Fate/in UK   作:ニコ・トスカーニ

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他のものを書こうと思ったのですが、思い付いたのでまたしても空の境界コラボです。
『殺人考察(後)』の少し前に起きた出来事という設定です。
「こんなことが起きたかもしれない」というオリジナルストーリーです。


偶発因果
偶発


 あれは1999年の1月か2月の事だった。

 なぜ十年近く前の出来事に対してそのような具体性のある日時が思い出せるか。

 なぜ突如十年近く前の出来事を思い出したのか。

 それを説明しなければならない。

 

 日本での用事を済ませた私はいつものようになけなしの荷物を貸倉庫に収容しに行った。

 その時、ふと思い立ち倉庫を整理しようと考えた。

 武器や弾薬、いかがわしい魔術の道具を整理していて確定申告(タックスリターン)のために保存しておいた領収書の束を見つけた。

 そこには1999年の1月から2月の間の日付が刻まれていた。

  

 マルセル・プルーストが紅茶にプチマドレーヌを浸して少年時代を思い出したように、私は領収書に印字された無機質な文字と数字の列から記憶を呼び覚ましたわけだ。

 

 この年2月、この物語における私の相棒である両儀式は突如、姿を晦ました。

 であれば、この出来事は彼女が姿をくらませる前か彼女を黒桐幹也が発見した後だったはずだ。

 私の記憶が確かならば「前」の方だ。

 

 とはいえ、この物語において時期は特に重要なファクターではない。

 「あれがいつの出来事だったのか」という考察は脳というリソースの無駄遣いだ。

 そして私はリソースの無駄遣いが好きだ。

 それは人生において時に重要なことだ。

 

 あれは数々のアンドリュー・マクナイトの事件簿に刻まれた奇妙な事件の一つだった。

 

 

「式に部屋の合い鍵を渡したんだ」

 

 黒桐幹也はいつもの温顔で――訂正、いつも以上の温顔でそう語った。

 私と幹也はアーネンエルベというクラシカルな装いの喫茶店で向かい合ってコーヒーを啜っていた。

 なんでもないただのスモールトークだ。

 私は彼に友情を感じているし、彼もそうであるはず。

 特に彼に用があった訳ではなかったが仕事で遠く日本にやってきてついでで互いの近況を報告しあっていた。

 

 幹也は両儀式に好意を寄せている。

 それを特に隠そうともしない。

 彼はそういう人物だ。

 

 彼にとって式は愛しい人だが私にとっては恐怖の対象だ。

 彼が式に好意を寄せる理由はさっぱり理解できないが、幹也のような好人物が喜んでいるのは私にとっても不快なことではなかった。

 

 素直そのものの幹也に対して、式はひどく掴みどころのない人物だ。

 大人しく「合鍵が欲しい」と言ったはずもない。

 

「彼女は何と?」

 

 私は妥当な質問をした。

 

「『僕は式の部屋の鍵を持ってるけど、式は僕の部屋の鍵を持ってない。不公平だ』って」

 

 予想以上にステレオタイプな口実だった。

 

「君はそれを聞いてどう思った?」と私は尋ねた。

 

「確かに不公平だなって……」

 

 幹也の表情は欠片たりも洒落っ気を感じさせない真剣そのものだった。

 私は思わずため息を漏らした。

 そして彼の発言に対して妥当な感想を述べた。

 

「ミキヤ……君の事は好きだが、君の事が全く分からないよ」

 

 幹也は私の感想に対して首を傾げた。  

 

「理由は何であれ、式はいつでも僕の部屋に入れるようになったんだ。これって良いことだよね?」

 

 彼は不思議そうにそう述べた。

 私は「ああ。その通りだ。おめでとう」とおざなりな感想を口にし、立ち上がった。

 

「そろそろトウコとの約束の時間だ。彼女との約束で時間を守ったところで益などないだろうが、もう行くよ。つまらない会話に付き合ってくれてありがとう」

「君も、わざわざ寄ってくれてありがとう。じゃあ、またね」

 

 

「よく来たな。アンドリュー、まあ座れよ」

 

 そう言って私を呼び出した張本人、蒼崎橙子はみすぼらしい椅子を私に勧めた。

 

 ここ、伽藍の堂は橙子が営む建築デザイン事務所兼人形工房だ。

 正確には建築途中で放棄されたビルを買い取って事務所と言い張っている。一階はただの廃墟。二階と三階は橙子の仕事場で、四階が事務所だ。

 私は最初の彼女の邂逅を除けば、四階以外に立ち入った事は無い。

 彼女と知己を得て以来、私は彼女の友人――もとい都合の良い人物として度々呼び出されるようになった。

 

「で、今回は幾ら貸せばいいんだ?金の無心をするからにはそれなりの態度で頼むんだろうな?跪いてブタの鳴き真似をするとか」

 

 伽藍の堂の経営状態は杜撰という表現すら生温いぐらい酷いものだった。

 橙子は収入が入ると片っ端からどうでもいい代物に浪費し、従業員である幹也は数々の給料未払い問題に直面している。

 実のところ、今日のコーヒー代も私が払っている。

 彼には心から同情する。

 

「それとも日本式のドゲザか?さぞかしドラマチックなドゲザを見せてくれるんだろうな?」

 

 橙子が微笑を浮かべたまま何も言わなかったので私はさらに言葉を重ねた。

 彼女は微笑を浮かべたまま徐に口を開いた。

 

「……お前、面白いな。『面白い』って言うのは『愉快』って意味じゃないぞ」

 

 私は彼女の殺気に顔面を硬直させ、あからさまな話題の転換を試みた。

 

「彼女がいる理由は?」

 

 部屋の隅で気怠そうな仏頂面をして無言の行を貫いている両儀式を私は指した。

 

「式を同行させる。お前たち、仲良くしろよ。そら、これが資料だ」

 

 私は彼女から乱雑に手渡された資料をめくった。

 橙子から受けた依頼は呪いの解呪だった。

 呪いのかかったその品は捨て置くにはもったいない魔道具で持ち主は魔術の旧家の人物だった。

 その家系は歴史はあるもののすでに没落しており、件の旧家の家長も魔術は申し訳程度にしか使えないという話だった。

 

 魔術に関する文献や道具の貸し出しがその家の現在の主業であり、貴重な魔道具がまともに使えるレベルになるかどうかは重要な問題だった。

 そこでどこから噂を聞きつけたのか伽藍の堂に依頼が入った。

 橙子は自分で受けるつもりだったが、別の大口の仕事が入り受けることが出来なくなった。

 

 そこで仲介手数料を取る代わりに私に仕事を依頼する流れとなった。

 私は術師としては「そこそこ優秀」な「秀才」だが解析にはかなり自信がある。

 私向けの案件だった。

 

 経費削減のために解決まで伽藍の堂で寝泊まりするというやっかいな条件がついたが背に腹は代えられない。

 仲介手数料を引いても悪くない報酬条件だったため私は引き受けることにした。

 

「式が同行する理由は?」

「式は魔術にあまりにも疎すぎる。いい機会だし、私が教えても聞かないだろうからな。お前が教えてやってくれ。

お前がどう思ってるかは知らんが、式はお前の事は割と気に入ってるぞ」

 

 そう言われた式本人は変わらず仏頂面で無言の行を貫いていた。

 

「それと、アンドリュー。変な気を起こすなよ。黒桐に嫌われたくはないだろ?」

 

 私は我ながら碌でもない即答をした。

 

「全く何を言うかと思えば。式は確かに人目を惹く容貌をしているが、僕は彼女に性別を意識したことなど一度もないよ。

とてつもなくドデカいキンタマを持っている可能性を疑っているぐらいだ」

 

 次の瞬間、私の鳩尾に鋭い一撃が突き刺さっていた。

 

「……痛いじゃないか、シキ」

 

 壁に寄りかかって気怠そうにしていた式が猫のような素早さで私の懐に飛び込んでいた。

 

「因果応報だ。莫迦」

「褒めたんだがね?」

「もう一発逝っとくか?」

 

 

「トラブルの匂いがするな」

 

 呪いは予想以上に厄介で依頼主の元に通い始めてそろそろ二週間になろうという日のことだった。

 その時、私は美しきブルネットの鬼、両儀式と並んで観布子市の路上を歩いていた。

 依頼主の家からの帰り道だった。

 

 周囲は無個性なドブネズミ色をした低層住宅に囲まれ、どんよりとした曇り空が覆っていた。

 式はいつものようにせっせと解析にいそしむ私の横で仏頂面をして無言の行を貫き、私が時折挟む解説に気のない返事を返していた。

 

 私はある程度この両儀式という人物の人となりを知っている。

 彼女は不愉快なのではない。

 平常運転を恙無く行っているだけだ。

 

 彼女の発言に対して私が何か返答をしようとすると、返答をする暇もなく彼女はさっさと歩きだした。

 ……まったく。

 

 仕方なく私は彼女の後を追った。

 

 やがて彼女の足が止まった。

 

 そこは一軒の廃屋だった。

 人口密集都市の東京だが、このような地にも廃墟はある。

 解体を業者に頼む経済的余裕がない家庭のやむない措置だ。

 

 築三十年以上は経っていそうなその廃屋にずかずかと彼女は土足で上がり込んでいた。

 

 その家のリビングルームと部屋で十代の前半から半ばごろと思われる黒髪で翡翠色の目をした小奇麗な身なりの少年がいかにも不良という風情の五人組の若者に囲まれていた。

 どちらが加害者でどちらが被害者かあまりにも明確過ぎる光景だった。

 

「こんばんは、諸君。トラブルか?ならば警察を呼ぶべきだ。

尤も、この状況では我々全員が不法侵入の罪を犯しているからそういう意味では同罪だがね」

 

 私はウィットを込めて若者たちに挨拶をした。

 

「このガキ、ぶつかったのに謝りもしないでよ。ぶつかられて服が汚れちまったからクリーニング代寄こせって言ったら、逃げようとしやがった」

「そうそう。俺たち、被害者だぜ?それともあんたがクリーニング代出してくれんのか?外人の兄さん」

 

 若者たちは濃厚に自身の都合の良いバイアスをかぶせた事情を説明した。

 

 ……まったく。

 私はクソ野郎を引き付ける磁石か?

 それとも式がクソ野郎を引き付ける磁石か?

 

「成程、いかにも高級そうな服を着ている。そんなに汚れと擦り切れだらけではクリーニング代も相当な額になるだろうな。

君たちのファッションコンセプトを当てて見せよう。モダンホームレス風ファッションだろう?合ってる?」

 

 若者たちの中で一番背の高い男がすごんで見せた。

 

 私の身長は5フィート8インチ。式は5フィート4インチほど。

 男は6フィート以上はあるように見えた。

 

 だが、魔術の世界において図体と力の強さは比例しない。

 6フィートの男は私と式の眼前まで迫ってきたが、私も彼女も1インチたりとも動じなかった。

 

「ちなみに、彼女が着物にブーツとレザージャケットというアヴァンギャルドな成りをしているのは彼女がパリコレを目指しているからだ。それともミラノだったかな?」

 

 式は私のユーモアに「五月蠅い」という反応を返した。

 

 若者たちは私の言動にシンプルな怒りという反応を返した。

 

 彼らは手に金属バットとナイフを握っていた。

 

「アンドリュー、下がってろ」

 

 式は若者たちを一瞥するとがぶっきらぼうに呟き、私の前に出た。

 これはいけない。

 彼女が本気を出したら比喩ではなく殺人が起きる。

 

 私は止めようとしたが、彼女を止める手立てなど私にはないこと思い出し、引いた。

 

「殺すなよ?ジョークではないぞ」

「当たり前だ。こんなつまらないモノ殺せるか」

 

 気怠そうに前に出た式は眼前ですごんで見せている6フィートの男の顔面に目にもとまらぬ速さで掌底打ちをお見舞いした。

 男は悲鳴すら上げることなく、トラファルガースクウェアの噴水のように盛大に鼻血を噴出して失神した。

 

 ドスンという重い音と共に6フィートの男は床とランデブーしていた。

 

 それがきっかけだった。

 残った四人は手にした武器を出鱈目に式に振り下ろした。

 

 彼女は豹のような機敏さでそれらを躱し、いなし、四人の若者の意識を刈り取った。

 今日という日は五人の若者にとって人生最悪の厄日に違いない。

 

 私は部屋の中心でみすぼらしい椅子に押し込められた少年に歩み寄った。

 

「怪我はないか?」

 

 少年は何も答えなかった。

 

 少年は端正な顔立ちをしていた。

 黒曜石のような豊かな黒髪、翡翠を思わせる瞳。

 大理石のような白い肌。

 少年時代のドリアン・グレイが実体化したらこうなるのではないかと思われるような魅惑的な容姿をしていた。

 

 そして、その少年の容姿はなぜか私に既視感を覚えさせた。

 

 だが、今それは問題ではない。

 この少年は被害者だ、

 

 私は外傷がないか確かめようと少年に触れ――魔術師としての勘が全身を貫いた。

 私はトラブルは好きではないのだが、トラブルの方は私を愛しているらしい。

 

「シキ。この少年、魔術回路がある」

 

 私は相棒に簡潔に事実を述べた。




次回、後編です。

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