アイアンボトムグレイヴディガー~ショタ提督の苦悩~ 作:ハルカワミナ
「提督、遅かったね」
執務室に入ると時雨が声をかけてくれた。
書類が執務机に山積みされている。どうやら書類の整理は全て終わっているらしい。
机の上の書類は自分の判子待ちのものがほとんどなのだろう。
「あぁ、すまない。少し話し込んでしまった」
「ふぅん……青葉達との話はそんなに楽しかったのかい?」
やけに今日の時雨は突っかかるな。
「そういうわけではないが、余り大事にしたくなかったのでな。できれば穏便にと申し付けてきたところだ」
実際にはお願いに近かったのだが、まぁこう言っておけば語弊もないだろう。
「書類の整理を任せてしまって済まないな。助かる」
自分が座るには少々高い椅子に腰掛け、書類の山を眺める。
「提督の仕事をお手伝いするのも秘書艦の役目だからね。例え提督が仕事を放り出して遊んでいても」
かなり言葉に棘がある……。
やはり大分怒っているようだ。
こういう場合は話の矛先を変えるに限る。
「そういえばまるゆはどうしている?」
「まるゆなら五十鈴が付いているよ。他の潜水艦の艦娘達が集まっていたから今頃もみくちゃにされてるかもしれないね」
「そうか……それはまるゆも災難だな」
ふふと笑い書類に目を通しながら判子を押していく。
タンットンッと自分の中で判子を押す書類と印肉の間でリズムを取りながら山を片付ける。
片手なのでいつもよりペースは落ちるが幸い複雑な案件は無いようだ。
開けてある窓から風が入り込む、時折声が聞こえるのは駆逐艦の艦娘だろうか。
整理してある書類というのはそれだけで仕事の能率が違ってくる。
そういえば足柄が秘書艦の時だった。
自分の名前を書いた婚姻届を忍ばせていた事があった。
思わず判子を押してしまったが、自分の実印では無かったのは僥倖であった。
その時の事を思い出し、くつくつと笑いがこみ上げる。
そよそよとやわらかな風が流れる中でしばらく仕事に没頭していた。
「提督、そういえばお昼はどうしたんだい?」
唐突に時雨に声をかけられる。
「あぁ、結局何も食べてないな。色々あってそれどころではなくてな」
書類から目を離さず答える。
そういえば朝食を食べてから胃薬しか飲んでなかったな……意識すると腹の虫がぐぅと鳴いた。
「提督。一応これ、僕が作ったんだけど……邪魔、かな?」
ことりと机の上にラップがかけられた皿を置かれる。
三角形に握られたご飯、いわゆるお握りだ。
少し焦げ目がついているところを見ると焼きお握りだろうか。
「美味しそうじゃないか、いつの間……に……?」
礼を言おうと時雨の姿を見た時しばし固まってしまった。
いつの間にかエプロンを着け、赤いネクタイを垂らしている。
一瞬大鯨という艦娘と見間違えてしまった。
よく見れば大鯨の目は赤いし、髪型も違うのだが……。
それにあちらは潜水母艦だ。
「提督、そんなにジロジロみないでよ。……似合わない、かな?」
シュンとする時雨、慌ててフォローをする。
「いや、よく似合っていて見惚れていただけだ。いつの間に作ってくれたんだ?」
その言葉に少し機嫌を良くしたらしい。にこりと微笑む時雨。
「提督は集中すると周りが見えなくなるのは悪い癖だね。さっき厨房で作ってきたんだ」
「そうか、この書類ももうすぐで終わるな。少し遅いがお茶にしよう。すまないが濃い目のお茶を淹れてくれないだろうか」
当初あった分の書類は7割程度減っていた。
「うん、提督とお茶、嬉しいね」
ふんふんと鼻歌を歌いながら電気ポットから急須にお湯を注ぐ時雨。
白いエプロンが黒い制服とのコントラストを引き出しており、よく映える。
少しオヤジ臭いなと自分の考えを恥じ、くくと笑った。
「あぁ、時雨。ティーセットの棚に確か缶に入ったクッキーがあった筈だ。今日金剛がそこにコッソリ入れているのを見た。せっかくだし頂いてみないか?」
お握りの礼だ。金剛も私が食べたと言えば笑って許してくれるだろう。
「うん、見つけたよ。これかな」
テープで封がしてある缶を時雨が机に置く。
M&Sと書かれている。マークス&スペンサーというイギリスの会社だ。
これならハズレはないだろう。
封がしてあるテープに爪を立てて剥がしにかかる。
左手なので少し手間取ったが無事にテープを剥がせた。
開けると様々な形のクッキーが目に飛び込んだ。
「わぁ……」
お茶を机に置いてくれた時雨がクッキーの箱を覗き込み、感嘆の溜息を漏らす。
「時雨、椅子を持っておいで。一緒に食べようか」
テーブルはあるのだが、すでに机に食べ物とお茶が置かれている。
同じ部屋で別々にお茶をするのも味気ないだろうと考えた末の結論だ。
書類と印肉を片隅に寄せ、お茶から遠ざける。
執務机の角を使い、焼きお握りとクッキーと日本茶の小さくて奇妙なお茶会が始まった。
ラップを取り、焼きお握りを頬張る。
醤油の香りが香ばしい。
中に何か黒いものが入っていると思ったら昆布の佃煮だった。
甘辛く味付けされた昆布に食欲が増進される。
夢中で頬張っていると唐突に時雨に笑われた。
「提督、まるで雪風……いや、ハムスターみたいだよ。そんなに慌てなくてもお握りは逃げないさ」
時雨の中では雪風はハムスターなのだろうか、確かに雪風は小動物のような庇護欲はそそられるが……。
双眼鏡を構えた駆逐艦娘、雪風の姿を頭の中に思い描きながら、口中に残っていたお握りを咀嚼して飲み込む。
「いや、焼きお握りがとても美味しくてな。毎日でも食べたいくらいだ。それとも時雨が作ってくれたからかな」
言ってしまって失言だったかもしれないと気付いた。
「……本当かい?こんなので良いなら僕、毎日でも作るよ」
目をキラキラとさせる様はまるで戦意高揚状態だ。
話題を変えたほうが良いだろう。ふっとクッキーの缶に目を落とす。
「時雨、気に入ったか一番美味しかったクッキーはどれだ?」
「そうだね、僕が一番気に入ったのはこれかな」
時雨が指差したのはハート型で中にチョコが詰まっているクッキーだった。
「そうか、なら……」
ウェットティッシュで手を拭いてそのハート型のクッキーに手を延ばす。
クッキーを摘まんだところでふと時雨の視線に気付いた。
「時雨、食べるか?」
気に入った物は取っておく主義だったのだろうか、それならば悪いことをした。
摘まんだクッキーを時雨の眼前に持っていく。
「提督。これ、は……僕に? ……ありがとう♪」
はむ、と指ごとクッキーを頬張る時雨。
「お、おい。私の指ごと食べるんじゃない……」
「HEY、提督ぅー! 倒れたって青葉に聞いたけど大丈夫デー……ス?」
いきなりドアを開けて入って来たのは金剛だ。
ノックくらいしろといつも言っているのだがな。
だが今はそれどころじゃないようだ。
その場に居た誰もの時間が止まってしまった。
傍目から見たらどう考えても言い逃れはできない状況だろう。
机には金剛が英国から取り寄せたであろうクッキー缶。
そして私の指を咥えて固まっている時雨。
「時雨ー! 提督と二人でTea Timeなんてずるいネー! しかもそれワタシが英国から取り寄せたクッキーネー!」
「倒れた……? 提督、どういうこと?」
最悪だ、最悪のタイミングで物事が重なっているような気がする。
再び胃の痛みが襲って来る。
薬では抑えきれなかったらしい、気のせいか脱臼した右腕も痛み出してきたような気がする……。
サブタイトルは何となくでつけています。
時雨のエプロン姿はバレンタイン時の改二イラストを基準にしております。
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