アイアンボトムグレイヴディガー~ショタ提督の苦悩~ 作:ハルカワミナ
……嵐が響いている。
聞こえるのは怒号と怒声、時折嵐に混じって花火の上がる音がする。響く悲鳴が祭囃子の様に。
鎮魂歌となるのは嵐の音かそれとも悲哀の声か。
「火薬を濡らすな!濡らすなと言っている!」
「艦長!少尉が銃座を!」
……轟音に掻き消されながら怒号が響く。
「転がっている腕を拾ってやれ!下がらせろ!」
「くそったれ!どうして……!どうして……!」
再び轟音と花火が上がる。
「うわぁぁああああ!」
「貴様!死ぬな!死ぬなよぉお!」
「艦長!ボートで特攻の許可を!」
「馬鹿野郎!命を粗末にするな!」
「腕が……俺の腕は……!?」
「地獄かよ!此処はぁ!?」
「愚痴るなら照明弾あげろぉ!」
「……嘘だ嘘だ嘘だ嘘だぁああ!」
……あぁ、本当に地獄のようだ。
もし地獄に祭りがあればこのように見えるのだろう。
轟音とともに紅葉が咲き乱れ、人間が玩具のように放り投げられ、飛び、砕ける。
黒と橙と赤しか見えない。
周りには千切れた腕や足が浮いている。
火薬の焦げる臭いと肉が焦げる臭いと海水が蒸発する臭いが漂っていた。
生きている人間は浮いているモノの中には居ないようだ。
……ねろりとした血と脳漿と重油が混じった海水に捕らわれ、自分の身体も動かない、おそらくこの有象無象の中の一部なのかもしれない。それならば直に意識も無くなるのだろう。その証拠に寒くも痛くもない。
考えていたら案の定、身体が沈んでいった。
海上と違い、海の中はとても静かで……。
沈むのに身を任せ、上を向いていると船のような形が二つに折れ、ズンと身体全体に響くような衝撃が襲った。
それと同時に花火が真上に上がり、昼間のように明るく照らされる。
……寿命を終えかけた線香花火が空に上がっているような風景だ。
祖母の庭で初めて作った線香花火に火をつけた事を思い出す。
黒色火薬をこよりでこよる(小夜)、今宵の子寄りは此処の家……。
……病床の祖母から歌が聞こえていた。
……その日は縁日だった。しかし祖母の体調が悪く、出かける事は躊躇われた。
せめて祖母にも聞こえるように縁側を開け祭囃子が聞こえるように、と。
自分で作った線香花火が見えるように、と。
虫の声が響き、祭りの熱気を含んだような妙に生温かい風が頬を撫でる。
遠くでは太鼓の音と祭囃子。
……祖母は笑ってくれていた。
嗚呼、と涙が出る。
このまま沈んで行けば、その様な考えもすぐに消える。
ただ、最期に、あの空に浮いている花火が欲しくて手を伸ばした……。
……歌が……聞こえた……。
目を開けると太陽がゆらゆらと揺れていた。
「ッ!?ガボッ!?」
口と鼻から一気に水が入り込む。
慌てて、明るい方に向かって全身で移動する。
ザバリと音がして、抵抗が一気に無くなった。
息を吸おうと思ったが、気管に水が入り込んで閉じているようだ。
苦しさにしばらく悶えて、窒息しかけた時にようやく息が吸えるようになった。
「カッ……!ゼェッ……!」
ひゅうひゅうと湿度の高い空気を肺に取り込むと、その空気の濃密さにまたむせた。
「何だ、あれは……何なのだ!あれは!?」
訳も分からず叫ぶ。風呂場にわんと自分の声が反響する。
自分の記憶では小船が転覆し、溺れてしばらくすると力強い腕に引き上げられた記憶しかない。
「何だ……これは……。」
気が付くと目から滂沱のごとく涙が流れ出ていた。
あの時助けられたのは、全部夢だったのか?溺れていた自分を救い上げて、引っ張り上げてくれたあの太くたくましい腕は幻想だったのか?
夢と現の境目が曖昧になる。
「あぁぁあああああ!?」
身体をくの字に折り、頭を抱える。脳に凄惨な光景と凄まじい情報量と懐かしい追憶が流れ、ごちゃ混ぜになり許容量を超えプチプチと音を立て頭のどこかが切れるような感覚。
ガクガクと身体が震える。慌てて湯船に浸かるが、ガチガチと歯の根が震え、音を出すほどの寒気が襲う。
寒い、まるで浸かっていた湯が水になってしまったような錯覚に陥った。
「そんな、馬鹿な……。」
湯口に手を当てて湯を掬う。
……熱い……冷たい……?よく解らないほど混乱している。
雪山で遭難した極限状態の人間は冷たい雪を熱いと勘違いし、服を脱ぎ去ってしまう事があると聞く。
自分もそれなのかもしれないと頭の正常な部分で考えた。いや、すでにこのような結論が出る事自体、正常とは言えないのだが。
まずは落ち着かなければ、でなければ本当に無能の烙印を押され免職だ。
免職の文字が頭に浮かんだ瞬間、先程の人の形を留めていない肉の塊を思い出し、ぶるりとする。
……風呂場に自分以外居なくて本当に良かった。最も一人じゃなければ溺れる心配も無かったのかもしれないが。
深呼吸を一つ、二つ、三つ目でようやく落ち着いてきた。
深い深い溜息を吐く。
ようやく感覚も戻ってきたようだ。湯口の湯を熱いと感じる。
流石にもう風呂に浸かれる気分では無い。当初考えていた風呂上りにもう一度体を洗う事も忘れ、湯船から上がり脱衣所に向かう。
体を拭くのもそこそこに、服を着る。
洗剤の匂いが少しだけ、現実を感じさせてくれ、安堵した。
だが、もう此処には居たくない……何故か一人が怖い。
逃げるように脱衣所を飛び出し、明かりのスイッチを消す。
暗闇に包まれた浴場が自分を引きずり込むんじゃないかと恐怖を覚える。
……そんな事があるわけは無い、あってたまるかと自分の弱い心に活を入れた。
早足で自室に逃げ帰る、日の光が入りこんでいる自室に少なからず精神状態が回復したようだ。
……洗濯物は落ち着いたときにやろう。若しくは誰かに付いて……とそこまで考えて、馬鹿な思いを振り払った。
誰かに付いて来て貰ってどうする、艦娘は女性だ。
女性を男性の下着を洗ったりする場所に連れて行くなどセクハラにも等しいではないかと。
……大井に洗って貰った時は下着は頼んでなかった。本当だ。
このような精神状態だと何をやっても良い方向には転ばないだろう。
少なくとも執務室なら窓も大きく、明るい。今の時間ならなおさらだ。
本当は外に居た方が良いかもしれないが、執務を行っているフリをしろと言われている。
落ち着かない心臓を何とか静めながら、引き出しの鍵を開け、先程入れた万年筆型ナイフと拳銃を取り出す。
「オラオラ!オレ様の登場だぜぇ!」
その二つを制服のポケットにしまおうとした瞬間、自室のドアが勢いよく開けられた。
驚くよりも先に体が動いた。ナイフのキャップを外してその方向に投げ、拳銃の安全装置を解除し銃身をスライドさせ、弾を込め照星を侵入者に合わせる。
木製のドアにナイフが刺さり、ダーツが刺さる音よりも少し重い音、次いでバネがしなる様なビィンという音が余韻を響かせた。その衝撃でドアが閉まり、カチリと音がする。
フー、フー、とまるで猫が敵を威嚇するような吐息が自分から漏れているのを感じる。
「あっ……ぶねぇな!何すんだいきなり!」
批難するような怒声が聞こえ、相手をよく見ると……天龍だった。
天龍は軽巡洋艦の艦娘で、天龍型1番艦である。
艦船としては3,500トン級軽巡洋艦として建造され、重油・石炭混合型燃料を使用する機関を搭載しているため燃費がすこぶる良い。
艦娘としてもそれを受け継いでおり、燃費に関しては特筆すべき点がある。自分を最強だと自負しており、自信に溢れた言動と眼帯がトレードマークだ。
「な、なぁ……その物騒なモン降ろしてくれないか?」
不安気な声に気付くと、未だ天龍に銃の狙いをつけたままだった。
すまない、と言葉に出すつもりが、喉からでたのはヒューヒューと空気の漏れる音だった。
言葉にするのは諦めて、銃を降ろす。
天龍もホッと一息ついたようだ。しかし何故此処に?
慌てていたので鍵を閉めていなかったのだろうか……。
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