真・恋姫†無双 飛信譚   作:しるうぃっしゅ

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第14話:華雄という名の少女

 

 

 

 

 

 遥か頭上には蒼天が途切れることなく広がっている。

 手を伸ばせども決して掴み取ることは出来ない。どこか遠い目で遥かなる青空を仰ぐ、一人の武人がいた。女性と少女―――どちらの言葉が相応しいか迷う年齢である。

 白銀の短い髪。傷一つない玉のような肌。切れ長の目。顔立ちは整っており、多くの異性の視線を集めることが可能な美少女と表現しても構わないだろう。ただし、だらりと垂らした両手には、巨大で―――あまりにも無骨な一振りの巨斧の刃が大地を噛み締められ、その柄を強く握っている。それが彼女の容姿と相反する印象を見る者に与えてきた。

 

 そしてそんな彼女の眼前には夥しい数の墓石がある。

 軽く三桁を超える墓石は然程昔のものではないと思われるが、それでも綺麗に磨かれ丁寧に扱われているのが一目でわかった。

 

「―――また、逝ったか」

 

 眼を細め、空を仰いだまま、彼女は抑揚のない声で呟く。それに込められた感情は、悲哀であり寂寥であった。荒涼たる生命の輝きがない無の砂漠を連想させるほどに、彼女の言葉には悲しみが込められている。

 涼州の生活は過酷だ。異民族の襲撃が何時あるかもわからない。たった一夜にて村を滅ぼされることなど日常茶飯事とは言えないが、そこまで珍しいことでもなかった。 

 

 彼女もまた、物心ついた頃に異民族の手によって住んでいた村を滅ぼされた過去を持つ。父や母の顔ももはや覚えてはおらず、気がついたときには辺境の裏町の一画にて、生活していた。それこそ、彼女は生きるためならば何でもやった。強盗、略奪、時には人殺しさえ躊躇わなかった。やらなかったことといえば、子供を殺さなかったことと身体を売らなかったことくらいだろうか。幸いにも街のごろつき程度は軽々と屠れる力を彼女は持っていたからだ。泥水を啜り、塵を漁り、ただ空腹を満たすためだけにその日を生き延び続けた。誰も彼もが敵に見え、どこに行っても受け入れられず、誰に会っても忌み嫌われる。絶望と虚無に覆われた幼い時代を過ごしてきた。周囲の存在は全てが敵。そんな毎日の中で、信じられるのは自分の持つ力だけ。いや、圧倒的な暴力とでもいうべきものだけだった。

 

 自分の力の使い道など考えもせず、異民族へ対しての復讐心を胸に秘め、仕官を試みたのは数年前のことだ。外見で侮られたことは慣れていた為、ただ己の力を見せ付けた。恐怖と畏怖に彩られた視線を向けられたが、そんなものには一切心が揺れ動かず、それからひたすらに戦い続けた。勝って殺して、力を示し続け、僅か数年もかからずに彼女の名前は涼州に轟くこととなる。

 

 彼女は戦い続けた。勝ち続けた。己の力を誇示し、味方でさえも近づくことを躊躇うほどの屍山血河を作り上げてきた。優越感も何もない。満足感さえもなく、己の空っぽな心を満たすために、復讐心が薄れるのを恐れるように戦い続けた。殺すこと。それしか、彼女は自分の心を守る方法を知らなかっただけだ。

 

 常に戦場の最前線で武器を振るい異民族を屠ってきたが、そんな彼女を気にかける者達もいた。彼女と同じ部隊で戦場を駆け抜けた兵士達。彼らの中には、彼女を娘のように見る者もいた。孫のように見る者もいた。尊敬すべき同士と見る者もいた。背中を預けるに足る友と見る者もいた。そういった彼らを煩わしく思いながらも、どこか暖かな光を彼らの中に少女は見ていた。

 

 彼らのおかげで、少女は獣から人となる。だが、彼らは英雄ではない。英傑ではない。人間の域を出ることが出来ない彼らは、出撃する度に命を落としていった。殺して殺され、奪って奪われ―――それでも少女は歳を重ねながら戦場で生きる。

 

 不思議なものだ、と過去を振り返っていた少女はよりいっそう強く斧の柄を握り締めた。幼い頃のような激烈な憎悪は既にないことを自覚していた。実に皮肉で陳腐な表現になるが―――時の流れが全てを忘れさせる。もはや家族の恨みというよりも、自分を支えてくれた戦友の想いを継ぎ、無念を晴らしたいという気持ちのほうが大きくなってしまっているのも事実だ。

  

 数多の戦場を駆け抜け生きぬき、数年の時が流れた今では彼女は属する部隊で最古参の兵士となってしまった。それと同時に部隊を率いる隊長を彼女が兼任することとなったが、己自身隊長の仕事をこなすことが出来ているとは考えていない。基本的に個人での戦闘能力が突出しすぎた彼女は戦場を縦横無尽に駆け抜けることしかしてこなかった。元々頭を使うのが得意ではないということもあり、部隊を率いるなど出来るはずもなかった。

 

 ならば彼女の補佐に軍師を―――と考えられたこともある。だが、この涼州において軍師は貴重だ。ましてや優秀な者など数えられるほど少ない。特にこの少女とその配下達を動かすことが可能な人間など、現在の県丞の任についている賈詡くらいであろうか。そして肝心の賈詡は仕事に忙殺され戦場に出ることは実質不可能。つまり、現状では今ある手札でなんとかやりくりするしか手段はない。

 

 しかし、その結果が目の前に広がるこの光景だ。その原因となっている己の力不足に唇を噛み締めた。このままこの状況が続けば、眼前の墓石はさらに多くなっていくことは確実に予想される。一体どうやって現状を打開すべきか珍しく思索に耽っていると、バタバタと慌てて駆け寄ってくる足音が聞こえた。 

 

 

華雄(・・)の姉御ー!!」

 

 手を大きく振りながら、駆け寄ってきたのは小柄な少女だ。焦げ茶色の長い髪が慌てて走って来ているせいで左右に大きく揺らし、団栗のようにくりくりとした大きな瞳が印象深い。胸部と下半身には丈夫そうな防具を纏っているが、何故か腹部は外気に曝け出すという謎な装備が人目を惹く。ましてや、年頃の少女と言うこともあり、傷一つない白い素肌が男にとっては目に毒になるだろう。だが露出が多い服装を気にもしていないことを―――華雄と呼ばれた少女は知っていた。

 

「―――胡軫か。そんなに慌ててどうした?」

「大変でごぜーますよ、姉御!! 」

「……だからどうした?」

 

 人の言うことを聞かない長い付き合いの友人に呆れながら、華雄は再度問い掛ける。この程度のことで全く苛つかなくなった点は、自分でも成長したのだと自覚できた。昔だったら一撃を即座に頭に叩き込んでいたものだと懐かしむ華雄の前で、あわあわと両手を大げさに動かしながら身体全体で今の自身の慌てっぷりを表現する胡軫。実に一分近くもそうしていた胡軫に痺れを切らしつつあった華雄だが、それに気がついたわけではないだろうが胡軫がようやく本題を口に出した。

 

「なんか、中央から来たガキんちょが色々視察してやがります!!」

「……別に視察だけなら問題はないんじゃないのか?」

「ところがどっこい。何でもそのままどこかの部隊に入るって噂を小耳に挟んだのですよ!!」

「―――はぁ? そんな馬鹿な話があるか」

 

 胡軫の発言に、眉を顰めて華雄が否定する。

 生と死が薄皮一枚挟んで日常となっているこんな地域に、中央の者達が好んで来るとは思えない。

 事実これまで何人かの者達がこの地に赴任してきたが、その誰もが速くて二、三日。長くても一月も持たずに涼州から去っていった。しかもそれら全てが文官であったにも関わらず―――だ。武官で来たものなどそれこそ出撃するたびにあっさりと死んでいった。あまりにも死にすぎて、味方に殺められているのではないか、という尾ひれがついた噂話まで流されるくらいの死亡率である。

   

「一体誰から聞いたんだ? 張遼あたりにならまたかつがれたんじゃないのか?」

「いやいや、流石の自分も張遼様にはもう騙されないでごぜーますよ」

 

 その台詞は何度聞いたことか。

 胸中で呟くに留めた華雄。悪戯好きの数少ない友人のことを頭に描いていた華雄だったが、次の胡軫の発言に小さな衝撃を受けた。

 

「蓋勲様から聞いたですよ、その情報は」

 

 胡軫の口から飛び出した情報源となる人物の名前に華雄はおもわず目を見開いた。

 蓋勲とは、漢陽太守である傅燮の補佐を勤めている女性である。公明正大、清廉潔白、不正や曲がった事を許さない厳正な人物。ただ厳格なだけではなく、情も持ち合わせた烈士。傅燮とともに涼州でもその名を轟かせる数少ない善良な官吏である。そんな彼女は華雄や胡軫といった比較的まだ若いながらも、常人とは一線を画す人外の域に達した怪物達を平然と受け入れる懐の大きさを持つ。異民族が多いこの涼州で漢王朝に大規模な反乱が起きないのも、この二人がいるからといっても過言ではない。

 

 その蓋勲からの情報ともなれば間違っているとは考え難い。

 ましてや我が娘同然に可愛がっている胡軫へ対して、嘘をつくとは思えなった。

 

「……何かが引っかかるな」

 

 華雄がぽつりっと呟いた。

 宮中の勢力争いに敗れて涼州へと流されてきたのだと仮定したとしても、死亡率が異常に高い部隊に配属を望むとは普通ならば考えられない。それともこの地がどれだけ苛烈なのか知らないのか、とも考えられたがそのこと自体少しでも調べればわかるようなことだ。

 

「……自分で望んで来たとでも言うのか?」

 

 そんな馬鹿な、と自分でも信じられないような発想が思い浮かぶ。

 異民族が蔓延る涼州へ望んでくるなど無謀に過ぎる。勇気ではなく若さ故の蛮勇。もしも推測道理ならば、華雄は未だ見ぬ若き来訪者の行動を少なくともそう断じた。若さは根拠のない自信を生む。それ自体は良くも悪くもないが、行き過ぎた過信は慢心に繋がる。まるで自分こそがこの世界の主役なのだと錯覚してしまうほどの何かを自身に齎すこともあるからだ。

 

 考えに耽る華雄だったが、その隣にいた胡軫が短く、あっと声を出す。

 その声に釣られ、胡軫の視線が向かう先を見た華雄の瞳が三人の人間の姿を捉えた。一人は少年。一人は少女。そしてその二人を先導している見知った衛兵。だが、華雄の視線を捉えて離さなかったのは自分と同年齢と思われる少年―――李信であった。

 

 李信と華雄。対峙する両者。交差する視線。ぶつかり合う圧力。

 チリチリと全身の皮膚が火傷をしそうな熱気に周囲一帯が包まれる。先導をしてきた兵士は突然の緊迫した空気にうろたえるように挙動不審気味に華雄と李信を窺う。

 

 少女―――高順は、厳しい眼差しで華雄を。胡軫は、李信を油断なく見つめている。

 何かがあれば、二人とも自分の従うべき相手の盾となるべく飛び出そうとする気概が見て取れた。静かな、嫌な静寂がシンとこの場を支配する。

 

「華、華雄殿。此方、この度赴任してきた李信殿です」

 

 恐る恐る、胃がキリキリと痛む空気が充満するなか、引き攣った声で李信を紹介する兵士。だが、肝心の二人はそれが聞こえていないのか、再び沈黙がこの場を包み込む。十数秒も経った頃、漸く李信が口元を僅かに綻ばせ拱手の礼をとって一度頭を軽く垂れた。

 

「御紹介に預かりました。李信。字を永政と申します」

「我が名は華雄。生憎と下賤な身でな。字はない。校尉を務めている」

 

 互いに紹介を終えた後、華雄は李信の全身に視線を送る。

 頭から足の先までを一通り確認した彼女は、どこか不思議そうな面持ちで首を傾げた。

 

「洛陽から来訪したと聞いたが、相違ないか?」

「はい。この度はこの地にて研鑽を積むようにと任を受けました。宜しく御指導後鞭撻の程をお願い致します」

「―――ふっ」

 

 李信の返答に、華雄は苦笑を浮かべる。

 だが、それも一瞬。李信が反応するよりも早く、彼女は言葉を続けていく。

 

「一つ聞きたい。一体貴殿はどこの(・・・)戦場帰りだ(・・・・・)?」

 

 抱いた疑問を一切隠そうともせず、率直に華雄は李信へとぶつけた。

 そこまで直接的に聞かれるとは思っていなかったのか、李信は若干眉をあげるものの、それでも冷静な仮面を崩さない。

 

「質問の意図がわかりませんが?」

「わからないはずがないだろう、永政殿。中原の……それも洛陽などという戦場から最も遠き場所で貴殿という存在が生まれ出でるはずがない」

 

 くくくっと楽しそうに笑みを零す華雄に反して、胡軫は意外なものを見たと驚きを隠せない様子だ。あの華雄が、戦場に咲く雄々しき華が、初めて会った相手にここまで興味を示すなど一度として記憶になかったからだ。

 

「御期待に添えなく申し訳ない。生憎と洛陽から出たのは今回が初めてですが」

「―――全く隠そうとしていないというのに、それを信じると思うのか? 戦場生まれの戦場育ち。そう表現するしかないほどの外れ具合だ。私が言うのもお門違いだが、正気の沙汰ではないな。まともじゃない。碌な人生を歩んでこなかった私でさえも、可愛く見えるぞ」

 

 酷い言われように、傍で聞いていただけの筈の兵士が顔を引き攣らせた。

 しかし、兵士の心配は無用となる。激昂してもおかしくはない台詞を受けている肝心の李信はどこか愉しげだ。

 

「買い被りとは思いますが、あの華雄殿にそこまで評価して頂けるとは有り難い話です」

「どこまでも恍ける気か。まぁ、それでも別に構わんが」

 

 ―――本心を引き出すには此方の方が手っ取り早いか。

 

 そんな台詞を口に出し、獰猛で狂暴。肉食獣染みた笑みを浮かべ、華雄が斧の柄を掴む手に力を入れる。

 軽々と、片手一本で巨大な戦斧を持ち上げると、天を突くかの如く上段に抱えあげた。そして、音が鳴るほどに強くしっかりと両手で握る。威嚇するかのような構えとともに膨れ上がる彼女の重圧と不穏な空気に、兵士は腰が砕けたかのように地面に尻餅を突く一歩手前で耐え切ると、とばっちりを受けない為にか、この場から逃げ出した。

 それと連動するように、高順が反射的に腰の剣の柄に手を当て、それを見た胡軫もまた己の得物に手を添えた。一触即発の空気が充満するなか、四者四様に己の敵となる相手を見据え、何時でも動けるように神経を張り詰めさせた。誰しもが意識を集中させたせいか、まるで世界が凍ったかのような違和感をそれぞれに覚えさせ、何か切っ掛けがあれば爆発することを見る者に想像させた。

 

 息を止め、完全に集中状態に陥っている四人の前に、一陣の風がどこからか一枚の木の葉を運んでくる。ゆらゆらと揺れた葉っぱは、風に煽られくるりっと宙にて回転。風に流されるようにして、李信と華雄の丁度中間に舞い降りた。

 地面に触れた瞬間、本当に微かな音がこの場にいた者たちの耳に届く。それこそ集中していなければ聞き取れないような小さかったそれは、だがしかし緊張感に張り詰めていた空気を破裂させるには十分に足りるものであった。

 

 シッという短い呼吸音を皮切りに、唐竹一直線に振り下ろされる戦斧。その速さ、高順が飛び出す暇も隙も与えない電光石火。あらゆる防御を粉砕する破壊の鉄槌そのものが、李信めがけて襲い掛かった。単純極まりないこの一撃ではあるが、これまでの彼女の人生で防がれたことは一度としてない。そして、回避することが出来たものはたった一人だけ。つまりは、敵対した者全てを屠り去った必殺の一撃。彼女の戦斧の刃が李信の頭を砕き割ると予想する間もない一瞬の斬撃は―――されど彼と彼女の丁度中間にて、激しい金属音を軋ませて止められることとなった。ギシギシと周囲一帯に響き渡っているのは振り下ろした華雄の戦斧と振り上げた李信の矛が鬩ぎ合う音。李信の飛燕の早業に驚愕を隠し切れないのは止められた華雄であり、部下である胡軫だ。華雄が戦斧を放った時、確かに李信は背から矛を抜いてもいなかった。初動が圧倒的に遅れていたにも関わらず、二人の丁度中間にて武器を止められる。そんな真似どれほどの差があれば出来るのか……その事実に至った胡軫は脂汗を滲ませる。一目見て、強いのはわかっていた。華雄の言うとおり、中原からきたとは思えない人間なのは一瞬で理解していた。だが、これほどのものか、と、背筋を粟立たせるなか、同様に驚いている者がもう一人。それが高順だ。彼女もまた驚いた理由、それは華雄の強さにだ。中華をそれなりに旅して回った経験を持つ彼女であるが、それでも自分がどれだけ大陸を回りきれていなかったのか。李信もそうだが、華雄と名乗る少女もまた十分な怪物。少なくとも高順は戦って勝てるという確信を持てなかった。

 

 一度は霧散した緊張の空気。されど、再び張り詰めるそれは、まさに戦場そのもの。

 もはや本心を暴き出そうとする自身の試みなど完璧に忘れ去った華雄は、クハッと楽しげな笑みさえ浮かべ両腕に更なる力を込めて行く。防がれた。ならばこのまま押し潰す。言葉にせずとも雄弁に伝わる彼女の嬉々とした表情に、自然と李信も口角が上がっていく。それが止められない。自分の全てを曝け出し、全力全身でぶつかってくる華雄という名の少女の姿に、ふつふつとした歓喜の念が心の奥から沸き立ってきた。策を練るのも構わない、数に頼るのもいいだろう。様々な高度の技術を使うのは当然だ。だが、策も数の暴力も技術も使わない、正真正銘ただの力技のみで己を見極めようとするこの少女。ああ、なんと面白くも興味深い。正直なところ―――そそられる(・・・・・)

 

「―――華雄ぅぅぅ!!」

 

 戦場の空気を灼熱色に染め上げる李信の圧力が無言の咆哮を上げたその瞬間―――そんな緊迫した空気を切り裂いて轟く、雄叫び染みた少女の声。霧散した戦場の気配。鉄火場の予感を消失させた張本人……眉を顰め、この場に現れた賈詡は厳しい眼差しで華雄を睨みつけながら凄まじい勢いで四人の場所まで走り寄ってくる。勢いよく駆けてくる小さな少女。だが止まらない。さらなる加速。微塵も速度を緩める様子などなく、武器を噛みあわせている二人の手前で跳躍。何をするのかと思えば勢いそのまま、賈詡の飛び蹴りが華雄の横っ面を狙い―――ひょいっとあっさりとかわされた。目標を失った賈詡は、地面に上手く着地できず十分に加速していたこともあいまってゴロゴロと転がっていく。何回か転がってようやく止まった賈詡の姿にこの場にいた四人は沈黙。そんな悲哀を誘う姿に、どうするんだと目線で問い掛けた李信に、華雄は放っておけと首を横に振る。いいのか、と眉を顰める李信だったが、問題ないと今度は首を縦に振った。出会ったばかりで完璧な意思疎通を成し遂げる二人の姿に、何故目線で会話できてるんだ、と胡軫と高順は首を傾げる。二人が沈黙のまま会話をすることしばしして、賈詡がようやく立ち上がりパンパンと自身の身体についた埃を叩き落とすと―――。

 

「ちょっと華雄、僕が目を離した隙に客人相手に何やってるの!?」 

 

 今度は飛び掛る真似をせず、華雄に纏わりつくようにして大声で迫っていく。顔が真っ赤になっているのは果たして怒りからだろうか。いや、間違いなく羞恥からくるものであろう。やいやいと、華雄に食って掛かるその姿を見て四人は同時に、先程の行為をなかったことにしようとしている、と直感的に思っていた。騒ぎ立てる賈詡によって完全に場の空気が弛緩したことに華雄は舌打ちを一度。渋々といった様子で噛みあわせていた戦斧を地面へと突き刺すと、李信から一歩遠ざかり、それにあわせて李信も矛をおさめ、高順と胡軫の二人も自分の武器から手を離す。旧知の仲なのか、賈詡の華雄へと注意する姿と口調には遠慮が感じられず、気安さが見え隠れしていた。様子が治まらない賈詡の姿に、彼女に助けを呼びに行っていたのであろう兵士が汗だくになりながら、李信と高順を次の場所へと先導することにした。兵士に従ってこの場を離れようとする二人の後姿を視界の端に捉えた華雄が、なお言い募ってくる賈詡の頭を片手で抑えて彼女の台詞を一旦とめる。

 

「永政殿。一つ助言をしておく」

 

 離れていこうとした李信が立ち止まる。

 

「その使い慣れていない丁寧な口調はここではやめておけ。この涼州で、礼儀など気にする者はごく一部だ。私達のような輩にもそんな口調だと舐められるぞ」

 

 もっとも彼を前にして、舐めてかかろう者などいやしないだろうが、と考えながらも忠告は続く。

 

「それにどう考えても、そんな言葉遣いは貴殿らしくない(・・・・・・・)。今会ったばかりの私ですらも違和感しかないぞ」

 

 口に出したとおり、それに尽きる。僅かな対峙、武器を交えたからこそ分かる李信の姿。いや、交える前から理解していた彼の本領。即ちそれは生粋の武将。中原などではなく、戦乱絶えぬこの涼州でこそ光り輝く。煌々と熱く燃える大炎。それが彼だ。李信という怪物である。そんな彼の丁寧な言葉遣いには薄気味悪さしか感じない。

 

「……その忠告。有り難く受け取っておく」

 

 また一悶着あっては堪らないと先導を急ぐ兵士に連れられ、李信と高順はやがて華雄達の視界から消えていった。それに気づいた賈詡もまた、普段から溜まりに溜まっている不満はあれど後を追おうと踵を返そうとして、再度華雄に頭を鷲掴みにされた。ゴキっと首がいい音をたて白目をむきかける賈詡だったが華雄の魔の手から逃れ―――なにをするのか、と問い詰めようとして普段とは真逆の、真摯な華雄の表情を見て言葉が詰まった。

 

「賈詡。お前に頼みがある」

「……何よ?」

 

 嫌な予感しかしない。あの華雄がこんな態度で頼みごとをするなど記憶に一度としてないのだ。

 

「あの男を……永政殿を私にくれ(・・・・・・・)

「はぁ!?」

「な、何言ってるんでごぜーますか、姉御!?」

 

 賈詡と胡軫の驚きように、キョトンとするものの、苦笑。

 

「ああ、言葉足らずだったな。あの男を私の部隊に欲しい……そういう意味でいったつもりだ」

「え? あぁ……うん。別にいいけど―――」

 

 反射的に頷きそうになった賈詡だったが、その台詞は途中で消え入りそうに尻すぼみとなっていき、はたっときづく。

 

「いやいや、絶対駄目だって!! あんたのところの独立遊撃部隊、この涼州でも最悪の死亡率のところでしょ!!」

 

 悲鳴染みた賈詡の言葉。

 その内容に嘘偽りはない。華雄を隊長とした独立遊撃部隊。この涼州を荒らしまわっている異民族へ対抗するために独自の行動権が与えられた部隊だ。聞こえはいいが、つまりそれは常に命の危険がある戦場に身を置く事に等しい。賈詡の言うとおり、実際兵士の死亡率としては最悪。中央から派遣された者が一度だけ在籍したことがあるが、遭遇した異民族との争いによってあっさりと死亡した例がある。あの張譲のお気に入りをそんな部隊に入れたとあっては、どんな罰を下されるかわかったものではない。

 

「確かにそうだが、お前もわかっているだろう? 何かしらの手を打たねば私達の部隊も長くはない」

「そ、それはそうだけど……」

 

 実際に華雄の言うことも理解できる。

 出撃する度に減っていく人員。かといって彼女達の部隊がなくなれば、襲われている涼州の民はさらに被害を増すであろうことは明白。華雄率いる隊がいるだけでそれなりの抑えとなっているのも事実だからだ。かといって、そんな危険がある隊に李信を配属してもいいものかどうか。

 

「なに。まずは永政殿に聞いてみればいいだろう? 本人が断ればそれまでだ。決して無理強いをするつもりはない」

「……わかったわ」

 

 渋々、といった様子を隠しきれずにだが賈詡は華雄の提案を受け入れた。そして難しい表情のまま、今度こそ李信達の後を追う。残されたのは華雄と胡軫。しばらくの間静寂が支配していた二人の間であったが、やがておずおずと胡軫が切り出した。

 

「あの、華雄の姉御。なぜあの男を?」

「別にたいした理由がある訳ではない。強いて言うなら勘、だな」

「勘、でごぜーますか」

「ああ。あいつがいれば随分と私たちも楽になる。そう思わないか?」

「はぁ……それは確かに。戦力としては凄い助かりますですが」

 

 それに―――と何かしら付け加えようとした華雄だったが、途中で口を閉ざし首を横に振った。そして胡軫から隠すように未だ震えがおさまらない両の掌を力いっぱい握り締めた。たった一撃。僅か一合。それだけの対峙であったにも関わらずこの有様だ。力には自信があった。嘘偽りなく、自画自賛でもなく、彼女の膂力はおそらく涼州で一、二を争えるほどのものだ。そんな華雄がここまでの差を見せ付けられたのだ。有り得ない、などとは決して言わない。自分が最強だと自惚れたこともない。だが、確かに彼方と此方の差を如実に示された。それだけでも自分の隊に欲しいとは思ったが、それ以上に見惚れたのは彼の一撃の重さ(・・・・・)。決して膂力だけでは生まれない圧、あれは背負う者の重さだ。生死が曖昧な涼州うまれの涼州育ちである自分のような人間ならば多くの人間の命を、期待を、想いを背負う機会があるのはまだわかる。だが、中原育ちの李信が一体どうすればあれほどのモノを背負うことができるのか。

 

「……実に面白い」

 

 くはっと抑え切れなかった笑みが口角を自然と吊り上げていく。

 この日、この時、この場所が、先行きが見えなかった涼州の、暗闇に染まった彼女の道が―――ようやく眩い光を放った瞬間であった。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 


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