真・恋姫†無双 飛信譚   作:しるうぃっしゅ

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第19話:漢陽戦

 

 

 

 

 

 武装した六万の軍勢が遥か彼方よりやってくる。行軍の際に起きる兵士たちの歩みが、地震めいた大きな音をたて郡城にいる民の心を脅かす。敵兵の数は聞かされていた。どれだけの大軍なのか覚悟してはいた。それでも実際に六万という兵士を目の当たりにするとあまりの多さに、息を呑む。だが、それとは対極のことが反乱軍にも起きていることを城壁にいる者達は気がついていなかった。情報では傅燮は籠城を決めたとのこと。しかし、所有する兵士はわずか数千。それなのに、反乱軍から見える兵の人数は軽く万を超え、見渡す限りの城壁を埋め尽くしている。援軍でもきたのか、と予想する兵士たちとは異なり、韓約は城壁の上の兵士たちの正体にいち早く気がついた。だが、そのことについて自ら口に出すことはしない。今自分にできることは、反乱軍の暴虐を少しでも減らすこと。わざわざ傅燮の不利になるであろう発言はしないほうが良いと判断した結果だ。

 

「随分と多いですな。援軍が送り込まれたか……或いは、民を武装させたか」

 

 馬蹄の音とともに韓約の傍によってきた白髪交じりの長い髭が目立つ初老の武将。手下八部が一人……馬玩。この者もまた、涼州という戦場を生き抜いてきた勇将の一人。相手のどこか浮ついた雰囲気を遠くからでも感じ取っているのだろう。髭を擦りながら、慌てるでもなく敵の様子を窺っている。

 

 地平線の彼方より際限なく出現する反乱軍が、指示通り四方に散っていく。街から幾ばくかの距離を保ち、隊列を整えながらゆっくりと確実に包囲網を形作っていった。じわじわと包囲されていく光景を眼下に、城壁の上の兵士たちは心臓を掴まれたかのような緊張感と圧迫感を持ってそれぞれの武器を頼りにするべく強く握り締める。

 

「完璧に、包囲されたな……」

「……あ、ああ」

 

 それは反射的にでた言葉であった。街は反乱軍によって蟻一匹通さない厳戒な包囲網に絡めとられ、自分達の逃げ場が完全になくなったことを悟った故に無意識にでてしまった。これから自分達は目の前に立ち並ぶ反乱軍と殺し合いを行うのだ。逃げ場はない。もはや戦って生き残るか、負けて皆殺しにされるか。僅か二つの道しか自分たちには残されていない。

 

「戦ってやるっ!! ああ、もう戦うしか他にねぇんだ!!

「そうだ!! 俺もだ!! ぶっころしてやる!!」

 

 敵兵の重圧に恐れ戦き、それでも自らを振るいあがらせようと、若い民兵が雄叫びを上げる。それにつられて、周囲の者達も武器を片手に天へ向かって大音声で消え入りそうな心を燃え上がらせるべく咆哮が連鎖していく。完全に戦に対して舞い上がっている彼らの姿を遠目に確認した馬玩は、呆れたように肩を竦める。

 

「若い。無様なくらいに若い。平常心すら保てないとは……。間違いなく、民兵でございますな、これは」

「……ああ」

 

 馬玩の発言が広がっていった訳ではないが、彼らの様子に反乱軍の兵士達もまた気づく。自分達の相手が兵士ではなく、一般人が武器を持っているだけであると。それでも、反乱軍には戸惑う様子は見られなかった。何故ならば、民の虐殺は既に幾度か経験をしているからだ。無抵抗の者を殺して回ることすら慣れてしまっていた。むしろ、抵抗してくるのならば、逆に後ろめたさもなくなる。遠慮なく殺すことができるというものだ。そんな覚悟が完了している反乱軍の中で、少し異質な部隊があった。街を落とすことのみを考えている者が多い中、韓約の周囲を固めている騎馬兵は戦意を滲ませることもなく隊列を組んでいる。その数およそ五千。彼らの期待を背に、城壁へと近づいていく一騎があった。即ち反乱軍大将である韓約。容姿自体は幼く、体も小さい彼女の姿に、何故こんな戦場に子供がと城壁の者達が考えたのも束の間。

 

「反乱軍大将、韓約である!!」

 

 少女にしか見えない姿でありながら、彼女の声は遥か彼方にまで届き響き渡る。その声に驚き、そして彼女の正体を知った者達はさらなる驚愕に襲われる。

 

「昨日まで武器すらもたず暮らしていた貴殿達(・・・)の勇気、覚悟。実に見事!! この韓約、心よりの尊敬と賞賛を送ろう!!」

 

 自分たちがただの一般人であり、兵士に偽装していることがあっさりとばれたことに狼狽する民兵達。

 

「だが、ただの民がその気になっただけで戦が出来ると思うな!! それは勇気ではなくただの蛮勇でしかないぞ!!」

 

 韓約の威圧にも似た一喝に、知らず知らずのうちに体が震えた。

 

「所詮戦の素人でしかない貴殿達とは異なり、此方は日々戦に明け暮れる先零羌やそのほか多くの戦士達で構成されている!! そしてこの反乱軍の総大将は我、韓約である!! 他にも勇将と名高い手下八部とその配下の者達も参加している!! 万に一つも貴殿達に勝ち目はないぞ!! 無駄に命を散らすな、勇敢な民達よ!!」

 

 ばさりっと羽織っていた衣を風に靡かせながら、韓約は敵の民を褒め称えながらも声を張り上げていく。

 

「―――降伏し、太守傅燮を差し出せ!! さすればこの韓約が貴殿達の命を保障しよう!!」

 

 命を保障する。全ての民兵に届いた甘露なその言葉。ざわざわと、張り詰めていた空気が揺らいでいる。圧倒的な兵数の差、兵力の差を目の前で見せ付けられ訴えられた状態で、韓約からの悪魔の囁き。

 

「誰が降伏なんてするものかよ!!」

 

 これはまずいのではないか、と心配する正規兵を他所に、数人の歳若い民兵が片手を天に掲げ決死の覚悟で吼え、拒絶する。それにともなって全ての兵士が、よくぞ言ったと賛同するように地響きをも引き起こす巨大で相手を圧倒する大音声をあげた。ビリビリと空気が波打つ民兵としては有り得ないほどの戦意の高さ。予想外の戦への意欲に、驚きを隠せない韓約だったが、これを切り崩すのは現状不可能と読み、馬を後方へと下げさせる。そして副将である北宮伯玉の指示のもと、遂に反乱軍が動き出した。反乱軍の弓兵が巨大な盾を構えて城壁へと近づいていく。それを確認した城壁の上の兵士達も興奮と不安に苛みながらも、眼下の地平にて距離を詰めてくる敵兵へと狙いをつけた。射程にはいれば問答無用で戦が始まり、もはや戦争を回避することは不可能な事態に陥っている。その最中、下がって行った韓約へと北宮伯玉が馬を寄せてきた。

 

「困りますね。勝手に民の命を助けるなど約束しようとされては」

「この街における要は間違いなく傅燮であろう。あやつさえ欠いてしまえば、民は烏合の衆へと戻る。さすれば命までとる必要はないぞ。逆に中央へと攻め入るための時間も節約できるというものだ」

 

 眉を顰め、韓約を非難する北宮伯玉に、理路整然と反論をすると、ふんっと鼻を鳴らす。それを聞いていたのか、傍に仕えていた馬玩もまた北宮伯玉と韓約の間に馬を割って入らせた。それはまるで主を守る従者のような行動にも見える。実際のところ、馬玩が忠誠を誓っているのは韓約に、だ。事実彼女が反乱軍の大将ではなかったら間違いなく参加していなかったであろう。

 

大将(・・)が決めたこと。如何に副将とはいえそなたが異論を唱えるのもおかしなものだ。ワシとしても韓約様の方に理があると思うがな。それに先程の韓約様の言は、配下からの陳情(・・・・・・・)故に、だ」

「……陳、情?」

「うむ。北地郡の胡族から傅燮の命は助けて欲しい、と皆が頭を下げて韓約様に願った。韓約様はそれを受け入れたに過ぎん」

 

 馬玩の言葉に、北宮伯玉は初耳だと言った様子で、沈黙を保っている韓約から幾許か距離を保ちながらも周囲を護衛している五千の騎馬を見やる。副将からの鋭い視線を受けながら、彼らの心が揺らぐことは微塵もない。彼ら胡族にとって傅燮は大恩ある人物だ。せめて彼女だけでも故郷へと無事に帰したい。その想いのみで、命を賭けて韓約へと願いでたのだ。

 

 結果は残念なものになってしまったが、未だ彼らは傅燮を助けることを諦めていないのは一目見ればわかってしまう。その姿に、北宮伯玉はチッと舌打ちを行う。だが、最悪の事態は避けられたことにも安堵した。もしも先程の韓約の降伏勧告が受け入れられてしまえば、仮にも総大将が約束した事柄。そう簡単には違えることは出来ない。民四万の命は保障したうえで、傅燮も人質として預からねばならなかった。彼女を傷つけることは間違いなく胡族が許さないだろう。もしも傅燮の首を跳ばそうと思えば、胡族の騎馬兵五千を切り捨てねばならない。それは戦力的に痛いという話を超えてしまっている。故に郡城の民兵達が傅燮の引渡しを拒否したことは北宮伯玉にとっては吉と出たということだ。

 

 手下八部が所属してから、韓約を自分の思うとおりに操ることがなかなかに出来なくなっている。彼が韓約の家族を人質にして無理矢理大将に仕立て上げたことまでは流石に手下八部もわかってはいないようだが、時間が経てば経つほど事実が明るみとなる可能性は高まっていく。韓約が漏らすことは恐らくないだろう。それを周囲に漏らせば家族に害が及ぶと脅しているからだ。だからといって、このまま放置というのも将来的に見れば自分にとっては不都合に寄っていく。漢朝を滅ぼす頃には彼らには退場願うか、と策を巡らし始めると、遂に反乱軍が城壁の弓兵の間合いへと到達した。

 

「―――射てぇぇ!!」

 

 中央の司令室にて間合いを計っていた賈詡の合図を皮切りに、城壁の民兵による弓の一斉射撃が始まった。降り注ぐのは数千、数万にも及ぶ矢の大雨だ。幸いにも、敵兵の数は膨大。狙いをつけずとも、矢を放てば敵兵の誰かには当たる。そのため彼らはただひたすらに狙いをつけることもなく城壁へと迫ってくる反乱軍へと矢を射っていた。大盾を構え城壁へと近づいてくる敵兵に、矢の多くは防がれるものの、それらの隙間を縫って、突き刺さる矢も多い。悲鳴をあげて倒れる反乱軍ではあったが、その屍を越えて彼らは進む。やがて敵兵が城壁へとさらに近づくことに成功し―――つまりそれは、反乱軍からの弓矢の間合いとなったことを指し示す。

 

「正面に各員、集中射撃を!!」

 

 合図とともに反乱軍からお返しとばかりに放たれる矢。しかもそれは、民兵のような出鱈目に射っているものではない。狙いを定め、確実に敵を倒す一斉射撃。城壁が高いとはいえ、空に向かって撃たれた矢が、放物線を描いて城壁の上の兵士へと降り注ぐ。顔に、腕に、胸に、膝に、足に突き刺さった矢が激しい痛みとともに戦いへ対する恐怖を呼び起こす。

 

「怯むな!! 恐怖に負けるな!! その痛みこそが戦いだ(・・・・・・・・・・)!! 勇気を振り絞り、立ち向かえ!!」

 

 傅燮の檄に、痛みに下を向いていた民兵の顔が変わる。必死の形相で、痛みに耐えながら矢を放つ。そんな矢が互いに降り注ぐ撃ち合いになっている最中のことであった。反乱軍が幾つもの梯子を縛りつけ、長大な長梯子を準備し始め、それを何十人もの力を利用し、郡城の城壁へと架けようと試み始めた。ギリギリに撓らせた梯子が、凄まじい勢いで城壁へと向けられる。それが城壁に衝突、巻き添えをくった民兵たちが吹き飛ばされた。侵入を防ぐ高い城壁を利用した籠城を考えていた賈詡達を嘲笑うように、あっさりと梯子を架けられ、そこを反乱軍の兵が登り始める。想定外の事態ではあるものの城壁へと登らせるものか、と梯子の前で立ち塞がっていた民兵を、反乱軍兵は容易く斬り殺す。単純に反乱兵は強く、民兵が戦うには数人でようやく一人といった力の差がそこにはあった。必死に抵抗はすれど、民兵はいいようにやられていく一方で、それが反乱軍兵をさらに勢いづかせる結果となっていた。梯子を架けられた場所を拠点とし、次々と兵士が梯子を駆け上がってくる。幾らなんでも力の差がありすぎるという疑問を覚えた賈詡が目を凝らしてよく見れば、登ってきている全員の武装は統一されていて、()の旗が風にたなびいていた。その事実に気づいた賈詡が頬を引き攣らせる。

 

侯、選(・ ・)!? こんな頭からなんて部隊を送り込んできてるの!?」

 

 賈詡の悲鳴染みた絶叫に、傅燮と董卓、その他の文官も開いた口が塞がらない。戦の緒戦も緒戦で、手下八部が一人。侯選配下の兵隊が捨石にも等しい突撃を行っている。なんて無茶苦茶な、とも思えど―――これは理に適っていた。幾ら民兵といえど、経験をつめばつむほど厄介になっていくだろう。つまりは彼らが戦に慣れる前、未だ緊張で身体もろくに動かないであろう緒戦において精鋭の兵士が攻め込めば一方的な戦いにしかならない。こちらが民兵だと気づいてから城攻めまで僅かな時間しかなかったというのにそれを思いつき実行する。流石は戦上手の手下八部が一人、侯選。気がつけば、西壁の梯子を架けられた場所を中心として既に百人以上がさらに拠点を広げようと猛攻を仕掛けてきていた。だが突如そんな侯選兵の一部が消し飛んだ(・・・・・)。一瞬で数人の手練れが宙に舞い、何事とか注意をそちらに向ければ大矛を振り回す李信の姿があった。

 

「ちっ……正面からまともにやりあうな。囲って殺せ!!」

 

 この場でもっとも厄介な相手だと見抜いた指揮官が、周囲の兵に指示を飛ばす。それを受け、民兵を蹴散らしていた侯選兵が即座に李信を取り囲もうと動き出すが、わざわざそれを待つ馬鹿はいない。大矛の僅か三振りで、包囲網を作ろうとしていた精鋭を撃退し、新たな指示を出す間もなく苦労して作り上げた拠点を守る指揮官及び兵毎瞬く間に斬殺され、捻りつぶされた。未だ梯子を登ってくる新たな兵士を薙ぎ倒すついでの駄賃とばかりに、梯子を破壊すれば、それに掴まって登ってきていた兵士達が墜落しぐちゃっと肉が潰れる音を響かせた。

 

「ここは任せた、田徽」

「おうよ!!」

 

 華雄の配下として涼州を生き延びてきた生え抜きの一人。独立遊撃部隊の一員である田徽他数名にこの場を任せて李信は次の拠点へと足を向ける。西壁のあちらこちらで喚声があがり、架けられていた梯子が落とされていく。流石に西壁全てを李信が助けて回れるはずもなく、隊を三つに分けて拠点を潰しているところだが、華雄隊と高順隊もうまくやったのだろう。しかし、城壁がこれほど高いというのにあっさりと登られすぎじゃないかと思った李信だが、風向きに気づいてこれは仕方ないかと嘆息する。現在は西から東へと風が吹いており、西壁は敵に風上を取られた状態だ。矢の射ち合いにおける高低の有利不利を打ち消す強風が、城壁の上に降り注ぐ矢を強烈にしていた。城壁へと近づけさせない弩隊の矢が効果がないとは言わないが、本来よりも矢の嵐を潜り抜けやすい状況となっている。それは激戦区の西壁がさらに辛い状況に陥っているということだ。だが、裏を返せば現在の状況ならば東壁は有利な立ち位置をとれているということで、実際に東壁の弩隊は反乱軍の兵士を城壁に近づけさせないほどの凶悪な戦果を上げているところであった。北壁では蓋勲が、南壁では張遼がそれぞれ民兵を奮起させ互角以上に渡り合っている。つまりは、現状の問題はやはり―――西壁。

 

 飛信隊(・・・)と李信が名づけた独立遊撃部隊。副長華雄を筆頭にした涼州での異民族との争いを潜り抜けた超精鋭。しかしながらその人員は僅か百名。数万からなる大軍同士による戦争の大局を変えられるわけもなく、戦場とはそこまで易くはない。だが、城壁の上に限っては戦う場所が限定されているぶん、個の力が大きく発揮する。たかが百名。されど百名。その百名は、西壁にておおいに登ってくる反乱軍を撃退することに成功していた。その中で刮目すべきは、華雄高順胡軫の三人であろう。ほぼ一方的に敵兵を斬り、粉砕し、突き落とす。その強さ、連携の巧みさに中央の司令室から見ていた全員が驚きを隠せない。独立遊撃部隊の名に相応しく、日々異民族の侵略に対抗する為にあちらこちらを駆けずり回っていたが為に、彼らの力を直に目にする機会は殆どなかった。報告だけは受けていたが、ここ最近は特に眉唾な情報が多く殆どの文官はそれが水増しされたものだと考えていたほどだ。そもそも戦力比が数倍から十倍にもなる異民族との戦闘を頻繁に行いながら隊にほぼ被害がないなど誰が信用しようか。そう考えていた者達の考え全てを否定する圧倒的な()を持つ部隊が城壁を駆け巡る。そして、文官の皆はようやく悟った。何故賈詡があれほどまでに西壁に李信達を配属させることに拘ったのかを。

 

「いけるっ!! いけるぞっ!! 何と言う強さだ、あやつらは!!」

「あの小童、吼えるだけの力はもっておるっ!!」

 

 興奮冷めやらぬ文官達が驚嘆する司令室において、冷静な者達もいた。いや、彼女たちは半ば無理矢理に平静であろうと心がけているともいえた。武将とは異なり、軍師に必要なのは冷静な揺れない心。四方の城壁の情勢を見て、今出来る最善を尽くしていかねばならない。

 

「今のところはなんとか防げているようね、賈詡」

「はい。すぐに穴を開けられそうな城壁は……見受けられません」

「……凄いね、詠ちゃん。民兵の皆、あんなに必死になって戦ってる」

「うん。傅燮様を、月を守る為に、皆頑張ってる」

 

 民の皆が奮起している理由。それは傅燮と董卓の治世が良かったからに他ならない。腐りきった官僚が多い中、この地に平和と安寧をもたらすべく奮起してきた太守と県令。彼女達の努力には頭が上がらないことはこの街の民ならばわかりきっていることだ。故に彼らは民兵として最後の一人になるまで戦うことを誓った。自分たちこそが絶大な恩を受けた二人の為に命を投げ出すのだ、と。そして、そんな董卓は戦いを見ていることだけなど出来る筈もなく、行ってくるね、と短い言葉を残して負傷者の救助と治療に飛び出していった。それをとめることは賈詡にはできない。それに自分の為に命を燃やしている民兵をただ見ているよりも、何かしら動いていたほうが董卓の気も紛れるだろうという打算もあった。

 

「……民兵主体の、戦に不慣れな軍。今日が一つの鍵よね、賈詡」

「ええ。初日を持ちこたえることが出来るか。勿論、四方の城壁の指揮官も重要ですが、もっとも要とすべきは数の多い民兵。彼らがどこまで戦えるか……」

 

 それはつまり、戦いへ対する戦意。士気の高さ。恐怖に、痛みに、命を奪うことへの嫌悪に負けずに戦場に立ち続けることができるか否か。もしも、民兵がそれらを乗り越え翌日を迎えることができれば、この絶望的な籠城戦にも光明が差してくる可能性がある。賈詡は陽が沈みつつある空の彼方を見ながら祈らずにいられなかった。

 

 激闘が続く中、矢が届かない遠方で城壁の戦闘を見ていた一人が、小さくありゃりゃ……と呟いた。馬に乗った軽装の鎧を着た中年の男だ。無精髭を摩りながら、手に持っていた槍を持つ手に力を入れる。さらに城壁に作った拠点がまた一つ潰されていく光景を見て溜息をついた。

 

「俺様の配下があそこまで簡単にぶったおされるか。民兵にはちょいと無理だよなぁ」

「そうですね。正規兵が多く配置されているのでしょうか」

「うーむ。例えそうだとしても、ああまで簡単に俺様の直属兵が守ってる拠点潰すっておかしくね?」

「まぁ……おかしいといえばおかしいですけどね。でもなんといってもあの傅燮が大将の城ですよ? 想定外のことくらいおきますって」

「しゃーない。俺様がちょっくら行って暴れてやるとするかぁ」

「ええ? 指揮官自ら前線に行くって頭おかしいですよね、やっぱり。ねぇ、侯選様」

 

 侯選と呼ばれた手下八部が一人。無精髭の男は、副官の毒舌も気にせずに高らかに笑いながら新たに架けられた長梯子を駆け上っていく。トントンと梯子を蹴りつけ軽やかに、あっと言う間に城壁の上へと舞い降りる。彼の出現により、西壁の空気が明らかに変わった。自分達の主である侯選の出現に、直属兵の気がより一層引き締まる。彼らは無様な姿を見せるものか、主の為に敵を一人でも多く、早く倒すべく気炎を吐いた。

 

「おー、頑張れ頑張れ」

 

 軽い応援とともに繰り出されるのは、常人では視認することすら不可能な超速の突き。突かれた相手は自分が侯選に突き殺されたのだと気がつく間もなく仕留められていく。突く速度も驚異的だが、引き手の速さも異常であり、連続で放たれる突きは三度突いたというのに一度にしか見えないほどのものであった。鋭い槍の穂先が、次々と民兵を刺殺していく。一気に加速していく拠点作りに、順調順調と戦場にあるまじき楽しげに笑い声まであげるしまつ。だが、突如として彼の鼻歌が止まった。慌てた様子である方角に顔を向ければ、常に飄々としている侯選らしからぬ焦燥を表情に浮かべている。珍しい主の姿に、彼の周囲で戦っている一部の直属兵がどうしたのか、と問い掛ける暇もなく、拠点を広げてていた侯選兵が、李信によって薙ぎ倒されて半円状に形作られていた陣形が歪に歪む。

 

「……なんだ、ありゃ。外れてる(・・・・)にも程があるだろ」

 

 自然と引き攣った頬を誤魔化すために、周囲の部下達を安堵させるためにもなんとか普段通りの自分を演出しようと試みるも、なかなかにそれは直らない。戦場においてなお、異質異端な悪鬼羅刹の登場に、瞬間的に撤退を考えるもこの城壁の上から逃げ出すのは難しい。

 

「てっ……ああ、くそ。これも作戦のうちか(・・・・・・・・・)。ただ籠城するだけじゃなかったってことかよ、こいつら」

 

 単純に籠城するだけでは援軍を待つ間持つかわからない。守城を続ける中でも傅燮側としてもなんとかして反乱軍の戦力を削っていきたいという思惑があった。現状反乱軍が嫌がることは二つある。それは時間を浪費することと戦力を失うこと。時間をかければかけるほど漢王朝の反乱軍への対応は万端となってしまう。戦力を削られたとしても、彼らにそれを補給する人員がいない。例え出来るにしても、今は日和見に徹している異民族に味方になるように説得し引き連れてこなければならず、時間がおおいにかかってしまう。理想としては弩隊による弓矢による攻撃で削るのが理想だが、それだけでは難しい。故に城壁にあがられた時点で、兵数の差を利用してまとめて敵の戦力を確実に削っていく。無論この方法は諸刃の剣だ。下手をしたら城壁を突破され最悪の事態に陥るかもしれない。必要なのは圧倒的な力。どんな戦場でも支配できる絶対強者が要。だから賈詡がこの策を授けたのは李信にだけであった。

 

「李信!! その男、絶対にしとめて!!」

 

 賈詡の指示に応、という短い返事を残して、李信の肉体が疾駆する。それは荒れ狂う竜巻。触れればそれだけで消し飛ぶ人型の天災。侯選までの線上にいる者全てが無情の死を遂げる破竹の進撃。李信の狙いに気づいた侯選兵が彼の足を止めようと立ちふさがるものの、秒ももたずして人壁を突破され、侯選へと迫られた。

 

「こいつは参った。李堪を殺したのもお前さんの仕業かね。勝てないまでも……腕一本くらいは貰っていくぜ」

 

 李信が自分の直属兵を突破した僅かな隙ともいえぬ隙を狙って、繰り出されるのは侯選の突き。だが、それを見ていた全ての人間が一驚させられた。何故ならば放たれた侯選の槍が、ぐにゃりっと途中で撓り軌道を変化させる。言葉通り李信の片腕を狙っていたはずが、槍の穂先は狙いを変えて彼の胸へと突き刺さらんと突き進む、これこそが龍指(・・)と呼ばれる槍使いでも達人級の者しか使いこなせない秘技。これを初見でかわすこと、防ぐことが出来る者はそうはいない。ましてや侯選は中華七槍と呼ばれる領域の達人。もしもこれの標的になったならば、華雄や張遼であったとしても致命となる一撃となったかもしれない。

 

 バキィと何かが砕ける音が響き、激しい痺れが侯選の手に残る。一瞬で槍を握る握力が奪われ、手が震えた。気がつけば李信へと放たれた槍は、彼に届く前に大矛で叩き落され槍の途中から砕き折られている結果がそこにはあった。

 

「はっ……中華は広いねぇ」

 

 どこか呆れを乗せた最後の言葉を皮切りに、大矛による胴に向かっての右薙ぎが、侯選に回避する暇も与えず下半身と上半身を真っ二つに両断した。斬り飛ばされて城壁の下へと落下していった上半身が、数秒後には地面へと墜落。やがて城壁の下にいた誰かが悲鳴をあげはじめる。それは爆発的に反乱軍に広がっていった。即ち―――手下八部が一人。侯選討ち死に、と。 

 

 誰もが知る勇将の死に、反乱軍の足が止まる。唯一干戈を手に李信へと襲い掛かったのは主の仇をとるべく激しい怒りに身を任せている侯選兵のみであった。だが、それらも誰一人として李信に傷一つつけることなく程なくして殲滅された。

 

 よし、と両手を握って喜びを露にする賈詡。この緒戦において手下八部を退場させられたのは非常に大きい。ああいう武将は残っていれば後になればなるほど厄介な存在となる。ざわめく敵陣とは異なり、此方の戦意は最高潮だ。涼州ならば誰もが知る孟将の首をあげることができたのだから。

 

「……初日が最初の山だったわね、賈詡」

「はい。見てください、傅燮様」 

「ええ。日暮れ(・・・)、ね」

 

 何時の間にか薄闇が世界を支配しつつある時間になっていた。太陽は沈みかけ、もう間もなく夜の帳が起きる自分。城壁の上の反乱軍は完全に駆逐され、成果も見込めないことを悟ったのか、彼らはそれぞれの上役の指揮のもと、夜営の準備の為に引いていった。撤退していくまだまだ膨大な数の敵を見ながら、それでも民兵たちは互いに顔を見合わせて―――天に向かって手を突き上げた。

 

「うおおおぉぉぉぉぉ!!」

「やったっ!! やったぞぉぉおお!!」

「うおっしゃああああーーー!!」

 

 まだ初日が終わったにしか過ぎないというのに、まるで勝ったかのような民兵の姿。それでもこれは仕方のないことだろう。初めての戦。既に多くの血が流れ、友が、家族が死んでいった。それでも、確かに自分たちがこの街を守ったのだ。自分たちの行動は決して間違ってはいない。この興奮の雄叫びはそれを確認する意味でもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 二日目。初日の夜は興奮と緊張もあってろくに休めなかった民兵達であったが、それでも戦意は高い。傅燮の檄が効いていると言う事もあるが、戦争の初日を生き延びた、ということが彼らに自信を与えることとなった。自信の大きさは士気の高さに直結する。たかが一日と侮ることなかれ、戦争における勝利とは人を十分に化けさせる(・・・・・)経験に他ならない。既に彼ら民兵は兵士(・・)としての顔つきとなって、それぞれの城壁を突破させてなるものかと準備万端に待ち構えていた。

 

 攻城戦である以上、反乱軍としても正攻法でかかるしかない。奇抜な手などそうあるわけでもなく、傅燮軍と反乱軍の戦いは初日の焼き増しを見ているようでもあった。ただ今回は、無風な状態が多く弩隊による矢の乱雨による効果が守城側に大きく働き、高低の差がそのまま有利不利となっていた。あまりの矢の多さにろくに城壁に近づくことも出来ない反乱軍。次々と負傷兵が運ばれていく中、胸中穏やかにいられないのは反乱軍の副将である北宮伯玉である。正直な話、ここまで苦戦するとは夢にも思っていなかったからだ。噂に名高い傅燮といえど、たかが数千の兵では相手にもならないと思っていた。民兵が城壁にいるのを見たときでさえも、たかが民兵と侮って、蓋を開けてみればこのような結果。

 

「なんなんだ。こいつらは……」

 

 反射で漏れた本音は反乱軍と傅燮郡との争いの怒号で誰に聞かれるでもなくきえていく。相手は戦いの素人でしかない。下手をしなくても初日で落とすことができるのでは、と踏んでいた予想を覆され、苛立ちのあまり頭を強くかきむしる。さらに手下八部の一人の侯選も討ち死にするという信じられない報告もあるしまつだ。確かに若干の邪魔を感じてはいたが、まだ本命となる漢王朝との戦も始まっていないこの段階で失われるには大きすぎる損失である。如何に野戦を得意とする騎馬民族中心とはいえ、ここまでいいようにやられるなどあるはずがない。ましてや先程も述べたとおり、手下八部の侯選まで倒すことが出来る人物が西壁にはいる。

 

「くくく……はーはっはっはっは!! 随分と頭にきているようだな、伯玉よ!!」

 

 鼓膜が破かれるのでは、というほどに大きな声が本陣に響き渡った。ビリビリと空気を揺らすほどに大きな圧力を迸らせながら、一人の男が現れた。強いて言うならば、巨人(・・)。その体躯や七尺に届きかねないほどのもの。髪を綺麗にそりあげ、体躯に相応しい巨大な錘を背に担ぎ、地獄の鬼もかくやという不気味な笑顔を浮かべてやってきた。

 

「……楊秋殿か」

「いかにも!! 聞いたぞ、伯玉。なんでもあの侯選が討ち取られたとな!!」

「ああ。戦の初日に西壁に登ったのは良いが、あっさりと敗北したらしい」

「ぐはははははは!! 侯選ほどの使い手がよもや民兵如きに負けるはずがない。そこらの兵士も同様だ!! 西壁には随分と手練れがいるようだな!!」

「……あいにくと誰が侯選を討ち取ったかまでは不明だ。城壁にあがっていたものは全員殺されている。だが、遠目で華雄(・・)なるものが確認されたとの情報がある」

「ほう!! あの噂に名高き戦場に咲く花か。その実力、何でも漢陽でも一、二を争うと聞くぞ」

「噂が確かならば、侯選を討ち取れるかもしれない。だが……」

「おう!! 李堪と侯選……強さの質が違う。遠距離と近接を得意とする正反対の武将同士。その二人を討ち取るなど至難の技だ。或いは……華雄以上の使い手がいるのやもしれんな!!」

 

 反乱軍にとっては不穏な話となるのに、楊秋は高らかに獣の如き笑い声をあげている。強い者がいる。自分と戦える者がいる。それだけで身体中の血管という血管を熱い期待と興奮が駆け巡っていく。

 

「苦戦が続くようならば、俺の部隊を出しても構わんぞ」

「……貴方の部隊はまだ温存して貰いたい」

「ふふん。よかろう!! だが、もしも四日目までに城を落とす見込みがたたなかったならば、明日は俺の好きにさせてもらうぞ!!」

「……はい」

 

 渋々と北宮伯玉が頷いた。本音のところ楊秋と彼の率いる部隊は言葉通り温存させておきたい。反乱軍でもずば抜けた破壊力と突破力を誇る最強の部隊と武将。来る漢王朝との決戦の時の為にも、彼らをここで無駄に消費させてしまうのは悪手である。特に彼らは野戦を得意とし、攻城戦にはあまり真価を発揮できないだろうことは簡単に推測が出来る。それでも、この男が好きにするといったら好きに行動を起こすのだろう、実際この反乱軍で楊秋をとめることができる者はいない。他の手下八部とは少し気色が違うこの男が興味があるのは力のみだ。反乱に参加したのも韓約に忠誠を誓うというより、戦場が彼を呼んでいたからといった方が良い。

 

「ふはははははー!! 見よ、天が俺を怖れているわ!!」

 

 蒼天にかかっていく雲を見て、去っていく巨人の姿に溜息一つ。これは彼らを前線に出さないためにも早期決着をつけねばなるまい、と指示気合を入れなおした北宮伯玉が各方面に伝令を送った。各自全力を持って城壁を攻略すべし。副将からの指示があれど、決して止むことがない弩隊の矢の嵐と、兵士となった民兵が城壁への侵入を防ぎきる。そうして二日目の戦も多くの犠牲をだしながら、一日を終えるのであった。

 

 

 そして―――三日目。

 城壁の上にいる民兵達の動きは明らかに鈍かった。夜間に休めるとは言っても、怪我を負ったものは痛みで碌に休めず、戦いへの緊張で満足に睡眠を取れる者の方が少ない。そんな状態で二日間も戦い尽くめ、三日目ともなれば疲労が全身を襲っている。それは正規兵ですらも同様だ。辛うじて変わらずに動けているのは、西壁の飛信隊。南壁の張遼隊くらいだろうか。あくまでもあまり変わらず(・・・・・・・)というだけで確実に疲労は蓄積されていっている。幸いにも反乱軍本陣から遠い東壁には、反乱軍の中でのあまり手練れの武将が配置されておらず、なんとかギリギリのところでもたせている状態でもあった。状態は最悪の一歩手前。何かがあればなし崩し的に前線が崩壊する。そこまでの危機感を持った賈詡は、司令室から四方の城壁を守るべくひたすらに指示を出し続ける。

 

「北壁薄くなってる!! 予備兵千をつれて蓋勲様のもとへ!! 紫洪、張遼の援軍に予備兵から五百つれていって!! 間永、同じく五百つれて東壁へ!!」

 

 怪我をした民兵は董卓や女子供の治療部隊にまわされ、かわりに予備兵と交代となる。初日と二日目でかなりの人数が予備兵と交代しているため、予備兵の数も尽き掛けているのが現状だ。それでも援軍を回さねば城壁が落とされる。それがわかっているから予備兵を使うしかない。

 

「くそがっ!! ばけ、ばけものめっ!!」

 

 そんな中、荒れ狂っている戦士がいる。李信は普段と一切変わることなく、ただただ大矛を振るい続ける。一振りするごとに敵兵がそれぞれの干戈毎薙ぎ倒され、斬り殺された。鬼神もかくやという咆哮をあげ、恐怖に萎縮する反乱軍の侵略を許さない。既にあげた敵兵の首級は二千を超え、それでも緩むことのない進撃に、味方であるはずの文官達ですら恐怖を覚えるほどのもの。

 だが、ともに戦う兵士達からしてみれば、頼もしいことこのうえない。李信がいればまだ戦える。疲労で鈍くなった身体と心に渇をいれ、前を向いて敵兵を討つ。一人一殺じゃなくてもよい。万全ではない自分たちならば二、三人で敵兵一人を道連れにできれば上等だ。

 

「戦える……戦えるぞぉ!!」

「おおぉぉぉ!! 俺たちは、まだ戦えるっ!!」

 

 城壁に倒れ伏していた民兵も立ち上がり、武器を拾い、剣で斬られようが槍で突かれようが、致命傷を負ったとしてもそれでも相打ち覚悟で反乱軍へと襲い掛かる。あまりの光景に、相対する反乱軍兵士からしてみても異様で異常にしか見えない。まるで地獄から蘇ってきたのではないかと思わせる民兵の姿に、李信とは異なる恐怖を覚える。心身ともに疲労している民兵の覚醒。それが四方の城壁の上でおこり、敵兵を押し返し始めた。多大な犠牲を払いながらもこの郡城が息を吹き返し、押し寄せる反乱軍を民兵達の手によって真っ向から跳ね除けられる事態に陥った。三日目が終了し、夕暮れを迎える頃には―――たかが民兵と侮っていた反乱軍の武将も兵士も、得体の知れない何かと戦っているのではないかという不安と薄気味悪さを感じるようになってきていた。

 

 

 四日目―――この日は反乱軍はこれまでと異なる様相を呈していた。

 普段であれば、既に攻城戦を仕掛けてきているというのに、今回は矢が届かない間合いを取って陣形を保っている。その様子を不思議に思えば、反乱軍より進み出てくる一人の騎馬があった。韓約―――ではない。馬にのった優男風の武将。

 

「反乱軍副将の北伯玉である!! 郡城の全ての民に告げる。お前達の反抗、実に見事だと言わざるを得ない!! だが―――」

「―――黙れぇい!! 伯玉よ!!」

 

 北宮伯玉の発言をかき消す超弩級の雄たけびが、反乱軍傅燮郡ともに一人残らず耳に届いた。声が通るという類ではなく、単純に声があまりにもでかい。反射的に城壁の上の民兵は耳を塞ぐ。北宮伯玉の後ろから巨大な馬に乗った―――これまた人とは思えぬ巨躯の武将がやってくる。彼は、副将の姿など目にもはいらぬと言わんばかりの態度で通り過ぎると馬から降りて地面に仁王立った。それと同時にドンッと地響きが聞こえる。何事かと思えば、北宮伯玉の背後に整列している兵士が、一斉に大地を踏んだ音であった。

 

「涼州最強!! 涼州最強!!」

 

 兵士達が雄叫びを上げる。

 

「中華最強!! 中華最強!!」

 

 決して揺るがぬ、その男の武を信じきっている兵士が叫ぶ。

 

「天下無双の絶対最強!! それは誰か!! それは誰だ!!」

 

 ドンっと再度の激しい足踏み。

 

「天下無敵の不敗の王者!! 楊秋!! 楊秋!! 楊秋!!」

 

 配下の檄をその背に受けて、七尺の巨人が堂々と城壁の前にて大錘を抜き地面へとたたきつけた。激しい衝撃音、生じた風圧が城壁の上にいる民兵の肌と心を揺さぶった。あまりの光景に少なくない民兵がその場に尻餅をつく。

 

「我こそが、中華最強―――楊秋であるぞぉぉぉ!!」

 

 その巨躯に相応しい迫力ある宣言が、傅燮軍の民兵の戦意を叩き折る。四日目まで戦ってきた彼らには自信があった。戦意があった。士気の高さがあった。それでも―――敵対者にて初めて出会った、真の強者。どれだけ多くの兵でかかろうとも太刀打ちなどできよう筈もない。彼方と此方の差は歴然としており、勝ちの目など皆無。ただすりつぶされるだけの勝敗のみが存在する絶対強者。

 

「……楊秋か」

「知ってるのか、華雄?」

「この涼州で知らない者を探す方が難しいぞ。奴の配下が言っている事はあながち間違いではない」

「そうでごぜーますな。なんでも戦歴は五十を超えるとか嘘くさい話ですが、あの様子を見るに本当みたいですな」

「……相当、強い。潜っても(・・・・)多分、きついね」

 

 高順が眉を顰めて楊秋の評価をする。李信から見ても妥当な話だ。距離があってもわかる、あれは本物の戦士だ。これまで戦った李堪や侯選もかなりの手練れだったが、そのもう一つか二つばかり格が違っている。

 

「郡城の者よ!! 攻城戦など、せせこましい争いなど俺は好かん!! さぁ、俺と一騎打ちをしようという勇気ある者はおらんのかっ!!」

 

 そして告げた楊秋の宣言に、何を言ってるんだと言った表情の両軍。攻城、守城に全力を尽くして四日目に突入したというのに、今更一騎打ちをしようなど意味がわからない。

 

「李堪と侯選を倒した者がいるのは知っているぞ!! さぁ、俺と戦え!! 俺に戦う喜びを教えてくれ!!」

 

 西壁にいる民兵が咄嗟に李信へと視線を送った。数千の眼で注目をあびた李信だったが、ついっと司令室にいる賈詡へと目線を向ける。判断を仰いできている彼の姿に、賈詡はこの状況における利益と不利益に何がおきるかを思考し始めた。そもそも手下八部とは反乱軍における大幹部である。それぞれが軍閥の長であり、涼州にその名を轟かせている武将達。本来ならば軍の後ろでドンっと構えている人間が、前線に出てきていることがおかしい。彼らを討とうと思えば尋常ではない被害が此方に齎される。その手下八部の一人が堂々と単騎で軍の前に出てきている。今ここで最強と名高い楊秋を倒すことが出来る機会。こんな好機は二度とないかもしれない。さらに、楊秋を討ち取ることができれば、民兵の戦意が間違いなく回復する。疲労で身体が思うように動かない今、重要なのは心だ。精神が肉体を超越して動かしているこのとき、戦意の高さは命綱となる。

 

 ならば受けなかった際の不利益は何か。勿論、手下八部の一人を狙うという好機が失われることは当然として、敵にしろああまで真っ直ぐと一騎打ちを望んで来た相手を袖にする。戦争である以上当然と言えば当然だが、民兵にはそれがわからない。こちらが逃げた(・・・)と判断するだろう。さすれば戦意はがた落ちだ。結果として、城壁を守る気力が果たして持つか。

 

 厄介な、と内心で臍を噛む賈詡。相手の一騎打ちの申し出を受けるしかない。果たして問題は、遠目で一目見ただけでわかる楊秋という名の怪物を打倒できるか、という話に直結する。例え相手の申し出を受けたとしても、敗北すれば結果は一緒だ。民兵の士気は極限まで下がるであろうし、反乱軍が感じていた薄気味悪さを消し去るほどの高揚感を与えるだろう。

 

 思索の為に下げていた頭を勢いよく上げ、じっと李信を見つめる賈詡。

 信じていいのね。ああ。

 二人は目線だけで会話を行うと、司令室の柵を両手で力一杯握ると天を仰いだ。

 

「―――その申し出、受けよう!! 楊秋将軍!!」

 

 可憐ながらも確かな芯の篭った賈詡の宣言。

 

「出番よ、李信!!」

 

 それは信用であり、信任であり、信頼であり、心頼であった。

 相手は涼州最強。手下八部が一人、楊秋。それがなんだ。それが一体なんだというのだ。

 反乱軍よ。傅燮軍よ。天下よ、知れ。李信永政という怪物を、心に刻め。

 

 賈詡に向かって握りこぶしを掲げて見せた李信が、城壁から垂らした縄を滑り落ちて地面へと着地する。驚いたのは反乱軍の全ての兵だ。まさか楊秋の姿を見て一騎打ちを受け入れ、さらにはこんな少年を立ち向かわせるなど正気の沙汰ではない。肝心の楊秋は、近づいてくる李信を最初は訝しげに見ていたが、それが徐々に変わっていく。

 

「ほぅ!! ほぅ!! わかる。わかるぞ、小僧!! お前、相当に強いな。外れているな!!」

 

 くははははは、と嬉しそうに笑う楊秋。笑うだけでビリビリとした威圧にも似た波動が周囲の敵味方問わず襲ってくる。大錘を地面から持ち上げると肩に担ぐ。

 

「嬉しい。嬉しいぞ。例え誰であろうとも、俺に立ち向かっている者がいる。こんな嬉しい事があるだろうか」

 

 子供のようにきらきらと眩しい笑顔を浮かべて心の底から楊秋はこの状況を楽しんでいた。

 

「本音を言おう。この楊秋……戦いへ対する失望しかなかった。自分が最強であることを知っていたからだ。戦いへ対する熱も失われ、失望しか胸に抱けていなかった」

 

 胸中を嬉しげに語る楊秋を前にして、李信は黙ってそれを聞いていた。

 

「初陣からこの時まで、俺には敵がいなかった(・・・・・・・・・・)。 この涼州という戦乱に明け暮れる世界にて俺は戦い続けた。もはや五十の戦場を経験し、それでも一度も俺に敗北はない。一度も、だ!!」

 

 五十の戦場を、死線を越えてなお、たった一度の敗北も知らない。正真正銘の無敗の男。

 

「その俺が!! 天の気まぐれでこの中華の地に落ちた、人の枠組みを外れて生れ落ちた超越者であるこの俺が!! ようやく出会えた!! 俺と同じく人の枠を外れた者と!!」

 

 大錘を両手で握り締めると、さらに手に力がはいる。ビキっと金属が軋む音さえさせて、楊秋が李信へと今にも襲い掛からんと構えを見せた。

 

「名乗れ、小僧!! 俺と同じ超越者よ!! お前を喰らい、俺は真の意味で中華最強とな―――」

「―――話がながいぞ、あんた」

 

 切り上げられるのは李信の大矛。右斜め下から放たれた龍の顎の如き刃がヒヤリっと楊秋の背を撫でる。それは彼が初めて感じた死の予感。死ぬぞ、という死神からの呼び声であった。対する楊秋の行動は反射であった。無意識に脳が身体を強制的に動かせた。振り下ろされた大錘が、李信の矛を激突。拮抗するのは一瞬で―――吹き飛ばされたのは楊秋であった。(・・・・・・)シンっと静まり返るのは楊秋直属兵。彼らは皆、楊秋とともに涼州を駆け抜けてきた生粋の戦士達。そんな彼らが、長い付き合いの中で、主が吹き飛ばされるのを見たのは初めての光景だ。力負けした楊秋は呆然と未だ痺れる両手と李信を順に見て対する李信は、珍しく驚いた表情を見せていた。まさか今の一撃を防がれるとは思っていなかったのであろう。

 

「ぐ、ぐはははははははー!! なんと重い一撃かっ!! 見事、見事だ!! 俺は今高揚しているぞ!! 李信といったな……俺はお前と言う好敵手と出会えたことに!! そして、生まれて初めて全力を引き出して戦える瞬間が訪れたことに!!」

 

 ビキビキと楊秋の全身の筋肉が解放へ対しての歓喜の雄叫びを上げる。言葉通り、生まれて初めての全力闘争。楊秋という名の確かな超越者が、全力全盛を持って大錘を李信に向かって打ち下ろす。迎え撃つは李信の大矛の激突。数度繰り返すが結果は一緒だ。李信の一撃の前に巨人の肉体がたたらを踏むように流され飛ばされる。だが、幾人かは気がついていた。打ち合うたびに楊秋の身体が、吹き飛ばされる距離が短くなっていくことに。大地を、世界を揺らす激動を巻き起こし、二人の大錘と大矛が幾度も幾十度も噛み合い、破滅的な軋み音を轟かせる。これが、こんなモノが人の戦いか……と誰かがぽつりと呟いた。それも致し方なし。それほどまでに人の争いから随分と外れた闘争であったのだから。

 

「なんだ、なんだ……アレは一体なんなんだ……。楊秋はまだわかる。それと互角に戦うあの怪物は、一体なんなのだ」

 

 楊秋の言うとおり、アレは外れた者だ。人の枠組みの限界を容易く突破し、易々と至強の頂に座する人にして人を越えたモノ。少なくとも、北宮伯玉には絶対に手が届かない。届かせたくもない領域に鎮座する暴虐の破壊者だ。

 

「……これはこれは。実にたいしたものだのー。まさか楊秋と互する武将がいるとはおもわなんだ」

 

 パカラっと馬の上で欠伸をする女性。全身から感じ取れるのは、やる気のなさだった。女性はゆったりとした雰囲気と、ややたれている目元が特徴の二十を少し越えたくらいの年齢であった。その彼女の双眸が二人の激闘を捉えている。

 

「張横……なんだ、あの少年は。あんな化け物が傅燮軍には存在したのか」

「李信とか言ったかのー。あいにくとあたしは知らないけど、最近入った奴なのかのー。あの若さで楊秋と互角以上とは信じられないけどのー」

「……このままでは楊秋が負けるのではないか?」 

「あ、それはないのー」

 

 北宮伯玉の心配をあっさりと切って捨てる。それに疑問を覚えるのは当然だ。二人の戦いを見れば確かに互角に見えるかもしれないが、先程まで楊秋はおされていたのだ。

 

「あたしなんかには理解できないけど、武将同士の戦いってのは単純な武力だけじゃ決まらないのー。積み上げてきた戦歴、責任、経験……そんな()というものを双肩にのせて戦う。見えなくても確かに存在するそれは、時として力を凌駕するときもある。五十を越える(・・・・・・)戦場を越えてきた楊秋に、あの少年では及ばないのー」

 

 だから心配ない―――そんな張横の台詞が終わった瞬間の出来事であった。李信の速度が上がっていく。放たれる一撃一撃の速度、圧力、破壊力、衝撃、それら全てがさらなる進化を遂げていく。いや、皆が進化と感じたそれは本人のみはそれを退化(・・)と理解していた。かつての自分の力を取り戻していく。大小あわせて数百(・・)の戦場を駆け抜けた大将軍の重さが李信から噴出し始めた。あまりの攻撃の圧力に防戦一方となる楊秋。このままではまずいと判断し、決死の一撃で李信の大矛を弾き飛ばす。

 

「舐めるなよ、李信!! この俺が、この楊秋こそが!! 不敗の!! 中華最強のぉぉぉおおお!!」

不敗(・・)はくれてやる。変わりに中華最強は貰っていくぞ」

 

 数百の戦場を駆け抜け、幾度もの敗北を経験し、それでも生き抜いてきた中華六将が一人。大将軍李信の唐竹に振り下ろした大矛が、楊秋の大錘を粉々に粉砕し、彼の頭を木っ端に打ち砕いた。

 静寂は一瞬だ。傅燮軍からは勝利と興奮の雄たけびが。反乱軍からは恐れと畏れの嘆きが、周囲に木霊する。そのなかで一気に動き出した部隊があった。楊秋の直属兵。彼らは凄まじい形相で主を討った李信へと殺到する。一騎打ちが終わった今すぐならば、楊秋と戦って疲労している今ならば李信を撃てる。主の仇を取る事ができる。そんな想いで三百からなる兵隊が李信へと襲い掛かった。城壁の上にいた民兵達からは打てる手がない。一騎打ちが終わればすぐに李信が戻ってくる手筈になっていたが、まさかこうまで早く動き出すとは考えてもいなかった。反乱軍の兵士に飲み込まれた李信を助けるべく弩隊が弓を射とうとするもそれはとめられる。間違いなく李信も巻き込まれることになるからだ。次なる手をどう打てばいいか迷った次の出来事であった。

 

 李信を取り囲んでいた楊秋兵の一部が奇妙な呻き声をあげ始める。やがて彼に殺到していた兵士達が、血飛沫をあげ始めた。歴戦の勇士、楊秋とともに戦場を生き抜いた精鋭中の精鋭が、まるで草を刈る程度の気軽さで、虫を踏み潰すかの如き手軽さで、たった一人に粉砕されていった。ただただ呆然と積み上げられていく屍山血河。単騎で全てを凌駕する暴虐の鬼神がここに在る。

 

 その光景を、賈詡は手摺を強く握り締めたまま黙って見つめ続けていた。瞬きするたびに蹴散らされる楊秋兵。数秒経つ毎に目に見えて減少していく敵兵。ぶるりっと身体が震えた。それは恐怖ではない。畏怖でもない。

 彼女は、賈詡文和は文官であり、軍師でもある。それ故に彼女は知っている。人は力で敵わぬ相手と戦う為に武器を使う。一人では敵わぬ武人を討つ為に数を集める。大人数の戦争に勝利する為に策を練る。万を超える人が入り乱れる戦場においては、策が勝敗を左右する。それが軍師としての当然の考えだ。それが当然だと、当たり前だと、学んできた。だがそれ故にそうではないもの(・・・・・・・・)を見たいと願う自分がいる。それもまた人の思いだ。

 

「あぁ……あぁ……なんて、なんて、なんて綺麗(・・)な……」

 

 賈詡文和は見てしまった。知ってしまった。理解してしまった。

 圧倒的な()()()も凌駕するその瞬間を。

 

 襲ってきた全ての楊秋兵の息の根を止めた李信は、あまりの殺戮劇に動けない反乱軍を余所に城壁まで退くと縄を伝って城壁へと戻っていった。城壁へと戻れば華雄達からの手荒い歓迎を受け、身体をバシバシと叩かれる。楊秋との一騎打ちよりも余ほど痛みを受けるというのが皮肉な話である。この一騎打ちは絶大な効果を発揮し、この四日目もまた意気消沈した反乱軍からの攻勢にもなんとか耐え抜くことが出来たのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 五日目。まさに郡城の民兵にしてみれば正念場である。

 前日の一騎打ちが尾を引いているとはいえ、反乱軍の攻勢は手を緩めることはない。そして反乱軍は西壁よりも、組みやすしと見た南壁と北壁へと戦力を大きく振り分けた。楊秋を討った李信なる者が守っている西壁には最低限の戦力だけを向け、他方向からの攻略を試みたのである。しかし、それを賈詡に読んでいた。恐らくはそうなるであろうことを予測して西壁よりも、他三方向へより多くの予備兵を差し向けた。初日や二日目に負傷した民兵もまた痛みに顔を顰めながらも戦線復帰し、城壁の防衛に当たり始める。一向に崩すことが出来ない郡城の守りに、苛立ちを隠しきれない北宮伯玉は本陣にて地図が乗っていた机を力一杯蹴りつけた。

 

「五日、五日だぞ……民兵主体のこんな城がっ!! 一体どれだけ時間をかければ気がすむというんだ!!」

 

 北宮伯玉の怒りもわからないでもない。本来ならば初日、或いはかかっても二日程度で終わらせることが可能だと考えていた攻城戦だ。これだけ時間をかけてしまえば既に漢王朝も反乱軍への対策を立て終えてしまっているだろう。しかも丸々戦力が残っていれば良いが、城攻めで少なくない兵士が死傷している。更に加えて手下八部の三人が討ち取られるという有様だ。もはや反乱は失敗したといっても過言ではない。それほどまでに現状は悪化の一途を辿っていた。

 

 さらには朝には西壁の前に雲霞の如くいた反乱軍兵士も、その数は既に一割を切っていた。登壁部隊が底を尽き始めていると言うのに、城門が内側から開けられる様子は一切見られない。登っていった兵士達は何をしているというのか。北宮伯玉の疑問は実に簡単な答えだ。つまりは―――皆殺し(・・・)。他三方に予備部隊を出し尽くし防衛を強固にした代わりに、西壁の兵力は他に比べてかなり少ない。一人一人にかかる負担が大きい中、その状態で城壁の上を死守している。それでも、城壁の民兵達は死力を尽くす。最前線にて矛を振るい続ける男の姿。李信が矛を振って敵を薙ぎ倒すごとに、指一本動かせないと思っていた身体が動く。足が前へと踏み出される。李信の背中が何も語らぬその背中が、民兵達の心と身体を突き動かした。ただただ斬って、ただただ射って、ただただ殺す。無心を武器に戦い続ける民兵達。いつ命の灯火が燃え尽きてもおかしくはない現実。それでも彼らは戦い続ける。何時終わるとも知れないこの死線にて、命を燃やす。

 

「……おい、あれ」

 

 四方の城壁が死闘を繰り広げる最中の出来事であった。誰かが何かを見つけた。アレはなんだ、と短く問いだした。彼らが見るのは遥か北方。地平の彼方よりそれら(・・・)がやってきた。砂塵を巻き起こし、数千の馬軍が離れていても感じる圧倒的な重圧をともに引き連れて。()の文字が縫い付けられた旗を幾つもたなびかせてやってきた。

 

「―――きたっ!! きてくれた!! しかも、五日で!! きてくれたよ、李信!!」

 

 司令室にいた賈詡の感謝の雄叫びが、郡城全てに響き渡った。

 ()の文字。それは即ち―――涼州の覇者。最強の軍を率いる英傑馬騰。その人に他ならない。しかし、民兵達の顔色は優れない。なぜならば彼らは知っているからだ。韓約と馬騰が義姉妹の契りをかわしていることを。普通ならば反乱軍の援軍にきたと思うしかない。逆に反乱軍は思いもよらぬ援軍に胸を撫で下ろす。だが―――。

 

「……約よ!! いや文約よ!! お前は私を裏切ったな!! 義姉妹の契りをかわした私を裏切った!! 決して反乱軍には組せぬと誓った私に、暗殺部隊を送り込むとは!!」

 

 それは怒りであった。隠しようがない憤怒であった。

 

「我が家族を狙ったお前の裏切り!! それはそっくりそのままお前に返させて貰った!! お前の家族が隠れ住んでいた屋敷を焼き討ち(・・・・)にしてやったぞ!!」

 

 全ての人間に聞こえるように、叫び吼える馬騰。それを聞いた反乱軍の本陣にいた韓約は呆然と彼方にいる馬騰を見ていた。それにあわてたのが北宮伯玉である。まさか、どうしてだ。韓約の家族は人質にとったあと自分の配下に見張りを付けさせていたはず。いや、そういえば二、三日まえから連絡が途絶えたことに、気づいていなかった。それは予想外の苦戦の結果だ。だが、何故馬騰が韓約の家族の場所を―――。

 

「約束を、守ってくれたか……騰よ」

「……お前か!! お前だな、韓文約!! お前があの女に情報を伝えたのか!!」

「何のことだ……とはもう言わぬ。そうだ、我が騰に暗号で全てを伝えていた」

「お前、くそっ!! だが今更人質解放が成ったからなんだというんだ!! お前はもはや破滅しか残されていないんだぞ!!」

「当然だ。我ももはや生など求めておらぬ。家族さえ助かればそれでよい。我は賭けにかったのだ。それに……今更我を慕って反乱軍に参加した皆を裏切るきにはなれん」

 

 反乱軍、傅燮軍の皆が馬騰の言葉を聴いた。韓約文約の家族は焼き殺した、と。これで彼女の家族には刑が及ぶことはない。死んだものを裁く法はないからだ。後は馬騰が責任を持って韓約の家族を遇する。それが書簡の暗号に書かれた韓約最後の願いであった。それが明るみに出たときはただではすまない。その危険性を知っていながらなお、馬騰は韓約の願いを引き受けた。義姉妹の契りは、それほどに馬騰にとっては重かった。

 

「ぐぅ……南、北壁の登壁部隊を馬騰へと向かわせるんだ!! 敵は精々が五千!! 精兵といえど如何様にも―――」

「諦めよ。我らの負けだ、伯玉よ」

「何を言って……」

 

 そして今度こそ北宮伯玉は言葉を失った。韓約の視線の先、遥か東側から此方に迫ってくる軍があった。()の文字が刻まれた旗がたなびく大軍団。実に総勢六万にも及ぶ漢王朝からの討伐部隊であった。

 

「皇の字だと? まさか……皇甫義真かっ!!」

 

 こんな状態で漢王朝からの討伐隊が届く。予想よりも遥かに早い。これでは反乱軍が蜂起してからすぐに準備をせねば間に合わない計算だ。今の王朝にそんな判断力があるとは予想外もいいところだ。全てが、北宮伯玉の計算を越えたところで動いていた。韓約も、馬騰も、傅燮も、漢王朝も。全てが彼の計算を狂わした。

 

「さてさて。まさか郡城が落ちていないとは。斥候部隊の言うとおりですね。流石は傅燮殿。感心するのはあとにしてとりあえずはまぁ―――」

 

 殲滅することにしましょうか。

 皇甫嵩の指揮と同時に雪崩れかかってくる討伐軍。唯一勝っていた兵力も、討伐軍参加でひっくり返された。もはや勝ちの目が一切なくなった状況に、北宮伯玉は混乱に陥った。ここから逆転の一手などありえない。折角築き上げた反乱軍が潰されるのは口惜しいが、今はこの場から逃げ出すしか方法はない。

 

「大将文約よ!! 副将北伯玉(・・・・・)よ!! お前たちの首はこの馬騰がもらいうけるっ!!」

 

 怒号とともに軍の先頭を駆ける馬騰が逃がすものかと、二人の名を名指しで叫ぶ。それに忌々し気に舌打ちする北宮伯玉だったが、あんな化け物と真っ向からぶつかり合うなど願い下げだ。乱戦に持ち込まれた隙を狙ってさっさと撤退を試みようと決断した。城攻めをしていた反乱兵も、馬騰が敵なのだと理解したものの、さらに加えての討伐軍。もはや勝負はあった。末端の兵に至るまで勝敗がついたのだと悟った彼らの行動は綺麗に二極化した。即ち戦う兵と逃げる兵。半ば成り行きで参加した兵からしてみればこれ以上の戦は無駄に命を散らすだけだ。韓約の宦官誅殺すべしという理想に従って参加した兵士達は、自分たちこそが漢王朝を救うのだという確固足る目的を持っている。故に、今更逃げ出すものかと決死の覚悟で突撃を繰り返す。

 

 完全に救われる形となった郡城の民兵は、命すら燃やし尽くすほどに戦った影響かほぼ全てが城壁の上に座り込み、援軍に来た馬騰と皇甫嵩の軍の応援を行い始める。生き残った。勝ち残った。それに安堵しながら、勝利を願っていた。司令室にいた人間もまた同様だ。数万の民の命を背負った傅燮もまた壁にもたれかかって吐息を漏らす。この五日間の責任たるや、凄まじいものであったからだ。いかに傅燮といえど平然としていられるわけがない。そんな傅燮がふと気づいた。賈詡がなにやら思索に耽っていることに。なにやらぶつぶつと呟いており、少し気味が悪いかなと……と結構酷いことを考えていた傅燮を置き去りに、賈詡が声を上げた。

 

「―――そういうこと、か。それしかない。うん……間違いない!!」

 

 そして賈詡は、手摺を飛び越え―――高台となっている司令室から飛び降りた。止める間もない彼女の行動に悲鳴をあげそうになる傅燮。城壁へ向かって落下している彼女はただ一箇所のみを見つめながら息を大きく吸う。

 

「李信―――!!」

 

 突如聞こえた賈詡の声に、何事かと上を見上げれば落下してくる賈詡の姿。さすがに度肝を抜かれ飛び降りてきた彼女を慌てて受け止める。下手をしなくても打ち所が悪ければ死ぬ可能性があったかもしれない賈詡の行動を諌めようとするも、肝心の彼女は李信の胸に抱かれたまま口を耳に寄せてなにやら囁いた。他の誰の耳にも届かないほどの小ささで幾度かの語りを終えると、李信の手から離れて城壁へと立つ。

 

「……出来る?」

「全力は尽くす」

「うん。お願い」

 

 手を掲げた賈詡に戦争開始前と同様に拳を合わせる。軽く準備体操をした後に、自分の背後にいる隊員に声をかけた。

 

「動けるものはついてこい。これが最後の大暴れだ」

 

 本来ならば行く必要はない。後は馬騰と討伐軍に任せれば良いのだから。だが、隊長が行くと言うのだ。ならばとことんまで付き合おう。ろくに動かない身体をおして、華雄も、高順も、胡軫も、そのほか飛信隊全ての者が李信の背を追った。

 

 乱戦が続く。続いている。だが、殆どが反乱軍の兵士がほぼ一方的に虐殺されていっている。彼らも五日間という攻城戦の真っ只中で奇襲を受けたのだ。一方的になるのも当然の話である。特に目立つのが馬騰率いる騎馬隊で、圧倒的な制圧力と突破力で本陣に向けて一直線に攻め入ってきていた。先頭に立つ馬騰―――いや、何時の間にか馬超が軍の前を行き、その槍捌きで瞬く間に多くの敵兵を突き殺していく。そこへ止めに入る者達もいた。何と彼らは馬騰達の突撃を身を呈してとめて見せた。相当な熟練の騎馬兵の登場に馬騰は邪魔だ、といわんばかりに槍を放った。恐らくは実力から見て手下八部の誰かの配下。相当な力量の持ち主ばかり。これはそう簡単には抜けれないか、と考え付くも、なんとかして本陣に辿り着かねばならない。もはや韓約を救う術はない以上、せめて友を討つのは自分の役目でありたい。ましてや自分以外のものが彼女の首をあげようなど認められるものか。韓約の亡骸を辱めようなど絶対にさせるものか。強い意志と確固足る信念を持って馬騰が吼える。それに続くように馬一族の騎馬隊が放つ圧力を増していく。

 

 近づいてくる馬騰を尻目に逃げ出そうとした北宮伯玉だったが、彼の足はとある二人に止められていた。馬玩と張横に、である。二人の放つ殺気と視線はそれだけで人を殺せるのではないか、と思わせるほどに鋭く冷たい。

 

「……わしらが愚かだったということか」

「そうだのー。ろくでもない人間だとは思っていたが、考えていた以上の最低な奴だったのー」

 

 彼と彼女。二人は武将と言うよりは軍師よりの人間である。そんな二人は韓約がこの反乱軍に対する本気度が薄々さほどではないことに気づいていた。だが、それでも韓約には恩がある。故に従っていた。だが、先程の馬騰の台詞でようやく気づいた。違和感しかない馬騰の宣言。恐らくは韓約は北宮伯玉に人質を取られていた。反乱軍総大将の座を引き受けたのはそのためだ。そこに気づかなかった自分たちの愚かさが憎いが、今はそれよりもこの愚か者をどうするかが問題だ。この男の首を持って討伐軍に降り、助命を請う……いや、無理だ。幾ら脅されたといえど大将を助けることなど絶対に不可能。許されないだろう。ならばどうするか。如何にして韓約を助けるべきか。考える二人であったが、時間があまりにも足りなく、状況は切迫していた。

 

「どけ、お前達。僕の道を邪魔するな」

「いやいや。お主はここで殺さねばならん。いや、殺す。韓約様を裏切ったお前は絶対にいかしてはおけん」

「同感だのー。お前は生きていて良い理由なんて存在しないのー」

 

 三者三様。後何かしらの切っ掛けがあれば堰が決壊する川の如く。

 ピリピリとした空気が充満する中で、騎馬隊を押しのけて韓約の名を叫びながら馬騰が馬を走らせる。

 

「お前が我を殺してくれるか、騰よ。やはりお前は我の最高の友―――」

 

 韓約の感謝の言葉を邪魔するように、馬騰とは異なる方角から激しい衝撃音が鳴り響いた。あらゆる敵兵を退け、砕き、押しのけて、飛来する矢が如く、李信を先頭とする飛信隊が乱戦の場を潜り抜けてきた。李信を邪魔しようとする敵兵を、隊員が防ぎ、隊長を一人目的へと向かって押しやった。手練れの騎馬兵達は華雄と高順、胡軫が相手取り、ついに李信は全ての敵兵を突破して疾駆する。彼の動き、速度、距離、全てをとって馬騰よりも更に速い。 

 

 韓約は自然と友である馬騰から李信へと視線を移した。

 迷いのないその姿。曲がることのない鉄の意志。楊秋すらも容易く屠った絶対的な力。

 それら全てが我には眩しい。どう考えても持つはずがなかった籠城を成功させたのは間違いなく李信の存在だ。数を凌駕する完成された武。完全なる武。畢竟へと至った武。ああ、なんと美しいことか。その姿、我の冥土の餞には上等すぎる。一度しか会っていない。一度の顔合わせ。それだけだったが、我とお主にはそれで十分だ。お主が我を殺す者だと、殺して欲しい者であったこと。それが今ここでかなえられる。

 二つ結いの紐をはずし、はらりっと風になびく真紅の長髪。完全に死を受け入れた韓約が、目の前で地面を蹴って飛翔した李信を抱きしめるように両手を広げた。

 

「ああ……やはりお主が。我の……」

 

 死神であったか。

 

 恋する乙女が如く。狂愛する女が如く。

 死を届けに来る李信を愛おしむ。

 

「我が首をもって、飛翔せよ。遥かなる蒼天の彼方まで。この時代における最強の将軍と成り果てよ」

 

 子供の時より数多の書物を読み解いた。その中で最も心惹かれたのは戦乱の時代でなお光り輝いた者達。中華で初めて統一国家を作り上げた大国家秦。大国秦でその名を轟かせた中華六将。武神を殺した(・・・・・・)という伝説の男。わくわくした。胸がときめいた。かつてはそんな男が存在したのだと。だが、ああ、だが……お主ならば神をも殺すことができるやもしれん。

 

 そうだ。そうなのだ。お主が。お主こそが我の中華六将李信である(・・・・・・・・・・・)。 

 

 

 

 だが、天から降り立った李信は韓約の乗る馬を蹴り―――更なる加速を行った。その衝撃で馬が暴れ不意の出来事に韓約は馬から振り落とされた。地面へと墜落した彼女が見上げれば、視線の先にて大矛を一直線に北宮伯玉へと振り下ろす姿の李信があった。されど、北宮伯玉は李信の矛を剣で受け止めた。馬鹿な、と誰しもが驚いた。あの楊秋を屠った男の一撃を優男の北宮伯玉が受け止めることができるのか、と。

 

「舐めるなよ、小僧。僕は()になる男だ。僕を殺すということは、()を滅ぼすことに等しい!! お前如きが王たる器である僕をどうにかできるとでも思って―――」

「悪いが」

 

 ギシっと大矛からの圧力が増していく。

 骨が砕き折れそうな衝撃をともなって、剣が圧された。

 

国ならば幾つも滅ぼしている(・・・・・・・・・・・・・)

「ちょ、ちょっと待っ―――」

 

 命乞いの暇も与えずに、李信の大矛が剣ごと北宮伯玉の頭を砕き割った。びしゃりっと弾けとぶ鮮血を浴びながら地面へと降り立った李信は一息。

 

 

 

「―――飛信隊が李信!! 反乱軍総大将韓文約(・・・・・・・・・)討ち取ったぞ!!(・・・・・・)

 

 

 戦場の隅々にまで聞こえる将の声が、反乱の終結を告げる勝鬨を響かせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




長くなって省いた話
・張遼vs手下八部
・華雄vs手下八部
・高順vs手下八部
・東壁の傅燮の息子のピンチ などです

次回最終話。最後まで宜しくおつきあいください。

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