Fate/in UK   作:ニコ・トスカーニ

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完結編です。


市場

 眼前に広がっていたのは「(マーケット)」というより「(タウン)」だった。

 ガヤガヤとした喧騒、既知の匂いとまるで見当のつかない薬草か何かが混ざり合った匂い。

 人々が行き交うその様子はここが人の営みが行われる場所であることを物語っている。

 

 すでに外は暗いはずだが、中は明るかった。

 ソーホーのピンク街を上回るような圧倒的な光量が立ち並ぶ店から発散されていたからだ。

 秘密のマーケットは相当な広さだった。どこまで広がっているのか一見しただけではわからないレベルだった。

 

 「この広さだと中の移動はどうするのか?」と即物的な疑問を口にするとルヴィアは答えた。

 

「ここは魔術師の自治区のようなものです。近代の技術を使うなど無粋ではなくて?」

「自治区?シティ・オブ・ロンドンのような自治権があるのか?」

「ええ。ギルドの合議による許可がなければ首相も女王も時計塔のロードもなんら権限を発揮することが出来ません。出来るのはショッピングのみです」

 

「行きましょう」という言うと彼女は歩き始めた。

 彼女はかなりの健脚だった。

 呼吸以外の運動を一切拒否しているように見えて、その実鍛えているのは明らかだった。

 

「どこかアテがあるのか?」

「魔導書を専門に扱っているここの長老のような方がいらっしゃいます。一軒一軒まわってもいいですが、知っている可能性が高そうなところから当たるべきではありませんか?」

 

 やはり彼女は聡い。

 私の中でルヴィアと凛のイメージは更に強く重なっていた。

 尤もそれを口にしたら確実に不興を招くだろう。

 

 ルヴィアはオレンジ色の金髪をなびかせ一切の迷いなく人の波をかき分けて進んでいく。

 私は忠実なビーグル犬のように彼女の後ろをついて行った。

 

 魔術師は夜に生きる生き物だ。

 防火対策を取っているのか怪しいほどの密度で木とレンガ造りの古めかしい商店が立ち並んでいる。

 店は様々でいかにもヨーロピアンという人種もいればラティーノやアジア人、アフリカ系もいた。

 魔除けとして極めて一般的なヒイラギから何だかわからない得体の知れないものまで雑多なものがそれぞれの店先を飾っている。

 聞こえてくる言語も様々だった。

 一応は英語が共通語としての役割を果たしているようだが、フランス語やドイツ語、イタリア語、北京語、ロシア語、アラビア語など外国の言葉が英語に混ざって聞こえてくる。

 夜のロンドンは豊富なナイトライフの選択肢があるが、どのナイトクラブよりもスローン・スクウェアやオックスフォードストリートのような繁華街よりもここの方が活況を呈しているように感じた。

 

 ルヴィアが通りを歩くと、通った先で商売人たちがルヴィアに頭を下げた。

 エーデルフェルト家は名門だが、それ以上に良い客らしい。

 

「アンドリュー。あなたはこのマーケットについてどの程度ご存知ですか?」

 

 喧騒に混ざってルヴィアの声がした。

 彼女は先導する形で前を歩いていたが私を気遣って時々足を止めて振り返ってくれた。

 

「噂程度にしか知らない。是非解説してもらいたい」

 

 彼女は私の回答に満足したようだった。

 

「殊勝ですわね。良い心がけです」

 

 マーケットの歴史は古い。

 記録によると13世紀の初頭にはすでに取引が行われていたという。

 

 最初はイングランド国王リチャード一世により行われた第三回十字軍の際に、東方から持ち帰られた魔術体系や道具を取引する場所だった。

 16世紀にフランシス・ドレークが英国初の世界一周を達成するとアフリカやカリブの魔術が持ち込まれ、19世紀末にはほぼ全大陸の魔術に関する道具や書物が扱われるようになった。

 その度にマーケットは拡張され16世紀時点ではアールズコートエキシビジョンセンターほどだったマーケットは現在ではハイド・パークとケンジントン・ガーデンズを足したほどの面積になっている。

 

 マーケットに当初は呼び名が存在しなかったが、古いバラッドのスカボローフェアをもじってスカボローマーケットと呼ばれるようになった。

 マーケットは一度も移転することなくロンドンにあるので実情を反映していないがそれに異を唱える声はない。慣習として完全に定着しているためだ(人は慣習を変えたがらない生き物だ)。

 

 マーケットはロンドンの冴えない路地裏から秘密の場所に向けて空間転移魔術を使い入場することが出来る。

 まともな魔術師であれば、その場に行きさえすれば術の解析で「扉」がどこにあるか程度までは分かる。

 それが利用者に要求される素養の最低条件だ。

 

 その最低要件を満たしたうえで、利用には名家の紹介が必要だ。

 それもただ名家なだけではいけない。

 ヨーロッパという文化圏で生まれ育ったエーデルフェルトのような家の人間でなければいけない。

 それがマーケットの秘匿性を守ることになるからだ。 

 

「何かご質問は?」

 

 ルヴィアの健脚について行くのは一苦労だった。

 私もかなり鍛えてはいるのだが、認めたくないが彼女の方が荒事も上手かもしれない。

 私は荒く息をしながら実に情けないことを言った。

 

「とても興味深い話だった。ありがとう。それはそうと少し歩くペースを落としてもらえないだろうか?」

 

  〇

 

 アーサー・ウォルポールは70歳は過ぎていると思われる老紳士だった。 

 怪奇作家のホレス・ウォルポールや初代首相のロバート・ウォルポールに連なる由緒正しい血筋の生まれと伝わっているが本人にも本当のところは分からないという話だった。

 

 この老紳士がルヴィアご推薦のアテだった。

 ウォルポール老人の魔術書店は、古書店によくあるカビと埃の匂いをさせていた。

 壁面一杯に並べられた書棚にディスカウントショップの商品のように書物が圧縮陳列されたいた。

 年代はバラバラで活版印刷発明以前の手書きと思われる書物もあればごく最近に書かれたと思われるものまでおそらく書物と呼ばれるものの創成期から現代までが揃っていた。

 

 ルヴィアは私をウォルポール老人に紹介すると簡単に時候の挨拶を済ませてから本題を切り出した。

 彼は二つ返事で協力を承諾した。

 やはりエーデルフェルトは良い客なのだろう。

 

 私は協力への感謝を述べると老人に現場で撮った写真を見せた。

 老人は写真を一瞥すると深くため息をついた。

 そしてゆったりとした口調で名前を口にした。

 

「バスキアだ。シャルル=アンリ・バスキア。あいつが作ったもので間違いない」

 

 我々は一発で当たりを引いていた。

 私は更に問いを続けた。確認したいことがあった。

 

「マーケットの習慣として誰に売ったか記録は残すものですか?それがあれば辿れる」

「売ってなどいない。やってたんだ。無償でね」

 

 私は驚いた。

 ルヴィアは私以上に驚いていた。

 

「その人物はどこに?」

 

 ルヴィアは憤懣やるかた無いという様子だった。

 彼女は伝統ある魔術師だ。

 一般人に魔道具を渡すなど以ての外ということは、俗世に塗れた私でも知っている。

 

 ウォルポール老人は今日二度目の深いため息をつき、ゆっくりとした口調で答えた。

 

「あいつは死んだ」

 

 老人は唖然とする我々を尻目に入り口に向かい、ドアを閉め、鍵も閉めた。

 

「長い話になる。今日は店じまいだ」

 

  〇

 

 シャルル=アンリ・バスキアはハイチをルーツとするフランスの魔術家系に生まれた。

 先祖は18世紀にハイチから移民してきた呪術師とフランスのパッとしない魔術家系の混血だ。

 

 ハイチとフランスの混血であるバスキアの祖先、アレクサンドル・バスキアはパっとしない家計同士の混血であるため魔術回路には恵まれなかった。

 しかし、アレクサンドルは貪欲な知識欲と西ヨーロッパとカリブ双方の魔術文化への理解があった。

 知識を足掛かりに時計塔への入学を許され、そこで培った人脈筋に知識を売る商売人としての地位を確立した。

 

 知識に長けていたアレクサンドルのは手先も器用だった。

 陣地作成――工房を作成する能力はサッパリだったし、作れる道具のレベルも高が知れていたが通り一編のものであればそこそこのレベルで形に出来た。

 その器用さは評判となり、スカボロー・マーケットで店を持つことを許された。

 

 シャルル=アンリはそのアレクサンドルの200年ほど後の子孫だ。

 バスキア家は200年の間に商売人としての地位を確かなものにしていた。

 

 商売のために知識を蓄え、道具作成の腕を磨き。

 子孫たちはそれを脈々と受け継いできた。

 

 シャルル=アンリ・バスキアは一人っ子で物心ついた頃からバスキア家の商売を手伝っていた。

 ウォルポール老人によるとサッチャーが首相になった頃には店に立っていたという。

 

 サッチャーが退任し、メージャーが退任し、ブレアが政権を握る頃になると長男であるバスキアは自然な流れで店を受け継いだ。

 

 ブレア内閣が二期目を迎えるころになるとバスキアの父が亡くなった。

 その頃にはバスキアは結婚しており、子供も設けていた。

 脈々と続く商売人らしい、こじんまりとして堅実な人生だった。

 

 そしてブレア内閣の弱体化が隠しようもないほど侵攻したころ、バスキアの平穏な人生が一変した。

 妻と子供が謎の体調不良に襲われたのだ。

 

 医者は二人の体調不良に首を傾げるばかり。 

 呪術師もその謎を解明できなかった。

 

 バスキアは方々に相談して回り、ウォルポール老人に相談を持ち掛けた。

 ウォルポール老人は知識を扱う仕事柄上解析を得意としていた。

 

 ウォルポール老人が入念に解析した結果、バスキアの妻と子供の体の奥底に呪詛が刻まれていることを発見した。

 それは強力な呪詛だった。

 悪魔かそれに近い存在が遺伝子レベルの深い部分に刻んだもので隔世の時限爆弾として発動する代物だった。

 

 ウォルポール老人の推測では何代か前の先祖――恐らくはバスキア家がまだロンドンにやってくる代よりも前――に先祖の誰かが結んだ契約が発現したものではないかということだった。

 契約の内容はわからない。

 だが、その契約の代償をいま、子孫であるバスキアの妻と子が払っているということは間違いなかった。

 

 呪いはあまりに強力で解除の仕様が無かった。

 バスキアは方々を走り回り、古文書を読み漁った。

 しかし、すべては徒労だった。

 

 衰弱の果てにバスキアの妻と子は亡くなった。

 

  〇

 

 

「その頃からバスキアは店を休みがちになった」

 

 ウォルポール老人は語る。

 

「ショックだっただろうから、そういうものだと思ったんだがね。ある時、店の様子を見に行くとバスキアが道具を持って外に行こうとしていた。それで私は問いただしたんだ」

 

 バスキアの答えは「人を救いたい」だった。

 

「私は聞いたよ『どうやって?』と。奴は答えた。『この世には絶望している人が多くいる。俺はそういう人たちに少しでも安息を与えたい』と」

 

 妻子を失ったバスキアの人生は一転した。

 そして魔術の利己主義に小さな反乱を起こした。

 一般人に魔術を使うのは「神秘の秘匿」という原則に反する。

 それでもバスキアは止まらなかった。

 

 無料で占い師をしながら人生に絶望している人を見つけ、ささやかな幸福付きの自殺幇助を繰り返した。

 そんな日が一年ほど続き、つい一か月前バスキア自身も亡き者になった。

 

「呪いの魔道具を短期間に作りすぎて自分に跳ね返ったんだろう」

 

 それがウォルポール老人の見解だった。

 

  〇

 

 カップのブラックティーは既に冷めていた。

 トワニングかリプトンかわからないがきっとその辺の量産品のティーバックで淹れたのだろう。

 量産品特有の香りがした。

 

 最初に口を開いたのはルヴィアだった。

 一番現実的なのはいつも女性だ。

 

「ミスター・ウォルポール。神秘の秘匿に反する行為をあなたは黙認したのですか?」

「私は魔術師だが魔術師である以上に商売人だ。俗人の考えは捨てきれないさ。

 ――君たちもそうだろう?お若い人たち」

 

 我々は何も言い返せなかった。

 なので私は話題を変えた。

 

「バスキアの店はどうなるんですか?」

「フランスの親族が受け継ぐそうだ。シャルル=アンリの従妹にあたる。

もはや直系の家系じゃないがまあ、何とかなるだろう。一度確立された商売というのはそういうものだ」

 

  〇

 

 ジャガーXJは夜のロンドンを滑るように走行していた。

 車はナイツブリッジに差し掛かっており、フロントグラスからは遠目にハロッズが見えた。

 

 街路はアフターファイブを楽しむウキウキした人々の姿が見えた。

 

 私はルヴィアと今回の件をどうするか議論していた。

 正確には同意の再確認をしていた。

 我々はどちらも今回の件を魔術協会に報告する気は無かった。

 エミリーさえ説き伏せれば一般に神秘が漏洩したことにはならない。

 ただの事故として処理されるからだ。

 

 ブードゥーの呪いは珍しいものではあるが決して特別なものではなく、話したところで魔術協会は恐らく興味を示さない。

 ここだけの話で済ませれば問題はないだろう。

 

 ものの10分ほどの会話で二人の総意は固まった。

 この先は余計な会話――凛だったら「心の贅肉」と評しそうな行為だ。

 

「君はウェイバー君……ロード・エルメロイ二世のことを『最低の魔術師だ』と評していたそうだね」

 

 私は言った。

 

「誰から聞いたのですか?」

 

 彼女は眉を顰めた。

 

「情報源に出来る存在などごく少数だろうから、ほぼ答えは出ていると思うが……フードを被った物静かな内弟子だ」

「それで?」

 

 ルヴィアの表情には怪訝と怒りが混ざっていた。

 私は可能な限り穏やかに答えた。

 

「君の意見に異論は全くない。彼は魔術師としては最低レベルの部類に入るだろう。だが、君は志願して彼の弟子になった。つまり……」

 

 彼女の表情から怒りは消え、怪訝だけが残った。

 私は言った。

 

「君は人の資質を見抜く能力に長けているということだ。上に立つ人間として重要な能力だと思う」

 

 彼女はお気に召したようだった。

 今日、初めて笑顔を見せた。

 笑った彼女は、数秒前と比べても明らかに優しい口調になった。

 

「そういえばまだ、対価を要求していませんでしたわね。……アンドリュー・マクナイト」

 

 彼女は何かを準備するように小さく咳ばらいをして言った。

 

「私の調達屋になりなさい」

 

 私は答えた。

 

「仰せのままに」

 

 車は夜の闇をかき分けるように進んでいく。

 冬の夜は長い。




8000文字ぐらいでサクっと終わると思ったんですが、予想以上に長く12000ぐらい行ったので3回にしました。
最後までお読みいただきありがとうございます。
もう連載3年半を超え、そろそろ通算100話が迫ってきました。
ご愛顧いただきありがとうございます。
いま、暇なので近くまた更新するかも知れません。
一時創作の方もよろしくお願いします。
https://mypage.syosetu.com/490660/

予告、明日は久しぶりの「帰ってきた英国の風物」です。

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