チートを持って転生したけど、同僚馬鹿ップルが面倒くさい~2X歳から始めるアイドル活動!?~ 作:被る幸
どうも、私を見ているであろう皆様。
ミニライブで起きたすれ違いからによる痛ましい事件の翌日。
事態の解決に積極的な介入をすることを決めた私でしたが、思わぬところからストップがかけられました。
その相手というのは察しの良い皆様ならある程度推測が付いているでしょうが、美城の昼行燈こと今西部長です。
正直、こういったトラブルは不信感が生まれたり、関係に亀裂が入ったりしてしまう前に片付けてしまった方が良いと思うのですが、珍しく頭を下げられてお願いされては聞かない訳にもいかないでしょう。
この事態を武内Pに乗り越えてもらって、自力で物言わぬ歯車から脱却してほしいという言い分も納得できます。
私が全て解決してしまえば、事態は現状よりも深刻化することはないでしょう。
ですが、それでは武内Pとメンバー達との関係は進展しないでしょうし、私がいなければ上手くいかないという状態になりかねません。
平時であれば私がシンデレラ・プロジェクトの中に溶け込めている証拠だと嬉しく思うのですが、こういった事態において私に頼り切ってしまうという自浄作用のない状況はあまり良いことだとは言えません。
今回の件を解決する為に動きながら、武内Pの成長も促さないといけない、両方やらなければならないというのがフォロー役の辛いところですね。
まあ、そんな覚悟はとうにできていますけど。
手始めに1週間後から予定していたニュージェネレーションズの出演が決定していたイベント達の調整を行います。
私が積極的に動けない以上、本田さんがいつ復帰するかわからないのであればイベントはキャンセルしなければなりません。
同じタイミングでデビューを果たしたラブライカに回すという手もありますが、移動時間を考慮すると不可能だったり、2人にかかる負担が大きくなり過ぎるのでいくつかはキャンセルせざるを得ません。
本来ならこれも武内Pの仕事ですが、現在本田さんの実家に話をしに行っていて不在の為、私の裁量で下せる範囲内で処理させてもらいます。
「鬼気迫るって感じだね」
武内Pのデスクを借りて作業をしていると、お気に入りのうさぎのぬいぐるみを抱いてソファに寝ころんでいた双葉さんが欠伸をしながらそう言いました。
確かに、積極介入することを禁じられ折角決めた覚悟と熱意が行き所を失っている状態であり、それをこの調整作業にぶつけているのは否定しません。
しかし、いつまでも鬼気迫るようなオーラを漂わせては他の人達を怯えさせてしまいかねませんね。
なので、この後昨日に引き続きMV撮影があるので、そこでトレーニングバッグ等に八つ当たりさせてもらいましょう。
今日なら外皮を裂くだけに止まらず、八つ裂きにできるような気がします。
「もう少ししたらMV撮影の方に向かわなければなりませんから、時間は無駄にできません」
「とりあえず、糖分いる?」
「いただきます」
双葉さんから投げられた飴を音だけで軌道を把握し、片手でキャッチして包装を解き口に放り込みます。
淡いイチゴの酸味とイチゴの形を意識したのではないかと思われる小さな三角形は、昔祖母の家を訪れた際の懐かしい思い出が呼び起こされますね。
サク○のいちご○るく、この噛み砕きやすい絶妙な硬さの所為で一個当たりの消費速度が他の飴に比べて早いのが難点です。
「お見事」
やる気が微塵も感じられない拍手を送りながら双葉さんは飴をガリガリと噛み砕いています。
噛み砕くまでがこの飴の味わい方のような気もしますが、年下から何個も貰うわけにもいきませんのでゆっくりと舐めていきましょう。
糖分が補給されたことにより脳のギアも一段階あがり作業ペースが向上したので、これなら後数分もあれば粗方片付く目途がつきそうです。
全くこの量の仕事を私達に振ろうともせずに自己処理しようとするなんて、サポート役を一体何だと思っているのでしょうね。
これは今回の一件が解決した後にちひろと一緒に業務の配分について話し合う機会を設ける必要があるでしょう。
アイドルの為を思って頑張るのはプロデューサーの鑑だとは思いますが、膨大な量の仕事を一挙に引き受けて潰れてしまっては元も子もありません。
シンデレラ・プロジェクトを武内Pはどうしたいのかを把握したかったので、現在行っている業務を粗方見させてもらったのですが私やちひろでも十分に処理できるものがありました。
ちひろの場合は最近アイドル業が順調なので両立が難しいかもしれませんが、私は無駄に消費している時間や業務の能率をあげればいくらでも回してもらって構いません。
寧ろ、推奨ですね。
しかし、あの優柔不断なくせに頑固な武内Pですからなかなか首を縦に振らないでしょう。
なので、何かしら正当性があるような理由付けをしなければ難しいでしょうから、その時までにいろいろ考えておきましょうか。
「それにしても、凄い作業速度だね」
「物事を早く成し遂げれば、その分時間を有効に使えますからね」
某兄貴も『この世の理はすなわち速さ』だと言っていましたからね。
チートを本気で使えば1時間程度で職員1日分の仕事はできますから、並列思考で同時進行可能な仕事ものもあると24時間フルで働けば約40人分の仕事はこなせるのではないでしょうか。
実際に試したこともなく、そんな機会もそれだけの量の仕事もないでしょうから検証は不可能なのであくまで推測でしかありません。
自身の限界を知る為に挑戦してみたい気もしますが、そんな我儘で美城の業務に影響を与えるわけにはいきませんし、挑戦しようとしたら確実に妨害という名のストップがかかるのは目に見えています。
まあ、流石に24時間チートを限界稼働させたら私の身体にかかる負荷も相当なものになりますから、1時間程度は大幅なスペックダウンをしてしまうでしょう。
「ああ、そういう考え方もあるよね」
「1日は24時間しかありませんからね。そう考えると自分の時間を確保するので精一杯になりますよ」
「そういう割には、結構色々と背負い込んでるよね」
「そうでしょうか」
私は別にそこまで背負い込んでいるつもりはありません。
チートを使えば大抵の事は即座に解決できることできますから、かかる負担は少なく済みます。
それに誰これ構わず請け負っているわけではなく、私なりの明確な基準というものを設けていますので心配は不要です。
ですが、一般人基準から考えると背負い過ぎに見えるのでしょうね。
「うわ、自覚無し?杏ほどじゃないけどさぁ、もっと誰かに頼ることを覚えた方が良いんじゃない?」
「これでも、普通に頼ったりしてますよ」
今日だって武内Pの代わりを務めるにあたって、普段の係長業務の中で部下に任せても良さそうな何割かを渡してきました。
相変わらず、仕事を振った途端に狂喜乱舞する変態どもでしたが、それでも任せた仕事はきっちりこなしてくれるので文句をつけにくいですね。
有能な人間はどこか頭のネジが外れていなければ正常に作動しないのでしょうか。
最後の業務を処理し終え、かなり小さくなった飴を噛み砕きます。
「終わったの?」
「はい。私の権限で処理しても構わない範囲のものは」
「お疲れさま」
そう言って双葉さんはもう1つ飴を投げてきました。
三食飴でも構わないと豪語し、罠だと分かっていても飴を差し出されれば乗ってしまう程に
「ありがとうございます」
「ん」
お礼を言うと気恥ずかしいのかうさぎのぬいぐるみで顔を隠してしまいます。
その幼い外見と相まってなんともいじらしくて保護欲が擽られてしまいますが、ここで養うなどの発言をした場合、双葉さんは喜んで私の部屋に転がり込んできそうなので言葉を喉元で留めます。
互いに需要と供給を満たせるwin-winな関係ではありますが、双葉さんにはトップアイドルになってもらうと決めていますのでここは心を鬼にして耐える必要があるでしょう。
武内Pの仕事も片付きましたし、結構頑張ったのでMV撮影開始まで時間が余ってしまいました。
今回の件に対する他メンバーへのフォローはちひろがしていっているようですから、任せておいても大丈夫でしょう。
新田さんも内部から安心させるように働きかけてくれており、動揺は最小限で済みそうです。
ですが、そういった対応を私達ばかりしているので武内Pに対する不信感が強まっているというのが何となく感じられますね。
特に赤城さんや城ヶ崎妹さんといった物事を額面通りに受け止めてしまう素直な娘ではその傾向が顕著であり、こればかりは私達が頑張っても意味がないので武内Pの頑張りに期待するしかありません。
「さて、私は戻りますが双葉さんはどうします?」
「杏はとくに決めてないけど、戻って何すんの?」
「仕事ですよ。部下に任せられない仕事も少し残っていますから」
それらは今日中に終わらせなければならない仕事ではありませんが、折角時間が余ったのですからそれを有効活用しなければ勿体ないじゃないですか。
新たに貰った飴を口に放り込み、少し伸びをしてから立ち上がります。
「それって、今日中に終わらせる必要あるの?」
「いえ、期限までにはかなりの猶予がありますね」
「ふ~~ん」
余り自ら話しかけてくることのない双葉さんにしては饒舌ですが、いったいどうしたのでしょうか。
ぬいぐるみの耳の間からのぞかせた普段通りの気だるげな表情からはその意図が掴めませんが、背中に回した右手で何かしているようです。
固いものをタップする音が微かに聞こえてきますから、恐らくスマートフォンを操作しているのでしょうがいったい何の目的があるのかは不明ですね。
時間稼ぎをしているようにも思えますが、双葉さんがそのようなことをする理由に検討が付きません。
「失礼しまぁ~~す☆」
そちらに意識が向いていると扉が勢い良く開けられ諸星さんが入ってきました。
このタイミングで入ってきたことを考えるに双葉さんが連絡を入れたのでしょうが、諸星さんは私に用事があったのでしょうか。
それなら言ってくれれば、いくらでもそちらを優先したというのに遠慮したのでしょうね。
「どうしました、諸星さん」
「えっと、今みんながあんまりハピハピできてないかんじだから、みんなでおいしぃものを食べて、い~~っぱいお喋りしたら、少しはハピハピできるかなぁって‥‥
だから、七実さんも一緒にどうですか?」
恥ずかしそうに肩をすくめもじもじしながら私を誘ってくれる諸星さんは、何とも可愛らしい乙女でした。
女性の平均的な身長を大きく上回る長身の為に心無い言葉をかけられたこともあったでしょうに、それでも曲がらず捻くれずに真っ直ぐ育ったのは生来の優しさからでしょうね。
決めました。私は諸星さんをアイドルデビューさせたら、絶対にネタキャラ的扱いはさせないと。
こんな優しい少女を傷つけるような真似をする雑草は、容赦なく毟ります。
男性の中でも一際背が高く誤解されがちな武内Pであれば、その辺のコンプレックス等はよく理解しているでしょうからそういった仕事はちゃんと断ってくれるでしょう。
「喜んで参加させてもらいます」
「じゃあ、346カフェにレッツ・ゴーーー☆」
「はい」
拳を天へと突き上げて全身で嬉しさを表現する諸星さんに、思わず私の表情も綻んでしまいます。
諸星さんは頭を撫でられるのが好きなようでしたから、また後で頭を撫でてあげましょう。
私はこっそりと隠れようとしていた双葉さんを肩に担いで、先導してくれる諸星さんの後に続きます。
無駄に隠密行動スキルの高い双葉さんではありますが、一般人より少し高いレベルのものでは反響定位等の探索スキルを持つ私を出し抜くことなどできません。
諸星さんはみんなでハピハピしようと言ったのですから、その中には双葉さんも含まれているはずなので欠けさせるわけにはいかないでしょう。
「うぇ、な、なんで担ぐのさ!」
「共謀したのなら、最後まで付き合うのが筋というものですよ」
「そうだよぉ、杏ちゃん☆杏ちゃんもみんなと一緒にハピハピしようにぃ☆」
さて、平和にハピハピしにいきましょう。それは、きっと素晴らしいことです。
○
これまで順調に進んでいたMV撮影でしたが、思わぬ難題に直面していました。
「また駄目だったか‥‥」
「すみません」
もう両手では足りないくらいの何度目になるかわからない失敗に、私は監督達に頭を下げます。
今回の難題は私でなければ起こりえないことであり、スタッフ達も色々と工夫を凝らして対応しているのですが、それでも結果は芳しくありません。
私自身も今までこれほどの回数の撮り直しを経験したことはありませんでしたので、内心結構へこんでいます。
1つ悪いことが起きるとそれが連鎖してしまう現象は何なのでしょうね。
人に聞いてみれば偶然という言葉で片付けられてしまうでしょうが、私にはどうしてもそうだとは思えないのです。
とりあえず、スタッフ達が取り直す為にセットを戻し始めたので邪魔にならない位置に退散しましょう。
「渡さん、気にしないでくださいよ!これは監督の我儘が悪いんですから!」
「おいコラ、江崎!口を動かす暇があれば、さっさと片付けやがれ!」
「はい!」
スタッフにまで心配されるとは、見てわかるほどに落ち込んでいますよオーラを出しているのでしょうか。
だとしたら、気をつけなければなりません。
この程度の失敗で動揺するような弱過ぎる精神力だと思われては、人類の到達点として完璧超人のように思われている評判に影響が出てしまいます。
人間というものは勝手なもので自身の抱くイメージと逆の姿を見てしまうと、その対象に対しての思いが急速に冷めていき、それまで抱いていた思いに比例するように負の感情を抱いたりするのです。
よくある人気俳優等の結婚報道で、一部のファン達が過激な言動をとったりするのもこれが原因でしょう。
イメージというのはアイドルにとっては死活問題であり、この世界においても男性関係のスキャンダルでアイドル生命を絶たれた少女は何人もいます。
なので、私が簡単に動揺するような一般人クラスの小市民的な精神をしていると噂されてしまえば、致命傷にはならないでしょうがじわじわと効果を発揮するボディブローみたくダメージが蓄積されるでしょう。
私達
芸能界で生きていこうとするのなら、その責務から逃げ出そうとすることは許されません。
絶対的強者としての姿を見せつけた以上、私は強く、気高く、堂々としていなければならないでしょう。
「よしっ!」
顔が腫れてしまわない程度の強さで頬を叩いて気合を入れなおします。
へこみっぱなしは私らしくありませんので、この問題を解決する為にチートをフル活用して考えを巡らせるとしましょう。
「七実さん、お疲れさまでーす!」
解決策を考えようとしていると私分の飲み物を持った姫川さんがやってきました。
「ありがとうございます」
お礼を言って飲み物を受け取り、スポーツ飲料で喉を潤します。
流石に全力で虚刀流を振るえばこのチートボディでも汗はかきますので、失われたミネラル分の補給はしっかりとしなければなりません。
ミネラルを失ったことで発生する身体への影響はチート技能で補うことはできませんから。
「いやぁ、七花八裂だっけ?凄いよねぇ、途中で破裂したサンドバッグってあれで何個目だっけ?」
「両手で足りなくなった時点で数えるのを辞めましたよ」
「サンドバッグって、そんな簡単に壊れるものじゃないけど、最終奥義っていうだけはあるね」
今回何度も取り直すことになった原因を姫川さんは笑いながら言ってきました。
しかし、笑いながらといっても私を馬鹿にするような嫌味な笑い方ではなく、純粋にトレーニングバッグが破裂するという日常ではありえない光景がおかしくて仕方ないという感じです。
確かに普通の生活をしていればトレーニングバッグが、それも1つではなく何個も破裂するという光景を目にすることはないでしょう。
もう少し上手く手加減ができればこのような事態にならなかったのでしょうが、虚刀流最終奥義である七花八裂・改は7つある奥義を最速の並びで一瞬にして叩きこむ技ですから、1つ1つの威力を弱めても途中で合計ダメージが耐久値を上回るようで破裂するのです。
原作七実のように打撃の重さを消すことができる忍法足軽を習得できてればこんなところで躓かずに済むのですが、無いものはないのですからどうしようもありません。
破裂しない程度にまで全てを弱くすることも試してみましたが、それでは映像に迫力がないと監督に駄目だしされました。
七花八裂を使用するシーンは最後の最も盛り上がる部分で使用する予定なので、その映像に迫力が無ければ完成度を著しく下げてしまう要因となるそうです。
なので、何とか破壊せずに迫力も損なわない加減を見極めようとしているのですが、これが意外と難しく取り直しを重ねる原因となっています。
「生身の人間にやれば、本当に必殺技になりますからね」
「こりゃ、さっちんが手加減を間違えることを怖がるわけだね。流石にあたしもビビったよ」
「そういう割には怖がる様子はありませんが」
本当に怖がっているのなら動物園事件の後の輿水ちゃんのように距離をとるはずですが、こうして笑顔で話しかけている姿から恐れを抱いている感じは一切ありません。
姫川さんも裏表のない感情をストレートに表現するタイプですから、誤魔化しているわけではなさそうですが、どういうことなのでしょうか。
「あの威力はちょっと怖いけどさ‥‥その力をあたしにぶつける訳じゃないんだから、七実さんまで怖がる必要はないじゃん」
屈託のない晴れ晴れとした顔で言われ、私は呆気に取られてしまいました。
言葉にしてみれば簡単なことでしょうが、実際にそれを実行することは難しいです。
私のように力加減を間違えてしまうと本当に人を殺めてしまいかねない程の力を持つ人間に対してそれを実行するのは並大抵な精神力では無理でしょう。
以前の輿水ちゃんのように恐れ距離をとる方が、一般的な反応です。
「‥‥姫川さんは強いですね」
「いやいや、七実さんには負けるって」
力という意味ではないのですが、正直に言ったところで首を捻られるだけなのでやめておきましょう。
きっとこういう明るくておおらかな性格をしている姫川さんがいるからこそ、KBYDというユニットは年齢が離れていても親友みたいに対等で仲良くしていけるのでしょうね。
そうやって年齢を気にせずに付き合える相手というのは、なかなかできるものではないので掛け替えのない存在です。
「しかし、柔らかいせいであんだけ壊れるなら、もういっそ鉄とかの硬い素材を使えばいいじゃない?」
「それです!」
「え?」
どうして、そんな逆転の発想が出てこなかったのでしょうか。
微妙な手加減が難しいのなら、受ける側に七花八裂を最後まで受けきれる耐久性を付与してしまえばいいのです。
殴る物=トレーニングバッグという固定観念に囚われてしまっていたせいか、こんな簡単なことすら思いつかないとは恥ずかしい限りですね。
思考の柔軟さと知識量は無関係であるという事を痛感しました。
「いや、冗談だからね?鉄とか思い切り殴ったら手が大変なことになるから!?」
「問題ありません」
拳を鍛えていない普通のアイドルであれば硬い素材を殴ったら確実に骨や関節に異常をきたしてしまうでしょうが、虚刀流の訓練として手刀で岩を削ったり、鉄パイプを圧し折ったりする私ならいけます。
解決策という一筋の光が見えたのなら、試さない理由はありません。
「ありがとうございます、姫川さん。これで何とかなりそうです」
素晴らしいアイディアを出してくれた姫川さんに頭を下げてから、早速この方法を監督達に伝えに向かいます。
そのつもりだったのですが、何故か姫川さんが私の腕に掴まって監督達の方に行かせまいとしてきました。
私の身体を心配してくれているのでしょうが、この人類の到達点たるチートボディは硬い素材を殴ったくらいでそう易々と壊れはしません。
説明しても首を横に振って聞いてくれないので、このまま引きずっていきましょう。
「だから、待って!さっちんが七実さんが厄介だっていう訳が分かったよ!」
「大丈夫です。学生時代は鉄パイプを何本も圧し折ったものですから」
「何その学生生活!どんな物騒な学生時代を過ごしたの!!」
試行錯誤、意趣卓逸、善は急げ
私の学生時代は、平和とは程遠い黒歴史でしたよ。
○
最近恒例となりつつある、私によるシンデレラ・プロジェクトのメンバー相手の相談室in妖精社。
本日のゲストはシンデレラ・プロジェクト一の苦労人、フリーダムの抑止力、まじめキャットと私の中で様々な称号を持つ前川さんです。
346カフェでのお茶会が終わった後、何やら深刻そうな表情で相談事があると言われたのですが、いったいどうしたのでしょうか。
とりあえず、乾杯は済ませましたが前川さんは表情が硬いままで料理に一切手をつけようとしません。
前川さんは魚が苦手なので、今日は少し奮発してすき焼きにしたのですがそんな気分じゃなかったのでしょうか。
すき焼きも割り下で味を決める関東風ではなく、前川さんの故郷である大阪ではオーソドックスであろう砂糖を入れる関西風にしたのですが。
「とりあえず、食べますか」
「はい」
肉にいい感じに火が通ってきたので、取り皿に肉や白菜といった野菜を取り分けて前川さんの前に置きます。
食べながら相談を受けようとするのは行儀が悪いかもしれませんが、冷めてしまっては神戸牛が可哀想でしょう。
純粋に神戸牛の味を楽しむ為に、最初の一口は溶き卵をつけずにそのまま食べます。
程良く霜が降った神戸牛の柔らかくきめ細かな肉質としっかりとした風味、溶けだしてくる脂の旨味に関西風の少し甘め味がしっかりとマッチして頬が落ちそうですね。
溶けだした脂が溶け込んだ醤油ベースの出しをまとった白菜や白ネギといった野菜達もそれだけでご馳走みたいに美味しく、それをしっかりと吸った厚揚げは今から食べるのが楽しみです。
これらに溶き卵の濃厚さが加われば、もう向かうところ敵なしでしょう。
「‥‥美味しい」
やはり美味しい食べ物の力は絶大で、先程まで硬くなっていた前川さんの表情が一気に綻びました。
悩みを吐き出させるにはいいタイミングかもしれませんが、箸が止まらないのでもう少し食べてからにしましょう。
時間は無限ではありませんが、少ない訳ではないのでゆっくりとすき焼きを味わっても問題ありません。
寮の消灯時間までに送り届ければ問題ありませんし、もし遅くなるようでしたら私から寮母さんに連絡を入れて私の部屋に泊めればよいでしょう。
下着はコンビニで売っているもの、着替えは体型が割と近い瑞樹の物が使えるはずです。
「さて、軽くお腹も膨れてきたところで本題に入りましょうか」
「はい」
悩みとして思いつくのは本田さんの件で自分のデビューがなくなってしまうのではないかというものですが、雰囲気的に何となく違うような気がします。
関西人らしく言いたいことははっきりと主張する気質の前川さんであれば、そういったことを尋ねるならば1対1で相談するような回りくどいことはしないでしょう。
推測ですが、この相談内容を聞かれたくない相手がシンデレラ・プロジェクトの中にいたのでしょうね。
「えと、相談というより愚痴になるかもしれないんですが‥‥いいですか?」
「ええ、それで前川さんの心が晴れるなら、いくらでも聞きましょう」
「ありがとうございます」
そうしてゆっくりと前川さんの口から語られる内容は、確かに相談ではなく愚痴に近いものでした。
ですが、その内容は私が考えていたものよりも友達思いでプロ意識の高い前川さんだからこそ抱いたものかもしれません。
「現実を突きつけられて気持ちの行き場のなくなった未央ちゃんの気持ちもわかります。
だけど、アーニャのユニット初デビューの舞台を台無しにして、折角デビューできたのに辞めるとか言い出したことに対して許せないと思ってしまうんです!
アーニャが気にしていないのに、私がこんな思いを抱くのは間違ってるってわかってます。デビューの順番に関してもプロデューサーも考えがあってのことだというのもわかってます。
でも!それでも、私は羨ましくて‥‥そんな簡単に放り出せるなら、代わってほしかったって思うんです!」
確かに、今後カリーニナさんと新田さんが初ライブのことを思い出そうとすると今回の件も思い出されるでしょう。
そう考えると前川さんの言うように、本田さんはラブライカの初舞台を素直に喜べないように台無しにしてしまったとも言えるかもしれません。
そして、デビューしたと思ったら初舞台で辞める宣言したというのは、今回デビューできなかったメンバーにどう響いたのでしょうか。
特に前川さんは当初からアイドルとしてのプロ意識は高く、例え顔や名前が一切出ない着ぐるみであろうと一生懸命取り組んでいました。
でしたら、許せないと思ってしまう気持ちは無理もないのかもしれません。
その思いを他のメンバーの前で爆発させてしまわないように、必死に堪えていたのでしょう。
心に溜まっていた思いを吐き出す前川さんの目からは、真珠色に輝く涙が零れだしていました。
私は立ち上がり前川さんの隣に座って、優しく頭を抱き寄せてゆっくり優しく背中をポンポンと宥めるように叩きます。
こういった時に、その悩みを晴らしてしまえる言葉が出てこない自身の甲斐性のなさが嫌になりますね。
他のオリ主達ならば、肯定的でも否定的でも今前川さんの心の中を渦巻く複雑な心情をたちどころに解決してしまうのでしょう。
見稽古によって数々のチート技能を習得していながら、泣いている女の子に胸を貸して宥めてあげることしかできない私とは大違いです。
「いいですよ。私の胸くらいであればいくらでも貸しますから、好きなだけ泣いてください」
そう言ったのですが、やはり他のお客がいることを気にしているのか前川さんは私の胸に顔を押し付けて声を押し殺すようにして泣き続けます。
大声で泣いて周囲のお客に迷惑をかけたとしても、私がいくらでも頭を下げて謝罪して責任は取るので構わないのですが、気にするのでしょうね。
まあ、声は出さなくても涙を流すことはストレスの緩和に繋がるそうですから無意味ではありません。
「溜まっているものを全部吐き出していいですよ。その思いは私が請け負ってあげます。
だから、今はしっかり泣いてください。明日は笑顔になれるように」
今世では、元々精神的に成熟していた為か本気で泣いたことは片手で数えるくらしかありませんが、それでもその時には近くにいた母や七花がこうしてくれたのをよく覚えています。
例え気の利いた言葉をかけることができなくても、泣いて精神的にもろくなっている状態で感じる人の体温の温かさは思っている以上に心強いものですから。
涙でシャツが湿っていくのを感じつつ、努めて優しい声色で大丈夫だと語り掛けます。
そんな涙を流し続ける前川さんを励ますように、とある熱血な元プロテニス選手の言葉を贈るなら。
『悔しがればいい、泣けばいい、喜べばいい。それが人間だ』
この後、泣き疲れて寝てしまった前川さんを私の部屋に連れ帰ったら、泊まりに来ていた楓と菜々に色々とからかわれることになるのですが、それはまた別の話です。