真・恋姫†無双 飛信譚   作:しるうぃっしゅ

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第16話:馬騰と韓約

 

 

 

 ある日の漢陽の官庁は蜂の巣をつついた騒ぎになっていた。漢陽中の文官が朝から休む間もなく仕事に追われている。文官不足の涼州にて忙しいのは当然のことでもあるが、この日は特に群を抜いており、混乱に陥っていると言っても過言ではない状況であった。その理由は実に単純。ある二人がこの漢陽を来訪するからだ。たかが二人訪れるからなんだ、とそれを聞いた者は思うかもしれない。だが、その二人が問題となる。つまりは騒ぎとなるほどの大人物―――即ち。

 

 

「馬将軍、韓将軍……お二人が到着されましたァ!!」

 

 

 官庁中響き渡る緊張をはらんだ声。馬騰と韓約(・・・・・)。この涼州においてその名は大きな意味を持つ。涼州における大勢力を誇り、漢朝のみならず異民族に対しても一目おかれている英傑だ。両者ともが義に厚く、賢明であると噂されており、実際に漢民や羌族などの異民族からも多くの尊敬を集めている人物達。

 

 元々昨今の涼州の治安や異民族からの侵略などについての書状をだしていたのだが、まさか書状での返信ではなく漢陽へとわざわざ訪問してくるなど誰が想像し得ただろうか。しかも、二人同時。偶然という言葉で片付けられるはずがない。もともとが馬騰と韓約は義姉妹の契りをかわすほどの仲でもある。二人して連絡を取り合って示し合わせたと考えた方が無難であろう。その二人が一緒に来訪し、一体どんな無理難題が話題になるのか想像もつかない。ここまでは太守傅燮と賈詡の両者の予測は一致していた。

 

 漢陽官庁における謁見の間。洛陽などに比べれば当然見劣りするが、流石に涼州最大の都市ということもありそれなりの大きさの広間にてもっとも上座の位置に傅燮が、それの両隣に賈詡と董卓がそれぞれ座している。そして両側縦一直線にこの漢陽を支える文官達が並んでいた。皆が皆、あまりに突然のことであったため平静さを保ててはいない状況なのは一目見て明らか。普段通りなのは傅燮のみで、あの賈詡や董卓ですらも表情に若干の困惑が見える。

 

 ドクンドクン、とこの場にいる全ての人間の心臓が早鐘を打っていた。それぞれの唇も乾き、会う前から既にまともな状態を保っていられない皆に、傅燮は大人の女性にしては子供っぽい動作で自身の右人差し指を唇にあて少し考え込む動作をするも一瞬。

 

「―――お腹減ったわねぇ」

 

 緊張が瞬間的にだが霧散した。今のままで扉の方を落ち着かず見ていた文官達がガクっと思わずよろけてしまったが、すぐに傅燮へと全員が向き直る。

 

「傅燮様……このような時に冗談はおやめ下さい」

「ええ……だってもうすぐ太陽が中天に差し掛かる頃でしょ? お昼ごはん普段だったらもう食べてるんだし」

「確かにそうですが……。これから来る二人のことを思えば食事など……」

「ご飯は重要よ? 食べないと力がでないもの。ああ……貴方達がそんな顔(・・・・)しているのもきっとご飯を食べてないからじゃないかしら?」

「……そのような顔(・・・・・・)をしていましたか?」

「ええ。馬騰殿と韓約殿も気にされるんじゃない」

 

 くすくすとを顔をほころばす傅燮の姿に、自分たちがどれほど平常心を失っていたのかようやく悟る。ふぅっとそれぞれが深い呼吸を繰り返し、皆がぐっと奥歯を噛み締めた。冷静さを取り戻し、目の色が変わった文官達。既に先程まで萎縮していた彼らの姿はここにない。もともとが傅燮に認められ、任じられた優秀な者達ばかり。この過酷極まりない涼州にて、漢陽はその一部地域に過ぎないとはいえ最大の郡にまで成長させた力量は伊達ではないのだ。

 

 そんな彼らの姿を見て、賈詡は思わず上手いと思った。あの誰もが緊張して平静ではなかった状態で会見をすれば一体どうなっていたか。緊張をほぐすために、わざと傅燮は全く関係がない話題で配下の意識を一度ずらした。そして今度はどれだけ自分たちが平常心を保てていなかったか本人達に気づかせた。実に単純なことではあるが、それは絶大な効果を発揮している。このような機転が利く上司のことは見習うべきだと考えているが、自分では無理だろうとも考えている。元々がそこまで人付き合いも人当たりも良いわけではない。好んでしようとも思えない。賈詡にとっては、友人である董卓さえいればそれで人生は完結しているのだ。ちらりっと視線を傅燮を挟んで逆側にいる董卓へと向ければ、それに気づいて彼女は小首を傾げた。どうしたの、とでも言いたげな友人の姿に何でもないと首を横に振った。そういったことは友人に任せておけばよい。彼女の人柄、穏やかな性格はこの涼州では貴重だ。能力も優秀、気の弱そうな外見ではあるものの意外な芯の強さもある。賈詡は友人と言う贔屓目を除いても何時か彼女がこの涼州に安寧を齎すのだと信じていた。

 

「参られ、ました」

 

 平静であろうとしているものの、その言葉には隠しきれない畏れ(・・)を含ませた案内役の者がついに扉を開ける。ギィっと扉が音を軋ませ、謁見の間へと姿を現した人物を見て、文官達の身体が固まった。文官と言えど、ここは涼州の地。命の危険があったことなど数知れない。海千山千の実力者を数多見てきた彼らでさえも、現れた馬騰率いる一団を見て思考に空白を作り出される。

 

 先頭を行く者は、その一団においてなお異彩を放つ巨大な女性であった。その背丈は実に六尺を超える大きさ。この広間にいる誰よりも背が高く見上げねばならぬほどだ。だが、顔の容貌自体は整っており、茶色の短い髪がその風貌に良くあっている。彼女の背後に追従している者数名もどこか似たような雰囲気と顔つきで、もしかしたら親類縁者なのではないかと想像をかきたてる。問題は、この広間へと姿を現した者達のなか、()の臭いをさせている者は二人だけ。その他は恐らく自分たちと同じ文官(・・)の立ち位置なのだろうが―――その全員が本来の彼女達よりも大きく(・・・)見えるということだ。覚悟は完了していたというのに放つ重圧は誰もが尋常ではなく、一人一人が戦場での武将級の気配を纏わせている。本来の相手よりも一回り違って見えるということはつまりは漢陽の文官達がその圧に気圧されているということ。()が違っていることに他ならない。されど、彼女たちはカッカッと足音をたてながら傅燮の前まで歩み寄ると、洪手の礼を取って膝を折る。

 

「久しぶりですな、傅燮殿」

 

 先頭を歩んでいた大柄の女性が一番に口を開く。何でもない挨拶にしか過ぎないそれは、だがしかしこの場にいる全ての人間の身体を圧した。聞く者の心を、覚悟を打ち砕く戦場の圧力。されど、打ち砕いておきながらその心を大きく包み込む不思議な包容力。そんな相反した威圧に晒された皆が皆、ただ呆然としているなかで、やはり傅燮は変わらない。穏やかで優しげな笑みを浮かべたままだ。現に彼女だけはこの一団をその姿以上には見ていなかった。

 

「ええ。本当に、ね。馬騰殿(・・・)

 

 初めて会う者はこれほどのものか、と。久方ぶりの者は、これこそが馬騰なのだと認識するに至った。そんな中、違和感を抱いている者が二人(・・)。賈詡と董卓である。その違和感を二人は必死になって探っていたが、ふと気づいた。それはかつて会ったときほどに大きく見えていない(・・・・・・・・・)、ということだ。以前会ったときはあまりの重圧に何も考える間もなく、冷静になる時間もなく別れて終わった。だが、今は確かに多少は大きく見えるが、それでもそれは本来の馬騰達と比べれば僅かな誤差に過ぎない。二度目で彼女達の圧力に慣れたのか、と安堵しそうになったとき、賈詡は気づいた。彼女達の存在感は確かに凄まじい。少なくとも今の自分では馬騰には及ばないだろう。だが、自分はもっととんでもない化け物を知っている筈だ。会っている筈だ。言葉を交わしているはずだ。李信(・・)という名の怪物に比べれば、十分に人間の範疇ではないか。

 

「……ああ。そうか」

 

 ぽつりっと漏らした言葉はあまりに小さく傍にいた傅燮にしか聞こえなかった。幸いにも上司はそれを咎めることはせずに、賈詡の表情を見て触れないほうが良いと判断したようだ。それに感謝をしつつ、気を引き締めなおした賈詡は、瞬きを一度。開け放った次の瞬間には―――本来の馬騰達がいた(・・・・・・・・・)。かつて気圧された自分はもういない。ここにいるのは、漢陽県丞である賈詡文和。小娘ではあるが、涼州における文官の頂点の一角だ。気弱になっている暇も時間も立場もありはしない。堂々としたその姿。それに目を奪われたのは馬騰であった。この馬騰を前にして、ああも平常心を保っていられるものか。傅燮ならばまだわかる。優れた能力に加えて、人生経験が豊富なのだから。だが、どう見ても十数年しか生きていない少女がここまで冷静沈着にいられる理由がわからない。確か以前会ったときはこれほどまでではなかったはずだ。この数ヶ月の間に一体何がおきたのか、快感にも似た探究心に襲われるものの、それも一瞬だ。今は他に目的があるのだから、あまり私事に拘っていて良い状況ではない。

 

「ふはは。ふははははははははははははー!!」

 

 緊張孕んだ謁見の間に突如として響くのは女の声だ。何事かと誰もが驚きを隠せないなか、謁見の間の扉から勢いよく室内へと駆け込んできた人影。床を蹴る音が何度も反響し、軽業師もかくやという身のこなしで馬騰の配下を飛び越えて傅燮の眼前にその人物は降り立ち―――見事に着地に失敗しすっ転んだ。静まりかえる皆を無視して痛む身体を我慢して立ち上がる。

 

 大灼熱に燃え上がる真紅に輝く長い髪を、頭部の左右でまとめており、垂らした髪は両肩に掛かる長さとなっている。俗に二つ結いと呼ばれるその髪形。髪色とは正反対の蒼天の両瞳。可愛らしさと美しさの両方を印象付ける顔立ちで、彼女の年齢を見るものに読ませない。まだ十代にも見えるが、二十代にも達しているのではないかとも思わせる。少女のような純粋さと、大人の女性の妖艶さ。決して相容れぬ二つの魅力を煌々と全身から放っている。

 

「遠からんものは音に聞けぃ!! 近くば寄って目にも見よぉ!!」

 

 馬騰達が登場したときとはまた別種の奇妙な空気が謁見の間を満たす。

 

「我こそは金城従事!! 姓は韓!! 名は約!! 字は文約であるぞぉ!!」

 

 全く空気が読めていない―――韓約らしき少女の宣誓が鳴り渡る。

 

「我!! 参上!!」

 

 ドンっと背後に文字が出そうな勢いで無い胸を張って白い八重歯を覗かせながら大きな声で笑い続ける韓約の姿に、馬騰は苦虫を噛み潰した表情で背後まで歩いていくと未だ高笑いしている彼女の頭に拳骨をたたき落した。

 

「ふ、ふぎゃぁ!?」

 

 なにやら不気味な声を上げ頭を抑えて蹲る韓約に、嘆息しつつ馬騰が頭を下げた。

 

「約が失礼した。久しぶりの漢陽で若干興奮しているようで、申し訳ない」

「いえ。相変わらず韓約殿は予想を裏切ってくれて面白いわね」

 

 韓約の姿を知らなかった者は、まさかこの少女が噂に名高い西涼の雄なのか、と驚きを隠せない。しかし、韓約の容姿は幾らなんでもおかしいことにはたっと気づく。馬騰と韓約の名が知れ渡り始めたのはおおよそ十年も前からだ。馬騰ならば年齢と合致するが、韓約の十年前を想像すればまだまだ幼い時分のはずだ。だが、肝心の傅燮が少女を韓約と認めているのだから疑うわけにはいかないものの、やはり疑問が残る。

 

「この度は突然の訪問にも関わらず、時間を作っていただき感謝しますぞ」

 

 痛みを堪えている韓約を放置して話を続けることとした馬騰に、一度頷く傅燮。

 

「いいえ。わざわざ漢陽に来てもらったのだもの。時間くらい幾らでも作るわよ」

「重ねて言うが、真に申し訳ない。緊急に伝えておきたいことがあったためこのように礼を欠くことになってしまいました」

「大丈夫よ……ああ、それはそうと、韓約殿と二人揃ってなんて珍しいわね。何かあったのかしら?」

 

 傅燮と賈詡が気にしていた、二人同時の訪問について直球で聞きに行った傅燮だったが、その質問に対して馬騰は僅かに眉を顰めて憮然とした表情で韓約を見下ろす。

 

「特にない、としか言えません。たまたま約が私の屋敷に遊びに来ていたのですが、暇だからとそのまま着いてきただけです」

「ひ、暇だから……?」

「はい。約の立場からすれば当然そんな訳はないのですが……どうやら部下に仕事を割り振ってきたようで。残った金城の者達は地獄を見ていると予想するのは容易いですな。北に戻る際には送っていく予定です」

 

 深読みしていた傅燮や賈詡、その他の者達にしてみれば想像の遥か外。とんでもなくどうでも良い理由であった。或いは馬騰の嘘かとも思ったが、痛みに頭を押さえている韓約の姿を見れば、実際的にありえそうなのだから恐ろしい。

 

「うむむむぅ……酷いぞ、騰よ。幾らなんでも強く殴りすぎだ。馬鹿になったらどうするのだ」

「お前は少しくらい馬鹿になったほうが丁度いい」

「なんと冷たい。我ら義姉妹の契りをかわしたというのに。あの頃のお主はどこへいったというのだぁ!?」

「……あの頃は私も若かった。今思えば少し早まったかもしれん」

 

 馬騰の台詞にガーンと地味に打ちのめされた韓約であったが、精神的には耐性があるのか崩れ落ちることなく両腕を組んで再び笑い声を上げ始める。そして、その話を聞いていた周囲の文官達は別の意味で呆然となった。彼女達の言を信じるならば、やはり見かけ少女にしか見えない彼女は韓約に他ならない。つまりは、御歳二十を超え、下手をしなくてもその後半には差し掛かっていてもおかしくはない御年齢となる。彼女の肌のはりや艶、とてもそんな年齢には見えない。もはや驚きがそちらに大部分食われてしまっている状況であった。

 

「さて、傅燮殿よ。此度はお主らに伝えねばならんことがあってまかりこした」

「ええ。私が話の腰を折ってしまったけど、そういえば先程馬騰殿も言っていたわね。何かしら?」

「うむうむ。我と騰とのそれは一緒だ。故に我が纏めていってしまおう。よいか?」

 

 頷いた馬騰を確認後、韓約は何の躊躇いもなく口を開いた。

 

「近々この涼州にて大規模な反乱(・・・・・・)が起きるぞ(・・・・・)

 

 平然ととんでもない爆弾を落とした韓約に、この場にいた漢陽の者達は反応ができない。まるで今日のご飯の内容を語るかのように、日常会話の如く言ってのけたが故に、言われた方としては理解するのが遅れてしまった。それはあの傅燮ですらも同様で、董卓も目を白黒とさせている。

 

「お待ち下さい。文約様……反乱? 反乱がおきるとは一体?」

 

 その中でも最も早く立ち直ったのは賈詡であった。

 優秀な文官であると同時に、軍師としての才能も持ち合わせている彼女は出来る限り情報を搾り出そうと質問をぶつける。上役である傅燮の了承を取らずにこういった行為にでることはない彼女が反射的にでも行動してしまったことを悔やむものの、今は僅かでも話を引き出したほうが良い。

 

「うむ。実を言うとな、先零羌の者達から先日に打診があったのだ。面倒事には巻き込まれたくないゆえに、受けなかったが、随分と大規模な人数になっているぞ、あれは。起きれば或いは涼州がひっくりかえるやもしれん」

「私の元にも連絡がきましてな。保留にしていますが、奴らは本気ですな、あれは」

「……そんな馬鹿な」

 

 賈詡が漏らした心からの本音。今まで異民族からの反乱がなかったわけではない。だが、涼州がひっくり返るなどという発言。一体どれほどのものだというのか。

 

「先零羌のみならず、既に数万(・・)の人間が参加しているとも聞く。流石に拙いのではないか?」

 

 数万。それが事実であるならば、はっきり言って漢陽に止める手立ては存在しない。方法があるとすれば、早い段階で金城郡にて異民族の反乱防止にあたっている護羌校尉に動いてもらうしかない。そしてそれは金城郡にて名声と地位を得ている韓約に頼むべきである。

 

「みなまで言わずともよい。先程言ったが我もこれから金城に戻る。太守にその旨しっかりと伝えることを約束しよう」

 

 戦争なぞできればしないほうが良い、と言い切った韓約にこの場の者達は思わず安堵した。最悪の情報ではあったが、それが形になる前になんとか手を打つことができるかもしれない。それに胸をなでおろす。パシンっと小気味宵よい音をさせて洪手の礼を取った傅燮は深々と頭を下げた。

 

「馬騰殿。韓約殿。貴女達の心遣いに感謝を」

「よいよい。我とて本気で朝廷と争うなど無謀にすぎると考えておる。如何にかつてより衰えているとはいえ、現状反乱を起こしても勝ちの目など見えはせぬ」

「無駄に死人を出すのは私も好きではないですから。私の支配地では反乱に手を貸さないように前もって通達しておきます」

 

 その後様々な話をするものの、最初の反乱の情報ほど大きなものもなく、当たり障りのない会話で馬騰と韓約の謁見は終了するのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「ところで約よ。あの娘をどう思った(・・・・・)?」

 

 話し合いが終わり、謁見の間から出て歩き出してから馬騰が突然にも切り出した。それに考え込む韓約だったが、すぐに顔を上げて歩みを止めることなく口を開いた。

 

「なかなかに面白い!!」

「やはり、か。お前が言うならば本物だろう」

 

 賈詡文和(・・・・)。二人同時にその名を口に出した。

 

「我らを前にして臆しておらぬその姿。なんと見事なものか。あれで十四……五か? 末恐ろしい小娘であるな」

「全くだ。私の娘も連れて来るべきだったか」

「ほぅ。馬超を(・・・)? 確かに文和があれほどに化けている(・・・・・)ならばそのほうがよかったやもしれんな」

「ああ。自分と同年代で文官とはいえあれほどの高みに昇っている。良い目標になりそうだ」

「互いに切磋琢磨する関係になれば、どれほどの領域に辿り着くか。はははははははっ!! 実に興味が絶えないものだ」

 

 二人の会話を聞いている背後に追従していた供の者の顔には疑問がありありと浮かんでいた。傅燮の傍に控えていた小娘が何故にこれほどまでに主に評価されているのか。確かにあの状況で終始冷静であったのはたいしたものだと思うが、まだ小娘にしか過ぎない発展途中の一文官を評価し過ぎではないか。彼女達にここまでの好評価された人物を聞いたことがない。そんな内心が表情にありありと表れているのか、馬騰と韓約は自身の配下に小さく笑みを浮かべた。

 

「完成されているモノの何が面白いか。私にとって、賈文和は未完成(・・・)だからこそ心惹かれる。僅か数ヶ月で鼠が獅子に化けたのだぞ? 果たしてアレはどこまでの高みに達せられるか。楽しみが出来たというものだ」

 

 出来れば自分の配下に欲しい。と付け加えた馬騰。

 

「うむうむ。騰の言うとおりだ。だが、我は少し意見が違う。完成されて(・・・・・)いるモノ(・・・・)。それは面白くはないかもしれん。されどそれは、美しい(・・・)。研ぎ澄まされ、磨き済まされた完璧なモノにこそ我は惹かれる」

 

 見事に反する二人の意見。

 だが、二人はどちらも互いを否定しようとはしなかった。若かりし頃なんども問答したということもあるが、そのどちらともの言い分も理解出来るからだ。この二人は一緒にいるときは子供(・・)なのだ。若かりし頃よりこの涼州にて生き抜いてきた彼女達。年齢を重ねることによって、彼女達は次第に地位と名声を得てきた。背負うモノも増えてきた彼女達は、日々苦悩と苦労を一身に浴びている。背負っている。故に様々な考え意見はあろうが、この二人は義姉妹でありながらも友である。そして二人でいる時のみ童心に帰る事が出来る。そんな馬騰と韓約の会話を結局は理解出来た者はいなかった。配下の者達もまた、二人の本質を完璧には解ることが出来ていないという話に集約されるのだろう。やがて官庁の入り口の広場まで辿り着く間近、長い階段を降りているときだった。

 

「たくっ……お前はしつこすぎるぞ、張遼」

「ええやん。ええやん。ウチも仕事が忙しくてあんまり李信と遊べんし。なんならもう二、三回くらい模擬戦やってもええくらいちゃう?」

「いい加減にしろ。お前が李信とやりすぎて、私の時間までなくなっただろうが」

「えー? やらしいな、華雄。私の(・・)なんて強調しすぎやない? 他の隊員も待ってたんやろうし」

「揚げ足を取るな……」

「おお、成長したでごぜーますな、姉御。昔だったら速攻にぶちきれて斧ふるってたはずでしたが」

「……そんな短気だったの? そういえば最初あったとき有無を言わさず殺す気で襲い掛かってきたっけ」

 

 階段を降りる馬騰達とすれ違う形で階段の横を通り抜け、わいわいと騒ぎ立てて歩く一団がいた。何でもないような会話をしていく彼らであった。実際に供のものは全く気にしていなかったが、馬騰と韓約の二人の反応は劇的であった。特に韓約は、階段の手摺から身を乗り出し、一団を見下ろした。一団の先頭を歩く少年の姿を確認すると、キラキラと目を輝かせ―――勢いよくとめるまもなく空中へと小さな身体を躍らせた。秒もたたずして、彼女は地上へと到達する。丁度李信達の前に立ち塞がるような格好だ。

 

 

「ふはははははははっ!! 我、参上!!」

 

 足の痺れに涙目となりつつ、薄い胸を張りながら声を張り上げる韓約に、冷たい視線を送るのは李信だ。

 

「……なんだ、この頭のおかしい奴は」

 

 嘘偽りない本音が飛び出てくる。失礼にもほどがあるが、いきなり空中から飛び降りてきて、この台詞。確かに普通ではない。むしろ頭がおかしいと言われてもおかしくはないというか、おかしい。こんなのでも涼州で一、二を争う文官なのだから世の中わからないものである。彼の容赦ない辛辣な評価を受けながら、韓約は気分を害した様子は見られない。むしろ、慌てたのが李信に続いている者達だ。

 

「あー。李信。確かに頭のおかしそーな人ではあるんやけど。一応その人結構なお偉いさんやで」

「……うむ。明らかに普通ではないが、一応は金城で名の通った方だ」

 

 韓約と顔見知りである張遼と華雄は、なんとか彼女の奇行を補おうとするも、思わず本音がまろびでていた。十分に彼女達の台詞も失礼に値するのだが、それを責める者は誰もいなかった。

 

「で、このちびっ娘は……結局誰なんだ?」

「あぁ……この方は―――」

 

「驚き、慄き、頭を垂れよぉ!! 我こそは、涼州に名を轟かせし韓約!! 字は文約であるぞ!!」

 

 華雄が韓約を紹介しようとするものの、それよりも早く韓約が名乗りを上げた。韓約、韓約、と口の中で呟いていた李信であったが、しばらくしてその存在を思い出した。あの辛口の張譲が、珍しく高評価をしていた涼州の人物。文官の極みの一人。なんでも宦官不要説を引っ提げて、あの何進(・・)に直訴したとも言われている女性だ。それを聞いた際の張譲の爆笑ぶりは、傍にいた李信でも思わず引きかけたほど。 

 

「……それは失礼しました。手前は李信。字は永政と申し―――」

「よいよい!! 今更そのような鯱張った言葉遣いなど不要!!」

 

 かぶせ気味に李信の台詞を遮ると、洪手をした李信へと近づいていく。恐らくは先程まで張遼達と訓練をしていたのだろう。普段よりも一段階重い圧力を纏っている彼に全く恐れも見せないその姿。この場で誰よりも小柄な韓約であったが、彼女の放つ圧力も尋常ではなかった。先程の謁見の間での彼女とは既に別物。別人だと称しても信じられるほどに違っていた。

 

「李、信。李信か!! 凄いな、お主。初めて見たぞ、我が友馬騰を上回る化け物を!!」

 

 目の前で李信を怪物呼ばわりする韓約だったが、目を輝かせて李信を上目遣いで窺っていた突如としてその麗しの顔を曇らせる。

 

「……むぅ。なにやら違和感がある。お主見かけ通りの年齢、か? もしかして我と同じような若作りと言うわけではあるまいな? その年齢で、これほどの高み。絶対にありえぬ……が、それは我の物差しにしか過ぎぬ。我の想像を超える者がいてもおかしくは―――」

 

 ガンッと響くのは本日二度目の拳骨の衝撃。

 階段を降りてきた馬騰の拳が先程よりも強烈に、友の頭に振り下ろされた。今度は悲鳴もあげずに地面に倒れた韓約を、担ぎ上げて肩に引っ提げる馬騰。

 

「約が迷惑をかけた。こいつに代わって謝罪しよう」

 

 固い表情の馬騰が頭を下げこの場から去っていく。その姿を唖然と見送った張遼達だったが全員が互いに顔を見合わせて首をかしげた。一体なにをしたかったのか。肝心の馬騰達がいなくなってしまったのだから、その理由も聞くことが出来ない。まぁ、いいかと李信達は昼食を取るという本来の目的を果たすために、馬騰達とは正反対の方角へと向かっていった。

 

 そんな李信達から離れて官庁から抜け出た馬騰達であったが、彼女は肩に背負っている韓約だけに届く小さな声で呟く。

 

アレ(・・)には関わるな。強い弱い、才能があるない。武将だ文官だ、などという枠組みにいない。戦場で生き戦場を支配する者。その気になれば漢朝すらも喰い破る、制御不能な悪鬼羅刹だ。中央のものは何を考えている。戦場溢れるこの涼州に、何故あんな化け物を追いやった」

 

 逆だ。逆なんだ。全ては逆だというのに。李信という男に戦場を与えてはならない。アレは如何なる戦場でも生き抜き、戦果を上げる。絶対に死ぬことなどありえない。殺すことなど不可能だ。逆に戦渦となって、あらゆる戦禍を周囲に齎す。あのような人の枠組みから外れた怪物は、戦場からもっとも遠い洛陽でこそ飼いならすべきなのだ。それが中央の官僚達はわかっていないのだ。いや、わかっていながらも自分達から遠ざける為に涼州へと送ったのかもしれない。それが近い将来自分たちの首を絞める結果に繋がっているとも知らずに。

 

「やはり反乱軍の申し込みは保留にしておいてよかった。あんな輩と真っ向からぶつかりあうなど、ご免被る」

「―――思い出したぞ!!」

 

 バッと馬騰の肩から飛び降りた韓約は、痛む頭を押さえながらも李信達が消えていった方角へと視線を向ける。

 

「何を思い出した、約?」

李信(・・)。かの中華六将(・・・・)が一人と同姓同名だ!!」

「中華六将?」

「うむ。かつて中華を初めて統一した大国家秦の建国に尽力した将軍の一人。個の力ならば中華六将の中でも最強と謳われた男。武神殺し(・・・・)とも言い伝えられる色褪せぬ伝説の武将だ」

「私が知らない時点で十分色褪せていると思うが……」

「う、うるさい!! しかし、数多の伝説を残すあの李信と名を同じくするか。ふ、ふはははははははは!! あの圧、雰囲気、力量!! その全て!! 生まれ変わりと言われても我は信じるぞ!!」

「……好きに言ってろ。ああ、全く。お前の武将好きも困ったものだ」

 

 とんでもない韓約の発言に若干どころかおおいに呆れた馬騰は、韓約と連れ立ってその日のうちに漢陽から出立するのであった。だが、それから十日あまりが経過したある日、漢陽を激震させる報告が傅燮の下へと届けられる。反乱軍によって護羌校尉及び金城太守は殺害され、金城郡陥落。反乱の参加者は異民族である先零羌だけではなく、かつて羌族の反乱を何度も鎮圧した破羌将軍段熲(・・)の配下だった者たち。これまでのような単なる羌族によるの異民族反乱ではなく、彼らを鎮圧する立場でもあった義従や涼州に住まう漢民族までもが反乱軍に参加している一大蜂起がおきたということ。そしてその反乱軍の総大将の名は―――韓約文約と言った。

  

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 


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