真・恋姫†無双 飛信譚   作:しるうぃっしゅ

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この章の時間軸はそれぞれの話で結構適当になっています。


恋姫躍動の章
蛇足之1:劉弁と張譲


 

 

 

 

 

 

 洛陽が宮中。その中心に位置する謁見の間の玉座に座ることができるのはこの中華を統一している漢という国家の皇帝ただ一人。現在で言えば後漢第十二代皇帝にあたる劉宏に他ならない。だが、皇帝劉宏は現状病に倒れており、人前に出てくることは少ない。空席となっていることが多かったその玉座に、一人の少女が座っている。

 

 玉座から伸びる階段下の広間にて平伏している張譲は、得も知れぬ強大な重圧に耐えかねて緊張の吐息を漏らす。玉座の少女―――劉弁と張譲の二人しかいない空間のため、如何に広いといえばその吐息すら離れている相手に聞こえるのではないかと思わせる静寂がこの空間を満たしていた。本来ならば如何に謁見の間……しかも弁皇女がいるというのに人がいないなど有り得ない。ことは単純で、彼女が人払いをしたからである。全ての官僚、護衛が渋面を作りはしたものの、劉弁の命令に誰一人逆らえず部屋を後にした。

 

 わかる。わかってしまう。平伏しているが故に、劉弁の姿は視界に入っていない。それでも、彼女の視線が自分を貫いていることが確かに理解できてしまう。英傑英雄などによく聞かれる、格が違う桁が違うなどの表現を逸脱してしまったそれこそ次元が異なる超越者。万象全てを支配する唯一無二の魔王とでもいうべき王の中の王。そんな頂点が玉座に在った。

 

「よい、張譲よ。面を上げよ」

 

 もしもここにいる者が張譲以外のものであったならば、彼女に許可を得たというのに顔を上げることは出来なかったであろう。それほどまでに場を支配する劉弁の放つ雰囲気は、頭が身体を動かすことすら拒否させる圧を謁見の間全てを満たしていた。それほどまでの異常な状況でありながら、張譲は言葉通り頭を上げる。頭を上げた張譲の姿に、ほぅと感嘆の声を漏らしたのは劉弁だ。意識して解放していた自分の威圧にも似た気配を受けてなお、平常心を保っていられることに驚きと賞賛が沸々と浮かび上がってくる。文官としても現在の漢王朝で一、二を争うほどに優秀で、名門の出。この漢における頂点の一角である十常侍の筆頭としても名を馳せる。優秀、という言葉では足りないほどの一種の怪物。その立ち振る舞い、心の強さ実に見事だと劉弁は自分を見上げている張譲を内心で褒め称えていた。

 

「すまんな。忙しい中、無理を言った」

「いえ。殿下からのご命令とあらば、この張譲何時如何なるときにでも」

「そうか。その忠に感謝を。だがな……」

 

 一言一言が両肩に岩を乗せてきているのではないかと勘違いするほどに重い(・・)

 

「実を言うと特に用事があったわけでない」

「……」

 

 劉弁の台詞に思わずガクッと肩が落ちそうになる張譲。呼び出しをくらい来て見れば、人払いまでされ何の話かと覚悟していたというのに―――用事がないとは。

 

公にはな(・・・・・)。そなたと話をしたかった。つまりは完全な余の私事だ」

「私事で―――」

()のことについてだ」

「―――っ」

 

 緊張からの緩和。そして再度、深い緊張へと襲われる。悠然と、泰然と椅子に在る劉弁は美しくもどこか楽しげだ。張譲の反応を見て、僅かに口角を吊り上げる。

 

「今までの信の世話、ご苦労であった。そなたには礼を言わねばならぬ。あいつとともにいるのは中々に骨が折れたことであろう」

「……いえ。そのようなことは」

「安心するが良い。これからは信は余とともにある。余とともに生き、余とともに死ぬ。何があっても何が起きようともそれは変わらぬ。あいつの全ては余が貰い受ける……それはもはや決定された確定事項だ」

 

 何を言っているのだ、皇女(おまえ)は。反射的に口から出そうになったその言葉を必死に呑み込むと、自分を落ち着かせるためにも一度目を瞑る。二度三度、と深い深呼吸をすれば沸騰しかけている己の心が本当に少しだけだが落ち着いた気がした。

 

「お言葉ではありますが、李信は私の部下です。それに幾ら弁殿下であろうとも、李信の意向を無視してそのような勝手な真似は……」

「信は余の願いを受け入れてくれたぞ? それにあいつとそなたとの主従はあくまでも仮ではなかったか?」

 

 劉弁の反論に口が止まるのは張譲だ。確かに李信と張譲の関係は少し特殊なものだ。数年前に出会って以来、彼の主に相応しい人物になろうと突き進んできた。そしてようやく二年ほど前にようやく口説き落とし、仮の主従関係を結ぶに至ったのだが、もしも李信が真に主と認める存在が現れたならばこの関係は解消できるような約束もしてある。その時は自分以外にそんな存在が現れるとは考えてもいなかったし、思ってもいなかった。李信が使えるべき主と、劉弁を戴いたなど、嘘だと叫びたい気持ちに襲われたが―――以前の論功行賞の折の二人の姿を見れば、それを否定するのは難しい。それほどまでに二人の姿はまさしく絶対の主と唯一無二の配下であったのだから。

 

「なに。これまでのそなたの功は筆舌に尽くしがたい。もしもそなたが李信に目をかけていなかったならば余と信との再会も随分と時間がかかったものになったであろう」

 

 それだ。それが問題だ。漢王朝皇女劉弁と李信。再会と口に出したが、一体どこで出会う機会が会ったのだろうか。宮中に来てから出会っていたのか。いや、それはない。李信が宮中にあがって張譲の傍に侍っていた間、劉弁が自身の部屋から出てきたことは全くない。ましてやもしもその時に会っていたならば、宮中にいる間は会いやすかった筈だ。あのような劇的な再会、と喜ぶはずがない。では、李信がまだ幼かった頃の知り合いなのか。それこそまさかだ。そんな時代に劉弁が市井の民と交流をかわしたなど聞いたこともなく、許されるはずがなかったであろう。ましてや彼女は幼い頃から死と闇に愛された忌み児として禁中奥深くに封じられていた。とうの本人は全く気にせずに表に出てくることはなかったが。

 

「張譲。そなたは実に優秀だ。現在の漢王朝において間違いなく頂点に座することができるほどのもの。だがな、そんなそなたでも余と信の関係を推測することは絶対に不可能だ」

 

 張譲の表情を読んだのだろうか。考えていたことをピタリと当てられ一瞬息が詰まる。ここまで手玉に取られたのは一体何時以来だろうか。

 

「さて……そなたの功に関しては、余に出来ることならば何でも叶える事を約束しよう。もしも望みがあるならば言うが良い。もっとも今でなくても構わんが」

 

 シンと静まり返っている謁見の間。ありとあらゆる願いを叶える。そう約束した劉弁の誓いに、李信との再会はそこまで彼女に対して大きく重かったのだと認識することが出来た。何かしらを考え込んで顔を床に下げていた張譲だったが、しばらく身動き一つしない彼女に興味を無くしたのか、玉座に深く持たれかかった劉弁が手を軽く振った。よい下がれ―――口から退出を促すそれが出る間際、張譲の顔がふとあがり、視線が劉弁と交差する。轟々と燃えあがるのは不撓不屈のあらゆる物を焦土と化す紅蓮の猛火の意思を噴出させる官僚の頂点張譲。劉弁の圧にも負けない真紅の瞳が熱く燃えている。

 

「ならば一つだけ願いがございます」

「ほぅ。良い、言ってみよ。重ねて言うが余ができる事ならば叶えよう」

「はい、弁殿下。貴女様ならば出来ることです。いいえ、弁殿下。貴女にしか出来ないことです」

「面白い。さぁ、言え。張譲よ」

李信を返していただきたい(・・・・・・・・・・・・)

 

 

 先程までの比ではない静寂が場を支配する。森閑、無言、無音、沈黙―――様々な言葉があれど、確かに耳が痛くなるほどの静かな世界が構築される。

 

「くくく……」

 

 そんな寂然とした世界を壊すのは、劉弁のかすかな笑い声。

 

「ははははっ―――はーはっはっはっはっはっは!!」

 

 目元を押さえて、座しながらも天を仰ぎ高らかに笑い続ける劉弁に、皇女の狂態を目の当たりにしつつも一切の揺らぎがない不動の張譲。延々と笑い続ける劉弁だが、徐々に謁見の間の空気が変化していく。これまででも身動き一つとるのに苦労するほどの圧に満たされていたというのに、それが重さを増していく。脊髄を引き抜かれそこに氷の柱をぶち込まれたかのような恐怖感。肺を直接手で握り締められたと勘違いするほどに呼吸が出来ない。全身を駆け巡る血液が止まったのではないかと錯覚するに至る疲労が全身を襲う。首下をヒヤリと撫でる冷たい空気が、それが抜き身の剣が置かれているのではと思わせる。豪華絢爛な謁見の間であるにも関わらず、ここが刑を執行する斬首の場ではないかと幻視させるに至る不吉不穏な気配。下手をしなくてもこの空間にいればそれだけで命を落とす。生と死が曖昧な境界線となったこの空間で、それの発生源である劉弁はピタリと笑うのを止めた。

 

 

「……笑えんぞ(・・・・)、張譲」

 

 揺らぐ。揺らぐ。世界が揺らぐ。膨大で絶大な瘴気にも似た気配が劉弁から放たれる。その気配たるや、ありとあらゆる王を凌ぐ、正真正銘唯一の皇帝にして魔王そのもの。万象すべての上に立つ。そう信じている、疑っていない、そしてそれが事実である究極の狂人。彼女を前にすれば如何なる者も霞んでしまう。歴代皇帝のうち一体誰がこれほどの領域に到達することができたというのか。いや、出来る筈もない。して良い筈もない。そんな存在が天を仰ぐことを止め、張譲を見下ろしている。このまま捻り潰されたとしても違和感はないほどの圧迫感。だというのに、張譲は呼吸は乱し、表情を蒼くはしているものの、臆してはいない。

 

「これは異なことを、弁殿下。貴女様が仰られたのです。余に出来る(・・・・・)ならば、と。故に私は答えたのです。願ったのです。貴方様にしか出来ないことを。貴女様にならば出来ることを」

 

 ピシリっと空間に皹が入る音がしたのを二人が聞いた。数百年も続いた戦乱の世を統一した唯一の王。三皇五帝を超えたと自称したのは伊達ではない。億千万の死と怨念を背負って統一国家を創りあげた怪物は、人にして人を越えている。李信とは正反対の超越者、それが劉弁だ。大将軍李信をこの世でただ一人従えることができ、彼の手綱を取れる唯一無二の主。その彼女を前にして、決して口に出してはならない願いを敢えて言い切る。そのような真似一体誰が出来ようか。無茶無謀は百も承知。それでも今ここが分水嶺だ。かつての時と同様に、ここで退いては全てを失う。引けば終わりだ、退けば全てを失う。誇りも覚悟も意思も、李信すらも。ならばこそ死中に活を求めるのみ。

 

 

「……笑えんが、面白い(・・・)。この余を前にして、怒りを買うことを覚悟して言い切るか。三皇五帝を超えし最初で最後の王に噛み付くとはな」

 

 ははははっと今の今まで放っていた圧力が霧散する。あくまでも李信が世話になった人物程度の認識しかしていなかった劉弁が、ここではじめて瞳に興味という色を乗せた。少しでも臆している様子が見られればここまで興味を惹かれなかったであろう。文字通り命がけの上奏。たった一人の男の為に、自身の全てを賭けて行った訴えに何故か皇女は愉しげだ。

 

「良いぞ……とは生憎と言えん。何故ならば余は信の信念を、意思を唯一のモノとしているからだ。それに余が言ったとしてもあいつはそれに従わん。そなたは余と信の関係を主従と思っているようだが、それは少し違う。我らは主従であり、友である(・・・・)

「―――友?」

 

 あまりにも意外な答えに張譲のキョトンっと表情が緩んだ。皇女と一武官の関係に、友などという言葉がでてくるとは。流石に理解の範疇を超えている。されど肝心の劉弁は、うむ友だ―――と頷いた。

 

「なに。少し意地の悪いことを言った。あいつは自由だ。余に仕えはするものの、そなたとの関係を解消することなどなかろう。実を言うと、あの信が仮とはいえ仕えていたそなたに興味があった。此度の呼び出しは其れ故だ」

「……」

 

 なんという茶番か。李信の仮の主の存在だったから張譲がどのような人物か見極める為に呼び出した。ならばこれまでの会話行動は一体なんだというのか。

 

合格だ(・・・)、張譲よ。そなたは李信と並び立つ資格がある」

 

 気を抜いたのは一瞬だ。突如として劉弁がそのようなことを語りだす。

 

「……一体何のことでしょうか、弁殿下」

「簡単なことだ、張譲よ。そなたは実に優秀だ。余がこれまで見てきた中でも指折りの者。もっとも()では、という言葉が入るが……それは気にするな。そなたほどの者ならば信を支える一助にはなろう」

「は、はぁ……」

「なんだ。まだ理解できないのか。つまりはあいつの妻として支え、子を産み育てよ……と余は言っているのだ。そなた、あいつ()に好意を抱いておろう。いや、既に愛情と言い換えたほうが良いか」

「……」

 

 妻? 子? 好意? 愛情? 弁殿下は一体何を言っているのか。誰が? 誰と? 誰に? ―――私と李信が(・・・・・・)

 

「―――っ!?」

 

 ようやく劉弁の放った言葉の意味を理解した。理解するに至った。彼女の明晰な頭脳を凍らせる程の爆弾発言。思考が沸騰する。まともにモノを考えられない。顔が真っ赤になっているのが自覚できる。未来を想像して別の意味で心臓がバクバクと早鐘を打つ。これまで全く考えていなかった……いや、それは嘘だ。敢えて考えないようにしていたそれを、劉弁はあっさりと言い放った。

 

「弁、弁殿、下。一体、な、何、なにを……」

「意外と初心であるな、そなた。なかなかに可愛らしい。強気な女のそういう部分は男にも受けよう。信に通じるかわからんがな。何度も言うがそなた程に優秀な相手ならば信を支えることも出来よう。もっともそなたを軽くみるつもりはないが、一人で支えきることは不可能であろうがな」

「あ、一体、その……弁殿下、貴女様は……」

「そうだな。うむ……文官として支える者。日常を支える者。武将として支える者。軍師として支える者。それぞれに必要ではあろう」

「―――文官? 日常? 武将? 軍師……とは、一体?」

 

 混乱の極みに至っている張譲を放置して指折り数える劉弁は、とてつもなく愉快そうだ。先程まで発していたこの世の終わりを見せてくる気配など微塵も感じさせない。

 

「なんだ、そなた。一人で信を満足させるつもりだったのか? 存外独占欲が強いな。まぁ、やめておけ。絶対にそれは不可能だし、余も誰か一人に信を独占させるつもりはない」

 

 事実かつての時代、李信は多くの女性に愛された。妻としたのは僅かだが、彼を求めた女性は一体何人いたのだろうか。それは流石の劉弁も把握し切れてはいない。平然と言い切る劉弁に、浮かぶのは確かな疑問だ。

 

「何故ですか、弁殿下。あの李信が誰よりも主と認め、この世でただ一人真名を口に出す貴女様ならば、独占することも可能でしょうに」

「独占? 誰が誰を? 余が信を、か?」

 

 今度は劉弁がキョトンとした表情で首をこてんっと横に倒した。やがて、くくくと口角を歪ませた。思ってもいなかった張譲の発言に改めて自分の今の状態を省みる。

 

「そういえばそうであったか。今は余も女であったな。まぁ、()の部分はそなた達に任せても良かろう」

 

 なんだ。この()は何を言っている。

 どこか噛み合っていない劉弁と張譲の会話。

 

「そなた達が子を為せば、それは実にめでたいことだ。信の子供ならば、相手が誰であろうとも我が子のように可愛がり、愛おしむことができよう」

 

 或いはわが子以上に。

 そう。特に()外れに外れた(・・・・・・)かつての我が娘よりは確実に間違いなく。

 

「ところで張譲よ。そなたあいつに好意を抱いている女を知らぬか? どうせ信のことだ。一人や二人や三人や……流石に二桁はないだろうが、どこぞで女子の気を惹いておろう」

 

 わからない。この女が、劉弁が全く持って理解ができない。明らかに普通ではない感情を抱いている李信に対して妻になることを勧めたり、新たな女性の影がないか探るなど。しかもそれは嫉妬や何やらで調べているのではない。彼女にはそれがない。自分が賈詡文和に抱いたような、絶対に負けるものかという気持ちが微塵たりとも存在していないのだ。それが不思議で仕方ない。

 

「……怖れながら質問をお許し下さい」

「むぅ? 良いぞ、許す」

「……殿下は、何をお考えでしょうか。李信への気持ち、想い……ただ事ではないと推測します。それなのに何故このような……。李信に大切なものを与えようとするのか。そして貴女様は李信が大切ではないのですか」

「ふむ? 何やら誤解があるようだな、張譲よ。余は信をこの世の何よりも誰よりも大切だと思っているし、信が最も大切だと思っているのは余であるぞ(・・・・・)?」

 

 平然と言い切る劉弁に、彼女の答えが理解不能な張譲。

 

「……ふむ。これは例えばの話だ。信が張譲、お前と家庭を築き、子を為したとしよう。余はそれを祝福する。なんと目出度いことか。信が幸せならばそれは余にとっても幸福である。さて、そこである問題が起きたこととする。例えば余をとるか、そなた達全てを含む(・・・・・・・・・)漢王朝を取るか……どちらかを選ばなければ中華が滅ぶ。そんな究極の選択肢を突きつけられたとしよう。だが、あいつは何の躊躇いもなく余を選ぶ(・・・・)

 

 なんだこいつは。一体何の確信があってそのようなことを口にする。まるでそうするのが当然であると。李信ならば間違いなく自分を選ぶと豪語している。だが、何となくわかってしまう。彼女の言うことは恐らく正しい。李信はきっとそちらを選ぶであろうことは何となく理解できた。

 

「そなた達の捧げる愛情も、大将軍の地位も、国の想いも全てを投げ打ってでも、余が間違えていなければ信は余を選ぶであろう。何故ならば李信……あいつは余の()にして()であるからだ」

 

 そして―――余も同様の二択を選ばなければならないとき、李信を選ぶ。

 漢王朝の皇女という立場でありながら臆面もなく言い切る劉弁に、言葉もないとはこのことだ。

 

「何故、ですか。それだけの、想いを抱いていながら……何故、他の女をあてがうような真似を。貴女様は李信を愛していないのですか!?」

「なにを馬鹿な。愛しているに決まっておろう」

 

 張譲の弾劾にも似た叫びに、一体どれだけ説明すればわかってくれるのか。出来の悪い生徒に教えるように、溜息をつきつつ肝心の劉弁は言葉を紡いでいった。

 

「お前が言う愛は所詮、女の立場から見ただけのものだ。愛し、結ばれ、子を為す。それを否定するつもりもない。だが、余と信の関係をその程度(・・・・)のものと邪推するなよ、張譲。いや……或いは女とはかくも男からの愛情を求めるものであるのか。ならば()の行動もわからなくも……いや、あいつはあいつで無茶苦茶だったか」

 

 劉弁の口にした女性らしき名前。麗という名前に何かが引っかかる。それに気づいたのか、劉弁がふむっと短く呟いた。まぁ、この程度は語っても問題ないかというように。

 

「少し昔話をしてやろう。かつてとある大国の王の娘として生を受けた女がいた。その名を麗。その王女は幼い頃にとある男に命を救われた。国の首都を攻められ壊滅的な被害を受け、母子ともに殺される寸前での救出劇であったそうだ。それ故だろうな……麗は己を救った男に憧れた。その想いはどこまでも高く何よりも深い。王女でありながら男に憧れ剣を取った。才があったのだろう、その力量は大国のなかでも将軍職の者すら凌駕するに至った。だが、憧れた男はある国攻めで大失敗を犯した。いや、あれは本人の責任ではなかったか。国の中枢に住まう政治的に敵対する者達との兼ね合いにより必要な兵数や兵站など用意できなかったせいであろう。さて、男の大失態に友である大王もかなりの無茶をした。と言っても死刑を回避することが限界であったがな」

 

 急に何やら語りだした劉弁であったが、何故かその物語には聞き入ってしまうなにかがあった。それに先程口にだした麗という人物も気にかかる。

 

「それに激怒したのが王女麗だ。彼女は男の邪魔をした人物を調べ上げ―――そして自らの手で皆殺しにした。麗はそれら全ての首を持って、領地に蟄居していた男の下へと訪れたという。貴方を陥れたものは私が全て殺しましたよ、と男の前で笑いながら語ったそうだ」

 

 ちなみにその時の李信のドン引きぶりは凄まじかった。慌てて自分のもとへと麗を引き連れやってきたことは記憶に鮮明だ。麗が行ったことを知って母親は卒倒して、我が子が引き起こした事件ながらも李信同様に大いに引いた。

 

「さて、そんなそなた達の行動に通じるものがあるな。それは、信に愛されたい(・・・・・)という想いだ。不安なのか? 心配なのか? 信を果たして何時まで自分のもとに引き止められることができるのか、懸念があるのだろうな。少しでもあいつの関心を引きたい。自分を見て欲しい。愛して欲しい。そんな混沌とした想いが伝わってくるぞ」

 

 まぁ、麗の方が頭がおかしかったが。

 自分の娘に対して随分と酷い評価だが、それも仕方ないだろう。あの娘は最後の方など親である自分すらも李信を取ろうとする憎むべき敵であるような素振りすら見せていたのだから。

 

「ああ、下らんな。本当に下らないぞ。なぁ、張譲。そなたに信は何も求めていない。独りよがりのお前の想いを、思いを受け止めて受け入れる。だが、それだけだ。もう一度言うぞ……信はお前に何も求めていないのだ」

 

 ズキリっと心が痛んだ。

 それは知っている。それを知っている。李信との付き合いは数年になる。だが、彼には壁があった。決して踏み入れることの出来ない強固な壁だ。自分であろうとも、賈詡文和であろうとも、他の誰であろうとも壁の内部には立ち入れない。いや、目の前のこの女だけは別だ。会ったその時から、既に劉弁は李信の横にいた。それの何と―――妬ましいことか。

 

「だが、勘違いするな。余はそんなそなたを認めた。うむ、認めているのだ。信の横に立つ資格だけはある、とな。まぁ、もっとも……あいつが何と言うかはわからんがな」

 

 あいつは存外奥手だからな……と劉弁の呟きすらも癇に障る。まるで李信の全てを自分こそが理解しているのだという様子に、心が悲鳴をあげていた。

 

「さて、張譲よ。話は終わりだ。長くなったが……そなたには期待している」

 

 では、下がってよし。退出の命令を持って張譲は頭を下げて謁見の間を出て行こうとしたその時。

 

「余と信。我らの間にあるのは数百年(・・・)経っても変わらぬ不変の友愛である。互いの首すら刎としたとしても我らに一切の後悔もない。如何なる者でも我ら二人の間に立ち入ることはできんぞ」

 

 朗々と謳う劉弁の声を背に、張譲は何一つ言い返すこともなく外へと足を踏み出した。ようやく話が終わったのかと入れ替わりに官僚、護衛の者が中に戻ろうとして彼女とすれ違った瞬間、小さな呻き声を漏らす。心の底からの震えがくるほどの冷気。零下にも感じられる冷たい空気が彼女から散じていた。

 

「……なんと無様な」

 

 自分の胸に手を置いて心臓を握りつぶそうという勢いで力を込めた。

 劉弁の言葉に反論できなかった自分の弱さ。鈍さ、覚悟の無さ全てが憎い。己は優越に浸っていたのだ。自分こそがもっとも李信の傍にいると。誰よりも彼と親しい関係を築けているのだ。例え壁があろうともやがてはその中に至れるだけの関係になれるのだと。それが、愚かしい。どれだけの時間を、無為に過ごしてきていたのか。これは、この屈辱は己の失態。無駄に過ごしてきた自分への罰であろう。

 

「だが、弁皇女も良く言うものだ」

 

 誰かに独占させるつもりはない。劉弁は確かにそう言った。だが、無意識であろうと彼女は気づいている筈だ。自分こそが李信(・・・・・・・)を独占しているのだと(・・・・・・・・・・)。絶対の優越感にして無自覚であろうとも悟っているからこそいえる言葉でもある。確かに今はそうだろう。李信にもっとも近いのは劉弁である。それは疑いようがない事実だ。これから先もそれは変わらないかもしれない。だが、不変なものなどあるものか。必ず……必ずだ。李信を自分へと振り向かせて見せる。主従としても女としても―――。

 

「貴女を超えて見せよう……弁皇女よ」

 

 

 李信。中華全域を独立遊撃部隊として駆け回る彼は、本人の与り知らぬところで何やら戦争が勃発していることを知る由もなかった。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




とりあえずF○Oの水着イベが始まるまでは書いていこうと思います。
現在は宝物庫周回中。

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