真・恋姫†無双 飛信譚   作:しるうぃっしゅ

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蛇足之2:曹操孟徳

 

 

 

 

 

 

 

 

 曹操孟徳という若き俊英がいる。洛陽の街にて何時しかそんな噂話が真しやかに流されるようになった。彼女は中常侍・大長秋まで勤めた曹騰の孫。即ち大尉である曹嵩の娘でもある。所謂名門とも言われる彼女が齢十五を迎えたつい先日、孝廉に推挙され漢王朝の首都洛陽の北側の()に着任した。尉とは軍事・刑事を司る役職を指す。曹操は歴代でも一、二を争う程の成績を残したとも噂され、彼女の幼い容姿もあいまって相当に注目を浴びていたのが功を奏したのか、曹操が着任した場所には見物客まで集まる始末であった。

 

「それでは、今日も一日頑張りましょうか。ねぇ……春蘭(・・)秋蘭(・・)

 

 背後に仕える僅かに年上の少女二人に曹操孟徳は声をかけた。曹操の声掛けに、はっと膝をつき短く答えたのは二人の女性。腰まで届く長い黒髪を、額が出る位までにあげた少女。腰には少女らしからぬ巨大で無骨な一振りの大剣。放つ気配は全てを焼き尽くさんばかりに燃え上がる大火。彼女の名は夏侯惇。字は元譲―――真名は春蘭。

 もう一人は淡い水色の短い髪。額を出しているのは夏侯惇と同様だが、右目を隠すように一部の髪を垂れ下げている。彼女が持つは特殊な製法で作られた弓と籠に入った矢。夏侯惇とは対極の全てを凍らせる程に冷たい極北の吹雪を連想させる気配を放っている。彼女の名は夏侯淵。字は妙才―――真名は秋蘭。

 

 二人は姉妹であり、曹操の従妹にして部下でもある。

 曹操が北部尉を勤めることになった際に、我慢できず二人して家を飛び出して曹操の下へと押しかけてきた。呆れた曹操ではあるが、可愛い従妹二人たっての願いもあり、そのまま夏侯惇と夏侯淵を配下として仕えさせている。実際に彼女達が来てくれて助かったというのも事実だ。徐々に洛陽の状態は回復して行っているとはいえ、優秀な人材はまだ少ない。一から鍛えるにしても手間もかかるし、時間も必要だ。この地に任官してから非常に困ったことがそれである。そんな中、現れた二人は非常に役に立つ。夏侯惇は……頭脳を使う事柄に関してはあまり頼りに出来ないが、武に関しては随一だ。きっと近い将来にその名を中華に轟かせる武将になっていることだろう。もう一人の夏侯淵は文武両道。文官としても武官としても高次元で纏まった優秀な人材だ。しかもその弓の腕前は曹操が知る限り限りなく頂点に近い。彼女もまたそのうちに中華十弓に名を連ねることが可能な少女だ。

 

 二人を引き連れて曹操は今日もまた職場である洛陽の北の門へと到着した。現在この洛陽の街を囲っている城壁の北側には内外を通行するための門が四つある。だが、曹操が着任した当時、その門全てが随分と痛み、ぼろぼろとなっていた。まず彼女がしたのはそれらの門の改修である。

 

 無論それだけではない。改修後は、門の両側に五つの棒を吊り下げていた。五彩棒と呼ばれるそれは、罪科を犯した者を叩く為のものである。というのも、洛陽の治安悪化を防ぎ民を守る為に、北門の夜間通行禁止令が発令されていた。これを破った者は如何なる者(・・・・・)であったとしても、打擲の罰を与えるという内容の立て札を門の前に立てて注意喚起を行った。

 

 最初はこれに誰もが反発していた。例えば、着任当時の北門にいた門番達は、曹操のことを完全に舐めていた。それも当然だ。いいところのお嬢様が、しかも年齢よりもさらに小柄な可憐な小娘が上司として着たのだ。誰一人として彼女のことを真正面から見る者も、彼女の命令に従う者もいなかった。だが、それが間違いだと気づかされたのは一日もしなかったときの事。命令に従わなかった配下の罪は、上司である副官の罪ということで、曹操は自分の倍は生きている男を殴り倒し、持っていた棒で幾度も打擲した。何度泣き叫ぼうが謝ろうが、決して手を緩めぬ彼女の姿に、この北門で働いている者達は瞬時に悟る。人を罰することに何の躊躇いもないその姿、放つ気配は姿形とは対極で、重厚かつ強大。この少女はこんな官位に居ていい人間ではない。上位者に関しては鼻が利く小物揃いの彼らは、即座に曹操の下で働くことを受け入れた。それ以来北門を完全に掌握した曹操は、ここ周辺の治安を回復させた実績から、民からの人気と信頼を獲得していた。ちなみにそれは夏侯惇と夏侯淵が来る前の出来事。曹操一人で北門を支配下に置いたことに二人の従妹は、流石華琳様と完璧に心酔したのであった。

 

 日々の仕事に精を出し、確実に評判をあげていっている曹操。

 そんな彼女が北門の北部尉となってから数ヶ月が経ったある日―――曹操の名を更に知らしめる事件がおきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 既に陽がくれ、北門の通行が禁止された時間帯。

 曹操の禁止令が広く知れ渡っているのか、通行禁止となった時間以降、この北門を利用する人間はほぼいない。いるとすれば、洛陽へとやってきた旅人か。或いは長らく洛陽を離れていた者か、そのどちらかであろう。門の周囲には篝火が焚かれ、門番達が洛陽への通行を妨げている。こんな時間だというのに手を抜くことなく仕事にあたっている彼らの姿は、曹操のここ数ヶ月の指導の賜物だ。北門を除く、東西南の三門のどこよりもこの場の門番達の意識は高く、仕事に従事している。流石は孟徳様と、全身から喜びを滲ませて何やらウンウンと頷いている夏侯惇を、姉者はかわいいなぁ……と冷たい雰囲気とは正反対のほっこりとした視線を送る夏侯淵。ちなみに二人とも曹操から真名を呼ぶことを許されてはいるが、人がいるところでは呼ぶことはしない。他に人がいないところでは、華琳様と曹操を呼ぶが、普段は字の孟徳様と呼んでいる事が多い。とはいっても夏侯淵はそこらは徹底されているが、猪突猛進な夏侯惇は時折真名を口にしてしまうことは多々あった。

 

 夏侯惇と夏侯淵。二人もまた夜間の警備に当たっているその時―――北門の外側から一台の馬車が走ってくる。門番二人が持っていた槍を左右から交差させ、その行く手を阻むものの、その馬車から姿を現した中年の男性を見て固まった。豪華な服で着飾った男性。それだけならばまだ良い。だが、この場にいる門番全てがこの男の名前を知っていたからだ。

 

「蹇康様……」

「このような時間まで門番に勤しむか。実にご苦労なことだ」

 

 高らかに笑いながら、一度門番達に声をかけ、そして御者に馬車を出すように促した。馬車の後ろにも多くの護衛達がおり、その人数は実に二十人近くにも及んでいる。だが洛陽へと入ろうと動き出した馬車を止める人物がいた。馬車の前にて恐れもせずに行く手を阻む二人、夏侯惇と夏侯淵である。

 

「お待ち下さい、蹇康殿。夜間の通行は禁止されています」

 

 礼を失せぬように、夏侯淵が一歩前へと足を踏み出し男に向かって通行禁止の旨を告げる。流石にこれほどの大人物に礼儀が緩い姉に相手を任せるわけにも行かない。

 蹇康。それはかの十常侍が一人蹇碩。宦官ながら上軍校尉に任ぜられ、その筆頭として近衛軍を統括している雲の上の官位を勤めている彼の叔父。相手が悪いなどという話ではない。 

 

「黙れ、小娘!! わしは趙忠様に呼ばれ会いに行く途中であるぞ!! 一時でも遅れようならば死に値する不敬!! 貴様らのような下賤の者の命など幾らあっても申し開きがたたぬわ!!」

 

 止められたことに腹を立てたのか大声で威嚇する蹇康に、夏侯淵は口を塞ぐ。相手が相手だ。これ以上怒らせるわけにはいかない。自分だけなら兎も角、下手をしなくても曹操の進退問題に発展する恐れもあるからだ。だが、ここで引くわけにはいかないという理由もある。これまで曹操は立て札に書かれてあるように、どんな相手であろうとも夜間通行の禁止を徹底してきた。相手が幾ら十常侍の叔父だからといって、はいそうですかと通してしまえば、これまで築いてきた主の威厳が失墜する。所詮は権力の犬であったのか、と洛陽の民に侮られることであろう。それだけは絶対に許せないことだ。そして問題は、自分の後ろで今にも剣を抜きそうになっている姉をどうするか、だ。刃傷沙汰だけは絶対にまずい……そう判断を下した夏侯淵は、姉の前へとさりげなく移動して視界を塞ぐ。なんとかこれで伝わってくれないかと願いつつ、蹇康を説得するべく口を開いた。

 

「蹇康様には真に申し訳ありませんが、如何なる方の如何なる理由があったとしてもこの禁令を厳守されるように仰せつかっております」

「なんだとぉ……」

 

 顳顬をピクピクと震わせて、馬車から降りた蹇康は、怒りも露に夏侯淵を睨みつける。彼の怒りの視線を目の当たりにしながらも夏侯淵はどこ吹く風だ。逆に背後に隠している夏侯惇のほうが今にも爆発しそうな勢いであった。頼む、姉者。大人しくしていてくれ、という想いが伝わったのか、自分の圧力にも負けなかった夏侯淵に舌打ちを残した蹇康が北門に立てられていた立て札のもとへと足音をたてて向かっていくほうが速かった。そしてまじまじと立て札の内容を確認した蹇康は、馬鹿らしいと言わんばかりの様子で、立て札を蹴り倒すと周囲を仰ぎ見る。

 

「このわしを誰だと思っておる!! 夜間通行の禁令など全く持って馬鹿らしい。曹操とかいう愚か者をつれて来い!! 逆にわしが直々に打擲の罰を与えてやるわ!!」

 

 一刻を争うような事態ではなかったのか、と周囲の門番達は考えつつもこの事態をどう収拾すればいいのか判断不可能な状態であった。なんとか宥めつつ、お帰り願うしかないのか……とこれからの行動を迷っていた彼らの背後で、砂を踏む音がする。

 

「あら。罪人が随分と分不相応な台詞を吐くのね」

 

 それは反射であった。声を聞くだけで礼の体勢をとるまでに仕込まれた日々の訓練。ざっと洪手の礼を取りだした全ての門番の姿に薄気味悪さを感じる蹇康だったが、夕闇の彼方から姿を現した曹操へと視線を向けてようやっと理解した。彼らの行動、様子が尋常でなかった訳。こやつが、この北門の主か、と。

 

「……まて、曹操だと。まさか、貴様……曹孟徳か」

「まさか蹇康様ともあろうお方が私の名前をご存知とは。恐悦至極に存じます」

 

 くすっと笑う曹操は、得も知れぬ迫力があった。本当ならば顔を合わせたならばすぐにでも怒鳴りつけてやろうと考えていた蹇康が、口を開けない不可思議な迫力を醸し出している。そして、彼女の名前。二年ほど前に聞いた記憶ある。十常侍でもあり甥の蹇碩から、あまり関わりあいにならないほうがよい、と言われた人物。それが曹操孟徳ではなかったか。

 

「う、うむ。騒がしたことは謝罪しよう。だが、わしは趙忠様の下へと―――」

「ですが、如何に蹇康様といえど罪は罪。罰は罰。残念ですが―――捕捉しなさい」

 

 蹇康の言い訳など聞く耳持つものかと言った様子で、夏侯淵と夏侯惇に視線を向けてニコリと笑う。彼女の命令に、一瞬の迷いもなく二人は動き出す。夏侯淵が蹇康の背後に回ると彼を地面へと引き倒した。主の危機に護衛の者達が動き出すが、それより速いのが夏侯惇だ。相当に不満と怒りが募っていたのだろうか、嬉々として僅か二、三分足らずで護衛全てを殴り倒した。すっきりとした表情の夏侯惇が妹のもとまで戻ってくると協力して打擲台へと無理矢理に引き摺っていく。肝心の蹇康が必死になって抵抗するも、二人の少女の力はそれよりも遥かに強い。間もなく罰を執行する打擲台へと引き倒された彼は、まさか本当にやるまいなと顔を引き攣らせながら自分のすぐ前に立っている曹操を見上げた。だが、彼女の表情には一片の曇りもなく、緊張も見られない。駄目だ、こいつは。確実に、間違いなく刑罰を実行する気だ。

 

「ま、待て待て待て!! わ、わしはあの十常侍の蹇碩の叔父であるぞ!? その名聞いたことがあろう!!」

「ええ。それは立派なお方を親族に持つのね。で、それがどうかしたの?」

「っ……け、蹇碩を呼んでくれぇ!! 奴を呼べば、お主もわかってくれる!!奴に頼めば昇級など思いのままだ!! このようなところで働かずにすむぞ!? そ、それに褒美もだす!!」

「昇級に褒美。ふふふ……困ったわね」

 

 齢十五とは思えぬ程に妖艶に、艶やかに―――曹操孟徳はあらゆる人間を魅了する笑みを浮かべる。

 

「聞いたかしら、元譲。妙才?」

「はい、孟徳様!!」

「この耳でしかと」

 

 従妹二人に確認を取った曹操の姿に不吉を覚える蹇康。いや、不穏な様子しか感じられない。

 

「賄賂を堂々と扱った罪。さらには武尉への侮蔑。官命汚辱の罪。さらに罪が増えてしまったじゃない」

「―――ぁぁっ」

 

 駄目だこいつは。立て札にあったとおりだ。こいつは、この少女は本当に絶対に許すつもりはない。如何なる相手であろうとも。如何なる事情があったとしても―――この北門を騒がした自分を必ず罰するつもりだ。

 

「蹇康殿。良いですか。この台の両端にある棒を強く握ってください。そして加え棒をしっかりと噛み締め、絶対に放さないようにしてください」

 

 乗せられた打擲台にて、罰を受ける際の説明を淡々とする夏侯淵に対しても戦慄が走る。文字通り官位でみれば雲の上の自分を罰しようとすることになんの躊躇いもなく、恐れもない。夏侯惇にしてもそうだ。一人で二十人からなる護衛全てを殴り倒し、今まさに刑罰を執行しようとしているのに嬉々としている。なんだ、この小娘どもは。いかれている。普通ではない。なんでこのような狂人達がこのような場所にいるのだ。

 

「良いですか、もう一度言います。このくわえ棒は貴方が痛みのあまり舌を噛み切ってしまわないためのものです。なに、たかが打擲は二十回程度(・・・・・)です。気合を入れれば……死ぬことだけは避けれましょう」

 

 冷笑を浮かべて訥々と語る夏侯淵に、短い悲鳴をあげてしまう。まってくれ、と思わず彼女に縋りつく。

 

「お、お前も昇級させてやるっ!! なぁ、こんなところでこのような仕事よりももっと相応しいものがあるはずだ!! そ、そうだ!! 将軍職なんかどうだ!?」

 

 轟、と打擲棒が蹇康の真横を通りすぎ、地面を激しく殴打した。表情に変化はないが、夏侯淵の内面からは沸々と熱い怒りが湧き出してきている。

 

こんな仕事(・・・・・)とは無礼千万。孟徳様の傍にあることが私の最大の喜びだ」

 

 すがりついてきた蹇康が、自分から飛びのくほどに夏侯淵の怒りは凄まじかった。そんな彼を夏侯惇が再度打擲台へと押さえつけられる。そして夏侯惇が打擲棒を受け取って強く握り締めた。

 

「ひとーつ!!」

 

 気合いとともに放たれた打擲棒の一撃が、蹇康の背中を強かに打ち据えた。その衝撃たるや、あまりの痛みに叫び声すら上げられないほど。蹇康は声なき声をあげつつ打擲台から転がり落ち、地面をごろごろとのたうち回っていたが―――突如としてその動きが止まった。

 周囲の門番が恐る恐る蹇康に声をかけるものの全く反応がない。どうしたものかと考え込んでいたその時、誰かが、あっと声を上げた。

 

「し、し、死んでおり、ます」

 

 まさかの刑罰一打擲目で死んでしまうとは。いや、さすがに十常侍の叔父を殺してしまったのはまずいのでは。いや、まずいなんて話を通り越している。下手をしたら北門全ての者の首が跳んでもおかしくはない。それほどの事態だというのに、肝心の曹操は苦笑するだけだ。

 

「死んでしまったら仕方ないわね」

 

 護衛の兵を叩き起こして蹇康を引き取っていかせなさい。

 指示をそれだけ出すと、平然と自分の仕事に戻っていこうとする。上司のあまりの大物っぷりに部下も、まぁなんとかなるのか、という様子で後片付けを始めた―――が。

 

 この場にいる全ての者が気づいた。才がある者。ない者。優秀な者。そうではない者。行われていた刑罰を見にきていた市民。全てに関係なく、それに気づいた(・・・・・・・)。遥か北方より飛来するのは洛陽全てを熱し焦がすのでは、と思わせる莫大な超熱波。これまで誰一人として感じたことのない人知を逸した集団が近づいてきている。市民はその場で尻餅をつき、曹操の薫陶を受けている門番ですら身体が固まってしまっている。夏侯惇と夏侯淵までもが、かつてない脅威に身体の奥からくる震えを隠すことで精一杯であった。ただ一人、曹操孟徳は、驚き―――そして華も恥らう笑顔を浮かべた。

 

「久しぶりの洛陽だな。随分と遅くなったが、まぁ日が変わる前でよかった」

「本当でごぜーますね、華雄の姉御。久しぶりにちゃんとした寝床で休むことができますですよ」

「……地獄。地獄だよ、最近。一体どれだけあっちこっちの戦場を駆け回らないといけないのさ」

 

 誰もが息を呑んだ。北門を通り抜けやってきたのは三人の少女。愉しげに何やら語り合っているものの、彼女達が放つ気配は絶大。華やかさとは無縁で、香るのは戦場の匂い。今先程まで命のやり取りをしていたと言われても納得してしまうほどの常在戦場。夏侯惇、夏侯淵はその三人の力量が明らかに並々ならぬ領域に至っていることを瞬時に理解し、今の自分たちでは勝てないと悟った。夜間の北門は通行禁止だ。止めなければならない。現実に蹇康であろうとも止めたではないか。内心で思いはするものの、門番の誰一人として身体が動かない。威嚇されたわけではない。威圧されたわけでもない。彼女達の気配、雰囲気……それに触れただけで関わりあいになることを身体が、本能が拒絶している。

 

「お前達には無理をさせて悪いがな……まぁ、付き合ってくれ」

「ふはははははー!! 何を言うか、我が主よ。お主が行くところに我あり!! 中華の果てまで供するぞ、わが中華六将よ!!」

 

 三人の少女から遅れること少し。巨大な矛を背にする男の姿を見て、誰かがヒィっと隠すこともしない恐怖の悲鳴をあげた。三人の少女はまだ理解できる範疇だ。だが、この男はそれら全てを突き抜けてしまっている。武に経験がある者、ない者問わず納得させる凄味があった……のだが、肝心の李信は何やら黒尽くめの服で全身を覆い、仮面で顔を隠した小柄な―――声からして女性らしき人物を肩車(・・)して歩いてきていた。その差異たるや、あまりにも違和感がありすぎて、悲鳴をあげた市民もまた目をパチクリと何度も瞬きを繰り返す。

 

「まぁ、なんというか……そろそろ降りたほうがいいんじゃない、韓遂」

「流石に目立つでごぜーますよ」

「全くだ。あまり目立つ行為は貴女としても望むところではないでしょうに」

「ふはははははっ!! 生憎と我は身体の弱さは天下一品!! お主らについていくことなど出来はせん!!」

 

 結構雑な扱いの高順と胡軫に比べ、年長の華雄が怪しい仮面の女性に一番礼儀を尽くしているというのも可笑しな話だ。三人からの集中砲火を受けていながら仮面の女性は自慢出来ないことを口に出しながらも、降りる気は全く持って見られない為、ちらりっと互いに顔を見合わせた華雄と高順が動く。李信の背後に回ると肩車をされていた仮面の女性の足をそれぞれが掴むと、引き摺り下ろそうと強く引いた。

 

「はぎゃっ!? ひ、ひっぱるでないぞぉぉぉ!? お主ら、足がもげるもげるぅ!!」

 

 痛みに絶叫する仮面の女性だったが、引き摺り下ろされてなるものか、と前のめりの体勢となって自分の胸を李信の後頭部に押し付けて両腕を回して抱きしめた。張譲と一緒で全然柔らかくないぞ、と思っていた李信だったが、両足を引っ張られた仮面の女性が引き摺り下ろされるギリギリのところで何とか止まってはいるものの、それはつまりで彼の頭に全ての負荷がかかっていることに他ならない。ビキビキと首が悲鳴をあげ始め、表情がゆがみ始める。

 

「放せ、韓遂っ」

「死んでも断るぅ!!」

「馬鹿がっ。このままでは死ぬのは俺だ!!」

 

 結構な逼迫した状況ではあったが、傍から見ているとなんだこれは状態でもある。それを一人見ていた胡軫は、平和でごぜーますなぁ……と一人呟く。同様に、李信達の後からついてきている部隊の者達も何時ものことだと言わんばかりの姿が見受けられた。実際に似たようなことが日々起きているのだから慣れるのはある意味当然。そんな中で、李信達以外の部隊の者を見た夏侯姉妹の反応は劇的であった。現れた兵達は恐らくただの部隊兵なのだろうが……それでも一人一人の錬度の高さが窺い知れる。一兵隊がかつてないほどの高みの強者。少なくとも、夏侯姉妹であっても、そう易々と倒せる相手ではなかった。なんという強者の集まりなのか。このような部隊が漢王朝には存在したのかと戦々恐々する二人を差し置いて、止める間もなく曹操孟徳が前へと歩み出る。

 

「お久しぶりです、李信殿。御壮健で何よりです」

 

 パシンと小気味よい音を響かせて、洪手の礼とともに曹操の挨拶に、ようやく混沌とした状態がピタリととまった。仮面の女性―――韓遂の力が緩んだ瞬間を狙って、彼女の魔の手から逃れた李信が首をコキコキと鳴らしながら曹操へと近づいていった。

 

「ああ。久しぶりだな、曹孟徳。随分と大きく―――いや、なんでもない」

 

 彼女と最後に会ったのは一年と半年ほど前ではあったが、その頃から比べて身体的な成長は全く見られていなかった。少し気まずくなった李信ではあったが、当の本人の曹操は全く気にしていないのか、篝火を浴びて煌く笑顔を口元に浮かべているばかりだ。ちなみに、李信の頭から解放された韓遂は、支えがなくなったため結構な勢いで地面に叩きつけられて、はぎゃっと悲鳴をあげていたが、特に気にしたものはいなかった。

 

「御活躍聞き及んでいました。涼州にてとてつもない武功をあげたと」

「時機がよかったからな。丁度涼州に赴任した時と反乱が重なったというのがでかい」

「例えそうであったとしても、あれだけの大功を為したのは李信殿であるからこそでしょう」

「褒め殺しだな。それより以前も言ったが普通の言葉遣いで構わんが……」

「有難うございます。ですが私も今は漢王朝に仕える身でありますので」

「……そうなのか? ああ、だからこんな時間にここにいるのか」

「はい。洛陽北部尉に任じられました」

 

 この少女を部尉? 幾らなんでもそれは勿体無いのではないか、と感じた李信ではあったが、肝心要の曹操に腐っている気持ちは見られない。全身全霊を持って職務に当たっているのであろう。ならば、そこは自分が口を出すのはお門違いだ。もしも頼られれば幾らでも口を利いても良い、と考えているほどに李信からの曹操孟徳の評価は高かった。

 

「む……なんだ、李信よ。その者と知り合いなのか?」

「ん? ああ。友人の娘だ」

「え? 李信に友人っていたの?」

「はっはっは……ぶっ殺すぞ高順」

 

 華雄の問い掛けに答えた李信の返答が意外だったのか、本音が思わずでてしまった高順に、笑顔でそんなことをのたまう。そこにある気安さに、この部隊の絆を見た曹操は、若干の羨ましさを感じずにいられなかった。

 

「私は華雄。李信が隊長を勤める隊の副長だ。よろしく頼む」

「同じく副長の高順。よろしくね」

「華雄の姉御の補佐をやってる胡軫といいますですよ」

「御丁寧に。私は曹操。字は孟徳と申します」

 

 興味深そうに三者三様の挨拶をしてくる彼女達に、曹操も名乗りを返す。僅かそれだけで彼女たちは互いに、互いの力量を感じ取った。曹操は、戦場を駆け抜ける李信の隊の者達の力がこれほどのものなのか、と。逆に華雄達からしてみても戦場から程遠い洛陽にて曹操程の逸材が生まれ出るものなのか、と。

 

「ふははははー!! 我を忘れてもらってはこまるぞぉ!!」

 

 地面に仰向けに倒れていた韓遂が、両足を上げて振り下ろす勢いを利用して立ち上がろうとするものの―――微塵も上体を起こすことなく失敗に終わる。あまりの運動神経の悪さに、溜息を吐きつつ李信が韓遂の手を引っ張り起こす。

 

「やぁやぁ、我こそは漢王朝にて名高い中華独立遊撃部隊飛信隊が軍師、韓遂であるぞぉ!!」

「殆ど兵站のことばかりやってるけどね」

「いや、兵站は重要だ。私は絶対にやりたくないから助かってるぞ」

「実際面倒でごぜーますからねぇ」

 

 これまで悩みの種であった兵站管理など、韓遂が参加してからは彼女が一手に引き受けていた。事実、彼女が合流するまでは飛信隊はそこらへんがかなり適当になっていたため、韓遂の存在は地味に大きい。誰一人としてまともに出来る者はおらず、李信もかつての経験で四苦八苦しながら行っている程度の管理だったため、そこは李信も感謝している部分があった。 

 

「で、何かあったのか?」

「罪人を罰しただけです。お気になさらずに」

 

 ちらりっと門の隅の方で蹇康に群がっている護衛達の大騒ぎしている様子に、李信が目線を向ける。それに気づいた曹操は、その結果死んでしまいましたけどね……と付け加える。平然と言い放つ少女の姿に、目を見張るのは華雄以下飛信隊の面々だ。表情に出していないのは李信だけだろう。まぁ、この曹操孟徳ならばこれくらいはやってのけるだろう、程度の思いは抱いていた。だが、相手を聞いて流石の李信も顔色を僅かとはいえ動かした。

 

「蹇康? おいおい、十常侍の関係者じゃないか。大丈夫なのか?」

「はい。ですが私は私の任を全うしたのみ。誰からも糾弾される謂れはありません」

「俺でよかったら協力できることがあったらするが……」

「いいえ、李信殿。大丈夫(・・・)です。お心遣いに感謝いたします」

 

 こんなところで未完の大器を潰されたくない思いから口に出た言葉を、首を横に振って断るのは張本人である曹操だ。笑みを消すことなく泰然と佇む彼女の姿に、余計なことを言ったと謝罪する李信。自分の行動は自分で責任を持つ。蒔いた種は自分で刈り取る。無言で彼女はそう語っていた。

 

「で……どんな罪を犯したのだ、その蹇康殿とやらは」

 

 仮にも十常侍の叔父を打擲する。それほどまでの罰を与えるとは、如何なる罪だったのか。気になるのは当然だ。華雄もまたそれを聞こうと疑問を口に出した。

 

「現在この洛陽北門には夜間通行禁止令がでています。蹇康殿はそれを破り無理矢理に通ろうとされました。それ以外にも賄賂を堂々と扱った罪。武尉への侮蔑。官命汚辱の罪……等。様々な罪科を重ねました」

「……夜間通行禁止? いつのまにそんなのでたでごぜーますか?」

「私が着任して暫し経ったときからです。如何なる者も如何なる理由があってもそれを曲げることは罷り通りません」

「……えっと。ちょっとまって。ということはボク達も通行できないってこと?」

 

 高順の質問ににこりとこれ以上ないほどの笑みを浮かべる曹操。まさしく花咲く笑顔という表現が相応しい。相手の全てを受け入れる慈愛に満ち溢れた微笑であった。

 それを見た周囲の門番、市民は安堵する。どうやら今まさに通行しようとしている怪物連中は、曹操の知り合いである。ならば流石の彼女もそこは融通を利かせるだろう。蹇康のような事態は起きないはずだ、と思ったのも束の間。

 

はい(・・)李信殿(・・・)……如何に貴方でも(・・・・・・・)ここは通せません(・・・・・・・・)

 

 驚愕が周囲を満たす中、僅かな敵意が膨れ上がる。飛信隊の配下の者達からの視線だ。それも無理はない。これまで多くの戦場を渡り歩き、ようやく洛陽に戻ってきてみればこの仕打ち。ただ北門を通るだけだというのに、それが許されない。多少の融通くらい利かせればよいのではないか。彼らの負の感情にいち早く反応したのは、夏侯惇と夏侯淵。主である曹操を守ろうと彼女の前に飛び出した。それぞれの武器に手をかけて、李信達の前に立つのは未来の英傑。続くのは沈黙。静寂。何かがあれば爆発しかねない、張り詰めた空気。

 

「く……はははっ。はははははははっ」

 

 緊張に満ち満ちたそこで楽しそうに笑うのは李信その人。ここまで大笑いをする李信も珍しい。久方ぶりの機嫌のよさを前面に出す隊長の姿に毒気が抜かれる。ゆらりっと李信の姿がぶれたと思えば―――背筋が凍るのは夏侯姉妹。目の前から李信の姿が消えたと思えば、気がついたときには彼の姿は自分たちを通り越し曹操の前にあったからだ。動けない。指先一つ動かすことが出来ない。背後に脅威がいるというのに、身体が動くことを拒否している。これが、李信永政。かの涼州でおきた反乱で大功をあげた中華最強の候補に数えられる武将。手下八部三名を討ち取り、兵五千の首級をあげ、総大将の韓約の首までとった現在もっとも中華で名が知れ渡っている男。そんな存在が主を害そうとしているかもしれないというのに。動け、我が肉体よ。ここで動かねばなんとするか。決死の想いを抱く二人に、だがしかし曹操は危機感など全く覚えていない様子で声をかけた。大丈夫(・・・)、と。それを証明するかのように李信は笑いながらパンパンと曹操の肩を何度も叩く。

 

「先程の言葉、訂正するぜ」

 

 笑うことをやめた李信は、かつてのときのようにくしゃりっと曹操の頭を軽く撫で上げた。

 

大きくなったな(・・・・・・・)……曹孟徳」

 

 全隊、行くぞ。李信は部下全てを引き連れて北門から去っていった。

 まるで台風が過ぎ去った後のように静かになった、この場所で。ようやく安堵の吐息を漏らしたのは夏侯姉妹。もしも李信達に主を傷つける気があれば、完全に守りきれなかった自分達の弱さが恨めしい。飛び抜けた才を持ちこれまで負け知らずだったが故の、格上との初めての遭遇は―――されど二人の心を折るには至らず。逆に夏侯惇、夏侯淵の二人は更なる飛躍を決心することを心に誓う。もう二度と主に無様な姿は見せまいと、二人は目線のみで互いに固く約定をかわした。そして背後にいる主へと振り向いてみれば―――。

 

「どうしたのかしら、二人とも?」

 

 長い付き合いでありながら、一度として見たことがない程に上機嫌な表情の曹操。その笑みや、美麗美的秀麗端麗見目麗しく、華麗にして佳麗。即ち―――()の顔をした彼女がいた。

 

 どうやらあの男は敵のようだ。うむ。そうだな姉者。

 夏侯姉妹が口に出すことなくそんな会話をこの時したとかしなかったとか。

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 




韓遂さん合流の話とかは多分短編でまた書きます。
それとちょっと同様の質問があったのですが劉弁さんの御年齢ですね。多分皆さんは大体15,6歳くらいを想像していると思います。作中にも少女少女と書かれていますが……御歳13歳(数え になります。

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