Fate/in UK   作:ニコ・トスカーニ

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再び東京へ。
『空の境界』とのクロスオーバーです。


東京奇譚
出発


 

 

 12月半ば、凍てつくように冷える一日。

 いつものように私は深夜のイケない仕事を終えエミールの小汚いホテルの

小汚いベッドに潜り込んだ。

 翌日、やはりいつものように惰眠をむさぼり昼過ぎに目を覚ました私は昼食を摂るために外出した。

 外は、前日の夜から降り続いた雪で一面銀世界だった。

 ロンドンは寒さの割にそれほど雪は降らないが一度まとまった積雪があると地上の交通網に大きな混乱が生じる。

 案の定、ロンドン市内のバスはほぼ全線が運転を中止していた。

 私は地上の混乱を横目にエジウェアロードにあるインド料理店でベジタブルカレーとサモサをテイクアウェイすると

寄り道せずそのままエミールのホテルに戻ることにした。

 合わせて6.5ポンド、まあこんなものだろう。

 

 ホテルのレセプションには珍しくアジア人女性の観光客がいた。

 ホテルがあるここパディントン駅周辺は安価な宿と安価なレストラン(主にファストフード店)が多い高級なエリアだ。

 そのなかでも特にエミールのホテルはネコの小便のような臭いのたちこめる素敵な宿泊施設であり

あまりの格調高さから観光客に全く人気がない。

 その物珍しい光景を横目に部屋に戻ろうとすると彼らのやり取りが聞こえてきた。

 

 観光客らしきアジア人女性はこう言った。

「Could you call me taxi? <私をタクシーと呼んでいただけますか?>」

 エミールは戸惑いながら答えた。

「Yes……, Ms.Taxi. Madam.<はい……、ミス・タクシー。マダム>」

 

 彼女は自分の言葉が通じていないのを感じ取ったのか続けてこう言った。

「No. Please call me taxi.<違います。私をタクシーと呼んでください>」

 エミールは困り顔でこう答えた。

「Yes, You are Ms.Taxi. Isn't it enough yet ? <はい……、あなたはミス・タクシーです。まだ不十分でしょうか?>」

 

 そのヘビージャパニーズアクセントから彼女が日本人であることは明白だった。

 そして、それは冠詞の概念がない日本人がしがちな間違いだった。

 我々英語を母語とする人間にとって非英語圏の人間が話す英語での冠詞の抜けなどさして気にはしないし、そもそもこの状況で

自分をタクシーと呼んでくれなどという奇妙な要求をしてくる人間はいないだろう。

 だがエミールはロシア人であり、そしてこのホテルには英語を不得手とする人間が宿泊することはあまりない。(得意客の多くは英国、あるいはヨーロッパからのバックパッカーだ)

 その上、エミールの生真面目な性格が状況をこう着させていた。

 

 私は彼女に日本語で声をかけた。

「お譲さん。今日はタクシーを呼ぶのは止めておいた方がいい。雪で渋滞がひどいからね」

 彼女は驚きの表情でこう答えた。

「日本語話せるんですか!?」

 

 もう何度も聞いた言葉だ。日本人は白人が日本語を話すと必ずこういう反応をする。

 彼女の行き先はケニントンパークだった。私はパディントン駅からサークルラインに乗り

ムーアゲート駅でノーザンラインに乗り換えれば良い事を伝えた。

 彼女は感謝の言葉と共にこう言った。

「日本語お上手なんですね」

「なに、君の英語ほどじゃないよ。では気をつけて」

 

 彼女が私の言葉をどう受け止めたのかは分からなかったが、とにかく彼女は日本式にお辞儀し

ホテルから出て言った。

 

 彼女を見送り、自分の部屋へと戻る私の背中にエミールがこう声をかけた。

「助かったよ。アンドリュー」

「構わないさ。それより異文化コミュニケーションというのは難しいな。エミール」

 

××××××××××××

 

 30分後、私はBBCチャンネル1で「ドクターズ」の第10シーズンを視聴しながら

なかなかイケるサモサとベジタブルカレーを頬張っていた。

 

 番組が終わりに近づいたころ私のモバイルフォンが鳴った。

 国際電話だ。局番は+81、つまり日本からの電話ということになる。

 私に日本から電話をかけてくる人物は思い当たる限り2人しか存在しない。

 どちらもあまり話すのに気が進まない相手だ。

 だがフリーランスは仕事を選べない。私はしぶしぶ3コール目で電話にでた。

 

「よお、アンドリュー。まだ生きてたか?」

 

 通話口から若い女性の声が聞こえてきた。

 着物を着た美しいブルネットの日本刀が似合う鬼。

 私が最もこの世で苦手とする人物の一人だ。

 私は気が進まない気持ちを一言で表現した。

 

「I don't speak japanese<日本語わかりません>」

「Don't hang up the phone , if you don't wanna die.<電話を切るな、死にたくなければな>」

 

 相手の思わぬ返答に私は驚きをこめて言った。

「シキ、君は英語が話せたのか…」

 電話の相手両儀式―きっと遠い海の向こうの島国で気だるそうな表情を浮かべているに違いない―

は一言こう返した。

 

「この一言だけだ。ウチの困った海外の"お客"を追い込む時につかうんでな」

 

 全くなんて素晴らしい家業なんだ。私は皮肉をこめて言った。

 

「Oh dear.It's fan-bloody-tastic!. You pussy cat.<全く、クソ最高だな!子猫ちゃん>」

「Don't fuck with me.I'm gonna fucking kill you.<オレをなめてんのか。ぶっ殺すぞ>」

「…そんな素敵なフレーズをどこで覚えてきたんだい、シキ?」

「通じたようで良かったぜ」

「それで? 君の用件はなんだ、シキ? まさか僕の素敵なバリトンボイスが聞きたくなったというわけではないだろう? 」

「当たり前だろ。莫迦かお前? お前に頼みたい仕事があるんだ」

「急ぎの用件かい? 」

「ああ、出来るだけ早く来てほしい」

「You mean "ASAP" or "as soon as practical" or "as soon as you can" ?

< "可及的速やかに?"か"とにかくすぐ?"か"出来る範囲で?"かどれだ? >」

「五月蝿い。とにかく早く来い」

「Oh dear.<やれやれだ>」

 

 私は頭の中のスケジュール表を確認した。

 誠に遺憾ながら直近1週間、私にはスケジュールの空きがあった。

 フリーランスの仕事は不安定だ。

 録画しておいた『ヘルズ・キッチン~地獄の厨房』を楽しむ余裕すらない時もあれば今日のように日がな一日

惰眠を貪りテレビ番組を片っ端からザッピングしているような暇な一日もある。

 私は運命の皮肉を呪いながらも抵抗を試み、まず尋ねた。

 

「アザカでは駄目なのか?」

 

 私が呼ばれたということは魔術に関連する何らかの事態が発生しているということだ。

 式の義理の妹、黒桐鮮花は優秀な魔術師だ。彼女の能力は荒事寄りだがそれ以外の事態でもまったく対応不可能ということはないはずだ。

 

「鮮花は別件で手一杯だ。生憎な」

 

 返ってきたのは素気ない事実だった。なるほど。彼女が手すきならわざわざ遠い英国の私に連絡など寄越さないか。

 私は短くうなると尚も抵抗を試み聞いた。

 

「では、君が出張るというのは?君が出張れば大抵の事態はハーフタイム前に解決すると思うが?」

 

 彼女はまたしても素気なく答えた。

 

「莫迦か、お前?オレの立場は知ってるだろ?そんなに簡単に前線に出られると思うか?」

「それは君が前線に出ない理由の必要十分条件を満たしていないと思うが?」

「じゃあ、どういう理由ならオレは出張らなくていいんだ?」

 

 彼女の語気はわずかに怒りを帯び始めていた。

 恐怖が私の背筋を走った。しかし、私の軽口は習性だ。私はガーデニングについて語る中年主婦のように言わなくてもいいことををペラペラと口走っていた。

 

「・・・・・・そうだな。君が娘が一人っ子では寂しかろうと思い立ち、昼夜を問わずに弟か妹を作る行為に励んで疲れきっている、というならば仕方ないな」

 

 沈黙があった。やがて、電話口から怒気の混ざった嘆息が聞こえてきた。

 そして彼女は言った。

 

「わかった。じゃあ、こうしよう。半殺しにして無理やり連れてこられるか、五体満足で自分から来るか。好きな方を選べ」

 

 恐怖に私は息を飲んだ。そして諦めて言った。

 

「・・・・・・飛行機の空き状況を調べる。わかったら連絡する」

「それでいい。トモダチのお願いは聞いてやるもんだぜ」

「・・・・・・君にとって『トモダチ』とは恐怖で傅かせる対象のことを言うのか?」

 

 彼女はまたしても怒気の混ざった嘆息とともに言った。

 

「・・・・・・Just come. Do you wanna die?<いいから来い。死にたいのか?>」

「君は本当に素敵なフレーズばかり知っているんだな。シキ」

 

××××××××××××

 

 

 翌日、私はブッキングしたフライトのためヒースロー空港に向かう途中、ウェストミンスターに住む年若い友人たちの元を訪問した。

 時刻は15時、すでに辺りは薄暗くビッグベンの明かりが煌々と灯っていた。

 私がその知人達のフラットを訪問すると、彼らは快く私を迎え入れてくれた。

 士郎も凛も温かいブラックティーを薦めてくれたが長居するほどの時間はなかったため私は辞退した。

 

「それで? 今日は何の用かしら?」

 

 凛はいつもの快活な声で私に尋ねた。

 赤いタートルネックのセーターと黒いスキニートルーザーというとてもシンプルな組み合わせだかとても良く似合っていた。

 こういう時男はなんといえば良いか、いつだって私はわかっている。

 

「リン、その服はとても君に似合っているな。その燃え上がるような真っ赤な色は君の財政状態が極めて厳しい状況にあるという比喩的表現か?」

「……それ褒めてるつもり?」

「もちろんだ」

 

 凛はあきれ顔でこう返した。

 

「またそのよくセンスのわからないジョークで私たちをからかいにきたわけ?」

「いいや、これから日本に行くんでね。君たちなにか欲しい物は無いかと思ってね。例えば……」

「Cから初まるゴム製品ならいらないわ」

「……そうか」

 

 凛は明らかに苛立っていた。隣に立つ士郎は困り顔で私たちを見ている。

 彼女をからかうのはこれくらいにしておいた方がいいか。

 

「ま、とにかく何でも好きな物をいいたまえ。時間と金額が許す限りの物を購入してくるさ」

 

 彼らの希望は日本のスナック菓子と調味料の類いだった。

 私の懐事情を鑑みてくれたのだろうか。

 だがそんな安価な商品でもロンドンのジャパンセンターあたりで購入するより遥かに日本で買った方が安いはずだ。

 彼らのフラットを辞去する前に士郎が私に尋ねた。

 

「なあ、今回行くのは東京だけか?」

 

 私は彼の質問を反芻しいくつかの可能性に思いを巡らせた。

 

「いや、西日本。三重にも行くかもしれないな。知人がいるものでね。彼の助力を仰ぐ可能性もあるな」

「そこからなら冬木もそんなに遠くないだろ? もし時間があったら冬木の俺の家の様子を見に行ってくれないか? 今は藤ねえと桜が定期的に手を入れてくれているみたいなんだけどさ」

「わかった。確約はできないがね。なら僕が行くかもしれないことをその……なんという名前か聞き漏らしたが2人に伝えておいてくれ」

「ああ」

「さて、では行くか」

 

 私は空調のよく効いた彼らのフラットから底冷えのする外界へとその身を進めた。

 19時15分発のJAL便がヒースローで私を待っている。




すいません。
書き溜めがないので亀更新になります。
次回は少々お待ちください。

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