真・恋姫†無双 飛信譚   作:しるうぃっしゅ

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第23話:荊州黄巾討伐

 

 

 

 

 地平を埋め尽くす黄色い頭巾に、城壁の上から見下ろしていた太守褚貢は眩暈を起こしていた。城を攻め立てる黄巾賊の鬨の声ともいえない怒声が、言うなれば獣の雄叫びとなって鼓膜を破らんかばかりに轟き、城を揺らしている。太守となって数年もの月日が流れ、平穏な日々を過ごしていたかと思えばこのような想像してもいなかったまさかの事態に、彼は混乱と恐怖の極みに達していた。砂塵を巻き起こしながら彼方より飛来するそれらは、漢をも喰らい尽くす蝗の群れのようだ。

 

「ひ、怯むなぁ!! 押し返せぇ!!」

 

 押し寄せる黄色の群れに対抗するかのように負けじと決死の声で配下を鼓舞するものの、彼の声は震えておりその声は虚しく黄巾賊の進撃に飲み込まれ消えていく。しかし、敵の火勢に既に官軍側の兵士達は及び腰である。それも無理もない話だ。ここ荊州南陽は比較的平和な地域である。勿論、近く荊州武陵郡なども蛮族が存在し両者の争いは絶える事はないが、北方地域ほどではなかった。それにこの城の官兵達は戦場へと赴いたことがない者ばかり。洛陽を中心として生まれ変わっている漢朝ではあるが、まだ彼らの救い手はここ荊州にまで及んではいない。僅かな給金のために命をかけられる者が果たしてどれだけいるであろうか。それとは対照的なのが黄巾党の集団であった。およそ一万五千の軍勢が官軍を打ち破らんとある種の信仰を持って突撃を敢行している。

 

 この状況は完全に褚貢の失策が及ぼした結果であった。兵数では負けてはいてもたかが賊徒の集まりと侮った彼は、城から出ての平地における決戦を試み、そして後悔することとなる。たかが賊と侮ることなかれ。官軍よりもよほど組織だった行動を見せているのが黄巾党であった。もっとも信仰の厚い者達で構成された右翼が遂に官軍の左翼を打ち破ると、瓦解は一瞬だ。城壁の上という安全地帯から幾ら檄を飛ばそうと、既に官軍には統率の欠片もなくなっていた。

 

「逃げるな!! 戦え、戦うのだ!!」

 

 褚貢の声など既に誰も聞こえない状況となっている現在、もはや立て直す術は皆無と思われた。

 

「これはいけませんね。このまま突破されたら囲まれて袋叩きにあっちゃいますよー」

「―――何者だ、貴様は?」

 

 城壁の上から必死に指示を出していた褚貢は何時の間にか自分の横へと現れて眼下の戦を見下ろしていた少女へと訝しげな視線を送る。仮にも太守である褚貢への不遜にも聞こえる物言いは、戦場でなければ斬り捨てられてもおかしくはない。しかし壊滅寸前の官軍を見れば、藁にも縋りたい心持の褚貢にとって敗北必至の戦場において少女らしからぬ余裕と落ち着き、不遜な態度すらも頼もしく感じられた。

 

 足元近くまで伸び波打つなんとも美しくも艶やかな金の髪。蒼色の文官服を着た、まだ身体つきも顔つきも幼い少女だ。血で血を洗う戦場を眺めているというのに、ぼぅっとしている雰囲気を醸し出し、どこか浮世離れした印象を見る者に与えてくる。彼女の頭に載っている得体の知れない人形がそれに拍車をかけていた。太守に問い掛けられたというのに、返事もしない彼女だったが、ようやく気づいたのか視線を戦場から褚貢へと戻す。

 

「ああ、名乗りが遅れました。風は程立(・・)。字は仲徳と申します。軍師の真似事などしている者ですよー」

「……程立? 聞いたことがないが」

「はい。放浪の旅の途中、先日にこちらに寄ったばかりのところですから」

「軍師? なるほど……率直に聞くが、貴様ならここからどうにかできる策でもあるのか?」

 

 想定外の軍師の参戦に、褚貢は万が一の可能性を期待して程立と名乗った少女へと問い掛けた。怪しさ満点の程立へ縋る太守の姿が、この戦場の勝敗がどうなるのかを如実に示している。

 

「そうですねぇ……とりあえず戦列を広げて踏みとどまらせて下さい。突破させてしまったらおしまいですよー」

 

 理由は先程も述べた通り。官軍の左翼を抜けられ背後に回られるとそのまま本隊を囲まれる形になる。唯でさえ瓦解寸前だというのに前後から強襲されれば一瞬で官軍の敗北は決定するであろう。褚貢は慌てて左翼へと兵を送りなんとか突破した黄巾の部隊を防ぎつつ隊列を整えようと指示を出す。

 

「これで良いのか?」

「ただの時間稼ぎにしか過ぎませんけどねー。今の状態からこの軍だけで勝利をもぎ取るのは少し無理ですよ」

「はぁ!?」

 

 あっさりとした勝利放棄の発言に、褚貢は目を剥いた。期待していただけに程立の言葉は太守の希望を圧し折るには十分な威力を秘めており、ついで感じるのは程立への強い怒りである。

 

「ならば、何故出てきた!? 街の中で震えておればよかったであろう!! 貴様は何を考えている!?」

「本当なら風もその予定だったんですよー。本来であれば街を防衛しているだけで勝てたというのに」

「防衛しているだけで? そんな馬鹿な話があるものか。一体どうやってそれで勝利するというのだ!!」

 

 烈火の怒りを見せる褚貢を前にしても、程立はのほほんっといった様子を変化させていない。その姿は余程の大物か、何も考えていない愚者かどちらかを見ている者に思わせる風格があった。

 

「風も戦を始める前に散々忠告をしたんですよ。それを聞かずに平野での決戦を選択するとは夢にも思ってもいませんでしたが」

 

 程立は黄巾党が攻めて来るという情報を聞いたときに、この街にいる官庁へと様々な情報と作戦を一緒にして献策をしていた。流石に官軍が負けて自分が訪れた街を蹂躙されては困る。程立は武力という面ではからっきしであり、もしも黄巾賊にこの街が襲われれば彼女もまた女性としての尊厳を踏みにじられた行為をされて命を落とすであろうことは明白。己の命を守るための献策でもあったが、丸ごと採用されるとは考えていなかったが、それが微塵も使用されなかったことに多少の驚きを感じたのも事実だ。

 

「風は旅人故に多くの情報を得ることが出来ているのです。その中で一つとびっきりの話を伝えたつもりなのですが、その様子を見るにどこかで止められてしまったようですね」

「もったいぶった話はやめろ!! 一体何の話をしているというのだ!!」

「皇甫嵩将軍と朱儁将軍を豫州潁川方面に。盧植将軍を冀州方面へと派遣したようですが。此方の荊州には誰が派遣されたかご存知では?」

「知らぬ……情報が伝達される前に黄巾どもが攻め入ってきたのだ」

「……李信殿。北方の異民族討伐において比類なき功績をおさめた万夫不当の将軍です」

「李、信!?」

 

 目が零れんばかりに大きく見開き、顎が外れたのではと勘違いするほどに開く褚貢。彼の姿に、ああ……これは本当に聞いてなかったんですね、と程立は彼の運の悪さに嘆息する。そして程立の発言に褚貢は自分のしでかした事に目の前が真っ暗になる焦燥に襲われた。確かに程立の言うとおりだ。街に篭り防衛に全力を注いでいれば、そこまでの被害もなく李信軍到着まで持たせることが出来たであろう。褚貢もそれを知っていたならば平野での決戦など選択しなかったかもしれない。いや、だが黄巾党をただの賊と侮っていたのも事実だ。或いは李信が来る前に決着をつけてしまおうと考えたかもしれない。どちらかはわからないが、今はとにかく援軍が来るまで持たせなければならない状況に変わりはなかった。

 

「して、仲徳とやら。李信殿はあとどれくらいで到着されると見ているのか!!」

「そうですね……普通に考えれば最速で向かってきたとしても後二日程度でしょうか」

「二日!?」

 

 幾度目かの驚きに慄く褚貢の姿を尻目に、こちらもまた何度目かの嘆息をする程立。防衛に徹していればあと二日など余裕で持たせることができたのだ。それがこの状況では如何ともしがたい。程立は実際優れた軍師であり、優秀な文官でもある。だがどれだけ優れていたとしても、九割九分負けが決まっているこの状態から勝利に導けなど土台無理な話だ。最初から彼女が軍師としての腕前を披露できる立場であったならば話は別だったが、たかが流浪の軍師に全権を預ける君主がいるわけもない。

 では、何故彼女がこんな場所にきたのか。それは先程の台詞にもちらっとでた時間稼ぎが本来の目的だ。見たところ敗北は既に決定しているが、ほんの僅かにだが持ちこたえた、後は自分が(・・・)逃げる(・・・)だけだ(・・・)。運動能力的にたいしたことがない程立ではあるが、勝敗の見えているここに残って蹂躙を受けるか、このまま逃亡するか。天秤にかけたときほんの僅かに傾くのは後者となる。出来る限りの手は打った。後は他の街で合流予定の二人(・・)の下まで逃げられれば全てが上手くいく。

 

「それでは太守殿。風はこれにて―――」

 

 愕然としている褚貢を尻目に、程立が別れの挨拶を口にしたその時であった。

 

「我こそは南陽黄巾が指導者!! 張曼成!! 官軍よ、我を怖れぬのならばかかってくるがよい!!」

 

 黄巾賊の中央にて突撃を敢行した突端にて武勇を誇る巨人が矛をふるって名乗りを上げた。その男は大柄な男であった。そして戦場においてなお溢れる血の香りを発している。彼が率いる信仰を掲げる兵士達とは異なり、張曼成からは何も感じられない。彼が頼みとするのは信仰ではなく、己自身だと散じる気配と圧力が無言のまま告げていた。

 

「どうした、官軍ども!! 俺の名に震え上がったか!!」

 

 張曼成が嘲笑し、持っていた矛で官軍の兵士を撫で斬りにする。その力量たるや、明らかにこの戦場において群を抜いており、彼の迫力と力量に前に立つ兵士達が反射にしろ後ずさった。その様子を見た程立は、せっかく立て直したというのにこれではすぐにでも瓦解してしまうことを悟り、内心で臍をかみながらも―――張曼成の姿も目にはいらぬように遠方へと視線を向けている褚貢のそれを追って見て足をとめた。

 見えた。見えたのだ。平野の遥か彼方より、砂塵巻き起こす軍勢が。日輪を求め、中華を放浪してきた程立が一度として感じたことがない全てを焦がす熱量を発する軍隊が、地平の先からやってきた。彼らが背負いたなびかせる李の旗を見た瞬間、程立は一度として動かさなかった頬を僅かにだが引き攣らせる。

 

「……これはこれは。風の予測を二日以上上回りましたか」

 

 なんと怖ろしい軍なのでしょうか。

 程立の計算を二日も覆す最速を超えた神速の行軍。もしもこれが自分が指揮する戦場であったならば、二日も読み違えたことになる。それはつまり完全な彼女の失態であり、間違いなく敗北へと直結する事態へと導かれる結果だ。彼女の思考を途切れさせるように、鳴り響く貝笛の音。長く太く、この戦場にいる者、街の中で祈る民達の頭上に、等しく届けられた。

 

 漢王朝独立遊撃軍。李信軍の到着の知らせである。

 

「手遅れではないが状況はなかなかに深刻であるな、主よ」

「敵およそ一万五千に対して此方は五千騎(・・・)。攻められている官軍はあてにはできないしな」

 

 韓遂の発言に同意する李信。本来ならば合計一万の兵士を従えている李信ではあるが、先遣隊により黄巾党が荊州で猛威をふるっていると聞き騎馬隊のみでの行軍を行ってきた。残りの五千は後から高順とともに遅れて到着する予定だが、今はいない兵士を勘定しても仕方ない。

 

早さ(・・)で押し潰すべきだな」

「そーでごぜーますな、姉御」

 

 華雄と胡軫の言葉に頷いた李信が一言。

 

「行くぞ―――李信軍。俺についてこい!!」

 

 その貝笛に気づいた張曼成と官軍は、得体の知れない怖気に襲われ手をとめて振り返った。そしてその頃には―――既に李信軍は吶喊を開始している。華雄が李信の指示の下、崩れかけてている官軍右翼を助けるべく二千の兵とともに本隊から分かれ別働隊として黄巾左翼へとぶつかっていく。李信を先頭とした本隊は、一つの巨大な稲光となった三千の一団の動きたるや紫電雷光。前に立ちふさがる存在全てを焼き滅ぼし、打ちのめす。地上に舞い降りた人型の巨大な天災。それを防ぐことなどたかが信仰のみを武器にする彼らにできようか。たった一振り。大矛による僅か一振り。李信のそれで、十人近くの黄巾党が斬り殺された。返す刀の薙ぎ払いでさらに十人が追加される。彼に続く騎馬隊が黄巾賊を轢殺し、それぞれの干戈で撃ち殺す。抵抗反抗を許さない、怪物達の進撃は瞬く間に戦場を支配し、九割九分決まっていた戦の趨勢を容易く覆していく。

 

「……噂に聞くのと、実際に見るのとでは随分と違いますねー」

 

 北方の異民族を壊走させる将軍李信。数年前の涼州の反乱から台等し始めた若き英雄。幾度となく聞いた彼の数多の戦果は、他の将軍の追随を許さない凄まじいものであった。だが、程立は軍師として冷静に話半分程度に聞いていたが―――そんな領域を超えている。逆だ。これでは逆ではないか。李信達の戦功を言葉にすることができず、結果噂話にのぼる程度におさまっている。確かに、これを、程立が今目の当たりにしているこれ(・・)を如何にして表現すればよいのか。彼女をして適当な言葉がすぐには思いつかない。

 

「背後より攻め入ってきた敵、止まりませぬ!!」

「真っ直ぐ此方にむかっております、張曼成様!!」

 

 周囲を騒がす配下の声を聞きながら、張曼成は冷静に李信達の突撃を見ていた。凄まじい、の一言だ。兵隊一人一人の錬度が、官軍黄巾のそれらを遥かに上回っている。恐らくは自分であったとしても先頭を行く男の背後に続く兵隊一人すらも打ち合えるかどうか。目に見える全ての兵士が怪物級。このような悪夢の如き軍が官軍には存在したのか。いや、よく見ろ。奴らの旗を。あれはまさか―――噂に名高き北方の最強。李信軍ではなかろうか。馬鹿な。速い。速過ぎる。

 

「落ち着け!! 奴らは相当な手練れだ。まともにやり合おうと思うな!! 側面から攻めて足を鈍らせよ!!」

 

 張曼成の指揮に従い、南陽軍の右翼をほぼ打ち破っていた左翼が目標とする相手を変え、李信軍の横っ腹を抉り勢いをとめようとするも―――別働隊の華雄率いる二千の兵に足を止められる。いや、止められるなどという表現ではなかった。圧倒的な破壊力を秘めた鉞の如き威力を持って、敵軍左翼を崩壊させていく。

 

「右翼を上げよ!! 相手の左側はがら空きだ!! そのまま突っ込ませろ!!」

 

 黄巾党の指導者の指示を再び受け、黄巾党は展開していた右翼を李信軍の脇腹を抉らんと動き出し―――そんな彼らの背後から強襲する部隊があった。李信本隊とは最初から別行動をとっていた、呂布率いる精鋭騎馬隊一千。それが完全な虚をついて黄巾党の右翼の背中から襲い掛かり、次々と食い荒らしていく。

 

「て、敵の足が止まりません!!」

「とめろぉ!! 奴らの足を止めよ!! 三千の騎兵の突撃、しかもあのような化け物どもを受け止めることなど、この本陣ではできんぞぉ!!」

「左右の援軍はどうしたというのだ!?」

 

 喚きたてる張曼成直属兵たち。黄巾党以前より彼に従っていた兵達が左右を見れば、完全に足を止められている両翼。いや、逆に押し込まれてすらいる現状に、打つ手が悉く潰されている。南陽兵がいる中央を突破しようにもそれはつまり今まさに迫り来る李信軍に背を向けるということ。それだけは絶対に打ってはならない悪手であることはこの場にいる全ての者が理解していた。

 

「なんという、強さ。なんという速さ!! これほどのものか、李信軍とは!!」

 

 褚貢が城壁の上から眼下の戦場を見下ろせば、自分が白昼夢を見ているのではないかと思わせる光景が広がっている。ほんの先程まではもう一刻持つかどうかと言う話だったのに、それが一瞬でひっくり返った。北方ほど李信の噂は広がっていないが、それでも漢王朝最強という称号は決して誇張でもなんでもないことを彼は骨の髄にまで叩き込まれた。

 

「しかし、なんだあの強さは、突破力は!! 確かに李信将軍の強さは桁外れのモノ!! だが、後に続く兵の強さは一体……」

「……李信軍の強さのカラクリ。それは単純なことですよー」

 

 褚貢の疑問に答えるのは、何時の間にか戻ってきて肩を並べるように李信軍と黄巾党の戦いを見ている程立であった。

 

「仲徳、貴様にはそのカラクリとやらがわかるというのか」

「はい。大将自ら軍の先頭を行くという常軌を逸したあの突撃。貴方ならばどう対応しますか?」

「……貴様も言うとおり大将自ら先陣を切っているのならば、まずは頭を潰すべきだ」

「そうですね。それが正解です。本来ならば(・・・・・)、ですが。当然、大将を討てばそれで戦は終わります。最小の被害で戦争に勝利することができる。先頭を行く大将を……李信将軍を狙わない理由がありません」

 

 ですが、と。

 

「討てないんですよ、その一騎が。李信将軍を討つ事ができない。あのお方の前に立つということは、李信軍(・・・)の前に(・・・)立つと(・・・)言う事(・・・)。将軍が先陣を切る事によって極限にまで高まり昂ぶった軍の圧力全てが一丸となって襲い掛かってくるのですー」

 

 考えても見てください、と。程立は表情一つ変えずに褚貢へと語りかける。

 

「兵隊全てが並々ならぬ使い手の李信軍全ての圧力を一身に受けて……太守殿は立ち向かう勇気などありますか?」

「……いや、無理だろう、アレは」

「はい。敵対する者は並の者では圧力に圧し負けて抵抗も出来ずに終わってしまうのも無理の無い話です。敵中をああも容易く行く突破力。勿論李信将軍の万夫不当の武力があってこそですが―――主を討たれまいと後に続く李信軍の存在が大きいでしょうねー」

 

 あんな突撃を止める事ができる軍などこの中華に存在するのだろうか。褚貢の言うとおり、それは無茶無謀な話でしかない。ほら、見ろ。既に李信率いる本隊が張曼成の喉下へと死を届けるべくやってきたではないか。

 

 しかし、と改めて隣の美しい少女を視界の端に映しながら内心で驚愕を禁じえない。恐らくは李信とその軍を見たのは初めてだというのに、彼らの強さの秘密を一瞬で見破る眼力は、只者ではない。

 

 李信と張曼成。互いの顔が見える位置にまで近づきつつある戦場で、必死に退避を叫ぶ配下を黙らせる。左右に逃げたとしてもそれぞれの別働隊に足止めされて背後を討たれる。後ろに逃げたとしても先程述べたような結果で終わる。つまり逃げ場は存在しない―――。

 

「いや、一つだけあるな」

 

 くはははっ、と笑った張曼成が矛を天にかざす。配下の者達へと視線を一周。そのうちの若者に目を留めて、ニヤリっと死地においてなお余裕の笑みを浮かべた。

 

張挙(・・)の奴に伝えておけ。お前が狙っている李信とは―――怪物であったとな」

 

 さぁ、いけ。とその若者を一人戦場から離脱させると、残された直属の兵隊達へと力強く一喝。 

 

「黄巾党……いや、我が兵士よ。俺についてこい」

 

 皮肉にも李信と同様の言葉を発し、張曼成は飛び出した。前へと(・・・)。いま攻め来る李信軍へ向かっていきおいよく吶喊を仕掛ける。死神へと自ら向かうそれは蛮勇でしかない。

 

「……正解です。それが唯一の活路ですよー」

 

 ぶつかりあう両軍。李信を先頭とする李信軍と張曼成を先頭とする黄巾賊。両者の騎馬が激しく激突し切り結ぶ。だが、結果は見るまでもなく明らかで、次々と黄巾の者達が討ち取られていく。

 

「……李信軍でなければ、突破できたかもしれないですね。張曼成……一廉の者でした(・・・)

 

 程昱の発言の秒後、一騎打ちとなる李信と張曼成。

 張曼成が矛を振り上げ振り下ろす―――間もなく、李信の大矛が黄巾党南陽指導者張曼成の首を刈り取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「しかし、荊州か……様々な地域を転戦としているが、こちらは初めてきたかもしれんな」

「北方を主戦場にしていたでごぜーますからね」

 

 黄巾掃討が完了し、李信達は太守達に挨拶するべく街中を歩いていた。噂に名高い李信軍を見ようと多くの住人が集まりまるで祭りのように騒がれている。流石に洛陽程の歓待ではないにせよ、ここまでの歓迎を受けるとは考えてもいなかった李信達にとっては少々むず痒いというものだ。

 

「こっちはこっちで蛮族の侵略があるにはあるらしい。どうにも中原からは遠いから後回しにされるというのも仕方ないところがあるんだろう」

「……恋もこっちはあまり旅で回らなかった」

「我がいた涼州とは随分と離れておるからなぁ。我も荊州へ来た事は数えるほどだ」

 

 華雄と胡軫。李信と呂布が並んで歩き、韓遂もまた李信の背後に付き従っている。奇しくもここにいる五人は五人とも荊州にはそこまで縁がないものばかり。多少の物珍しさもあって、きょろきょろと周囲を見渡していると、視線があった住人からのさらなる興奮の声が上がり、街中に響き渡る。

 

「ところで、李信。小耳に挟んだんだが漢朝は義勇兵を募集するらしいが本当か?」

「ん? ああ、そんなようなことを聞いた覚えはあるな」

「将軍のお前が何故しらん」

「仕方あるまい。我が主も北方に出ずっぱり故に、どうしても情報が伝わるのが遅れるのは当然の話である」

 

 華雄の突っ込みに韓遂が援護に回る。それが何時もの光景だ。完璧に敬服している韓遂は、李信が黒と言えばなんとかして白でも黒にするべく行動する。そのまま白と言い張るよりも余程厄介ともいえなくもない。

 

「ああ、でも今回の黄巾の反乱は確かに凄まじいとは聞くでごぜーます。何でも参加している人数は三十万を超えるとか」

「……とても多い」

「うむ。これまでの漢王朝の歴史でもこれだけの反乱は空前絶後と言っても過言ではなかろう!!」

「で……話を戻すが義勇兵を募集しても、それに払う給金は出せるのか?」

 

 華雄の心配ももっともだ。つい数年前までの漢王朝の荒れ果てた政治を思い返せば、恩賞として支払う金があるのかどうか疑うのも当然である。それを払う為に重税を化すのならば、悪循環となって更なる反乱を招くのではないか。

 

「ああ、その点に関しては問題ないぞ。国庫には莫大な金が眠っているらしい」

「……そんな馬鹿な」

 

 第十一代皇帝の桓帝までで国の財源は使い果たしてほぼ空っぽな状態になっていたという。しかも漢王朝建て直しの為にかなりの出費もしていると聞く。それなのに何故、莫大な金があるのか。

 

「良くも悪くも劉宏陛下が行った売官制度の結果だな」

 

 売官制度というものを第十二代皇帝劉宏が定め認めた。それは文字通り官職を金で買うことができるという制度であり、つい数年前まであった(・・・)制度だ。政府の役職であいている地位を金で売り財源として確保しようと試みたのだ。しかも、商人などには値踏みをして高値で売り飛ばし、転売も許可する。在任期間も短くし、幾度も一つの地位で儲けられるように仕向けたのだ。聞くだけならば大変有効に思えるかもしれないが、それは即ち陰で行われていた汚職などが公に行われたということを意味している。こうして漢朝は政治の腐敗という代償と引き換えに莫大な金を手にするに至ったと言う訳だ。

 

「その時の金がこうして煌が有効活用しているのだから何がどうなるかわからんもんだ」

 

 まぁ、漢王朝を腐敗させていなければさらに楽に復興への道を歩めたのだろうが。

 

「それで、だ。今回の義勇兵募集の目的はなんだ?」

「勿論、兵力の補充だ。幾ら漢王朝とはいえ、中華全土に点在している三十万の反乱軍を抑えるのはちょっときついだろう?」

「……それだけではあるまい。今回は各地の貴族豪族なども黙っているわけにもいかないだろうが。対岸の火事ではいられないはずだ」

「珍しく鋭いな、華雄」

 

 華雄の言うとおりだ。今回の黄巾党は中華全域に渡って反乱を起こしている。しかも民への虐殺略奪も少ないとはいえ、完全にないとは言えない状態だ。自分たちの領地の民がそのような目にあって放置など出来るはずもない。それ故に各地の有力者も黄巾党への討伐に名乗りを上げ始めている。つまりは兵力的には十分になりつつあるというのに、まともに戦えるかもわからない義勇兵を募集する。何か裏があるのではないかと、疑ってかかるのは当然といえば当然の話だ。

 

「あー、なんでも煌曰く……在野に眠っている原石を掘り起こすためとかなんとかいってたな」

「なるほど!! 名が未だ知れてない者を勧誘するためであるか」

 

 韓遂が李信の言葉に得心を得たと何度も頷き、それに遅れて華雄と胡軫もまた理解した。今現在劉弁が欲しているのは優秀な人材。もしくは将来性のある者。義勇兵でくるものは恐らくは玉石混交―――圧倒的に石が多いにせよ、少なからず玉もいるはず。そういった人材をまとめて発見するための義勇兵募集の令なのであろう。特に才ある者を集めて洛陽で育成してはいるものの、まだまだ足りない現状が続いている。大層な出費となるであろうが、官軍の兵士の被害も抑えられる点も考慮すれば納得がいく説明でもあった。

 

 そんなワイワイと騒ぎながらも街を行く李信達を遠目で見ている人物がいる。それは程立仲徳その人であった。本来であれば、彼女はなにかしらの手を考えて李信へと接触を試みようと考えていたのだが―――近づいてその考えを改めた。

 

「……困りましたねー。あのお方が(・・・・・)そうかと(・・・・)思いましたが、どうやら違うようです」

 

 程昱仲徳(・・・・)。それが彼女の本名であり、程立とは偽名でしかない。彼女は幼い頃よりとある夢を何度も夢うつつに見ている経験があった。泰山に登り両手で太陽を掲げる、という夢だ。それは何かしらのお告げであると考え、日輪こそが自分が仕える主であると信じ中華を旅して回っていた。未だ、それに相応しい主とは出会えず、日々を過ごしていた今日この日―――そうではないかという存在に出会えた。李信永政。漢王朝最強の飛将軍。遠目でみるだけでわかる、他とは一線を画す絶対強者。是非言葉を交わして確認をと思えど、それをせずとも理解できる。

 

「……あのお方は違いますね(・・・・・)ー」

 

 二度もの否定。ぶるりっと身体が震えた。果たしてこれは一体どんな感情なのか。常に泰然としている自分が、程昱仲徳ともあろう天才が、李信という名の超越者の気配に触れて進めない。いや、彼だけの気配ではない。李信を包み抱擁する万象全てを平伏させるもう一つの超越者の存在が、まるで彼は自分のものだと訴えているかのような錯覚さえ覚えさせた。背後に蠢くそれに、彼女だからこそ気がついたとも言えた。

 

「李信将軍……貴方様達は、風の日輪すらも焼き滅ぼす者であるというのですね」

 

 ああ、これは紛れもない恐怖だ。一刻も早く自分が日輪と定める主を探し見つけねばならない、と程昱は悟り―――歓声溢れるこの街を一人後にするのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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