アイアンボトムグレイヴディガー~ショタ提督の苦悩~ 作:ハルカワミナ
「荒潮、歩きにくいから離れてくれ。」
「うふふふふ。だぁ~め。」
半分荒潮を引きずりながら歩く。
「提督、良い匂いがする……。私、この匂い、好きよ……」
首筋に鼻先を埋められスンスンと音を立てられる。
……荒潮の場合は理性を失うと危険かもしれない。
史実では乗艦した船員が凄まじい死に方をしたとあった。
それに興奮すると命令を無視するほどだ。
ここは話の矛先を変えるべきだろう。
「なぁ、荒潮。どうしてあの時、帰投命令を無視したんだ?」
そうなのだ、過去に命令違反を行った時、理由は全く教えてくれなかった。
そのせいで懲罰が少し重くなったのを今も少し気にやんでいる。
「……朝潮を守りたかったの。」
そういえば荒潮は艦船時代、撤退命令を無視して救援に来た朝潮を敵の攻撃で沈められてしまっているんだったな……。
「そうか……。もしかしてフラッシュバックか?」
問いかけると荒潮はコクリと頷いた。
艦娘の艦船時代の記憶は艦娘にもある程度受け継がれている。
戦闘になった時、ごく稀にトラウマとして記憶が蘇る艦娘も少なくない。
あまりにも酷いと解体処分される事もあると聞く。
フラッシュバックが上層部に報告として上がる事を恐れて黙っていたのかもしれないな。
「荒潮、私が今まで艦娘に是非を問わず解体したことはあったか?」
「ううん。無いわよぉ。」
荒潮がフルフルと小さく首を振る。
荒潮の少しだけ脅えた瞳に見据えられ、ゾクリと背筋に妙な快感が走る。
奥歯を噛んでその感情を打ち消した。
解体や近代化改修で艦娘の艤装を利用しなければならない時がある。
その場合、艤装を解除された艦娘は普通の女性同様の力となり、どこからどうみても人間と同じとなる。
この鎮守府では探索や建造で同型艦が被った場合、その艦娘が後悔の残らないよう長い時間をかけて面談し、許可を得た場合のみ艤装を利用させて貰っている。
鎮守府を離れると艦娘の記憶はじょじょに薄れていくが、不便の無いように学校や就職先を世話している。
……そのおかげで、上層部には割り切れない無能扱いされ階級も低いままだが。
……解体に関しては無理やり行うと、人間の身体となった時精神が壊れる可能性がある。
そうなった艦娘は目も当てられない。精神病院に入院、そのまま秘密裏に薬物処理されるか、女衒行きだ。
下衆な笑いを浮かべてでっぷりと太った将官が笑いながら、良い金づるだと楽しそうに語っていた時はあまりの怒りに記憶が途切れてしまった。
気が付くとその将官の秘書艦、長門が必死に私の体を押さえていた。
見ると豚のような身体が蠢いて息をするだけの粘土の塊になって転がっていた。
憲兵も5、6人倒れていたが、自分が殺されていなかったのは、おそらくは子供だと油断したのだろう。
その後、将官は艦娘への度重なるセクハラで罷免されたと秘書艦をしていた長門から感謝の手紙が届いた。
今は同期の女性提督が艦娘達を引き継いでいるので扱いも随分向上し、心に傷を負った艦娘も癒されていると。
……上官を粛清した提督として問題になったが、元将官の艦娘と軍学校時代の友人達が骨を折ってくれたおかげで極刑は免れた。
聞く話によると、艦娘が上層部に嘆願書を送り、受け入れられない場合全ての事情を白日の下に晒し、クーデターを起こすと脅したらしい。
……噂なので眉唾モノだが。
「……もしかして解体されるとでも思っていたのか?」
その言葉に荒潮がコクリと頷いた。
そうか、満潮が謹慎命令を出された為か。
異常なほどくっついてきたのは不安の表れだろうな。
まずはその不安を払拭してやらねばなるまい。
「荒潮、誰にもトラウマはある。だが、それを和らげる事は自分では役不足か?」
そっと荒潮の髪を撫でる。
長めの、よく手入れされた焦げ茶色の髪が指からこぼれる。
「提督はいつも頑張っているからお邪魔しちゃ悪いかしらって思ってぇ……。」
不安気な瞳と共に絡ませられた腕に力がこもる。
いつも強気な荒潮だが弱気な部分を目の当たりにし、庇護欲が掻き立てられた。
「艦娘の為なら何時でも時間を取る。それこそずっと一緒に居てやる事もやぶさかではないぞ。」
言ってしまって失言だったかもしれないと思った。
荒潮の瞳が細められ、妖しく光を放つ。
「うふふふふ。まるでプロポーズの言葉みたいねぇ。ずっと一緒に居てくれるのぉ?皆に言いふらしちゃおうかしらぁ~?」
「なっ!?待て!荒潮!」
慌てて否定しようとするが、荒潮の人差し指がそっと唇に当てられ言葉を遮られた。
子供のような柔らかくて細い指先が唇の周りをなぞる。
唇と肌の境目、敏感な部分をなぞられて鼓動が落ち着かなくなってきた。
心臓の音が耳の奥で鳴っているような感覚に陥る。
そして荒潮が何かをボソリと呟いた。
「そんな提督だから……あの満潮ちゃんだって……」
満潮と聞こえたような気がしたが、まだ唇を指が這っている為、言葉を紡ぐのは止めておいた。
スルリと絡めた腕を解く荒潮。
ようやく離れてくれるのかと安堵した瞬間、荒潮の顔が近づいて、耳を啄ばまれた。
「好きよ……」
……好意の言葉を置き土産に。
「提督……は、忙しそう……えっと……どうしようかな……」
後ろから声が聞こえ、振り向くと顔を真っ赤にした古鷹が居た。
……不味いところを見られてしまっただろうか。
古鷹は古鷹型重巡洋艦の1番艦だ。
史実では重巡洋艦という括りで一番最初に作られたとある。言うなれば全ての重巡洋艦の姉である。
発行信号を誤って敵に送ってしまった青葉を庇って猛戦し、身代わりになったと資料に書いてあった。
艦娘としては黄水晶のような輝きを持ったオッドアイが目を惹く。
艤装改造前は短めのセーラー服を着ていたが、改造を施すときに腹が冷えるだろうと思い黒いインナーを用意した。
気に入ってくれたようでいつも着けているようだ。
「み、見ていたか?古鷹。」
少しだけ口篭ってしまった。だが、それは古鷹も同じだった。
「な、何のことでしょう。で、でもこれなら夜戦もバッチリです。」
古鷹が再び腕を恋人のように絡ませて来た荒潮に視線を送り、何を勘違いしたのか更に顔を赤くして意味不明な単語を紡ぐ。
……訂正、夜戦とは隠語の意味もあるかもしれない。
案外耳年増なのかもしれないな、と溜息をついた。