Chaos Bringer   作:烏賊墨

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初っ端からアレなシーンが有ります。苦手な人は注意してください。これぐらいならまだ大丈夫だよね(震え声)

5/5:誤字修正


#2

Fingers trace your every outline──

Pain't a picture with my hands──

Back and forth we sway like branches in a storm──

Change the weather still together when it ends──

 

小鳥のさえずりの代わりにCDプレイヤーから流れるアダム・レーヴィンの歌声がまだ完全に目覚め切ってない雪風の鼓膜をくすぐり意識を明瞭にさせる。二人はプレイヤーのスイッチを入れっぱなしにして寝てしまった様だ。曲はSunday Morning、朝の目覚めにはもってこいのナンバーだ。あの悪夢を観なかったというのも雪風の爽やかな目覚めに一役買っているのかもしれない。

 

かけ布団が昨晩の『行為』のおかげで無残にもベッドから落下し、雪風自信も下着姿だったので赤道付近であっても肌寒く感じた。寝汗で湿ったシーツも彼女を冷やす。

 

雪風の側で寝息をたてている初霜も似た様な格好だ──ショーツをはいていないという点を除けばだが。初霜の股間近くのシーツには寝汗でできたそれとは違う一際大きな染みができており、着ている下着も雪風よりもはだけていた。彼女との『行為』がそれ程激しかった証左でもある。

 

壁に掛けてある時計を見るといつもの起床時刻より30分早かった。雪風とは対照的に初霜は気持ちよさそうに寝息を立てている。こういう時はまだ寝ている相方にちょっかいをかけるのがベストチョイスだ。

 

雪風は初霜に抱きつくと彼女の寝顔を見つめる。下着姿なので初霜の体温が素肌からダイレクトに伝わり雪風を暖めた。寝息が鼻に触れるとくすぐったい感じがした。

 

雪風は初霜の左首筋に顔を埋めると、首筋に付けたキス跡に唇を付けちゅうと吸いながら右手で初霜の胸を弄りだした。昨日の『行為』で雪風は初霜の弱い部分をほぼ全て発見し、その部分にキス跡を付けておいたのだ。首筋を吸い、胸を弄り乳首が固くなる度に初霜から嬌声が漏れそれが雪風の加虐心を刺激した。

 

雪風は初霜の乳首を思いっきり摘まむと初霜は一際大きな叫び声をあげ、一拍置いてからアンモニア臭がすると同時に雪風の脚に何か生ぬるい物がかかる感じがした。脚を見ると太腿が黄色かかった液体で濡れていた。初霜は失禁してしまった様だ。右手を胸から放しシーツを掴んで腿にかかった尿を拭う。

 

だが失禁する程感じても初霜はその瞼を開こうとはしない。しぶとい奴だな、と雪風は心の内で呟き顔を少ししかめた。ここは古臭くて子供じみた手段を使う他無いだろう。古今東西ねむり姫を目覚めさせるには王子様のキスと相場は決まっていた。

 

雪風は目を見開きながら初霜にキスをした。キスも舌を入れ貪る荒々しい物では無く、友達同士でやるような単に唇同士を触れ合わせるだけの簡単なものだった。

 

数秒経って初霜の瞼が開き雪風と目が合う。そのタイミングで雪風は唇を離し初霜に向けにっこりと微笑んだ。

 

「初霜さん、おはよう。昨日は初霜さんの隠れた一面を見れてよかったです」

「お…おはよう………」

 

昨夜の己の痴態を思い出した初霜は雪風とは正反対にうつむき加減で応じる。

 

初霜の額に口付けをしてベッドから降り、海岸に流れ着いた昆布みたいになっていた服を雪風は拾い上げ、慣れた所作で着用した。初霜はベッドから体を起こすとシーツの染みが増えているのに気が付きその場で顔を真っ赤にして固まってしまった。

 

「初霜さんも早く服着て下さいよ、もうすぐ時間ですよ」

 

雪風の言葉と彼女から投げつけられた衣服が身体に当たる衝撃で初霜は我に帰った。初霜もテキパキと自分の衣服を身に付けいく。顔はまだ真っ赤なままだ。そんな彼女を雪風はニヤニヤしながら見つめていた。

 

「……何ジッと見てるんですか雪風さん、恥ずかしいですよ……」

「別にいいじゃないですか、女の子同士なんですし」

 

恥じらう彼女の姿を雪風はじっくりと目に焼き付けた。

 

初霜の着替えが終わったタイミングでCDプレイヤーの電源を落としてからipodを首にかけ、二人で部屋の外へ出る。廊下は食堂へ向かう艦娘達によって流れが出来ていたので丁度空腹を感じた二人はそれに乗っかって食堂へ向かう事にした。

 

だが不思議な事に幾ら廊下を進めどもいつもなら漂う筈の味噌汁や焼き魚の香りが彼女らの嗅覚に引っかからない。

 

毎日起こる事象が起きないというのは人を不安にさせる。自然と雪風と初霜の歩みは速くなっていた。

 

食堂につくと入口の前で何やら人だかりとも列ともとれる並びが出来ていた。列の先頭に近寄って見てみると白衣を着た男性数名が艦娘達に薬品が入った注射器を渡していた。並びも良く観察すると駆逐艦とそれ以外の艦という形で二つに分かれており、注射器のシリンダー内に入っている薬品の色も違っていた。

 

「今日の作戦は時間との勝負だから朝食の代わりにこれを注射して栄養を取りなさい。あとちゃんと列に並ぶように」

 

二人に気が付いた男性の一人が胡散臭そうに言った。

 

二人は言われた通りに列に並び注射器を受け取ると、その場では打たずにトイレへと向かう。途中何の疑問も抱かずに注射を打つ艦娘達を何人も見かけた。トイレに入ると洗面台の前で雪風が口を開く。

 

「これ栄養剤って言ってたけど絶対違うと思うんです。駆逐艦の艦娘とそれ以外の艦娘で栄養素が違うのはあり得ませんし」

「私もそう思います。多分混入されているのは……」

 

WW2やベトナムはおろか、現代ですら通用する年若い兵士を無理矢理動かす常套手段と言って思い当たる節は一つしか無かった。

 

「麻薬か、それに準ずる薬物……」

「って事は今回の作戦は頭数がある駆逐艦が全滅するのが前提の人海戦術考って訳ですかね…」

「おおかた突撃して死んでくれた方が都合がいいんでしょうね、上に告げ口するのが居なくなりますから。ロクな作戦じゃないんでしょう」

「でも私達はそこでむざむざ死ぬつもりはありませんよ、太平洋戦争の二の舞はもう御免です」

 

太平洋戦争、特に末期では軍上層部からの補給や戦況を鑑みない無茶な作戦によって官民の区別無く多くの人々が故郷の土を踏むこと無く異国の地でその命を散らす結果となり、その事実の大半が戦後うやむやにされた。

 

故に初霜と雪風はその愚行を繰り返すかの様な作戦に強い憤りを覚えていた。

 

二人は注射器を鏡に向けると親指でピストンを押し込む。圧力で針の先から黄色い薬品が勢い良く噴出し、鏡に前衛的な現代アートを作った。

 

雪風はそれから器用に手を動かし現代アートの上にスマイリーマークを描くと、その上からさらに大きなバツ印を上描きした。

 

「こんな事する司令はこうなっちゃえばいいんですよ」

 

スマイリーマークを指差して、不安を吹き飛ばすかの様に雪風は笑う。初霜も笑顔を返したが不安は拭え切れなかった。

 

『本日非番以外の全艦娘に告ぐ、工廠で艤装を受け取り次第直ちに輸送機に搭乗せよ、繰り返す工廠で艤装を受け取り次第直ちに輸送機に搭乗せよ』

 

あの忌々しい提督の声が鎮守府内に配置された連絡用スピーカーから流れてくる。二人はスピーカーを連装砲で撃ち抜きたい衝動にかられたが我慢して工廠へ向かった。もっとも今の彼女達の手元には連装砲は無いが。

 

工廠で奥の方で妖精達と何やら装備をいじくりまわしている明石に代わってアシスタントである夕張から自らの艤装を受け取る。二人はその場で互いの艤装に不備が無いかを確認すると、艤装にいつもは付いていない空挺降下用のパラシュートユニットが付いていたのが分かった。

 

「降下作戦ですかね、訓練を受けてはいましたが実戦では初めてです」

「何の説明も無いから不安ですよ、ブリーフィングの一つでもあればいいのに…」

「お二人さん、奥が詰まっているからおしゃべりするなら外でできませんか」

「す、すみません…」

 

後ろにはまだ多くの艦娘が並んでいる。夕張に諭されて二人は工廠を後にした。

 

艤装を身につけて工廠を出るといつも通りに爽やかな風が二人の頬を撫でるが心は一向に晴れやかにはならない。足取りは重く、鉛を流された様だ。

 

彼女らが気がかりなのは駆逐艦娘達の様子だった。工廠で順番待ちをしている間の駆逐艦娘達は誰もが目をギラギラと輝かせながら「もう何も怖くない」だの「もう何も痛くない」だの宣っており、あの無気力で有名な初雪でさえそうだったのだから異常さを感じざるを得なかった。

 

「あの注射器に入っていたのはやはり…」

「ええ、八割型確定した様なものです、駆逐艦を使い捨てにするのに抵抗が無いみたいですね」

「だからこそ…」

 

雪風は己の胸に込めた決意を固める、二人でまだ見ぬ明日を紡ぐ為に、苦々しい過去を洗い流す為に。

 

鎮守府に併設された飛行場に駐機している二機のC-130ハーキュリーズに艦娘達が続々と乗り込んで行く。後部ハッチから艦娘達が乗り込む様はさながら魚類の産卵を逆再生したものを連想させた。駆逐艦とそれ以外の艦とで二機に分けて分乗する。

 

雪風と初霜は機体中央部の席に二人並んで着席し、艤装を足元に置きシートベルトをしめた。

 

機内を見れば誰が薬を注射し、誰が二人みたいに薬を捨てたかは一目瞭然だった。殆どの艦娘が不気味な程やる気に満ちた笑みを浮かべており、いかにも戦いたくてウズウズしている。彼女らにはこれから何があるのかを充分に推察するだけの冷静さが欠落してしまった様だ。一方で注射をしなかったお蔭でこれから何が有るのか予想出来てしまい下を向いて顔を青ざめて手足を震わす者もいた。寧ろそれが普通の反応なのだ。

 

C-130のエンジンが始動し滑走路へとタキシングを開始する。配管が剥き出しになっている機内が僅かに揺れた。通路を曲がり滑走路を正面に捉える。

 

一旦機体が止まったかと思った瞬間急激に加速し、慣性によって中にいた艦娘全員が後方へつんのめる。雪風の肩に初霜がもたれかかり彼女の髪の香りが雪風の鼻腔に侵入する。甘い香りを雪風はこの一瞬で楽しみ、ささやかな充実感を得た。

 

主脚が地面から完全に離れる。皆重力がいつも以上に明瞭に感じられた。この感触を雪風は不快にしか感じられなかった。気圧により生じる耳が詰まる感じも気持ち悪く、何度も耳抜きした。

 

ある程度の高度に達しC-130は水平飛行に移りあの嫌な感覚から雪風は解放された。周りの艦娘達は思い思いに談笑に勤しみ始める。

 

「やっと前線へ出れるわ!散々待たせやがってこのクソ提督め!」

「いっぱい敵を沈めてやるのです!」

「素敵なパーティーするっぽい?」

 

冷静な思考能力が見られない彼女達の会話に雪風は酷薄な表情を浮かべた。物資輸送にいそしんでいた方がまだ気楽にいられるというのに。ただクソ提督というのには大いに同感だった。

 

雪風は作戦前の精神統一にipodを取り出して音楽を聴く事にした。初霜と話すという選択肢もあったのだが戦闘時のコンディションを少しでも上げておきたかった。すると耳にイヤホンを取り付けるタイミングで初霜が雪風の耳元で囁いた。

 

「雪風さんが好きな曲、私も聞いてみたいな」

「い、いいよ…はいこれ」

 

甘いボイスと生暖かい吐息が耳にかかり雪風は脳が蕩ける感覚に襲われた。頭の疼きがまだ止まらない内に震える手で初霜の右耳にイヤホンを差し込んだ。空いた左手でipodを弄る、プレイリストに表示された曲はかなり昔に一世を風靡したアニメの挿入歌だ。洋楽を主に聴く雪風にしては珍しい選曲だった。初霜も一緒というのも有るのかもしれない。再生ボタンに指を乗せ、力を入れる。脳の疼きは治まっていた。

 

イントロのギター演奏に合わせて体を小刻みに可愛らしく揺らしてリズムを取る初霜に、雪風は少しだけ和やかな気分になった。

 

渇いた心で駆け抜ける──

ごめんね、何もできなくて──

痛みを分かち合うことさえ──

あなたは許してくれない──

 

雪風はこの曲にしたのを少し後悔した。楽しそうな様子の初霜とは裏腹に雪風の心は落ち込んでいく。歌詞の一つ一つが雪風の過去と今に深々と突き刺さり、抉り出す。彼女の目の前で沈みゆく仲間達の姿が脳裏をよぎる。

だがそれは繰り返してはならない、ましては隣にいる親友の最期は絶対に、だ。

 

無垢に生きるため振り向かず──

背中向けて 去ってしまう──

On the lonely rail──

 

「初霜さん……」

「ん?どうしたんですか雪風さん?」

 

ネガティブな感情に押しつぶされぬよう、雪風は先程固めた決意を言葉にする。初霜を見つめる彼女の眼には凄みともいえる力強さを感じられた。

 

私ついていくよ ──

 

「貴女を守ります、例えどんな敵が来ようとももう水底へ置き去りにはしません。過去はもう二度と繰り返すつもりはないです。二人で生き延びて、まだ見ぬ明日をあの水平線の向こうに刻みましょう」

 

どんな辛い世界の闇の中でさえ──

 

まるで漫画か十代向け小説のワンシーンみたいだなと雪風は心の中で自嘲する。だが案外そんなものなのかもしれない。

 

きっとあなたは輝いて──

 

雪風の唐突な宣言に初霜は一瞬戸惑ったが、すぐに理解し柔和な笑みを雪風に投げかけた。が、目尻に浮かべた涙を雪風は見逃さなかった。

 

超える未來の果て──

 

「雪風さんにそう言って貰えると嬉しいです。ではお言葉に甘えて雪風さん、私を守って下さいね」

 

弱さ故に魂こわされぬように──

 

雪風は初霜の右手をギュッと握りしめる。掌越しに初霜の体温が雪風にも流れ込む感覚を覚える。初霜も握り返す。彼女の思いも、流れてくる。

 

My way 重なるよ──

 

この手は、二度と放さない。

 

いまふたりに God bless──

 

「降下開始まで五分前だ。各員装備を点検し、終わり次第起立せよ」

 

ロードマスターの一声によって艦娘達の自由時間は終わりを告げた。雪風は自分と初霜の耳からイヤホンを引っこ抜くと服の下にしまい込む。

 

艤装についたパラシュートユニットが外れないか強く引っ張り確かめる。ビクともしないので外れないと判断し、初霜にぶつからぬよう気を付けて艤装を背中に背負い込んだ。出撃前特有の小気味良い緊張が身体を駆け抜ける。スリングに掛けてある10cm連装高角砲に初弾を装填し安全装置を掛けた。暴発してブルーオンブルーなんて騒ぎになったら目も当てられない。他の艦娘も各々装備の点検に余念が無く艤装や砲、魚雷管に目を走らせていた。

 

「降下開始三分前だ、ハッチを解放する」

 

C-130の後部ハッチが解放され機内に高度380mの空気が雑音と共になだれ込み服をはためかせる。涼しい風が火照った身体を冷やし、首を伝う汗を吹き飛ばした。

 

雪風には開いた後部ハッチが門に見えた、罪人を奈落へと突き落す地獄の門に。そしてこれから皆この門をくぐる。

 

「降下開始だ、行け!」

 

前から順繰りに艦娘達がレミングの集団自殺めいて地獄の門から身を投げ出していく。雪風の番が近づくにつれ風の音は大きくなり、あたかも魔王の囁きの様に聞こえた。だが雪風は罪人を誑かし地獄へ誘う囁きに耳を貸すつもりは無い。

 

雪風の番が来た。先に降下した艦娘達がパラシュートを開き大輪の花を幾つも咲かせている。恐怖では無く勇気を以て脚に力を入れ、宙に向けて跳躍する。一瞬重力が無くなる感覚になるもののすぐさま重力が支配を取り戻す。パラシュートユニットのレバーを引き落下傘を展開、落下スピードを最小限に抑える。

 

結構な低緯度地域の筈なのに上空にいるせいか冷たい風が雪風を包み込む。いつもは鼻腔をくすぐる磯の香りも高度300mには届いてこない。眼下には宇宙センターとその発射台に取り付けられたロケットがあった。人類の叡智を結集して製造されたと思わしきそれは今か今かと発射の時を待ちわびているかの如く頂を天へと伸ばしている。

 

もう一機のC-130も落下傘の種を投下しているのが見えたが何かがおかしいと雪風は直感した。飛行コースは海上では無く宇宙センター上にあり、落下傘も終わり辺りに吐き出されたのを除いて宇宙センターの大小様々な施設の屋上に着地していた。なぜこの配置にした理由は後々雪風達が身を以て知る事となる。

 

パラシュートタイムが終わり雪風らは海面に着水、二回から飛び降りたかの衝撃が脚に来る。受け身を取る姿勢で衝撃を殺してから留め金を弄ってユニット部を外す。ユニットは各所に取り付けられた錘により海中に没するので他の艦娘の航行の邪魔をすることは無い。ふと雪風は初霜が居ないのに気が付いた。周囲に視線を巡らすが黒いブレザー姿の彼女は見当らない。

 

「雪風さ~ん!」

 

初霜の声がしたのでその方向に振り向くと、彼女が急いでいる様子で雪風の元へと海面を滑り駆け寄っていた。

 

「すみません、降下途中で風にあおられて……雪風さんを見失ってしまいました」

「でも良く雪風を見つけられましたね、こんなに沢山の艦娘がいるのに」

「ええ、電探を新しくしたのでテストを兼ねて使ってみたんです」

 

初霜は艤装に付いた対水上電探を指差した。その顔はどこか得意げだ。

 

「電探ねぇ……艦娘の識別も可能とは凄いですね」

「元々は深海凄艦の種類を見分ける機能で、その延長上として艦娘の名前を表示する機能も付いたんです」

 

雪風も高性能な対空電探と対水上電探の両方を装備していたが前者は言わずもがな、後者も敵味方の識別だけでどれがどの種類なのかまでの識別は不可能だ。

 

「これなら雪風を見失わずに………初霜さん………!?」

 

眼前に作成されたホログラムスクリーンを見つめながら初霜の顔が蒼ざめた状態のまま固まっている。

 

「初霜さん!?」

「雪風さん……敵が……敵が……!!」

 

敵がどうにかしたのだろうかと思い雪風は脳波無線で電探を起動させる。眼前のスクリーンに赤と青の光点が浮かび上がる。青が味方で赤が敵、即ち深海凄艦だ。青の光点の数は五十程、対して赤の光点の数はパッと見でもその三倍に及ぶ。

 

敵方の余りにも途方もない物量にWW2でもこの世界でも経験していない劣勢に立たされているという実感が麻痺したのか、それとも絶望し過ぎて逆に吹っ切れたのかは定かでは無いが雪風は思わず笑ってしまった。兎に角現実感を抱けず最早何かのコントかギャグ漫画を観ている気がしてならない。

 

「ハハハッ……ところで初霜さん、敵の内訳は?」

 

モンティ・パイソンですらできないだろう不条理コメディに笑いを必死に堪えながら最早無駄な事を初霜に問う。敵が全部駆逐艦だろうが戦艦だろうが絶望的な状況には変わらない。

 

「て、敵の内訳は……」

 

♢♢♢♢

 

艦隊上空を飛行するRQ-4グローバルホークから映し出される映像を観て提督は大きなため息をつく。映像に映る黒い影を憎憎しげに睨みつける。

 

画面の黒い影に何やら文字が表示される。このRQ-4は人間と深海凄艦との戦争が起きて以降に改良された機体で深海凄艦を識別する機能が付いていた。これらの技術は艦娘達の装備にも転用される。

 

「駆逐艦が九十弱、軽巡、重巡が合わせて五十程、戦艦が十程度か……」

 

提督は頭を抱え机に伏した。敵に空母が居ないのがせめてもの救いであった。制空権はこっちに分がある。

 

「赤城、加賀、飛龍、蒼龍、艦爆艦攻を全機発艦させアウトレンジを仕掛けろ。敵に空母は居ないから制空権は安心していいぞ」

『了解しました』

 

それでも敵の三割を削れればいい方だろう。対空火器による損失分を考慮に入れれば実際はもっと少なくなる筈だ。

 

通信を一旦切り画面を睨む。今度はより小さい黒い点に注目した。駆逐艦娘の一団だ。

 

今回の作戦は駆逐艦を盾にするいわゆる『捨て艦戦法』と呼ばれる戦法を大掛かりにしたものだ。この戦法自体は決して褒められたものでは無く寧ろ表沙汰になれば懲罰の対象にもなるが、今回の作戦に成功すれば上層部も自身の有能性を認めてくれる筈だと彼は考えた。万が一駆逐艦が生き残ってしまっても他の艦娘が彼女らを撃沈する手筈になっているので上層部へタレコミされる心配はゼロに近い。

 

今回出撃させた駆逐艦は一部を除いて実戦経験の少ない艦娘を選んだ。もっとも彼が抱える駆逐艦の八割方が実戦経験皆無だったので数を揃えるのは苦労しなかった。実戦で活躍した数少ない駆逐艦は今回全員非番として泊地に待機している。

 

机に飾ってある写真立てを手に取る。そこには在りし日の彼と一緒に微笑む比叡を写した写真が収められていた。写真立てに大小の滴が落ちてくる。

 

提督には比叡が沈んだ原因が何となく分かっていた。あの忌々しい死神、そう雪風のせいだ。彼女のせいで沈んだのは比叡だけでは無かった。他の手塩にかけて育てた高練度を誇る艦娘達も仄暗い水底に沈み、提督自身は損失が多いのを槍玉に上げられ評価を下げられた。他の提督は雪風を幸運艦と持て囃しているらしいが彼にとっては疫病神でしかなかった。

 

比叡を喪失した哀しみが雪風へのお門違いな怒りに変換され涙が止まる。写真立てを机に戻す。

 

だから彼女は今回の作戦で是が非でも沈んで貰う事にした、彼女と仲のいい初霜もセットで。これは彼なりの雪風に対する悪趣味な配慮だった。

 

「えー駆逐艦の諸君、聞こえるかな?」

 

駆逐艦全員に対して無線を入れる。

 

「もう分かっている者もいるだろうが今回の作戦は君達の背後にある宇宙センターの防衛だ、そして今回相手にする深海凄艦の数は恐ろしく多い。だが撃退する策は練ってある」

 

──駆逐艦が全滅するのが前提ではあるが。

 

「先ず君たちは前方にいる敵艦を一定距離までおびき寄せて欲しい。おびき寄せたら追って指示を伝える」

 

無線越しに様々な艦娘のどよめきが聞こえるがそれもじき気にならなくなる。

 

「敵が射程内に入り次第砲撃を加えながら後退しろ、敵の攻撃は苛烈だろうが君達なら必ず出来ると信じている、グッドラック!」

 

お決まりの言葉を口にしてから無線を切った。彼女らに幸運は有りえないので皮肉としか言いようがない。

 

提督は笑った。これから部下を死地に送る者としては不適切な程に笑った。これから起こる殺戮劇の悲劇のヒロインである彼女らを想うと笑いが込み上げて来る。人の不幸は何とやらとは良く言ったものだ。その中にあの忌々しい死神が居るのだから愉快でならない。

 

提督は雪風がどんな最期を迎えるかを妄想する。駆逐艦に腕を噛み千切られるにしても戦艦に半身を吹き飛ばされるにしても雷撃で脚を消し飛ばされるにしてもロクな死に方ではないのは確実だろう。それでいいと思う。比叡や数多の仲間が犠牲になった、因果応報という奴だと思って受け入れて貰おう。

 

「まあせいぜいその幸運とやらで生き延びてみろ、雪風」

 

提督はそのまま思考の遊戯を続けて薄気味悪い笑みを浮かべた。

 

画面端に映る、新手の深海凄艦に気が付かぬまま。

 

♢♢♢♢

 

無線機を切り雪風は絶句した。ロクでもない作戦なのは予想済みだったがここまで酷いとは到底思わなかった。生き残る気さえ失せた。

 

こちらは実質駆逐艦しかいないのに向こうはただでさえこちらより数の多い駆逐艦に加え、軽巡重巡、更には戦艦までいると来た。マトモにやり合えばどうなるかは火を見るより明らかだ。

 

頭上を空母が放った艦爆、艦攻が通り過ぎる。彼らが敵を減らしてくれれば万々歳だが望みは薄いだろう。嘗てWW2でも同じ事をして徒に機体とパイロットを失ったと雪風は記憶している。

 

──何も変わってない──

 

そう、何も変わってないのだ。艦船の運用方法も、面子の為には何もかも犠牲にする方針も、そして雪風を取り巻く運命も……。

 

変わるモノがあるとするならここで雪風が沈むという事だけであろう。

 

──それでいいと思う。

 

どうせみんな沈む、作戦が成功すれども失敗すれどもそれには変わらない。雪風が沈むなら初霜も恐らく沈む筈だ。

 

「ハハッ…アハハハッ…アハハハハハハハハハハハハッ!」

 

雪風は濁った眼で笑う、そして気が付く。これは悲劇では無く喜劇なのだと、王子とお姫様が死んで結ばれる喜劇なのだと。だから哀しむ必要は無かった、寧ろ喜ぶべきなのだ。

 

「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!」

 

初霜は雪風が何故笑うのかが理解できなかった、理解したくなかった。そう表情が訴えた。

 

「どうしたんですか?要領を得ない顔をして?それよりも聞いて下さいよ、すごい事思いついたんですよ。初霜さん一緒に死にましょう、そうすればあの世で誰にも邪魔されずに一緒に──」

 

瞬間、乾いた音と共に雪風の頬に激痛が走る。一瞬何が起きたかと戸惑うがすぐにハッキリした。初霜が雪風に平手打ちをしたのだ。初霜に平手打ちされた頬に触れる。確かな熱が感じられた。

 

「さっきあんな啖呵きったのに舌の根も乾かない内に何言ってるんですか?!あの世で一緒になったって意味が無いんです!この世で共に生き残らないと意味が無いんですよ!」

「でもこんな物量相手じゃとても……」

「だったらせめて出来る限り足掻きましょうよ!そうすれば万が一の可能性で生き残れるかもしれませんよ、それすら放棄するなら」

 

初霜は雪風の10cm連装高角砲の安全装置を解除すると砲身を自身の胸へと無理やり押し付けた。初霜の形相が鬼気迫るものへと変わっていく。

 

「私を殺して下さい、こんな雪風さんと一緒に死ぬなんてまっぴら御免です!さあ早く引き金を引いて下さいよ!」

 

──できるわけが無い。

 

雪風は後頭部を金槌で殴られたかの衝撃を受けた。首から力が抜け頭が垂れる。

 

初霜に共に死ぬのを拒絶されたのも堪えたが、それ以上に殺して欲しいと初霜に請われたのが雪風にはショックでたまらなかった。そんな事まで、雪風は望んでいなかった。

 

海鳥の鳴き声が遠くなる。

 

「雪風にはできません……初霜さん……貴女を撃つなんて、そんな……」

「やっと目が覚めましたか?」

 

砲を雪風は自分の方へ下げ安全装置をかける。WW2の最後に共にいた仲間を撃つぐらいなら自分の頭を吹き飛ばした方が遥かにマシだった。

 

「だったら生き残りましょう、お互い全力を出してやるだけやってみましょうよ」

 

初霜が雪風の両手を取る。雪風が輸送機の中でした事を初霜が再現した形となった。俯いていた雪風が頭を上げる。頬伝いに涙が零れ落ち水面に幾つもの波紋が出来上がる。

 

「貴女についていきます、たとえその行く先に地獄が待ち受けていたとしても」

 

初霜の言葉に雪風は胸が締め付けられる思いをした。自分はどうだろうか、あんな大口叩いた癖に物量に怖気づいて弱音にも似た自殺願望を抱いてしまった。

 

雪風は己を恥じた、目の前の彼女と一緒に死のうと考えた己を恥じた。ここにいる誰もが死を望んでいる訳がないのだ。誰もが抗う筈なのだ、生存の可能性が限りなくゼロに近かったとしても。

 

WW2だって雪風の乗員は勿論の事、他の艦の乗員や兵士達も最早敗色が濃厚な中最後まで連合軍に抗った。

 

己が、家族が、友達が、恋人が、故郷が、まだ見ぬ明日を迎える為に。

 

雪風は初霜の手をやんわりと振りほどくと目を瞑り、袖で涙を拭う。そして瞼を開く。瞳に濁りは無く有るのは決意の色彩だけだった。

 

「なら一緒に終わらせましょう、このふざけた作戦を」

 

雪風は己の口から力強く一言一言紡ぎあげる。ここで終わらせなければならない、無為に命を散らす作戦はもう繰り返してはならない。理不尽な作戦は坊ノ岬だけでもうたくさんだ。

 

「ええ、もちろん」

 

初霜も雪風に肯定の意を示した。

 

雪風は10cm連装高角砲の安全装置を解除して構える。今度は初霜では無く電探に映る深海凄艦が大挙して進軍しているであろう方向へ向けた。

 

初霜も両手の12.7cm連装砲の安全装置を解除し雪風と同じ方向に向ける。

 

ホログラムスクリーンには赤い光点群が青い光点群へ徐々に近づいていた。もうすぐお互いの砲の射程距離に入るだろう。

 

「いよいよですね……」

「ええ……」

 

唾をのみ込む。前方を睨みつつ雪風は接敵してからの立ち回りに思考を巡らせた。ただ動いているだけではいずれ撃沈されるだけだ。雪風も初霜も回避には自信があったがそれでも安心はできなかった。

 

前方で先頭の艦同士が発砲を開始、聞き慣れた連装砲の砲声が雪風らのいる後方にも届いた。

 

地獄の釜の蓋が、今開こうとしていた。




雪風が劇中聴いていた曲
https://www.youtube.com/watch?v=S2Cti12XBw4
https://www.youtube.com/watch?v=IPSyweVhyTE

アニメ放送はもう八年前、時の流れは残酷ですね

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