デート回……にするつもりが、いざ書いてみたらロンドン観光ガイドに……
よろしければ最後までお付き合いください。
休日
「リン、奇遇だな」
私は久方ぶりの荒事ではないお使いを頼まれ、チェルシーの高級住宅街を歩いていた。
その道すがら。
見慣れた人物の後姿を認めて話しかけると、やはりその人物は私の年若い友人
遠坂凛だった。
「士郎を迎えに行くところなの、あなたは?」
「ちょっとしたお使いだ」
私はいつものマークス&スペンサーの量産品のスーツにノーネクタイではなく、
奮発してアクアスキュータムで購入したスリーピーススーツにネクタイを締めていた。
その結果、私はいつもの憎たらしいほどのハンサムから、まるでGQから飛び出してきたかのような食べたいほどの良い男に変身していた。
凛は正装した私の姿を見て言った。
「正装なのね。どこのお使いなの?」
「あるフィンランドの名家だ。
いつもの格好で訪問するのは無礼と思ってね」
その言葉に凛の表情が歪んだ。
「ひょっとして、そのフィンランドの名家ってエーデルフェルトのこと?」
「そうだ」
彼女の話によると、凛とエーデルフェルト家のお嬢様は同じ鉱石科に在籍し、どうやら犬猿の仲らしい。
士郎はエーデルフェルト家でパートタイムジョブをしており、凛は仕事終わりの士郎を迎えに行くところだった。
エーデルフェルト家はかなり金払いがいいとのことだったが、それでも凛は気に入らない様子だった。
「大体、何で私の助手が他の魔術師の家で召使いまがいのことしてるのよ!」
「この世で最も強いのはお金様だ、ということだろう」
エーデルフェルト邸はいかにも高級そうな瀟洒な邸宅が並ぶこのエリアの中でも、一層豪奢な作りだった。
ヴィクトリア朝風の優雅なデザインに、広い庭園。
庭いじりは英国人の習性だが、これほど広い庭だと多くの人間は扱いに困ってしまうだろう。
私と凛はこの屋敷でパートタイムジョブをしている士郎に迎えられた。
時代がかったモーニングコートを着させられた彼は私と凛を応接室まで案内すると、私と凛にブラックティーを供してくれた。
その姿はやはり『日の名残り』のスティーヴンスが抜け出してきたかのように完璧で、ブラックティーの抽出具合も完璧だった。
供されたブラックティーを飲みながら待っていると、ほどなくして目的の人物が現れた。
「ようこそ。ミスター・マクナイト。……それにトオサカリン」
「ミス・エーデルフェルト」
私はそう言うと彼女、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトの差し出した手を取り、握手した。
彼女は時代がかった、というよりは個性的に過ぎるブルーのドレスを纏い、
金色の長髪を大胆にカールさせていた。
その姿は私にあるものを想起させ、大人げなく思い出し笑いをしてしまった。
「どうされました、ミスター・マクナイト?」
ミス・エーデルフェルトは不思議そうな表情で私に問いかけた。
「いや、失礼。
あなたの極めて個性的な服装だが……
実は、昨日、ソーホーのゲイ専門店の近所でよく似た格好をした初老の男を見たのを思い出してね。禿げ散らかした小汚い初老だったが、足は綺麗だった」
「……随分と無礼な方なのですわね。あなた。
それがこの国の紳士の礼儀なのかしら?」
ミス・エーデルフェルトの不思議そうな表情は当然の帰結として、怒りを含んだものに変わっていた。
隣の凛はミス・エーデルフェルトが入って来た瞬間から彼女に睨みを利かせていたが、今の彼女は明らかに吹き出しそうになるのを我慢していた。
士郎はいつものように困り顔で私を見ていた。
「いや、申し訳ない。
中年に片足を突っ込みかけた男の戯言と思い、どうか寛大な心で許して頂きたい。
ところで、僕にどのような用件が?
もし、あなたのファッションセンスの矯正が依頼なら、僕には手に余る」
隣で聞いていた凛が、ついに堪えきれず吹きだす音が聞こえた。
困った顔をしていた士郎は、今度はとても困った顔をしていた。
ミス・エーデルフェルトの依頼は私の知己でダイヤモンド鉱山を持っている人物を紹介してほしいとのことだった。
私はごく実務的に私の知己と彼女の間を取り持つことを約束し、仕事を終えた士郎と凛を伴ってエーデルフェルト邸を辞した。
チェルシーの路上を共に歩きながら、士郎がやはりとても困った顔で言った。
「……アンドリュー。あんた、あんなことばっかり言ってて悲しくないのか?」
「全然。前にも言ったが僕が最近悲しいと思ったのはケイティ・プライスが豊胸手術を受けていたという事実に対してだ」
対照的に凛は腹を抱えて苦しそうに笑いながら言った。
「……アンドリュー、あなたって最高ね」
「君がそんなに喜ぶとは思わなかった。
どうやら君とミス・エーデルフェルトは犬猿の仲のようだが、彼女、意外と好人物かもしれないぞ。僕があれほど無礼なことを言ったにもかかわらず許してくれた。
――彼女は非常に優秀な魔術師のようだし、ひょっとしたら君と彼女が背中を預けあうなどという日が来るかもな」
「え?やめてよ。冗談じゃないわ」
凛は尚もそんなことはあり得ないという趣旨の発言を繰り返していた。
士郎はそんな凛をいつものように宥めていた。
彼らと出会って以来、何度となく見てきた光景だ。
「ところで、君たち。完全にオフの日はないのか?」
凛は引き続き、そんなことはあり得ないという趣旨の発言を繰り返していたが、私の発言に対して、士郎と顔を見合わせて言った。
「明後日なら、私も士郎も特に予定はないけど……
何、また何かの依頼?」
「違うよ。人生には娯楽も必要だ。僕にも君たちにもね」
×××××
翌々日。
私は士郎と凛を伴い、渋るエミリーから車を借りてドライブに出ていた。
エミリーから借りたルノーのスピーカーからはオアシスのモーニング・グローリーが流れていた。
「その曲は?」
「オアシス。僕の青春だ」
「あなたにも青春があったのね」
「ああ、今では自分でも信じられないが、僕にも君たちと同じティーンエイジャーだった頃があった。
――あのころは実に楽しかった。特にあの晩は最高だったな。
同じ不良学生だった、ロビンとリアムと3人でソーホーでしこたまエールを飲んで、
仲良くオックスフォードストリートで立ち小便をし、コールガールを呼んで……」
「アンドリュー」
バックミラー越しに凛の表情を伺うと、彼女は満面の笑みを湛えていた。
しかし、その笑顔は明らかに愉快な時の人間がするものではなかった。
「その話はまだ続くのかしら?」
「聞きたくないのか?」
「聞きたくない」
「本当に?」
「本当に」
「この先が面白いのに。……ところで、話の続きだが」
「アンドリュー?」
私は自分のユーモアが受け入れられなかったことを遺憾に思いながら言った。
「そんなに嫌がるとは夢にも思わなかった」
2人はまだロンドンの郊外に行ったことがないと聞いた私は彼らをまず、ハムステッド・ヒースに連れて行った。
ロンドン郊外に位置するこの公園は、ロンドン特別区の中で最も自然に近い公園だ。
ハムステッド・ヒースには庭園やテニスコートや動物園があるが、ほとんどが雑木林のままで、
大都市ロンドンから出ることなく小旅行をした気分になれる。
私は士郎と凛を伴って網の目のように張り巡らされた雑木林の中の小道をそぞろ歩きすると、
パーラメント・ヒルへと向かった。
緑からあふれ出る風は心地よく、珍しく気持ちよく晴れた一日だった。
高台に位置するパーラメント・ヒルからはシティに高層ビル群を臨むことが出来るが、
長年この街に根を下ろしている私でもなかなか経験できないほど気持ちの良い景色が見えた。
「ロンドンにこんな場所があったのね」
士郎も凛もとてもリラックスして心地よさそうだった。
日光浴と素晴らしい眺望を心行くまで堪能した我々はハムステッドを背にし イーストエンドのオールドスピタルフィールズマーケットに向かった。
ロンドンのマーケットといえば、マーケットポートベロー、カムデン・ロック、グリニッジなどがかねてより有名だが、このオールドスピタルフィールズマーケットはいい掘り出し物があると、ロンドンっ子の間で最近評判になりつつある。
19世紀に建てられたヴィクトリア調の建物で開催されるこのマーケットはいたるところに
日本にはないこのマーケットというものに2人はまだ参加したことが無いらしく、珍しい品々に目を輝かせていた。
ティーンエイジャーらしい無邪気な反応だ。私は2人に改めて好感を持った。
店を練り歩きながら、凛は主にヴィンテージものの衣服に興味を示し、品物をあてがってはその姿を士郎に見せていた。
士郎はその度に顔を赤くしていた。この少年は本当に純朴だ。
とはいえ、凛は人目を引く魅力的な容貌の持ち主だ。私が19歳だったら士郎と同じ反応を示していただろう。
店から店へと回りひやかしていた凛だったが、1つの店の前で足を止めた。
どうやら本命を見つけたらしい。
彼女が目をとめたものを見ると、1940年代風のデザインの赤いジャケットだった。
中々いい品だ。
英国は1日の気候の変化が激しく、朝夕は冷える。
実用的にも羽織れるものを一着持っているのは良い判断だろう。
凛は本格的にその品が欲しくなったらしく、店員と値段の交渉を始めた。
主に日本式のお世辞による値段交渉だった。
凛の英語力はかなりのレベルに達している。日本人には難事と言われるLとRの発音の違いもマスターしていた。
しかし、旗色はあまり良く無いようだ。
恰幅の良い、よく通る声をした初老の女性店員は30ポンドと主張して譲らなかった。
私はセンパイとして、彼女に助け舟を出してやることにした。
「リン、そのやり方では駄目だ。
日本とこの国では『オセジ』の風習が違う。僕が見本を見せよう」
そう言うと、私は初老の店員にとびっきりのスマイルで話しかけた。
「やあ、ご婦人。あなたはとても素晴らしい声をしているね」
恰幅の良い店員はやはりとても良く通る声で言った。
「あら、ありがとう。お若い人」
「あなたの声、そのふくよかな姿。どちらもまるでルチアーノ・パヴァロッティのようだ」
婦人はしばらく私の発言を咀嚼すると、私の背中をバンバン叩きながら豪快な笑い声をあげた。
そして、30ポンドと主張していたジャケットを27ポンドに値下げしてくれた。
凛とその隣でいつも通り困り顔をしていた士郎の表情は、当然の帰結として明らかに「納得いかない」という物に変化していた。
「これがこの国の流儀だ。納得いかないだろうが馴れることだな」
マーケットで買い物を済ませると、予約していたフォートナム・アンド・メイソンのティーサロンに誘った。
良く訓練された愛想の良い店員に席まで案内されると、私はアッサムとアフタヌーンティーのセット一式を注文した。
運ばれてきたのは3段重ねのクラシカルなケーキスタンド。
下からフィンガーサンドイッチ、スコーン、ケーキが並んでいる。
「イギリス料理……よね。これ」
「ああ、紛れもなくイギリス料理だ。まあそう警戒するな。試してみる価値があるから連れて来たんだ」
英国料理の洗礼をすでに受けていた士郎と凛は、恐る恐るその料理を口に運び……そして表情を一変させた。
「……ウソ。美味しい」
「ああ、変わった味付けだけど旨いぞ。これ」
「それはコロネーション・チキンだ。士郎。
インドから持ち込まれたカレー料理が英国風にアレンジされたものだ」
フィンガーサンドイッチを平らげると、2段目のスコーンにかかった。
ナイフで2つに裂き、たっぷりのクロテッドクリームとジャムを塗る。
やはりスコーンはこうでなくてはならない。
私から正式なスコーンの作法を伝授された2人はスコーンを頬張った。
「……ウソ。これも美味しい」
しかし、最上段のケーキに取り掛かると風向きが変わった。
「……甘いわね」
「……ああ甘いな。甘すぎるぐらいに」
「……すまない。これがイギリス料理の限界だ」
私はすべての支払いを自分で持った。
彼らは気持ちに良い若者だ。
当然のように彼らは折版を主張したが、私が支払いを強硬に主張すると折れてくれた。
そしてとても気持ちの良い笑顔でお礼を言ってくれた。
外に出る。時刻は15時を回ったところだったが英国の日の入りは早い。
すでに夜の足音が聞こえ始めていた。
この時間帯なら完璧だ。
私は車を走らせるとシティに向かい、セントポール大聖堂に向かった。
聖堂の上まで登ると夕暮れのロンドンがその優雅な姿を眼前に現していた。
「私たち、本当にロンドンにいるのね」
「そうだな」
「ああ、紛れもなくここはロンドンだ。便利さは東京に一歩譲るが、この街もなかなか悪くないだろう?」
さて、時刻はアフターファイブだ。
やることは一つしかない。
私は一緒に飲もうと2人を誘った。
私の提案に士郎はいつぞやと同じように「俺たち未成年だぞ?」と難色を示したが「まあいいんじゃないの?」という
凛の一声に結局折れた。
よろしい。人間素直が一番だ。
我々は大聖堂を下りると、パブに向かった。
そこは古い銀行を改装したパブで歴史を感じさせる優雅な佇まいから最近人気になっている。
3パイントのエールとステーキアンドキドニーパイを注文した。
悪名高いイギリス料理だが、このパブは料理を売りにした最近流行のビストロパブでここのパブミールは中々イケる。
臭みのある食材の処理が苦手な英国人だが、ここのステーキアンドキドニーパイは下処理を丁寧に行っている。
茶色一色で見た目はけっしてよろしくないが、2人とも難色を示すことなく平らげていた。
窓の外からは夕暮れのシティが見える。
人々は足早に往来を行き来し、遠くでは高層ビル群に囲まれたセントポール大聖堂が歴史を感じさせる存在感を放っていた。
パブの中ではスーツ姿のオフィスワーカーたちが楽しそうに談笑をし、食器やグラスの触れ合う音が心地よく響いていた。
癖の強い英国のエールだが凛は気に入ったらしく、士郎の「ほどほどにしておけよ」という忠告を無視して3パイント目に
手を付けていた。
アルコールに顔を赤くした凛はいつも以上に饒舌なって私に話しかけ、士郎にはしきりに肩を触れ合わせていた。
その度に士郎は顔を赤くしていた。きっとアルコールのせいだけではあるまい。
私は運転することを考慮して1パイントのエールをちびちびと貧相にやっていたが、こんな酒の飲み方もたまには悪くない。
そう、素直に思えた。
×××××
「アンドリュー、あんた、なんだかんだ言いながら良くしてくれてるよな。
どうしてなんだ?」
すっかり出来上がってしまった凛に寄りかかられながら後部座席の士郎が言った。
「会ったばかりの僕に宿を提供した君たちに、無償の愛の理由を問われるのはどうにも妙だが……」
そこで私は一度言葉を切った。
「……今、思いついただけで3つ理由がある。
――まず1つに、僕はそれなりに君たちのことを気に入っている」
後部座席で凛がクスクスと笑いながら言った。
「何よその『それなりに』って?」
「照れ隠しだ。この国には気持ちを素直に表現する文化がない。
恥ずかしくて死んでしまうからね。
人に率直さを求むなら、ドーバー海峡を渡ることだな。
それに、魔術師同士で打算なく付き合える相手を見つけるのはとても難しい。
君たちは僕にとって貴重な存在だ。良いやり方だったかどうか確信はないが、僕なりに好意を示したかった」
まだ酒が残っているのだろうか。凛が顔を赤らめながらカラカラと笑いつつ言った。
「2つ目はなに?」
「――僕は中年に片足を突っ込みかけた大人だが、中年には2種類いると思う。
1つは『最近の若い者は』と言ってしまう中年、もう1つは『年下なんだから勘弁してやろうよ』と言える中年だ。
僕は極力後者になりたいと努めている」
今度は士郎が言った。
「3つ目は?」
「僕には歳の離れた弟と妹がいた。
君たちのような素直でとても良い子たちだった。
どちらもうこの世にはいない。
情けない話だが、亡くした弟と妹の姿を君たちに投影させている」
バックミラーを見る。
笑い上戸になっていた凛は深刻な顔で黙り込み、士郎はいつものように誠実な眼で私を見ていた。
やはり彼らは気持ちいい若者だ。
少々の罪悪感を覚えながら私は言った。
「ちなみに3つ目は嘘だ」
2人の表情は、憐憫を含んだものから呆れを含んだものに変わっていた。
「そんな顔するな。ブラックジョークは紳士の嗜みだ。君たちもそろそろ慣れろ。
そもそも、僕のような皮肉屋を代々生み出してきたマクナイト家が君たちのような素直な子を生み出すわけがないだろ。
もう少し人を疑うことを憶えろ。特に君だ。シロウ」
しばらくすると会話が途切れた。馴れない酒に酔ってしまったのだろう。
士郎と凛は後部座席で肩を寄せ合いながら静かに寝息を立てていた。
「君たちの夢にブギーマンが出てこないことを祈ってるよ」
私はそう一人ごちると、通り過ぎていく反対車線の車両が発するヘッドライトの閃光に照らされながら、ハンドルを握りなおした。
次回、いつものごとく設定案内。
今回は倫敦ストリートガイドです。
設定資料を紹介したら、次のエピソードに移ります。
ちなみに書き溜めが尽きたので更新頻度が落ちます。
あと、ルヴィアが好きという方すいません……