アイアンボトムグレイヴディガー~ショタ提督の苦悩~ 作:ハルカワミナ
「提督、何をしているのかな?」
さて、時雨が感情に任せて艤装を取り出す前に事を収めねばなるまい。
でなければ血の雨が降りそうだ。
いくら時雨が雨が好きだと言っても、赤い雨まで降らすわけにもいかないだろう。
口に人差し指を当てて、静かにとジェスチャーを送る。
とりあえず場所を移動したほうがいいだろう。
ベッドから飛び降り、虚をつかれた様子の時雨の手を掴んで自室を出る。
できるだけドアを静かに閉めると時雨に向き直った。
「どういうことだい、提督。」
底冷えのするような時雨の声だが、臆してはならないだろう。
「時雨、お前の部屋は空いているか?」
できるだけ手短に用件を言い放ち、真剣に時雨の瞳を見つめる。
唇に人差し指を当てながら。
大淀のカマ掛かもしれないが昨日の青葉とまるゆの騒動を知られているとなると執務室はだめだ。
おそらく盗聴器のようなものがあるだろう。
放送機器はあるが、もしかしたらそれに細工がされているかもしれない。
ならば駆逐艦娘の部屋ならばと咄嗟に思いついたのだ。
まさか艦娘の部屋まで盗聴器をしかけるような出歯亀じゃないと信じたい。
「うん、わかった。白露姉さんが居るかもしれないけど、構わないかい?」
しばらく逡巡した様子だったが、どうやら何かあると察してくれたようだ。
その答えに頷いて返し、歩き出す。
白露とは白露型駆逐艦の1番艦で2番艦の時雨の姉に当たる。
1番と言う響きにこだわりを持っており、それが元でしばしばトラブルの原因にもなった。
いつぞやは1番の座を賭けて島風と競争をして五月雨と衝突したり、マラソン中にタンクローリーに轢かれかけあわや大惨事となるところであった。
この話はいつか気が乗った時にでも記録を見ながら話そうと思う。
その時、キラリと光が目に入り、思考が阻害された。
何かと思って発生源を見ると時雨の髪飾りだった。
窓から入った光に反射したのだな、と思い時雨の顔をちらりと横目で覗く。
そういえば時雨は妙に鋭いところがある。そのおかげかもしれないが、第二次大戦でも最後まで生き残った艦として語り継がれるほどだ。
呉の雪風佐世保の時雨と並び称された武勲艦、と軍学校時代に習った。
駆逐艦である大戦時代の艦の写真を周りが武勲艦ともてはやす中、私は別のことを考えていた。
目を逸らす事もせず共に戦った艦や人間達の最期まで見つめていたのだろうか、と。
艦娘が対戦時の船の記憶を多少なりとも持っていると知ったときは衝撃だった。
自分だったらそのような記憶に引きずられて精神を病むだろう。
強い娘だ、時雨は……。
「僕は強くなんてないよ。それでも強いと言ってくれるなら……そう、提督のおかげだよ。」
にこりと時雨が此方を覗き込んで微笑む。
時雨の澄んだ瞳に見据えられて反射的に横を向く。
しまった、いつから声に出していたのだろう。
いや、それよりも不味い。
さきほどの不意打ちで心臓が跳ね上がり、早鐘を打つ。
最悪だ、時雨まで昨日の扶桑のような事になれば……。
今は他の艦娘達も起きている時間だ。
時雨の手を振りほどき、音がでるほどの勢いで後方に飛びすさる。
……だが時雨はきょとんとしていた。何ともないのだろうか?
「提督、酷いじゃないか。痛かったよ。」
振りほどいた側の手を撫でながら、しょんぼりとした時雨。
心なしか前髪のハネた部分もしおれている気がする。
「あ、あぁ。すまない、目の前にいきなり子蜘蛛が下りてきて狼狽えてしまった。」
言い訳としては苦しいだろうか、頭を掻き非礼を詫びる。
時雨の体が震えている、もしや相当怒っているのだろうか……。
「クク……、まさか提督が蜘蛛なんか怖がるとはね。随分可愛いところを見つけたよ。」
……違ったようだ。笑いを必死で堪えている為に震えていたのか。
しかしそんなに笑わなくてもいいだろう、流石に恥ずかしい。
今の時雨には赤くなった私の顔も可愛い弟と映っているのだろうな。
だが、これでハッキリした。
栄養剤といい、胃薬っぽい何かといい、特殊な成分が入っているのは想像に難くない。
それが艦娘の暴走を引き起こすのは飲んだ直後に体が発汗、もしくは出血した時だろうか。
……いや、それだと辻褄が合わない。やはり薬自体を調べるか大淀に問いただすしかあるまい。
「もう良いだろう、あまり言ってくれるな。」
そっぽを向いて時雨の手を握る。
ぎゅうと握り返してくれる手は温かかった。
……るんるんと振るのは止めていただきたいものだが。こちらの体まで引きずられかねない。
「……時雨、さっきは何処から口にしていた?」
気になって聞いてみた。
「……地面に落ちた雨の音を声にするのは野暮だと思わないかい?提督。」
おそらく内緒、という意味なのだろう。だがしかしとても機嫌が良いようだ。
時雨と白露の部屋につくまではしばらく引きずられて行くとするか。
ちらりと覗き見た時雨の顔は雨上がりの晴れ間のように爽やかだった。
「提督、着いたよ。白露姉さん、居る?」
繋いだ手を離し、ここで待っていてといった仕草をする。当然だ、艦娘が着替えなどしていれば此方としても問題だ。
そういえば昨日は風呂にも入れなかったな、そういえば服も昨日のままだ。
ズボンの血はそう目立つ場所でも無かったのが幸いした、ハンカチで咄嗟に口と鼻を押さえたのも良かったのかもしれない。
……迅速な処置をしてくれた大淀にここだけは感謝するべきか。
少しズボンをずりあげて裾を下ろせばそう目立つ事はないだろう。
走ったりしなければだが。
……体が小さくて制服が大き目なことを喜ぶべきか憂うべきか。
壁に背を当ててしばし待つと、時雨が声をかけてきた。
「提督?姉さんは居ないみたいだ。朝練かもしれないね。」
どうぞ、と部屋に通されて見回すと飾り気の無い、しかし綺麗に整頓された部屋だった。
「あまり見ないでくれるかな。その、北上達のように女の子らしい部屋じゃないし。」
ベッドにポフと座りながら拗ねている仕草を見せる時雨。
「いや、綺麗に整頓されていて時雨らしいなと感心していたところだ。それに勉強熱心なのだな。」
机の上に乗っているのはドイツ語と英語の本だろう、正直に思ったままを伝える。
海軍学校で一通り英語は叩き込まれるが艦娘にまで強制はしていない。
なので必要最小限を教えるくらいなものだが、どうやら見る限りでは自主的に勉強しているようだ。
物思いに耽っていると、時雨から声をかけられた。
「ふぅん、で、その血はどうしたのかな?」
時雨の青い瞳がサファイヤよりも冷たく私を見据える。
矮小な心などお見通しだと言わんばかりに。
「なんのこと、だ?」
声が掠れてしまった。
こんなことならあのインスタントコーヒーを飲んでくるべきだったと後悔した。
お気に入り登録・閲覧ありがとうございます。
呉の雪風佐世保の時雨は有名な言葉ですね。
ただ、やはり沈み行く仲間達を見つめるのは心に来るものがあります。(時雨の図鑑ボイス参照)
誤字・脱字などありましたらお知らせ下さい。