神水戦姫の妖精譚(スフィアドールのバトルログ) 作:きゃら める
* 3 *
風呂に入り、ラフな部屋着に着替えた音山彰次がリビングのソファに身体を投げ出すように座ると、もう二度とそこを動きたくない気持ちになっていた。
最新の試験型である一五〇センチボディとなったエルフドールのアヤノは、そのタイミングを計っていたのだろう、柔らかな笑みとともにカップとポットをお盆に乗せてやって来、ブラックのコーヒーを注いでローテーブルに置き一礼をして部屋を出ていった。
「まったく、人使いが荒い奴らばかりだな」
お盆休みが終わったばかりの平日の午後だが、彰次にとっては二週間ぶりか、三週間ぶりの休みだった。それも仕事場から帰ってきたのはつい一時間ほど前で、前倒しされた開発計画をこなすために朝方まで詰めていた実験室をやっと開放されたところだった。
「仮想マテリアルシミュレータが実用段階まで持っていければいいんだがな」
仕事としてやっているスフィアドール関係の仕事の他にも、会社から予算を出してもらい趣味に近い形でやっている研究が多くある。
そのことを独り言で呟きながら、彰次は手を伸ばしてカップを取り、苦みの強い熱いコーヒーを呷った。
「それでも、まだまだ足らんな」
ポットからコーヒーを注ぎ足しつつ、眼鏡型のスマートギアに仕事の進行状況を表示しながら、彼は呟く。
いまのところ取り組んでいる仕事は順調だったが、彰次としては充分なものとは考えていなかった。
早ければ年内にも発表されると噂される、第六世代のスフィアドールとドールの規格。
それにより一六〇センチサイズのエルフドールが実用化されると目されており、その活用範囲はついに本格的にビジネスシーンに取り入れられていくと予想されている。
事務仕事の補助や、メインは張れないものの介護業務の補助要員、清掃や監視・警備など、ゆっくりとではあろうがスフィアドールが生活の中に浸透していくと、彰次は考えている。
そしてそのとき、彰次がリーリエの人工個性稼働データを利用して発展させたスフィアドールのフルコントロールシステム、AHS(アドバンスドヒューマニティシステム)が広く使われることは明らかだ。
競合するシステムに対抗するためにも、ドールについても、AHSについてもまだまだやらなければならないことがたくさんあった。
さらに表向きには開発を一切非公開としている、平泉夫人から言いつけられたものの開発も、まだ満足できる段階には入っていない。
年内に休みが取れるのは、もしかしたら両手で足りるほどの日数になるかも知れないと、彰次は深くため息を吐いていた。
――夫人の動きは、おそらく魔女への対抗だろうな。
最初は自分の趣味でやっていたものだが、いまは平泉夫人の意向と出資を受けてやっている開発は、現段階では製品化しても売れる可能性は低い。
市場をよく読み、理由があって遠回りをしたり、失敗をすることはあっても、決して無駄なことはしない夫人が絶対にやると言っているのだ、それはモルガーナに対する布石のひとつであることは確実だった。
平泉夫人はもちろんのこと、克樹もまたそれに直接的か間接的にか関わって、去年からいろいろやっているのがずっと気になっていた。
「でもまぁ、秋までは動けそうにないか」
心配はしていても、克樹からはまだ何も言われていない。
試験用のフルスペックフレームを貸し出す際に見せられたデータや、リーリエの稼働情報から透けて見えてくる事柄で、割と大変なことに巻き込まれていそうな感触はあった。
しかし平泉夫人の支援を受け、なにやら友達も増えたらしい克樹は、手助けが必要になったときは声をかけてくるだろうと思い、とりあえず放置することに決めていた。
――どっちにしろ、いましばらくは動けないしな。
もうひとつため息を漏らしてコーヒーを飲み干したとき、玄関チャイムが鳴り響いた。
せっかくの休みに来客か、と思いつつ眼鏡型スマートギアにホームオートメーションアプリのウィンドウを表示し、門扉カメラの様子を映すと、そこに映っていたのはふたりの人物。
平泉夫人と、そのメイドというか秘書というかの、芳野綾(よしのあや)。
「い、いま開けます」
マイクを音にして慌てて呼びかけ、門の鍵を解除すると同時に、彰次は玄関へと急いだ。
来客を出迎えようとするアヤノに紅茶の準備を言いつけ自分で玄関の扉を開けると、そこまで来ていたふたりが顔を覗かせた。
「突然ごめんなさい、音山さん。近くまで来ていて、次の予定には時間があったものだから。少し、いいかしら?」
「えぇ。はい、どうぞ。狭い家ですが」
――絶対嘘だな。
こちらのスケジュールを把握した上で、元から来るつもりで来たんだろう、と思うが、それは言わずにふたりを玄関のすぐ側の客間の戸を開けて招き入れる。
この後なにかのパーティにでも参加するのだろう、黒のドレスを身につけた平泉夫人は勧めたソファに座り、その後ろに相変わらずヴィクトリアンなメイド服を着て静かに立つ芳野を見てから、彰次も夫人の正面に座った。
タイミング良くノックとともに入ってきたアヤノが、夫人の前にカップを置き紅茶を淹れてくれる。
――しまったっ。
と思ったときにはもう遅い。
夫人と芳野の視線は、控えめながらもアヤノに注がれている。
来ることがわかっていればアヤノを表に出さなかったのに、と思ったが、紅茶を注ぎ終え、お代わりが淹れられるよう部屋の隅に控えたアヤノは、いまさら隠すこともできない。
少しばかり難しい顔をしている芳野と、何故か楽しそうに唇の端をつり上げている平泉夫人。
その様子も致し方ない。
アヤノは、仕事の関係でこれまでにも何度か会ったことがある芳野をモチーフに外見をつくり、AHSの性格設定も知ってる限りの彼女を参考にしているのだから。
さすがにそのままというわけではないが、本人と夫人は、ひと目でアヤノが誰を参考にした姿なのか見抜いたことだろう。
「さて、音山さん」
明らかに気づいているのに、そのことを指摘しない平泉夫人は、顔に薄く笑みを貼りつかせたまま話を始める。
「例のものの開発状況について聞いてもいいかしら?」
「それはさすがに……。出資していただいているとは言え、社外秘の情報ですし。定期報告は次は再来週になります」
平泉夫人の用件がそれであることは、彰次にはわかっていた。
そして会社を通しての問い合わせではなく、直接家に来たということは、ここでしかできない話をするためだろうことも。
「あれは、秋には発表するつもりでいるの。まだ貴方の会社には伝えていないけど、もう根回しは始めているわ」
「秋って……。いくらなんでもそれは……」
あんまりな夫人の言葉に、彰次は思わず腰を浮かせていた。
定期報告でも知らせているが、開発は順調で、大きな問題はない。
しかし発表し、世の中にインパクトを与えるにはできれば一年、少なくともあと半年は開発期間が必要だと彰次は考えていた。
夫人の言う、秋というのはいくら何でも早すぎる。
「さすがに秋というのは無茶ですよ。早ければ早い方がいいのも確かですが、市場に影響を与えられるだけのものにするには性急すぎます」
「それはわかっているのだけどね、でも必要だと思うのよ」
にっこりと笑っている平泉夫人。
嫌な予感を覚えながらも、彰次は彼女に問う。
「どうしてまた?」
「私の、勘よ」
思わずため息を吐きそうになるが、すんでのところで堪える。
勘などで重要なことを左右されても困るが、しかし平泉夫人の勘は的中する類いのものだ。
決して当てずっぽうではなく、経済界やロボット業界、世界情勢など様々な情報を常日頃取り入れている夫人の勘は、天才の閃きに近い。
天才が天才たるには、その前提として専門分野に関する知識や情報を持っていることが前提だと彰次は思う。
夫人の勘も、天才の閃きに近いものであろうと、彼女と話をしたり、間接的に動向を確認するうちにそうなのだろうということに気がついていた。
「構いませんが、性能も影響も充分とは言えないものになりますよ」
「えぇ、それで構わないわ。……貴方もある程度知っているでしょうけれど、おそらく克樹君たちのやっていることは、早ければ年内に片がつくと思うのよ。その前、秋頃にあの人が本格的に動き出すんじゃないかと予想しているわ」
「――第六世代スフィアドールですか? 年明け予定を、秋まで前倒しに?」
「いいえ。それについてはあまり関係がないわ。と言うより、今後はあまり関係がなくなると思うのよ。根拠は、ないのだけれどね」
雲の如く形のないものを話題にしているかのような話に、彰次は眉根にシワを寄せるしかなかった。
夫人がどこまでのことを把握しているかは見当もつかなかったが、彰次が知ってる範囲については把握されているような気がしていた。
その上で、明確な話をしてくれないということは、自分は夫人や克樹が立っている舞台に上がれる立場には、いまのところなのか、これからずっとなのかはわからないが、ないのだろうということはわかった。
いまはこちらからヘタに動かず、夫人の思惑に乗っておいた方がことが上手く運ぶだろうとも思えた。
「急いだ方がいいのよ、おそらくは。私でもまだはっきり見えているわけではないけれど、克樹君とあの人との決着がつく前後に、大きな波乱があると私の勘が告げてる。その波乱が起こるまでにあれを発表しておくことが、私たちにとって最善であり、あの人に対する攻撃になると思えるのよ」
「わかりました。開発の方は急ぎます」
言い終えて、夫人はまだ湯気を立てているティカップに手を伸ばす。
彰次はふと、ソファの後ろに静かに控えている芳野に視線を向けてみた。
常に夫人の側にいて、同じ世界を見ているだろう彼女も、同じものが見えているのだろうか。
芳野の瞳には、険しいものが浮かんでいた。
でも彰次に見られていることに気がついた彼女は、表情は変わらないのに、わずかに優しげな色をその瞳に浮かべたように見えた。
「では、よろしく頼むわね」
「……はい」
紅茶を飲み終え、ソファから立ち上がった夫人に言われ、彰次は渋々ながら返事をしていた。
――夏が終わっても、忙しいのは終わりそうにないな。
そんなことを思い、こっそりため息を吐きながら。
*
お茶を淹れ終え、全員が席に着いたのを見て、僕は立ち上がった。
夏姫の淹れてくれたお茶を配るのに、アリシアをアライズさせたリーリエもいて、ダイニングテーブルの端に立ってる僕のことをみんなと一緒に見つめてきてるけど、気にしないことにする。
権限を与えてるからだし、すぐに戦闘になるわけでもなく予備のバッテリも完備してるから問題ないけど、本当に最近リーリエはアリシアを自分の身体のようにアライズさせて家の中で過ごしていることが多かった。
「突然集まってもらってゴメン。メールにちょっとだけ書いておいたけど、今日は見てもらいたいものがあったから集まってもらった」
手紙が届いた昨日の今日で、僕と夏姫はともかく、灯理も近藤も集まってくれたのは、暇だったからではなく、連絡したメールの深刻さを感じ取ってくれたからだろう。
リーリエの操るアリシアを含む、四人の視線を受け止めながら、僕は手に持っていた便せんと封筒をテーブルの上に置いた。
「これは?」
「うん。何なの?」
手は伸ばさず、テーブルの上のものを見ている灯理と夏姫は口々に疑問の言葉を発する。
全員が集まってから説明しようと思って夏姫にもまだ説明してなかったから、彼女もわからないらしい。
「天堂翔機(てんどうしょうき)からの招待状だよ」
「えぇっと、天堂翔機?」
「……招待状ですか?」
名前を言っても、ふたりはわからないらしい。
「待てよ、克樹。天堂翔機って、あの人で間違いないんだよな?」
「いたずらの類いではないと思うよ」
『うん、間違いないよ。住所とかもそうだけど、カードの所有者情報からも間違いないね』
意外にも反応したのは近藤。
チェックしてもらうのにリーリエに託してあった決済用のカードを、アリシアが着けていたエプロンから取り出してテーブルの上に置く。
スフィアドール業界については、元々そっち方面の趣味じゃなかった灯理はともかく、ヴァルキリークリエイションの開発担当者を母親に持つ夏姫まで詳しくないとは思わなかった。
むしろ空手一辺倒な近藤からまともな反応があるとは、ちょっと予想外だ。
「……なんで知ってるんだ? 近藤は」
「いや、俺が詳しいわけじゃなくて、梨里香がそう言うのよく知ってて話してくれたからな。天堂翔機ってのはあれだろ、スフィアロボティクスの創立者」
「うん。ただ会社をつくったってだけじゃなくて、スフィアについてもモルガーナが関与してそうだけど、それ以外の、スフィアドールのボディや規格とかの実体、それから制御ソフトなんかを含めて、スフィアドールの生みの親と言っても過言じゃない人だよ。それだけじゃなく、営業から会社運営まで、会長を辞めるまでやってた、天才でスーパーマン」
「凄い人なのですね」
「そんな人から克樹宛に手紙って、どんな用件なの?」
「……」
僕は二枚に渡って書かれた、便せんを広げてみんなに見せる。
ただし凄まじく達筆の毛筆の字は、僕も一部読めなくてリーリエに解読してもらっていた。
だから念のため内容を口頭で説明する。
簡潔にすればこんな内容だ。
つまり、天堂翔機がいる屋敷まで来て、設置してある障害を乗り越えて会いに来い、と。
そして互いの願いを賭けて、エリキシルバトルをしよう、ということだ。
「じゃあ天堂翔機さんは、エリキシルソーサラーなのですね」
「それも灯理と同じ、スフィアカップに出場してない特別な参加者だ。少しだけそうじゃないかと、予想はしてたけどね」
「やっぱりスフィアカップには出場してなかったよね。そのときは会長だったんでしょ?」
「いや、確かスフィアカップの前に会長は辞めてたよな? 克樹」
「うん、第四世代規格発表前だったはずだね。ただエリキシルバトルだけじゃなく、スフィアロボティクス自体、モルガーナが深く関わって創立されたんだと思う。そのトップだった天堂翔機は、もしかしたら誰よりもあいつに近い人物の可能性がある。エリキシルスフィアを持っていても不思議じゃない」
まだ不思議そうに小首を傾げたりしてる灯理と夏姫、眉間にシワを寄せてる近藤の言葉を受けて、僕はそう答える。
灯理のようにスフィアカップに出場せずにエリキシルスフィアを手に入れられる可能性のある人物については、確認しようがないにしても、ある程度ピックアップはしていた。
その中で一番可能性の高い人物が、天堂翔機だった。
スフィアロボティクスを創立する前からロボット業界で名を知られていて、スフィアドールの第一世代、第二世代を社長として発表し、第三世代の発表と同時に会長になって、第四世代発表前に現役を引退した彼。
引退後はスフィアドール業界だけじゃなく、ロボット業界全体に大きな影響を残しつつ、体調不良を理由に表舞台に出てくることがなくなった彼は、もう七十歳前後のはずだ。
体調不良の詳細は情報がないけど、重篤な病気の類いだとしたら、モルガーナから直接エリキシルスフィアを受け取れる立場にいるだろう彼は、エリキシルバトルへの参加を望んでいてもおかしくない人物だと思っていた。
実際にこんな招待状という形で対決することになるなんてのは、想像もしてなかったけど。
「天堂翔機が指定してきたのは来週。僕だけじゃない、夏姫や近藤、灯理の全員を指名してきてる。北関東の人里離れたとこだけど、旅費については全部あっち持ちだから心配はないよ」
言って僕は便せんに書かれた指定の日付を示しつつ、リーリエが机の上に置いたカードを手に取って見せる。
あらかじめ指定した決済のみを行えるようにしてある一種の旅行券代わりになるカードは、僕たち四人分の電車のチケットから、途中の食事まで全部支払いができるようになっていた。
「行くの? 克樹。仕掛けを用意してるってくらいだから、大変なんじゃない?」
「えぇ。絶対に罠を仕掛けていますよね、これは」
「だろうな。どうしてわざわざそんなことまでするのかわからないが、あっちが指定した場所で戦うのは、こっちには圧倒的に不利のはずだ」
厳しい視線を向けてくる三人。
リーリエだけは、アリシアを微笑ませて、まるで僕の考えてることがわかってるみたいに、優しげな視線を向け頷いていた。
「全部わかってる。でも、僕は行く必要があると思うんだ。天堂翔機はモルガーナに一番近い人物だと思う。その人から、僕は聞きたいことがある」
「……うん、わかった。じゃあ仕方ないね。お弁当はいらないんだっけ?」
「そうですね、仕方ないですね。泊まりになるのですね。その準備の他にも、いろいろ行く前にやらなければならないことがありそうです」
「そうだな。料金があっち持ちなのは気前いいが、他の準備はこっちでやらないとな」
「いや、そうだけど、……たぶんかなりの危険があると思うよ」
携帯端末を取り出して調べ事を始めたり、残ったお茶を飲み干したり、腕を組んで難しい表情を浮かべてる三人には、もう参加をためらう様子がない。
正直、僕はみんなが行くのをためらうんじゃないかと思っていた。場合によっては辞退したいと言われることも予想してた。
そんな様子がひと欠片もないことに、僕は拍子抜けしていた。
『大丈夫だよ、おにぃちゃん。あたしたちはみんな、おにぃちゃんと一緒に戦うって決めてるんだから』
そう言って笑うリーリエに、僕は頼もしさと、嬉しさと、少しばかりの恥ずかしさを感じていた。