アイアンボトムグレイヴディガー~ショタ提督の苦悩~   作:ハルカワミナ

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深海棲艦とにんぎょひめ

「司令官さん、どうかしたのですか?」

 

 青葉を探して外を歩いているとふいに上から声がした。電だ。脚立に登り、松の木に引っ掛かっている何かを取ろうとしているようだ。

 

「どうした電。何をしている。取り合えず危ないから降りてきなさい」

 

 自分が脚立に登っている電を下から見上げる形になってしまっていたので目のやり場に困る。

 スカートの中から白いものがちらちらと見えていた。

 慌てて顔を背ける。

 

「はい? あ! はわわ!? 恥ずかしいよぉ! 司令官さんエッチなのです!」

 

 電が脚立から手を離し、両手でスカートを押さえる。そんな事をしたら安定が……。

 

「え? きゃ、きゃあ!」

 

 案の定ぐらりと脚立ごと悲鳴をあげた電の体が後ろに倒れる。咄嗟に腕を差し伸べるが、嗚呼、自分の身体が恨めしい。

 

 ……如何せん身長も力も足りなかった。

 

 電の体重を腕に感じた瞬間、支えきれず尻餅をついてしまった。

 その上で電がしがみついてきたので当然体は後ろに倒れこむ。

 背中をしたたかに地面へと打ち付けてしまった。

 

「いたたた……なのです。はわ!? 司令官さん、大丈夫なのですか!?」

 

 大丈夫なのだが、腹の上に乗られていると苦しくて声が出せない。パクパクと口は動くのだが、酸素が余計に抜けていくだけだった。

 

「はわわわ、司令官さんの声が失われてしまったのです!? 人魚姫の呪いなのです!」

 

 落ち着け、電。貴様は何を言っているんだ。取り合えず上から退いてくれ、苦しい。

 

 それに酸素を取り入れないと人間は窒息してしまう。辛うじて動く指で口を指差し、酸素不足の金魚のようにパクパクと口を開け、ジェスチャーをしてみる。

 

「わ、わかりましたのです! すぐに!」

 

 判ってくれたか、流石私がこの司令部に着任してからの付き合いなだけはある。

 しかし次の言葉で私の希望は儚く崩れ去った。

 

「司令官の声を取り戻すために電、頑張るのです!」

 

 待て、何を頑張るつもりだ。

 私の腹に跨がっている脚と胸を圧迫している手をどけてくれるだけで良いのだ。

 不味い、脳に酸素が足りていないせいか目の前が暗く……。

 

「司令官さん、司令官さんがこの司令部に着任された時、電は初めて秘書艦にしてもらってとても嬉しかったのです。だからずっとご恩返しをしたかったのです……」

 

 何やら電が喋っている。

 頬に筆で撫でられる様なくすぐったい感触が当たった直後に唇に柔らかいモノが押し当てられた。

 暗いと思ったのは電が覆い被さったせいか、等とぼんやりとした頭で考えていた。

 あぁ、このまま目を瞑れば深海の中に意識は沈んでいくだろう……。

 

「勝手は! 榛名が! 許しません!」

 

「はりゃあーっ?!」

 

 と、突然体の上の重みが電の悲鳴と、怒号と共に消えた。

 胸を圧迫するものが無くなったので思いっきり酸素を取り込むと久しぶりの刺激に肺が狂喜したのか激しく咳き込んでしまった。

 

「ゴホッ……榛名か、助かった……」

 

 目の前にいたのは巫女装束に似た衣装を纏い、腰まで届こうかという美しい黒髪を持つ艦娘だった。

 一瞬神様の国からお迎えが来てしまったと思ってしまったが、説明次第では本当にお迎えが来る羽目になってしまう。

 

「提督、何をなさっておられるのですか?」

 

 いつもにこやかに礼節と一歩引いた節度を保っている彼女だが今日に限っては笑顔が恐ろしい。

 自分にも訳が解らないが、ありのままを説明する事にした。

 

「いや、脚立から落ちた電を助けようと……」

 

 説明しようとしたら先程榛名に放り投げられた電が顔を涙でくしゃくしゃにして胸に飛び込んで来た。

 

「司令官さん! 声が戻ったのです!」

 

 そして再び唇を重ねられた。

 嗚呼、海軍士官学校の皆、元気にしているだろうか。

 人の夢と書いて儚いと読むのだよ。なんて素敵な響きなのだろうか。

 そして二十歳になる前に初めて女子の唇の感触を知ったのは不幸であろうか幸運であろうか……。

 

「提督……? これが運命ならば……受け入れます……ごめんなさい……」

 

 待て榛名、言っていることとやっている事が違う。

 四一式36cm砲が此方を向いている。名残惜しい感触だったが電を両手で引き剥がし、聞いてみることにした。

 

「電、榛名落ち着け。しかも声が戻ったとはどういうことだ」

 

「司令官さんは呪いにかかってしまったのです! この人形の呪いで声を失ってしまったのです!」

 

 電はそう言うと魚雷が刺さっている名状しがたい人形を目の前に突きつけてきた。

 焦点を合わせると惨値(さんち)とやらが石臼でゴリゴリと削られていくような気がする。

 私は極力その人形から目を背ける事にした。

 電が木から取りたかったのはコレだったのだろう。

 先程の騒ぎで木から落ちてきたようだ。

 

 榛名もヒッと短く声をあげてへたりこんでしまった。

 だが電は得意そうに人形を掲げると言った。

 

「これは深海棲艦の人魚姫なのです! 司令官さんはこの人形に呪われてしまったので、電が呪いを解いたのです!」

 

 ……私も榛名も唖然としてしまった。

 電はこのような残念な娘であっただろうか。

 胃の痛みとともに頭も痛くなってきた……。

 

「えーっと、電ちゃん? それで提督を押し倒してキスをしたのとどういう関係があるの?」

 

 榛名もコメカミに手を当てながら電に質問すると、電は下を向いて顔を赤らめながらあわあわと答えた。

 

「人魚姫の呪いはキスで解けるって金剛さんがお話してくれたのです……。イギリスの童話はキスをすると幸せの魔法がかかる、らしいのです」

 

 なんて事だ、確かに童話としては間違いでは無いが勝手に改変したものを教えるのは如何なモノだろう。

 後で童話の本当のストーリーを駆逐艦娘達を集めて教えなければならないのだろうか。

 

 どっと疲れたが榛名の誤解は解いておこうと口を開いた。

 

「あー、ゴホン。榛名、私は脚立から落ちた電を助けようと……」

 

「あ……はい、榛名は大丈夫です……」

 

 察しの良い榛名の事だ。大体の事は想像がついたのだろう。

 

「それと電、その人形は川内の野戦練習用の的だ。おそらく那珂のキャラクターグッズだろう。その証拠に頭の両サイドにお団子がついているだろう。」

 

 あまり見たくは無いのだがボロボロになって目も飛び出した人形に目を向ける。モザイクがかけられたらどんなに幸せだろう。

 

「はわわ!? これは那珂さんだったのですか!? では那珂さんに返してくるのです!」

 

「あ、おい。待つんだ!電!」

 

 あっという間に電は走り去り、後には榛名と自分が取り残された。

 その後、那珂が川内への罰として割と恥ずかしい衣装を着せ巡業に連れて行くことになったが、これはまた別の機会に語ろうと思う。

 

 榛名もかなり疲れたようだ。姉のした事とは言え、間違った童話を教えていた事に責任を感じているらしい。

 部屋に帰って休む様に命令する。

 

「私の疲れを見抜いたのですね……提督、ありがとうございます。榛名、お休みしますね……」

 

 フラフラと頼りない足取りで、宿舎に戻る榛名。

 責任感の強い榛名の事だ、おそらく姉が教えた間違った童話を全部教えなおそうと考えているのだろう。

 駆逐艦娘達の童話勉強会を開き、榛名に手伝って貰えば気も晴れるだろうか。

 後で秘書艦の時雨に連絡して榛名に伝えるとしよう。

 

 さきほどの騒動のせいか妙に疲れた、カラダも重い……。が、物事にはやらなければならない事もある。

 

 私は自分の膝と頬を叩いて性根を入れ直す。

 思わぬところで時間を食ってしまった。青葉を探しに行こう。

 

 ……気を抜くと唇を指がなぞってしまうが、彼女にとっては人工呼吸みたいなもので人命救助をしたかっただけだろう。

 

 そのような感情を抱いては失礼だ。この記憶は自分の胸の中にしまっておく事にする。

 

 ……その後遠征先で偶然遭遇した敵戦艦を一撃で沈めた電を何かおかしいと思い、雷が電を問い詰めたところ、雷から鎮守府中を追い回される羽目になるのだが、それはまた別のお話。

 




ここまで読まれた方は気付いたかもしれませんが果てしない物語が好きです。
それとお気に入り&評価ありがとうございます。

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