真・恋姫†無双 飛信譚   作:しるうぃっしゅ

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第17話:それぞれの情勢

 

 

 

 

 

 

 

 その日、漢の首都である洛陽に急報が飛び込んできた。慌てた様子の急使による報告は瞬く間に文官のみならず、洛陽に住まう者達にすら広がっていった。宦官の十常侍筆頭の一人である張譲もまた例外ではなく、その報を聞くと屋敷に帰っていたにもかかわらず慌てた様子で服を着替えなおし宮中へと向かった。既に夕陽が差す時間帯ではあるものの、そんな悠長な状況ではないことを理解していたからだ。

 馬車の中、彼女は涼州に広がっている反乱の情報をまとめながら、果たしてこの事態を重く受け止めている者がどれくらいいてくれるだろうかと、淡い期待と若干の苛立ちを胸中に抱き、ようやく目的の宮中の軍議が行われる間へと到着した。いきおいよく扉を開けてみれば、そこにいたのは―――わずか十人足らずの人間のみであった。僅かな落胆をするものの、自分の派閥にいるものには連絡をとばしたため、少なくない人数がほどなくしてここには来るであろう。それを期待しつつ、室内にいた十人のうちの一人である自分の最大の政敵とも言える趙忠へと足音響かせ近づいていく。はっきりいって好んで会話をしようと思う相手ではないが、そんなことを気にしている暇もない。

 

「先の急報聞かれたか、趙忠殿」

「……うむ。涼州の件であろう」

「ああ。今すぐにでも討伐軍を組織するべきだ。アレは放っておけば最悪の事態に陥るぞ」

 

 表情のみならず全身から放つ雰囲気にも焦りを滲ませる張譲に、珍しいものを見たと趙忠は軽く目を見開いた。自分の半分も生きていない小娘ではあるが、彼女の能力には一目置いている。常に冷静たらんとしている張譲のこんな姿は随分と貴重である。

 

「お待ちを、張譲殿。困りますな、勝手にそのようなことを申されては。討伐軍を組織するにせよ、まずは軍議で話し合いをせねばなりますまいて」

 

 焦燥に駆られている張譲に、普段の恨みを晴らそうとでも言うのか十常侍の一人でやや小太り気味の中年の男性―――郭勝が二人の会話へと割って入ってきた。趙忠一派の一人である彼の言に人でも殺せそうな鋭い視線を向けて無言のまま睨みつける。ヒィっと反射的に悲鳴をあげた郭勝は二、三歩後ずさってしまったが、その小物っぷりに舌打ちの一つでもしてやりたい気分ではあるものの、彼の言うことは確かに正しい。軍を起こすにしろ、送るにしろ流石に張譲の好き勝手に出来る範囲を超えている。

 

「私の部下には既に招集をかけた。程なくして集まるであろう。それで、貴殿の方は如何した?」

「へ? い、いや……その」

「まさかまだ連絡を送っていないとでもいうと申されるか? ならばこの場にいるよりもやることがあろう」

 

 さっさと動け。さもなくば挽き肉にしてやるぞ。殺意に染まった無言の訴えの視線に、郭勝は慌てて部屋の外へ出て行った。その話を聞いていた室内の者達は、何人かが郭勝のように外へと向かっていく。張譲からの追求が自身に来る前に事を為しに行ったのだろう。人が更に少なくなった軍議場を支配するのは静寂である。その静けさが、今の張譲には腹立たしい。

 

「しかして、張譲殿。随分と冷静さを欠いておるな。普段のお主とは雲泥の差だ」

「……これが慌てずにいられると思うか。反乱軍の規模は聞いたであろう?」

「報告を信じるならば既に数万を超える者達が参加していると聞くが……どこまで信じるべきか」

「全て、だ。私の部下からの情報とも差異がなかった」

「……信じられんな。だが、信じるしか、ないか。それにしても宦官を誅殺する(・・・・・・・)べし、か。表向きの名目としては聞こえが良いが……儂らとしては笑えんな」

 

 反乱軍の目的。それはつまり言葉通りの意味である。漢の衰退の原因は宦官であり、それを排そうという名目で人を集めている。現実的にこれほどの人数が集まってしまったのだから、現状の漢朝がどれほど弱ってしまっているのかがはっきりとわかってしまった。かつての漢であれば、ここまで簡単に反乱を起こそうという輩もいなかったであろう。もっとも、涼州に送られた中央の官吏が目が行き届かないのをいいことに相当に好き勝手をやり、現地の民や異民族から相当に恨みを買っていた、というのが大きな一つの原因になるのだが。

 

 良くも悪くも十常侍の頂点に立ちながらも派閥争いを行っている二人の、珍しくも皮肉も交えない会話に残された者達と新たに部屋へとやってきた文官は驚き目を見開いていた。それほどにこの二人がいがみ合わない状態が稀有なことを指し示している。やがてしばらくすると更に多くの者達が集まってきていた。召集をかけた張譲の配下や派閥の者のみならず、趙忠の配下の者達までやってきていることが現状の悪さを皆に思い知らしめていく。ここで断っておくことになるが、趙忠とは決して無能な人間ではない。確かに彼の行ってきたことは他の人間からしてみれば褒められたようなものではなく、弾劾されても仕方のないことであろう。多くの者を傷つけ、罷免させ、私腹を肥やしてきた。だが、ただの無能な男が果たしてただの運だけでこれほどの高みにのぼり、維持できるであろうか。例えその性根がろくでもないにしろ、それを為すだけの能力と判断力を併せ持った非凡なる者であることに間違いはないだろう。それだけは政敵である張譲も素直に認めていることでもあるのだが、もっともそれが漢朝にとっては最悪の方向に繋がってしまったというのが皮肉な話だ。

 

「いやいや。しかし困りましたな。まさか涼州で反乱が起きるとは」

「ええ、全くです。これでは一体何の為に護羌校尉を設置して反乱の予防にあたらせていたのかわかりませんな」

「ははは。やはり涼州など放棄すればよかったのですよ。さすれば軍事にかかる莫大な費用が浮きますからな。」

 

 

 しかし―――始められた軍議において話されるのは愚にもつかないことばかり。届いた急報を聞いたであろうに、集った彼らの顔に浮かぶのは何故自分たちが呼ばれたのかわからない、という意味での困惑であった。最初は黙っていた張譲であったが、次第に組んでいた両腕に力がはいっていき、その秀麗な美貌の表情が引き攣っていく。なんだ、こいつらは。何を話し合っている、いや、何も話し合っていないのだ。対岸の火事の如く。自分たちには全く火が及ばない、危険など何もない。これではその程度の認識しか持ち合わせていない馬鹿者達の雑談会だ。ついに我慢の限界にきた張譲が机を力一杯両手で叩き立ち上がる。あまりの衝撃の大きさに、楽しげに話し合っていた官僚達の言葉がピタリと止まり、一体何事なのかと張譲へと視線を注目させた。

 

「なにを悠長に取るに足らぬ話ばかりしておるかっ!! 今は涼州の反乱を如何に対処すべきか話合う場であろうが!!」

 

 張譲の烈火の怒りにシンと静まり返る軍議場―――だが、それも一瞬だ。部屋のあちらこちらから聞こえるのは冷笑染みた笑い声。

 

「はははは。いやいや、張譲殿。少しは落ち着かれたらどうですかな?」

「そうそう。所詮は異民族どもが起こした反乱ともいえない騒動でしょう。ご心配めされるな」

「我ら漢朝の者がサルなどに脅えては御先祖様方に申し訳がないでしょうに」

 

 駄目だ。ああ、駄目だ。こいつらとは徹底的に、壊滅的にまで噛み合わない。私腹をこやすことだけを目的とした最悪の大馬鹿者達だ。出来ればこの場で全員誅殺して、自分と配下の者達だけでまわしたほうが遥かにまともに機能する。無能な味方は敵よりも恐ろしい。普段から感じていたが、その意味を嫌というほどに実感出来た。

 

「―――少し黙るが良い」

 

 それら失笑を止めさせたのは他でもない彼らの主である趙忠であった。自身の派閥の長によるまさかの一喝に、慌てた様子の彼らを尻目に、渋い表情を隠さずに机に広げられた地図を睨みつけている。趙忠は、地図とそれに置かれた駒を見ていたが、苛立たしげに舌打ちを隠そうともしていない。やがて顔を上げると彼は真っ直ぐと張譲へと目線を向けて口を開く。

 

「金城太守と護羌校尉は?」

「……殺された。つまりは既に金城郡は落ちたと考えても良い」

「金城を落とす程の勢力になるまでなぜ奴らは気づかなかった。そこまでの大きさになるまでに幾らでも対応策は打てただろうに」

「反乱軍の主体となっているのはどうやら北地郡の先零羌だ。それが枹罕や河関の盗賊どもを吸収か協力かわからんが組み入れて、それだけの人数となった。相当に水面下で動いていたのだろうな」

「幾ら水面下で動いたとしても限度があるだろう、張譲よ。全く気がつかないとは思えんが」

「恐らくは涼州の官僚は気がついていたのではないか? こちらに報告がなかったのは涼州刺史による情報の封鎖があったとしか思えん。もともとが自分達の失策が原因の一つであると悟った奴らは、己の責任問題になることを嫌って内々に処理しようとしたのだろう。こちらには涼州の情報など入ってきにくいしな」

「ちっ……無能な味方は敵よりも厄介極まりないものだ」

「それはもう私が考えていたことだ。趙忠……お前がそれを言うのか、と私が言いたい気分だがな」

 

 既に敬称すら付け忘れるほどに話に没頭する二人。

 

「ふん。貴様には貴様の。儂には儂のやり方がある。それより、幾らなんでも金城が落ちるとは……。あそこの城壁はなかなかに堅固だったはずだが。篭城の間に他の郡より援軍も送れただろうに」

「……反乱軍の総大将を誰が勤めているか知っているか?」

「いや……先零羌の指導者ではないのか?」

「韓約。韓文約だ」

「韓文約……まさか、何時ぞや宦官不要説を何進に進言した、あやつか?」

「ああ。その人物であっている」

「なるほど。それならば反乱軍が掲げる宦官を誅殺すべし、という文言にも納得は出来るが……その者が大将だからといってどうしたというのだ?」

「韓約は自分の進言を排された後、涼州へと戻った。そして金城にて別駕従事を勤めていた」

 

 ガンっと今度は趙忠が机を力一杯に叩きつける。ギリギリと音がなるほどに強く歯を噛み締めながら、地図にのっていた駒を怒りのあまり払い除けた。

 

「韓約の手引きかっ!!」

「恐らくは、な。刺史の補佐として動ける地位があるならば、それも容易いことであろう。最悪なことに、涼州での韓約の名と人望は普通ではない。それを考慮すれば内応によって金城は落とされたと見る方が自然だ」

「おのれ……自分の意見が取り入れられなかった腹いせに、ここまでの実力行使にでるとはな」

「……いや。少しだけそれに関しては気になる点がある」

「気になる点、だと?」

「実は私は韓約と会ったことがある。自分の進言が受け入れられなかったことに対して、笑っていた。元々不可能だと思っていながらの意見だったと言っていたな。さして気にした様子もなく、郷里へと戻っていった。彼女には中央への未練も見当たらなかった」

「己の心中を隠していたという訳ではないのか? 貴様が気がつかなかっただけかもしれんぞ」

「ふん……お前ではあるまいし、私がそれに気づかないと思うのか? 私が読めない相手は中華広しといえどただ一人(・・・・)だ」

 

 張譲の台詞に、憤怒に染まった顔から一変しどこか呆れた表情となる趙忠。彼女の台詞の中にあったただ一人、という意味に気がついたからだ。意識してではなく反射的にでたであろう言葉に呆れる以外どうしろというのか。かつては全てを無意味だと断じていた無気力な時もあった。ここ数年では自分の政敵として全力で辣腕をふるってくる厄介極まりない張譲が、時折こんな()の部分を見せてくる。そのあたりは間違いなくあの男の影響であろう。まぁよい、とそれにはあえて触れずに趙忠は先を急がせる。

 

「それでそれがどうしたというのだ?」

「要するに、不平はあれど、不満はない。そんな韓約が郷里に戻って要職についた。かといって、今更反乱など起こすか、という話だ」

「……考え難いものではある。だが、郷里にもどって意見がかわったのかもしれん」

「確かにその線は捨てられない。あくまでも可能性の一つとして考えてもらいたいだけだが―――果たして反乱軍の総大将は(・・・・・・・・)本当に韓約なのか(・・・・・・・・)?」

「飾り、ということか? いや、しかし……」

「それに金城を征服した後の反乱軍の行動を知っているか? 郡の町村は略奪の限りを尽くされているという。老若男女問わず皆殺し。特に女はこれ以上ない辱めをうけてから殺されるとも、な。そんな行為を有智高才の韓約が進めるとも許すとも思えない」

「……なるほど」

「あくまで可能性の一つ、だ。それに今ここでそれについて考えたところで意味はない。総大将が別の人間だったからといって反乱軍がどうこうなるわけではないしな」

 

 張譲の考えに、趙忠は確かにと納得をする。反乱軍は名目上としては宦官の誅殺を掲げている。というのに、州郡の村や町を襲い略奪を行う。これはまだ或いは戦争上許される範囲かもしれない。だが、皆殺しまではやりすぎだ。明らかにその行為は、宦官の誅殺とは筋が違っている。となれば、一体誰が反乱軍の本当の大将なのか。それに何故韓約は飾りとはいえ総大将など引き受けたのか。

 

「それよりも、趙忠よ。こやつらとの話し合いでは一向に埒があかん。早く討伐軍を組織するべきだ」

「……ああ、そのことか。そろそろだと思うが」

 

 考え込んでいた趙忠は、張譲の呼びかけで顔を上げる。彼の返事に、何のことかと眉を顰める張譲であったが、次の瞬間にはその疑問は氷解することとなった。

 

「やっほー、趙忠の大将。頼まれていたこと、終わったよぉ」

 

 気の抜ける声を発しながら、軍議場に姿を現したのは一人の女性―――十常侍の夏惲であった。そういえば姿を見ていなかったな、と考えていた張譲に、目線があった夏惲は軽く手を振ってくる。派閥争いをしている故に趙忠派の者からは憎々しげな目で見られることが多いなか、趙忠派でありながらこの女性だけは負の感情を見せることはなく、趙忠張譲どちらに対しても肩入れすることのない行動を取っている。

 

「速かったな。それでどうなった?」

「無事引き受けててもらえたかな。やっこさんも今回はマズイと判断してるんだろうねぇ。一も二もなく了承貰えたよぉ」

「ふん。それだけは幸いか。その他に頼んだことは?」

「ばっちり。兵站から武装、兵の足りない分の募兵まで手配しといたよ」

「貴様の優秀さを他の奴らにも分けてやりたいくらいだな」

「私は別に優秀ってわけでもないけどね。言われたことだけやってるだけ」

「……それが出来ぬ者もいるのだ」

 

 二人の会話から、まさか―――と浮かんだ疑問を解消するように、軍議室の外から一人の女性が足を踏み入れてきた。女性として丁度脂が乗っている魅力的な身体と、豊かな紫紺の髪を頭部の左で一本結びとし、幾つかの髪飾りが歩くたびにカチャッと音を立てている。思わぬ人物の登場に、ざわりっと室内にいた文官達がざわめきが響き渡った。

 

「急な召集であったが、よく来てくれた。名だたる武将が出払ってる今貴公がこの洛陽に留まっていた事は不幸中の幸いであった―――義真将軍(・・・・)

「いえ。遅ればせながら、皇甫義真……参上仕りました」

 

 皇甫嵩義真。性格は真面目で、この御時勢にしては珍しくも慈悲深く、人々からの尊敬を集めている。優れた血筋に頼るばかりでなく、文武において努力を惜しまず。詩書や剣、弓、馬術も高い領域で習得している。現在の漢朝において、三本の指に入る実力を持つ将軍。その彼女を引っ張り出すことに成功した。思わず両手を力一杯握り締める張譲。

 

「金城の人間は乳飲み子に至るまで皆殺しにされているという。死体はその場に晒され、血の海が出来上がったそうだ。反乱軍のこの暴挙……許すわけにはいかぬ」

「聞き及んでいますわ。全てこの私にお任せ下さい」

 

 洪手の礼とともに跪く皇甫嵩の姿に、大袈裟なと思っている官僚はまだ半分近くもいた。張譲及び、その配下。そして趙忠と夏惲、皇甫嵩。これだけの人数しか現状を把握できていないことに眩暈すら覚えるが、この宮中の改革も早めねばならないと思いを新たにするなか、話は続いていく。

 

「では、明日にでも皇帝陛下に任命式を執り行っていただく。将軍……反乱軍は任せたぞ」

「確かに承りました」

 

 それを合図として、軍議場にいた官僚達は次々と帰っていく。張譲もまた、自身の配下に指示を出して帰らせると趙忠と話をしている皇甫嵩へと近寄っていく。そして、彼女へむかって潔く頭を下げた。その行動に驚き目を剥いたのが皇甫嵩だ。あの張譲が誰かに頭を下げるなど考えもしなかったことなのだから。

 

「義真殿。この度は討伐軍大将の責、引き受けていただき感謝の言葉もない」

「い、いえ。微力ながら将軍としての任、全うしたいと思っていますわ」

「御謙遜を。貴女程今回の任務に相応しい方もいないだろうに」

 

 張譲と話し始めた為か、趙忠は少し離れた場所にいた夏惲の傍まで行きなにやら小声で指示を出す。それを横目で確認した彼女は、さらに一歩皇甫嵩へと間合いをつめる。あまりの近さに皇甫嵩の頬がピクリっと引き攣った。張譲にここまで密着される覚えはないし、嫌な予感しかしてこない。

 

「貴女に一つ頼みたいことがある」

「……なんでしょうか」

 

 小声となった張譲に倣って皇甫嵩もすぐ傍にいる彼女にしか聞こえない程度の声の小ささで聞き返す。

 

「もしも涼州にて、李信と名乗る男と出会えたならば保護して頂きたい(・・・・・・・・)

「……失礼ですが、確約はできかねます」

「それは勿論わかっている。あの広い涼州で出会うこと自体奇跡に近い。だからもしも、で構わない」

「それならば……まぁ。出来うる限りは尽力してみますわ」

「貴女の心遣い感謝する」

 

 それだけを言いたかったのか、張譲もまた軍議場に背を向けて歩き出した。そんな彼女を見て、皇甫嵩は溜息をつく。公私を挟まないと噂の張譲も所詮女であったのか、と。傍に侍らせていた少年―――李信が涼州に派遣されていることは聞き及んでいる。彼を優先して保護してもらおうなど、()の考えそうなことだ。それほどまでに張譲から愛されている李信のことが若干羨ましくもあるものの、皇甫嵩は準備に向けて心機一転させるべく気合を入れた。だからこそ、気づかなかった。張譲の本当の意味での求めていたことを。彼女が何故李信を保護させようとしたのか。彼女の真意まで考えるに至らなかった。去っていく張譲が、思わず漏らした本音。本心。それは誰の耳にも届かなかった。

 

 

 反乱軍を喰い尽くす(・・・・・・・・・)前に、保護して欲しい(・・・・・・・・・)

 

 

「……頼むぞ、義真殿」

 

 張譲と皇甫嵩。決定的な差異に気づかぬまま、彼女達は別れてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 燃えている。人が作り上げた道が、家が、城が、歴史が―――全てが燃え上がっている。遥か後方にて黒煙をあげながら燃え続けている金城の町々を背後に数万の軍勢が闊歩していく。その軍の丁度中間の位置にて馬を走らせているのは韓約文約である。周囲は腕利きの兵で固められており、彼女を害すことは実質的に不可能だ。問題は、総大将を勤めているはずの彼女ではあるが、普段とは異なり明らかに憔悴している。目に力もなく放つ圧も鳴りを潜めていた。それを見ていたのか、馬を並走させている男が彼女へと近づいていく。

 

「どうしましたかな、韓約殿。そのような顔をされては配下の者達も心配されるでしょう」

「……白々しい。お前がそれ言うか、伯玉(・・)よ。如何に我とて我慢の限界というのも存在するぞ」

「いやはや、怖い怖い。もしも総大将を降りたければ好きにしても宜しいですよ、出来れば(・・・・)ですけどね」

「……」

 

 韓約は無言のまま隣の男を睨みつける。その男は眉目秀麗な細目の優男であった。だが完全な漢の民と言うわけでもない。何故ならば彼は湟中義従と呼ばれる、漢王朝に帰順した異民族。その中でも名が知れ渡っている羌族の一人。即ち―――北宮伯玉。それが彼の名前であった。反乱軍を指揮する副将の立場に座し、軍を実際に指揮する将軍の一人。いうなれば反乱軍における大幹部の彼に向ける大将の目を憎悪すら篭っている。

 

「……我の妹は、家族は無事であろうな?」

「勿論ですよ。貴女が僕を裏切らない限りは、彼女達の安全は保証しますから」

 

 韓約は腹が煮えくり返る思いでその返答を聞く。

 馬騰に金城に返された後、しばらくは通常の生活をしていた韓約であったが、ある手紙が彼女の元へと送られてきた。それは反乱軍を率いたこの男によって韓約の家族及び親類縁者は人質に取られてしまったという内容であった。そのため、韓約は北宮伯玉の命令通り、金城を落とすために力を貸して、挙句の果てには反乱軍の総大将という役柄まで押し付けられてしまったのというのが現状である。

 

「しかし、韓約殿はやはり随分と皆に慕われているようで。いやいや、随分羨ましい話ですね」

「……」

 

 もはや口も利きたくないという姿に、肩をすくめる北宮伯玉。

 元々は羌族に対して彼が反乱を唆し軍を起こさせたのだが、考えた以上に兵が集まらなかった。これでは漢王朝を崩すなど夢のまた夢。そのように考えた彼は、頭に人望ある者を据えることによって人員不足を解消しようとした。候補としては馬騰もあがったが、生憎と彼女の一族は皆が怪物揃い。そう簡単には人質にすることもできなかったし、馬騰自身も反乱を起こすことに賛成していなかったため、次点として韓約に白羽の矢が当たった。だが、彼女もまた反乱には後ろ向きな立場だったため人質をとることによって言いなりにしている状況であった。

 

 

「貴女には感謝しかありませんよ。何せ、手下八部(・・・・)まで我が軍に参加して頂けたのですから」

 

 韓約が総大将を勤めているということが広がると、多くの漢民のみならず異民族まで参加を申し出てきた。特に、手下八部と呼ばれる勇将八人の参加も大きい。楊秋、侯選、張横、程銀、成宜、李堪、馬玩、梁興の八人で構成された涼州でも指折りの猛将であり、それぞれが軍閥の長でもある。彼らの参加によって、反乱軍の勢力はさらに強大化して、もはや涼州で彼らを止める事はできないほどに拡大してしまった。

 

「彼らを指揮し、漢王朝を潰す。そして―――僕が王になる」

 

 くすくすっと嫌な笑みを浮かべる北宮伯玉に、無言のまま韓約は馬の速度を上げてはしらせた。

 なんと無様なことか。そして愚かか。人質を取られたくらいでこのような事態に陥った自分の間抜けさに腹がたつ。だが、いまはどうしようもない。人質を解放する術も今の自分にはないのだ。方法はひとつだけ。それもまた人頼み。自分の情けなさに涙が出てくる。

 それにもはや自分は、韓約文約は詰んでいる。大々的に韓約が反乱軍の総大将だと広まってしまった。如何に脅されて引き受けたのだとしても、許されるはずがない。反乱が失敗すれば、まず間違いなく死罪となるだろうし、北宮伯玉とは違ってこの反乱が成功するとは夢にも思っていないし、漢王朝を打倒するのは不可能だろう。成功すると信じて悦に浸っている馬鹿もいるが、まずせめて数年後でなければ成功の兆しすら見えていない。これは破滅の道だ。だが、逃げ出せない。家族のこともあるが、韓約を信じて反乱軍に身を捧げた多くの人を裏切れない。それに、自分は既に許されざる大罪を犯したのだ。家族のためなどと逃げるつもりはないが、彼女が確かに金城郡を蹂躙させる切っ掛けを作ったのは確かなことだ。そして、行われた殺戮と凌辱の嵐。それを目を逸らさずに見ていた。見なければならなかった。自分がそれの原因となったのだ。せめて目に焼きつけておかねば、と思った。それだけの罪を背負ってしまっているのだ、韓約文約という女性は。もはや、自分には助かる方法もなければ、生きていて許される筈もない。ただ、()のみが自分に与えられる罰である。

 

「ああ……馬騰。騰よ……家族を頼む」

 

 擦れた一切の希望を持ち得ない韓約の声が漏れ出でる。空を見上げれば長年の友人であり、義姉妹の契りをかわした馬騰の姿が浮かび上がる。そして、もう一人。自分を罰してくれる可能性のある人物。この破滅的な反乱軍をなんとかしてくれるのではないか、という淡い希望を抱かしてくれる少年の姿。一度会っただけだというのに。そう思わせてくれる一人の少年の姿も浮かび上がった。

 

「……李、信。ああ……李信よ。我を……」

 

 

 

 

 

 殺してくれ(・・・・・)

 

 声なき声を響かせながら、反乱軍はひたすらに東へと進んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「―――伝令ぃ!! 韓約様からの伝令だぁ!!」

 

 馬騰が拠点とする街の館に、馬を走らせた一人の男が駆け込んできた。その慌てよう、相当に急いでやってきたのだろう。息を切らせて馬から降りると、館の入り口へと駆け寄っていく―――。

 

「そこまでだ」

 

 ピタリっと伝令の男の足が止まる。疲労とはまた別の震えが体の奥底から湧き上がってきた。気がついたときには目の前には一人の少女が立ち塞がっており、自分の首下に十文字の槍の穂先が突き刺さるかどうか寸前のところで止められていた。身体が凍ったかのように身動きが取れない。カチカチと音がすると思えば、自分の歯が震えから噛み合わされていることにようやく気づいた。茶色の長い髪を後頭部で纏め垂らした総髪。年齢的にまだ十代半ばであろうが、その年齢にしては女性的な体つき。キリっとした大きな瞳と一般的な女性と比べれば大きめの眉。全体のバランスが良く、十二分に見目麗しい美少女だと断言しても構わない。そんな少女が槍を片手に男の足を止める姿は色々な意味で目を引いた。

 

「書簡は受け取る。母様にはあたしから届けておくからもう戻るといい」

「え? 母様? まさか、馬騰殿の……」

「ああ。あたしは馬超(・・)。納得してもらえるか?」

「貴、貴公が()馬超(・・)!!」

 

 馬超孟起。馬騰の娘という立場でありながらもまだ若輩ながら槍の腕前は既に涼州一とも褒め称えられる若き英傑。その力量はかの英雄韓信、黥布にも匹敵するという武勇を持ち、異民族である羌族にも心服されている。確かに若いとは噂で聞いたものの、これほどとは伝令の男も思ってもいなかった。これ以上これほどの相手にごねるわけにもいかず、持っていた伝令の書簡を馬超へと渡す。それを確認していた馬超だったが、ふとその眉を顰める。

 

封が割れている(・・・・・・・)んだけど……どういうこと?」

「あ、ああ……すまない。一度落馬してしまったんだ。その時に割れてしまったのではないかと……」

「ふーん。まぁ、いいや。伝令、ご苦労さん」

 

 十文字槍を引くと、槍と書簡を片手に館へと戻っていき、母である馬騰の部屋へと戸を叩く。入れ、と返答はあった馬超は中へと進むと馬騰に持っていた書簡を差し出した。

 

「……誰からだ?」

「あーっと……韓約様からだって」

「約? 反乱軍の総大将になったとか噂に聞いたが、あいつも面倒な噂を流されたものだな」

「母様はアレってやっぱりただの噂だと思ってる?」

「まぁ、そうだろう。約が反乱軍などに籍をおくはずがない。ましてや、総大将などいわずもがなだ……おい、超。封があいているが、お前が開けたのか?」

「ち、違うよ。あたしじゃない!! 伝令の者がなんか落馬したからその時かもって!!」

 

 書簡を勝手に見たのか、と睨まれた馬超は慌てて首を横に振って身の潔白を訴えた。その姿に、どうやら本当に見ていないのかと判断すると書簡を開き目を通す。書簡の書かれている文字を目で追って行く馬騰であったが、次第に彼女の顔が強張っていく。これはまずい、と娘である馬超は空気を読んでか退室しようと試みるも―――。

 

「やってくれたな、伯玉めがっ!!」

 

 ドゴンっと猛烈な破壊音と凄絶な怒号が部屋中に響き渡った。遅かったか、と後ろを振り返れば怒りのあまり呼吸を乱した馬騰が、立ち上がり足元には粉砕された机が転がっている。自身の近くに飛んできていた書簡を拾って読んで見るものの、内容的には憤慨に至るまでもないもの。ようするに、反乱の総大将になったからお前も力を貸してくれ、というものだ。重ねて言うことになるが別に馬騰がここまで怒る内容では―――と考えていてはたっときづく。

 

「伯玉? だれだっけ?」

 

 どこかで聞いた覚えがあるが思い出せない。それに、そんな人物の話題はこの書簡には一字も記されていないではないか。

 

北伯玉(・・・)……あのくされ外道のことだ」

「あー、あー、あー。確かいたなぁ、湟中義従に。敵対した一族皆殺しとかやってたから良い印象は全然ないけど。で、そいつがどうしたっていうの?」

「……封が割れていたのは事故ではあるまい。恐らくは伝令の男が中を検めたのだろう」

 

 娘の疑問には答えようとせず、見当違いの話しをしだす馬騰だったが、馬超はそれに茶々をいれるような真似はしなかった。母がこのような話をしだすには必ず理由があるからだ。

 

「内容を知られぬために、約は暗号(・・)を使った。私とあいつしか知らぬ、通じぬ暗号をな。この文章の中に含まれたそれを読み解くと、伯玉の小僧が反乱軍を裏で操っている。飾りの大将として、約は家族を人質に取られているということだ」

 

 母が少しは冷静になったかと思ったが、逆だ。怒りが振り切ってしまって冷静に見えるだけだ。ヤバイ。本気でマズイっと馬超は冷や汗をかく。ここまであの馬騰が怒りを露にしたことなどとんと目にしたことがなかった。

 

「馬を引け、超よ。そして兵を纏めよ!! 我らの友を侮辱し陥れた罪、あの小僧に命をもって贖ってもらうぞ!!」

 

 上着を羽織って室内から出て行こうとする馬騰に、恐る恐る手をあげてその足を止めさせた馬超は、首をこてんっと横に倒しながら確認するように問い掛ける。

 

「えっと……反乱軍に敵対するってことでいいのかなーって」

「それ以外にどう私の言葉を受け取った」

「あたしたちは兵をかき集めて精々が五千くらいだけど、反乱軍は数万をこえているっていうけど?」

「それがどうした。我ら馬一族を怒らせたことを後悔させてやる。お前は不服か、超よ」

 

 ぎろりっと睨みつけてくる母に、首を横に振って不敵な笑みを返す馬超。十倍以上の敵と相対するというのに、彼女は確かに笑っている。凄絶に、凶悪に、荒々しくも美しく。彼女には一切の不安も心配の色もない。この少女もまた怪物。あらゆる敵を打ちのめし、討ち滅ぼす戦いの天才。そんな彼女は戦いへ対する喜びと興奮を隠そうともせずに、槍を片手に天へと突き上げた。

 

「何言ってるんだか、母様。あたしはね、数万じゃ足りない(・・・・・・・・)って言いたい。反乱軍の奴らに―――本当の西涼の流儀を教えてやるよ」

 

 

 西涼の雄。馬騰率いる馬一族が、反乱軍への進撃を静かに開始し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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