見続けて除隊した仲間を俺は何人も知っている。除隊した後も悪夢に纏わりつかれたせいでドラッグや犯罪に手を出してムショ入りした仲間もな」

 

結局彼は自身が知り得る限りのパターンを全て言う事にした。適当にはぐらかしても、彼女の為にはならない。

 

彼女はコリンズの言葉を一言一句飲み込もうとしていた。眼差しも曇ったままだが先程よりは幾分かは晴れて来てはいた。

 

「助かったって言うのにシケた話して悪かったな。あと、お前の忘れ物だ」

 

ポケットから特注品のipodを出すと彼女の目の前にそっと置いた。あの海岸でコリンズが拾ったものだ。イヤホンは損傷していたので空母内の売店で買った新品を代わりに差し込んである。置かれた途端彼女の目に光が戻り、宝物でも扱う様な手つきでipodを手に取った。目は口程に物を言うとはこの事か、とコリンズは納得した。

 

「それじゃあ俺は戻るぜ、悪かったな調子良くない時に邪魔して」

 

艦娘へと軽く会釈してから席を立つ。医療区画を出て白衣とマスクを回収ボックスへと投げ込むと、自室へと戻っていった。

 

結局一番の疑問については彼女に問わなかった、問う必要も無かった。彼女の目が、自ずとコリンズの胸に抱く疑問に対する答えを投げかけていた。

 

♢♢♢♢

 

失くしたipodが戻ってきた点で言えばコリンズがここに来たのは雪風にとっては嬉しい誤算であった。ここの医療スタッフは雪風の精神的に抱えている傷についてはまだ把握はしていないだろうからいつも服用している薬が出される事は無いだろうし、それ故に悪夢や幻覚、幻聴に遭遇した際に彼女の精神が耐えられる自信が無かった。

 

あのコリンズという軍曹が購入したものと思しきピンクの子馬のキャラクターがプリントされたイヤホンも一緒についていた。彼女としてはこんな子供向けデザインでは無くスタイリッシュな形状のイヤホンが良かったのだが、彼が雪風の趣味嗜好を知るわけが無いので責めるのは酷な話だと思うに至った。

 

イヤホンを耳に刺す。予想以上に耳の穴にフィットした、これで音質が良ければ文句は無いのだが。

 

Ipodの電源を入れる。見慣れたホーム画面が程無くして表示された。ミュージックのアイコンを押し、アルバムリストを出す。雪風お気に入りのMaroon 5のアルバムをタップ、そこから適当な曲を選択する。

 

前奏が流れて来た、音質は中々悪くないみたいだ。

 

On and on in my room I think of you and the rain if it is truly alarming──

And I can remember my memories of you in my head I can tell that you want me──

 

アダム・レーヴィンの歌声に流れた歌詞を噛みしめながら雪風は初霜を想った。二人で過ごしたあの甘くもほろ苦く、そして熱い一夜以降、雪風にとって初霜は友人以上に己の心を占める存在に昇華していた。故にあの戦闘での不本意な別離は雪風にとっては受け入れ難かった。初霜の喪失、それは今の雪風にとってすれば自身の体の一部を喪失するのに等しい。

 

「初霜…」

 

恐ろしいと思う位に雪風は初霜との思い出をこじ開け、追体験しようとする。そうする度に、己の心が抉られ、涙で布団を濡らし染みを造ると知りながらも。

 

And I fall asleep and dream of alternate realities──

And I put myself at ease my pain telling when she still loves me──

 

 

雪風の上に、初霜がいた。それは思い出が造り出した幻覚だった。雪風はそれを分かっていたが、例えそれが己の脳内妄想の産物だとしても彼女の姿を観られるならばそれでも良かった。初霜が抱擁を求め雪風へと手を伸ばす。雪風は初霜に応じて彼女を抱いた。体温は、感じられた。

 

「初霜…」

 

頬を摺り寄せ、肌の感触を確かめる。幻覚だと分かっていながらもそうせずにはいられない。それ程までに初霜の存在は雪風の心を支配してしまっていたのだ。初霜が一層雪風を強く抱きしめた。雪風も応じて抱き返す、実体のない、空虚の存在に向かって。架空の熱量が雪風の芯を焦がす。

 

初霜が舌を突き出し雪風へとキスをせがむ。雪風は初霜の舌に己の舌を絡めると彼女の口内へと侵入させた。二人の唇が触れ合いそこから程よい快楽が伝わってくる。口腔内では互いの舌が交尾する蛞蝓の如く絡み合い、唾液を交換している。だが初霜へと流れて然るべき唾液は雪風の舌から布団へと垂れ落ちる。それでも雪風は荒い息遣いと共に空虚へと舌を伸ばす。

 

 

And I can't stop thinking about you──

And I can't stop thinking about you──

 

初霜の幻が、消えた。両腕が空を切り、雪風の上体が布団へとつんのめる。そのまま顔を布団へと埋めた。布団の縁を握る手には初霜を抱く為にあった力が込められている。

 

「初霜ぉ…」

 

幻影との蜜月は終わり、雪風はここに来て現実と向き合う事となる。初霜が死亡した事実と。双眸から涙が流れ落ち、雪風の頬と密着している布団を濡らす。押さえ込んでいた諸々の感情が嗚咽となって雪風の口から漏れ出す。雪風はなおも初霜の不在を受け入れるのを拒み続けた。

 

「初霜ぉ…初霜ぉ…!」

 

記憶が雪風の逃避をよそにフラッシュバックする、WW2での駆逐艦としての記憶と艦娘としての記憶が双方の初霜の最期を雪風に思い出させた。

 

You never go once without you like i do──

And I can't stop thinking about you──

 

狭い湾内で機雷に触れ大破した彼女とキマイラの艦載機によって体を吹っ飛ばされ首だけになった彼女、その姿が雪風の脳裏で交互に明滅する。

 

なおも抵抗しようと浅瀬へ乗り上げた駆逐艦初霜の姿と虚ろな目で雪風への不信を訴えた生首の艦娘初霜の姿がフラッシュバックした。

 

そして雪風は完全に理解する、彼女とは二度と会えぬ事を、彼女と二度と触れ合うのが叶わぬ事を。雪風の中で何かが崩れ落ちた。

 

「初霜ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!!!」

 

彼岸へと去った愛おしい者の名を彼女は叫ぶ。受け入れてしまったが故に今までの初霜との日々とこれからを支配するであろう不都合な事実とのギャップに胸を切り裂かれ、その度に彼女は慟哭した。大粒の涙が滝となり雪風の頬を伝う。それでいてなお初霜との思い出を思い出さずにはいられない、愛しすぎた代償だった。忘れるには、もう遅すぎる。呪縛といっても差し支えは無いだろう。

 

慟哭を聴いた医療スタッフが雪風の元へ駆け寄り大丈夫ですかと決まり文句を口にした。雪風は涙を流し真っ赤になった顔で大丈夫だとスタッフに伝えた。スタッフは会釈すると雪風の側を離れ自身の仕事に戻った。今はただ、一人になりたかった。

 

♢♢♢♢

 

呉鎮守府の司令室に初老の軍人と艦娘がいた。男はデスクに腰掛け書類を真剣な眼差しで読み込んでいる、書類はある艦娘のある作戦においての戦闘記録だ。書類を作成したのは艦娘だ、艦娘は男の言葉を待つ。

 

「この報告は確かな物なのかね、大淀君」

「はい、現地の調査班が漂着した彼女の艤装から回収した戦闘記録です。艤装の損壊状況から回収は絶望的でしたが何とかなりました、ガンカメラの映像がそのまま残っていたのは奇跡としか言い様がありません。更に戦闘海域で回収された不発弾に深海凄艦の艦載機が使用する爆弾サイズの誘導爆弾も回収されたので彼女が交戦したのは『リヴァイアサン』で間違いは無いでしょう」

「だとすれば驚嘆すべき事実が二つある、一つは駆逐艦単体で自分より格上の艦種で構成された部隊を相手取れる事、これはそれ程重要ではない。重要なのは彼女が『リヴァイアサン』と交戦して生還した事だ、しかも撤退したのは『リヴァイアサン』の方だ」

 

書類を机に置き、別の書類を手に取る。各鎮守府に回される『注意すべき深海凄艦個体』についての記録だ。付箋の貼ってあるページをめくる、戦艦レ級の指揮逸脱特殊個体についての特徴や彼女によって与えられた被害について仔細に記されていた。

 

リヴァイアサン、それが日米両軍が彼女に与えた識別コードだった。深海凄艦の指揮系統を逸脱しており捕捉が困難でありそれ故の神出鬼没、加えて単体で一個艦隊と張り合えるだけの戦闘能力を持ち合わせる恐るべき個体だ。これだけなら発見次第各鎮守府の主力級の艦隊で叩いてしまえば問題ないと思われるだろう。

 

だが彼女はそれを躊躇わせる特殊な力があった。彼女が扱う艦載機は──何処で仕入れたのかは不確かだが──WW2以降に製造された筈の現代兵器を運用する能力が備わっているのだ。リヴァイアサンについての情報がまだ不確かだった時期に別々の鎮守府の主力艦隊が合同で討伐作戦を行った。だが結果はリヴァイアサンの艦載機による防空網無力化、次いでの精密誘導爆撃により艦隊はその姿を捕捉できぬまま一方的に殲滅された。

 

ヨブ記に記された凶暴過ぎるが故に番の片割れを殺す羽目となった最強の海龍の名は彼女の特性を表すのにはこれ程の適役は無いだろう。

 

「最後に『リヴァイアサン』が出現したのが大西洋でのフランス海軍との交戦だったから油断していたな、警戒網をもっと強めねば」

「提督、その『リヴァイアサン』と単体で交戦し生還した彼女は一体何者なのでしょうか?」

「それを考えるのが君と私の仕事だろうに」

 

男は更に別の書類を手に取る、ある作戦で唯一生存した艦娘の建造から現在に至るまでの戦果や彼女自身の状態を綴った報告書だ。これも大淀が作成したものだ。

 

「××××泊地の工廠で建造、訓練課程をパスし実戦に参加。幾つかの作戦では駆逐艦とは思えない戦果を挙げているがその都度決まった様に多かれ少なかれ損傷艦かKIAが出ているな。ほう自戦力の四倍の相手に対し大立ち回りを成し遂げたのか、その時は…彼女以外全員か。この作戦以降精神的な異常を理由に輸送任務や護衛任務へと回された、と」

「そして今回の作戦で前線復帰、作戦行動中に侵入した『リヴァイアサン』と中破へと追い込みました。ですが味方は彼女以外全員死亡、彼女自身も少なからず負傷し現在米海軍が身柄を保護、治療に当たっています」

「米海軍?その時の作戦指揮官はどうした」

「自殺しました」

「自殺か、だがまあ好都合だ」

 

男は口だけで笑う。

 

「大淀君、報告書を作成した際、この艦娘をどう思った?」

「言い方は悪いですが死神の様だと私は思いました」

「死神…それは敵味方どちらにおいてだね?」

「両方です」

「私はこの艦娘がこの呉鎮守府の戦力増強において必要だと考えている」

 

大淀の表情が一瞬強張る。無理もない、彼女が戦果を挙げれば最悪誰かが死ぬのだ。男は大淀の表情の変化を見逃さなかった。

 

「君の心配も分かる。だが彼女は艦娘だ、艦娘なら適切な作戦で適切に扱えば味方の被害を抑えつつ戦力以上の戦果を挙げる事も可能な筈だ」

「それでも損害が出た時は…!」

「大淀君、ここは戦場だ。どんなに無事を願っても戦死者は何処かで必ず出る」

 

男は書類を机に置くと、煙草をポケットから取り出してライターで火を点けた。紫煙が二人の間で揺らぐ。

 

「ましてや我々は兵士だ、己の危険に怯え過ぎてはお話にならない」

 

置かれた書類に掲載されている写真には陽炎型八番艦の艦娘が写っていた。




雪風が聴いていた曲
https://www.youtube.com/watch?v=qqVNmfGJRP0

マルーン5は自分も結構お気に入りです

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