神水戦姫の妖精譚(スフィアドールのバトルログ)   作:きゃら める

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第三部 極炎(クリムゾン)の怒り 第二章 3

 

       * 3 *

 

 

 バトルするつもりなのか、話を無関係の人間に聞かれないたけなのか、この辺りを下見していたらしい猛臣の先導で連れてこられたのは、灯理の家の側にある公園だった。

 ――用意周到な方なのですね。

 迷うことなくここまでやってきた猛臣に、灯理はそれを感じていた。

 ここで会ったのも偶然ではなく、何かしらの手段で近藤の動きを追っていたのではないかと思えた。

 ブランコや滑り台などがある、それほど広いわけではない普通の公園で、広場の真ん中に立って振り向いた猛臣。

 彼が無造作に着ている上着やズボンは、近くで見たわけではないのではっきりしなかったが、有名ブランドのもののような気がしていた。

 ――金銭的には余裕があるのでしょうね。

 ピクシードールに触れるようになったのはエリキシルバトルに参加するようになる少し前で、スフィアカップのことについては調べて知っていたが、近くに住んでいる克樹のこと以外は把握していなかった。

 名前すら知らなかった猛臣だが、それでも彼の服や態度を見れば、美術業界の人々と触れ合う機会のあった灯理には、虚勢を張っているような人物でないことはわかる。

 そして彼がエリキシルソーサラーであることも、もうわかっていた。

 話しかけられたときには持っていなかった左手に提げたアタッシェケースは、公園までの道の途中に停めてあった車にあったものだ。

 あのときにはレーダーに反応はなく、公園に向かい始めた途端に反応があった。

「彼女連れのときに済まないな、近藤」

「違います」

 猛臣の声に近藤よりも先に、灯理は否定の言葉を返していた。

「はっ、そうか。通り魔野郎には似合わない可愛い女だと思ったぜ」

「お――」

 言い返そうとする近藤を手とスマートギア越しの視線で制して、灯理は一歩前に出る。

「ワタシの容姿を褒めていただきありがとうございます。ただし、近藤さんはワタシの友達です。いえ、仲間です」

「仲間ぁ?」

「槙島さんはエリキシルソーサラーですね? ワタシもそうです」

「なん、だと?」

 それまで余裕の笑みを浮かべていた猛臣の顔が驚愕に染まる。

 そうなるだろうことはわかっていた。

 克樹たちにも言われたことだが、エリキシルバトルへの参加資格のひとつである、特別なスフィアは本来スフィアカップの地方大会で優勝か準優勝をした人に贈られたもの。スフィアカップに参加したことがない灯理が持っているはずのないものだった。

 これまで自分を含めて四人のエリキシルソーサラーのことしかわからなかったが、猛臣の反応から、自分が特殊な立場なのを再確認する。

 軽く唇を噛み、あらぬ方向に視線を巡らせて考え込んでいた猛臣は、考えるのを辞めたのか、顔を上げて言った。

「それならそれで話がしやすいだけだ。お前、名前は?」

「中里灯理です」

「なるほど。お前が事故で目が見えなくなったって言う絵描きの……」

 顔は憶えていなかったが、名前や境遇については知っていたらしい猛臣。

「てめぇがエリキシルソーサラーってことは、近藤は負けてスフィアを取られたってことか」

「それも違います。近藤さんはいまもエリキシルソーサラーです」

「なんだそりゃ?」

 わけがわからないというように、猛臣は大きく口を開けて情けない表情をしていた。

 エリキシルバトルは戦って勝ち、スフィアを集めるもの。そう思って灯理自身も克樹たちを倒して奪い取るつもりだったが、勝った克樹が灯理ごとスフィアを集めると言うのだから、そうなっているとしか言いようがない。

 しかし灯理は、そのことを猛臣に説明はしない。

 いま敵として現れた彼に、余計な情報を与える必要を感じなかった。

「それで、どんな用件で?」

「ん、あぁ。そうだったな」

 おそらくバトルになるだろう流れ。

 いきなり襲ってくることはないと思うが、灯理はトートバッグの中に納めてあるフレイとフレイヤをすぐに取り出せるよう身構える。

 灯理を守るように前に出た近藤の背中も、これから始まるだろう戦いに緊張しているのがわかった。

 余裕を取り戻した猛臣が、笑みを浮かべながら言った。

「お前たちのエリキシルスフィアを、買い取りに来た」

「ふざけるな!」

 真っ先に声を上げたのは近藤。

 瞳に怒りを湛え、いまにも殴りかかりそうに拳を握りしめている。

「近藤の願いは恋人の復活か? 中里の願いはおそらく、その目を治すことだろう?」

 少しだけ振り向いてくる近藤と視線を交わし、灯理は猛臣の言葉に否定も肯定も返さない。

「だがエリキシルバトルには俺様も参戦してる。最きょ……、スフィアカップ優勝者の俺様に、お前らごときが勝てるわけがないだろう? 負ければただスフィアを俺様に奪われるだけだ。それだったらまだ金をもらって売っ払う方が利益があると思わないか?」

「いい加減にしろっ。売れるわけがないだろう!」

「その通りです。ワタシも近藤さんも、お金では叶わない願いを実現するためにバトルに参加したのです」

「もし願いがひとりしか叶わないなら、結局てめぇは近藤と戦うんだろ?」

「そのときは全力を以て戦うまでです。お金をもらっても意味がありません。それは貴方も同じなのではありませんか? 槙島さん」

「はっ! 言うじゃねぇか。だが勝てない戦いはするもんじゃない。そう思わないか?」

「その通りかも知れません。ですが、例え万にひとつの勝利であっても、それをつかみ取るために、ワタシはバトルに参加したのです」

 楽しそうに笑みを口元に浮かべながらも、猛臣の目は笑っていない。

 焦り。苛立ち。そして何より激しい怒りが、その瞳に燃え盛っている。

 あまりの強い怒りに恐れを感じて腰が引けそうになるのを、灯理は顎を引き、両手を握りしめて堪え、宣言する。

「戦いましょう、槙島さん。エリキシルバトルは戦って決着をつけるべきものです」

「ふははっ。お前みたいなタイプは嫌いじゃないぜ! ふたり一緒に来いっ。どうせお前らじゃ俺様の相手にもならないだろうがな!」

 猛臣の応答により、バトルは開始されることとなった。

 

 

 

「フェアリーリング! アライズ!!」

 アタッシェケースから取り出したピクシードールを地面に立たせた猛臣が、ヘルメット型スマートギアを被ってフェアリーリングを張り、ドールをアライズさせた。

 銀髪をポニーテールに結い上げた猛臣のドールは、エリキシルバトルに参加するためにピクシードールやピクシーバトルのことを調べていた灯理が知らないタイプのようだった。

 両手に一本ずつの剣を持っているのはともかく、銀一色のハードアーマーを纏うドールは、張り出した肩のアーマーからマントのような布地を垂らしている。

 スマートギアの表示で腕や脚の太さを測ってみた限り、バランスタイプのドールのように思えるが、何かが違っているように思えて仕方がなかった。

「そのドールの名前は何と言うのですか?」

「んぁ? ウカノミタマノカミって名前だよ。……いつでもいいぜ。かかってきな」

 余裕があるらしく、身長百二十センチとなったウカノミタマノカミの後ろで、猛臣はそう言い放つ。

 ワインレッドのスマートギアを被り、アタッシェケースからガーベラを取り出す近藤。その背中からは、極度の緊張が見て取れた。

 後ろに立つ灯理は、自分のドールを取り出しながら、こっそり通話アプリを立ち上げていた。

『ん? なんだ? 中里?』

『そのまま準備を続けながら聞いてください』

 二コール目で応答した近藤が振り返ろうとするのを声ではなく、イメージスピークで制して、灯理は言葉を続ける。

『槙島さんは、そんなに強いので?』

『強い。スフィアカップのときはほとんど手も足も出なかった。オレも克樹たちとけっこう練習してるわけだが、勝てる気はしない』

『ワタシと近藤さんのふたりがかりでも、と言うことですか?』

『……厳しいと思う』

 確かに立っているだけで威圧感が凄いと思うが、そこまでなのか、と思う灯理は、思考を高速で巡らせる。

『それならば、一計を案じます。アライズし次第、バトルを開始してください。できれば最初は激しく』

『何をするつもりだ?!』

『こちらのことはお気になさらずに。ワタシはこんなところで負ける気はありません。それに、余裕を見せていますが、あの人は知りません』

『何をだ?』

『ワタシと近藤さんはふたりですが、二体ではないのです』

 スマートギア越しに薄笑いを浮かべてる猛臣を見つめ、灯理は近藤の背中に隠れてフレイとフレイヤを準備する。

「アライズ! 行くぞ!!」

「あんま待たせんなよ! すぐに畳んでやるぜ!!」

 アライズ直後に紅い軌跡を引いてウカノミタマノカミに突撃していったガーベラが、剣を避けつつ左手でボクシングのジャブのようなラッシュをかけ始めたのを見て、灯理は手の平の上でフレイとフレイヤの手を繋がせた。

 猛臣から見えない位置であるのを確認しつつ、灯理は自分の願いを込め、視界に表示されたエリキシルバトルアプリに向かって、唱える。

「アライズ!」

 二体が光に包まれたのを見て、灯理は両手を引いた。

 着地したフレイとフレイヤの光が弾けたとき、身長百二十センチのエリキシルドールが出現していた。

 ――たぶん、大丈夫ですね。

 フレイヤの視点から猛臣の方を確認すると彼の姿が見えるが、フレイの視点からだと近藤の大きな身体に阻まれて戦いの様子が見えない。

 何よりいま近藤の猛攻を受けているウカノミタマノカミは、灯理の方に注意を向けている様子がなかった。

『お待たせしました。参戦します』

『頼む』

 フレイをその場に残し、白いスカートの中から長剣と円形の盾をつかみ出したフレイヤを、地面に着きそうなほどの長さの髪をなびかせながら戦場まで駆け寄らせる。

 ガーベラの影から繰り出した剣は、甲高い音を立ててウカノミタマノカミの剣に弾かれた。

 ――よく見ていますね。でも、負けませんよ。

 右側から攻めるガーベラに、灯理はフレイヤをウカノミタマノカミの左に配して長剣を振るう。

 ガーベラの左右の拳を剣の峰で受け止めつつ、フレイヤの斬撃に対抗してくるウカノミタマノカミ。

 さすがに手数の多さに苦慮しているように見えるが、わずかな隙を見せれば反撃が飛んでくる。少しずつ下がりながら防御主体で動きながらも、その動きには余裕が見られた。

 ――本当に強い。

 専用アプリの導入によって高速に切り換えている視界は、まるで目が四つあるかのように、ふたつの場所を別々の視点で見ているように感じることができる。

 脳の機能と錯覚を利用した並列視界の片方を、灯理はスマートギアの視界にして猛臣のことを見た。

 彼の口元には、笑みが浮かんでいた。

 ――スフィアカップ優勝者の実力は、伊達ではないのですね。

 克樹と戦い、負けたときに比べて、灯理は自分が強くなっていると自覚していた。

 剣の振り方も、ドールの動かし方もセミコントロールアプリ任せで、隠した武器とデュオソーサリーという力業しかなかった頃に比べ、戦いの基礎も操作のセオリーも知ったいまは、別人と言っていいくらいの戦闘力を備えたと思う。

 フレイとフレイヤも、購入したバトル用ピクシーの組み立てキットを少々いじった程度のものが、克樹の協力によって単体でもエリキシルバトルで戦える性能を備えるようになっていた。

 それなのに、フレイヤの剣はウカノミタマノカミのボディどころか、マントの布地にすら触れることができない。

 それはガーベラも同じ。

 フレイヤの攻撃より相手のボディに近く、マントのすぐ側までは届いているが、拳はすべて防御されてしまっている。

 ――でも、ワタシにはフレイもいる。

 戦場の向こう、猛臣の背後からウカノミタマノカミの背中に向けて飛ぶ勢いで接近する黒い影。

 公園を大きく回り込んで猛臣の背後に着いた、フレイ。

 彼からは見えない位置から、突進の速度を乗せたグレイブをウカノミタマノカミのメインフレームに狙いをつけて繰り出す。

 耳に残るほどの大きな金属音が響いた。

「……え?」

 灯理は思わず声を出してしまっていた。

 フレイの視界で見えたのは、グレイブの穂先を受け止める肩のハードアーマー。

 間違いなくメインフレームを切断するはずだったグレイブは、姿勢を変えたのではなく、アームによって稼働した肩のアーマーによって防がれていた。

「なんだこりゃ? ドールが三体? いや、スフィアの反応はふたつ……。そうか、中里灯理! てめぇはデュオソーサラーか。はっ、実在したとはな!!」

 猛臣が灯理のことを理解する間に、ウカノミタマノカミの両肩のアーマーが動き始めた。

 左右が各前後に、計四つのパーツとなったアーマーは、それぞれにアームに支持されて浮き上がる。

「まさかこれを見せることになるとは思わなかったが、デュオソーサラーが相手なら仕方がねぇな」

「腕が六本だと?」

「まぁ、そんな感じだな。うち四本はショルダーシールドを動かすだけのものだがな。さぁ、三体一の戦いを再開しようぜ!」

 近藤とともに硬直してしまっていた灯理は、猛臣の声に我に返る。

 フレイヤの剣と盾を構え直させ、グレイブを捨てたフレイには大振りの剣を二本装備させる。

 仕返しのつもりか、振り返ってフレイに向けて二本の剣を振るうウカノミタマノカミ。

 正確無比な攻撃は、逆手に持った剣で防ぐものの、黒い衣装を切り裂いていく。

「やらせるかっ」

 叫んだ近藤がガーベラを使って放った正拳突きは、ショルダーアーマーに防がれた。続いて放った膝関節に向けた蹴りも、脚のアーマーによって受け止められる。

 ――これはまずいですね。

 フレイの奇襲を防がれ、三体になったのに、猛臣の余裕は変わらない。

 フレイとフレイヤを操作しながら、灯理は背中にじっとりと汗が噴き出してくるのを感じていた。

「ちまちました攻撃はうざったいんだよ!」

 そう言い放つ猛臣は、ウカノミタマノカミに接近するガーベラの腹を蹴り、吹き飛ばした。

「うらっ!」

 まるで自分が剣を振るってるような猛臣の声とともに、ウカノミタマノカミが上段からの剣をフレイヤに見舞う。

 盾で受け止められたのは、奇跡のようなものだった。

 閃きが見えたときには振り下ろされていた剣は、受け止めた盾の半ばまで食い込み、白い衣装の直前で止まっている。

『離れていてください!』

 繋いだままの通話で近藤に言った灯理は、フレイとフレイヤに武器を捨てさせつつ、ウカノミタマノカミから距離を取らせ、二体同時の攻撃を敢行する。

 フレイが取り出したのは片手四本、両手で八本の針。

 フレイヤがつかんだのはナイフが両手で六本。

 ガーベラが飛びすさったのを見て、タイミングを合わせてウカノミタマノカミに投擲し、間髪を置かずにもう一度同じ攻撃を二体から行う。

「そんな……」

 合計二十八本の攻撃は、猛臣のドールのボディを傷つけていなかった。

 布地でしかなかったマントが、板のように針とナイフを受け止め、切っ先しか食い込んでいない。

「なかなかの攻撃するじゃねぇか。だが俺様には通じねぇんだよ!」

 両腕を振るい、布に戻ったマントから針やナイフを振り払ったウカノミタマノカミ。

 その一瞬の時間を利用して、背中から幅広の両手剣を抜いたフレイヤと、二本の黒い短剣を抜いたフレイで攻撃を仕掛ける。

 ガーベラも参加し、再び三体で抑え込む形となった。

『あの、すみません』

『どうした、中里』

 必死で戦いながらも、灯理は近藤に声をかける。

『勝てません』

『なっ?!』

 タッグを組んで戦う練習などしたことがなかったから、決して充分に連携が取れているとは言えない三体の攻撃。

 反撃の隙を与えない絶え間ない攻撃を、ウカノミタマノカミはすべてを躱し、受け止め、弾いている。

 フレイヤとガーベラの二体だったときよりもボディの近くまで攻撃は届いているとは言え、先ほど盾を割った力から考えて、恐ろしく高い性能によって、一撃でドールを仕留めることができるだろう。

 視界の外からの攻撃もショルダーシールドと硬化したマントに防がれるのでは、手詰まりだった。

 ――けれどワタシは、こんなところで願いを諦めるつもりはありませんっ。

 歯を食いしばった灯理は、近藤に言う。

『このままでは勝てません。逃げます』

『どうやって? 背中を見せたらやられるぞ』

『大丈夫です。ワタシはワタシの願いを叶えるためならば、どんなことでもするのです。少しの間、フレイとガーベラでお願いします』

 近藤の返事を聞かずに、灯理はフレイヤを自分の元まで下がらせる。

 スカートのポケットに手を入れ、取り出したものをフレイヤの左手に渡した。

 ウカノミタマノカミがその様子に目を向けたときには、フレイヤは左手に持ったふたつの球体に右手を近づけ、中指と親指を鳴らすように擦り合わせた。

 球体から伸びた紐は、導火線。

 意図に気づかれる前に、フレイヤはそれを猛臣とウカノミタマノカミの足下に転がした。

 球体から噴き出したのは、濛々とした煙。

 ただのオモチャに過ぎないが、その煙の量は視界を奪うには充分な量だった。

「逃げますよ!」

「お、おう」

 駄目押しでさらに二個の煙玉を猛臣との間に転がし、フレイを下がらせる。

 足下に置いてあった鞄を拾い上げた灯理は、フレイとフレイヤに自分の身体を抱えさせ、公園の外へと向かわせた。

 アライズを解除した近藤も、ガーベラと鞄を手につかみながら後ろに着いてくる。

 向かうのはおそらくすぐに調べられてしまう自宅ではなく、克樹の家。

 灯理は大通りを目指して、フレイとフレイヤを走らせた。

 

 

          *

 

 

『よく逃げて来られたねぇ』

 灯理と近藤の話を聞いて、僕よりも先に声を上げたのはリーリエだった。

「うん、僕もそう思うよ」

 そう言いながら、灯理に送ってもらったバトルのときの映像を見ていた僕は、スマートギアのディスプレイを跳ね上げた。

 コーヒーを飲んで落ち着いたのか、ダイニングテーブルに着く灯理はにっこり笑う。

「それはもちろん。勝てない相手に負けないためには、逃げるのが一番ですから。他にも逃げるための手段はいくつか用意してありますよ」

「打ち合わせなしであれだったから、びっくりしたぜ……」

 落ち着きはしたものの、疲れた様子の近藤は深くため息を漏らした。

 戦場から逃亡したふたりは、国道まで逃げてタクシーを飛ばして僕の家までやってきていた。

 元々ふたりはPCWからの帰りだったし、灯理の家に帰り着く直前の襲撃だったから、もうLDKの掃出し窓から差し込む陽射しは暗くなり始めてる。

「しかし、槙島猛臣か……。またずいぶんな奴が出てきたな」

「あぁ。やっぱりあいつは強い。スフィアカップでも戦ったが、あのときよりもさらに強くなってる」

「フレイとフレイヤとガーベラの三体で攻撃を集中させても、すべてに対応していましたし、あのショルダーシールドによる防御は鉄壁です。マントもナイフや針は通りませんでしたし」

『本当にすごいね。あたし、勝てる気がしないよ……』

 僕たちは口々に重い言葉を吐き出し、お互いの顔を見つめ合った後、一斉にため息を吐いた。

 槙島猛臣は、スフィアカップでもほぼ圧勝に近い形でフルコントロール部門を制していた。

 スフィアカップ以降、ピクシーバトルから離れていた僕でもその名前は知ってるし、いまは高校生ながらSR社の開発者としてその名前に出会うことの方が多い。

 旧家でいまでも勢力を誇ってる家に生まれ、噂によれば彼のドールのパーツは特別製で、家の力と自分の立場を利用してSR社にスフィアで認証ができるようにして、カップのときも使えるようにしたとか言われてる。

 ドールの性能もさることながら、ソーサラーとしても最高クラスの使い手であることは、スフィアカップのときの映像でも、今日のバトルの映像を見ても明らかだ。

 まさかそこまでの奴がエリキシルバトルに参加してたなんて、想定してなかった。

 ――くそっ。どうしたらいいんだ!

 額にシワを寄せながら、僕は心の中で毒吐く。

 イレギュラーなルートでエリキシルスフィアを手に入れた灯理のことは知らなかったみたいだけど、近藤のことはたぶん探偵か何かを使って調査済みだった様子の猛臣。

 関西に住んでるはずの奴が、エリキシルスフィアを集めるために東京に来てるなら、近いうちに僕のところにも現れるだろう。

 ――もしかして、夏姫とはもう会ってるのか?

 家に籠もっているのか、出かけているのかわからない夏姫。でも少なくとも、さっき家の近くまで行ったときには、彼女の家にヒルデの反応があった。

 さすがにさっきのバトルの後に接触してる可能性は低いと思う。

 最初、買い取りたいと言って接近してきた猛臣なのだ、生活が厳しい夏姫なら、その言葉に揺れる可能性は考えられる。

 ――さすがに、それはないかな。

 いくら生活が厳しくても、彼女の願いは母親の復活。

 お金で買えるものではない願いを、お金で諦めるとは思えない。

『でも不思議だね』

 焦りを感じて舌打ちをしていたとき、リーリエがそんな声を振らせてきた。

「どうかしたのか? リーリエ」

『んー』

 即座に反応した近藤に、リーリエは悩むようにうなり声を上げた。

『槙島って人の一番お気に入りの子って、いつも同じ名前だったはずなのに、今日は持ってきたのは別の子なんだね』

「そう言えばそうだな」

 リーリエの指摘に、僕も疑問を感じて首を傾げてしまっていた。

 猛臣が主に使ってるドールの名前は、イシュタル。

 スフィアカップのときもそうだったし、バトルの参考のためにスフィアカップ上位入賞者の動画を調べていたときも、彼はたいていイシュタルで戦っていた。

 おそらく部品はどんどん更新されているんだと思うけど、メインで使っているドールの名前は変わっていない。僕がほぼ完全にパーツを更新しても、アリシアの名前を引き継いでるのと同じなように。

 僕がアリシアの名前を変えないのは、百合乃がつけてくれた名前だからだし、そうした何らかのこだわりを持ってメインとなるドールの名前を固定している人は多い。

 猛臣もイシュタルの名前を引き継ぎ続けてるってことは何らかの理由があるんだと思うけど、灯理たちと戦うときに持ち出したのは、ウカノミタマノカミだった。

「戦闘内容に合わせて使うドールを換えているのでしょうか。最初からワタシと近藤さんのふたりを同時に相手するつもりだったようですし、あのウカノミタマノカミというドールは防御を重視したタイプのようでしたし」

「かも知れないな。確かにあいつも何体かのバトル用ピクシードールを持ってたはずだから」

「そうは思うんだけど、何か違う気がして……」

 確かに猛臣は何体かのドールを持っているのは、いくつかネットなどで公開されていた動画や対戦情報でも見ることができていた。

 でも重要なバトルでは、必ずと言っていいほどイシュタルを使っていた。灯理たちと戦ったときにイシュタルを出さなかった理由は、よくわからない。

 ――それほど重要な戦いじゃなかったってことだったのか?

 何か理由があると思うんだけど、それがわからず、いまひとつすっきりしない気持ちに僕は顎に手を当てて考えてしまっていた。

「……夏姫さんとは、やはり連絡が取れないので?」

「あ、うん。今日も連絡してみたけど、まだ返事はない」

「遠坂が何か届けに行ってたみたいだが、そのときの話は聞いてないのか?」

「うん。とくにあいつからは聞いてない。というか、僕だって近藤や灯理と状況は変わらないっての」

 どうして僕に夏姫のことを訊くのかと思ったが、なんでかふたりはお互いの顔を見合わせて不思議そうな顔をしていた。

「まぁ、連絡取れたら知らせるよ」

「はい。お願いします」

「頼む」

 深刻そうな顔をして僕の提案に頷くふたり。

 そんな顔から目を逸らしながら、僕はずっと連絡が取れないままの夏姫のことを考えていた。

 ――状況くらい知らせてくれたっていいだろ、夏姫!

 

 


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