真・恋姫†無双 飛信譚   作:しるうぃっしゅ

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第6話:李信と水鏡2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 正午を多少過ぎた、太陽が中天に差し掛かる時分。

 昼食をとる者達で賑わっている人気の食事処の片隅で、ピリピリと緊張している小さな空間があった。

 その発生源となっている人物は、李信永政と司馬徽と名乗った少女の二人であり、司馬徽の背後に隠れている鳳統という子供は目の前の状況に混乱に陥っていた。

 

 下手に声もかけられない、張り詰めた空気にどうすればいいのかわからずにおろおろとしながら泣き出しそうになっている。

 それを見た李信は毒気を抜かれ、相手を威圧するように鋭かった視線を緩めた。それに伴い急速に弛緩していく空気に、ほっと胸を撫で下ろしたのは鳳統のみならず、司馬徽も同様であった。

 

 軽口を叩いていたものの、本音を言えば寿命が一年や二年縮まった思いだ。

 どこにでもいる少年のような身体から発せられるのは、司馬徽が経験したことが無い類の重圧。これまで漢を支える重鎮と顔を合わせる機会が多少あったが、ここまで馬鹿げた圧力を感じたことは無い。身体の芯から湧き出てくる恐れを隠すことが精一杯で、もしも背後にいる鳳統がいなければ、脱兎の如く逃げ出していたかもしれなかった。

 

 

 なるほど、と彼女は何時の間にか乾いていた唇を軽く舐めて濡らす。

 国の中枢を支配している趙忠が、こと張譲に関しては何故腰が引けるのか。最初は彼女の勢力を警戒しているからかと考えていたが、その答えは間違っていたらしい。その解答は、張譲の寵愛を受けし、李信永政。彼が全ての原因だ。

 彼の恐ろしさは戦場からは程遠い身とはいえ、理解できる。出来てしまう。ただ、二言三言の会話だけで問答無用で格の違いというものを骨の髄まで叩き込まれてしまった。こんな化け物染みた存在と真っ向から敵対するなど、何があっても御免被る。これに比べれば、十常侍など赤子同然。まだ、彼らのほうが気楽に接することができるというものだ。

 

 司馬徽は笑みを絶やさぬ仮面の下、内心で鳳統と同じく混乱の極みに達していたが、空気が弛緩したことに内心で安堵しつつ右手で持った白扇の先でコンコンと机を軽く叩く。

 

 

「さて、まずは腹ごしらえとしようか。腹が減っては戦は出来ぬと申すしのぅ」

「そうですね。とりあえず、相席させてもらえることに礼を言っておきます」

 

 話していて自分でも背筋が寒くなる言葉遣いではあるが、仕方ないと割り切って李信は席に着くと本日のお勧めを注文。

 店員が厨房に戻っていった後、二人は机を挟んで向かい合う。

 内心はともかく、外見上は冷静沈着を保っている司馬徽とどんな厄介事に巻き込まれるのかと考えている李信。似ているようで、そこはかとなく正反対の二人であった。 

 

「まずは話し合いの場に座ってもらったことに感謝を」

「……いえ、武器を向けられなければ話し合いくらいは普通にしますが」

「ふむぅ? 随分と噂とは違う印象を受けるようじゃな」

「噂? ある程度は推測できますが、どんな噂が?」

「果てさて、ワシとしてはあまり聞かないほうがよいかと思うがのぅ」

「……碌でもない噂とだけは理解できましたよ」

 

 司馬徽の台詞に、眉を顰め天井を見上げる李信。

 大方張譲の政敵が流した噂話なのだろうが、宮中で李信の姿を見て逃げ出す者も少なくないことを思い出し、やはり己は宮中で過ごす柄ではないと再確認することが出来た。

 病で没するまで戦場に在り続けた百戦錬磨の大将軍。そんな自分が宮中で大人しく過ごす事が出来るはずが無い。

 

「実際に会って見ねば、人間わからぬものよ」

 

 ほっほっほ、と笑いながら白扇で口元を隠す司馬徽の姿を、李信は天井から視線を移動させて視界に入れる。  

 改めて司馬徽徳操なる人物を見極めようとする李信に、彼女は心胆を強く持ち視線を真っ向から受け止めた。もっとも、白扇で隠した口元がひくついているのはご愛嬌といったところか。

 

 李信の眼から見ても司馬徽なる人物はいまいち掴みどころが無い。

 外見はどこからどう見ても李信と同年代か年下にしか見えないが、どこか違和感を覚える部分があった。仮に司馬徽がその年代とすれば、とてつもないという評価を李信は下さねばならないだろう。

 武人としては生憎と三流―――いや、武器すら扱えない文字通りの文官。だが、文官としての能力は比類なき高み。それだけならば張譲にも比肩するのではないかと思わせる深淵の智謀を感じさせる。

 

 

「それで、俺に一体何の用が?」

「話が早いのは有り難いが、何故ワシがお主に用があると思ったのじゃ?」

「……理由としては貴女が俺の名前を知っている点ですか。そして、俺が入店してからの声を掛ける早さ。恐らくは俺が最近この店によく来ている事を調べていたからですかね。後は、勘といったところでしょうか」

「―――ふむ。やはり噂話は当てにならぬものじゃな」

 

 李信の言葉に眼を見開く司馬徽は、目の前の化け物の評価を改めることとなった。

 勘などと取って付けた様に誤魔化しているが、単純な武一辺倒の暴虐の化身というわけではないことを確信。この店で彼を待っていた自分の選択が間違ってはいなかったことに安堵の溜息を漏らしそうになるが、まだだ、ときつく自分を戒める。まだ第一の関門を突破しただけにすぎなく、更なる難関が待ち構えているのだ。

 

 雰囲気が引き締まっていく司馬徽ではあったが、李信からしてみれば買いかぶりもいいところであった。

 ふと思いついたことを適当に並べ立てたが、実際は自分に用があると思った理由は言葉に出したとおり勘である。だが、勘というものを李信は馬鹿にしていないどころか、これ以上ないほどに重要視していた。

 数多の戦場を駆け抜けた故に身についたそれは、李信自身に降りかかってくる災いに対しては異様なまでに反応する。そのおかげで命を拾った経験は数知れない。その直感が鳴り響いているのだから、なにかしらの用事が自分にあるのでは邪推しても仕方の無いことではないだろうか。  

 

 

「お主を前に無駄に言葉を並べるのも悪手となるじゃろうな。さて、何ゆえにお主をここで待っていたか、それは―――ワシとこの鳳統の保護を願うためよ」

「……どういうことですか?」

 

 あまりにも直球すぎる要求に、李信が疑問を浮かべる。

 司馬徽はいきなり結論から口に出しているのだから、彼が理解出来ないのも当然だ。勿論司馬徽と鳳統の事情を知っていれば、推測くらいは出来たかもしれないが、生憎と李信は彼女達とは初対面。これで、司馬徽の要求を悟ることが出来たならば、ある意味千里先を読む化け物だろう。

 もっとも文官よろしく権力争いに首を突っ込み、情報を集めていれば或いは答えにまで到達できたかもしれないが、李信にそれを期待することは間違っている。彼はあくまでも武官にすぎなく、そういった方面は軍師である河了貂に全て任せっきりになっていたのだから。

 

「ワシとこの鳳統の父は元々宮中で働いておった。俗に言う、趙忠一派の下でのぅ」

 

 趙忠と口に出した瞬間、李信を窺っていた司馬徽が僅かに緊張したのか白扇が微かに震える。

 しかし、何かしらの反応をすると思ってた彼女の対面に座っている少年は、意も介さないで続きを無言で促してきた。その対応に、敵対する相手の器の大きさを改めて認識させられる司馬徽だったが、はっきりいって過大評価もいいところである。 

 

  

「だが、元々宮仕えが性にあっていなかったのじゃろう。鳳統の父と知り合いのいる荊州にでも移り住もうかと良く話しておった。宮中も何やらきな臭くなってきたしのぅ。そういう理由で暇を貰おうとしたのが先日の話じゃ」

 

 どこか言い難そうにしている司馬徽と、俯いて泣きそうになっている鳳統。

 その雰囲気を感じた李信は、ふと先程の張譲との会話を思い出す。趙忠一派から抜けようとしていた者達が死体で見つかっている、と。そこから考えるに、つまり鳳統の父は―――。 

 

「成る程。それで趙忠殿と反目している張譲殿に助けを求めると言うわけですか」

「―――う、うむ。勿論、ただでとは思っておらぬ。ワシが知る限りの趙忠一派の情報を提供しよう。あやつらの勢力を一掃するとまではいかぬが、それなりに勢力を削ぐことは出来る筈じゃ」

 

 気を利かせた李信の先回りした答えに、多少予想外だったのか詰まりながらも頷いた。鳳統もまた、李信の意図に気がついたのか驚きながらも彼女の眼に浮かんでいた恐怖がほのかに薄れる。

 

 司馬徽の提案に、李信は考え込むようにして両腕を組みつつ机に視線を落とすと同時にこの提案の利点と欠点は一体どういうことになるのか、即座に頭の中で思考する。  

 利点としては、司馬徽が提案したことに他ならない。彼女がどれだけの情報を提供できるかわからないが、張譲の一助となることに疑いようはないだろう。その小さな身体で宮中の魑魅魍魎と渡り合っている彼女の助けになるならば、李信としてもそれは願っていない幸運である。

 

 欠点として、これが趙忠一派の罠である可能性も捨てきれないといことだ。

 疑いたくは無いが、司馬徽が趙忠の密命を受けて此方の陣営に潜り込もうとしている可能性も皆無ではない。それに、良かれと思って彼女達を受け入れたとして、それが逆に張譲の負担にならないとは断言できない。

 

 自分だけの考えで、この二人を張譲一派にうけいれるかどうかは判断し難い。

 こういう時には、やはり軍師が必要だと痛いほどに思い知らされる李信であった。

 

「……直接張譲殿に、というのは難しいにしても、他にこの話を相談するに相応しい相手がいたのでは?」

「確かに、そうやもしれん。だが、恐らくは信用しては貰えないじゃろう。それにワシの話の裏を取る為に少なくは無い時間がかかるのは簡単に想像できる。張譲殿の耳にこの話が届くのは何時になるかわからぬ。そうすれば―――」

 

 まず間違いなく刺客によって命を奪われることになるだろう。

 言葉には出さなかったが、司馬徽はそう続けたかったのは想像に容易い。

 

「俺に話を持ちかけたとしても、張譲殿に話がいくとは限らないのでは?」

「……確かにそれは否定できぬ。だが、ワシが考えたもっとも高い可能性をとったに過ぎんよ。なにせお主は、あの張譲殿の寵愛を受けしただ一人の男じゃからな」

「……世間ではそう言われていますね、そう言えば」

 

 司馬徽から語られたそれは、宮中に広がっている噂話の一つだ。

 残念ながら肝心の張譲が面白がってそれを否定しないものだから、その噂が真実であるのではないかと拍車をかけている。

 もっとも、李信は与り知らぬことだが、意外とそれは的外れでも何でもない噂であるのだが。

 

 現状、幾ら考えても司馬徽の提案が本当の話なのか罠なのか李信に判別は出来ない。

 だが、第六感がたいした警戒を示していないところを見るに、罠である可能性は限りなく低いだろう。第一、鳳統のような年端もいかない子供を連れて敵陣に紛れ込もうなど悪手にも程がある。

 

「わかりました。張譲殿には俺の方から話してみます」

「―――感謝するぞ、李永政殿」

 

 表情を緩めて、深々と頭を下げる司馬徽が、人知れず安堵の吐息を漏らした。

 自然体に見えていたが、やはり己のみならず親友の娘の命を賭けた大博打を打っていたことに緊張していたということだ。

 

「それならば早速だが情報を一つ提供させて貰うのじゃ」

 

 下げていた頭を上げた司馬徽が、李信の予想を上回る提案をしてきたことに若干驚かされる。そういった駆け引きは実際に張譲としたほうが、司馬徽にとっても利点が多いのではないかと考えたからだ。

 李信を驚かすことに成功した彼女は、白扇を軽く振りパチンっと音を鳴らして、儚げな笑みを浮かべる。

 

「まずは手付金といったところじゃよ。お主にとっても、その方がワシらのことを話しやすかろう」

「確かにそうですが。まぁ、有り難くその情報とやらを聞かせてもらいますか」

「うむ。最近洛陽で殺人が横行していることは知っておるみたいだが、それの実行犯についての情報じゃ」

「……ほぅ」

 

 予想以上の情報だったことに、李信が感嘆の声を漏らす。

 何気にそれは張譲に報告すれば、司馬徽達を保護する為に、前向きな材料になるに違いない。

 李信の眼前にいる、白い服を纏った蒼い少女は、一度大きく息を吸い込むと、遂にその言葉を吐き出した。

 

 

「その名は、朱凶。数百年の歴史を持つ、中華最強にして最凶の暗殺一族じゃ」

「―――あいつらまだ生きてたのかよ!!」

 

 司馬徽の思いもよらぬ言葉に、反射的に李信が席を蹴って立ち上がり、椅子が勢いよく床に倒れこみ大きな音を立てた。

 昼時で騒いでいる者が多い店内でさえもその音は響き渡り、店内はシンと静まり返る。店中の人間の視線と言う視線を集めた李信だったが、一瞬で我を取り戻し、頭を下げながら着席する。それを切っ掛けに、何事かと注目していた客達も、再び自分達の世界へと戻っていった。

 李信が声を荒らげたのも無理がない。その名は前世とでも言うべきかつて耳にしたことがある相手だったからだ。

 まさかの因縁がある存在の登場に、呆れればいいのか悩めばいいのか判断しがたい李信の態度に、司馬徽もまた難しい表情で白扇を弄りながら声を落として話を続ける。

 

「朱凶の名を知っているとは、さすが李永政殿といったところじゃな。それなりに裏の世界に足を踏み入れた者しか知らぬ名だというのに。ワシとしてもあの最悪な化け物達に狙われるとわかっていながらお主に助けを求めるのも引け目を感じてのぅ。故に、早めにこのことは伝えさせてもらった」

「……いえ。誠意は見させて頂きました」

「心苦しいが、何卒お願い致す。最悪、ワシのことは見捨てて頂いても構わぬ。せめて鳳統だけでも―――」

 

「そ、そんな……だ、駄目です!!」

 

 司馬徽の身を切るような想いに、そこで初めて鳳統が悲鳴染みた声をあげた。

 自分の服を掴んで、涙目で訴えてくる鳳統に、何一つとして曇りのない笑顔を見せて首を横に振る。

 

「良い。我が友の忘れ形見であるお主だけはワシが如何なる手段を使ってでも守ってみせる。それがあやつへ対する贖罪じゃ」

「で、でも、そんなの、そんなの―――」 

 

 涙を溢れさせ決壊寸前の鳳統を温かく見守る司馬徽は少女の外見ながら、まるで子を見守る母のようにも見えた。

 死を覚悟している司馬徽の姿は、成る程確かに理解できる。

 彼女が語った朱凶とは、表立っては知られていないが、その筋では決して敵対してはならない一族とも言われているからだ。中華最古にして最強の、今は確認されていない蚩尤という名の一族にかつて仕えていた集団。蚩尤が裏舞台からも姿を消した後、台頭してきた暗殺一族。それが朱凶。金次第では如何なる相手も暗殺し、狙われれば最後彼らから逃れられる術はない。漢の重鎮である十常侍でさえも恐れる怪物達。 

 まず間違いなく彼らと戦おうなどと考える者は中華広しといえどいないだろう―――ここにいる李信を除いては。

 

「とりあえず落ち着いてください。今日中にでも張譲に話は通しますので。二人とも御安心を」 

 

 冷静な李信の一言に、ぴたりっと動きを止める司馬徽と鳳統。

 まさか朱凶の名を知りながら、平然とそんなことを言ってのけるとは考えてもいなかったからだ。正直な話、司馬徽はここで李信に断られる可能性が高いと踏んでいた。というのも、確かに彼女の情報は張譲にとって利になりはするが、朱凶を敵に回してまで得たいものか、と考えれば首をひねざるを得ない。

 だからこそ、鳳統だけでもと敢えて提案したのだ。趙忠側としても、恐らくは始末するのは司馬徽だけで、鳳統にまで魔の手が伸ばされるかは判断に難しい。残された心配は、自分が逝ってしまった後の鳳統の行く末。並々ならぬ才を持つ子供ではあるが、まだ年齢が年齢。故に、張譲の庇護下に入れてもらおうと考えていたのだ。張譲は才ある者を厚遇するため、鳳統もまた無碍にされることはないだろうという思惑もあった。

 

 そのため、李信の発言に二人して瞠目する結果となったのはある意味当然とも言える。

 彼の言葉の意味を理解するのに暫しの時間を要し、やがて噛み砕くようにしてその台詞をゆっくりと呑み込んだ。やがて、今度は先程よりも深く長く司馬徽は頭を垂れる。まるでそれは、忠誠を尽くす主に対する姿にも見えた。

 

 神聖な儀式を思わせるその光景に、ごくりっと息を呑む鳳統だったが、彼女もまた司馬徽と同様に頭を下げて―――。

 

 

「―――あ、有難うございましゅ!!」

 

 

 盛大に噛んでお礼を言ってのける。

 自分が礼を噛んだことに、あわわっと慌てる小動物に、これは流石に罠はないだろうと確信するのと同時に、ついでに朱凶をどうしようか、片手間に考える李信であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




評価して頂いた時の一言って読めることに気づきました。
いくつか質問頂いたことを答えたいとおもいます。

Q.河了貂と羌瘣はどちらが正室だったんですか?
A.ご想像にお任せいたします!

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