境界線上のクルーゼック   作:度会

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独白

……岡部さんが帰ると私はパソコンのデスクトップ上にあるゴミ箱のアイコンをクリックした。

 

当然パソコンは私の指示に従ってゴミ箱の中身を見せた。

 

何回見ても変わるはずはないのに。

 

私は何度もそれを見てしまう。

 

いっそのこと削除してしまえばなかったことに出来るはずなのに。

 

私はそれが出来なかった。

 

理由は分からない。

 

ただ、なんとなくだが、このゴミ箱の中身を消してしまおうという気にはならなかった。

 

SERN、SERN、SERN……

 

私のゴミ箱はSERNからのメールで一杯になっていた。

 

厳密に言うと一杯ではない。

 

だから、ゴミ箱から溢れることもない。

 

物理学者にしては妙に詩的だな。と言っていて自分で笑えてきた。

 

岡部さんの態度から見ても2010年にいた時にSERNとひと悶着あったらしいですね。

 

それも悪い方向で。

 

それはきっと巡り巡ってあたしに関係のある話なんだと朧気に感じた。

 

私はゴミ箱を消すと頭を押さえる。

 

最近あたしの記憶がフラッシュバックすることがある。

 

SERNからメールを貰ってからは特にそうだ。

 

顔も名前も思い出せないはずの人達と楽しそうに話している夢。

 

真っ暗な闇の中をひたすら逃げ続ける夢。

 

あの赤みのかかった髪が印象的に彼女は誰なのだろうか。

 

彼女に対して狂おしいほどの憎しみとそれとは対照的な日向のような温かい感情が渦巻いていた。

 

そして岡部さんはいつも何か一生懸命だった。気がする。

 

そういう白昼夢を見る時がある。

 

「きっと夢なんじゃないんだろうなぁ……」

 

薄々気づいている。

 

これはあたしの記憶だ。

 

阿万音鈴羽の記憶だ。

 

私と同じ体で18年間生きてきた存在。

 

果たして私はあたしの記憶が完全に蘇った時岡部さんと普通に接することが出来るんですかね……

 

珍しく弱気にもなってみる。

 

幸い、研究室には誰もいないから私の弱い所は誰にも見られることはなかった。

 

私のそんな気持ちを無視してパソコンがメールを受信した。

 

「またSERNですか……」

 

一日に二通来たのは初めてですけど。

 

とりあえず開かないのも悪いのでそのメールを開いた。

 

今回は英語もほぼ書いておらず、意味不明な数字とアルファベットの羅列とURLが表示されているだけだった。

 

私はよしたら良いのにそのURLをクリックしてしまった。

 

クリックに反応してパソコンは指定された画面を表示する。

 

PDF形式のファイルのようだ。

 

なにやらパスワードを打つ形式のようで、パスワードを入力して下さい。と表示されていた。

 

そこで私はメールに書かれていた意味不明な文字の羅列を入力した。

 

案の定それがパスワードだったようで、認証しましたと表示されてロックが外れた。

 

「ゼリーマンズレポート?」

 

PDFの一番最初にそう書いてあった。

 

ゼリーマンとはなんかの隠語なのだろうか。

 

私は好奇心にかられてさらに読み進めた。

 

「……」

 

どうやらこれはタイムマシンの失敗例のようだった。

 

「これが過去にSERNが送った人間の末路ってことかしら……」

 

レポートは数種類あったが、全てに赤文字で『human is dead mismatch』と書かれていた。

 

つまりまぁそういうことだろう。

 

全てのレポートの途中辺りで黄緑色をしたやや透明感に欠ける煮ごこりのような物が混じった人型が映っていた。

 

どれも壁に埋まっていたり轢かれていたりしていて原型を留めていないものばかりだった。

 

尤も原型を留めていたとしても体がゲル状になっている時点で無意味だけどね。

 

カーブラックホールの特異点を使って過去を行くという方法みたいだけど、まだまだ確立出来ていないな。というのが正直な感想だった。

 

「ゼリーマンズレポートって全く捻りもとんちでもなくそのままの様子を評したものなのね……」

 

個人的には少しは捻って欲しいものだ。

 

しかし、SERN側が私にこちらを見せた真意が掴めなかった。

 

こんなに犠牲を生むのなら参加したくないと考えるという予測は立てなかったのだろうか。

 

それとも、秘密を知ってしまっては生かしておけないと、私を亡き者にするための口実作りかしらね。

 

自分から秘密を見せてそれはないだろうに……

 

私はコップに注いだコーヒーを口に含んだ。

 

口全体に苦みが広がる。

 

やっぱり私はシロップを入れなきゃ飲めませんね。

 

そう言って苦さのあまり顔を歪めた。

 

岡部さんがブラック飲みながら、『やはりコーヒーはブラックに限る』と言っていたので、少し真似てみましたがやっぱり無理でした。

 

私はシロップを入れてコーヒーを飲み直した。

 

画面をスクロールしているといつの間にか最後のページになっていた。

 

『検体NO.X 橋田鈴』そう書いてあった。

 

そして例にも漏れず、赤字で『human is dead mismatch』と書いてあった。

 

レポートの中の私はゼリー状になって壁に埋まってました。

 

それを見て私は理解しました。

 

彼らが私にこれを見せたわけを。

 

これは警告だ。ということでしょうね。

 

我々の要求を飲まないのならこういう風になってしまうかもしれないぞという警告。

 

高々一人の極東の科学者のために大層なことです。

 

SERNも案外暇なんですかね。と軽口を叩いてみる。

 

努めて思考を冷静に保つ。

 

いつまでこの余裕が続くかは分からないですけど。

 

気づくと私のコップを持つ右手がカタカタと小刻みに震えていた。

 

コップの中に残っていた少量のコーヒーの水面が手の震えに合わせて小刻みに揺れる。

 

私は震える手で残っていたコーヒーを一気に飲み干した。

 

ふぅとため息を吐くと震えは治まっていた。

 

「岡部さんは強いですね……」

 

誰もいない研究室でぼそりと呟く。

 

日の入りも早くなってきたからか早くも研究室にも陰が差してきた。

 

私の前のパソコンだけが煌々と光っている。

 

きっと岡部さんは2010年で似たような経験をしてきたのでしょう。

 

それでもこの大きな組織に抗い続けた。

 

「私には無理だなぁ……」

 

自分の白衣をきつく握りしめる。

 

爪が指に食い込んで少し痛かった。

 

ふと誰もいない研究室を見渡す。

 

この研究室は今の私の心のようだった。

 

さながら私は、暗がりに包まれた中、たった一つの光に導かれて飛んでいく羽虫か。

 

―――なに、言ってんの?あたしがいるじゃんか。

 

頭の中に自分の声が響いた。

 

正確には私の声も姿も一緒の別の人。

 

2036年と2010年の記憶を持った別人格とでも言うのかな。

 

私は目を閉じる。

 

あたしと話すために。

 

――初めまして。というのかお久しぶりというのか分からないけど鈴羽さんですよね?

 

――うん。

 

――残念ですけど、私はあなたがいた時代のことをほとんど覚えてません。

 

――うん。

 

――こうして会話していることは幻想なんですか?

 

――さぁ?

 

そう言うと目の前にいる鈴羽は笑った。

 

まだあどけなさの残る明るい笑顔だった。

 

――私はどうすればいいんでしょう?

 

――あたしには分からないよ。だけど、あたしはあなた。あなたはあたし。あなたの決め

たことに文句は言わない。

 

だから頑張れ。橋田鈴。そう言って背中を押された気がした。

 

他ならぬ自分自身に。

 

私は目を開いた。

 

目の前のパソコンにはゼリー状になった私の画像が表示され続けていた。

 

もう恐怖も何も感じなかった。

 

私にはあたしもいるし岡部さんもいる。

 

何を恐れることがあろうか。

 

岡部さんに話して一緒に対抗する術でも考えましょう。

 

「でも、ま。今日位は甘えてみてもいいですよね」

 

私はそう独り言を言うと私は携帯を取り出す。

 

もう少し小さくなってくれると嬉しいんですけどね。

 

私は押し慣れた番号を押す。

 

数コールの後向こうが電話に出る音が聞こえた。

 

「もしもし、鈴か?」

 

「そうですよ」

 

「どうかしたのか?」

 

「いえ、岡部さん…今日一緒に帰りましょ。それにどこかで外食しましょ。岡部さんの奢りで」

 

電話口で岡部さんがえっと聞き返す声が聞こえた気がしましたが、私はでは駅で待ち合わせで。というと電話を切った。

 

たまにはこんなのもいいですね。そう言って私は笑った。

 

私の心はもう暗くなかった。


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