昨日は悪かったな。
俺が開口一番にそう言うと、秋葉は全くだ。と口を尖らせた。
昨日の電話の件について指輪を見るために少し早目に会社に向かったのだ。
少し早く着きすぎたかと思ったが、意外と秋葉も早くから仕事をしていて、俺が早く来るのが珍しいのか俺の姿を見つけると目を丸くしていた。
「まぁ、指輪と一口に言っても色々とあるわけで……」
そこから少し蘊蓄が混じったので割愛させてもらうが、その中で秋葉が候補を三つに絞りこんでくれたらしいのだ。
「どうせ一杯あったらあったで選べないだろうからな」
「恩に着る」
そう言って俺はぺこりと頭を下げる。
正直言って女というものに疎いので、指輪などが、沢山あってもただ困るだけだ。
俺は一つ一つに目を通していく。
三つだけでもそれなりに悩んだ。
結局ゴテゴテしたものじゃなくて一番シンプルなものにした。
装飾などで誤魔化したくなかった。
「お、やっぱりそれにしたのか」
俺が悩んでいるのを楽しそうに後ろから見ていた秋葉は予想通りと言わんばかりにニヤリと笑った。
「なんだ予想でもしていたのか」
「いや、そんなことはしてないのだが……なにせ十年来の付き合いだからな」
岡部の好みなど予想はつくさ。と秋葉は言う。
「コーヒーでも飲むか?」
俺がうなずくと秋葉は自分でコーヒーメイカーを使って二人分のコーヒーを淹れた。
「俺の淹れるコーヒーを飲めるやつなんてそういないぞ」
ありがたく飲めと秋葉は淹れたてのコーヒーを差し出した。
秋葉が淹れてくれたコーヒーに口をつけた。
普段は淹れてないというだけあって濃い。
濃厚なコーヒーの味が口に広がる。
コクや深みがあるというかコーヒー豆そのものを飲んでいるようだった。
どうだ?と得意がる秋葉の顔を見て俺はまぁまぁという顔をしておいた。
「とりあえず、その指輪の代金は給料天引きにしとく」
自分で淹れたコーヒーを旨そうに飲みながら秋葉は紙に何かを書いていた。
何を書いているかを覗いてみると零が一杯並んでいた。
数えるのも面倒だったが、数十万位だろうか。
「こいつはお前の指輪の値段だよ」
俺の視線に気づいた秋葉はそう言った。
「そ、そうか……」
俺はその金額に大きさに軽く苦笑いをした。
苦笑いというか、顔が引きつった。
「これでも大分値切ったほうだぞ」
最初はこれの三倍くらい高かったかな。と秋葉は思い出すように視線を遠くにやった。
「向こうも強気だったんだが、お互いの腹の読みあいをしているうちに仲良くなって値切れたんだよ」
だから岡部は中々得な買い物をしたということだな。と秋葉は万年筆を閉じるとそう言った。
「前から思っていたのだが、どうして秋葉は俺たちをそこまで気にかけるんだ?」
別に迷惑だなんて思ったこともなかった。ただ知りたいのだ。
経営者の秋葉からしたら俺たち二人を必要以上に気にかけるという行為は合理的でもなんでもない。
「人には人のものさしがあるんだよ岡部」
秋葉はそれだけ言うと静かにコーヒーを飲む。
その姿は妙に様になっていて俺はそうか。としか言うことが出来なかった。
「そ、そういえば、お前は彼女とどうなんだ?」
俺はふと思い出した。
そう言えば秋葉も今付き合っているのだ。
しかも特徴を聞くだけだと、フェイリスの特徴とよく似ているのだ。
その人と結婚しなければきっと未来は変わってしまうだろう。
「お?あぁ、大丈夫だ。問題ない」
俺の質問に少し何かを思い出すかのような目をしながら答える。
「どうも、最近知ったのだが、彼女はどこかのお嬢さんらしくてな……」
全く気付かなかったよ。と秋葉は口に笑みを浮かべる。
「全然金があるわけではないらしんだが、なんでも最初から言うと政略とか、金目当てとか変に勘ぐられそうだったから、今になって打ち明けたそうだ」
そんなことを気にする俺じゃないんだがな。それでも秋葉は嬉しそうだった。
「それもそんなことを言うのに、ありったけの勇気を使ったらしい、言い終わったら泣いてたよ彼女」
俺はその情景がありありと思い描けた。
秋葉は、自分では普通に振舞っているつもりだろうが、実際中々オーラがある。
この間たまたまテレビに出ていた秋葉を見たが、少し空気がピリッとしていた。
恐らくある程度親しくなってないとその印象を拭い去ることは出来ないだろう。
きっとフェイリスの母親であろうその人はそれでもきっと清水寺の舞台から飛び降りる位の気持ちで言ったのではなかろうか。
自分の気持ちを誤解される恐怖と闘いながら。
それでも、自分のことを知って貰いたくて。
もっと秋葉のことを知りたくなったから。
「まぁ、やっぱ俺は彼女のこと好きなんだよな……」
そうボソッと言った秋葉の言葉を聞き逃さなかった。
その言葉を聞いて、やはり秋葉も俺と同じ人間なのだ。
当たり前の事実を今更ながら実感した。
「何かおかしいこと言ったか?」
いや、なんでもない。と俺は不思議がる秋葉にそう言った。
「まぁ、とりあえずこの指輪はありがたく買わせてもらうよ」
俺はそう言うとドアを閉めた。
それから時間はあっという間に過ぎた。
俺も勿論会社で秋葉顔を合わせていたが、その話には触れず、他愛のないことや、また未来の話を少し話す程度だった。
「しかし、もうすぐか……」
丁度約束の日の前日俺が秋葉の部屋から出ていこうとドアノブに手をかけた時秋葉は誰にでもいうわけでもなく一人でに呟いた。
「この十年あっという間だったな」
「……そうだな」
「それでもやっとだな」
「……そうだな」
「今までどんだけ待たせたんだよ」
「…ざっと数えて十年ほど」
「そりゃあ長いな」
俺もそう思う。
「もうこれ以上待たせるなよ岡部」
じゃあな。秋葉は俺を見送る。
俺はありがとな。と言って部屋を出た。
「ん?」
俺達の家のドアを開けようとしたが開かない。
鈴羽がまだ帰ってきてないようだった。
大方研究でも長引いてしまっているのだろう。
そう考えて俺は自分の鍵を使ってドアを開ける。
部屋の中は今朝と変わらないままである。
そろそろ七時近いので今日は久々に俺が作るとしよう。
台所に立つと俺は米を洗い始める。
それから適当にあり合わせのものを作って鈴羽を待つことにした。
俺が作っている最中に玄関のドアが開かれた。
「あ、岡部さん。お早いですね」
鈴羽が帰ってきたのだった。
聞くところによると少し研究が長引いてしまったらしい。
電話でもしようかと思ったが、まぁ、すぐに帰れるから特に気にしてはいないとのことだった。
鈴羽はすぐにコートをしまうと、俺に悪いと思ったのか居間に現れた。
「なにか手伝うことあります?」
「いや、もう出来るからいいよ」
ありがとう。と俺が言うといえいえと鈴羽は返した。
「やっぱり、岡部さん料理がお上手ですねぇ……」
俺の料理を食べながら鈴羽は言った。
もう十年経つが未だに鈴羽は俺の料理を食べるたびに美味しいと言ってくれる。
鈴羽は本当に出来た奴だと関心する。
「そう言えばですねぇ……明日どこかに行くんでしたっけ?」
食事中に何かを言おうとして手帳を開いた鈴羽がそう言った。
「あぁ、少しな」
極力何かを用意しているようには振舞いたくなかった。
「私の誕生日ですよね」
「そうだな」
俺が頷くと、また一つ岡部さんに近づきましたね。と顔を押さえながら嬉しそうに体を揺らした。
「そうだ。誕生日プレゼントでも買いに行こうか」
「本当ですか!?」
ありがとうございます岡部さん。と今にでも飛びついてきそうな感じがした。
「そうだな。明日までに欲しいものでも考えておくんだな鈴羽」
はい。と鈴羽は元気よく頷く。
夕食後も鈴羽は機嫌が良いようで、鼻歌を歌ったり何にしようかなと言っていた。
そんな鈴羽を尻目に俺は自分の背広のポケットに手を入れて指輪の箱を確認する。
「決戦は日曜日ってか」
別に誰と戦うわけでもないのだが。
俺も鼻歌を奏でながら指輪をポケットにしまった。