わざわざ俺だけを呼び出した理由はなんなのだろうか。
まさか、鈴羽の出した問いの答えを先に俺に言って判断して欲しいなどという甘いことだろうか。
いや、中鉢に限ってそんなことはないだろう。
しかし、もしそうだとしたら俺は家に帰ろう。
そんなことを考えながら俺は中鉢の家へと向かっていた。
中鉢の家は俺の家からそこまで遠いというわけではなく、電車を乗り継いで行けばすぐである。
そうは言ってもそこまで人の家を覚えるのが得意なわけではないので、もしかしたら最寄駅から距離を歩くかもしれない。
俺は記憶を頼りに歩いていると『牧瀬』という表札があった。
何度見ても牧瀬である。
そこまでポピュラーな苗字ではないのでこの家で正しいだろう。
中鉢の家はアパートだった。大学を出て研究職に身を置いていてもそこまで稼ぎはよくないかもしれない。
事実鈴羽も大学の講義はいわば研究費を稼ぐ為にやっていると言っていた。
研究というのは金が必要。いつだったかそんなことを言っていた気がする。
まぁ、皆金に困っていると一概にはいえないが俺の予測は間違っていないだろう。
流石に表札まで『中鉢』にするわけにはいかなかったようだ。
厨二病まがいの言動で周囲との人間関係を悪くするほど頭のネジが外れていないらしい。
俺は軋む階段を落ちることないようにし、ゆっくりと階段を上った。
そして中鉢の家を訪ねた。
インターフォンを押す。すると『どちら様ですか』と舌ったたらずな紅莉栖の声が聞こえた。
このあどけない声を守ると為にも俺たちはやらなければ。
そんな思いが強くなった。
目を瞑るとあの光景が今でも蘇る。
ラジ館で起きた惨劇を。
あの殺人事件の犯人は結局分からなかった。もしかしたらあのまま2010年に居残っていたら分かっていたかもしれない。
しかし、それはどうでもよいことだ。
もうあんな悲劇は起きないのだから。
ラジ館と言えば俺と中鉢が初めて意見を戦わせた場所でもあった。
俺も若かったとはいえ公衆の面前でよくもあれほど人を罵倒出来たものだと感心する。
俺は岡部であると伝えると、紅莉栖は珍しい来客に驚いたのか暫く無言の状況が続いた。
開けて欲しいものだ。
「えーと、岡部なんですけど」
「おじさん?」
俺がもう一度インターフォンに向かって話すと紅莉栖がドアを少しだけ開けてこちらを見ていた。
風呂上りだったのか髪がしっとりと濡れ、頬が少し上気している。
俺の姿を確認すると紅莉栖はドアを開けて俺を家に招きいれた。
「来たか」
その声に顔を上げると中鉢が立っていた。
服装こそはラフであるが、その表情は真剣そのものだった。
「来い。鳳凰院。話がある」
付いてこいと言わんばかりの態度が少し気に食わなかったが俺はいそいそと中鉢の後を追う。
「ねぇ、なにしにきたの?」
途中紅莉栖が俺の袖を掴んでそんなことを訪ねてきた。
紅莉栖の目には遊んでもらえるのでは?という淡い期待が籠っているように見える。
俺はその様子を見て頭を撫でた。
「後で遊んであげるな」
「うん。約束」
そう言って頷くと俺の袖を離してどこかに行ってしまった。
*
「それで話したいこととはなんだ」
俺は中鉢に導かれるままに彼の書斎に入った。
勉強家なのだろうか。部屋の本棚には本がぎっしりと詰まっていた。
アパートなのにも関わらずそこはしっかりしている。
「分かっているのだろう?」
中鉢はそういうと椅子に座った。
それを見て俺も手近な所にあった椅子に座る。
「内容はな。だが、ここにわざわざ呼ぶ理由は分からない」
「そうだな。橋田教授に聞かれないためだ」
「お前が鈴羽に隠しごとか。別に構わないが珍しいな。先に言っておくが、鈴羽は中鉢が降りると言うのなら止めないと言っていたぞ?」
その言葉を聞いて中鉢は笑みを漏らした。
「あの人らしいと言えばらしいな。いや、もしかしたらこちらの家族を慮った結果かもしれないな。結論を先に言わせてもらう。俺は今回の話には乗ることにする」
「そうか」
俺のリアクションが思ったよりも淡泊だったせいか中鉢は目を丸くしていた。
もっと驚いて欲しかったのだろうか。
「貴様は礼の一つも出来ないのか」
「いや、別に予想通りだったからな」
俺は中鉢が申し出を断るはずがないとある種確信めいた思いがあった。
何故なら彼は科学者なのだから。
それも鈴羽の頼みとあって断る中鉢じゃないことは重々承知していた。
いや、中鉢という男が紅莉栖の父親である以上そんなことを断ることはない。
そこまで断言出来た。
「まぁ、いい。それで貴様をここに呼んだのは話をするためだ」
「話?」
中鉢はゆっくりと頷いた。
「正直な所世界線を超える方法はあるのか?」
「あるんじゃないかな……」
「随分と曖昧な返事だな」
「残念だが、今回は一度限りの博打なんでね。100%成功する方法などないだろうさ」
「それでは、世界線が変動したとはどうやって知覚するのだ?」
「あぁそれならば問題ない」
そう言って俺は自分の目を指指した。
「俺の目はRSと言ってな。世界線が変動したことを知覚出来る」
「貴様も随分と冗談が上手いな。そんなものがあるか」
「さぁな。信じるも信じないも自由だ。ただ、言えるのは俺の目はただ視ることしか出来ない。ただの傍観者の力だ」
そう傍観者だ。言いかえるなら観測者とでも言うのだろうか。
例えるなら、テレビを見ているようなものだ。
それに手を加えることは出来ない。
いつだったかどこかの論文で見た言葉を思い出す。
『全ての生物は一次元下のものしか知覚出来ない』
そんな言葉だった気がする。
二次元下では一次元のことしか理解出来ず。
三次元下では二次元のことしか理解出来ず。
三次元を理解するには四次元に跳ぶしかない。
RSは偶然擬似的に四次元の視点を得たのではないかとも考えたこともあった。
全ては俺の絵空事には変わりないのだが。
「ふん。まぁいい。貴様を信じてやる」
「話はそれだけか?」
「いや、違うな。これだけでわざわざお前と二人で話す必要があるか」
「確かにな」
むしろここからが本題と言ったところだろう。
「リスクは何がある」
「は?あぁ、そうだな。分からないというのが本音だ」
「このままだと何が起きるのだ」
「2000年になった時点で俺と鈴羽はこの世界から消える」
「消える?」
中鉢は俺の表現が意外だったのか首を傾げた。
「世界から弾き出されるという表現が正しいのかもしれないな」
「他に何か影響は?」
「そうだな……紅莉栖が」
「なぜ紅莉栖が出てくるのだ?」
「紅莉栖が2010年で死ぬことになるだろう」
ガタッ
突然大きな音がしたかと思うと中鉢の手が俺の胸元を掴んでいた。
呼吸は荒く、興奮のためか瞳孔が開いている。
「ふざけるなっ!何故紅莉栖が……!」
「それが世界線出した答えだったからだ。これはどう転んでも変わることはない。事件に巻き込まれなくとも事故で、或いは突発的な病気で死ぬだろう」
事実だけを伝える俺の口調は冷徹だっただろう。
「あんたのせいか知らないが、紅莉栖は海外に留学して若干17にして天才の名を冠していた。俺がここにいるのは半分はあいつのおかげだ」
俺は話しながら紅莉栖の姿を思い出す。
ほとんど俺に微笑みかけることはなかったかもしれない。
出会って日にちも全く経っていなかった。
それでも、紅莉栖はまゆりの為に命を張ろうとしてくれた。
たった数日、一カ月にも満たない程度の付き合いだったまゆりを。
まゆりが襲われた時自分の身より他を優先した。
そして何より胡散臭い厨二病だった大学生だった俺の言ったことを信じてくれた。
絵空事と笑わずに。
俺が今ここにいることが出来る最大の功労者は紅莉栖だろう。
鈴羽が未来から来ることが出来たのも。
俺があの時代の紅莉栖に会うことはもうないだろう。
それに会えたとしても受けた恩を返すことはまず出来ないに違いない。
それほど受けた恩が大きいから。
「それは確定した事実なのか……?」
「そうだな。いや変える方法はあるぞ」
「それは本当か?」
俺を掴む中鉢の手に力が籠った。
「言え。鳳凰院、いや岡部倫太郎!」
「2000年を迎えた時に世界線を変えることだ」
それだけ言うと全てを理解したらしく、中鉢の手が離れた。
「なるほど、全ては最初から決まっていたのではないか……」
ククク
そんな不気味な笑いが聞こえてきた。
「橋田教授の誘いを受けようが受けまいが関係なかったのだ」
「な、中鉢……?」
「始めから選択肢などなかった。全ては決まっていたというのか。どのような道を選んでもこういう結果になったに違いない。なるほど、これが世界線の収束というものか」
中鉢はキッと俺の方を向いた。
「アインシュタインの弟子であり、究極を現す8の中心という名を冠すこの中鉢が世界に喧嘩を売るとするか」
その笑みは俺が鏡で見た自分の笑顔とどこか似ていた。