神水戦姫の妖精譚(スフィアドールのバトルログ)   作:きゃら める

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第四部 鋼灰色(スティールグレイ)の嘲り 第二章 4

 

 

       * 4 *

 

 

 新幹線を降り、在来線に乗り換えてのろのろと進む電車で町を離れ、そこからさらに一番本数が多い時間でも一時間に五本しか走っていない私鉄に乗ってたどり着いたのは、駅舎と駅前ロータリーだけは妙に大きく綺麗なのに、場末の町よりさらに寂れた田舎だった。

 この街の成り立ちを考えれば、こういう不釣り合いな光景も当然のことと言えた。

 スフィアドールの第一世代、つまりスフィアドールの基礎的な部分のすべては天堂翔機ひとりが開発し、パテントを申請した上で、スフィアロボティクスを創立している。

 あくまでスフィアロボティクスは開発したスフィアドールをさらに進歩させ、製造するための会社で、いまでは世界中に広まっているドールのパテントを掌握している天堂翔機は、この手の業界でもあまりないほどの大金持ちだ。

 仕事は主に会社でやっていたと言っても、彼個人の税金はこの町に落とされるわけで、さらに自宅の屋敷に引きこもることも多かったというから、駅はもちろんのこと、車の通りなんてたいしてないのに近くにはバイパスまで通っているなど、彼のための町づくりが行われたわけだ。

 昼をとっくに過ぎ、ある程度標高があるらしく空気には涼しさを感じるものの、逃げ出したくなるほどの陽射しも、そう遠くないうちに傾きが大きくなる。

「……これに乗っていけばいいんだよな?」

 四人揃って駅舎から出ると、待っていたのはロングタイプではないものの、リムジン。

 たぶん天堂翔機の屋敷を訪ねるためにやって来たビジネスマン向けだろう、大きさはたいしたことないものの、小綺麗な食堂兼土産物屋の他は商店がいくつかある程度。住宅が並んでいるわけでもなく、真っ直ぐに進む道と自然があるだけの場所で、都会の雰囲気を漂わせるリムジンは不釣り合いの境地のような物体だった。

 近藤が指さすそれに、僕はため息をひとつ吐き出してから近づいていく。

「音山克樹様とそのお友達の方々ですね」

「そうですが」

「どうぞご乗車ください」

 にこやかな笑顔で待ち構えていたピシリとしたスーツの運転手は、扉を開けて僕たちを車の中に誘った。

 新幹線もグリーン車なら、ここまで来る電車も指定席だったし、途中に届けられたお重のウナギも僕がこれまで食べたことがないほど美味しかった。

 僕たちを招くのにどれほど金を使っているのかわからないけど、どうやら天堂翔機は僕たちを最高の待遇で招いてくれているらしい。

 その後に、エリキシルスフィアを奪い、地獄へと叩き落とすつもりかも知れないが。

「まぁ、行こう」

「そ、そうだね」

「あぁ……」

「えぇ、行きましょう」

 物怖じしていないのは灯理だけで、夏姫と近藤はもちろん、僕だってさすがにいまの待遇には若干ためらうものを感じてる。

 荷物をトランクに載せ、車に乗り込んだ僕たちの目的地は、決して大きくはないものの、隠れ家のようなホテル。

 そこで一泊して明日、僕たちは天堂翔機の屋敷へと挑むことになる。

 ――いったい、どんなつもりなんだか。

 スフィアドールの基礎をつくり、スフィアロボティクスを創立し、日本の中でも大富豪とまではいかないものの、かなりの富豪と言える天堂翔機。

 僕には彼がどんなことを考えて僕たちを招いているのか、よくわからなかった。

 

 

          *

 

 

「ふぅ……」

 人里離れた場所にあって、建物も決して大きくはないのに、高級感溢れるホテルは、政治家や財界人が雲隠れするのに使っているようなところらしい。

 それにしても町から離れて特に観光地があるわけでもない森の側という辺鄙すぎる場所なわけだけど、元々この辺りにはいくつかの鉱山があって、一世紀くらい前までは鉱山関係の人や物資で行き来が多かったところだった。

 天堂翔機の屋敷も、ここよりさらに山に分け入ったところに建っているけど、最初は鉱山開発に関わった海外の人が立て、鉱山主となった人の住居、別荘と移り変わって、いまも残っているところだそうだ。

 山の中だというのに高級食材をふんだんに使った夕食を食べ、混浴でなかったのが残念だけど広い温泉に入り、男女別に取られた部屋で寝ようと言うところだったけど、僕はどうしても眠れなかった。

 すでに寝息を立てている近藤を起こさないように静かに部屋を出て、薄暗くされた照明の下に続く廊下の突き当たりから広いバルコニーへと出ていた。

「星が綺麗だな」

 いまは僕たちの他に泊まり客はいないらしく、静かなホテルのバルコニーから眺める星空は、近くに他の建物どころか住んでいる人がいないためか、くっきりと夏の天の川が見えていた。

 まだ夏の盛りだというのに、浴衣の上にもう一枚羽織ってきても山の中の空気は寒いほどだ。

 天堂翔機のこと、モルガーナのこと、エリキシルバトルのこと、夏姫やリーリエたちのことなんかが頭の中に駆け巡っていて、どうにも気持ちが高ぶってしまっている。

 朝早くに迎えが来るという話だから、早めに寝ないといけないのはわかっているけど、僕は満点の星空を仰いで、まとまらない考えを半ば放棄してボォッとしていた。

「やっぱり、克樹さんでしたか」

 中に入る扉が開けられる音とともにかけられた声に振り返ると、落ち着いた赤い浴衣の上に、用心で持ってきたのだろう、薄手のコートを羽織っている灯理。

 高性能なカメラを搭載した医療用スマートギア越しに微笑む彼女は、肉眼でしかない僕よりよっぽど周りが見えていることだろう。

「どうしたの?」

「眠れなくって……。克樹さんは?」

「僕も。何だかいろいろ考えちゃってね」

 僕にしては珍しくイヤホンマイクも部屋に置いてきたいまは、灯理とふたりきりだ。

 ふたりきりでも、灯理が僕に積極的になることは、いまはもうたぶんない。夏姫のことが大きいと思うけど、最近の彼女は何かいろんなことを考えている様子がある。

 近づくエリキシルバトルの終わりにか、それとも他のことなのかは、悩み事があることには気づいていても、それを問うたことはない僕にはわからなかったが。

 スリッパから備えつけの草履に履き替えて僕の横に立った灯理は、白い息を吐きながら僕と同じように空を仰ぐ。

 星空を見ているようで、どこか違うところに思いを馳せているだろうことは、今日の朝もそうだったし、ここに来るまでの様子を見ていてもわかっていた。

 でも僕は、こちらから声をかけることなく、灯理の言葉を待つ。

「……ワタシは、願いを諦めることはできません」

 星空から僕の顔に視線を移した灯理は、前置きもなくそう言った。

 医療用スマートギアに隠れて見えていない彼女の瞳は、たぶん僕のことを射貫くような強い視線を向けてきているんだろうと思う。

 いま灯理が放つ気迫のようなものが、彼女と最初に戦い、決着をつけたときのそれより、強烈なもののように感じられていたから。

「エリキシルバトルの結末が見えるようになるまで、僕は灯理からスフィアを奪ったりしないよ。必要になったら、また僕と戦えばいい。エリキシルスフィアを持ってる間は、願いを諦める必要なんてない」

 灯理はもちろん、夏姫や近藤にも言ってある言葉を、僕は繰り返す。

 それでも灯理はバルコニーの桟をつかむ、震えるほどに込められた手の力を抜こうとはしない。

「ご存じでしたか? 克樹さん。……ワタシは、克樹さんのことが、好きです」

「――え?」

 力んだままの手を桟から離し、僕の浴衣の胸元をつかんでくる灯理。

 話が飛びすぎて、僕は何も言葉を返すことができない。

 僕の身体にぴったりとくっついてくる灯理の身体は、微かに震えていた。

 力みすぎているからだろうか、寒さからなのか、不安だからか。

 僕の胸に頬を押しつけるようにしている灯理の、お尻を超えて伸びる茶色の髪からは風呂上がりの香りが微かに漂っていて、浴衣越しでも感触が伝わる胸は大きく柔らかいのに、折れそうなほど細い肩に、思わず手を伸ばしそうになるのを堪える。

「最初は、貴方を利用するために近づきました。同じくらいの歳の男の子なら、騙すことはできるだろうと。それを看破されて、それでも貴方はワタシを許してくれた。スフィアを持ち続けることを認めてくれた。そして自分の願いを持ちながら、それよりも大きなものを見据えている貴方に、ワタシは憧れたのです」

 灯理からの想いの告白。

 スマートギアのディスプレイを跳ね上げた彼女は、細く白い指を僕の頬に添え、何も映すことのない瞳で僕の瞳を見つめてくる。

「魔女の話を聞いても、ワタシは自分の願いを叶えることしか考えられませんでした。克樹さんのように、この戦いの意味や、終わった後のことなんて、考えられませんでした。ワタシにとってそんな大きな存在の克樹さんが、ワタシは好きです。正直、貴方の将来性といったことへの打算もあります。それでも、ワタシは貴方のことが、リーリエさんよりも、夏姫さんよりも好きだと、そう思っています」

 そこまで言って、灯理は僕にすがりつくようにしながら、背伸びをした。

 そして、見えない目を閉じる。

 リーリエにも見られていないいまは、僕と灯理は本当にふたりきりだ。

 灯理が何を求めてきているのかは、行動の意味でも、気持ちの意味でも、わかっている。

 抱き寄せて、口づけて、冷たくなってきている身体と心を温めてやれば、彼女は満足してくれるだろう。それがたとえひとときの充足だとしても。

 ――できるわけ、ないよな。

 灯理の両肩に手を置いた僕は、彼女の身体を腕の長さの分だけ引き離す。

「エリキシルバトルはたぶんそう遠くないうちに終わる。どんな結末を迎えるかは、僕にはわからない。本当にあのモルガーナが僕たちの願いを叶えてくれるのか、いったい何人の願いを叶えてくれるのかは、僕にはわからない」

 閉じていた目を大きく見開いた灯理は、唇を小さく歪ませ、そっぽを向いてスマートギアのディスプレイを下ろした。

 さっきよりも大きく震えてる肩に罪悪感を感じなくはないけど、彼女の求めているものに、僕は応じられない。僕はその役割は背負えない。

「いったい何人の願いが叶うかは、オレも知りたいな」

 張り上げずとも聞こえてきた太めの声に、僕と灯理は驚いてお互いに身体を離す。

 いつの間に現れたのか、建物の中に入る扉のところに、近藤が立っていた。

「……いつから見てたんだよ」

「お前が浮気未遂をしてるところからだよ」

「寝てたんじゃなかったのかよ」

「寝てたけど、お前が部屋を出るときに目が醒めたんだ。それより、何人の願いが叶うかってのは、わからないのか?」

 絶対最初から見てただろうと思うが、近藤も配慮してくれたんだろうし聞かないことにする。

「わからないな。説明書にも書いてなかったし、告知もされてないんだ、僕だってわからないよ」

 近づいてきた近藤の厳しい視線を受け止めながら、僕はそれを見つめ返しながら言う。

「もしかしたら終わりが近づくか、終わってみないとわからないのかも知れない。可能性として考えられるのは、願いの数が可変だということかな」

「可変、ですか?」

 好きな人への距離から友達関係の距離まで離れた灯理が、首を傾げながら問うてくる。

「うん。根拠はとくにないよ。ただ、このエリキシルバトルの意味を考えると、ね。それと近藤、お前と戦ったときに百合乃が現れて僕の命を救ったこと。もしかしたらだけど、エリクサーは報酬としてあらかじめ用意されてるんじゃなくて、僕たちが戦うことでその量が変わるのかも知れない、と思ってる。調べる手段がないけども」

「量が変わる?」

「そんなことがあり得るのですか?」

「あり得るってか、何でもありだと思うよ。そもそもエリクサーは一応存在が確認できてるわけだけど、どうしてそんなものがあって、いったいどんなものなのかもわからない。まさに奇跡の水だからね。モルガーナがわざわざ僕たちに戦うよう促してることから考えても、バトルとエリクサーには関係があると思うんだ。だから、僕はもっと戦い続けないといけないんだと思う」

 あくまで僕の推測に過ぎないが、そうなんじゃないかとかなり最初から、去年中野でモルガーナと話したときから、そんなことを漠然と予想していた。

 困惑の表情を見せる灯理と近藤。

 それもそうだろう。バトルを勝ち抜き、少なくとも最後のひとりになれれば得られると思っていた報酬。それは優勝賞品のように用意されたものではないとしたら、混乱もすると思う。

 エリキシルバトルに近いかも知れないものと言えば、賞金の固定されていない勝ち抜き制の賭け試合だ。

 優勝賞金は保証されないが、観客が試合に金を賭けることで、その一部を報酬として得られる。どれだけ勝ち抜けるかで、得られる金額も変わってくる。

 報酬を渡されるのは一試合ごとなのか、上位入賞者なのか、優勝者だけなのかは、エリキシルバトルのルールには明記されていない。

 そしてその事実は、暗に優勝しても願いが叶わない可能性を示唆する。

 充分な報酬が集まっていない状況ならば、報酬はゼロとなるのだから。

 死にかけた僕を癒した一滴にも満たないエリクサー。

 もしエリクサーの奇跡の度合いが量に依存するなら、多く集まれば複数の願いを叶え得るということになるが、充分でなかった場合、ひとりの願いすらも叶わない可能性が出てくる。

「……本当に、そういうものなのか?」

「わからないよ。明日、僕はできるだけ天堂翔機から情報を引き出すつもりだけど、どれだけのことを知ってるか……」

 美しく輝く降りそうなほどの星空の下で、灯理と近藤は押し黙る。

 僕は最初から、あまり願いには執着していない。火傷の男を殺すだけなら、僕の力でそれの達成が不可能ではないと思っていたから。

 ただ、普通に殺すだけでは気が済まないから、エリクサーの奇跡を使って、できる限り最大の苦しみを与えたかっただけだ。

 そして百合乃の誘拐とその後に訪れたモルガーナから、火傷の男はモルガーナの関係者だと推測していたから、エリキシルバトルに参加したというのが大きい。

「オレはたぶん、最後まで勝ち残るのは難しい」

 視線を上げ、迷うようにさまよわせながらも近藤は言う。

「たとえ克樹と出会わなくても、もしヒルデが完調であれば浜咲には勝てなかっただろうし、最初からわかって戦うならどうにかなるかわからないが、中里にだって勝てなかった。それに、あの槙島にはほとんど歯が立たない」

 僕のことを見つめてくる近藤を、灯理とともに真っ直ぐに見る。

「オレはもうあんまり自分の願いが叶うとは思ってない。諦めたわけじゃないが、オレじゃ一位にも二位にもなれないからな。お前にくっついてるのは、……その、いろいろと恩があるってのもあるが、奇跡のおこぼれにでも預かれればと思ってるからだ」

 わずかに声が震えてきた近藤は、少し歩いて桟に背を預ける。

 星を仰ぐように空を見て、目を閉じた。

「梨里香は、料理が下手でさ。オレだってたいしたものつくれるわけじゃないんだが、あいつは何かに気を取られるとそっちに集中していっちゃうクセがあって、料理中に他のことに気を取られて失敗してることが多かった。それでもどこかに出かけるときとかにはよく弁当をつくってきてくれてさ。失敗作が入っててふたりでマズいとか、こっちは成功だったとか言ってたんだけど、そんなのが当たり前で、普通だったから、オレはあいつに充分ありがとうって言えてない」

 もう隠せないほどに近藤の声は震えていた。

 空を仰いだまま目頭を手で押さえ、それでも言葉を続ける。

「あいつが死んだのは凄く突然で、入院はしてたんだが、容態が急変したと思ったら、すぐだった。オレは間に合わなかった。だから……、だからオレは、あいつにさよならを言えてない。最期のときは笑って言い合おうって約束してたのに。最期にあいつにありがとうって言えてない。ひと目でいい、梨里香に会えるならと思って、オレはお前に協力してるんだ、克樹」

 口を閉じた近藤は、微かに嗚咽を漏らしていた。

 悲痛な表情を浮かべている灯理の横で、僕は冷たい夜風に吹かれながら、夜よりも深く気持ちが沈んでいる。

 僕のたいしたことのない願いは、夏姫や、灯理や、近藤たちの上に立っているものだということを、改めて自覚する。

「まぁ、そんなのは、オレが勝手にお前に期待を背負わせてるだけなんだけどな」

「そうですね。ワタシも近藤さんに近いのかも知れません。願いを諦めることはできそうにありませんが、克樹さんに期待しているのです。克樹さんならば、できる限りのことをしてくれるような、そんな気がしているのです」

「……そっか。わかった」

 ふたりが向けてくる視線を逃げずにできるだけ受け止める。

 正直買いかぶりだと思う。僕にはそんなたいした力も、想いもない。

 でも僕がやってきたことを考えれば、その責任は僕にかかってきてる。

 そこから逃げるわけにはいかないし、エリキシルバトルを続ける限り、逃げることもできない。

「そろそろ寝ようぜ。明日が本番なんだからな」

「そうですね」

「うん」

 まだ目を赤くしてるように見える近藤に促されて、僕たちは屋内へと足を向ける。

 一度振り返って星空を眺めた僕は、みんなの願いをどれだけ背負っているのかを、噛みしめていた。

 

 

          *

 

 

「――お迎えに上がりました」

 ホテルで不要な荷物は預かってくれるというので、どんなことがあるかわからないから必要な物は持ちつつ、身軽になった僕たちは薄く霧が立ち肌寒さを感じる外へ出ると、指定時間の五分前には車が来ていた。

 僕たちを迎えに来たのはホテルのリムジンほどではないけど、高級そうな黒塗りのセダン。

 僕たちがホテルから出てきたのを確認したからか、車から降りてきたひとりの女性。

 いや、エルフドール。

 ドライバーらしい黒のスーツを着、濃い茶色のセミロングの髪に帽子を乗せてる姿は小柄な女性と見間違えるほどだけど、人間ではあり得ないほどの表情のない顔と、人間に似せた模様が描かれているだけで動くことのないカメラアイカバーは、エルフドール特有のものだ。

「おい、克樹……」

「僕に聞いてもわからないよ。たぶんだけど、ここは天堂翔機のお膝元ってことだろうね」

 明らかに動揺してるのは近藤。

 夏姫や灯理も目を見開いてる。

 ショージさんからスフィアドールのフルコントロールシステムであるAHSは、機能的にはすでに料理をつくったり、車の運転なども可能だと聞いていたから、エルフドールが運転席から現れたのには驚かなかった。

 僕が驚いたのはエルフドールが車を運転してきたことじゃない。公道上を運転してきたことに、僕は驚いていた。

 一部高速道路では自動運転システムの利用が可能になってきてるけど、機能的には可能だとしてもまだエルフドールが公道で車を運転することは、法律では認められていない。

 おそらくこの街の中でだけ、天堂翔機のために特例措置だか実験と称して可能にしてあるんだろう。

 ――どれだけ権力があるんだか。

 広さはともかく人口が少ないからだろうけど、法律に触れることまで歪めてしまう彼の影響力にげっそりした気持ちになる。

 同時に、かなり広く、人の手がかかるはずの屋敷に住んでいるはずなのに、人間ではなくエルフドールを遣わせる彼の人嫌いが相当なものなんだろうと認識する。

「まぁ行こう」

「うん」

「行きましょう」

 夜のことがあったからか、夏姫に続いて僕の横を通り過ぎる灯理が向けてきた少しはにかんだ笑みに、同じような笑みを返し僕も車へと向かう。

 乗ろうと思っていた助手席はさっさと近藤に取られ、僕は後部座席で夏姫と灯理に挟まれて座席に座った。

 駅からけっこう離れていたホテルから走りに走り、約二時間。

 山間の道にしては不釣り合いなほど綺麗に整備された道路をずっと走り続け、最後には木々に囲まれた林道に乗り入れてしばらく。エルフドールが運転する車は大きな門の前で止まった。

 僕たちが門の前に降り立つと、無言のままエルフドールは車とともに走り去った。

「……行くしかないか」

 取り残された僕たちは、最後の三〇分は民家すら見なかった道を戻るか、門の先に進むかしかない。

 白く鮮やかな文様が描かれた壁は二メートルを超え、門はその壁よりもさらに高く、金属製のスライド扉が行く手を遮っている。門の屋根の部分にはカメラでも仕込んであるんだろうけど、ぱっと見では見つからない。

 陽射しは相変わらず強いのに、たぶん千メートルを超えてる標高と、壁に仕切られた屋敷の敷地以外は森になってるからか、気温は寒さを感じるほど。

 門から少し離れて見てみると、その向こうにたぶん四階建ての、平泉夫人が住んでいるのよりもう少し近代的な、でもサイズは三倍以上ありそうなお屋敷が見えた。

「リーリエ、大丈夫か?」

『うん、大丈夫だよ。ここに来るまでの道はちょっと電波が怪しいとこあったけど、ここは感度凄くいいよ』

 こんなところだからモバイル回線の電波がまったく入らないということはないだろうけど、通信品質が心配なところだった。以前は三回線で充分バトルができていたけど、風林火山を使うときはそれでも不足しがちだから四回線を使ってるくらいだから。

 肩にかけたデイパックからスマートギアを取り出して頭に被り、自分でも状況を確認してみたが、リーリエの言う通り問題はなさそうだった。

 ――いざとなったらタクシーも呼べるな。

 もしここから逃げ出すことになっても、人里まで戻る手段があることに安心した僕は、ディスプレイを跳ね上げて緊張してるらしいみんなに声をかける。

「行くよ」

「う、うん」

「はい……」

「あぁ」

 呼び鈴の類いもないが、声でもかければ大丈夫だろうと思って門に近づこうとしたとき、リーリエが警告の声を発した。

『おにぃちゃん、何か近づいてくる! レーダー見て!!』

 言われて僕は一端上げていたスマートギアのディスプレイを下ろし、エリキシルバトルアプリを立ち上げてレーダーを確認する。

 アリシアに搭載した僕の分を除き、すぐ側にヒルデとフレイヤとガーベラの分の三つの反応があり、直線距離にして百メートルほど、動かないものがひとつ。たぶんこれが天堂翔機のエリキシルスフィアだろう。

 それからもうひとつ、有効範囲のぎりぎりからどんどん近づいてきてる反応があった。

「僕たち以外のソーサラーが近づいてきてる!」

 この速度で近づいてくるとしたら車。

 一斉にいま来た道を振り返り、すぐ動き出せるようにみんな身構える。

『うぅん、大丈夫。みんなが知ってる人だよ』

 相手の姿が見えるよりも前にリーリエが言い、その直後に聞こえてきたエンジン音。

 そして姿を見せたのは、見覚えのある車だった。

「なんなんだ? てめぇら。なんでここにいるんだ?」

 乱暴に車を停めて降りてきたのは、ついひと月ほど前に知り合いになった男。

 槙島猛臣。

 僕たちも驚いた顔をしてるけど、猛臣も面食らったような顔をしていた。

 でもすぐに不機嫌そうに顔を歪めてみせる。

「あのクソジジイ、俺様をこいつらと一緒に招待しやがったな……」

「お前も招待されたのか?」

「うっせぇ、克樹。てめぇも知らなかったんだろ。クソッ、填められたぜ。まぁいい。よぉ、夏姫。元気にしてたか?」

「え? あ、うん」

 僕をひと睨みした後、夏姫に笑いかけつつ近づいていく猛臣。

「そうか、よかった。まぁ、いろいろあったわけだが、親父さんの容態はどうなんだ?」

「えっと、大丈夫。九月いっぱいは入院してると思うけど、その後はリハビリに通院すれば大丈夫だし、仕事も見つかってるから」

「そうか。なら安心だな。だがもし、克樹の奴じゃ頼りにならないなら、俺様に声かけてきてくれ。見返りなんて求めねぇからよ」

「え……」

 つい先月は夏姫を追いつめていたというのに、この態度の変わり様はなんだろうか。

 さすがに見かねた僕は、夏姫を庇って間に入り、スマートギアのディスプレイを跳ね上げて猛臣を睨みつけた。

「だ、大丈夫だから。平泉夫人も助けてくれるって言ってるし」

「わかった。――ふんっ」

 夏姫には優しく笑いかけ、僕には蔑むような視線を投げかけてきた猛臣は、車に戻って荷物を取り出す。

「行くんだろ? 早くしようぜ」

 なんで猛臣と一緒に行くことになってるのかわからないが、僕たちを促す彼に、目的を思い出して門へと目を向ける。

 そのとき、携帯端末がメールの着信を告げた。

 全員同時に着信したメールをスマートギアのディスプレイを下ろして表示してみる。

 天堂翔機からだったメールの内容は、今回のルール。

「ふざけんてんな、あのクソジジイは。俺たちで遊ぶつもりだ」

「大丈夫なのでしょうか? これは」

「というか、こんなことできるのか?」

「うぅーん」

 全員が内容を確認して、口々にコメントを述べる。

 ルールはそう難しいものじゃない。

 いま集まってる全員でこの屋敷に入り、ひとりになってもいいから天堂翔機の元にたどり着くこと。時間制限はない。

 全員脱落した場合、または誰も天堂翔機に勝てなかった場合、全員のエリキシルスフィアを没収する。

 死ぬことはないと思うが、その可能性は否定しない。

 立ち去るのは自由だが、その場合エリキシルスフィアは別の手段で没収する。

 そして、屋敷内ではアライズはひとり一回しか使えない。

 他の項目も気になるが、最後の項目が一番引っかかった。

 アライズを制限するなんてことができるんだろうか、と。

 わからないけど、僕たちはこの屋敷に挑み、天堂翔機を倒す以外どうすることもできなさそうだ、ということはわかった。

 僕たちが理解したのを見計らったように、横スライドの門扉が重々しい音とともに開いていく。

「とにかく行くしかないだろ」

『うん、そうだよ。さぁ、みんな行こう!』

 何がそんなに楽しいのか、リーリエの嬉しそうな声に緊張が削がれる。

 僕以外も同じようで、苦笑いを浮かべるみんなの顔を眺めた後、顔を引き締めた僕たちは門の中へと足を踏み入れた。

 

 

          *

 

 

「やって来たか」

 広い部屋の端に据えられたベッドで横たわる老人は、そう呟いて低く笑い声を漏らした。

 綺麗に調えられた白髪に、スティールグレイの鈍い光を放つヘッドギア型スマートギアを被る彼は、枕に頭を乗せたまま、唇に笑みを貼りつかせる。

「さて、ひとり一回しか使えないアライズで、果たしてどこまでたどり着けるかな?」

 メイド服姿の無表情のエルフドールに見つめられる老人は、低く、低く笑い声を響かせていた。

 

 

 


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