茅場の台詞にわいは反射的にヒットポイントを見た。
250/250…。
これがわいの命の残量。
もし0になったら……いや、よしとこ。
しかし、そんな宣告を受けて、いったいどれだけのプレイヤーが攻略に参加するのだろうか。
いや、そもそも気付いているのか?わい逹はアインクラッドを極めなければいけないことをや。
しかし、そんなわいの懸念は茅場によってはらされた。
『諸君がこのゲームから解放される条件は、たった一つ。先に述べたとおり、アインクラッド最上部、第百層まで辿り着き、そこで待つ最終ボスを倒してゲームをクリアすればよい。その瞬間、生き残ったプレイヤー全員が安全にログアウトされることを保証しよう』
しん、と沈黙がおりた。
わい逹がこの城----アインクラッドを極めなければいけないことにようやく気付いたのだろう。
しかし……
「クリア…第百層だとぉ!?」
突然クラインが声を張り上げ、茅場を指差す。
「で、できるわきゃねぇだろうが!!ベータじゃろくに上れなかったって聞いたぞ!!」
……そう、βテストの一ヶ月では第六層までしかクリアされなかったようだ。
人数にして今の約十分の一だが、そもそもデスゲームとなった今、クリアするのにいったい何ヵ月…いや、何年かかるか。
ざわめきはあるものの恐怖や絶望といった声は聞き取れない。
おそらく、未だにこの状況が《過剰なオープニング演出》なのか《本当の危機》なのか判断がつかないのだろう。
……無理もない。今まで死の危険とは無縁の生活をしていたのに、いきなり自分の命を賭けたゲームをしなければいけないなんて、わいみたいな悲観主義者くらいしか信じられないだろう。
その時、赤ローブは僅かに裾を揺らし、感情をなくしたかのような声で告げた。
『それでは、最後に、諸君にとってこの世界が唯一の現実であるという証拠を見せよう。証拠のアイテムストレージに、私からのプレゼントを用意してある。確認してくれ給え』
それを聞いてプレイヤー達は、一斉に右手を下に振った。俺もそれに倣う。
メインメニューから、アイテム欄のタブを開くとそれはあった。
《手鏡》。それがアイテムの名前だ。
若干警戒しながら、アイテムをオブジェクト化して持つが、特に何も起こらない。
思わずキリト逹の方を向くと、キリト逹のアバターが光った。
少し遅れてわいの視界も白に染まる。
光か収まり、もう一度手鏡を見ると……わいがいた。一度視線を外し、たっぷり数秒おいてもう一度手鏡を見ると……先程までのアバターとは全く違う姿----本物の自分の姿が映っていた。
身長はそこまで変わらないが、全身にしなやかな筋肉がつき、体つきはがっしりとしている。そして髪は透き通るような銀色から漆黒に変わっていた。そして、長い前髪が目にかかった。うんざりしつつ前髪を左右に払う。
キリトとクラインはどうなっているのだろうか。
二人の方を向くと、赤いバンダナをした男……クラインだろう、は逆立った赤い髪に変わりはなかったが切れ長だった目元は、ギョロリとしており、むさ苦しい無精ひげが生えている。
クラインはまだいいだろう。問題は------キリトだ。
艶やかな黒いストレートなロングヘアーを腰の辺りまで伸ばしており、目のあたりで前髪が分けられている。わずかに瞳が大きくなり、どこか恥ずかしそうに左右に揺れる。
しかし、身長だけは変わっていなかった。たぶん、視界が変わるせいでアバターを動かしづらくなるのを避けるためだろう。
最大の問題はそこからである。
初期装備の服の胸のあたりが少しだけ膨らんでいる。見間違いじゃない。前から見ても、横から見ても確実に膨らんでいる。それも、たくましい胸筋にはない丸みを帯びたいかにも柔らかそうなフォルムである。
わいは反射的にああ、膨らみを揉んでみたいな。などと思ってしまった。しかし、それを悪いとは思わない。
それは全世界に生きる男性の夢であり、希望であり、願望である、そしてそれを思わない男性は100%いや、120%いないッ!!
そうだよな? と脳内の分身に問いかける。分身たちは拍手喝采を上げる。
脳内でそう啖呵を切った自分に、アホかとツッコミを入れる。
しかし、そんなことはどうでもいい。
ログアウト不能だとか、ゲーム内の死亡が現実の死になるなどというリスクに見合ったリターンだと本気で思う。
そう、キリトは…
「キ、キリト……おめぇ…」
「女だったのか……?」
女だったのだ。
その瞬間、わいの心の中に二つの感情が浮かんだ。
すなわち
災難だったな。アバターが変わったせいで動揺しているだろう。
と
キリトちゃんマジで女じゃん。そして、マジで可愛い。よっしゃ、わいは男を可愛いと思ったわけじゃない。女を可愛いと思っていたんだ。
女の子のキリトちゃんキターーーーーーーーーー(゚∀゚)ーーーーーーーーーーー!!!
である。どっちの感情が大きかったかは、わいは最後までわかることがないだろう。
「うん……騙しててごめん」
しかし、そんなことはどうでもいい、ネカマ、ネナベなんてよくあることだ。
「じ、じゃあ…そこにいるのがニケか?」
「わいやで」
「え、なんか違うような気がするんだが」
「わいの造ったアバターは何かクールに造っておったやろ、わいなんて口調が合わんんさかいに」
ま、私なんて口調。慣れんことはしないほうがよか。
「まぁ………。理解をはできるな」
とりあえず納得してもらったようやな
「で、でもどうやって…?」
「た、多分ナーヴギアは顔をすっぽり覆ってるから顔の精細な所まで把握できるんだよ…」
とキリトが答える。
「で、でもよ身長とか……体格はどうなんだよ」
恐らくだがその問いには心当たりがある。
「多分キャリブレーションだろうと思うで、やらなかったかい?体をあちこち触るの」
そう言ったあと、キリトの頬がわずかに赤色に染まった。自分で自分の胸に触ったりするのが恥ずかしかったのだろう。
「あ、ああ……そういうことか……」
「恐らくだが、あいつはさっきここは『現実』だと言った。このアバターとヒットポイントは両方本物の体だと強制的に認識させるために現実の姿にしたんだろうや。」
「でも……でもよぉ、ニケ」
「なんでだ!?そもそもなんでこんなことを!?」
叫ぶクライン。そう言いたくなるのも無理はない。
「落ち着け、どうせ、直ぐに教えてくれるだろ」
そう、ここまで説明して、目的を説明しないなんて有り得ない。わいの中には妙な確信があった。
そして茅場はわいの期待を裏切ることなく言った。
『諸君は今、なぜ、と思っているだろう。なぜ私は----SAO及びナーヴギア開発者の茅場晶彦はこんなことをしたのか? これは大規模なテロなのか? あるいは身代金目的の誘拐事件なのか? と』
…聞き間違いかもしれないが初めて茅場の声に感情が混じったように聞こえた。
『私の目的は、そのどちらでもない。それどころか、今の私は、すでに一切の目的も、理由も持たない。なぜなら……この状況こそが、私にとっての最終目的だからだ。この世界を創り出し、観賞するためにのみ私はナーヴギアを、SAOを造った。そして今、全ては達成せしめられた』
ほんの短い間をおいて、無機質さを取り戻した声が響いた。
『……以上で《ソードアート・オンライン》正式サービスのチュートリアルを終了する。プレイヤー諸君の----健闘を祈る』
そういって赤ローブは頭、胸、腕、足と順番に血の色をした水面に沈んでいき、最後に波紋を残して--消えた。
わいは一つの決意をした。
プレイヤーの全員がしているであろう決意を。
――絶対に、生きて帰たる。
わいが決意をした瞬間、ようやくプレイヤー逹が反応を示した。
「嘘だろ……なんだよこれ、嘘だろ!」
「ふざけるなよ!出せ!ここから出せよ!」
「こんなの困る!このあと約束があるのよ!」
「嫌ああ!帰して!帰してよおおお!」
阿鼻叫喚、まさに地獄絵図。
他のプレイヤーに比べてだが冷静にわいはこの場から立ち去ろうと――
「ニケ!クライン!ちょっと来て!」
「ぐえっ」
「またんかいっ」
……としたがキリトに連れて行かれたわい
「私は今から次の村に向かうからクライン逹もこない?」
「あいつの言葉が全部本当なら、この世界で生き残っていくためには、自分を強化しなきゃいけないの。知ってると思うけどMMORPGはプレイヤー間でのリソースの奪い合い。システムが供給する経験値、コル、アイテムを、より多く獲得した人だけが強くなれるの。この《はじまりの街》周辺のフィールドは、同じことを考える人に狩り尽くされて枯渇すると思う。だから今すぐにでも次の村を拠点にしたほうがいい。私は次の村までの危険な道を全部知ってるから、レベル1の今でも安全に辿りつける」
長い言葉を言って疲れたのだろう、キリトは息を整えている。
クラインは顔を歪めて、
「でも……でもよ。前に言ったろ。おりゃ、他のゲームでダチだった奴らと一緒に徹夜で並んでソフト買ったんだ。そいつらももうログインして、さっきの広場にいるはずだ。置いて……いけねぇ」
今度はキリトが顔を歪めた。いくらキリトでも複数人はキツイのだろう。
俺は驚愕していた。人は自らの命の危険のとき程本性が出るものや。
このクラインという男は根っからのお人好しなのだろう。
「そう……二、ニケは?」
「…わいは」
断ろうとした瞬間、わいは気付いた。……キリトの瞳が僅かに潤んでいるのに。
わいは最低やな。女の子を泣かせようとするなんて。
クラインが小声で
「頼む、付いていってやってくれ」
とわいに言ってくる。
クラインからまっすぐとこちらを見る。その視線にさすがのわいも心折るしかないわ。
クライン、あんたは男の中の男や、生き残っとけよ。
わいは、
「……わかった、付いていくで」
と答えた。
「そっか……じゃあここでお別れだな」
とクラインが言って、振り向いて行こうとした時に、
「キリト!おめぇ可愛い顔してるじゃねぇか、結構好みだぜ俺!
ニケ!リアルでイケメンとか大概にしろよ!」
「クラインもその野武士面の方が百倍似合ってるよ!」
「そんなに羨ましいなら整形してこいや野武士面!」
……そんな軽口を叩きながらわい逹は別れたのだった。
はじまりの街の北西の門を抜けた俺逹は、草原を駆けていた。
目の前には一匹の狼。わいの視界にカラーカーソルが表示され、同時に狼がわいに喰らいつこうと突進する。
「なめんなやぁぁぁぁ!!」
狼の一発顔面を左手でぶん殴る。ダメージ自体はゼロに等しかった。しかし、ソードスキルを発動するための時間には充分足りる。
「喰らいやがれええええええ!!」
スモールソードの刀身にライトエフェクトが発生する。システムアシストによりわいの体が現実ではありえないほどの速度で加速する。
片手直剣単発突進技《レイジスパイク》
ライトエフェクトの尾を引きながら狼の体を斬り裂く。
-------生き残ったる。
わいは絶対に生き残ったる。
このゲームをクリアして、現実に帰る。
さっきもした決意を胸にわい逹は草原を駆けていった。