真・恋姫†無双 飛信譚   作:しるうぃっしゅ

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蛇足之5:劉備玄徳

 

 

 

 

 

 幽州と呼ばれる州がある。広大な中華の土地のもっとも北東に位置する場所で涿郡、広陽郡、代郡、上谷郡、漁陽郡、右北平郡、遼西郡、遼東郡、玄菟郡、楽浪郡、遼東属国の計十一郡で分割統制されている地域だ。もっとも北方に位置するだけあり、国境は様々な異民族と面しているため、涼州と同じように日々の暮らしを脅かされていた。そんな幽州の州治所がある広陽郡の南西に位置する涿郡にて、名を馳せる人物がいた。その名を盧植。字は子幹。文武両道で、博学かつ節義も高く人望が厚い。非の打ち所がない女性でありながら、九江太守まで勤めた優秀な人材でもあった。ただ、病のため官職を去らねばならず、故郷である涿郡に戻ってきてからは、私塾を開き近隣の子弟に学問を教えることを生きがいとしていた。

 

 様々な子供達に学問を落とし込んでいく彼女ではあったが、言い方は悪くなってしまうが所詮は幽州の片田舎。才ある者は数少ない。玉石混交とでもいうべき生徒の中で、明らかに玉とでもいうべき光を放つ人材がいた。それが学び舎となっている彼女の屋敷に師である自分を丁度訪ねてやってきている目の前の二人の少女であった。

 

 一人は桃色の長い髪の少女。二つ結いとは少し異なり、少しの髪の量を両側の耳の上部でまとめ、残りの後ろ髪は全て垂らしている。俗に兎結びとも呼ばれる髪型だ。穏やかで、少女としての魅力を凝縮させたかわいらしい顔つき。傍にいるだけで人を癒すようなゆったりとした雰囲気。年齢的には十六、七歳くらいであろうか。年齢には似合わない豊かな双丘を持つ、女性的な身体的特徴がこれでもかというくらいに自己主張している様は、どこぞの未来の覇王様や十常侍の筆頭が見れば世の中の無常を悟ること間違いない。

 

 もう一人もまた少女であった。前の少女と似通って入るが桃色というよりは赤に近い髪色。若干長さは短く髪を後頭部で一つにまとめて垂らした総髪。年齢もほぼ同年代なのだろうが、こちらの少女は、どちらかというと十常侍の筆頭様が同胞だと喜びそうな女性的特徴をしていた。

 

「わざわざ見送りに来てもらって有難うね、二人とも」

 

 ギュっと二人の少女を豊かな胸のうちに抱きしめる盧植に、複雑そうな表情を作るのは桃色髪の少女だ。長い間私塾にてお世話になった尊敬すべき大先生が、漢王朝から任命され将として召抱えられたのが先日の話。元々病を患い故郷へと戻ってきていた彼女ではあったが、数年の療養により完治するまでに至っており、それを理由に断ることができない状況がもたらされていた。以前蛮族を降伏させた実績もあり、五千人将級の扱いで復職することとなったのだが、それはつまり師が戦場に旅立つことに他ならない。師の出世を喜ぶべきか、命の危険がある戦場に行かなければならなくなったことを悲しむべきか。そんな理由もあいまって、桃色髪の少女の心中としても非常に複雑な状況である。ちなみにもう片方の赤髪の少女としてみても桃色髪の少女の心境と同様であったのだが……単純に自分の顔にあたっている非常にやわらかいお餅様の大きさと弾力に、なんだかどうでも良いような気持ちに襲われつつあった。

 

「玄徳ちゃんと伯珪ちゃんも身体にだけは気をつけてね」

「はい。盧植先生も」

「おっぱっ……いえ。盧植先生も御武運をお祈りしています」

 

 何やら口走りそうになった赤髪の少女―――公孫瓚伯珪。まさかの発言をしかけた友人に、頬を引き攣らせる桃色髪の少女―――劉備玄徳。感動の別れの最中ではあったが、世の理不尽について考えていた故にの発言だったのだ。持つ者には持たざるものの気持ちなどわかるまい。など、と言う訳にも行かず友人である劉備の視線から逃れるべく視線を逸らす。二人の姿を見て苦笑するのは盧植である。湿っぽい別れは苦手ということもあり、この二人に見送って貰えるのは非常に有り難いのかもしれない。それにしても普段は天然が入っている劉備に、公孫瓚が頭を痛めるというのが恒例行事ではあるのに、今回に限っては逆とは面白い。

 

 抱きしめていた二人を解放すると改めてマジマジと自分の生徒でも最優の二人の姿を見つめる。

 公孫瓚伯珪は、恐らくは大丈夫であろう。有力豪族の子として生まれるも、生母の身分の関係で冷遇されているが、腐ることなく日々邁進している。優しく素直な性格で侠気と勇気を持ち合わせ、非の打ち所がない珍しい型の人物だ。強いて言うならば、秀でた能力がないということだろうか。武官としても文官としても、将としても大守としても、彼女より優秀な人間は数え切れないくらいいるだろう。そこだけを見て彼女を判断する者が多いのは悲しいが無理もないことだ。しかし、師である盧植の考えは違う。確かに公孫瓚は突出した能力がない。だが逆に言えば、全ての面が纏まっているということだ。苦手な分野もなく、武官文官としてあらゆる任務をこなすことが出来る。それのなんと貴重なことか。こういった人間こそ、縁の下の力持ちとして厚遇されるべきなのだろうが……生憎と彼女をそこまで高く評価している者がいないのが現実である。でも、なんだかんだでこの少女はうまいこと世の中を生き抜いていくのではないか、とも盧植は考え直す。

 

 問題はもう一人のほう……劉備玄徳である。

 この少女程危うい(・・・)人間を盧植は知らない。人を傷つけることを良しとせず、戦争を憎み、中華の民が平和に暮らすことができる世界を願っている。理想主義とは良くいったものだが、この少女程それを強く求めている者を盧植は知らない。人は限界を知る生き物である。大人に成るに従って、現実を直視し、可能か不可能か見極め諦めてしまう。だが、この少女は、劉備玄徳にはそれがない。純粋な光のみで構成された眩い少女。だからこそ、盧植は怖い。この少女が戦争に触れたとき、膝から崩れ落ちてしまうのではないか。いや、それならばまだ良い。最悪壊れてしまうのではないか、そんな想いを常に抱いていた。

 

「どうしたんですか、盧植先生?」

 

 穴があくほどに見つめている師の姿に、流石に疑問に思った劉備が首を捻る。やはり眩い。だが、危うい。本来ならば二人に別れを告げて旅立つ筈であったが、自分が育てた生徒にはやはり愛着がある。このままでは駄目になると解っている教え子を置いていくのは彼女達の師としても失格であろう。現実を知るにしても、早い方がよい。そして、崩れ落ちたときに支える者がいる方がよい。

 

「……玄徳ちゃん。悪いけど、しばらく先生に付き合ってくれる?」

「え……はい。多分大丈夫だと思いますけど」

 

 一体どこへいくのか?

 そんな劉備の質問に、師である盧植は優しげな笑顔を浮かべて一言。

 

 

 地獄へ(・・・)、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 男は枯れ果てた木を見上げていた。

 巨大で、今も見上げねばらぬほどの大きさ。彼がまだ子供の頃よりも遥か昔よりこの村を見守っていた木だ。長らく生き抜いてきた桑の木であったが、先日の冷害であっけなく枯れ木となった。男はこの木に、自分を投影しているのかもしれない。いや、或いはこの漢という国をも。持っていた剣で枯れ木を叩くと乾いた音が寒村に鳴り響く。

 

「よう、大将」

「兄者!!」

 

 気がつけば二人の男が目の前にいた。そこで男はこれが夢なのだと気づく。この二人があまりにも若々しかったからだ。よく見てみれば、二人ともぼろぼろの鎧を着ている。あの時はまだお金も余裕がなく、こんな装備しか買えなかったことを思い出した。手に持つのも刃こぼれした剣や鍬といったろくでもないものばかり。それでも弟分二人は頼もしそうに胸を張っている。

 

「急ごしらえだがなかなかのものだ!!」

「後は馬さえ用意すれば格好はつくな」

 

 戦装束を身に纏い、胸に抱くはかつて光武帝を支えた雲台二十八将の如き気持ち。それのみを自分達の柱としてこの漢を助けてみせる。男たちは若かった。ただ若さだけがあった。そこで男は弟分二人に見せ付けるようにニヤリと笑った。

 

「光武帝にならって牛でもいいかもしれないな」

 

 それはいい! 男達は本当に愉しそうに笑い声を上げた。

 あらゆる物を売り払って、ようやく馬を三頭買った。それはやせ細り、今にも倒れそうな馬であった。だが、兄弟の契りを交わした三人にとっては大層立派に見えた。もはや三人に残っているものは何もない。

 

「これより先は天を屋根とし、地を寝床とする」

「おお、それはいいな。大将!!」

「そうだ!! あぁ、そうだ!! 天下が我らの寝床だ!!」

 

 我らには使命がある。天命がある。命を賭して漢を救うという大切な役目がある。

 三人は同時に持っていた欠けた剣を空にかざし打ち合わせた。言葉にせずとも伝わる想いがある。そして男たちは、沈む太陽目掛けてやせた馬を走らせた。それでぐにゃりっと光景が歪む。そして感じる浮遊感。わかっていた。だがもう少し見ていたかった。この若かりし頃の甘美な夢を。

 

 

「……ああ。夢だ。これは夢だ」

 

 既に夢に見たあの頃から二十年もの月日が立っている。全ては夢幻であったのだ。自分達の敵はあまりにも強大すぎて、結局何もできなかった。

 

「お目覚めですか、張純様(・・・)

 

 傍らに仕えていた男が目を覚ました張純へと心配そうに語りかけてくる。あの頃よりこんな自分を兄者と慕い、ともにいる弟分。その視線を受けてふっと笑った。

 

「夢を見たぞ、張挙」

「……そうですか」

 

 多くは語らない張純の言葉だが、それで全てを悟ったのは張挙である。何故ならば、自分も昔の夢を良く見るようになっていたからだ。

 

「我らはどこで間違ったのだろうな」

 

 それは張挙にもわからない。三人で漢という国を立て直そうと旅立った二十年前。多くの悪を討った。どれだけの暴利を貪る輩を屠ったのか。思い出すことができないほどの自分たちの正義を執行した。しかし、彼らが彼らの正義を為し悪を討ったとしても―――何も変わらなかった。いや、今まで守ってきた民がさらに力の無い民から奪う無限に続く暴力の連鎖。それを解き放っただけであった。個人としての限界を知り故郷に戻った三人は、今度は上に立つ者として漢王朝を立てなおそうと尽力を尽くす。だが、無駄だった。全ては無意味であり、何の意味も持つことがなかった。どれだけ行動を起こそうとも、腐りきった漢王朝を立て直すことなど不可能だった。

 

「我らの道が正しいか、否かは後の世の者が決めましょうぞ」

「……そうだな。我らは常に真っ直ぐと進んできた。最後までそれを信じるのみだ」

「―――おい、大将。何やってるんだ。皆あんたを待ってるぜ」

 

 突如として割って入ってきた男。こんな時だというのに楽しげに笑っている。いや、この男はいつもそうだ。どんな苦境にあっても笑みを消すことはない。

 

「丘力居か……なに、今いく」

 

 かつてともに義兄弟として中華を旅し、張純が帰郷した際にはこの男もまた烏桓族のもとへと戻った。僅か十数年で遼西郡を支配する烏桓族の大人となり、五千を超える集落を支配下に置くというとんでもない真似をしでかした本物の英雄級の怪物である。この男がいなかったならば、張純達は漢王朝に反乱(・・)を起こそうとは思わなかったであろう。張純と張挙、そして丘力居が幕舎から出てみれば、彼ら三人の大将を迎えたのは様々な顔であった。姿形が農民そのものという者、学のありそうな若者、筋骨隆々とした武人、北方の異民族に南方の蛮族などの多種多様な面々である。四海のあらゆるところから集まった兵である。その数や尋常ではない。見渡す限りが人、人、人。当然だ、集まった兵はなんと十万を越える。凄まじき軍勢が男の、張純の、大将の号令を待っていた。彼らからの熱で、想いで身体が震えた。

 

「よく集まってくれた、我が同志達よ!! 虐げられ、奪われ、見捨てられた民達よ!!」

 

 十万もの人間が集まっておきながら、張純の声を聞く為に誰一人として言葉を発するものはいない。そして、彼の声は非常によく通った(・・・・・)。後ろの方にいる者達の耳まで届いている。

 

「天下の法がないがしろにされ、悪人が中華に蔓延っているのかっ!! 僅かな実りに苦しめられ、官吏に日々の糧すら奪われる!! 天を騙る者(・・・・・)が肥え太り、我ら民がやせ細るのかっ!! 漢は天より授けられた使命を忘れてしまった!! 即ち―――漢王朝は天命を失ったのである!!」

 

 張純の言葉。それは民の奥底に眠っていた怒りと言う感情を呼び起こす。

 

「漢王朝に天下の道理はもはやない!! 我らがそれを正すのだ!! 漢王劉邦の如く!! 漢再興の祖である光武帝の如く!! 悪しき王を討ち、我らが新たな世を作るのだっ!!」

 

 そうだ。俺たちがやるんだ。俺たちがやるしかないんだ。

 次第にそんな言葉が集まった民の口から飛び出してくる。

 

「―――蒼天(・・)っ!! 既に(・・)っ!! 死す(・・)っ!!」

 

 張純が両手を高く掲げた。青く広がる空を押し潰すように、高く高く広げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「あの先生……どこまでいくんですか?」

「遼東近辺までかな。大丈夫大丈夫。玄徳ちゃんは心配しないでついてこれば良いよ」

「……ええ、と。私もついてくる必要あったんですか?」

 

 周囲を数千の兵士に囲まれて、中央を走る馬車の中に彼女たちはいた。盧植と劉備……そして完全に巻き込まれた公孫瓚である。劉備を一緒に連れて行くと言った盧植を見送るはずだったが、気がつけば馬車の中である。彼女とてそんなに暇ではない。やることは幾らでもあるのだから、正直とても困ってはいるものの、友人一人おいて帰るのも彼女の優しさがそれを邪魔している。ハァっと溜息を吐くのも束の間、ピリッとした空気が周囲を満たし始める。明らかに空気の質が変わったことにこの場にいる三人は当然として、周囲を固めている兵士達にも伝わっていた。徐々に重く、徐々に熱く。この丘を越えたあたりに何かがいる。見えなくても伝わる莫大な熱気が押し寄せてきている。ごくりっと劉備と公孫瓚は何時の間にか口にたまっていた唾液を呑み込んだ。気が抜けば腰が抜けそうになる熱量に、知らず知らずの内に両手を握り締めていた。やがて、馬車は丘を越え―――そして劉備は見た。この世の地獄を(・・・・・・・)

 

 それは殺意の大雪崩であった。攻勢をかけている軍勢は、装備もろくに統一されていない。ぼろぼろになった武具を使っている者もいる。それは迎え撃つ軍からしてみれば滑稽なものだ。だが、それを遥かに凌駕する圧倒的な殺気の津波が押し寄せて、平常心を保っていられない。

 迎え撃つ軍とは官軍である。即ち漢王朝が保有する正規の軍だ。攻め手は賊軍。異民族や蛮族、果ては農民まで混じっている雑多な統一感のない狩られるだけの獲物であったはずだ。だが、いざ戦争が始まれば攻守は見事に逆転した。装備も人材も劣っているはずの張純軍が、迷いなく命を捨てて吶喊し、それに脅えた官軍は盾で突撃をおさえるものの、将軍の怒声むなしく押し込められ前線を後退させられる。

 斬られる。切られる。潰される。砕かれる。捩じ切られる。踏み潰される。ありとあらゆる死に方をしていく官軍賊軍。一秒の間に生み出されるのは数十数百の死。怒声と悲鳴の入り混じった死神の産声が木霊していた。瞬きすれば、次目を開けた瞬間にはさらなる死が訪れている。地獄。これは地獄だ。確かにこの世の地獄としか表現できない。師の盧植が例えたそれは―――決して間違いではなかった。

 

「―――う、げぇ……かふっ」

 

 吐いた。劉備は胃の中のものを全て吐き出した。すえる匂いが馬車の中に充満するも、それよりもなお強い血臭が風に運ばれてくる。それにさらなる嘔吐を繰り返す彼女の背中をさするのは、友人でもある公孫瓚だ。彼女もまた顔色を蒼くはするものの、吐き気を我慢して劉備の背中を摩っている。彼女は劉備を気遣いながらも、師である盧植を糾弾するように鋭い視線を向けていた。幾らなんでもこれは酷い。理想をおっている劉備に、いきなりこんなモノを見せてしまうとは。いや、劉備でなくても耐え切れるものは少ないのではないか。

 

「そうだね。玄徳ちゃんには酷いことをしたと思う」

 

 物言わぬ公孫瓚の視線を受け止め、それでも盧植は苦笑した。

 

「でも、何時か必ず通る道だから。これが先生としての最後の教えだよ」

 

 漢王朝は中央を中心として徐々に建て直しては来ているのは事実である。いや、よくぞここまでと信じられない気持ちしかない。もはや後は滅びるだけだという大方の予想を覆し復興を目指しているのだから予想外もいいところだ。それでもまだ足りない。圧倒的に地方での人材が足りないのだ。そしてもう一つ―――漢王朝以外が力を持ちすぎているというのもまた現状である。彼らがこのまま大人しく漢王朝に従っているか。だいそれた望みを持つのではないか。下手をすれば国を割る群雄割拠の時代がきてもおかしくはない。

 

 そしてそうなれば、これ以上の地獄が生み出される。その時劉備が大人しくしていられるだろうか。いや、彼女は彼女の理想を持ってその中に割って入っていくだろう。その時のために彼女は実際の戦争の悲惨さを知らねばならないのだ。だが、きっと劉備は大丈夫だろう。そんな漠然とした予感を盧植はもっている。劉備は自分を支えてくれる友がこんな傍にいるではないか。それはとても得がたいものだ。彼女はきっと多くの民と友に戴かれる存在となる。そんな未来予知にも似た自分の考えに再度苦笑して、彼女は馬車を本陣へと向かうように指示を出した。五千の兵をつれてきているとはいえ、流石にこのまま眼下の平地で行われている戦場に吶喊するような真似は出来ない。雑多な敵軍とはいえ勢いが凄まじく、下手に手を出せばこちらが飲み込まれて終わる可能性すらある。しっかりとした策を持って対応しなければ官軍の敗北で終わるかもしれない。そんな最中の出来事であった。何かが爆発したのではと思われる激しい爆撃音が戦場に響き渡る。何の音だと見下ろせば―――こちらとは逆の丘から突撃を行った騎兵団が張純軍の横っ腹に風穴を開けていた。

 

「―――せ、先生。なんですか、アレは(・・・)

 

 公孫瓚が震える声を搾り出す。それを聞きながらも盧植もまた言葉が出ない。騎馬隊の先頭を行く赤い毛色のほかよりも二周りは大きな馬に乗った赤い少女がこれまた自分よりも巨大な武器を平然と振り回している。抵抗する間も与えずに、張純軍を斬殺し、突殺し、殴殺し、轢殺する。一呼吸の間に十人を、二呼吸の間に二十人を、気がつけば彼女が通った道の両側には死体が折り重なって小さな山が出来ていた。それに彼女だけではない。彼女を先頭として背後に付き従う騎馬隊も驚異的である。自分たちよりも遥かに数が多い敵兵を前にして怯む様子は一切見られず、ただただ少女に従って張純軍を蹴散らしていく。張純軍からしてみれば僅か一千の騎兵にしか過ぎない。されどその一千は十分に戦場の大局を左右できる絶対強者の群れでもあった。

 

「……おぃ。おぃおぃおぃ!! 嘘だろ、おぃぃぃぃいいいいい!?」

「あいつ、あの女!! 見たことがあるぞっ!! あるぞ、俺はあるぞぉ!?」

 

 張純軍の誰かが声を上げた。騎馬団の先頭を行く者を指差して、カタカタと震えながら悲鳴をあげる。一体だれだ、と注視してみれば、そこらかしこから怒号染みた賛同の声が聞こえてきた。あの女はあいつだ。あの武将だ。あの武器を知っている。あれは方天画戟だ。戦場でありながら戦う手を止めて、子供が泣き喚くかのように、漣が広がっていく。彼女の名前を、正体を伝えていく。それは即ち。

 

「―――呂、奉先!!」

 

 戦場に響き渡るのは呂布の名声。あらゆる異民族を屠りし、絶対の武。漢王朝が所有する最強の軍を率いる猛将の一人にして、天下絶双とも呼ばれし生きながらにして伝説となった万夫不当。その伝説に偽りはなく、ただ淡々と賊軍を殺戮して回っている。

 

 だが、だが、だが―――。

 

 賊軍が怖れているのは彼女だけではない(・・・・・・・・)。呂布奉先とはとある将軍に仕えている武将である。彼女がこの戦場にいるのならば、それはつまるところ彼女の主である将軍もまた現れることに他ならない。アレを見ろ。誰かがそう言った。官軍も賊軍も、ある一方向に視線が釘付けとなった。パクパクと口が開閉するも、言葉が出ない。その間にも呂布が賊軍を蹂躙しているというのに、それさえも意識の外へと追い出された。彼らの視線の先―――そこには()の文字が刺繍された旗をたなびかせる一団があった。しかも呂布が率いる一千という寡兵ではない。見渡す限りの騎馬と歩兵隊。その数はゆうに一万という大部隊。誰かがポツリと呟いた。信来々(・・・)。李信が来たぞ。万象全て如何なる者も撃ち滅ぼす生粋の殺戮者にして破壊者が。皮肉にも涼州で怖れられている張遼と同様に、この北方の州において李信の名は最悪の災厄として轟いている。その将軍が、怪物が、やってきた。

 

 ばかな、と遠目で見ていた張純が呟く。

 彼としても現在の漢王朝で最も厄介な相手である李信のことを知っている。故に、如何にしてその将軍をこの戦いに参加させないか、が勝敗の分かれ目だと考えていた。そのため、他の異民族と結託して李信を別の場所へと引き離していたはずなのだ。裏切られたのか、と一瞬考えた張純だったが、それ以上に最悪な答えが思い浮かんだ。まさか、とは思うものの―――それ以外に李信がこの地にやってきた理由が思いつかない。つまり、既に壊滅(・・・・)させてきた(・・・・・)

 

 此方の作戦を嘲笑うかのように、李信軍は泰然自若としてそこにある。その軍の威圧感、恐怖感、そして敵ながら感じるのは雄大さ。まるで巨大な霊山を連想させるほどに、静かであった。

 

 そんな中、軍の最前には馬上の李信の姿が見受けられる。トントンと大矛で担いでいる肩を叩きながら、息を吸う。そして静かに息を吐く。齢二十を越えた彼の目は若者とは思えず、老練さが見て取れた。その瞳が半ば眠っているのでは、と思われるほどに静寂を湛え―――その視線が呂布を捉えれば、即座に獣のような狂暴さを解放する。

 

「―――ぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 それは天地を揺るがす絶叫。蒼天が確かに震えるのをこの戦場にいる者達は見た。敵味方問わず、馬が脅えた。いや、人は身を竦ませ金縛りにあうほどの怖気に襲われる。戦場の動揺をよそに、李信は大矛を天に掲げるとゆっくりと自身の率いる軍の前を闊歩する。強大で巨大な李信の圧力。味方でありながら、畏怖すら覚える将軍の姿に、軍の全ての兵士が各々の干戈を掲げ喉がはち切れ鼓膜が破れんばかりの鬨の声を上げ始めた。あまりの怒号に、金縛りにあっていた賊軍の身体が地面に尻餅をつくほどでもあった。

 

 そして―――李信が単騎で戦場へと疾駆する。

 

 彼を先頭として一万の軍もまた李信に続いた。一万。一万の軍勢の総攻撃である。兵数だけで言えば張純軍のほうがまだ遥かに勝る。それでも、彼らは動けなかった。李信が放つ大将軍の()とでもいうべき存在感に、抵抗をしようという気持ちすら起きはしない。漢王朝には様々な将軍がいる。その中でも優秀な将軍もいるとはいえ、彼らは皆後方から指示を出す者達ばかりだ。もっとも、本来であるならば、将軍とはそういうものだ。誰が命の危険がある先頭きって敵陣に突っ込む物好きがいるだろうか。そう言った点では、李信の独自の考えにもよるが漢王朝における将軍は全員が知略型(・・・)であるともいえた。

 そんな中で、突如として現れた本能型(・・・)の武将。しかも、あらゆる罠や策を燃え盛る炎(・・・・・)といった感覚で暴いてしまう本能型の畢竟の李信。そんな将軍が先陣きって軍を率いて吶喊をする。大将軍の威圧でまともな反撃を試みようとする者がいないのはある種当然であった。誰かが言ったことは本当だったのだ。噂話を話半分で聞いていた自分たちが愚かであった。飛将軍自ら先頭を行くとき―――李信軍は全ての兵が鬼神と化す、と。その光景を呆然と見ながら、大将である張純は叫ばずにはいられなかった。

 

「―――何故、だ!! 何故あと二十年早く現れてくれなかった!! お前が、お前さえいれば、この国を救えたかもしれないというのに!!」

 

 その悲しい雄叫びを聞いてこの場にいる全ての者は今ここに悟った。

 既に勝敗は決してしまったのだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「先生……これは私が知っている戦じゃ、ないです」

 

 震えていた。眼下で繰り広げられている一方的な殺戮劇に、公孫瓚は身体の奥底からくる震えを隠しきれずに声を震わせていた。

 

「……こんなの、中華で語られている戦では、ないです。万人が知る、戦ではないです……」

 

 これでは伝説にあるような御伽噺にでてくる戦ではないですか。

 李信と敵対すれば異民族は逃げ散り、城に篭っている勢力は城門を開け放って地面に頭を擦りつけ敗北を受け入れる……そんな噂話は聞いたことがある。だが、これでは噂の方が可愛いものではないか。

 

「先生もね、ちょっと……驚いてるかな」

 

 本音を言えばちょっとではなくかなりなのだが。

 以前病気を理由に官職を辞したときにはまだ李信のことは知らなかった。最近になって復職し、よく噂話を聞いてはいたが、実際に彼が戦う姿を見たのは初めてでもある。異民族に怖れられているということは知っていたが、まさかこれほどのものとは思ってもいなかった。しかも、彼が率いる軍も目を疑う強靭さだ。単純に恐ろしいほどに強く、兵一人一人が現在の漢王朝の兵とは思えない錬度である。なるほど、彼らをもってすれば李信の途方もない戦果も納得できるというものだ。散り散りとなっていく張純軍を見ながら、盧植は彼らが運が悪かったという言葉を送らざるを得なかった。もしもここに李信軍が乱入してこなかったならば、もっと拮抗した戦になっていたであろうことは明白だ。いや、もしかしたら官軍が敗れ去った未来もあったかもしれない。

 

 思索に耽っていた盧植に突如として黒い影が覆いかぶさってくる。ハっと顔を上げればそこには馬上にある李信の姿があった。彼の背後には華雄と高順、胡軫の姿も見かけられ、少し遅れて呂布も馬を走らせてやってきた。今回の戦に呼ばれはしていたものの、主攻となっていたのは他の将軍による軍でもあり、李信はそれに横槍を入れた形となっている。そのため武功を譲る名目で掃討戦は他の官軍に任せていた。そんな中、丘の上に兵の姿が見えたため少し気になって馬を走らせてきたところであった。盧植達からしてみれば、突然の登場に固まってしまうのも無理なかろう話。しかも戦が今しがた終わったばかりの荒ぶっている状態の化け物達勢ぞろいだ。兵士として新米が多い盧植軍の中には気を失ってしまう者も少なくはなかった。そんな兵が持っている旗の()の文字に気づいたのか、李信はしばらく考え込んでいたものの―――結局思い出せずに追いついてきた韓遂をチョイチョイと呼び寄せる。それに小さく返した韓遂の答えに、あぁ、と納得がいったのか李信が声をあげた。

 

「いや、盧植殿か。今回の参戦御苦労だった」

「い、いえ。李信殿に我が名前を覚えていただいていて光栄の限りです」

 

 覚えてなかったけどなぁ……と皆の視線を背に受けた李信が誤魔化すべくカカカカッと笑いを一つ。

 このような状況でありながら、公孫瓚はただ目の前に現れた李信達を見上げていた。遠くから見ていたのとは又違う。近くにいるからこそわかることもある。強さも、怖さもあまりにも巨大すぎてわからない。李信のみならず、彼を取り巻いている全ての武将にもそれは当てはまった。彼女がこれまで見てきたあらゆる人を凌駕する怪物達の集まりだ。この人間達に比べれば、生家の家族親類など塵にしか過ぎない。比べることすら愚かしい差がそこにはあった。

 

「……何故、ですか」

 

 そんな折に地面に蹲っていた劉備が声を上げた。

 平伏している形を取っているが、単に起き上がる力も残っていないのであろう。悲惨で陰惨な戦をこの目で見て、彼女の心は折れる寸前まで擦り切れていた。無理もない。仕方のない話だ。これまで抱いてきた理想を木っ端微塵に打ち砕かれ踏み砕かれた。人はかくも残酷になれるのか。人はこうまで容易く相手の命を奪えるのか。劉備玄徳が目指した理想はどこまでも高く、人では到達できない理想の極みでしかなかったのか。

 

「何故、こんな……酷いことが。こんな簡単に人を殺して、笑っているなんて……」

 

 貴方達は人ではない。

 恐らくはそう後に続けたかったのだろうが、流石にそれを言わせる盧植と公孫瓚ではない。劉備の身体を地面へと無理矢理に叩きつけ彼女の言葉を遮らせる。

 

「やめろ、桃香。それ以上はやめるんだ……」

 

 桃香―――劉備の真名を公孫瓚はあえて口に出した。相手は雲の上の人物だ。下手なことを言えば無礼打ちされても文句はいえない。しかもここは戦場で、いくらでも誤魔化しようがある。盧植もまた必死で彼女を止めていた。というのも、もとの原因は彼女が劉備をここにつれてきたからである。劉備の為になると思っての行動だが、今回のこれは流石に自分でも失敗したかなと後悔をしているところであった。

 

 突然の三人の行動に、目を丸くする李信達。それも当然だ。会ったこともない少女からいきなり敵意をぶつけられ―――肝心の彼女は地面に叩き伏せられる。一体どんな反応をすればよいのか、というものだ。地面に叩きつけられていながらなお、劉備は必死になって顔だけも見上げ、睨みつけてくる。普段は大人しく可憐な彼女の姿に驚かされるのは抑え付けている二人であった。

 

「なんだ、お前。何か李信に言いたいことがあるのか?」

 

 華雄が何がなんだかわからんが、といった表情で地面に這い蹲っている劉備へと問い掛ける。余計なことを言わないでくれと心の中で悲鳴をあげた二人であったが、劉備は堰を切ったように口を開いた。

 

「彼らは、確かに漢王朝に反乱を起こしました……それでも、それでも彼らには大儀があったはずです!! 彼らには反乱を起こすだけの理由があったはずなんです!! それを何故聞いてあげなかったのですか!!」

「……」

 

 なんだ、この小娘は。何を言っている。華雄が戸惑った表情で皆を見渡すが、高順は全く気にしておらず、胡軫はぼぅっと空を見上げている。呂布は早く行こうと謂わんばかりに李信の袖を少しだけもって引っ張っている。李信はというと、そういったことは劉弁の奴とでも弁論してくれと内心で考えながら―――。

 

「まぁ……そうだな。それが理想だ。戦なんてやらないほうがいいってのは同感だ」

 

 それに驚いたのが劉備である。いや、周囲にいる他の人間もまた驚かされた。まさか李信が自ら戦を否定しようとは。驚いていないのは呂布だけだ。彼女にとっては別に何がどうなっても自分には一切関係がないと思っているからだ。李信さえ傍にいるのならそれでいい。結局のところそれに直結する。

 

「それでも戦をやらないといけない時もある。特に今回の件に関してはな。話し合いなんてモンじゃ解決できる領域を飛び越えてしまってる」

「……それは、一体どういうことですか?」

「なんだ、聞いてないのか? あいつらは幽州含む四州に渡って略奪と殺戮を繰り返した。万を越える民が殺されたんだよ」

 

 耳を疑った。そんな話を聞いていなかったからだ。噂話で異民族の略奪があったことは聞いていたがそこまでの被害になっていたとは。

 

「うむ、小娘よ。お主には立派な大義があるのだろう。それを否定するつもりはない。だが、義だけでは人は救われぬ。救う事などできはせぬ!!」

 

 どうも面倒臭い相手であることを悟った韓遂が、劉備と李信の間に割ってはいる。この手の相手は確固足る己を持っている。李信の説明では納得させることは出来ないだろう。

 

「やつらとて大義なるものがあったのだろう。或いはこの漢を救いたいと思っていたのやもしれぬ。だが、それだけだ。想いだけでは人は救われぬ、国は変わらず!!」

 

 力。力だ。理想をかなえる為には力が必要だ。力なきものが幾ら吼えたとてこの時代ではなんら意味を持つことがない。

 

「もしも奴らが大義を持っていたならば、奴らが奴らだけで好きにしていれば良かった!! 武などに頼らず、教えで、想いで人を救っていればよかった。それが出来れば、ではあるがな。さて、小娘よ。やつらの殺戮に何の意味があったのだ? そこに奴らの大義はあったのか?」

「それは……」

 

 劉備は人を信じている。人の善性を信じている。きっと誰であろうとも話し合えば別ってもらえるのだと。だが、それは本当にそうなのか。先程殺戮の限りを尽くされた賊軍は、万を越える無辜の民を殺したとも言う。本当に、果たしてそんな連中を自分は説得できたであろうか。考え込む劉備の姿に若干の興味を覚えた李信が座り込み、彼女と目線を合わせる。どうやら自分の意見だけに拘っている愚か者ではなさそうである。だが、こんな時代においてここまでの純粋無垢な相手は久方ぶりに見つけた。もう少しだけ話を聞いてみたくなった李信が、ふとした質問を投げかけた。

 

「なぁ、お前はなんでそこまで拘っている?」

 

 彼女が怒ったのは恐らくは李信達の殺戮に対してだろう。命を大切にすることは素晴らしい事だと思う。無駄に人を殺すほうがおかしい。特に戦をする者などどこかまともではない奴らばかりなのだ。もちろん自分を含めて、だ。敵対している者にすら憐れみをかける彼女は―――李信から見てもある種の病的な恐ろしさまで感じられる。

 

「私の名前は……。私は……劉備(・・)。字は玄徳です」

「劉姓の生まれか……」

「はい。勿論、劉姓の生まれなど星の数ほどいることはわかっています。それでも私には、劉の血が流れています。この漢王朝を建てた劉の血が」

 

 民を愛し、民に愛された劉の一族。

 その姓を受け継ぐ誇りが彼女にはあった。この漢王朝に生きる全ての民は、劉を継ぐ彼女にとって子にも等しい。故に傷つけたくない。大切にしたい。だからこそ、彼女は武を振るわずに、仁と義を持って相手を説得しようとする。天下泰平を目指したい。だが、それでは漢王朝を救うことはできないのは心の奥底ではわかっている。けれど戦に頼ることは、民を傷つけることは望まない。ああ、なんとも難しい矛盾だ、と李信は短く息を吐いた。それは呪いだ。劉姓を受け継ぐ者の呪い。それにここまで縛られてしまっている。いや、無理もない話だ。数百年も続く漢王朝を創始した男の姓。それはそう易々と逃れられるモノではないはずだ。その呪いを真に受けている者が果たしてどれだけいるだろうか。少女には重過ぎるそれを、劉備は確かに背負っていた。

 

「なぁ……劉玄徳。お前に聞きたい。お前が守りたいのは……国か? それとも民か?」

 

 どちらだ、と李信は問い掛ける。

 訥々なそれに劉備はキョトンっと驚くも、一瞬考え込むようにして答えを言い淀む。

 

「それは……それは……」

 

 漢王朝を建国した劉の一族。その誇りがある。だが劉備にとっては大切なのは人の命。それに嘘偽りはない。それを天秤に架けたときどちらがより重たいのだろうか。いや本当はわかっている。どちらが劉備にとって重要なのか。だが咄嗟に答えを口にすることができなかった。

 

「じゃあ、聞くがな。()ってのはなんだ?」

 

 即答できず、改めて問われた劉備は言葉に詰まった。国とは何なのか。漢王朝? そんな当たり前のことなのか。それとも皇帝こそが国なのか。或いは漢王朝を支配している宦官なのか。それとも権力を持っている外戚か。或いは洛陽の都なのか。いや、違う。そんな枠組みに入るものではないのだ。本来の国というものは。技術、文化、学問、言葉、文字、歴史……その他中華に存在するありとあらゆるもの。何一つとってもこの国からは切り離すことはできない。それを伝える者は民であり、国である。つまりは国とは民であり、国を想う民こそが国そのものだ。数え切れない人の意思こそが国を形作っている。人の心にこそ国があるのだ。劉姓を継ぐ劉備が新たな国を創り、築き上げれば―――それは紛れもなく漢という国ともいえる。劉姓に囚われるな。今の漢王朝に拘らなくてもよい。真に大切なものを間違えるな。

 

 劉備へとそのような内容のことを何かしら必死に思い出しながら語る姿は大変李信らしくない。まるで誰かの語った内容をそのまま話しているかのようでもあった。だが漢王朝の将軍が、まさかの今の漢を否定するに等しい発言。呆然となるのは盧植と公孫瓚の二人であり―――華雄達は何か言ってるな、程度にしか感じ入っていない。ちなみに呂布は話に完璧に飽きて李信の袖を更に強く引っ張っている。言葉にはせずとも早く行こうと全身で訴えかけていた。

 

「国こそ民であり……民こそ国」

 

 李信の言った言葉を反芻する劉備。

 ガシガシと頭を掻きながら続ける李信は、ここまでは全部受け入りだがな、と短く呟く。

 

「お前を見ているとちと怖ろしいな。俺達なんかよりもずっと。俺達はただ命令に従って武を行使するだけだ。だからこそ、人の生き死になんてモンはとっくの昔に飛び越えた。お前さんの悩みは……まぁ、()の者としての悩みに近い」

 

 まぁ、劉姓なんだから仕方ないが。

 領地も官位も何もない。無位無官の小娘が何を言うのか。彼女のことを誰であろうとせせら笑うだろうが、李信にしてみれば笑えない。  

 

「お前の理想を掲げ続ける限り、それは修羅の道となるだろうよ。理想をかたるのは結構だ。だが韓遂が言った様に理想を適えるには力が必要だ。言葉だけで止まるのはごく僅か。力を持たないお前が語ったところで意味はない」

 

 もしもそれでも力も持たずに突き進んだその時、お前は民に寄り添ってもろとも死ぬのか。いいや、と李信は首を横に振った。

 

「真に己の持つ大義を、理想を適えようとするならば、方法は二つだ。民を見捨ててにげるか、それとも民とともに戦うか(・・・・・・・・)

「……理想。大義。民を見捨てたもの、にどんな大義があるのですか。あるはずがないです!! でも、もっと良い手があるのかもしれない。三つ目の選択肢があるかもしれない!! 私は、誰に認められずとも地を這ってでもそれを探します」

 

 顔を上げ、燃える双眼。蒼い瞳が、爛々と光を放っている。

 

「かかかかっ。己の器を、力量を悟るのは良いぜ。でもな、それで中華を統べる魔王に勝てると思っているのか」

 

 勝つか負けるかではない。やるかやらないかだ。

 己の理想を、大義を為すために、方法を、手段を、最初から諦めたらそこで道は終わってしまう。

 

「まぁ、今のお前ならそれでもいいだろう。だが、近いうちにお前は配下を得、戴かれる者となる。そうなった時、理想を掲げるのは結構だ。その時にお前は迷ってはならない。上に立つ者が揺らげば下も揺らぐ。選択肢をどうこう言っている暇なんざないぞ」

 

 君主ともなれば、劉備玄徳が死ねばそれで終わりなのだ。

 

「いいえ、李信将軍。私は死んでも構いません」

 

 はっきりと言い切る劉備に、さしもの李信も眉尻を寄せた。

 上に立つ者としての責任を放棄するか。だが、と彼女は迷いのなくなった表情で言葉を続けていく。

 

「私が誰かを救うのではないんです。私が国を立て直さなければならないのではないです」

 

 淡々と。故に彼女が怖ろしい。

 

「私は私を信じ、仕えてくれるであろう人達の、私の為に死んで行く人達の想いを継いで()を作ります。私が死んだとしても、他の誰かがそれを継いでくれるでしょう」

「……上に立つ者の……王の代わりなどいるものかよ」

「いいえ、将軍。人はいずれ死にます。でも想いを継ぐ者がいる限り、人は死にません。私は想いを受け継ぐ者の一人(・・)として戦い、生きます!!」

 

 人は話し合えば分かり合える。その想いは変わってはいない。だが、どうしようもない時もあることを認めねばならない。その時は義と礼を持って、完膚なきまでに叩き伏せて見せよう。そして、その相手の想い(・・・・・・・)すらも受け継いでいこう。国は民であり、民の想いこそ国である。ならば、私の想いが受け継がれる限り、人は国の一部となって生き続けていく。

 

 何時の間にか劉備を押さえつけていた二人は彼女を放していた。そして立ち上がった劉備はじっと李信の顔を見上げている。たかが小娘の圧力、気配―――それでも彼女のそれはどことなく怖ろしい。曹操孟徳のような激しく燃え盛っているわけでもなく、ただ冷たい。見掛けは業火絢爛に燃え煌びやかだというのに、熱量が見られない。底が見れない、読みきれない。 

 

「中々に面白い、が……まだ青いな。だが、期待はしている劉玄徳」

 

 ざっと馬首を返し配下を引き連れてこの場を離れていく。本陣へとゆっくりと馬を歩かせる李信の背後から、華雄が今は遥か彼方へと遠ざかった劉備達をちらっと振り返る。

 

「いいのか、李信?」

「うん、何がだ?」

「あの玄徳とかいう娘を放置して」

「ああ……随分と変わった少女ではあったな」

「同感。ただ、ボクも華雄の言いたいことはわかる。今のうちに始末しておいた方がいいんじゃない?」

「物騒だな、おい」

 

 高順の言葉に、華雄も迷うことなく頷いた。そんな二人に、随分と過激なことを考えると李信は溜息をつくものの、二人の考えには内心で賛同は出来る。

 

「多分、あの娘……厄介な存在になるぞ」

「なんだ。そんな予感でもするのか?」

「いいや、確信だ。ああいった類の輩は、無駄に人を惹き付ける」

 

 まぁ、そうだな……と李信もそれには同意する。それに劉備玄徳が先程李信に示した意思。あれは上に立つ者としての覚悟としては少し厄介だ。あれはむしろ兵の心(・・・)だ。言うなれば、李信が普段から行っていること。兵をあの領域にまで意識を高めることによって、兵は自分の意志で戦い、見返りも求めない。何と素晴らしい兵か。だが、それが素晴らしいのは兵隊までだ(・・・・・)。主君として己の理想の為に命を捨て、想いを受け継いで戦う。一見立派には見えるものの主君がそうであるということは、それを部下に強いるということ。最後の一兵までもが劉備の理想のために想いを受け継いで戦う―――それが強制的に生み出される。曹操孟徳のような覇王とは対極。李信としてはある意味彼女のほうが噛み合い易い。もしも劉備があのまま成長していくのならば……

 

「ちと面倒臭そうな奴を解放したかもしれんなぁ」

 

 蒼天を見上げながらポツリと呟いた李信の台詞には、あえて誰も触れようとはしなかったが―――呂布が首をちょこんと倒して殺してこようか(・・・・・・・)、と問い掛けてくる。それに首を横に振ると、そうと短く頷いて赤兎馬を李信の横へと並べて歩かせた。もしも、ここにこの場に司馬徽がいたならば間違いなく劉備を暗殺していただろう。だが、肝心の彼女は未だ荊州の奥深くにいて、それを知る由もなかった。  

 

「それはそうと、李信って色々考えてるんだね」

「まぁ……俺もそりゃ将軍なんだし色々考えることもある……て、なんのことだ?」

「さっきの民がどうとか国がどうとかって話」

「ああ。ありゃ、全部煌からの受け売りだ。この間似たような話をしたからな」

 

 あ、そう。と高順と華雄が冷たく言い放つ。どうもこいつらは劉弁のことが絡むと不機嫌になるな。と思う李信だったが、それの原因は彼が劉弁のことを唯一真名で呼ぶからである。それに気がつかない李信も女心が全く持ってわかっていない。そんな時、チョンと呂布に袖を引っ張られる。

 

「……恋」

「ああ、なんだ? 呂布」

「…………恋」

「腹でも減ったか?」

「………………恋」

「烏桓の奴らと一戦交えてそのままこっちにきたからなぁ……」

 

 ぷくりっと頬を膨らませた呂布を傍らに噛みあわない会話をしながら本陣へと到着した李信達の耳に―――大将張純取り逃がしました、という報告が入り……どうやらもう一仕事しなければならないようだと気を引き締めなおすのであった。

 

   

 

 

 

 

 

 




とりあえず構想していた短編消化完了致しました。お付き合い頂き有難うございます。
・張純の乱は黄巾の後では⇒はい。その通りです。時間軸狂ってます。
・張純達は黄巾の張三兄弟イメージで書きました。
・時間軸は蛇足之5⇒4です

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