Fate/in UK   作:ニコ・トスカーニ

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第3回です。
亀更新します。


香港

 ――香港。

 極東アジア最大級の都市にして

 東京と並び称される金融センターを擁するメガシティ。

 

 そして私の生まれ故郷。

 

 私は飛行機を降りると凛を伴いまずは空港の飯店(レストラン)で食事を取った。

 私は雲呑麺を頼み凛は魚生粥を注文した。

 典型的な広東料理だ。

 

 私は広東語で注文をしたがウェイターはまったく驚かなかった。

 この街で私のようなアジアと白人の混血は珍しくない。

 

 凛は香港の食事を喜んでいた。

 世界最高の美食都市を訪れた人間の自然な反応だ。

 

 ロンドンのチャイナタウンで注文したら倍は取られるであろう美味な料理を平らげるとシステマチックに整備された空港内を移動し鉄道の駅を目指した。

 

 

 機場快線(エアポートエクスプレス)に乗り九龍駅に向かう。

 九龍駅からシャトルバスに乗り換え尖沙咀のホテルに荷物を置くと、徒歩で

彌敦道をまっすぐ進みわき道に入る。

 

 まだ冬だというのに香港の空気は湿気を含んで蒸し暑く、ぬるま湯を含んだスポンジを地肌に押し付けられたような熱気が絡み付いてきた。

 私と凛は示し合わせたように上着を脱ぎ、額の汗をぬぐいながら道を進んだ。

 

 香港は洗練と雑然が同居した都市だ。

 尖沙咀は香港最大級の商業地区でもっとも洗練されたエリアだが一本わき道に入ると雰囲気がまったく異なる。

 

 厚福街はこの街を形作る雑然側の一部で、ギラギラした色合いの香港式看板の下に多くの日本料理店が軒を連ねている。

 木を隠すには森と言う諺が日本にはあるらしいが彼女はそれを実践しているわけだ・

 

 彼女の店を訪れるのは久しぶりだったがすぐに見つかった。

 

 「日本料理 吉」という目立たない名前の目立たない看板を掲げた扉を開け中に入る。

 

 昼時は過ぎていたはずだったが店内は込み合っていた。

 なかなかに繁盛しているらしい。

 店内には広東語を話す客のほかに日本語を話す客も相当数いた。

 

 私と凛が中に入ると和服を着た若い男の店員が広東語で話しかけてきた。

 日本料理店は香港では極めてありふれた存在だ。

恐らくウェイターだけでなく料理人も香港人なのだろう。

 店長のマギー・ラウさんに会いにきたと話すと、若い男は我々を厨房の奥に通し、

厨房の奥にある階段を指し示して「お上がりください」と笑顔で言った。

 

××××××××××

 

 ありとあらゆる種類の人体模型で埋め尽くされたすばらしい趣味の部屋に紫煙が漂っていた。

 憶えのある紫煙の匂い。こんな不味そうな匂いのするタバコを吸う人間を私は2人しか知らない。

 2人の内の1人、我が信用できない旧友蒼崎橙子は目下行方不明だ。

 そうするとこの不味そうな紫煙をくゆらせる人物はその2人の内のもう1人となる。

 

 そのもう1人の知人、日御碕御影は約束どおり私のことを待ってくれていた。

 彼女は気まぐれで約束を守り謙虚でまじめな日本人の典型とは大きく異なる存在だ。

 とりあえずアポイントメントを守ってくれたことに感謝しつつ私は言った。

 

「医者の不養生とはまさにこのことだな」

 

 日御碕は言った。

 

「煙草を吸うといつも考えるんだ――人間について」

 

 そう言うと彼女は立ち上がり我々に近づいてきた。

 彼女との付き合いは長いがその姿は出会った10代の頃から変わっていない。

 私と同世代のはずだが相もかわらず少女と自称しても違和感ないような可憐な姿を保っていた。

 

「平和が一番だとわかっていながら戦争をする。

健康が一番だとわかっていながらつい健康に悪い煙草を吸う。

人間って矛盾した生き物だよね」

 

 そして我々の前数フィートの位置で立ち止まり、私の隣にたたずむ凛を見やった。

 そのまま日御碕は凛の肢体をじっと検めるように見つめていた。

 凛はその行動に困惑していた。

 

 PK戦が2、3本は終わりそうなほどの時間じっとそうした後、日御碕が口を開いた。

 

「何かスポーツ・・・いや違うな。武術かな?

たしなむ程度じゃなくて結構な達人だね」

 

 凛は答えて言った。

 

「はい。八極拳を嗜んでいます」

「もったいないなあ。はげしい運動って言うのは体をゆがめちゃうんだ。

せっかくきれいなシンメトリーの体が台無しになっちゃうよ。

汗をかく運動ならウォーキングにしなきゃ」

 

 彼女、日御碕御影は呼吸と歩行以外の運動を決してしないポリシーを守っている。

 さらに日御碕は凛に言った。

 

「昔、一度会ってるんだけど……覚えてる?

美人さんになったね。しかもすごい魔力。

亡くなった時臣さんも鼻が高いだろうね」

「父をご存知なんですか?」

「うん。知ってるよ。キミなら知ってると思うけど日御碕家も名家だからね。

私は父さんと時臣さんが話してるのを横で聞いてただけだから結局一言も話してないんだけどね。

そうだな、あの人はなんていうか……」

 

 この流れは良くない。

 クロウリーといい日御碕といい、こういうタイプの人間が故人の話をするとたいてい碌なことにならない。

 私は話の流れをせき止めようとしたがもう遅かった。

 ラファエラの聖母のような穏やかな微笑みを湛えながら彼女は言った。 

 

「パッとしない死に方をするんだろうなって思ったな。

たぶん、そこそこに優秀だったんだろうけど何かが足りなくて高みに至れないタイプ?

そしたら風の噂に聞いたんだけど、お弟子さんに背中から刺されたんだってね?

――それ聞いたとき、不謹慎なのは解ってるんだけど笑っちゃってさ!

ごめん!悪いんだけどわりとまじめにマヌケな最後だよね!

えっと、凛ちゃんだっけ?キミも気をつけなよ。

魔術師の世界は狭いからね。マヌケな死に方したら根性曲がった人たちに話のネタにされちゃうよ」

 

この人物は好きなものが二つあるが。

 二つ目が立場の弱い人間を弄ることだ。

 

 日御碕は兄たちに土下座させたときのように屈託なく笑っていた。

 やはりあの時と同じように悪意を欠片たりとも感じさせないすばらしい笑顔だった。

 

 ――まったく、クロウリーといい日御碕といい。

 どうして私の知っている天才は皆こうなのか。

 

 その無礼極まりない発言を聞いた凛は――

 彼女はまるで紛糾する暴徒の前に立ったマリー・アントワネットのように微笑し

静々と頭を下げると、まるで生まれてから怒りなど感じたことが一度もないかのような

調子で言った。

 

「貴重なご忠告痛み入ります。

どうかこの出来そこないを見限らず今後とも何卒ご助言ください」

 

 日御碕はその発言に対し「へえ」と呟くと笑顔で言った。

 

「よろしい。人間謙虚で素直が一番だね

――おっと失礼。そう言えば自己紹介してなかったね。

改めまして。私は日御碕御影(ひのさきみかげ)。キミの妹ちゃんの救世主になるかもしれない存在だ。

まあ、とりあえず座って話そうか?お茶でも出させるよ」

 

××××××××××

 

「で、アンドリュー。サマセットに聞いたけどさる高貴な家に楯突くようなことをしたいんだって?」

 

 我々は日御碕に勧められるまま簡素な椅子に座り、供された鷄蛋巻を齧り冷たいジャスミンティーを啜っていた。

 鷄蛋巻もジャスミンティーはかなり美味だった。こんな状況でなければもっと楽しく味わえたことだろう。

 

「言い方の問題だが、最終的にはそうなるな」

「うーん。マキリの術なんて滅びようがどうなろうが別にどうでもいいけど、

あそこのお爺ちゃんしつこそうだからなあ。

恨み買ったら500年ぐらい呪われそうだし。

ほら、私もさ。自分の身はかわいいからね」

 

 隣の凛が口を開いた。

 

「日御碕さん。私たちが無茶なお願いをしていることは分かっています。

ですが、あなたは話の分かる方だと聞いています。

どうか話を聞いていただけませんか?」

 

 上手い話の持って行き方だ。確実に日御碕の自尊心をくすぐった事だろう。

 日御碕はまたしても「へえ」と呟くと言った。

 

「話の分かる方ね。そんなこと言われると照れちゃうな。

うん。じゃあね、凛ちゃん。地獄の沙汰も金次第って諺知ってるかな?」

 

 やはりそうきたか。

 そして彼女は数字を書いた紙を我々に差し出した。

 

 予想と0の数が一つ違っていた。

 とても用立てできる額ではない。

 

「また、これは随分と吹っかけてきたな」

 

 と私が言うと彼女は言った。

 

「吹っかけるなんて人聞きが悪いな。

実はちょっと難しいお仕事をもらっててね。

それが成功したらこの額が対価としてもらえるんだ。

私は話の分かる人だからね。

あなたたちがこのお仕事を無事にやり遂げたらあなたたちの依頼も受けていいよ」

 




亀更新になりますが今後もよろしくお願いします。

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