Fate/in UK   作:ニコ・トスカーニ

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NY編完結です。


追悼

 翌日の昼過ぎ、目が覚めると私は自分が酷いハングオーバーになっている事に

気が付いた。

 ベッドを下りると這うようにしてバスルームに行き、熱いシャワーを浴びながら

野生のチンパンジーかオラウータンにかなてこでしこたま叩かれたように痛む頭で、

薄く霧のかかった昨晩の記憶を辿った。

 

 投影の連発と固有結界の展開に加えてアンナからもらった傷でボロボロの士郎に

私が。

 魔力が空っぽで足元が覚束ないアンナにパトリックが。

 それぞれ肩を貸し、まるで総入れ歯で眼ヤニを垂らしながら終始ずれた脱腸帯を

直している老人のようにゆっくりと帰路についた。

 

 パトリックに肩を貸されているアンナは飼育員に世話される屈強なメスゴリラのよう

に私には映った。

 私が彼らに「君たちはお似合いだ」と伝えるとアンナはこう答えた。

「『メスゴリラと飼育員みたいにな』とでも言いたいんだろう」

 

 わかってるじゃないか。

 

 地上にでるとパトリックは「明日事後処理をするから連絡を待ってくれ」と伝えた。

 

「他にも言いたいことは色々あるが――」

 そこで彼が言葉を切ると

「とにかく今日は疲れた。帰って泥のように眠りたい」

 とアンナが後を引き取った。

 

 私も全くもって同意見だった。

 

 ホテルまでは徒歩でも十分の距離だったがタクシーを捕まえることにした。

 捕まえたインド系と思われるイエローキャブの運転手は我々2人が乗り込もうとすると

 あからさまに嫌な顔をした。

 当然だ。下水道を通ってきたばかりの人間など誰も乗せたくあるまい。

 なので、私はとびきりのスマイルと共に魔術を使って運転手に暗示を与えた。

 これではアンナの事を言えないな。

 士郎はホテルに着くまで一言も口にしなかった。

 

 ホテルに到着し、ロビーから宿泊フロアまで上がる短い間に私は彼に言った。

「シロウ、君はなぜ――」

 ――宝具の投影と固有結界について黙っていたのか――

 と続けようとしてその質問は全くの無意味である事に気が付いた。

 

 当然だ、"私は宝具が投影できて固有結界が展開できます"などとわざわざ吹聴して

回るのはよほどの異常者だろう。

 どちらも協会に知れたら間違いなく封印指定を飛び越して実験材料の

ホルマリン漬けだ。

 しかし表情を読み取ったのか、

士郎は私が何を言おうとしたのか分かったようだった。

 

 彼はただ「すまなかった」とだけ口にし、自室へと戻って行った。

 

 その背中を見送ると私は部屋に戻り、昨日1ショットしか口にしなかった

 フォアローゼスの残りを1時間かけて10本の煙草を灰にしながら飲み干した。

 そして、胃がその琥珀色の甘ったるい液体で満たされるとシャワーも浴びずに

ベッドに入った。

 

××××××××××××××××××××××××××××

 

 夕方になってパトリックから連絡があった。

「事後処理が終わった、特に問題はない」

 という極めて事務的な連絡だった。

 

「何か質問は?」

 

 ひと通り連絡事項を告げると彼はそう言った。

 

「パトリック、君はケイティ・プライスが豊胸手術を受けていた

というニュースを知ってるか?」

「ケイティ・プライス?誰だそりゃ」

 

ケイティ・プライスの米国での知名度は低いようだ。

 

「ならよ、アンディ。お前、デレク・ジーターって言われてピンとくるか?」

「誰だそれは? ニューヨーク名物、ホットドッグ早食い競争のチャンピオンか何かか?」

「じゃあ、お互い様だな」

「なるほど、一理ある」

 

 私はニュースを知った際の残念な気持ちを彼と共有できないことを遺憾に思い、

またデレク・ジーターなる人物が何者かについて思考を巡らしつつ通話を終えた。

 

 通話を終えると、空腹を覚えた。

 そして私は二日酔いの痛みから朝食も昼食も摂っていなかった事を思い出した。

 時刻は16時半、私は早めのディナーのためにホテルを出た。

 

 セントラルパークに面するミュージアムマイルを北上する。

 メトロポリタン・ミュージアム、グッゲンハイム・ミュージアムを抜け今度は

東に進む。

 マディソン・アベニュー、パーク・アヴェニューを超え、

レキシントン・アヴェニュー沿いにある悪く言えば古びた、

良く言えば趣のあるダイナーに私は入った。

 

 早い時間帯だが、客席は7割がた埋まっていた。

 人気店なのかもしれない。

 私が通されたカウンター席では、5歳ほどの少女が無邪気な笑い声を挙げて椅子で

遊んでいた。

 きっと昔ながらの回転椅子が珍しいのだろう。

 いつもの光景なのか、店員たちは誰も気にしていないようだった。

 私は魔術回路を開き、少女に近寄ると耳元で優しく囁き暗示を与えた。

 

「パパとママのところに戻って大人しくしていなさい。

こう見えても僕は悪い魔法使いなんだ。

ここで遊んでいると君をカエルに変えてしまうよ?」

 

 少女は「Okay(うん、わかった)」と答えるとボックス席の両親のところに

戻って行った。

 よろしい、子供は素直が一番だ。

 その光景を不思議そうな目で太った黒人のウェイトレスが見ていた。

 私は彼女に英国式ウィンクを捧ぎ、オーダーを依頼した。

 

 パストラミビーフとチェダーチーズ、大量のオニオンスライスが挟まった

バーガーを砂糖の味しかしない大量のミルクシェークで飲み干すと、

口直しにコーヒーを注文した。

 色つきの水と形容した方が正しいその液体を啜りながら私は士郎が救えなかったと

語ったホムンクルス"イリヤ"について思考を巡らせた。

 

 ここ数日に得た情報を基に考えると"イリヤ"はきっとアインツベルンのホムンクルス

で、5回目の聖杯戦争における器、そして士郎はその聖杯戦争の参加者で、

"イリヤ"が今日のように心臓を引き抜かれるのを目の当たりにしたのだろう。

 

 無性にタバコが吸いたかったが禁煙の波はここニューヨークにも

我がホームタウン、ロンドンと同じく押し寄せていた。

 代わりにコーヒー豆をケチっているとしか思えないコーヒーのお代わりを

注文すると、さきほどの不機嫌そうな顔をした黒人のウェイトレスが

注ぎにきてくれた。

 

Enjoy(ごゆっくり)

 

 そうぶっきらぼうに告げると彼女は去って行った。

 中々気持ちの良い店だ。

 時刻は17時半を過ぎ、さらに店内は混み合ってきた。

 私は2杯めのコーヒーを飲み干すと、

ある人物に電話をするため22ドルの会計と3ドルのチップを払い店を出た。

 

 ホテルまでの帰路、今度はレキシントン・アヴェニューを南下しながら件の人物に

連絡を取るためモバイルフォンを操作し、耳にあてた。

 3コール目で彼は電話にでた。

 最初の一言は「Hi」でも「Hello」でもなく「What's up?(何か問題か?)

であった。

 

「君に訊ねたい事があってな」

「……今日はいつもの長い前置きは無しか?」

「ひょっとしてあれが無いと話せない?」

「違う」

「ならば話すが、昔僕が住んでいたフラットの隣人が……」

「人の話を聞け」

「話さなくて良い?」

「いらん。早く本題に入れ」

 

 私はとっておきのエピソードをお披露目することを諦め、こう言った。

 

「ウェイバーくん、君は5回目の聖杯戦争についても調べていたな?」

 

××××××××××××××××××××××××××××

 

 翌日、私と士郎は帰国の途に就くため昼にホテルを出た。

 帰りの便までにはかなりの時間がある。

 

「寄って行きたい場所がある」

 

 私は士郎のその言葉に従った。

 

「君は聖杯戦争に関わっていたのか?」

 

 道すがら、私がそう水を向けると、士郎は自分が聖杯戦争のマスターで同じく

マスターだった凛と共闘したという驚きの事実を教えてくれた。

 

「どうにもおかしいと思っていたが、納得がいった。

リンのような名門の当主が君のようなポッと出の3流と深い交流を結ぶなど、

一体どういう事情があったのかと思ったが――

聖杯戦争で共闘したなんていうドラマチックな出来事があったならば納得だ」

 

 我々が向かった先はレキシントン・アヴェニュー59丁目の路上にあるマンホール

の前だった。

 士郎は途中で購入した菊をマンホール上に献花した。

 私が何故菊なのかと尋ねると彼はこう答えた。

 

「日本ではこれが一般的なんだ」

「そうだったな。僕の祖父が亡くなった時も菊を供えた」

 

 どれほどの時間そうして立ちつくしていたか――私が「そろそろお暇しよう」と

発言する前に意外な人物が現れた。

 その人物アンナ・ロセッティとパトリック・ケーヒルの2人も花を持っていた。

 アンナは持参した白い花をマンホールに献花しこう言った。

 

「ノースポールの花だ。花言葉は『誠実』『高潔』

それと、『reincarnation(輪廻転生)』。

私からあのお嬢ちゃんにせめてもの手向けだ」

「ロセッティさん、すまなかった。でも俺……」

 

 アンナは手を挙げそこから先を制した。

 

「ああ、確かに怒ってる。だがあんな物を見せられたらもう何も言えないよ。

しかしな坊や、あんた無鉄砲にもほどがある。私やパトリックが典型的な魔術師だったらあんた今頃協会に連れ去られて試験管の中だ」

 

 彼女の言葉に私が答える。

 

「いや、それについては全くもって面目ない」

「まったくだ、あんたもとんでもないパートナーを連れてきてくれたな」

「返す言葉もない。これで、僕も君たちからの依頼は貰えなくなるな」

 

 パトリックが頭をかきながら答えた。

 

「ああ、流石にこっちも考えなきゃならねえな。だが……」

 

 そこで彼が言葉を切ると続けてアンナが言った。

 

「友人として美味い酒を一緒に飲むためならいつでも歓迎するよ」

 

 私は2人の友情に感謝しながらこう答えた。

 

「『小便みたいに薄いビールを』の間違いだろう?」

「あんたはニューヨークのラガーを知らないな」

 

 そうして立ちつくす我々4人の姿を行き交う人々が不思議そうな顔をして眺めていた。

 

 別の案件のため、2人が立ち去る前アンナが士郎に言った。

「魔術は別として……坊や中々良い腕してるな」

「俺には良い師匠がいたからな。それよりあんた少し遠坂に似てるな」

「トオサカ?」

 

 彼女の疑問には私が答えた。

 

「その少年のガールフレンドだ。……待てシロウ。

彼女はアンナほど下品でも粗暴でもないぞ」

「誰が下品で粗暴だ。

だが私のような絶世の美女に似た女を捕まえるとは、坊やいい目してるな。

せいぜい大事にしてやるんだね」

「ハハ!坊主お前も苦労するな!」

「そりゃどういう意味だい?」

 

 そう言うとアンナはパトリックを引きずって去って行った。

 

 JFK発ヒースロー行きの直行便の機上で士郎は私に尋ねた。

 

「アンドリュー、怒ってるか?」

「ああ、怒っている。ジン・トニックを注文したらベースのジンに

ビーフィーターでもゴードンでもタンカレーでもなくよりによってボンベイサファイアが使われていた時と同じくらいにな」

「イマイチ怒りの伝わりづらい表現だな……」

「僕にとっては大問題だ。とにかく君は帰ったらリンに厳しく叱ってもらうことにしよう」

 

士郎は飼い主に叱られた小型犬のように小さくなって頷いた。

 

「ところで、気になっていた事があるんだが……」

「何だ?」

「あの固有結界、どういうカラクリだ? 君の保有魔力では維持はおろか展開すらままならないだろう?

アンナ以外にも誰か他の人間の魔力を君は利用していたのか?」

 

 私がそう言うと士郎は何か大変な事を思い出したらしく、言葉にならない短い音を

いくつか口にすると続けて小鳥がささやくような小さな声でこう言った。

 

「遠坂の魔力だ……」

「ということは僕が告げずとも既に事態は彼女の知るところなわけだ。手間が省けたな」

 

 士郎はその小柄な体をさらに小さくして、この先のーきっと彼女との楽しい時間を

想像して顔を青くしていた。

 この状態の彼に話すのは憚られる気もしたが私は昨日、時計塔の偉大な講師から

入手した情報を伝えるため続けて口を開いた。

 

「ついでといってはなんだが、もうひとつ質問がある。

君が言っていた『イリヤ』だが、前回の聖杯戦争でバーサーカーのマスターとして参戦していたイリヤスフィール・フォン・アインツベルンの事で間違いないな?」

 

 彼は私の言葉に驚きの表情を浮かべると小さく頷いた。

 

「これは君に伝えるべきか迷ったが――」

 

 そこで一旦言葉を切ると続けて私は言った。

 

「彼女は前々回の聖杯戦争でアインツベルンが外来のマスターとして迎え入れた衛宮切嗣とアインツベルンが聖杯の器として用意したホムンクルス、アイリスフィール・フォン・アインツベルンとの間に生まれた。

君にとっては姉のようなものと言えなくもない存在だった」

 

 士郎はさらなる驚きの表情を浮かべるとそれから下を向いて何かを考え始めた。

 

「僕の話はそれだけだ」

 

 私がそう言うと、士郎は答えた。

 

「ありがとう、教えてくれて」

 

 それから我々はヒースローに到着するまで一言も言葉を交わさなかった。

 

××××××××××××××××××××××××××××

 

 帰国して数日後、私はリンに呼び出され彼女たちの住むタウンハウスでお手製の中華を味わっていた。

 

「僕は生まれも育ちも香港で、実家は飯店を経営していた」

 

 私は口元を拭い続けて言った。

 

「その僕の経験から言ってもとても美味だ」

「どうも」

 

 彼女は笑ってそう答えた。

 嫌みのない爽やかな笑顔だった。

 

 食後、供されたチャイニーズ・ティーを飲み干すとリンがこう言った。

 

「アンドリュー、ごめんなさい。アイツ……士郎には厳しく言っておいた」

「……そうか。

シロウは無鉄砲すぎる、前にも言ったが彼から目を離さない事を勧めるよ」

 

 私はそうささやかな忠告をすると、立ち上がり彼女に1通の封筒を差し出した。

 

「これは食事のお礼だ」

「そんなのいいわよ」

「いいから取っておけ」

 

 私は凛にそれを押しつけると彼らの住居を去った。

 彼女の事だ。

 中身を見たら私に返してくるかもしれない。

 1食の礼としてはいささか以上に大きすぎる金額――封筒には私が手元に入れる

つもりだった仲介手数料が入っていた。

 

 遠くから私を呼ぶ凛の声と足音が聞こえた。

 ここで彼女に追いつかれるのは無粋だな。

 私は歩を速めてフィンチリー・ロードに出ると

 ブラックキャブを呼びとめ乗り込んだ。

 

 たまにはこれぐらいの贅沢をしても構うまい。

 

 私は運転手に目的地としてエミールのホテルを告げると、

束の間の眠りにつくことにした。




ようやく完結しました。
こんなに長いエピソードはこれが多分、最後です。
最後まで辛抱強くお読みいただきありがとうございます。
次回、たぶん誰も期待してないオマケです。

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