久々本編です。
今、ちょうどイベント中なので「出すしかないだろ」的考えであのキャラが出てきます。
罹患
典型的な曇り空で凍えるように寒い、ある冬の日の昼下がり。
私は衛宮士郎と遠坂凛のカップルと共にランチを共にしていた。
最近、割のいい案件があったためいつも世話になっている二人にランチでも奢ろうと呼び出したのだ。
今日はインド料理をチョイスしていた。
ロンドンのインド料理はかなりレベルが高い。
英国はインドの旧宗主国であり、インドや隣国のパキスタンから多くの移民が流入しているためだ。
香り高いバスマティライスと魔術のように巧みに組み合わされたスパイスが食卓を蠱惑の香りで包んでいる。
この香りは人を幸せにする魔術だ。
我々は極上ながらリーズナブルな価格のランチに手を付けながら他愛もない雑談をしていた。
気前よく四種類のカレーとチャパティ、ライスが載ったターリーを平らげ、食後のチャイに口をつける頃。
その他愛ない雑談の間を突いて凛が不穏な情報を提供した。
「ところでアンドリュー。あなた先生について何か知らない?」
「先生」という一般名詞で我々の間に共通認識で通じる相手は一人しかいない。
何の予兆も無い不意打ちの話題だった。
そういえば、最近連絡を取っていない。
「先生?ウェイバー君がどうかしたのか?」
私が全く知らない様子であることが意外だったらしい。
首を傾げながらも凛が話し始めた。
「もう二週間になるかしら?ずっと休んでるの。先生からは『風邪をこじらせた』って説明があったけど、お見舞いに行こうとしたら止められて。
それもわたしだけじゃなくてエルメロイ教室の全員がよ。おかしいと思わない?」
確かにおかしい。
彼自身は特別でも何でもない、老いるし、傷つく。
体力に至っては平均以下かもしれない。
それでもこの状況は不自然に過ぎる。
「学生では調べられることにもキリがあるだろうからな。僕からもあたってみよう」
〇
支払いを済ませ、店を出る。
曇り空のロンドンは寒風が吹き荒んでいる。
嫌な天候だ。
私はこの国を愛しているが、時々嫌になる。
厚手のコートで身を包むように体を縮め、足早に歩きだす。
その時、私のモバイルフォンが鳴った。
ディスプレイの番号を確認すると、それは噂をすれば影だった。
〇
病欠との話だったが彼は病院ではなく自宅に居た。
本当に風邪をこじらせているだけかも知れないが、まさか私に「チキンスープを作ってくれ」などと頼むはずがない。
フラットの彼の部屋を訪ねると誰も居なかった。
一度入り口まで引き返し、気持ちよさそうに舟をこぐ管理人を起こして確認すると、本来の二階の部屋ではなく一時的に一階に移っているとのことだった。
風邪を拗らせて寝ている可能性は低そうだ。
〇
一階の仮住まいは二階にある本来の彼の部屋と似た間取りだったが恐ろしく何もなかった。
碌に家具もそろえず、葉巻を押し付ける灰皿すらない。
ここが彼の部屋であることを示すのは日本製のゲーム機ぐらいだった。
「私は悪霊に憑りつかれている」
私を呼び出したウェイバー・ベルベット改めロード・エルメロイ二世は出し抜けにそう言った。
隣にはいつものように内弟子のグレイが寄り添っている。
ウェイバーは、いつものように仏頂面で不機嫌そのものだった。
「そうか。実は僕もだ」
彼の表情が「不機嫌」から「関心」に代わった。
「昨日の夜、しこたま安物のブレンデッド・ウィスキーを飲んだんだがね。
起きたら床がゲロまみれになっていた。おまけに記憶が無いと来ている。
これは悪霊の仕業に違いない」
「関心」は「呆れ」と「落胆」に変わった。
「……私は相談する相手を間違えたようだな」
心配そうにグレイが彼を見た。
彼女はフードの下からウェイバーの顔色を窺いながら口を開いた。
「拙から説明しましょうか?」
「ああ。そうしてくれ」
短いやり取りがあり、グレイが再びを口を開こうとしたが私は制して言った。
「いや、状況から見当がついた。
短い沈黙があり、二人は静かに頷いた。
幽霊病はその名の通り幽霊に取りつかれることで起きる霊障の一種だ。
病状は食欲不振、悪夢、呼吸困難など多岐に渡るが何よりの特徴は言い知れぬ恐怖に襲われ、何も手に付かなくなる。
幽霊病に罹患したものはすべてが恐怖の対象だ。
ウェイバーが一階の部屋に移っているのは二階に上がることにすら恐怖を感じる状態になっているからだろう。
いつも吸い殻の山が出来ている灰皿が空っぽなのは火に対する恐怖、机にハサミすら無いのは刃物に対する恐怖だろう。
この病に対する治療法は一つしか無い。
原因となった幽霊を探し出し、完全に成仏させることだ。
今、彼を苦しめているのは大本の幽霊から移った残留思念だ。
その霊が呪縛されている土地に赴き根本となる霊そのものを祓う必要がある。
「それはそうと、人手は多い方が助かる。君の優秀な学生諸君に協力を仰ぐという手は無いか?」
「天才バカと赤い悪魔とハイエナがいる研究室だぞ?事態を悪化させかねない」
「では時計塔のお偉方諸氏は?」
「冗談だろう?」
「冗談だ」
私はしばし目を閉じ、相談する相手を模索した。
「確かに、僕が一番ベターな選択肢かもしれないな。まずは解析だ。痛くしないからじっとしていてくれ」
解析は、私にとって唯一の一応得意と言える魔術だ。
集中力高め、細く成型した魔力を流し込む。
魔的な構造が流れ込んでくる。
残留思念の姿が見えてきた。
しかし、その思念がどのようなものか把握するに至らなかった。
思念が、というよりも存在が小さ過ぎる。
実際に小さい存在なのかもしれない。
「幼くして没した子供か……それとも乳幼児の霊かもな。絞れたことは絞れたがやはり容易ではないな。
どこか場所に心当たりは無いか?」
彼ははっきりとした口調で答えた。
「エディンバラだ」
話によると二週間前、さる高貴な人物から依頼……もとい強要され彼はグレイを伴ってエディンバラにお使いに行っていた。
病状が現れたのはロンドンに戻ってきてから。
エディンバラは古都であり、幽霊話に事欠かない。
なるほど、大まかなピースは揃った。
私は「わかった調査を開始する」と告げるとコートを掴んで立ち上がった。
「拙もお供させてください」
グレイが悲壮な声で懇願した。
私は努めて穏やかな口調で宥めた。
「亡霊のプロフェッショナルである君の同行は心強いが、今回重要なのは亡霊を祓うことではなく原因となった亡霊を見つけ出すことだ。見つけさえすれば後は容易い。大した敵ではなさそうだからね。それよりも今のウェイバー君は日常動作すら困難な状態だ。君には彼の身の回りの世話という重要な仕事がある。そちらに専念してくれ」
彼女は私の言に素直に従った。
「ありがとうございます。……あと、すいません。拙がついていながら」
「気にするな、君たちには僕も助けられいる。お互い様というやつだ」
ようやく彼らに微かな安堵が見えた。
安堵の材料は増やすべきだろう。
私は付け加えた。
「この件は僕と"彼女"で解決する」
「彼女」に思い当たる節があったらしい。
私が発言した一瞬の後、ウェイバーは思い切り噴出した。
「……知らせたのか?」
私は口の端でニヤリと笑った。
「彼女、君が病に臥せっている事を知らなかったぞ。連絡したら『もし兄上が大事なら惜しみなく協力する』と言ってくれた。麗しい兄妹愛だな」
彼の中で幽霊病の恐怖を不機嫌が上回ったようだ。
「怯え」からいつもの「不機嫌」に戻った。
「それは私に対する嫌がらせか?」
私は答えた。
「僕なりの愛だ」
彼は吐き捨てるように言った。
「そんな汚らしいものは要らん」
〇
翌日の早朝。
私は黒塗りの高級車ジャガーXJの運転席に座り、ハンドルを握っていた。
鉄道を使ってもよかったがこれからさる高貴な人物ををお迎えする身だ。
粗相があってはいけない。
私は適当な理由をデッチあげてルヴィアからこの黒塗りの高級車を借り受けていた。
「そんなことは無いように気を付けるが仮に事故を起こしてスクラップにしたらどうする?」と聞くと
「その時は高級車一台分の労働で返済していただきます。お友達価格にしておきますわ」と回答された。
エルメロイの姫君に不興を買うリスクと地上で最も優美なハイエナに貸しを作るリスクを天秤にかけ……私の中でわずかに前者に天秤が傾いた。
こうして私は運転席でハンドルを握り、その隣にビスクドールを思わせる優美な少女が腰かけることとなった。
彼女の名はライネス・エルメロイ・アーチゾルテ。
ウェイバー・ベルベットをロード・エルメロイ二世としてエルメロイ家君主代行の座につかせた人物で、エルメロイの正当な時期当主だ。
そしてロード・エルメロイ二世の胃を破壊する破壊兵器で質の悪いことに義妹。
今回の一件に限って言うなら彼をエディンバラにお使いに行かせた張本人でもある。
彼女は高貴な生まれから滲み出る優美さで高級車の助手席に自然と収まっていた。
社内のステレオからはその光景と不似合いなソリッドなギターとシャウトするようなボーカルが響いている。
これはミスチョイスでは無い。
彼女はギターの轟音に気持ちよさそうに身をゆだねていた。
「レッド・ツェッペリンのセカンドアルバムだね」
レッド・ツェッペリンはロックの伝説そのものだがサブカルチャーの帝王であると同時にアレイスター・クロウリーに傾倒した神秘主義傾向もある。
魔術師二人が揃ったこの状況には最高のドライブソングだろう。
「ああ、好みだろう?」
「気が利くじゃないか」
「こんなものも用意している」
私はその気になればとことん気の利く男だ。
後部座席に置いたランチボックスに手を伸ばし彼女に渡した。
箱からは甘い匂いが漂っている。
「マカオの知人から送ってもらったエッグ・タルトだ。本場ポルトガルよりも上だと僕は確信している。
安物だがブラックティーも用意した。朝食代わりにいかがかな?レディ・ライネス」
彼女は不審そうな視線を向けた。
気の利く男、アンドリュー・マクナイトはその反応も予測済みだった。
「毒は入っていないよ。僕はそんな真似はしない。ほら、この通りだ」
私は一つを手に取り齧って見せた。
彼女の慎重さは出自に由来するものだ。
権力をめぐる数々の権謀術数に巻き込まれて来たため、毒を盛られる危険性を常に考慮している。
私が嚥下し、魔法瓶から注いだブラックティーを含んだところで彼女もエッグタルトに手を伸ばした。
ゆっくりと味わうように咀嚼し、ブラックティーを含む。
「いいね。控えめな甘さだ」
彼女は心底から満足した様子で笑った。
私は気の利く男らしく返した。
「カロリーはそれなりに高いがな」
「君は本当に可愛げが無いな」
彼女は出自通りの典型的な魔術師だ。
私は典型的なヤクザな魔術使い。
本来ならば全く相容れない存在の筈だ。
にも関わらず私は不思議と彼女が嫌いではない。
軽口を叩けるのは親しみの証拠であると双方理解している。
「残念ながら兄上は何も話してくれなかった。詳しい状況を聞かせてくれるか、アンドリュー」
「いいとも。君の頭脳なら鮮やかに即時解決だろう。兄上も君を誇りに思うだろうな」
彼女は小悪魔的にニヤリと笑った。
〇
「簡潔でいい報告だった。兄上が『学生のレポートもこのぐらい綺麗にまとまっていればいいのに』と言いそうだ」
「『言いそう』ではない。実際に言われたよ」
まず我々二人の共通認識として「何処を探すか」を絞った。
ライネスはウェイバーとグレイを魔術師の社交界にお使いに行かせたとのことだったが、「そこでは無いのは確実」というが彼女の主張だった。
私もそう思う。
魔術師ならば低レベルな霊障など放っておかないだろうし、謀殺するなら呪いか召喚術を使うはずだ。
当日のウェイバーとグレイの行動で引っかかったのは二人が(ウェイバー曰くグレイが興味を示したので柄にも無く)ウォーキングツアーに参加したことだ。
名所旧跡を巡るよくある催しだが、エディンバラは幽霊話に事欠かない土地だ。ウォーキングツアーで廻ったどこかが原因になったのかもしれない。
情報の提供が終わり、私は彼女に見解を求めた。
「そうだな。まず兄上は術者としてかなり下の部類に入る。階位の上では上位の
生徒が大成するという実績が無ければいいところ
魔術師には七つの階級がある。
ロード・エルメロイ二世の階位は特殊な一芸の持ち主に与えられるもので純粋に魔術師としての能力を評価されたものと毛色が違う。
ライネスの見立てでは彼の純粋な魔術師としての能力は良いところ下から二番目が三番目という評価だ。
冷徹だが正当な評価だと私も思う。
「だが、それでも仮にも魔術師だ。魔力抵抗があるはずの魔術師がゴーストに憑かれるなんて、何か別の要因があると考えた方が自然じゃないか?」
「そうだな。しかも、ゴーストハントが専門のグレイがいながら憑りつかれた。相当に異様な事態だな。ちなみに仮説はあるのか?」
彼女は小悪魔的な微笑を辞めて真剣な魔術師の顔になった。
「私の仮説は共感だ」
私は彼女に先を促した。
「兄上に憑りついたゴーストは兄上に何か共感するものを感じた。そして兄上もそのゴーストに対して――
恐らくは無意識に共感する何かかがあった。共感であって敵意じゃない。それでもグレイの警戒も緩んだ」
「時計塔の講師で凡才な魔術師へ共感するようなゴーストか。これは相当に絞れそうだな」
「ああ。加えて君の解析が確かなら、小さい存在だ。今、思い付くのはそれぐらいだな」
魔術師としての議論が終わり、我々は「史上最高のドラマーはジョン・ボーナムとキース・ムーンのどちらか?」という重要な議論に発展していた。
私はキース・ムーンを推薦し、彼女はジョン・ボーナムを推した。
私は譲らず、彼女も譲らなかった。
「ところで」
議論の切れ目で彼女が切り出した。
「この状況で、例えば私が通りすがりの警官に『助けて!誘拐される!』と叫んだらどうなるかな」
幾度となくウェイバーの胃を破壊してきた小悪魔の微笑だった。
私は慎重に言葉を選びながら回答した。
「その時は『助けて!社会的に殺される!』と全力で叫ぶよ。僕は警察に何人か友人がいる。
少なくとも言い分は聞いてもらえるものと断言する」
「君にはプライドとか無いのか?」
「無いとは言わないが、プライドより今日食べるパンの方がよほど重要だ」
「面白い。君は兄上とは違った意味でいじり甲斐があるね」
ロンドンを離れて早二時間。
車掌からはどんより曇った冬の空と、ブリテン島北部へと続く田園風景がが広がっている。
エディンバラへの道中は残りおよそ八時間。
楽しいドライブになりそうだ。
後編は少々お待ちを。
劇場公開というビッグイベントがあるので間開いちゃうかも
合間を縫って鋭意作成中です。