境界線上のクルーゼック   作:度会

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仏蘭西からの手紙

俺達の家の隣にMRブラウンが越してきたというのは家賃を取りに来られそうで少し落ち着かなかった。

 

まぁ、実際はそんなことがあるわけでもなく、特に変わったことが起きなかった。

 

MRブラウンは家賃を稼ぐために工事現場の仕事をやったりとにかく力仕事をすることにしたらしい。

 

2010年に出会った時に、年齢の割に良い体つきをしていたのも頷けた。

 

聞くところによると、あの晩、酔っ払っていたとはいえ鈴羽の一撃で沈んでしまった自分を不甲斐なく感じ、鍛え直しているらしかった。

 

それを聞いた鈴羽は、それは楽しみですね。そう一笑伏してお茶をすすっていたのを思い出す。

 

言っては悪いが、鈴羽も若くないのだから無理に張り合わないで欲しいと思う心は俺が年を取ったせいだからなのだろうか。

 

「倫太郎さん、また考え事ですか?そろそろ手伝って下さいよ」

 

「じんぐるべーる。じんぐるべーる」

 

「あぁ、すまん。少し外を見ていてな」

 

「雪でも降ってきましたか?」

 

「ゆきぃ?」

 

雪と聞いて鈴太郎が慌てて、俺の脇の下から興奮気味に窓の外を覗く。

 

予報では午後7時頃から降り始めるとのことだったがそういう予報は得てして当たらないものだ。

 

鈴太郎を見て俺も昔、こうしてまだ雪が降らないかと楽しみに見ていたこともあったと思い出す。

 

大学の同期にこういう話をすると雪国出身の友人からは、東日本の人間は気楽だなと苦笑された。

 

結局俺はこの年になっても雪国の生活を体験することなく人生を送っているが、たまに降る雪を見ると、子供の時のワクワクとした感情よりも頼むから積もらないでくれ。

 

という願いが勝ってしまう。

 

我ながら、年を食ったなとしみじみ感じる。

 

もし俺が2010年で同じ雪を見ていたら何と言っていただろうか……

 

きっと、『あぁ、俺だ。外を見ているか。そうだ。遂に奴らは自分達は天候を操ることも意のままだと脅迫してきている。……なに。どうして心配そうな声をあげるのだ。俺がそんなモノに屈する訳がないだろう。天候を操ることが出来てもこの俺は鳳凰院凶真を操ることは敵わないからな』

 

「エル・プサイ・コングルゥ」

 

こんな感じでどこにも繋がっていない電話に向かって囁いていただろう。

 

俺が、聞き慣れない単語を発した為か、不思議そうな顔で鈴太郎は俺のことを見上げる。

 

「もう、またその言葉ですか」

 

鈴羽はもう聞き飽きたとでも言うかのようにため息を吐いた。

 

「そういう、よく分からない言葉はあんまり真似させないで下さいよ」

 

「分かってるって」

 

ならいいですけど。

 

鈴羽はそう言うとテーブルに料理を置いて時計にチラリと目をやった。

 

「遅いですねぇ……」

 

俺も釣られて時計を見る。

 

MRブラウンと四人でクリスマスを祝おうという話になっていた。

 

結構な頻度でうちを訪ねてくるMRブラウンは鈴太郎の年の離れた兄のような存在になっていた。

 

そこで鈴羽がお礼も兼ねて、家が隣同士ということもあり我が家でクリスマスパーティを行うことになっていた。

 

MRブラウンはその日仕事が18時過ぎまであるらしいことを言っていたので19時に来るのは難しいかもと言っていた。

 

それでも、今か今かと待ってしまうのが人情である。

 

俺達のそんな心を読んだのか、ドアをノックする音が聞こえた。

 

「あ、天王寺です」

 

俺はその声を聞くとドアを開ける。

 

「こんばんは」

 

「あ、どうも」

 

MRブラウンはなにやら袋を俺に手渡すと部屋に入った。

 

渡された中身を見てみると何やらケーキのようだった。

 

それを俺は鈴羽に見せる。

 

鈴羽は驚いたように目を丸くした。

 

「天王寺さんわざわざ……」

 

「いや、気にしないで下さい。ただ自分が甘い物を食べたくなっただけなんで……」

 

照れたようにMRブラウンは言った。

 

自分が食べたいと言った証拠にクリスマスケーキではなく、全て種類の違うケーキが四種類入っていた。

 

俺と鈴羽はもう一度礼を言うと、四人で夕食を食べ始めた。

 

会話自体は他愛のないものだったが、いつもより一人多いだけで大分違ったものになったと感じる。

 

「そういえば、天王寺さんってフランスにいたんでしたっけ?」

 

「そうですね。南フランスにいました」

 

「ってことは、フランス語はペラペラですか?」

 

えぇ。とMRブラウンは少し自慢げに頷く。

 

「自慢じゃないですけど、他にも何ヶ国かの言葉は話せるとは思いますよ」

 

それが本当なら見た目に反して随分とインテリなタイプだ。

 

もし2010年にMRブラウンが学生をやっていてもグローバルな人材と引く手数多だろうななどと考えていた。

 

「そんなこと言ってる割にはやってる仕事は力仕事なんだな」

 

「そりゃ、鈴さんに勝つためには一から鍛え直さなきゃならないですからね」

 

どうにもMRブラウンが俺に対して敬語を使ってるのが座りが悪い。

 

いや、向こうからしたら当然のことなのだろうが。

 

そのせいか、MRブラウンとは鈴羽が主に話していた。

 

鈴羽はMRブラウンと会話していて何か思い出すことはないのだろうか。

 

仮にも短い期間と雖も雇い主とバイトの関係だったのだから何か思い出しても不思議ではない。

 

「それに、俺がそういうバイトをしているのにはもう一つ理由がありまして……」

 

俺が会話に参加にしていない間に話は進んでいるようだった。

 

とりあえず聞く耳だけは持っておこうと会話に耳を傾ける。

 

「まぁ、給料がいいからなんですが、それでソレを買おうと思いまして」

 

恥ずかしそうにMRブラウンが指さした先にはブラウン管のテレビがあった。

 

「テレビですか?」

 

「鈴羽は不思議そうな声を上げる」

 

てっきりもっと高価な物とでも思っていたのだろう。

 

我が家のテレビは一年前に買い換えたばかりのやつで画面が綺麗だった。

 

「こうして、岡部家に来ている時は団欒とテレビの映像で華やいでいますが、俺の部屋にはテレビもないですからね」

 

寂しいんです。

 

MRブラウンは呟く。

 

思わず、お前は老人か。

 

そうツッコミたかったのだが、思えば俺も未来ガジェット研究所でダルが寝てしまった深夜などは、おもむろにテレビを点けて気を紛らわしていた気がする。

 

「へぇ、テレビってあると無いのじゃ変わりますからね」

 

「そうっすよね」

 

それからはどんなテレビが面白い、これはつまらないなどという話をして夜は更けていった。

 

話の途中で鈴太郎は眠くなってしまったのか、サンタのプレゼントを待つと言って寝てしまった。

 

俺が鈴太郎を布団に寝かせる。

 

時計を見ると午後九時を回っていた。

 

鈴太郎がサンタにお願いしていたプレゼントも昨日のうちに買っておいたし準備は万端だ。

 

居間に戻るとまだ二人は話していた。

 

MRブラウンも話す人が少なくて鬱憤が溜まっていたのか口の動きが止まる気配はない。

 

最近どうだとか、フランスはワインがやっぱり旨いだとか内容自体は大したことはなかったが楽しそうに話すMRブラウンの姿が印象的だった。

 

「さてそろそろお開きにしましょうか」

 

鈴羽は時計を見ると手をポンと叩いた。

 

お開きと言っても鈴羽とMRブラウンが喋っているだけで俺はほとんど相槌を打つ程度しかしていないのだが。

 

「倫太郎さんすみませんね」

 

どうやら鈴羽は俺が先程から数回船を漕いでいるのをしっかりと見ていたらしい。

 

それで話は途中だったような気もしたのだが、スッパリ話を止めてしまったのだ。

 

気にしなくていい。鈴羽なら言うだろうが、少し罪悪感が生まれる。

 

「そうかい。岡部さん。俺も明日早いからどう切り出そうかと迷ってた所なんだ」

 

それじゃあな。MRブラウンはそう言って上着を羽織るとおじゃましました。と言って俺の家を出ていった。

 

帰ると言っても家は隣だから、すぐにガチャリと隣の家のドアが開く音が聞こえた。

 

「倫太郎さん。すみません。私ばかり喋ってしまって……」

 

「いや、構わない」

 

2010年を振り返ってみても特にMRブラウンとプライベートな会話をした記憶がなかった。

 

元々俺自身、鳳凰院凶真の時でなければ話すこともそこまで得意というわけではない。

 

「さて、私達も明日から仕事があるんですから寝る準備でもしますか」

 

そう言うと鈴羽はおもむろに俺に近づいてくる。

 

「どうかしたのか鈴?」

 

「いや、私もクリスマスプレゼントが欲しいなぁと思いまして……」

 

そう言いながら落ち着かない様子で両手をせわしなく動かしている。

 

そういえば、鈴羽に何も買っていなかったのを思い出す。

 

俺も最近は普通に秋葉の手伝いはやるようになっていたので少し余裕がなかったのだ。

 

「えーと……それじゃ、プレゼント貰っていいですか?」

 

「すま……」

 

すまない。

 

俺はその言葉を最後まで言い切ることはなかった。

 

唇に当たる柔らかい感触。

 

それは紛れもなく鈴羽の唇だった。

 

甘い。

 

先程食べたケーキの甘さとはまた別の脳の芯から溶けていくような甘さ。

 

もうかれこれ十年以上一緒にいるが未だに飽きることはないだろう。

 

どの位時間が経ったのか分からない。

 

それは永久とも刹那とも区別がつかなかった。

 

鈴羽の唇が俺の唇から離れる。

 

俺達の唇を繋ぐ糸のように伸びる唾液がな艶めかしい。

 

「ふふ。貰っちゃいました」

 

じゃあ私先にお風呂貰いますね。

 

そう言うと鈴羽は洗面所の中に逃げるように入った。

 

なるほど今のがクリスマスプレゼントというわけか。

 

翌日、鈴太郎は自らの枕元に置かれたクリスマスプレゼントに驚き、サンタにお礼を言っていた。

 

その様子を見て俺達は微笑む。

 

結局俺達にも両親がいないので、大晦日もどこにも行く所が無かった。

 

そして例に漏れず俺達の隣人も行く当てが無かったらしくまた四人で鍋を囲むことになった。

 

今度は大晦日ということもあってMRブラウンが日本酒を持ってきていた。

 

俺も鈴羽も少し貰い温かい大晦日を過ごした。

 

――そして新年を迎えた。

 

年が明けたと言っても特に変わったこともなく、ただ誰から年賀状が来ているのか確認する程度のことしか変わったことをしない。

 

ふと年賀状を振り分けていると外国からの手紙が混じっていた。

 

俺に外国の友人なんていない。

 

きっと郵便局の人が俺とMRブラウンのポストを間違えたのだろう。

 

それに年賀状というより何かの封書のようなものだった。

 

明らかに年賀という感じの装丁ではないのに年賀状と一緒に入ってるのもどうだと思うが。

 

俺はしょうがないので、MRブラウンの家のポストにその手紙を入れておいた。

 

まだ鈴羽達は寝ていたがどうにも俺は目が覚めてしまったため、年賀状を見ながらテレビの新年のバラエティ番組を垂れ流していた。

 

すると、八時過ぎに誰かがドアを叩く音が聞こえた。

 

俺がドアを開けるとMRブラウンが寒そうに立っていた。

 

「あけましておめでとうございます。岡部さん、これ間違って入ってたんで」

 

そう言ってMRブラウンが差し出したのは先ほどの手紙だった。

 

「え?だって俺達に外国人の知り合いなんていないんだが……」

 

「そうなんすか?でもここに橋田鈴様とえーと鳳凰院凶真様って書いてあるんだが」

 

鳳凰院ってなんでしょうね?

 

MRブラウンはその意味が分からず首を捻っていた。

 

「ちなみに、それはどこから来てるんだ?」

 

「そりゃ、フランスですけど。えーと、SERNって書いてありますよ」

 

SERN……随分懐かしい名前だ。

 

出来ればもう二度と関わりたくない名前だった……。


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