「あなたは…誰ですか?」
鈴羽はもう一度同じ質問をする。
その自信なさげな声色を聞く度に俺の心は締め付けられる。
あぁ、俺は孤独になってしまった。
だが、鈴羽が俺みたいな目に遭わないだけでも大分救われた気持ちになる。
記憶喪失が幸福とは言えないが。
「あの……」
「岡部倫太郎」
「え?」
「俺の名前は岡部倫太郎。そしてお前の名前は……」
橋田鈴だ。
そう言うと鈴羽の頭を撫でた。
サラサラとした髪が手に触れる。
さようなら。
そして、ありがとう阿万音鈴羽。
俺と記憶を失うと分かっていても一緒に過去に跳ぶことを選んでくれて。
未来を変える為に自分を犠牲にした少女。
もうここには阿万音鈴羽はいない。
「橋田…鈴。それが私の名前ですか?」
鈴羽は自信なさげに首をかしげる。
「あ、あぁ、そうだよ。鈴羽」
「鈴…羽?私の名前は鈴じゃないんですか?」
「いや、ごめん。昔の知り合いに君にそっくりな人がいたんだよ。それで間違えてしまった」
「そうですか……その…岡部さん。どこか痛いんですか?」
「え?」
「先程から泣かれているので……」
ハッとして俺は自分の頬を触る。
確かに濡れている。
涙なんて久しく流した記憶がなかった。
俺は恥ずかしくなって、慌てて自分の頬を拭う。
「こ、これは何でも……そう、ゴミが目に入ったんだ」
「そ、そうですか……」
それからしばらくの沈黙が続いた。
「――そういえば」
俺は、その沈黙に耐えられなくなって口を開いた。
「そういえば、す、鈴はなにを覚えてる?」
鈴?と自分の名前を呼ばれても一瞬誰のことだか分かっていないように首をかしげたが自
分のことだと分かり、はい。と返事をした。
「そうですね……名前や出身などプライベートなことは何にも……」
ごめんなさい。と深々と頭を下げた。
「い、いや別にいいんだよ。だから謝らないでくれ」
2010年の時の鈴羽とはうってかわってまるで赤子のようだった。
それも無理はない。
人の性格はその人生によって形成される。
言わば積み木の様な物だ。
それを根本から崩されては赤子のようになってもしょうがない。
アイデンティティの喪失。
俺だってきっとそうなったら鈴羽と同じような状態になっただろう。
そう考えると、俺は少し感極まって鈴羽の頭を撫でた。
「え……あ、ひゃ!!」
一瞬何をされたか分からなかったようだった。
「あぁ、ごめんな」
先程と違った反応に俺は面喰って、思わず鈴羽の頭から手を離そうとすると、
「あ、あの…その……そのままにしてくれませんか?」
「え?」
「いえ、なんだかその安心するんです。岡部さんに頭撫でられると」
遠い昔にも誰かにやってもらったような気がして、と鈴羽は俯きながら答えた。
「そうか、ならいいが……」
もしかしたら、俺が今まで巡ってきた世界線でもあったように、記憶なんてものは失くしたのではなく忘れただけなのかもしれない。
きっかけがあればすぐに思い出すかもしれない。
そう思うと俺の心は少し楽になった。
いつか機会があったら俺たちがいた2010年のことでも話してみるか。
「一つ…いいですか岡部さん」
「なんだ?」
「ここは一体どこなんでしょうか?」
俺も改めて周りを見回した。
タイムマシンの中で間違いなかった。
いまいちタイムトラベルした感覚もなく、実は失敗してどの時代にも跳んでいなくて外に出たら2010年のままのような錯覚を受ける。
そんなことはあり得ないのに。
鈴羽が記憶を失った時点で時代は跳んだのだ。
「あの……」
「ここはタイムマシンの中だ」
「え……でも」
そう言うと鈴羽は周りをキョロキョロ見回して首を傾げる。
「どうやってカー・ブラックホールの特異点を裸にしたんでしょうね……」
「なんだと……おい、鈴羽!!」
今なんて言った?
カー.ブラックホールだと?
俺が大きな声をあげると鈴羽は小さな声でごめんなさいと呟いた。
その瞳にはうっすらと涙が浮かんでいる。
「あぁ、ごめんな。鈴。怒鳴らないから許してくれ」
俺が謝ると、鈴羽は、はい。とうなずいた。
「それで、どうして、そんなことを知ってるんだ?」
「わかりません……ただ、例えば日本の首都は東京とか、1+1=2とかみたいに自分に関係
ないことは少しは覚えているようなんです……」
「そうか……」
流石ダルの娘だけあってタイムマシンに関する理論には詳しいらしかった。
「あの、私どうしてこんなこと知ってるんでしょう?」
鈴羽は不安そうに俺を見てきた。
「それもきっとそのうち思い出すよ」
なに、時間はたっぷりとあるのだから。
そう言って俺は鈴羽を抱き寄せた。
「あわわわ……」
顔を真っ赤にして言葉にならない言葉を発していたが、やがて落ち着いたようでゆっくりと顔を俺の肩に乗せた。
「最後に一つだけいいですか?」
「なんだ?」
「私と岡部さんの関係ってなんなんですか……?」
そんなもの決まってる。
あの日鈴羽を死なせたくなくてループし始めたその日から、
二人で過去に跳んだその時から、
「俺たちはな……恋人だよ」
自分の顔が熱かった。これまで経験したことのない恥ずかしさを感じた。
ただ自然と嫌な感じはしなかった。
鈴羽は、その言葉を聞くと目を細めた。
「やっぱりでしたか……」
安堵の表情を見せながら鈴羽は、俺の耳元で、
「私は幸せ者ですね。岡部さんみたいな人が彼氏で」
そう言うと、目を閉じた。