共著者が書いてくれなかったので予告と違うエピソードです。
百塔
いつものように寒く、いつものように曇天のある冬の日。
私は肩をすくめてロンドンのシティ・オブ・ウェストミンスターを歩いていた。
対岸にロンドン・アイを望むテムズ川沿いの光景はなかなか壮観だった。
ロンドンの観光人気は根強いと聞くが、地元民の私から見てもこの街は魅力的だと思う。
私は依頼があればどの国にでも向かうので、ロンドンに居るのは年の半分以下だ。
それだけにこうしてロンドンに戻ってくるたびに新しい魅力の発見がある。
私は地元と地元民の関係は夫婦の関係と似ているように思う。
ロンドンにタンシンフニンをしていた日本人の友人が言っていた。
「離れてみて嫁のありがたみが分かった」
彼は今は帰国している。
今年で結婚15年になる筈だが、帰国以来毎年夫婦と二人の子供の仲睦まじいクリスマスカードが送られてくる。
日本企業特有のタンシンフニンは私には人質のように思えてならないが、悪いことばかりでも無いようだ。
私の友人で、シティ警察の刑事であるジェームズ・エルバは三度の離婚歴がある。
エルバが三番目の妻と別居した時私はこの例えを持ち出した。
「僕は外国から戻るたびにロンドンの魅力に気づかされる。離れていた時間があるからこそ分かることだ。夫婦の関係も『一度離れてみるとお互いの良さがわかる』とも言うし意外とヨリが戻ることもあるんじゃないか?」
彼は言った。
「マクナイト。君の言うことにも一理あるとは思う」
エルバは深く息を突き、深く息をつくにふさわしい深い洞察を述べた。
「だがな、別居ってのは基本的に離婚を前提にするものだが旅は帰ってくる前提で行くものだ。見た目には似てるが全然違う」
私は「成程」と思い、それ以上は何も言わなかった。
〇
ロード・エルメロイ二世ことウェイバー・ベルベットは何も言わず封筒を差し出した。
ここは偉大なる時計塔の講師である彼の執務室で、私は彼に呼び出されてこの部屋を訪れていた。
今日の訪問以来、彼はただ一言「入れ」しか言葉を発していない。
彼の内弟子であるグレイが同席していたが、彼女も「マクナイトさん。ご足労ありがとうございます」としか発言していない。
おしゃべりな私に過度の沈黙は重過ぎる。
私は彼から言葉を引き出すためにユーモアを披露することにした。
渡された封筒を手に私は言った。
「婚約指輪か?」
彼は私のユーモアに何の反応も示さなかった。
グレイはフードの下でポカンとしているだけだった。
「ウェイバー君。こういう時は『だったら包装をもっと凝ったのにしてる』と言うべきところだぞ」
彼は私がこの部屋に入ってから二つ目の言葉を発した。
「いいから開けろ」
全く。ノリのいい奴だ。
封筒の中身はこの状況ではシュレディンガーの猫だ。
箱の中の猫は生きているかもしれないし、死んでいるかもしれない。
封筒の中は婚約指輪かもしれないが、他の何かかもしれない。
しかし今回の場合、重さから判断して残得ながら指輪ではなさそうだ。
封筒の中身は航空券のEチケットレシートだった。
航空券はフレキシブルで行先は東ヨーロッパのとある国になっていた。
私は言った。
「ずいぶん急なハネムーンだな」
やはり彼は無反応だった。
グレイはただ首を傾げるだけだった。
ユーモアが不発に終わったときのダメージは計り知れない。
〇
チェコ共和国の首都プラハ。
講師室で面会した3日後、私とウェイバー、そしてグレイの三人は最小限の荷物のみを持ちこの街に降り立っていた。
ヨーロッパにあるほぼすべてのある程度歴史のある街は何かしらの曰くが付いているが、プラハは別格の部類に入る。
14世紀には神聖ローマ帝国の首都であり、ヨーロッパ最大の都市だったプラハは「黄金のプラハ」と形容されるほどの
栄華を謳歌した。
十字軍との争いによる戦火を経て、ハプスブルグ家の支配下に。
16世紀後半になりルドルフ二世が即位すると、この街は魔術師にとって理想の街となる。
ルドルフ二世は政治的には全くの無能だったが、教養に溢れ文化人としては優れていた。
芸術や学問を保護し、とりわけ錬金術に大きな関心を寄せた。
国王自身も錬金術師のパトロンになっており、天文学者であり錬金術師としても高名だったティコ・ブラーエは王自らが庇護した術師の代表格だ。
また、大規模なユダヤ人街があり、その歴史は10世紀にまでさかのぼる。
現存する古いシナゴーグは13世紀に建てられたもので、現在でも祈りの場としての機能を維持している。
ゴーレムの伝承もあり、ユダヤの民特有の魔術も密かに守られている。
16世紀から19世紀にかけゲルマン文化に浸食された時代にはマリオネットが盛んになった。
これは現代における人形遣いの原型になっているとも言われている。
我々は空港からバスと地下鉄を乗り継ぎ、旧市街広場に降り立った。
堂々たる威容の市庁舎が立つ旧市街広場は街の中心地であり観光の起点でもある。
広場は世界各地からの観光客でごった返し、プラハハムやソーセージを焼く屋台からは勢いよく煙が立ち登っていた。
グレイはそれらの光景見て目を丸くしていた。
大戦の戦火を免れたプラハは10世紀のロマネスクから20世紀キュビズムに至るまで1000年にも及ぶふり幅の建築が保存されており、「建築博物館」の異名を持つ。
私でもこの街に降り立つたびに新鮮な感動がある。
田舎育ちでロンドン以外の都会を知らないグレイにすれば異世界のように見えるに違いない。
広場から西へ延びるカレル通りを進む。
何度か来訪している街なのである程度地理を心得ている。
絶賛平常運転で思考に埋没中のウェイバーを尻目に、物珍しそうにキョロキョロしているグレイに幾ばくかの解説をしているうちに
カレル橋に差し掛かった。
15世紀から変わらぬ姿を維持するカレル橋からはこの街の栄華の歴史を一望できる。
西側を見ればプラハ城。東には広場を中心した「百塔の街」の姿。
ヴルタヴァ川から吹き込んでくる風は21世紀の現代ではなく遠く中世から吹き込んでいるように感じられる。
つまりこの街は魔術師にとって特別な魔的な街であり、また抗いがたいほどの観光的魅力がある。
今回の件はこの二つがせめぎあっている。
プラハでここ一か月ほどの間に同様の手口の犯行が多発している。
地元のタブロイド紙の一面が事件の内容を簡潔かつ扇情的に要約している。
「プラハに女ドラキュラあらわる」
被害者たちの証言は以下の点で一致している。
真夜中に旧市街を歩いていると背後から襲撃され首筋に噛み疲れて少量の血を吸われた。
若い女性に見えたが季節外れな白い薄手のドレスを着ていた。
真冬のプラハの最低気温はマイナスを下回る。
真冬に薄手の服を着て平気でいられるとしたら、それはX-MENのストームのようなミュータントか人ならざる何者かだ。
明らかにただ事ではない。
吸血という行動には即物的に血を吸うという意味以外に魔術的な意味がある。
血液や精液は魔力の塊だ。
たとえそれが一般人のものであっても多少は魔力充填の意味がある。
「こちら側」の事件と考えるのが妥当だろう。
だがタブロイド紙の見出し通り素直に吸血鬼だとも考えられない。
本物の吸血鬼なら目撃者を残すようなマヌケなことをするとは考えられないからだ。
吸血行動に意味を持つ別の何かだろう。
昨今のプラハにおける観光人気の高まりもあり失踪者には外国からの観光客も含まれていた。
プラハの当局からすれば放置する理由が無いし、魔術師からしても「神秘の秘匿」という観点から無視できない。
かといって本物の吸血鬼がからむような大事とも思えない。
それで時計塔のロードでも最も下っ端のロード・エルメロイ二世が駆り出された。
彼はその面倒な役回りに対し、内弟子のグレイと旧知の仲で使い勝手の良い便利屋である私を道連れにする選択をした。
旧市街はヴルタヴァ川の東岸、カレル橋から旧市街広場を通り、火薬塔のあたりまで広がる一帯で十分徒歩で回れる範囲に限定されている。
規模から考えて3人でも対応不可能ではないだろう。
我々はカレル橋を渡りおえ、目線の先にプラハ城を捉えていた。
沈思黙考していたウェイバーが言った。
「まずは情報収集だが、今はお前のアテに向かって歩いていると考えていいのか?」
彼には観光の意識は一切無いようだった。
私は言った。
「ああ。まずはプラハ城だ」
常連の皆様、いつもお付き合いいただきありがとうございます。
先月プラハに行ってきたばかりなので、勢いで書いたらプラハ観光案内みたいになってしまいました。でも、プラハ本当に魅力的なんですよ。ええ、そうなんです。
とりあえず一本アップしましたが、多忙につき後編がいつ書けるかわからないです。
早くても月末になってしまうかも。
すいませんが、今後もお付き合いください。
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