Fate/in UK   作:ニコ・トスカーニ

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久しぶりのオマケです。
興味ない方は読み飛ばしてください。


オマケ 設定補遺・英国の風物

■ウェールズ

 

ブリテン島南西部に位置するUKを構成するカントリーの一つ。

首都はカーディフ。国旗はウェールズの象徴である赤い竜をあしらったもの。

イギリスの国旗であるユニオンジャックはイングランド、スコットランド、アイルランド(北部)の国旗である聖ジョージ、聖アンドリュー、聖パトリックの意匠が合わさったものですが、ウェールズは早い段階でイングランドに併合されたためユニオンジャックに赤いドラゴンは影も形もありません。

劇中で軽く触れた預言者メレディン(マーリン)の伝説などアーサー王伝説が数多く残る土地で、現存するお城の数が多いことでも知られています。

行ったことが無いので、ウェールズの描写は殆ど想像で書きました。

以上。

 

■70's UK ROCK

 

かつて大英帝国として栄華を誇ったイギリスでは文化も発展しました。

特に演劇と小説ではジェイクスピアやディケンズなど文学史上の重要な存在を何人も排出しています(かつての私の専攻)

文化が生まれるには経済的余裕が必要ですので、ドイツ、フランス、イタリアいった伝統ある強国でも多くの文化が生まれていますが、これらの国からベートーヴェンやドビュッシーやヴェルディなどクラシックの大作曲家が何人も生まれたのに対して、イギリスはクラシック音楽史においてさほど重要な役割を果たしていません。

ヘンデルは紛れもない大作曲家ですが、ヘンデルはドイツ生まれで後にイギリスに帰化しているのイギリスの作曲家と言えるか微妙なところです。

 

それに対して、ロックに関しては生誕の地であるアメリカと同等かそれ以上に重要な役割を果たしています。

ロックンロールの第一号については諸説ありますがアメリカのミュージシャン、ビル・ヘイリーの「Crazy Man, Crazy」(1953)が第一号という説が主流です。

その後、アメリカでは多くのロックミュージシャンが誕生して歴史を築いていきましたが、遠く離れたイギリスでも多くのロック史上の重要なミュージシャンたちが誕生しました。

その代表例が1960年代のロックシーンを彩り、後世に多大なる影響を及ぼしたビートルズです。

ビートルズは1970年に解散しますが、UKロックはビートルズが広げた音楽的多様性を更に広げ、1970年代にはプログレ、パンク、サイケ、グラムといったジャンルが完全に定着します。

ローリングストンズ、ザ・フー、ピンクフロイド、デヴィッド・ボウイ、エリック・クラプトン、レッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、クイーン、ジェネシス、エルトン・ジョンなどこの時代にUK活躍したロック史の重要名を並べていくとキリがありません。

今のアメリカでは昔ながらのギターロックがウケなくなってきており、ポップやヒップホップがチャートを賑わせていますが、1990年代のブリットポップムーブメントを初め、イギリスでは定期的に昔ながらのギターロックに回帰するイベントが発生するらしく、そういう意味ではやはりイギリスはロック史における重要な土地と言っていいでしょう。

(私はかなりライトなロックファンなので、詳しい方はこんな内容ですいません)

 

■スコットランドのサッカー

 

古橋選手が得点を量産し、冬の移籍市場で加入した幡手選手が初戦でいきなりMOM、前田選手も得点をあげ、さらに監督はマリノスの指揮をとっていたポステコグルーという日本人おなじみのセルティック 。

(井手口選手については触れない)

 

熱心なサッカーファンの方は勿論ご存知だと思いますが、スコティッシュ・プレミアリーグはグラスゴーを本拠地とするセルティック とレンジャーズの2チームが毎年優勝争いをしている極端な格差リーグです。

スコティッシュ・プレミアリーグ=この2チームといっても過言ではないかもしれません。

同じグラスゴーのチームですが、セルティックはカトリック教徒、移民が主なファン層(そのためアイルランドにもファンが多い)。

レンジャーズはプロテスタンが主なファン層で、宗教が絡んだ敵対心もあって古くから熾烈なライバル関係にあり、セルティックとレンジャーズのグラスゴーダービーはオールドファームダービーとも呼ばれています。

 

劇中のセリフ「レンジャーズがサードディビジョン(4部)落ちするくらいあり得ねえ!」ですがレンジャーズは2012年に財政破綻したためペナルティとして4部落ち。

その後4年でプレミアに戻ってきましたが、レンジャーズ不在となったプレミアシップはその間セルティック 一強となりリーグそのものの価値が下がってしまいました。

 

Fate/in UKはStay Nightから2、3年後を時代設定にしています。

ちょうどその時期セルティック には中村俊輔選手が所属しており、スコティッシュ・プレミアリーグのベストイレブン、MVPに輝くなど強烈なインパクトを残しました。

2006-2007シーズンのセルティック はチャンピオンズリーグでクラブ史上初めての決勝トーナメント進出を果たし、マンチェスター・ユナイテッド戦での劇的な勝利は今でもセルティック サポーターの間で伝説となっています。

 

ロバートがなぜスコットランド代表のゲームではなくCLを見ていたかですがスコットランド代表が最後にW杯に出場したのは2002年の日韓大会で結果は1分2敗。

最後のW杯での勝利となると1990年のイタリア大会まで遡ることになります。

なのでちょっと書けないかなと思い、こうしました。

 

■スコットランドの独立

 

スコットランドはグレートブリテン島の北側に位置し、グレートブリテン島全面積のおよそ3分の1を占めています。

北海道と同じくらいの面積です。

1297年に勃発した第一次スコットランド独立戦争の英雄、ウィリアム・ウォレスとロバート・ザ・ブルース(ロバート1世)は特に有名。

イングランド統治下にあって、身内の権力争いに勝利して勝手にスコットランド王位に就いたロバート1世ですが、その後各地でイングランド軍を破ってスコットランドの大部分を支配下に置きました。

そして1320年にイングランドからの独立を宣言。

この辺りのくだりはウォレスを主人公にしたアカデミー賞受賞作『ブレイブハート』(1995)、ロバート一世を主人公にした『アウトロー・キング スコットランドの英雄』(2018)などで映画の題材になっています。

なお、『ブレイブハート』は映画としてはよくできていますが、歴史的には誤りだらけ(おそらくわざとやってる)なので、歴史の勉強にはなりません。

同作ではウォレスの死でロバート一世が奮起したかのように描かれていますが、おそらくこの二人は会ったことすらありません。

 

その後スコットランドは1707年にイングランドと合併し、連合国を形成するまでは独立国でした。

2010年代になってスコットランド独立の機運が再び高まり、住民投票が行われましたが僅差で反対派が上回り今の所スコットランドはUKの一部のままです。

 

■サウスエアシャー

エアシャーと呼ばれる地域の中の一部。

日本でいうところの県に当たる自治体。

最大の街はエア。

 

スコットランド最大の都市グラスゴーから車で1時間くらいの距離なので

日本の感覚だと東京から見た神奈川みたいな感じでしょうか。

スコットランドと日本では人口がまるで違うので比較はできませんが、

最大の街エアでも人口5万人以下、舞台になったターンベリーもサウスエアシャーにある地名です。

ターンベリーにはロバート1世生誕の地とされている、ターンベリー城がありますが

それより全英オープン開催地のゴルフコースの方が有名。

筆者はスコットランドはエディンバラ以外に訪れたことがなく、その上スコットランドの田舎はほとんど情報がないため今回は調査に困りました。


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