アイアンボトムグレイヴディガー~ショタ提督の苦悩~ 作:ハルカワミナ
時雨の持って来てくれた濡れタオルが功を奏した。
目の周りの赤みも引き、ようやく話ができる状態になったようだ。
まずは金剛の誤解を解いておかねばなるまい。
加賀から離れ、椅子に腰掛ける。
「まずは金剛、言いたい事がある。扶桑を責めてくれるな。実は昨日体調を崩してな、一晩中寝ずの番をしてくれていたのだ。疲れている様子だったのでベッドを提供した。」
少しぼかしたが、自室も完全に安全とは言いがたい。できれば盗聴の危険性が無いところで話したいものだが……さて。
「それなら私を呼んでくれたら看病したネー!」
ぶぅぶぅと文句を垂れている金剛はひとまず置いておこう。
……机に目をやるとメモ帳が目に入った。
これは良い、精々利用させてもらうとしよう。
ボールペンでメモ用紙に『盗聴の危険性がある、良い場所がないか?』と書く。
振り向き、扶桑、時雨、金剛、加賀にメモを見せる。
人差し指を唇に当て、静かにとジェスチャーしながら。
時雨以外、誰もが驚いた様子だったが、しばらくするとと加賀が口を開いた。
「マルハチマルマル……提督、そろそろ朝食を取られませんと執務に支障が出ます。」
加賀も唇に人差し指を当てている、御丁寧にウィンクまでつけて。
滅多に見れない加賀のお茶目な部分を目の当たりにして、少しだけ鼓動が早くなった。
「あ、あぁ。そうしようか。」
動揺を悟られない為に返事をする。
「提督ぅー?」
訝しげな金剛の声がする。こういう時は鋭いのだな、と心の中で溜息をついた。
「その前に提督、着替えてはどうかしら。少しだけ臭うわ。私はその臭いもやぶさかではないのだけれど。」
加賀から言われる。
スンスンと袖を嗅いで見るが確かに昨日から色々な液体が染み付いている。
女性には耐え難い臭いでもあるかもしれない。
できれば下着も替えたい。
「わかった、全員部屋から出て少し待っていてくれるか。覗くなよ?」
「「「「う!?」」」」
冗談交じりに笑いながら覗くなと言うと綺麗に4人の艦娘からハーモニーが流れた。
……なんてことだ、加賀、お前もか。
大げさに溜息をついて部屋のドアを指差すと、艦娘達は並んで出て行ってくれた。
すぐに着替えよう。
……それに今からする事は誰にも見られたくない。
メモ帳を破り、文字の判別がつかないほど細かく千切ってゴミ箱に捨てた。
箪笥から洗濯された制服と下着と靴下を取り出す。
なるべくドアから見え難いところで着替える。
覗きが怖いわけではない、断じて、ない。
汚れたものは後で洗濯室に持って行こう、あまり見てくれはよくないがせめてと思い、畳んでおく。
本当は風呂かシャワーを浴びたかったのだが、清潔な衣服を着られるだけ贅沢というものだろう。
袖を通して真新しい手袋を着ける。
さて……ドアの外の様子を窺うと艦娘同士で何やら話しているようだ。
これなら大丈夫か。
机の引き出しを開け、引き出しの奥、机の裏の部分にテープで貼り付けた封筒を剥がす。
膨らんだ封筒を逆さにするとゴトリと万年筆が机の上に転がった。
万年筆にしては重い響きだが、それもその筈、万年筆にカモフラージュしたナイフだ。
キャップを回し、蓋を取れば普通の万年筆に見えるが逆に捻ると柄が外れて刀身が現れる代物だ。
刀身は細い筒を捻ったような形状をしており、溝に沿っていくつかの穴が開いている。
相手の体に突き刺して出血を狙う為のものだ。
軍学校卒業時、江田島中将から贈られたものだった。
思えばこの体のせいでトラブルに巻き込まれる事が多かったのだが、人を殺める事も無かったのはひとえに運が良かっただけであろう。
……人を誰も傷つけなかった、と言えば嘘になるが。
空っぽになった封筒を引き出しにしまい、ポケットにそっと万年筆型のナイフを忍ばせる。
……願わくば使わない事を祈りながら。
「すまない、待たせただろうか。」
部屋の外に出ると五人の艦娘が待っていた。
白露、時雨、金剛、扶桑、加賀だ。
「提督、待ちくたびれたネー!」
金剛が口を尖らせながら袖を振る。バサバサと音がして、隣に立っていた加賀は少し迷惑そうだ。
何気ない日常が感じられるのが嬉しくて、ふふと笑いがこみ上げた。
こういうムードメーカー的な事を自然にできるのが金剛なのだろうな。
「あぁ、では食事に行こうか。納豆があると良いな。」
「Wow!あのー、混ぜたり、乗せたりするやつですネー!」
そういえば金剛は納豆にはあまり抵抗が無いらしい。
いつだったか納豆カレーなるものを食べさせられたが、納豆が豆の形を残さないほど煮溶かしてあった。
不思議と食べられない味では無かったが、やはり納豆には熱を加えるべきでは無いと思う。
食堂に向かいながら後ろを気にすると納豆に何をトッピングするか、で議論が始まっているようだ。
私はオーソドックスにネギが良いのだが……等と考えていると加賀が隣に追いつき、歩調を合わせてきた。
「すまないな、加賀。赤城と朝食を取りたかっただろうに。」
「いえ、赤城さんならまだ食事中でしょう。まだ食堂に居るはずよ。」
赤城と食事を取れなかった事を抗議でもしに来たかと思ったが、何か違うようだ。
しばらく言いよどんでいたようだが、意を決したように問いかけてきた。
「提督……その、あまり香水などつけない方が良いのではないかしら?皆の士気に関わるわ。」
「いや、そのようなもの産まれてこの方つけた事も無いが……。」
今の私はさぞかし怪訝な顔をしていることだろう。
やはり朝食の後ででもシャワーを浴びに行こうかと、脇や袖をスンスンと嗅いで見る。
さぞかし怪訝な表情で嗅いでいたらしい、加賀がクスリと微笑んだ。
「いえ、つけて無いのならいいわ、なにか……そうね、間宮のアイスくらい甘い香りがしたものだから。」
「……何だその甘ったるそうな香りは。」
脱力しながら甘味処間宮のチョコレートが刺さったアイスを思い出す。
よく赤ん坊はミルクの香りがすると言うが、まさかこの齢になってそれはあるまい。
思い当たるといえば理由はあるが、他の艦娘は特に気付いてないようなので加賀が特段臭いに敏感な方なのだろう。
あまり汗をかかない様にしなければな、と下を向いて腕組みをしながら考える。
その瞬間、加賀にうなじのあたりをスンスンと嗅がれた。
サイドポニーの毛先が首筋を撫でて、うひぃと悲鳴が出そうになるのを必死で我慢する。
「か、かがっ!にっ、かにっ何をっ!」
「蟹ではありません。」
鳥肌が立った首筋を押さえながらオタオタと慌てていると、また加賀にクスリと笑われた。
「What!?加賀!提督に近づきすぎネー!」
金剛がなにやら喚いている。
加賀は金剛を一瞥すると、一言。
「やりました。」
フンスと鼻息が聞こえた。
少しだけお茶目な部分が見れたので嬉しくもあるが、正直この後の事を考えると気が重い。
今の所、胃痛はないが再発してもおかしくないな、と溜息をついた。
「目を離さないでって言ったのにィー!提督ぅー、何してるデース!?」
やはり先程の加賀の行動は見られていたようだ、金剛が慌てて近寄ってきて右手をガシリと掴まれる……が、反対の手を今度は加賀に掴まれた。
「ここは譲れません。」
まるで連行される宇宙人のようだ。
助けを求めようと後ろを振り返り扶桑達を見たが、ニコニコと笑っているだけだった。
姉の貫禄なのだろうか、とも考えを巡らしながらズルズルと連行されるがままにしばらく任せておいた。