真・恋姫†無双 飛信譚   作:しるうぃっしゅ

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第20話:李信と劉弁

「……これは、一体どういうことなのだ?」

 

 何がおきたかわからない。そんな疑問がありありと顔に出ている韓約。それに彼女の下まで辿り着いた馬騰もまた同様だ。確実に死を理解した。李信に殺されることを望み、願い―――それなのに何故生き残っているのか。ましてや、李信のあげた宣言。北宮伯玉を討ち取っておきながら、反乱軍総大将の韓約の名を叫んだ。それはこの戦場の隅々にまで届いただろう。まさか間違えたわけでもなかろうに。そんな呆然としている二人へと李信が近づいてくる。歩いてくる途中に血まみれになっている服を脱ぎながら、上半身が裸になった李信が足をとめた。その姿にゴクリっと生唾を飲み込むのは韓約だ。極限にまで鍛え抜かれた彼の身体。未だ成長途中でありながらも、鋼までに磨き上げられた李信の肉体に目が釘付けとなる。そんな韓約へと李信が脱いだ服を投げつける。バサっと頭から血まみれの服を被った小柄な彼女を軽々と抱え上げると、馬上にいる馬騰へと放り投げた。視界が封じられたさなかの空中浮遊に、はぎゃっと意味不明な声を上げた韓約を受け取った馬騰の訝しげな様子に李信は流石に説明は必要か、と頭の中を整理してから―――。 

 

「まずは援軍来て頂いた感謝を。そして賈詡からの伝言だ。韓文約はここ(・・・・・・)で死んだ(・・・・)。そう伝えればあんたならわかると言っていたが……どうだ?」

「……まさか。文和は、此方の事情を知っていたのか? 伯玉めが策謀を張り巡らしていたことを」

「いや。今さっきまで全く知らなかったらしいが。あんたの様子と発言で、なんとなく察したみたいだぞ」

「―――はっ。信じられぬが、信じるしかあるまい。あの文和が、戦争を経験して化けた、か。あやつももはや怪物の類に至ったか」

 

 賈詡の予想。想像。戦争前から感じ取っていた違和感。総大将が韓約ではないことに薄々気づいていた賈詡だったが、一体誰が本当の大将であるか、流石にわかってはいなかった。だが、馬騰の登場によってその疑問は氷解する。馬騰の発言のちぐはぐさ。彼女を知っているからこそそれに気づけた。あの韓約が馬騰に暗殺部隊を送るはずがない。そんな馬鹿な。そしてそれの報復として韓約の家族を焼き討ちとした。それもありえない。絶対に馬騰は行わないと断言することが出来る。ならばその発言の真意は何か。韓約が反乱軍に参加する理由……馬騰の言から家族を人質に取られたのではないかと賈詡は読んだ。飛躍しすぎだと他の者からは思われるかもしれないが、その発言の後にでた北宮伯玉の名。外道で知られる彼ならば、それくらいはやってのけるはずだ。家族を人質に取られれば韓約は反乱軍に参加せざるを得ない。だが、単純に反乱に参加した大将ともなれば親類縁者ともに極刑に処せられるだろう。従うだけでは駄目だ。故に秘密裏に馬騰に助けを求めたのではないか。そしてそれに馬騰が応えた。韓約の家族は既に殺した、と宣言することによって漢王朝から親類だけでも命を助けようとしたのではないか。そして、馬騰が突撃の最中に叫んだ北宮伯玉―――あれは彼女が隠しきれなかった憎悪をぶつける相手。憎むべき存在。つまりは、反乱軍を影で操ろうとしていた男ではないか。あの短い間にそこまでを読んだ賈詡は、李信にあることを頼んだ。それが、先程行ったこと。北宮伯玉を殺し、韓約の身代わりとすること。そうすれば韓約の命を助けることが出来る。もちろん、漢王朝まで首級が運ばれればばれてしまう可能性があるため、あえて顔ごと粉砕させた。勿論、このことが明るみにでれば関わったもの全てがただでは済まない。それの覚悟があるか、という意味で馬騰を見つめる李信に、彼女は力強く頷いた。

 

「……お前達の行動全てに感謝する。この恩は山よりも高く谷よりも深い。必ずこの恩は返すことを約束しよう」

 

 くんくんと李信の血まみれの上着の匂いを嗅いでいる韓約を馬前に乗せて、馬騰は深く頭を下げた。数日間戦いの間着続けていた服からは凄まじい匂いがするだろうに、どこか彼女の表情は恍惚としている。二人にじっと見られていることに気づいた韓約は、ごほんっと咳払いをしてなにやら誤魔化そうとしているが、騙されるような二人ではない。

 

「……し、しかし。我には反乱軍を率いた者としての責任が―――」

「―――反乱軍総大将、韓約様!! 討ち死に!!」

「韓約様討ち死にですのー」

 

 韓約の発言を途中で遮る声が響き渡った。馬玩と張横、二人が馬に乗り、そんな言葉をひたすらに叫び始めた。二人とも、馬騰と李信の会話の意味を悟ったのだろう。馬上から、ふっと笑った二人は背を向けて西へと向かって走り出した。喉が潰れても構うものか、と延々と繰り返す。韓約が討ち死にしたことを全ての者に理解させようとしているかのようであった。

 

 そんな二人の行動に胸を痛めながらも、韓約はすまぬ……と小さく感謝と謝罪を漏らした。やがて韓約が討ち取られたのが事実だと知ると、反乱軍の全ての兵士達が総崩れとなって西へ西へと撤退を開始する。もはやこの流れはとめられない。ここに反乱軍の、いや北宮伯玉の野望はついに潰えた。

 

「李信……我は、お主に感謝しかない。完全に諦めていた我が命。こうして拾えるとは思ってもいなかった」

「その礼は賈詡にでもいってやってくれ。ここまでの絵図は全部あいつが描いたんだからな」

「それでも、それでもだ。ありがとう、李信」

「まぁ、漢王朝にせいぜいばれないようにしてくれたらいい。拾った命を無駄にするなよ、韓約」

「―――韓遂(・・)、だ」

「うん? 韓遂?」

「韓約は死んだ。この日この時この場所で。李信……お主に確かに討ち取られたのだ。今ここにいる我は、韓遂。これより韓遂と名乗ろう!!」

 

 これ以上この場に止まっては危険だと判断した馬騰が馬を北へと走らせた。あっと言う間に遠ざかっていく。離れていく李信へとこれ以上ない未練と愛情を捧げて韓約―――韓遂は叫んだ。

 

「我が頭脳!! 我が心!! 我が身体!! 我が命!! 我の全てを……必ずやお主のために使って見せよう!! 待っててくれ、我の中華六将よ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ▼

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 涼州における反乱が終結してから早一ヶ月。李信の姿は首都洛陽の宮中前にあった。一年も離れていないというのに随分と久しぶりに感じるのはそれだけ赴任していた涼州の日々が濃密だったからであろう。そして彼のすぐ後ろには二人の少女が周囲に落ち着き無く視線を散らしながらも付いてきていた。賈詡と董卓の二人である。本来であるならば、太守傅燮が来るはずであったが、混乱冷めやらぬ涼州から抑えとなる彼女が短期間とは言え不在となるのは状況的に宜しくないと判断し、結果この二人が李信とともに洛陽に派遣されることとなった。

 

 門を通され、宮中へと入っていく李信達三人を遠目で見ていた人物がいた。たまたま宮中近くに用事があった名門汝南袁氏が後継―――袁紹本初であった。彼女の後ろには、かつての時と同様に沮授と田豊、張郃の三人がつき従っている。本来ならば袁紹が声をかけようとしたのだが、珍しくも真面目な顔をした張郃が主を止めた。今まで聞いたことがないほどに緊張感溢れる声で、だ。どうしたのか、と問い掛ける袁紹だったが、李信達の姿が見えなくなってようやく安堵の吐息を漏らした。

 

「うちは、こう見えてもそれなりの場数を踏んできたっすよ。数多の戦場を生き抜いて、戦い抜いてきたのはご存知だとは思うんすけど……だからうちはそれなりに自分の()ってのを信頼してるわけっす」

 

 文官のお二人には理解できない事かもしれないが、と。

 

「その、うちの勘が完全完璧に外されたっすよ……李信。あの子、うちでも手におえない領域に足を踏みいれちゃってる感じっすねぇ」

 

 以前ならば片腕一本を犠牲にすればなんとかなったが、今は逆に李信の片腕一本を持っていけたら運が良いほうだ、と答えた張郃だったが、何故かあははは、と愉しそうに笑う。それに馬鹿な、と短く驚きの言葉を発するは沮授と田豊だ。名門袁家武の四柱の一人にして、最強の武人張郃が、戦う前から負けを認めるなど。しかも、以前会ったときから一年も経っていないというのに、張郃に追いつき追い越した。そんなことがあり得るのか、とただただ驚嘆するばかり。

 

「おーほっほっほっほ!!」

 

 そんなうろたえる部下を尻目に、高笑いをするのは袁紹である。張郃の言ったことなどまるで聞いていない、堪えていない。泰然と佇むその姿は、幼いながらも配下に安堵感を与えるものだ。

 

「面白いですわね。李信さん……是非とも私の軍に入っていただきたいですわ」

 

 民に戴かれる王。袁紹本初は、宮中へと入っていた今は見えない李信の姿を脳裏に思い描きながら楽しげに、愉しげに、部下に止められるまで笑い続けていた。

 

 一方、宮中へと入った李信は何やら奇妙な笑い声を聞こえたのか、反射的に背後を振り返る。洛陽に到着してから気もそぞろになっていた二人であったが、宮中に至ってからは既に挙動不審な様子が目立っていた。そんな状態でいきなり李信が振り向くのだからビクっと面白いほどの反応をする。何よ、と不満も露な賈詡に、気のせいだと短く答え歩くことを再開させる。それに続く二人の動作が緊張で固いのは無理なかろう話だ。涼州という片田舎から出たことのなかった賈詡と董卓が、他の州へと出た初めてが首都なのだから。勝手知ったる家とばかりにどんどんと通路をゆく李信の姿を頼もしく感じながら―――突如として立ち止まった彼の背中に顔を打ち付けた。

 

「痛っ……ちょっと何止まってるのよ」

 

 思わず口からでた文句も聞こえていないのか、まっすぐと前を向く李信の視線を追ってみれば豪華絢爛な通路の先に一人の女性が仁王立ちしている姿が見かけた。その女性を見て、思わず賈詡と董卓はポカンと口を開いた状態で釘付けとなってしまった。可憐な董卓は当然として、自分の容姿もまた周囲から褒められていること知っていた賈詡はそれなりであると自負しているが、そんな彼女でさえも見惚れてしまう絶佳の美貌の女性がそこにいる。太陽の光を浴びて光る白金の長髪が、同性でありながらも心惹かれた。容姿の美しさだけでなく、離れていても分かるのは桁外れの重圧だ。馬騰や韓約といった英傑級のさらに上。半ば人間を辞めかけている文官としての畢竟。それに加えてあらゆる者を問答無用で惹きつけ従える上に立つ者としての風格。全てを揃えたある種の到達者。知らず知らずのうちに、うぁ、と短いうめき声が漏れていた。言ってしまえば格の違いを向かい合うだけで思い知らされた。

 

「張譲……」

「久しぶりだな、李信よ。随分と大きくなった」

「一年も経っていないんだ。そんなに簡単に身体が大きくかわるものかよ」

「身体ではない……お前の在り方だ。といっても、本人にはわからんか」

 

 ツカツカと音を鳴らしながら李信へと近づいていく張譲。彼女はバッと両手を広げてそのままの勢いで彼に抱きつき力一杯手を背に回す。突然の行動に、後ろにいた賈詡と董卓の開いた口が塞がらない。突如弩級の美女が現れたかと思ったら李信を抱擁する。彼女達の理解度を超える事態に、思考が固まったとしても仕方ないだろう。胸に寄せた頬から伝わるのはドクンドクンと力強く波打つ心臓の音。李信の鼓動を聞きながら、張譲は目を閉じた。久方ぶりの李信との邂逅に、身体の奥から燃え滾る熱が這い上がってくる。氷の張譲と噂される彼女の全てを溶き焦がす、大灼熱の高揚感。力が、想いが、心が、深奥から沸々と沸きあがってきた。

 

「ちょ、ちょちょちょちょ―――ちょっと、な、な、なになになにしてるのよ!?」

 

 いつまでもこうしていたいという気持ちを妨げる賈詡の声が周囲一帯に轟いた。へぅ、と顔を赤くしながらもまじまじと見ている董卓とは逆に、賈詡がビシっと指を指しながらこちらもまた顔を真っ赤に染め上げて李信と張譲に噛み付かんばかりの勢いで言葉を投げかけた。それは董卓と同じような羞恥からきていたのか、それとも別の感情からきていたのか、どちらであるのかはまだ賈詡自身気づいていないものだった。

 

「……無粋な。なんだ、こやつらは」

「漢陽で世話になった二人だ。若いが、優秀だ。特にそっちの賈文和は、下手をしなくてもお前に匹敵するぞ」

「ふっ……お前がそういうのならばそうなのだろうが。あまり私を甘く見るなよ、李信」

 

 上目遣いで李信へと語りかける張譲は大層可愛らしくも妖艶だ。だがそんな色香で参るのならば、とっくに李信は誰かしらの手に落ちてしまっていたことであろう。抱きついている張譲から逃れる為に、軽く胸元を押しやれば―――固い感触しか手に残らず。無意識に出た、固い(・・)という言葉に、張譲がスパンと李信の頭を軽く叩く。なかなかに酷い言葉だったのは自覚しているのか李信は素直に、すまんと謝罪する。自分の身体が女性的な特徴に欠けている事は認識しているし、事実のためそれ以上は張譲も李信を責めたりはしなかった。そんな気安さを感じさせる二人の関係は一体どんなものだというのか。そこで賈詡は気づいた。李信が呼んだ彼女の名……それは張譲。それを改めて脳内で呼びなおすと、頬を引き攣らせた。なんと相手は十常侍の筆頭ではないか。涼州に送られて来た際には、確かに張譲のお墨付きという話はあったが、まさかこれほどまでに張譲に大切にされている存在だったとは。明らかに張譲の目には暖かな光が見て取れた。普通ではな想いを抱いているのだと、初めて会った賈詡ですらはっきりと理解出来る。だが、何故かそれが気に(・・・・・)入らない(・・・・)。元々鋭い眼光がさらに鋭くなって、張譲を見つめる賈詡の姿に、睨まれている張本人はそれを浴びながら、ふっと笑った。

 

「面白い。私にここまで遠慮なく敵意(・・)をぶつけてくる者は久しぶりだ。それがどんな想いであろうとも、なかなかに心地よいぞ小娘よ。お前も私と同じか」

 

 だが……と短く呟いて。

 

「我ら二人。求める者はただ一つ……自覚していようがいまいが、我らは倶に天を戴かず」

 

 求める者はたった一つ。たった一人だ。絶対に、決して、誰であろうとも譲らんぞ。言葉にはせずとも確かに伝わった熱き想いに賈詡は―――気圧されたのは一瞬だ。戦乱を経験し、完全に化けた彼女は張譲の圧力すらも耐え切れる強さを身につけていた。ここでは死んでも退けないという強い想いで、張譲をさらに強く睨みつける。その視線に晒されながら、張譲は気にとめずに最後にもう一度李信を強く抱きしめ何が愉快だったのか笑いながら宮中の奥へと歩き去っていった。

 

「……ちょっと!! ちょっと、李信!? 何よ、あいつは!?」

「詠ちゃん……張譲様にそれは失礼だよ」

 

 あまりの噛み付き具合に董卓がやんわりと注意をするものの、賈詡の勢いは止まらない。李信としては、張譲と賈詡が何故ここまで噛みあわないのかと不思議でならなかった。才を愛する張譲ならば、賈詡のことは大層に気に入るのではないかと思っていたからだ。いや、実際に言葉では不穏なことをどうこう言ったが、実のところ気に入ったのではないかと、李信は考え直す。本当に嫌っているのならば、あの張譲録に話しかけることもしないからだ。賈詡のほうは……どうやら第一印象はあまりよくなかったようだ。面倒なことだと、賈詡を宥めながら論功行賞が行われる間へと急ぐ。賈詡や董卓の緊張もほぐれたようで、それだけが幸いであった。

 

 やがて三人は巨大な、それこそ賈詡や董卓が見たことがないほどに大きな部屋へ辿り着いた。普段通りとなった賈詡達ですら、思わず気圧されるほどの人がそこには集まっている。武官、文官問わず、謁見の間を埋め尽くす人だらけ。これら全てが漢王朝を支える者達なのか、と息を呑む。三人は集団の一番後ろへと待機し―――しばらくすると趙忠が皆の前に姿を現した。ざわめいていた集団がシンっと静まり返り、ガーンと鐘が鳴らされる。

 

「皆の者、拝礼せよ。弁皇女(・・・)の御入殿である!!」

 

 一切に皆が跪く。賈詡達も慌ててその場に膝をつき拝礼するも、皇女を見ようという気持ちはあれど、恐れ多くも漢王朝の皇女様。視線を送ることなどできよう筈がない。だが、何故皇女がでてくるのか、と不思議に思うのは当然で、このような場合皇帝である劉宏が行うからだ。そんな疑問が表情に出ていたのか、李信が小さくその答えを賈詡へと囁いた。

 

「……大きな声ではいえないが、劉宏陛下はあまり身体が調子がよくないらしい」

「……そうなんだ。式典にもでられないほど?」

「さてな。末端の俺には調子などわから―――」

 

 李信の言葉が途中で止まった。何事かと賈詡が顔をあげれば彼の視線はゆらゆらと揺れながら歩いて現れた一人の少女の姿に釘付けとなっていたからだ。女に夢中になっていることに若干の腹が立った賈詡だったが、その少女を見て悲鳴を抑えるのが精一杯であった。漆黒の長い髪を揺らめかせ、触れれば折れるのではないかと思われる細い肉体。仙姿玉質……人とは思えない、思わせない病的なまでの美貌。だが、それ以上に彼女はおかしかった。決定的に理解が出来なかった。彼女が背負うのは()。いや、そんな言葉すら生温い。地獄の亡者すらも裸足で逃げ出す、どうしようもないほどに壊滅的で絶望的な人の世の全ての怨念を背負って劉弁は玉座に座った。ありえない。何故耐えられるのか。何故生きていられるのか。あれだけの人の憎悪と嫌悪。悪意と怨念。忌み嫌われ、死を望まれる。数万数十万などという数ではない。数百万でも足りない。数千万、数億。或いはそれ以上の()を背負い、それでも平然としている化け物がこちらを静かに無感情に睥睨している。あれは魔王だ。あらゆる人の上に立ち、あらゆる王の上に立ち、万象全てを支配し、気に入らなかったら破壊する。なぜ、なぜ漢王朝が劉弁をあまり表に出さないのか。こんな存在を公表してよいわけがない。その気になれば漢王朝すらも歯牙にもかけず滅ぼすであろう化け物が。まさか王族などで存在しようとは。

 

「……それではこれより論功行賞を始める!!」

 

 賈詡の思考を遮るように、趙忠が論功の開始を宣言した。

 

「まずは皆のもの。反乱軍の鎮圧、大儀であった。今回は特に功の厚かった四人を賞する!! この四人には特別に……祝いの剣を授与しよう!!」

 

 本来であるならば、劉弁から祝いの剣を贈って貰いたい所ではあるが、相変わらず何を考えているのか不明な爆発物的な皇女様に、これ以上余計なことはさせられぬ、と趙忠は途中で文言を変える。この論功行賞に顔を出してもらえただけでも奇跡的なことなのだ。それで今は満足するしかない。

 

「それでは第四功……皇甫将軍前へ」

 

 今まで静寂を保っていた謁見の間に喚声が響き渡る。武官、文官ともに皇甫嵩の功績を褒め称えていた。

 

「討伐軍を従え反乱軍を鎮圧した貴殿の功績は実に見事。褒美として爵位を一つ昇級。金二千と宝物十点を授ける」

「ありがたく」

 

 趙忠の前にて進み出た皇甫嵩が膝をついて彼から祝いの剣を受け取った。内心では殆ど何もしてないんですけどね、と棚から牡丹餅状態の自分に呆れつつ自分の立ち位置へと戻る。その際に最後尾にいる李信をちらりと見て、ふぅと吐息を漏らした。

 あれが李信。張譲の保護して欲しいと願った男。反乱軍鎮圧の時に見た荒れ狂う獣の姿。なるほどなるほど。どうやら自分は完全に勘違いしていたらしい。あれは近い将来必ずや自分達将軍の位を突き抜けていく存在だ。戦場で生き、戦場を支配する。まさかこんな時代においてあんな化け物が生れ落ちるとは。いや、或いはこんな時代だからこそかもしれませんね、と新たな世代の息吹を彼女は感じ取っていた。

 

「第三功。郡城の住民にこれを授ける。彼らの多くがただの市民でありながら漢王朝のために命を投げ出し戦った。それは賞賛に値すべきことである」

 

 ひぃっと悲鳴をあげた郡城の住民代表がカチコチに固まりながらも前に出て趙忠の前で跪いた。趙忠のこの言葉は嘘偽りのない本音であった。彼もまた元々はそこまで位が高くない文官であった。だがそれこそ智謀を張り巡らして全てを賭けて十常侍筆頭にまで上り詰めた彼だからこそ、ただの一般市民が数万にも及ぶ兵士から街を守りきったことに対する感動を覚えた。彼らを賞賛することに何のためらいがあろうか。

 

「第二功。太守傅燮。及び賈文和」

 

 ついにきたか、と賈詡が気合を入れて立ち上がった。この広間にいる全ての者からの視線を一身に浴びた彼女は、かつてない緊張に襲われる。地に足がついていない。頭がふわふわとするなか―――落ち着けという隣の李信の言葉に我を取り戻す。軽く頭をふって前へと出て行く賈詡に、初めての時は自分もああだったと懐かしい思いに浸っていた。いや、それよりも……。

 

「……何やってんだあいつ(・・・・・・・・・)

 

 隣にいた董卓にしか聞こえない呟き。それを董卓は賈詡のことかとも思ったが、友は特に失敗をするでもなく趙忠から褒美の剣を受け取っている。一体誰のことを言っているのか、と疑問に思えど……結局董卓にはその意味を理解できなかった。肝心の李信は他のことを考えていたせいか、賈詡の論功もいつのまにかおわっており、彼女は特に大きな失敗をするでもなく李信の横へと戻ってきた。昔の自分よりよほど据わっている賈詡の心に苦笑。かつては何がなんだかわからずに、前に座っていた土門将軍を踏み潰して歩いていったこともあった。よく斬られなかったな、俺はと内心で呆れる李信。

 

「そしてこれが最後であり、最大の功。第一功にして、特別大功(・・・・)である」

 

 ざわりっと空気が揺れた。そこまでの功績を残した武将がいるのか。

 第一功にのみならず、本来ならば授けられることのない特別な大功。それを授与されるなどこの場に集まった彼らでさえも聞いたことがない。

 

「涼州独立遊撃部隊。飛信隊……隊長の李信、前へ」

 

 まさかこのような場で李信を論功することになるとは。政的である張譲の懐刀、自分の多くの策謀を打ち破った憎き男。だが、それでも今回の彼の残した武功は褒め称えられるべきである。それだけは認めねばなるまい。ふん、と目の前に来た李信を睨みつける趙忠であったが、肝心の彼の視線は趙忠にない。趙忠の背後(・・・・・)に送られる視線に、なんだと疑問に思えば―――。

 

「……飛信、隊? 李信……? 李、信だと?」

 

 がたっと音がした。まさかと思って振り返れば劉弁が玉座から立ち上がり信じられないものを見た、と驚きを露にしている。そんな彼女の姿を見て、驚くのはこちらだと言わんばかりに趙忠が頬を引き攣らせた。決して感情を見せない、漢王朝の全ての闇を背負って生まれたのではないかとも噂される劉弁が、何故にこのような絶対にありえない姿を見せているのか。ざわめく全ての配下も気にも留めず、ふらふらと李信の下へと歩み寄っていく。李信の目の前まで辿り着いた劉弁は、彼の頭の先から足元まで、ゆっくりと視線を這わせる。

 

「……あぁ……あぁ。お前か。お前なのか。お前なんだな、李信。生まれ変わりか、或いはそれとも―――」

 

 口を抑えてポロポロと涙を流し始めた黒髪の美少女。そんな皇女を前にして李信は眉を顰めて。

 

「何やってるんだよ、お前。何時から()になったんだ……政」

「ああっ……くそっ……わかるのか、お前、わかってくれるのか……お前は、なぁ、信。こんな姿形も変わってしまった……この()のことを」

「馬鹿か、お前は。姿が変わったくらいで(・・・・・・・・・・)俺がお前を見間違えるか」

「……ああ。そうか。そうか。そうか。ああ、馬鹿め。ああ、くそっ……俺しかいないこの世界。空虚で生きている意味がなかった我が人生。意味があったのか……あったんだ。お前がいるならば、お前のおかげで、俺の世界は色づいてくれた」

 

 劉弁が泣き始めた時点で謁見の間に怒号が響き渡った。感情を決して見せない劉弁の姿に一体何事だと騒ぎ立てる皆。張譲もまた、あの男はいつも自分の想像を超えることを巻き起こしてくれる、と興味深そうに李信達を見ていた。幸いに彼らが騒ぎ立てるおかげで李信と劉弁の会話は誰にも聞こえることはなかった。

 

「……信」

「ああ」

「なぁ……信」

「……ああ」

「信。なぁ、信よ」

「………ああ」

「信、信よ。ああ、李信」

「……うるせぇ。さっさと論功行賞すすめろよ」

 

 劉弁の何度もの確認に、面倒くさくなった李信が乱雑な返答をする。その雑さに、もしも他の者が聞けば卒倒したであろうが、何故か劉弁は喜色満面。李信の立場が偉くなるに従って、失われていったかつての関係。絶対に途切れることのない友人と言う立場は続いていたが、時には子供の時のようにこんな口調で語りかけて欲しかったという気持ちも残っている。それが嬉しい。気持ちよくて堪らない。だがこれ以上続ければ李信をおこらせるかもしれない、と気持ちを切り替えた劉弁は服の袖で己の涙を拭き取ると、傍で呆然としている趙忠に手を差し出した。

 

「趙忠よ。後は()がやろう。此度の最大の武功をあげたもの。余自らが称する」

「―――い、いえ。しかし」

不服か(・・・)?」

 

 ガクンっと趙忠はその場で跪いた。劉弁の放った言葉。それに身体が一瞬で屈してしまったのだ。身体が震える。心が悲鳴をあげる。なんだ、この少女は。今の今まで全ての闇を背負っていたというのに、それは今でも変わらないというのに―――それでも眩しい(・・・)。闇と光。強大なその二つを併せ持つ。長らく漢王朝に使えている身でありながら、こんな存在は見たことがない。

 

 趙忠から書簡を受け取った劉弁は、コホンっと軽く咳払いをすると内容に軽く目を通す。通していくうちに、彼女の表情が綻んでいった。相変わらず無茶苦茶な、なんという戦功をあげているのかと。

 

「この者は、先遣隊として送られてきた手下八部李堪を討ち取った。そして郡城戦では最激戦となった西壁の将として自ら先頭に立ちこれを守り抜き、更には手下八部でも名が知られている侯選と楊秋の二人の首を上げた!!」

 

 ざわつく謁見の間が別の意味で驚愕の声を上げる。戦乱の地涼州で名前が知られている手下八部のうち三人の首をあげる。さらには最激戦の西壁を最後まで守り抜いた。そんなことができるのか、と。

 

「あげた反乱軍兵の首級は一人で五千を超え、最後には反乱軍総大将の韓約を討ち取った!!」

 

 驚愕を通り越して皆が固まった。武功がどうのこうのという話を越えている。手下八部の首一つでもとてつもない功績だというのに、それを三つ。雑兵とはいえ五千。作り話ではないのかとも思えど、まさかこのような場でそんなことは話さないだろうし、論功しないであろう。ならば本当にそれだけの武功を為したのか。恐怖と畏怖の視線に彩られたそれら全てを背に受けて、されど李信は気にも留めない。

 

「飛信隊の信よ……大儀であった」

 

 艶やかに笑う劉弁が祝いの剣を李信に授けようとした時だった。

 他の者と同じように跪くかと思えば、なにやら少し考えた様子で、李信は悪戯小僧のように小さく笑う。

 

「……なぁ、政。どうすればいいんだ?(・・・・・・・・・)

 

 李信の言葉に不意をつかれキョトンとする劉弁に、ああそうかと彼女もまた小さく笑い返す。

 

「前の三人を見ていなかったのか? 片膝をついて(・・・・・・)有り難く(・・・・)……と」

 

 くはっと笑った李信が、片膝をつき劉弁が授けてきた祝いの剣を静かに受け取った。

 その姿。その光景。何故かわからないが、この時彼らは、二人の姿を見ている者の心を奪った。言葉では表現できず、皇女と独立遊撃部隊隊長という立場に天と地の差がありながらこの二人の姿はあまりにもしっくり(・・・・)きていたからだ。人の理解を越えた美しさに皆が一瞬静まり返るものの―――次の瞬間には大きな喚声へと変わった。もはや戦場にも近しい咆哮が飛び交う中、愛おしむように見下ろす劉弁が、思い出したかのように口を開く。

 

「そういえば知ってるか、信。この時代には私達(・・)の時にはなかった真名なるものがあるらしいぞ」

「……()って一人称なのか、お前」

「うるさいっ……別にいいだろ。それで、だ。知ってるかそのことを」

「ああ、そりゃ知ってるが。それが?」

「当然、私にも真名がある。(コウ)という。誰にも呼ばせたことがない名だ」

「……()? そーいえばなんか昔のお前の嫁さんも似たような呼び方じゃなかったか?」

「奇遇にも、な。ああ、本当に人生は面白い(・・・・・・・・・)

「全くだ。まぁ……これからもよろしく頼むぜ、()

 

 

 

 

 李信の言葉に、満面の花咲く笑顔で劉弁は頷いた。

 

 

 

「ああ、信。ともに生きよう。そして今度こそ―――ともに死のう」

 

 死が二人を別つまで。この漢という時代を精一杯一緒に生き抜こう。

 なぁ、刎頸の友。比翼連理たる我が李信よ。

 

  

 

 

 

 

 

 

 

  

                                   (了)




張譲「なぁ、李信。我が真名は凍華というんだが……」
李信「で、何かようか。張譲」

賈詡「ボクの真名は詠っていうんだけど」
李信「てか、傅燮の補佐に早く帰れ。賈詡」

劉弁「今宵もお前の歩んできた今生のことをかたってくれ、信」
李信「もう十回以上話しただろうが、勘弁してくれ、煌」

張譲&賈詡「ピキィ」


とりあえず、間に四年もあいていながらお待ちいただいた方々に感謝を。
なんとか予定していた話が終わりました。途中の伏線とか結構なげっぱなしですが申し訳ないです。特に孫呉メンバーについては実は結構忘れてました。劉備は後々の短編ででるかもしれません。長いようで実際の投稿期間は短かったのですが、色々と消化不良な点あると思いますが最後までお付き合いいただき有難うございました。

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