アイアンボトムグレイヴディガー~ショタ提督の苦悩~   作:ハルカワミナ

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誤字修正しました。


絹の首輪とルビーの檻

手紙をしたためていると、控えめなノックが執務室に転がり響いた。

ノックが聞こえるという事態が新鮮で、反射的に居住まいを正してしまった。

 

「白露型駆逐艦五番艦の春雨です。」

 

時雨が呼んで来てくれたのだろう。春雨の声がした。

椅子に深く腰掛け、息を吸って吐く。

 

「あぁ、入ってくれ。」

 

執務室のドアが開き、白く柔らかそうな帽子と、これまた更に柔らかそうな薄紅色の髪がヒョコリと覗く。

まるでネコかウサギが此方を窺っているようだなと思い、ククと笑いがこみ上げた。

 

「司令官、春雨に……ご用なのですか?」

 

静かにドアを閉め、執務机の前に立つ春雨。

 

「輸送任務の旗艦を頼もうと思ってな。……時雨はどうした?」

 

春雨を呼びに行った筈の時雨の姿が無いことに気付き、問いかけた。

 

「時雨姉さんは雲龍さんにつかまってしまって、お茶を御馳走になってか

ら行くと。提督にごめんねと伝えて欲しいと言付けされました。」

 

雲龍とは雲龍型航空母艦の長女に当たる艦娘だ。

艦船時代の資料としては戦時急造された空母で、中型正規空母の飛龍をベースに建造されている。

艦娘の能力としては燃費の良さが特筆すべき点だろう。

 

……その分性能は控えめだが。

時雨と気が合うのもいくつか理由があるが、これは今語ると夜までかかってしまう。

また機会があるときに寝物語程度に話すとしよう。

 

雲龍と一緒なら心配は無いなと考え、安堵する。

 

「そうか……。まぁ、ちょうど息抜きには良い時間だからな。」

 

時計を見ると午前10時、食事が遅かったとはいえ一息入れるのもいいかもしれない。

だが春雨の場合は違ったようだ。

 

「ヒトマルマルマル。お昼は……あっまだお昼には早いですね。すみません。」

 

同じく時計を見て、時間を呟く春雨。

 

くぅと可愛らしい音が鳴った。

どうやら音の発生源は春雨らしい。

春雨を見ると顔を真っ赤にして腹に手を当てている。

朝食が遅かったせいか、そう腹も減っていないのだが、春雨の名誉の為に一肌脱ぐ事にした。

 

「いや、すまん。どうやら朝食が少なかったようで腹が鳴いてしまったようだ。どうだ?これからお茶にしないか?」

 

自分の腹部を撫で擦りながら春雨にハハと笑ってみせる。

椅子から飛び降り、件の書き上げた手紙をポケットに入れた。

手紙を春雨に託す場所は何も此処でなくともよいだろう。

食堂で春雨とお茶を飲みつつ会話をすれば満潮達との約束の時間まで暇を潰せるかもしれない。

そう思いながら春雨に近づいて、少しだけ、ほんの少しだけだが自分より高い位置にあったふわふわとした髪を撫でた。

 

ニコリと笑顔を見せるのも忘れずに。

春雨のサイドポニーがゆらゆらと揺れるのが目を惹き、子馬の尻尾のような毛先を指で弄ぶ。

 

「……綺麗な髪だな……。」

 

「えっ!?」

 

春雨の驚いたような声が響く。……しまった、声に出してしまったと猛省する。

 

「すまん、つい……。」

 

何と謝っていいものか迷い、口篭る。

女性の命とも言える髪を無意識とは言え、摘み、弄んでいたのだ。

人差し指の先に巻きついてしまった春雨の髪が逃げるようにするするとほどける。

だが、薄紅色の糸が指の間を全て滑り落ちる前に、春雨の手がそっと包んだ。

柔らかくて安心するような温もりを持った手だった。

 

「あの、上手く言えないんですけど……いつも感謝しています。ほんとです……。」

 

真っ赤になった顔の春雨の唇から感謝の言葉が紡がれる。

それは薄紅色の糸が編まれ、布となり心に覆いかぶさった。

 

「春雨……?」

 

妙に春雨の顔が近い。ルビー色の瞳に自分の姿が映っている……いや、ルビーの中に閉じ込められてしまった自分がいた。

おそらく此方の顔も春雨と同じく赤くなっているのかもしれない。

心臓の落ち着きない鼓動で分かる。

距離を取りたかったが、手を包まれているのでできない。

 

いや、したくなかっただけかもしれない。

離そうと思えばいつでも離れられる力しか込められていないのだから。

 

……まるでただ一本の絹糸で作られた首輪をかけられたようだ。

千切って逃げるのは簡単だが、その後には何も残らない。

そしてその絹糸とは、おそらく心なのだと。

 

春雨の体温のせいか、自分の益体も無い考えのせいか硬直していると春雨の瞳が閉じられた。

 

「司令官……。」

 

春雨の唇が甘く響き、魔法のように此方の心を絡め取る。

まるで春雨の声が質量を持ったようだ。チョコレートを直接耳孔に流されたと思うほど自分の鼓動と春雨の声しか聞こえなくなる。

 

先程荒潮に散々撫でくりまわされたせいか唇の周りに異常に血液が循環してしているような錯覚に陥った。

そっと左手を春雨の手に重ねると、ビクリと春雨の身体が震えた。

そのまま半歩近づいて、少しだけ踵を浮かせた。

 

「春雨……」

 

熱いとしか表現できない溜息が一つ、口から漏れた。

きゅうと春雨の握られた手に力がこもるのが判った。

微かに震えているのが伝わってくる。

紅と紅がそのまま近づき、混じり合う瞬間……執務室の扉が開かれた。

 

「提督、ごめんね。雲龍にほうじ茶を御馳走になっ……て……?」

 

息を切らせた時雨が執務室のドアを開け、硬直する。

 

「きゃあっ!」

 

瞬間、春雨が悲鳴を上げ身体が跳び退く。

 

「春雨……?残念だったね。」

 

底冷えのする時雨の声がして、どこからともなく喚びだされた艤装が時雨の手に嵌まる。

 

「提督を誘惑するなんて駄目じゃないか。僕でさえまだした事ないのにっ!」

 

カタタタタタと古いミシンが稼動するような音がして時雨の手に持った機銃から弾が撃ち出された。

語尾は機銃の音に掻き消されたが、意味合いは通じた。おそらく……。

 

「時雨姉さん!?や、やめて~!」

 

春雨が必死に逃げ回る。

外れた弾で被害が出ていないのは訓練用の模擬弾だと思われるが、それでも当たれば痛いし窓に当たれば危険だろう。

 

……時雨に模擬弾を選択できるほどの理性が残っている事に感謝した。

 

「やめろ、時雨!」

 

時雨の前に立ち塞がり春雨を庇う。

 

「提督?仕事もしないで何をしていたのかな?」

 

ニコリと時雨が笑いかけてくれるが笑顔が怖い。

そのまま腕を上げ、機銃の先を此方の胸に当てた。

トン、と軽い音がした。

 

「え……?」

 

誰よりも驚愕した時雨の声が聞こえた。

春雨も口に手を当て、硬直しているようだ。

此方も驚いているが、妙な絶望感がじわりと心に染み込む。。

……やはり、青葉だけでは無かったのか。

 

「どうして……?」

 

時雨が疑問の言葉と共に呆然と自分の手に持った艤装を見つめ、もう一度此方の胸に押し当てる。

 

だが、震える手は思うが侭に動かなかったようだ。

昨日脱臼をした右肩にグリッとこじ当てられた。

 

「グッ……!」

 

痛みで悲鳴が漏れる。

そうだ、艦娘は人間には艤装を向けられないようにプロテクトがかかっている筈だ。

 

そう、人間には撃てないのだ。

 

一部の艦娘が冗談めかして提督を爆撃する等と言う時もあるが、実行に移しても人間に当たる直前で消える。

 

……つまり艤装の銃口がそのまま人間に触れる事は在り得ない。

時雨の艤装が感情と共に薄らいで消えていく反面、自分の中である結論が導き出される。

 

……一番認めたくない、絶望という結論が。

 

「提督……提督は……」

 

「やめろ時雨!言うな!」

 

羽交い絞めをするように時雨を必死で抱きしめ、その先の言葉を言わせまいとする。

時雨にだけはそんな言葉を言われたくない。

成長期を迎えても、いつまでも変わらない体を奇異の目で見られた日々が脳裏にフラッシュバックする。

その瞳に映るものは同情……嘲笑……、そして異種的なものを排除しようとする嫌悪……。

 

「提督は、本当に……に…げ……かい……?」

 

「や、やめろ……!」

 

希望という真珠の珠が、まるでメッキが剥がれるようにボロボロと剥がれ、剥がれた穴からどす黒い血の色をした絶望という膿があふれ出す。

膿は濁流となって襲い掛かり、それを前にした自分の足がカタカタと竦む。

朝に時雨と心が通じたと思ったのは此方の独りよがりだったのだろうか。

 

もし独りよがりでないと言うなら、頼む……時雨、お願いだから、何でもするから、それは……!その先だけは言わないでくれ……!

 

時雨の形の良い胸が潰れるほど、強く抱きしめる。

 

強く……強く…・・・その先の言葉を吐き出させてなるものかと言わんばかりに。

 

天井を向き、虚空を見つめる時雨の虚ろな瞳と力の無い唇からぼそりと、一番聞きたくない言葉が呟かれた。

 

胸の奥底で絹糸がプツリと音を立てて切れた。

 

「提督は……人間かい……?」

 

「ぃいやめろぉぉおおおーーーーッ!!!」

 

執務室に虚し過ぎるほどの悲しみを込めた絶叫が響き渡った……。

 




閲覧ありがとうございます。
「この泥棒ネコ!」とか時雨ちゃんに言わせようなんて思ってませんよ?
ええ、はい、ホントです。
プロローグにめんそーれ♂様から戴いたショタ提督イメージ絵が貼ってあります。よろしければ是非。

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