真・恋姫†無双 飛信譚   作:しるうぃっしゅ

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第26話:英雄集結

 

 

 

 

「……三人ともすまなかった」

 

 今は遠く姿も見えなくなった三人の少女を見送ったのは一人の男。名は張挙。二年近く前に十万近くの民を集めて反乱を起こした張純の副官にして弟分だった男。若い頃より張純を兄と慕い漢王朝の腐敗をとめるべく行動してきた彼ではあったが張純を李信に討ち取られて以来、生ける屍となっていた。兄によって逃がされた彼は生きる目的を失い行き倒れになっていたところを、同じ張の姓を継ぐ姉妹に命を救われた。彼女たちこそが、張角、張宝、張梁の三姉妹であり、旅芸人をして中華全域を回っている少女達でもあった。最初は生きる目的を失った為と、仮にも命を救われた恩を返すために彼女達の世話係となって日々を過ごすことになった。

 

 彼女達の下で働くことによって驚かされたのが三姉妹の魅力についてだ。旅芸人の枠組みを越えた彼女達の芸はあらゆる男達を骨抜きにしていった。次々と信者を増やしていく彼女達を見て―――張挙の心に悪魔が囁く。彼女達の力を持ってすれば、もう一度漢王朝に一矢報いる集団を作り上げることができるのではないか、と。願わくば、義兄である張純を討った李信を打ち倒したい。例え無謀であろうとも、可能性が零ではない限り賭けてみたい。それからの張挙の行動は迅速であった。以前十万にも及ぶ反乱軍を纏めていた手腕は伊達ではなく、張三姉妹の大道芸を少しずつ気づかれないように助言をして変化させていった。漢王朝へ対する不満を燻らせる方向へ、だ。それは予想以上に予想外の結果を生み出し、各地で徐々にだが黄巾党の数は増えていった。純粋に張三姉妹の為に動いたという者もいただろうが、盗賊、山賊、その他あらゆる者達を受け入れ、黄巾党は遂に反乱を起こすに至った。それに驚いたのが張角達である。まさか大道芸人の彼女達が反乱軍の首魁にされるとは夢にも思っていなかったからだ。猛反発を受けたが既に中枢は張挙によって支配されていたため、彼女達の言葉は外に漏れ出でることはなく―――本人達の与り知らぬままもはや後戻りができないところまで来てしまっていた。

 

「かかかかっ。よかったのか、張挙の旦那よ。いや、あんたが逃がしたんだ。良いも悪いもないか」

「若い身空だ。無駄に命を散らすこともないでしょう」

 

 張挙の背後で、親衛隊に守られて逃亡していった張三姉妹を見送っていた二人の男の言葉に張挙はただ頷いた。命を救われて置きながら利用する形になったのは本当に申し訳ないと思っている。元来、この張挙と言う男悪人にはなり切れない。そうでなくては、漢王朝の腐敗を正すなどと中華を旅して回らなかっただろう。

 

「俺につき合わせて申し訳ない。すまなかった……韓忠、孫夏」

「なにを今更。そんなこと覚悟の上であんたの話にのったんだぜ」

「漢王朝に我ら持たざるものの鉄槌を喰らわせて差し上げましょう」

 

 これから死地へと旅立つというのに、二人の表情は穏やかだ。死すら怖れない二人の友に感謝を贈る。

 

「これより、我らが張三兄弟だ。俺が張角で―――」

「俺が張宝か」

「僕が張梁というわけですね」

 

 これで黄巾賊の首魁三人が揃った。負けるつもりはないが敗北した場合、自分達三人の首でこの反乱の落とし前となるだろう。元々戦が始まってから張三姉妹の姿は表にだしていない。黄巾党の者達は見知った者がいるかもしれないが、黄巾賊の方は彼女達の顔を知っている者は居はしないだろう。

 

「もはや俺には漢王朝など未練はない。張純様を討ち取った男……李信。お前を見届けることこそが、俺の最後の役目だ」

 

 もしもお前が張純様の願いを託すに値しないのであれば―――わが命を持ってお前を殺す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 豫州で最大の勢力を纏めていた黄巾指導者波才敗戦する、という報は各地へと瞬く間に広がった。それ程に彼が指揮していた黄巾党は膨大な人数であったからだ。それを打ち破った皇甫嵩と朱儁の名とともに、波才を討った者として洛陽や任官場所でしか知られていなかった曹操孟徳の存在もこの戦争が中華全土へと広める結果となっていた。皇甫嵩らへの援軍として先を急いでいた李信軍や孫堅軍にも無論この報は伝わっており、ある者はやっと出てきたかという考えを、ある者は彼女の存在に警戒を、ある者は新たなる英傑の台頭に期待を、様々な思いを抱いて長社へと到着した。

 

 波才黄巾賊との戦いで相当に消耗したためか、彼女たちはまだ冀州に出発しておらず軍の調整を行っているところであった。それが許されたのは官軍に相当数の死傷者がでたのと、冀州黄巾賊と戦っている盧植率いる官軍がかなり優勢な状態であったためだろう。まずは皇甫嵩と朱儁に挨拶をせねば、と李信孫堅ともに幹部を引き連れて将軍の下へと向かっている最中、突如として李信の足が止まる。

 

「―――曹孟徳。久しぶりだな」

「はい、李信殿。御無沙汰しております」

 

 有象無象の人間がひしめく中に曹操の姿はあった。だが、まるで境界線があるかのように彼女の周囲はぽっかりと空白地帯となっている。曹操に近づくことは許されないと、彼女の背後で護衛の任にあたっている夏侯姉妹が無言でありながら強烈な雰囲気でそれを周囲の人間に悟らせてしまっていた。それに加え曹操が放つ存在感は桁が違っており、自ずと李信の視線は彼女へと引き寄せられる。洛陽北門で出会ったときよりもさらに強大で濃密な小さな身体から発せられる気配。あらゆる人間を絡めとり跪づかせる引力と、敵対するものを弾く斥力は、孫家の当主である孫堅文台にも勝るとも劣らない。孫堅の半分も生きていない彼女がこれほどの高みに達していることに驚かされるのが孫家一行である。華雄や高順、韓遂らは以前出会ったときに曹操の器に触れているが故に、まだ驚きは少なかった。呂布は曹操を一瞥するも、まるで興味がないといった様子で李信の背後にひかえている。

 

「この度の戦功聞き及んでいます。荊州および揚州黄巾賊の首魁を討ち果たしたと。この曹孟徳……心よりお祝いを申し上げます」

「ああ、その言葉受け取ろう。だが、お前のことも聞いたぞ。豫州指導者の波才の首をあげたとか。電光石火の強襲……流石は曹孟徳だ」

「有難うございます。ですが、偶然という幸運の結果です。兵糧を狙った先にてたまたま会敵しましたので。お恥ずかしい限りです」

「例え運だったとしてもそれはお前が引き寄せたものだ。そしてそれを取りこぼすことなかったのが曹孟徳―――お前の力だ」

「過分なお言葉、感謝致します」

 

 普段と変わらず笑顔で受け答えする曹操だったが、彼女の頬が僅かとはいえ薄桃に染まっていたことに李信が気づくことはなかった。それを見た華雄と高順の思いは一致する。即ち、こいつもか(・・・・・)、である。以前会ったときから怪しんでいたが、どうやら間違いなく李信に好意を抱いている。その点に関して二人の嗅覚はかなり優れていた。一方韓遂はというと、流石は我が主よ、と何が面白いのか一人高笑いをあげている。そんな時、李信は曹操の影に隠れている一人の少女の姿を見つけた。彼の視線に気づいたのか、曹操は自分の影に縮こまっていた猫耳頭巾の少女を前面へと押し出した。

 

「孟徳、様!? お、お待ちを!!」

「はいはい。隠れてないで挨拶はきちんとしなさい」

「ま、まだ心の準備がー!!」

 

 何が心の準備なのか。もしも本当に会いたくなかったのならばどこか別の場所で待っていたはずだ。しかし、男嫌いを公言する彼女が正面切って会いたい等と言える筈もない。故に、中途半端に曹操の影に隠れるなどという真似をしていたのだ。

 

「……文若か。久しぶりだな。お前もここにいたのか」

「え、ええ!! ひ、久しぶりね……今は此方の曹操様の下で働かせて頂いてるところよ!!」

 

 若干混乱に陥っているのか少女―――荀彧文若が薄い胸を張って李信へと返答するものの、見事な口調に周囲の空気がピシリっと固まった。将軍職にある者へ対しての言葉遣いとは到底思えない。

 

「我が主に無礼だぞ、小娘!!」

「いや、構わん。文若とは洛陽の官僚育成機関で何度も顔合わせしていてな。その時に言葉遣いに関しては公の場でなければ問題ないと伝えている。こいつの言葉遣いで責められるのならばそれは俺の責だ」

「―――ならばよし!!」

 

 韓遂の対応の変化の速さにこれまた周囲の人間が思わず声をあげそうになった。流石は李信が黒といえば自分含めて問答無用であらゆる答えを黒にすると噂される韓遂である。確かに公の場でどこぞの者ともしれない荀彧に対等の言葉遣いで話されたら李信の格が安く見られるやもしれないが、この状況でならばそれほどの心配はないだろう。

 

「というか、お前一人か? 荀攸は一緒じゃないのか?」

「地花……攸はあそこに残ってるわよ。一応は誘ったけど……」

 

 あっさりと断られたということは口に出さなかった。荀攸とは長い付き合いの親類であり親友だが、李信を優先したことに少なからず嫉妬心を抱いている。もっともそれはどちらへの嫉妬なのかいまいち本人にも理解出来ていないところがあった。字で呼ばれる自分と、名前で呼ばれる荀攸。付き合いの長さで見れば当然の差といえば当然なのだが、それでもどこか心にしこりが残っている。そんな不分明な気持ちが揺らぐなか、曹操の手が優しく肩に置かれた。

 

「……随分と李信殿と親しいようね、文若(・・)

 

 ギシリっと肩の骨が悲鳴をあげた。にこりっと笑顔を荀彧へと向ける曹操だったが、その仮面の下には何やら得たいの知れない感情が渦巻いている。荀彧の細い肩を握りつぶさんばかりの握力に、痛みが後になって押し寄せてきた。あまりの痛みに悲鳴すらも口から零れ出てこずに、その場に腰が砕けたように座り込む。

 

「数回顔を見た程度の間柄とか言ってなかったかしら?」

「も、もももも、孟徳、様ぁ。ち、ちが……違う、違うんですぅ。い、いぃぃぃたたたたっ」

「―――冗談よ、ごめんなさいね」

 

 ぱっと肩から手を放した曹操が、荒い息を吐く荀彧の手を取って立ち上がらせる。相当に痛かったのだろうか、涙目になっている荀彧だったが、どこか頬を赤くしてやけに色っぽい雰囲気を醸し出しているのは―――果たして気のせいなのだろうか。

 

「悪かったわね、桂花。ちょっとした戯れよ」

「華琳さまぁ……」

 

 曹操の華奢な細い指がツゥっと荀彧の喉から顎までを優雅に撫でる。それに完全に惚けてしまっている荀彧。つい先刻まで肩の骨を砕き折ろうとした張本人と、折られそうになった被害者とは思えない二人の姿。そういう関係なのかとも思われたが、曹操に関しては配下で遊んでいるだけでそういった雰囲気を匂わせてはいない。妖しい空気が散逸するなか、呂布が李信の袖を無言で引っ張る。いつもの如く早く行こうという合図に他ならない。

 

「俺たちはここで失礼する。皇甫嵩将軍と朱儁将軍に用があるんでな」

「―――わかりました。お時間を取らせて申し訳ありません。欲を言えばもう少し話をしたかったのですが……」

「ああ、俺もだ。まぁ、どうせ同じ軍に所属することになる。または時間はあるだろうさ。その時は腰を落ち着けて話をしよう」

「李信殿のお心遣いに感謝を。その時を一日千秋の想いでお待ちしています」

 

 洪手の礼を取る曹操を残して、李信達と孫堅らは去っていった。この場に―――孫策伯符(・・・・)を残して(・・・・)。前を行く孫堅一行が佇む孫策を振り返りはしたものの、彼女の表情を見て立ち止まらずに李信達を追っていく。主である孫堅さえ朱儁への挨拶に赴けば、とりあえずのところ問題は起きないであろうと言う考えもあっての暗黙の許可であった。一人残った孫策の視線は、ただ曹操にのみ注がれている。訝しむ夏侯姉妹や、荀彧の姿など目にも入らぬといった様子で、彼女はただただ曹操孟徳にのみ注視していた。二人の視線が絡み合い、互いの底を見極めようと深淵を覗き込む。

 

 だが―――二人ともが戦慄し、驚愕する。

 何故ならば両者が互いの底へ到達することがなかったからだ。決して深淵に辿り着くことがない底なしの闇。まるで奈落。これまで会った中でも李信を除いてとびっきりに群を抜いた存在。王足る器(・・・・)。 震天駭地にして感慨無量。自分と同年代にしてこれほどまでの高みに座し、そしてなお遥かな頂に昇ることを諦めない覇王の卵が二人。蒼天の覇王と紫天の覇王。両者の対峙は地を揺らし、長社に悲鳴をあげさせる。 たかが小娘、今だ名も中華に轟いていない二人。格、貫禄、圧、雰囲気、気配、ここにいる彼女らは確かに王を名乗るに相応しい全てを持っていた。例え漢王朝が滅びようとも、この二人のどちらかがいれば中華を統べる王となるであろう希望を抱く。つまりは曹操、孫策ともにそれほどまでの傑物であるということを彼女達自身が証明していた。

 

「初めまして。私は孫策。字は伯符。宜しく」

「此方こそ。私は曹操。字は孟徳。宜しくお願いするわ」

 

 同格(・・)。曹操は孫策の、孫策は曹操の、未だ見ぬそれら全てを計算して互いの格付けを行った。少なくとも現段階ではどちらも一歩も引かず、能力のあらゆる点において互角に近い。例え能力一つ負けようとも他の点でそれを補う。数値化できない以上、彼女達の本当の格は戦ってみなければ決着がつくことはない。そして、皮肉なことに両者ともが互いの存在を受け入れ、歓喜する。自分を高みに引き上げるための好敵手。それに相応しい相手の出現に、身体が喜びに満ち溢れていた。

 

「……揚州に孫堅あり。確かそんな噂話を聞いたことがあるわ。ならば貴女は?」

「ええ。貴女の推測通りよ。私は孫文台が長女。私も洛陽北門にて随分と活躍した貴女のことを噂話程度だけど聞いたことがあるわよ」

「お恥ずかしい。若気の至りというものよ」

「まだまだ若い貴女がそれをいうのかしら。そんな台詞はうちの子布が言う言葉ね」

 

 哀れ張昭子布。とんだ流れ弾である。

 

 ピリピリと油断も緩みも一切ない二人の意識。対峙しているだけだというのに、周囲の人間全てが総毛立ちこの場から離れるべきだと生存本能が危険信号を感知する。夏侯姉妹、荀彧ともに孫策が主の恐らくは個人的な意味合いの敵だと認識してはいるものの、彼女をここで討てる気が微塵もしない。単純な強さではなく、曹操同様の王の器が彼女達の身体を縛り付けている。

 

「ところで伯符殿。李信殿と一緒に来たみたいだけどどんな関係かしら?」

 

 地面に突き刺していた愛用の鎌に手をやりながら一、二度柄の握りを確かめる曹操の姿は大層迫力に満ちている。まともに対峙すれば碌な受け答えも困難な圧を感じはするだろうに、対象となっている孫策はそよ風の如く受け流していた。

 

「朱儁殿に請われて助勢に北上していた先にて合流したのよ。凄かったわ……言葉に出来ないほどに圧巻だった。とても素敵だったわよ。如何なる存在も圧倒する怪力乱神―――いいえ、あれが極まった人。本当の意味での大将軍という存在だったわ」

「へぇ……李信殿の戦う姿が見れたのね。運が良かったわね、貴女」

 

 ふふっと口角を吊り上げる曹操の言葉とは裏腹に、周囲の耳に届くほど強く鎌の柄を握り締めた。幼い時に出会って長い時が流れはしているものの、噂だけしか聞こえず実際に李信が戦場で暴れまわっている姿を見たことがない彼女から抑え切れない嫉妬が溢れ出る。曹操から発せられるそれに孫策が感じたのはこれ以上ないほどの優越感だ。自分と同じく李信という怪物に惹かれる女同士―――余計な問答など必要なく一目でわかるというものだ。 

 

「李信殿とは十年近い(・・・・)付き合いになるけど、残念ながらまだ見れていないのよ。貴女が羨ましいわ、伯符殿」

 

 曹操の台詞にピクリっと表情を動かしたのもまた孫策だ。出会って間もない自分と十年に近いと言い張る曹操。出会いの年月の長短はどうしようもなく、それは決して覆しようのない差ではないか。今度は曹操が誇らしげに胸を張り、孫策を鼻で笑う。

 

「ふふふ……そうね。出会って十年も経っているのに李信将軍の戦う姿一つ見られないなんて可哀相に」

「公務が忙しかったのよ。まぁ、揚州の片田舎で過ごしている貴女にはわからないかもしれないけど」

「揚州はいいところよ。今度是非にでも李信将軍をお招きしたいと思っているもの」

「お生憎様。李信殿は北方の異民族へ対する抑えに必要不可欠な方なのよ。そんな地方に行かれることは決してないわ」

「南方にも蛮族の侵略が厳しい地域は幾らでもあるのよ。此方の地方の対応について中央にも是非考え直して貰うためにも李信殿の遠征は必要だと思うわ。あの方の進言ならば無下にはされないはずだし」

「……面白いわね。この曹孟徳と対峙してここまで引かない相手は初めてよ」

「それは光栄。でもその言葉そっくりそのままお返ししてあげる」

 

 まともな話をしているように聞こえるものの、あちらこちらに微妙な棘が生えている言葉の応酬。初めて出会ったとは思えない遠慮の無さが、互いの苛烈な性格を表してもいた。会話を止めると互いに計ったように、うふふふと笑いながらも武器の柄を握る様子はもはや鬼女もかくやという姿。二人して睨みあう事十数秒、このままでは埒があかないと考えたのか曹操が鎌を持ち上げ真っ直ぐ孫策へと突きつけると一度目を瞑り―――そして開いた彼女の瞳には孫策ですらも驚嘆を禁じえない冷たい光が輝いていた。

 

「孫伯符……貴女に問うわ。何故そこまで李信殿に執着するの? 会って間もない貴女が何故そこまで李信殿に惹かれるの?」

「―――全て(・・)。私は李信将軍の全てに惹かれた。瞳も、鼻も、口も、眉も、髪も、腕も、腹も、腰も、脚も、足も、匂いも、気配も、技も、心も、そして強さも。最強とはかくあるべし、と体現したあの方の徹頭徹尾あますことなく全てが」

 

 李信のどこに惹かれたのか。突然の曹操の問い掛けに、孫策は一寸たりとも迷いはしなかった。問われてから答えを言い放つにかかった時間が、それに対しての愛情の深さだと持論を持つ孫策だからこそ逡巡もなく言い放った。孫策の瞳に燃え滾る輝きは、今度は逆に曹操孟徳を驚かせるに値する力を秘めている。 

 

「……繰り返すことになるけど、面白いわ。本当に面白い。孫伯符……貴女は間違いなく私の覇道の障害となる存在ね」

「覇道? この御時勢に随分と危険な発言をするわね。自分が王となると宣言するのかしら?」

「徳を持って世を治めることを王道と呼び、 知力武力を持って世を治めることを覇道と呼ぶ。尊王賎覇とはよくいったものね。でも、覇道が必ずしも王を指すものとは私は思わない。己の全てを持って己の道を貫くこと、決して曲げず折れずの道を歩むこと。それもまた一種の覇道(わがみち)

 

 ならば曹操孟徳の覇道とは何か。そんなことは問われるまでもなく決まっている。李信と出会ってから言葉通り不撓不屈の決意を持って突き進んできた我が道。彼女は詩も読めば、歌も歌う。絵にも精通し、踊りさえ嗜んでいた。あらゆる芸能に秀で、その道で名を馳せる者でさえも彼女の才に頭を下げる。天地に二人としていない正真正銘絶対の天才。そんな曹操が常に己を高め続けてきた。鍛え続けてきた。磨き続けてきた。決して切れることのない伸び代を、ただひたすらに研磨し続けてきた。その全ては、彼女のこれまでの努力はたった一つの目的のためだけに行われたもの。

 

「この曹孟徳が()と見定めた李信(・・)とともに蒼天を行くこと。それが私の求める覇道である!!」

 

 鎌を蒼天に向けて突き上げて叫ぶ彼女を中心として周囲全ての人間を圧する突風が吹いた。バタバタと衣服をはためかせ、抵抗のない人間はその場に尻餅をつく。吹き荒ぶのは万象をひれ伏せさせる王者の風だ。覇王の器たる曹操孟徳がたった一人の男を求めるその姿は荒々しくも愛情に満ち満ちている。なんと小さな王であるのか、と笑いたければ笑うが良い。ただ一人を欲し、手に入れることができずに何が王か。それに求める一人こそが、中華に伍する存在であることを知れ。

 

 ある種の告白に間違いないのだが、あまりにも堂々としすぎてこれを聞いた者は何と答えればよいのかわからずにただ黙ったままだ。全てを圧倒する曹操へと一歩踏み出す人物がいた。言わずと知れた孫策伯符である。

 

「……凄いわね、曹孟徳。そこまでの覚悟、並大抵のものじゃない。心から尊敬するわ」

 

 だが、譲らない。言葉にはせずとも孫策の瞳が爛々と輝き訴えていた。そして、それを受け止める曹操もまた同様だ。如何なる存在が相手でも彼女は引かない、退かない。何があろうとも己の意志を曲げずに突き進む。二人ともが絶対に己を貫く道を歩む者同士。だが、敵対していたとしても相手に対する敬意を持つことは出来る。それを両者は互いに今ここで知った。

 

 覇王二人が互いに感嘆しているそんな折、パチパチと短く小さな拍手が鳴り響く。

 

「本当に凄いですね。こんな場所で愛の告白しちゃうなんて」

 

 ぞっとするほどの冷たい色を乗せて飛んできた言葉。反射的に曹操と孫策が声の方へと振り向いた。ニコニコと敵意など微塵も浮かべることなく笑っている少女が一人。背後に関羽雲長を従えて穏やかに、にこやかに笑顔を見せる劉備玄徳ここに在る。

 

 何だこの女は―――奇しくも両者が揃って頭に思い浮かんだのはその疑問。曹操と孫策の視界に映るは、夥しい数の何か(・・)。想い、願い、希望。聞こえはよいそれらが真っ黒に染め上げられ渦巻き、背負っている劉備玄徳を後押ししている。頼む、頼みます。頼むぞ、頼むよ、お願いだ、任せた。託す。皆が口々に言っている。それを一身に受ける劉備玄徳はそれでも笑っていた。仲間が死ぬのは耐え難い。辛い。苦しい。涙が出る。幾度も吐いた。夜も眠れぬ悪夢に襲われている。だが、それも慣れた。枯れてしまった。人の死を、想いを継ぐ事に草臥れる頃には早く死にたいと思えてくる。だが、死ねない。死ぬことは許されない。劉備玄徳の為に死んでいった多くの者達の想いが、願いがこの双肩に託されているからだ。力を否定するつもりはない。そして言葉で止めることもまた否定するつもりもない。だが、如何なる手段方法を使ってでもこの世から戦を無くしてみせる。凄絶な覚悟、それが今の劉備を構成する全てであった。

 

「私は劉備。字は玄徳―――孟徳殿。伯符殿。良かったら皆でお話しませんか?」

 

 敵愾心を僅かたりとも見せない劉備ではあるが、この女とは不倶戴天の敵となるであろう。そんな直感が曹操と孫策の頭に囁かれた。 

 

  

 

 

 

 

 

 




曹操⇒夏侯惇 夏侯淵 荀彧
孫策⇒孫堅 孫権 孫尚香 黄蓋 張昭 程普 周瑜 周泰
劉備⇒関羽 張飛 孔明 龐統(?)

次回黄巾編最終話です。

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